最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
今期2つ目の劇場作品は、あの舛成孝二が監督を務める期待の作品、「宇宙ショーへようこそ」! 正直、かなり前から楽しみにしていました。 まず、率直な感想からいえば、大変面白かったです。劇場でアニメを見てると魂の奥の方を「ガッ」と掴まれて思わず目が潤むことがあるんですが、この作品は何度となくその「ガッ」が発生しました。うむ、非常に伝わりにくい表現になってしまっているけど……泣きそうだったってことだよ。言わせんな恥ずかしい。別に「泣かせる」演出の作品というわけではないのだが、キャラクターの心根が良かったり、物語としてのボルテージがあがったり、ノスタルジーを直撃されたりすると、思わず泣きそうになるんですよね。ちなみに過去に見た劇場作品は、ほとんどうるうるしながら見てます。 (以下、どう考えてもネタバレが発生するので、未視聴の方は注意) さて、まず持ち上げるところから始めたわけだが、序盤は、正直言うとちょっとダレる部分もあった。個人的には最も重要なファクターである「キャストの演技」が耳ざわりなのがどうしても気になってしまい、最初のうちはなかなか物語に入っていけなかった。突如現れた藤原啓治声の宇宙人(宇宙犬?)はおっさん臭くて愛嬌もないし、「ろくにキャラクターの名前も知らない段階で、いきなり修学旅行で月って言われてもなぁ」くらいの印象。劇場作品らしく画面はとてつもなく豪華でつけいる隙もないのだが、正直言って「劇場ならそれくらいは当然よね」とか思っていた。 流れが変わってきたのは、中盤に実際に「宇宙旅行」を堪能しているあたりから。最初のうちは子供だまし、こけおどしだと思っていた子供じみた宇宙の描写が、だんだん狂気を孕んでいるように見えてくる。確かに宇宙人1体1体のフォルムは陳腐なものも多いし、どれもこれも子供の落書きみたいなデザインなのだが、そんなふざけたデザインが、全て個々に画面上を動き回っていることに気付いた時に、ちょっとゾクッとした。この作品は、「とある1つの種類の宇宙人との交流」ではなく、「宇宙との交流」をテーマにしており、そこに集う宇宙人たちは正に千差万別。どんな細かなシーンでも、どんな動き回るダイナミックなシーンでも、そこに現れる宇宙人や奇妙な建物1つ1つが、全て「個々に」生きている。その作り込みの入念さが、この作品の表現したい全てだ。 「夏のある日のノスタルジー」という大きなくくりでまとめると、見始めた段階では、同じく劇場で見てきた「サマーウォーズ」とイメージが被った。あちらもバーチャル空間の描き込みが偏執的なまでに徹底しており、本作の宇宙人の扱いと被る部分がある。しかし、「サマーウォーズ」はあくまでバーチャル世界を異質なものとして扱っており、それはCGによるサンプリングと、全てを統一的に処理する理知的な配置に現れていた。しかし、この作品は違う。全ての宇宙人は、単に好き勝手にそこにいるだけ。夏紀たち主人公グループの経験している「旅行」と、何ら変わりない重要性で、そこを歩いている。これを全て丁寧に書き込むことで、「宇宙である」という特別さがなくなり、あくまで「普通の作品で描かれる日常風景」の延長が、月や他の星系にも拡大された世界が構築されていく。 非常に乱暴なまとめをするとしたら、「サマーウォーズ」は手近なバーチャル空間を利用し、そこで未曾有の大事件を巻き起こすことで「日常に非日常をもたらす」作品。対して、この作品は宇宙というとんでもない舞台をエピソードにしながらも、そこに見た目以上の特別さを設けず、「非日常の極みを日常的に描く作品」と言えないだろうか。いくつか例をあげると、端的なのは月に行って一番最初に食べたファーストフード。「コーラはどこも同じなんだね」って、んなわけないのに、それが妙に「近さ」を感じさせる。おっかないルックスのウェイトレスに持ってこられた奇妙なポテトも不気味なハンバーガーも、あくまで「ちょっと見た目の変わった日常の延長」である。また、銀河超特急で移動中に、イスの形をいかにも電車風にしてみせたのも象徴的。「やっぱり修学旅行はこうでなくちゃ」と言っていたが、あそこまで非日常的な世界を満喫しながら、子供達にとっては、あくまで「旅行」の一環なのだ。また、ポチの実家に帰ったシーンなども印象深くて、全然違う星での生活で、家のサイズや様式も全然違うにも関わらず、そこには家庭的な温かさがそのまま表れているし、スケールや文化の違いが、目に見えているのに意識されないレベルにまで内在化している。この「コズミックな日常」というモチーフは、実に鮮烈であった。 そうした「非日常の中の日常」を存分に堪能し、もういっそそれだけで終わってしまっても構わないなぁと思っていると、ようやく事件が起こる。周の誘拐事件に端を発する、いかにも「映画的な」奪還劇。筋立てはシンプルで特に目新しい部分もないのだが、それまでの旅行パートまででジワジワと組み上げてきた物語の伏線をまとめて放出し、一気にたたみかける構成は流石の一言。旅の途中で出会ってきた仲間達との協力や、夏紀と周の喧嘩を通じて得られた本当の友情、愛情。そうした要素が過不足なく集結して、夏紀のいう「ヒーロー」像が完成する。事前にポチの家で「周の夏紀に対する気持ち」は語られていたが、クライマックスではそれまで溜まっていた夏紀の周に対する気持ちが爆発し、そのパワーが巨悪を打ち砕く。どの子供達にも等しく活躍の場が与えられているし、やや説明不足ながらも無茶なことをやっていることが嫌でも伝わってくる敵側の悪辣さや小憎らしさも引き立つ。冷静に見ると「単に力比べで勝ってぶん投げただけ」というお粗末な決着なはずなのだが、全ての台詞と、回収しきった伏線の重みのおかげで、これが説得力のあるカタルシスを構成する。本当に、見ていて気持ちが良い。 繰り返しになるが、この作品の持ち味は「日常」と「非日常」のバランスの取り方、見せ方。自分でもよく分からない感情だったのだが、地球に帰ってきた面々がそれぞれの親の車で帰路につくシーンでは、そのあまりの「平凡さ」に感極まってしまった。それまではずっと「銀河を超速で走る列車」だとか「クラゲのような外見でめちゃくちゃブースト出来る飛行機械」とかに乗って冒険を楽しんでいた子供達が、ひとたび地球に降り立てば、普通のワゴンやセダンでおうちへ帰るのだ。そして、こうした「普通の車」と、「特別な宇宙船」が等しく、入念に描かれているからこそ、この対比が映える。同じシーンで「なんだ、ただの宇宙船じゃない」という奇妙な台詞が出てくるが、子供達の心情を考えると、こんなにどんぴしゃりの台詞もないだろう。 こうした日常と非日常の融和が「容易く」行われるための画面作りは、並大抵の苦労ではなかったはずだ。この見事な画作り、脚本作りを成し遂げたスタッフには素直な賛辞を送りたい。 まぁ、あとは細かいところですかね。超特急乗車中あたりだったと思うが、何故か画面が突然妙な空気に変わる部分がある。言い方は悪いが、「作画が崩れる」シーンだ。「まるでりょーちも画だなっ」とか思ってたら、マジでスタッフにりょーちもが居て吹いた。絶対あのカットを担当しているのは間違いない。地上波作品で個性大爆発させるのは構わないけど、劇場版であそこまで個性を出してくるのもどうかねぇ。面白いからいいけどさ。あと、個人的に好きだったギミックは、インクが操るでっかい手の動きとか、ネッポの不定形なのに何故か芯の通ったアクションなんかかな。インク可愛い。 そして当然、キャストに触れるのも忘れちゃいけない。まぁ、メイン5人がほとんど素人なので、そのあたりはあまり触れるべきではないのだろうが、覚悟していた「子役だらけの学芸会」よりは幾分マシ。特に夏紀役の子はなかなか頑張っていて、挫折から立ち直った夜の誓いのシーンや、クライマックスの一番大切な台詞あたりの熱演は好感が持てた。どこの誰かは知らないが、今後も頑張って欲しいものである。あとは、倫子役が松元環季ちゃんでした。わーい。やっぱり彼女1人だけちょっとステージが違う感があるね。あ、でもインク役の子も好き。誰だろうと思って調べたら「夢パティ」でキャラメル役をやってる子だ。なるほどなるほど。 そして、残るは貫禄充分のベテラン声優達。そんな中でもやはり無視できないのは、ポチ役の藤原啓治と、ネッポ役の中尾隆聖だろう。特に中尾隆聖は私が「一番好きな男性声優」と言って憚らない憧れの人で、こういう人外かつ狡猾かつ憎めない役をやらせると右に出るものはいない。痺れましたわぁ。1人だけで空気を作れる役者というのは、本当に素晴らしい。 他にも銀河万丈は普段とはちょっと違うコミカルなキャラクターで魅せてくれたし、「なのは」でもラスボスを演じてくれた五十嵐麗、素敵なお母さん伊藤美紀など、メインが辛いだけに「いつものあの声」が聞こえてきた時の安心感はかけがえのないものでした。唯一の心残りは、作中で千和の存在に気づけなかったこと。舛成作品なんだからいるに決まってんだよな。 長くなったが、最後のまとめを一言。この作品は、はっきり言って詰め込みすぎだ。大画面の細部にいたるまで、世界を構築するために必要なファクターを、限界を超えて押し込んである。シナリオに関わる重要な要素ですら、明示的に説明されずに流されたものも少なくないのだ。それ故に、この作品は何度も見るべきものになっているのかもしれない。特に、本当に楽しんで欲しいのは「まっとうな」対象である子供たちだろう。「あの画面に映っていた妙な宇宙人は、どういう生態系なんだろう」とか、「あそこで出てきた食べ物は元々どういう材料で出来ているんだろう」とか、答えがないが、無限に想像出来る楽しみがこの作品には詰まっている。小さい頃に絵本を読んでもらって、どんな小さな絵でも穴が空く程眺めていたような、そんな楽しみ方が出来る作品である。是非、そうした「無駄な贅沢」を大人目線でも楽しんでもらいたい。 PR ○「ぬらりひょんの孫」 4 気付けば割と可哀想な時間帯に流されてしまった、深夜枠では久し振りな気がするジャンプ原作漫画。正確なデータがたどれないが、ひょっとして深夜にジャンプアニメって「To LOVEる」以来か。だとしたら2年ぶりくらいってことになるなぁ。 作品自体はシンプルな「ジャンプのバトルもの」なので、アニメになった形態を評するのは結構難しい。おそらくだいたい原作通りのお話だったと思うが(1話目の話なのかどうか定かじゃないけど)、原作ファンの目にはどのように映るのだろうか。元々そこまで激しいアクションを求めるような作品でもないので動きが緩慢なのは別に構わないと思うのだが、おそらく魅力の1つであろうと思われる墨絵を意識したようなタッチは、当然アニメになるときに捨象されている。そのあたりのデザインの違いで印象も変わるし、ひょっとしたら毛嫌いする原作ファンもいるのではないか。 個人的にはそこまで原作に思い入れもないので、別に多少デザインが犠牲になっても構わないと思うが、その分、取り立てて誘致要因を見いだせないのも事実。冒頭の牛鬼との対話シーンで一応は見得を切っているが、今回のクライマックスでもリクオの変身は見られなかったし、お目見えの1話なのに見どころが意識できない。他の妖怪たちとの絡みも大して描かれないので、初見の視聴者にはあまり親切に見えない導入である。また、脚本の詰め方がぬるいのか、ところどころにもっさりした間が空いてしまう部分があって、どうしても気になってしまった。高橋ナツコ原作だとこういう意識に上る「間」が出来ている気がするのだが、脚本の演出方針がそういう風になっているのだろうか? それとも単に穿った見方をしているのでそう感じるだけか。 評価出来るポイントとしては、様々な造形の妖怪たちの姿が、アニメだと個々に引き立つので見ていて面白いという点があげられる。たとえば首無などは、「胴体と首が別にある」ことは漫画原作でも分かるわけだが、アニメではその「違和感」が前面に押し出されて、何とも珍妙な絵面になる。「デュラララ」のセルティも面白かったが、首無の場合は本当に「首がないだけ」なので、アニメでお約束の全身を描く動画のパターンが当てはまらず、どこかちぐはぐな動きに見えるのが興味深い。他にも牛鬼やぬらりひょん、そして雪女などの妖怪がカラーで、愛嬌を振りまきながら動いてくれているのは、妖怪好きにはちょっと嬉しいシチュエーション。次回予告で出てきた朧車とか、「鬼太郎」で感じたあのゾワッとする雰囲気が出てくれば面白いかもしれない。 あとはまぁ、キャストの話? ぬらりひょんに周夫さん、牛鬼には譲治さんあたりは鉄板。確かこの作品はドラマCDキャストがそのまま持ち上がりなので、このあたりの布陣はありがたい部分。あとは雪女ですかね。今週のジャンプでやたら可愛かったので、ちょっと雪女を応援したくなっております。エンディングで動くのちまっこいキャラも可愛らしくて好きです。 ま、良くも悪くも少年漫画原作。とりあえず変身も含めたガチンコバトルシーンを1回観て、その後に判断しても遅くはないでしょう。
○「生徒会役員共」 6
凄い時代になったものである。もし5年前に戻って、「氏家ト全の4コマがアニメになるんだぜ」と言っても、エイプリルフールでも無視されるレベルだったろう。しかし、それが実現した。そして、割とアリな形で実現した。 「あの」作風から想定されるアニメなどというものは基本的に存在しておらず、「いくら4コマがぼこぼこアニメ化されているとはいえ、流石にこれは……」と思っていたのだが、1話をみる限りでは、むしろ割と普通のアニメに見える。もちろん、最大の持ち味である下ネタの容赦のなさは健在なのだが、あの「毎週どころか毎話だいたい同じ絵で同じ内容をコピペしたみたいなヤな安定感」は、アニメだとあまり感じられない。きちんと流れがあり、タカトシを中心とした「学園生活」を臭わせつつ、その中できちんと下ネタをオチとして持ってきているのだ。まさかあの漫画にストーリー性を感じることになろうとは。 そして、そんなシナリオ構成は、素直にうまい。1話ではテンプレート通りながら主要キャラの自己紹介を済ませ、それでも義務的になることなく、冒頭から尻まで徹底してテイストを維持しているし、印鑑によるアイキャッチでネタとネタの間をブツ切りにしてしまっているのに、前後で流れが断たれた感じにならずに、あくまで「1日の学園生活」の繋ぎの中で1ネタ1ネタを展開させている。こういう構成ならば、「同じ流れのコピペのような作品」であっても、それはあくまで「同じ部屋で同じキャラがしゃべっているから同じ流れになるだけなんですよ」という説明が付けられてしまう。目先が変わらないことが、至極当然のものとして理解出来る。いや、根本的な解決になってない気もするのだが、テンポと流れを両立させているのだから現時点では文句も無い。「想像以上に想像と違った」ことを評して、点数は少し高めにさせてもらった。 まぁ、どこまで行ってもマンネリズムの勝負になる作品なのは間違いないだろうから、2話目以降ですぐに飽きが来る危険性は存分にあるんだけどね。逆にこれが定番として落ち着けば,毎回ダラダラ楽しめることにもなるだろう。うん、ぶっちゃけ「B型H系」と同じくらいの感想になってますよね。エロ4コマって意味では同じだし。ただ、コッチの方が「ループの周期」が短いおかげで構成の難度は高いと思われる。 で、「B型H系」の名前が出たついでにキャストの話に入ってしまおう。「B型」では田村ゆかりの痴態を見て笑い、「うひゃひゃ、これって根っからのファンはどんな気持ちで見てるのかねぇ!」などと対岸の火事を決め込みながら楽しんでおり、まさか自分の入れ込んでいる役者がすぐにこんな作品でメインを張るとは思わずにいました。ブーメランがものすごい速さで帰ってきた気分。エロネタ全開の台詞を実に微笑ましい声音で読む面々…… OK。これはこれで。ぴかしゃは既に「クェイサー」でやってるから何の問題もなし。そしてこの手の作品は初登場のしゅが美……もう、ぴかしゃと一緒にしゃべってるだけで楽しそうに聞こえるのは、私の耳がおかしくなったせいでしょうか。もう、このカップリングだけで3クールくらいは聞けそうですわ。いけるぞしゅが美! それにしても、かたや巨乳のおねーさん系キャラを2つ続けて担当し(迷い猫の乙女)、かたやエロで弾けて完全無欠のネタキャラを2つ続けて受け持つことになった(クェイサーの華)。けいおん声優の進路をここまで分けた要因は何だったんだろう。やっぱりぴかしゃの芸人気質か……まぁ、後々まで食いつなぎやすいのは芸人さんな気もするけど。 なんか2人の話ばっかり長くなったが、もちろん矢作紗友里の持ち味が存分に活かされているのもうれしい限り。やっぱりおはぎはロリっ子狂言回しが一番ですよね。 あと、意外に重要なのは突っ込み役に回された浅沼晋太郎。「四畳半」でも抜群の安定感を誇る浅沼君だが、この作品でも、あの独特の諦観を含んだ突っ込み台詞が実にきれいに出ている。あのテンションのおかげでどれだけ賑やかにネタ回しをやっても最終的に「氏家テイスト」になってくれるわけだ。最終的に、彼で作品がなりたっているとすら言えますよ。頑張ってんなー。 なんで俺はこんなタイトルでエントリーを立てたんだろう……まぁいいや。なんだかそんな噂が飛び込んできたので。 結局、イカ娘役は金元寿子に決定したらしい。まぁ、冷静に考えれば、別にそれでいいよね。何で世間的に「井口で決まり」っぽい流れがあったのか、今考えると不思議な気がする。水島監督とも特にゆかりはないしなぁ(金元もないけど)。いぐデックスさんのキャラにしちゃぁ、イカ娘はおとなしいからな。あのウザ可愛さを発揮できるキャラじゃないと、きっと満足できないに違いない。井口は国の宝なので、大切に扱っていきましょう。ニコ動見られる人はこの動画で耐性を付けるといいかもしれない。 ちなみに他のキャストに田中理恵や藤村歩の名前も確認出来た。回りをしっかりした人たちで固めてもらえれば、若手のヒロインも安心だ。めでたしめでたし。まぁ、別に「イカ娘。」をそこまで応援する義理もないんだけどさ。 でも何故だろう。これでもし花澤香菜とかに決まってたら怒っていた気もする。
Briarpack Alpha 茨群れの頭目 (3)(G) U
クリーチャー・狼 3/3 瞬速 〜が戦場に出たとき、対象のクリーチャー1体はターン終了時まで+2/+2の修正を受ける。 どこをどうフォローしようにも「茨角(LRW)」の下位互換というちょっと寂しいアンコモンであるが、環境が違えば強さも変わる。現在のリミテッドにおいて、このカードがどれほど役に立つかは想像に難くない。序盤からテンポ良くダメージを刻んでいき、4ターン目にダメージを上乗せするもよし、どこかのコンバットの結果をいじるもよし、他のクリーチャーが火力に狙われたのを守るもよし。その結果として3/3の狼が残るのだ。これ以上何を求めるだろうか。「茨角」の下位互換とは言ったものの、種族が狼になったことで得られるサポートは増えており、「月霧」「常なる狼」などなど、シンプルな肉だからこそありがたいシナジーもそれなりに用意出来る。緑をやっているなら、ありがたく頂戴しよう。 Clinging Mists しがみつく霧 (2)(G) C インスタント このターンに与えられる全ての戦闘ダメージを軽減する。 窮地 - 全ての攻撃クリーチャーをタップする。それらは、次のそのコントローラーのアンタップ・ステップにアンタップしない。 窮地の「濃霧(M12)」。2マナ重たくなっているが、窮地タイミングだと「もつれ(INV)」以上の効果を発揮するのでコモンの働きとしては上々。ただ、「もつれ」以上の働きといっても、単に「攻撃クリーチャーを全てタップする」の部分がパワーアップしているだけで、大量の警戒つきクリーチャーで殴ってこられた場合なんかを除けば、ほぼ「もつれ」と同じ効果である。となると、元々2マナだったわけで、わざわざ自分の命を危険にさらして、しかも3マナかけてやっと横並びっていうのはちょいと無駄が多いかもしれない。まぁ、「もつれ」は強力なスペルだし、ことこの状況に至って2マナと3マナの差は大した問題ではないだろう。「濃霧」が必要なデッキだったら、それなりのコマではある。ここで問題、「濃霧」が必要なデッキとは? 答え、ターボフォグ。 Crushing Vines 押し潰す蔦 (2)(G) C インスタント 次のうちから1つを選ぶ。「対象の飛行を持つクリーチャー1体を破壊する」「対象のアーティファクト1つを破壊する」。 全然違う効果のはずだけど、この名前のインスタントだと何となくどちらも納得出来るのが緑の便利なところ。フライヤーをたたき落とすスペルも「梢のうねり(INV)」とか「葉の矢(ROE)」とか植物関係でやってるし、アーティファクトも「引き裂く蔦(SOK)」などの蔦類が絡め取る。そのどちらも狙えるカードが、これというわけだ。本当にこの世界の緑は飛行クリーチャーに弱く、「蜘蛛の掌握」が手に入らないと「声無き霊魂」や「縫い合わせのドレイク」にタコ殴りにされることも日常茶飯事だったので、この3マナコモンの価値は計り知れない。また、どうしても「帰化」をメインで入れるのはもやっとする場合もあるのだが、これを入れておけば飛行に睨みを利かせつつも、一応アーティファクトだけなら対応出来るようになるのだ。普通はこういうスペルはどっちつかずの器用貧乏になる場合が多いのだが、こいつはどちらの効果も充分コスト分の働きをしてくれるのだ。ありがたいコトです。ただし、1つだけ注意しなければならないことがある。なんと、これが収録されたせいなのかどうかは分からないが、このエキスパンションには、緑でエンチャントを壊す手段が1枚たりとも用意されていないのである(白から「天啓の光」をフラッシュバックするという手はあるが)。緑を使っている人は、エンチャントが怖い時には結局「帰化」を探さないといけないのである。片手落ちだ。余談だが、このカードのフレーバーテキストには、あのガラクさんから憎きリリアナさんへの強気なメッセージが刻まれている。ガラクさん、ご無事なんでしょうか。 Dawntreader Elk 夜明け歩きの大鹿 (1)(G) C クリーチャー・大鹿 2/2 (G)、〜を生け贄に捧げる:あなたのライブラリから基本土地・カードを1枚探し、それをタップ状態で戦場に出す。その後、あなたのライブラリを切り直す。 熊ステータスを持ちながらも「不屈の自然」としての役割も果たすことが出来るという、夢のようなコモンクリーチャー。かの名優「桜族の長老(CHK)」と比べると起動に1マナ必要になってしまったが、その分ステータスがアップし、起動するまでは熊ステータスで存分に殴ることが出来るのが素晴らしい。これでスタックルールが健在だったら相打ちしつつのマナ加速が出来たのだが、それは無い物ねだり。パワー2のクリーチャーにこれだけの選択肢がついているのだから文句は言えまい。そして、「クリーチャーであること」は墓地を肥やしたい緑には純粋にプラスであるし、わずか1マナで起動出来る陰鬱エンジンとしてのお仕事もお見事。構築まで含めたあらゆる緑デッキでの投入が期待出来るスペックである。緑って、突然登場する鹿が活躍する色だな。 Deranged Outcast 錯乱したのけ者 (1)(G) R クリーチャー・人間、ならず者 2/1 (1)(G)、人間1体を生け贄に捧げる:対象のクリーチャーの上に、+1/+1カウンターを2つ置く。 突発的に現れた人間側の伏兵。緑の人間クリーチャーは地味な連中が多かったのだが、このレアは社会性を犠牲にしたおかげなのか、やたらと不穏当で素敵な能力を手に入れた。人間1体をサクればそれが全て「上座の聖戦士」のごとき働きをするという。人間クリーチャーは基本的に軽いのが多く、当然死にやすい。「宿命の旅人」をサクって増強しつつスピリットを生んだり、それこそ「上座の聖戦士」をサクってカウンターを4つばらまいたり、まさにミラクル。当然相手の除去は真っ先にこいつに飛んでくるだろうが、その場合でも自己犠牲によって最低カウンター2個は置き土産に出来るのだ。リミテッドならば鬼クリーチャー。構築でも緑を含む人間ビートがあるならばワンチャンあるレベルだが、流石にこの起動マナは行動阻害になってしまうかね。 Favor of the Woods 森林の好意 (2)(G) C エンチャント・オーラ エンチャント(クリーチャー) エンチャントされたクリーチャーがブロックするたび、あなたは3点のライフを得る。 黒に収録された「悪意に満ちた影」とは何となく対になりそうなオーラ。ただ、同じ量のライフでも減らすのと増やすのでは効果が大違い。3マナもかかっている割にやっていることがものすごく迂遠でショボい気がしますね。ちょっと遡ればアタックでもブロックでもチェックして4点のライフをくれた「光明の目覚め」なんてカードもあったし、ちょっとこれが使いたい理由は思いつかない。一応、相手に「要塞ガニ」みたいな高々と立ちはだかるクリーチャーがいるなら、それに張ってちょいちょいライフを稼いでもいいけど……時間を稼ごうとするデッキに対してやるべきことはそれじゃない気がする。時間を稼ぎたいデッキが自分の「要塞ガニ」に張るっていうオプションもあるけど……後ろを向きすぎじゃないか? Feed the Pack 群れに餌 (5)(G) R エンチャント あなたの終了ステップの開始時に、あなたはトークンでないクリーチャーを1体生け贄に捧げても良い。そうしたなら、2/2で緑の狼・クリーチャー・トークンをX体戦場に出す。Xは、生け贄に捧げたクリーチャーのタフネスである。 緑が時たまチャレンジする、野生風味を無茶な方向から出そうとして、結局ネタ要素が強すぎる重たいエンチャント。最近だと「隠れ潜む捕食者(M10)」なんかが、何かしてくれそうだったのに綺麗に何もせずに環境を去っていったのである。このカードのフレーバーは明確で、自軍クリーチャーを餌にして狼をたくさん育もうというもの。仮に「甲冑のスカーブ」を潰して狼が4体得られるなら、それはそれで素敵なことだろう。「解放の樹」ならばゾンビもびっくりの13狼。そりゃぁ勝ちますわな。ただ、6マナの置物で、置いた時点で何もせず、更にクリーチャーが必要で、条件が揃ったとしても狼が出たターンにゲームに勝たないなどなど、各種もっさりっぷりが尋常じゃない。リミテッドで気紛れにこれを張ってみたら勝てるっていう試合もあるかもしれないけど、多分、これの代わりに「銀の象眼の短剣」でも入れておいた方がスムースに勝てるんじゃなかろうか。まぁ、ガラクばりの狼ファンの方はどうぞ。僕はどっち勝手言うと「排水路の汚濁」が好きなんで、そっちで。 Ghoultree グール樹 (7)(G) R クリーチャー・ゾンビ、ツリーフォーク 10/10 〜のコストは、あなたの墓地にあるクリーチャー・カード1枚につき(1)少なくなる。 発掘応援カードの新作。これまでの緑発掘カードというと「裂け木の恐怖」や「骨塚のワーム」など、墓地を肥やすことでサイズが増す軽量生物が多かったが、こちらはサイズ固定でコストを変動させる。普通に使っても8マナで10/10っていうサイズはでかい。氷河期の災厄様がそのまま氷河から出てこないくらいでかい。この時点で流石レア。現在の環境だと「赤子捕らえ」に出てこられるだけで相当面倒なのに、このサイズはどうしようもないだろう。そして、「赤子捕らえ」が出せるあたりなら確実に墓地に2〜3枚はクリーチャーがいるだろうから、コストも完全に上を行くわけだ。すげぇ。リミテッドなら、特に発掘にこだわらずに入れておいても機能するレベル。構築の場合、発掘系のデッキに「裂け木の恐怖」などと一緒に入れるプランがあるわけだが、バニラなのはちょっと頼りない。裂け木様のようにトランプルがないと決戦兵器にはならない気もする。とはいえ、最近じわじわ増えつつある「虚無の呪文爆弾」のような対策カードを使われても、出てしまえばサイズ固定というのはいくらか心強い。やっぱ10/10はロマンがあるよね。 Gravetiller Wurm 墓耕しのワーム (5)(G) U クリーチャー・ワーム 4/4 トランプル 陰鬱 - 〜は+1/+1カウンターが4つ置かれた状態で戦場に出る。 ワーム! その言葉がどれほどの人の心を陽気にさせることか! 確かにイニストラードにもワームはいた。しかし、それはわずか2マナで、場に出ることすら叶わずに死んでいくかもしれないもやしのような「骨塚のワーム」だけだった。最終的なサイズがどうなろうと知ったこっちゃない。2マナのワームなんてワームじゃないんだ。そんなワームフリークの兄貴たちのために立ち上がったワームが1体(足無いけど)。コストは6マナ。よし、5マナ以上がワームのジャスティスだ。そしてトランプル。やっぱり突破力が無いとワームじゃないよね。この時点で「暴走するサイ(M12)」の1マナ重たい版でしかないのはナニだが、気にしたら負け。大丈夫、ひとたび陰鬱を満たしてしまえば、5/5の猪も、4/6の蜘蛛も裸足で逃げ出す8/8トランプラー。さぁ、ワームの時間だ。英語でいうとワーミングタイムだ。すまん、英語とか苦手なんだ。とにかく、出せば何とかなるよ。 Grim Flowering 不気味な開花 (5)(G) U ソーサリー あなたの墓地にあるクリーチャー・カード1枚につき、カードを1枚引く。 とにかく引きまくるカード。過去にも緑にはドロー大爆発するスペルは何枚か存在しており、クリーチャー1体のパワー分だけ引ける「魂の威厳(CON)」や「重大な落下(ROE)」、同じコスト域には場にいるクリーチャーの数だけドローする「集団潜在意識(MMQ)」なんてのもあった。「集団潜在意識」は、「場にクリーチャーがいるならカード引かんでも殴って勝てるだろ」という突っ込み待ちだったのだが、このカードは墓地にあるカード分なので存在矛盾は起こしていない。なおかつ、6マナドロースペルの目指す5〜6枚というどでかい目標を達成するのもそれほど難しくなく、リミテッドならば終盤の決め技として機能することもありそうだ。発掘系のデッキならば構築でも特大のボーナスがもらえるだろうけど、自分からライブラリを削って、なおかつ山ほど引いて、それが理由で死なないように注意。まぁ、1マナ軽いガラクで引いた方が早いような気もするけどな。 Hollowhenge Beast ホロウヘンジの獣 (3)(G)(G) C クリーチャー・ビースト 5/5 デフレデフレとは言っておりますが、なんだかんだでクリーチャーたちだって日々精進しているわけで。ようやくここまで到達しました、5マナの5/5バニラコモンです。当然のことだが、かつて単色コモンでデメリット無しのこのスペックは存在していない。アンコモンなら種族変更再版となる「シルバーバック(8ED)」がいるが、ついにレアリティの壁をブチ破ったわけだ。おめでとう緑。今夜はパーリーだ。あとは「灰毛ののけ者」とどちらを入れるかを考えるだけだな。……7/7は捨てがたいんだけどなぁ。 Hunger of the Howlpack 吠え群れの飢え (G) C インスタント 対象のクリーチャー1体の上に+1/+1カウンターを1つ置く。 陰鬱 – 代わりに、そのクリーチャーの上に+1/+1カウンターを3つ置く。 現在世界を統べるスペルの1つである「旅の準備」の後輩にあたる呪文。その素体は「戦闘の成長(MRD)」だが、陰鬱ボーナスでなんと効果が3倍。タイミング的にコンバットトリックとして3つ載せるのは難しいかもしれないが、「収穫の火」などの軽めの火力と組み合わせることで、戦闘をぐちゃぐちゃにしてしまえる可能性がある。1マナインスタントなのでキープするのも容易だし、「礼拝堂の霊」あたりが+3したらあっという間にゲームが終わるだろう。なんか、この辺のカウンター載せ増強のスペックがヤバい世界である。ちなみに、カウンター1つ載せの効果は「不死クリーチャーを帰ってこなくさせる」という使い方もあるにはある。覚えておくと、ひょっとしたら役に立つ時もあるかもしれない。 Increasing Savagery 高まる残虐性 (2)(G)(G) R ソーサリー 対象のクリーチャー1体に、+1/+1カウンターを5つ置く。〜が墓地から唱えられていた場合、代わりに+1/+1カウンターを10個置く。 フラッシュバック・(5)(G)(G) 緑の「高まる」サイクルはカウンターを載せる。なんかモードが複数ある感じのカウンター載せ呪文ってことで、「凶暴の命令(SCG)」に近いイメージだ。+5の修正に4マナならば現在「旅の準備」がどれだけ悪さを働いているか考えれば、その影響力は言うまでもないだろうし、フラッシュバックしちゃったときのお祭り感は、あの「狩るものヴォラシュ(PLC)」さんもびっくり。是非とも11/11の「荒廃の工作員」で勝利をものにするデッキとかを誰かに組んでいただきたい。リミテッドならば当然のエンドカード。構築なら……いやぁ……俺は嫌いじゃないよ、うん、でもまぁ、無理はしなくていいかな。一時流行した「ダングローブの長老」あたりに使うと、なかなかの殺伐感。 Kessig Recluse ケッシグの出家蜘蛛 (2)(G)(G) C クリーチャー・蜘蛛 2/3 到達 接死 一回り大きくなった「命取りの出家蜘蛛(M10)」。サイズアップしたおかげで除去耐性はちょっとだけ上がったけど、そのためにコストが倍になってしまったのはしょぼん。どうせ接死持ちなんだからパワー1だろうか2だろうか大して変わらないしなぁ。まぁ、元々「命取りの出家蜘蛛」の方が優秀過ぎただけだと思うしかない。こいつがいれば「声無き霊魂」まで含めたほとんどのクリーチャーを止めることができます。今回はこれに加えて「押し潰す蔦」が入ったので、緑もだいぶフライヤーに対応しやすくなりましたね。 Lambholt Elder ラムホルトの古老 (2)(G) U クリーチャー・人間、狼男 1/2 変身条件・<狼男> ↓ Silverpelt Werewolf 銀皮の狼 クリーチャー・狼男 4/5 変身条件・<狼男> 〜がいずれかのプレイヤーに戦闘ダメージを与えるたび、カードを1枚引く。 3マナで1/2とやたら貧弱な狼男だが、何故かといえば、狼男っていうか狼ババァだからである。むしろこの外見でタフネスが2あることの方が驚きだよ。攻撃力もあの禍々しい「イシュトバーンおじ(TSB)」と同じパワーと考えれば、このばぁさんも結構やりよるのかもしれない。そして、ひとたび変身すれば「エストワルドの村人」に匹敵するサイズとなり、安心してパンチパンチ出来るようになる。おまけにアンコモン特典として「知恵の蛇」能力がついているので、うまく決まれば「これが年の功!」と叫びながらガンガン戦局を押し込めるはずだ。表と裏の差が激しいので、きっちり変身出来るデッキ向けのカードなのは間違い無いが、通しちゃ駄目なダメージソースってのは、やはり嫌なプレッシャーになるもの。「爪の群れののけ者」と一緒に殴って、「7点ダメージがいいか、4点と1ドローがいいか、選べ」みたいな無体な選択を迫ってみるのがいいだろう。 Lost in the Woods 森での迷子 (3)(G)(G) R エンチャント クリーチャーが1体、あなたかあなたのコントロールするプレインズウォーカーを攻撃するたび、あなたのライブラリの一番上を公開する。それが森・カードであるなら、そのクリーチャーを戦闘から取り除く。その後、公開したカードをあなたのライブラリの一番下に置く。 日本語名が何ともいえない哀愁を漂わせるカード。緑は「濃霧」に代表されるように、時たま「戦闘の結果をうやむやにしたい」というカードが登場し、そのモチーフとして「森の木々に紛れ込んで」とか「根っこに絡め取られて」みたいな自然の驚異を使うことが多い。今回のカードは、そうした森の神秘を実際の「森カード」に絡めてしまおうという思いつきで、殴ってきたクリーチャーが「森に入った」ら目標である対戦相手までたどり着けずにさようなら、ということになる。初見では「remove」という文字列だけを見て「強いじゃん!」と思ったが、今の言葉だと「追放」にしなきゃおかしかったんだね。実際は「remove from combat」でしかなかった。がっかり極まりなし。そりゃまぁ、ある程度の確率でアタッククリーチャーが無かったことになるんだから、使われる側は少々鬱陶しいと思う時もあるかもしれないが、デッキに入っている森の数なんて緑単色の場合ですらたかが知れているし、それ以外のデッキならば運任せとすらいえないレベル。その結果として得られるのが「クリーチャー1体を、1ターンだけ抑止する」という微々たるもの。どう考えても5マナのエンチャントでやる仕事じゃない。このカードを作った製作チームの思惑が迷子である。 ○「伝説の勇者の伝説」 5 新番組の評価ではあまり使いたくない言葉ではあるのだが、……普通。ただ、時代を10年かそこら間違っちゃった感じで、普通。最近のラノベっていうと学園が舞台でちょっとオタクじみたネタなんかをいれて自意識がばりばり過剰な主人公が鬱陶しい自分語りをいれて、というイメージなのだが、この作品はフツーに剣も魔法も使うし、フツーにロストロギアみたいな遺物と戦ってみたりする。本来ラノベってこういうイメージが強かった気がするんだけどね。 冒頭部分のイメージはそんなに悪くなかった。画面が分かりやすいというのが最大のプラス要素だと思うのだが、頭を使わずとも主人公とヒロインの関係が理解出来て、それに「英雄王」も絡んできて、そのキャラクター性も至極単純で、今のところ捻りも何も無い。ヒロインの性格だけはちょっと面白いが、それでもあまりエゴイスティックな主張をするわけではなく、「とにかく台詞でキャラを立てないと駄目なんです!」と必死な面が見えないだけでもありがたい。 ただ、シンプルだったのは隣国領に入って遺跡探索を行うシーンくらいまで。中盤以降は国王の回りで起こる出来事と主人公の遺跡探索、ガーディアン退治の場面がクロスするようになり、とたんにブツ切り感が強くなる。特に「妹を助ける−!」と叫んで突っ込んできた奴の行動なんかが非常に安易で説明くさく、要素として完全に浮いてしまっているのはいただけない。最後は回想シーンも混ざってきて余計に分かりにくくなるし、せっかくのシンプルな世界観設定が勿体ない気がする。この先どういう展開になるのか分からないが、1話目なんだから、大人しく主人公を巡るドタバタだけを描いとけばいいと思うのだが。徒に1話から登場キャラを増やして視聴者を混乱させるのは、あまり賢い選択とは言えないだろう。 もう1つの難点は、主人公のキャラクターがお仕着せ臭いこと。終始「めんどくさいめんどくさい」と呟いているのだが、そこは別に連呼せずとも行動でキャラクターを見せてくれればいい部分だ。もう片方の金髪ヒロインの方は素っ気ない態度なんかでそれなりにキャラが立っているのだから、主人公も無駄に語らせずに画で表示してくれればいいと思うのだが。「怠け者だけどすげぇ能力を持った勇者です」というギャップを演出したいのは分かるのだが、ちょっと楽をしすぎだ。 とまぁ、難点は散見されるが、最近のアニメにしては余計な捻りを用意していない、シンプルな仕上がりだからこそ見える問題とも言える。今後の視聴でキャラクターが馴染んでくれば気にならなくなる部分かもしれない。もちろん、このまま面白くなくてフェードアウトする可能性も充分にある。しばらくは中の人目当てで見る感じになるでしょうかね。あの金髪さんのキャラならもうちょっと声のトーンをあげてもいいような気もするのだが、そういうディレクションになってるんだろうかね。今期もメインヒロイン(だよね?)が多くて喜ばしい限りです。頑張れ彩陽。 あと、今作は川崎逸朗が監督を務めているのだが、「あれ、BASARAの二期と同時期で大丈夫なんか?」と思ったら、BASARAは監督が替わっていたのね。むしろBASARAは大丈夫かしら?
ちょっと小分けに記事をあげすぎだろうか。
<再録確定> ・「Leyline of the Void/虚空の力線(GPT)」 R サイクルの中で1枚だけ再録なのは、これだけが強かったことの証である。だから手抜きとか言っちゃいけないぞ。 ・「Platinum Angel/白金の天使(M10)」 R あれ? レアリティ下がった? 放送中に入る京アニのCMがなんだかすげぇ13話。すげぇのはすげぇし、京アニらしさもよく出ているとは思うんだが……何が伝えたいんだろうな、あれ。ちょっと狂気じみたものすら感じられるのは、社風故だろうか。 と、全然関係無い導入から入ってみたが、今回のエピソードはこれまでのような「ひたすらに日常」というこの作品とは一線を画す複層夢構造。途中からは見ているうちに「どこから夢? どこまで夢?」という、中島みゆきでいうところの「あり、か」の歌詞のごとき不安に襲われる。多分分かる人はいないだろうからスルーしてくれ。 一応、夢から覚める前にはあからさまにそれと分かる要素(ムギの巨大なポケットティッシュや、律の焼きそばスライダーなど)が入っているのでつなぎ目は分かりやすいのだが、最後の花火のシーンでは意図的にその夢と現実の境がゆがめられており、画面に映っているものが現実なのかどうか、幻惑されてしまう。 今回メインモチーフとなっている「残暑」というのは不思議な季節で、思考力の低下を引き起こしやすいからか、その厳然たる暑さとは対比的に、古来より茫とした「不安定な」ものが描かれることが多い。それが高じれば「真夏の夜の夢」になるだろうし、今回のように夢に連なるエピソードなら、季節の縛りはないが「千夜一夜」になるのかもしれない。近いフィールドなら、「ARIA」の作中では、暑さに朦朧とした灯里がケットシーに導かれてネオ・ヴェネチアの不思議を体験するエピソードなどもある。そうした残暑特有の「夢うつつ感」と、あずさの持っている「夢のような楽しい時間」という感情を融合させたのが、今回のエピソードというわけだ。 夢パートをはずしてしまえば、今回あずさがやっていたことは、単なる高校2年生の夏休みだ。友達の家に行き、人のいない学校に遊びに行き、映画やプール、お祭りを堪能する。これだけならば、いつも通りの「けいおん」である。ただ、合間に夢が挟まることにより、そんな残暑の風景が奇妙に歪んだ景色に見え始め、一人称視点を多用した「異なる世界を見る視線」は、そのまま夢の中の諸先輩の登場に繋がる。 順番に「家でギターの練習をする唯」「ホラー映画を見る澪」「街で福引きをするムギ」「スライダーの上の律」という形で現れた「夢」だが、これらがそれぞれ、梓の持つ「先輩のイメージ」を象徴しているのが面白い、澪は分かりやすい「気になる先輩」として守って上げたいような弱い側面が前面に押し出されているし、ムギは「どこか世間の尺度とズレた馬鹿馬鹿しさ」、律はそのまま「あり得ない無茶をいう野放図さ」の現れ。面白いのは冒頭の唯の現れ方で、4人の中で唯一、画面上に姿を現さずにギターの音だけでその存在を表示している。これはおそらく、梓の中で唯のイメージを形作る要素に、「普段の言動から想定出来そうもない音楽への執着とセンス」が現れている。スイカを貰った喜びをギターの音調で表現するなどのキャラクター性は、「ギー太を肌身離さずに引き続ける天才肌ミュージシャン」としての唯のねじれた見え方というわけだ。 こうしてみてきた先輩との交流は、あくまですべて「夢」であり、梓の作った「虚構」、「願望」。実際には憂や純などの親友が付き合ってくれているのに、梓の中には、やはり軽音部がある。最後に1つだけ夢ではなく経験できた夏祭りの一夜こそが、「夢のような楽しい時間」であり、梓にとってのかけがえのない「軽音部」である。あまりの対比に、不覚にも今週も切なくなってしまいました。やっぱり学年比が4:1っていう組成は罪作りだよな。 もちろん、そんな「非現実感」をラストに持ってこないあたりが、この作品スタッフの統制の取り方。ラストは冒頭のネタを回収しつつ、食べ合わせの悪さから途方に暮れる唯のシーンで締め。これほど馬鹿馬鹿しい「現実」が、ものすごくホッとするものに見えるのは、今回のエピソードを覆っていた空気がきちんと「解除」されたから。やっぱりこうじゃないと「けいおん」じゃないからね。ちなみに、今回のエピソードのコンテは、6話の「お茶会!」と同じ内海紘子という人。なんか、他の回と違う微妙な「ズレ」が面白い人だ。たまたまかねぇ。 あ、今回は画像無いです。出番ほとんど無いんだもん。 |
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Thraxi
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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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