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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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「のだめカンタービレ フィナーレ」 5→5

 まぁ、こんなものではないかと。特に手放しで褒めるような作品ではないのだが、見ていて全く不満が出ない、そんな仕上がり。多分、原作もこんな感じなのだろう。

 多少予想外だったのは、のだめと千秋の関係が「一応ゴールに」というくらいのところで幕引きとなった点。勿論決着を付けてくれないと終わらないだろう、とは思っていたのだが、最終話の決定的な千秋の「返答」にしても、割とあっさり描かれていてラブロマンスとしての重みはそこまで目立ったものではない。特に千秋は今作では(今作でも?)終始鬱々としており、恋愛を楽しんでいる様子も現れなければ、ゴールを迎えたことによる達成感もそこまで感じられない。もう少しあけすけに2人の関係を描くのかと思っていただけに、その部分だけが少し意外ではあった。ただ、のだめや千秋というキャラクターのことを考えれば、このくらいの決着が一番いい塩梅なのかもしれません。

 その代わり、他のキャラクターたちは割と落ち着くところに落ち着いている。ターニャ達の関係も意外ではあるのだが、今回はのだめ達よりも回りの人間たちの関係性の方が詳しく描かれていたような気すらするので、すっと受け入れられるエンディングになっている。ルイの話なんかも同様。また、音楽関係の成長物語としてもあまり嘘くさくならず、無難なレベルでの「ハッピーエンド」といえるので、そのさじ加減には素直に感心した。少女マンガなんて少年漫画に負けず劣らずファンタジーで都合のいい空想ばかりのストーリーだという勝手な先入観があったのだが、割と地に足がついたシナリオラインだったので、拍子抜けではあったが妙に納得出来る。こういうバランスが、世間的に受けている理由なのかもしれません。

 そして、アニメとしての全体的な出来だが、今期は人間関係を追う比重が過去2作に比べても高く、あまり演奏シーンでの独自の技術が見られなかったのは少し残念。ただ、それは過去2作で充分良いものを見せられたおかげで慣れてしまったが故に起こる贅沢な注文という気もする。今回だって、シュトレーゼマンがタクトを振るシーンなんかは、「へぇ、指揮者って本当にこんな風に見えて、こんな風に音を変えるんだ」っていうのが何となく分かったシーンとかもあり、独特のこだわりはちゃんと確認出来たしね。

 ま、正直言うとそこまで熱心に見ていた作品ではなかったのでコメントも大したことは書けないのだが、結論を切り出すと「やっぱり川澄綾子は凄いよな」ってことでいいんじゃないでしょうか。そして伊藤静に大原さやか、佐藤利奈。やっぱり音楽アニメなんだから耳で観るに限るよね! 

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 何かがあるわけじゃないし、何もないけど別にいい、最終話。こんなにフッと終わってしまう作品ってのも珍しいなぁ。

 Aパートは若干季節がずれてしまったクリスマスのお話。といってもクリスマスイベントでがやがやと何かをするわけではなく、大半を杏の夢の中で描くというもの。桜先輩そっくりに成長した杏の肢体はなかなかのものだが、この作品は残念ながらそういうところを見るもんじゃない。不安定な夢の世界でつっちーと巡り会うが、その中で杏が気付くことは、ちょっと切ない現実との違い。まぁ、今まで気にしてなかったのに今更かよ、という気もするのだが、何はともあれ現実を理解することは成長の過程である。幼稚園児ながら、なかなか大きな一歩を踏み出すことが出来たみたいだ。何とも不思議な読後感の話ではあるが、さらっとこういう話をやってくれるのが良くも悪くもこの作品の味である。しつこいから大人柊師匠のすばらしさとかについては書かなくてもいいですかね。あ、でも、「大人になってもその声なんだ!」っていうのはちょっと面白かった。美人さんめ。

 Bパートは、打って変わってつっちーが中心。桜先輩の現在があるのも、実はつっちーが頑張ったからですよ、というちょっといい話を中心に、そんなつっちーの「自業自得」が、杏によって更に自らの恋路に介入してくるという実に訓話的なシナリオになっている。結果は当然のヘタレつっちーではあるのだが、何はともあれやってみようとしたこと自体が大きな進歩。杏との三角関係(?)も、師匠が恐れているようにややこしい形にはなっているが、世間的には杏→つっちーの矢印は省略できるので、これは三角関係ではなくて「ちょっとうまい具合につっちーが成長した」というだけのエピソードである。号泣しながらつっちーを励ます杏は可愛かったけど、流石にそこからつっちーに恋心は芽生えませんよね。そこを冷静に見ると、この作品は成立しなくなるんですけどね。

 エンディングは誰になるかと思っていたら、桜先輩と杏の親子デュエットで締め。この作品の主人公が誰かっていうのがいまいち決めかねていた案件なのだが、この締めではこの親子ってことになってしまうよな。つっちーは、あくまで脇役でした。あー、「キディガーランド」→「のだめ」→「はなまる」と続いた謎の日野聡アワーがこれにて閉幕。お疲れ様でした。 

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 最後の最後で稔が美味しいとこ全部持っていくはずだったのに、持っていくのに失敗してるようにしか見えない最終話。最後の最後ってことでそれなりの盛り上がりを見せているが、さて……

 「銀河爆弾」を地球に落下させるガクトエル。もう、ノーヴルズだろうが一般人だろうが、とにかく全部殺しちゃおうという破滅思考は完全に狂人の域。流石のトーチもこれにはついていけず、何とか抗ってみようと声を上げる。相棒の最後の抵抗にようやく考えを改めたシェイドもこれに追従しようとするが、ガクトエルの粛清によりあっさり玉砕。ほんと、この2人は何しに出てきたやら。もう少しいい役回りを与えられると思ったんだけど……バックグラウンドも薄かったし、シャドウワーカーの中でも一番どうでもいい扱いでした。一応シェイドは最後の置き土産にガクトエルの視力を封じていったが、もう、いまさらあいつのスペックが下がったところで事態に大きな影響は無いよな。

 そして最後の最後までガクトエルと添い遂げる意向のサフィルと対峙するのは、かつてのパートナー、リュビス。……と思いきや、リュビスがゴーサインを出したところでクフィーユの手で一蹴。おい、扱いが悪すぎる。そりゃまぁ、この手の配置だと誰か1人くらい完全悪役で惨めな最後を迎えるキャラは必要なんだが、それにしたってもうちょっと暴れさせてやれよ。断末魔すらあげず、ガクトエルにも注目されず、流れだけでの最期。理不尽だなぁ。リトゥーシャとパウークは、まぁ、そこそこの扱いかな。ただ、あの演説のどこに説得力があるかは分からないんだけどさ。ノーヴルズって馬鹿ばっかだな。

 そして、「宇宙は滅ぶ」って言われてるのに無駄にあがくGTOの面々。空間の凍結解除でかつてのメンバーが復活し、なんとヴァイオラ・シザーリオコンビと、デクストラ・シニストラコンビが登場。ヴァイオラだけは台詞までありました(そりゃ、シザーリオに台詞があるはずはないけど)。デクストラは……しゃべれないよなぁ。

 「もう宇宙は滅びるしかない」っていう展開なんだけど、アスクールが優しかったおかげで末期のガクトエルに最後の希望を与えることに成功し、その見返りとしてパートナーとの共鳴完成。なんと1人で爆弾の落下を止めるという無双の活躍。そこにクフィーユまで追加して、2件のパートナーを繋ぐ浮気性の主人公が世界を救いました。めでたしめでたし。

 ……ん、まぁ、今回は割と盛り上がったのでいいんですけど、これって完全に「逆襲のシャア」だよね。シャアとガクトエルでは器が違う気もするけど、目的意識は大体一緒。重力に魂を引かれた愚かな地球人にアクシズならぬ爆弾を叩きつけ、キャスバルならぬローゼンブルグ家の復讐戦。トゥイードゥルダムが「伊達じゃない!」なんて台詞も叫んでたし……クェスはサフィルだったんだなぁ。身を挺して人民を救ってぶっ飛んだリュビスはギラドーガか……やってみる価値ありまっせ! じゃん!

 まぁ、劣化「逆シャア」として見ればそこそこの展開だったと思ったんだけど、最後に何の脈略もなく稔が出てきたトコで思い切り腰砕け。しかも渾身の決め台詞が中の人ネタって……ほんと、きれいにハズすよなぁ。脚本書いた人は、このオチで誰が喜ぶと思ったんだろうか。

 最後のエンドロールのところでエクレールたちの後日談が描かれたのがせめてもの救い。エクリュミコンビは新主人公たちの仲良くやれるといいですね。結局局長とゾマは何もしないまま終わったしなぁ。なんだかなぁ…… 

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「クロスゲーム」 5→5

 あだだだだだち、充。実を言うと、あだち充作品を最初から最後まで観るのって、あらゆる媒体で初めてだったりします。あ、嘘だった、一応「いつも美空」は連載当時リアルタイムで全部見てた。……というくらい、あだち充を知らなかったんですよ。にもかかわらず、気付けば1年という長丁場を特に意識せずに見られてしまったというのは、やはり何か奇妙な魔力みたいなものがあるんだろう。別に何が面白かったかと聞かれたら答えに詰まるし、かといってつまらなかったかと聞かれればそうでもない。やっぱりこの空気が独特なんだ。

 敢えて理由を説明するなら、1つは「会話の含意を前提として見せる」という描写の手法がある。あだち充作品というのは、極端にネームが少ないシーンがあったり、動きの全く無いカットをただただ繋いで、バンクシーンのごとく同じゴールを用意している場合が多々ある。これらの描写というのは、意図的に直接的な台詞回しや行動を削ることで独自性を生み出す結果に繋がっているわけだが、そうした「どこか油断ならない」方向性は、ダラダラと流しておくだけで見るのはしんどいし、ちょっと勿体ない。きちんと画面構成まで見て、そのキャラが何を考えているのかをきちんと理解した上で台詞を聞かないと意味が分からなくなる(というか真意がとれなくなる)ために、どうしてもいくらか集中して見入ってしまうのだ。

 また、そうした原作の味をアニメにうまく落とし込むことが出来たのもセールスポイントではあるだろう。野球の試合をアニメで描くのだからどうしたって動きは大きくなりがちだし、アニメの作り手ならば少しでも動かしてクライマックスの躍動感を出してやろうと思う気がするが、この作品の場合、そうした「アニメ的なお約束のサービス」を半端に付けるよりも、ひたすら「あだち風味」を押し出すことだけを目的としており、試合中だろうが、修羅場中だろうが、ほとんど感情も高ぶらず、ただ淡々と仕事を全うするキャラクターたちが蠢くだけ。この構成はやはり勇気がいる。

 この作品のキャラクターたちはほとんどが低血圧かと思ってしまうくらいに動きがない。光も赤石も東も、みんな野球少年なのに老人かと思うくらいに達観しきっている。ちょっと喧しい青葉にしたって、どこか変なところでヒネたり諦めたりしている部分があって、そこまでキャピキャピとヒロインしてるわけでもない。ひょっとしたら、そういうぬるま湯みたいな作劇が、昨今のアニメでは珍しかったおかげで気持ちよかったのかもしれません。1話で思わずもらい泣きさせられたけど、最終回も不覚にもうるっときてしまった。我ながら単純だなぁ。そうそう、ここもやっぱり戸松ですよ。青葉が戸松で本当に良かったと思っている。

 最後に、やっぱり野球というスポーツ自体が面白いんだろう、ということも付記しておく。淡々と試合の流れだけを描写してもきちんとドラマが確立するって、本当に希有なスポーツだ。時期的にペナント開幕と同時に終わってしまったのはちょっと寂しいね。そういや、この作品もそうだけど、原作とアニメがほぼ同時に終了を迎える作品って、成功例が多いね。ARIAとか、とらドラとか。きちんと構成を組み立ててから作品化してることの表れだからかな。 

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「れでぃ×ばと!」 4→6

 え〜と、大変申し上げにくいのですが、面白かったです。好きでした。「お前は『ちゅーぶら!!』を酷評した舌の根も乾かぬうちにこれを持ち上げるのか」と言われれば返す言葉も無いのでございますが、作品の出来不出来ってものは、とてもデリケートなものなんですよ。マジで。

 ものすごくいいわけがましいことを書いておくと、別にエロいから好きだったわけではないです。ここのところ「クェイサー」だの「クイーンズブレイド」だの、おおっぴらに乳首券のバーゲンセールを開いている作品が多くて、これもその1つだったわけなんだが、正直、エロ描写が義務化されたせいでアングルなんかが制限されてしまい、カット割りがしんどくなるような場面も多かったため、弊害しか無かったような気がする。そりゃま、あったらあったで構わないし、風呂エピソードみたいな露骨な描写も出来るので下ネタギャグを突き抜けたところまで描けるのは強みになるのだが、そこをメインに描かなくても良かった作品だった気がするのだが。

 じゃ、何をメインで見ていたかといえば、やっぱりキャラクターの掛け合いの部分だろうか。セルニアを筆頭に四季鏡姉妹や大地、そして当然秋晴なんかはコテコテテンプレートで捻りの欠片も無いキャラクターではあるのだが、朋美のキャラがいい感じに潤滑油となっており、どストレートな絡みもそれなりに見られるものに仕上がっていた。ハーレムものとは言っても集まってくる女の子キャラは真正面に秋晴を見ているばかりじゃなくてどこか妙な方向にピントがずれているので、ぐだぐだ加減もまた別の味わいがある。締めのエピソードもきちんと「まだまだ続くよ!」なのに1つのオチとして機能しており、「1クールでやるラノベ原作のハーレムもの萌えアニメ」としては及第点の仕上がりだろう(あまりに狭すぎて参考になりにくいカテゴリ分けだが……)。

 とまぁ、なんとか微妙に褒めてみたが、普通に見たら萌えオタ御用達の消耗品アニメ。取り立てて感心する必要も無い。

 ……ぶっちゃけると中の人のおかげなんですけどね! だって考えてもご覧なさい。最終回のラストシーンで集まったキャラクターを中の人で列挙すると、中原麻衣、川澄綾子、小清水亜美、後藤邑子、早見沙織、後藤麻衣、花澤香菜、戸松遥、釘宮理恵、日高里奈。もし「声優ヒロイン度数」みたいなものがあって合算したとしたら、完全にメーター振り切ったオーバーフロー。そりゃ、それぞれのキャラも立つに決まっているわけで。

 つまるところ、本作の殊勲賞は、そうした贅沢なキャスティング部分である。特にセルニアに中原麻衣という外しようのない大黒柱と、それと並び立っても微動だにしない朋美役の川澄綾子。ぎゅるぎゅる回るドリルに活力を与える中原パワーは今更語るべきものでもないし、中盤は本当に朋美の「ヘッ」が聞きたいがためだけに観ていたようなもんですよ。そこに絡むのはサブキャラにしておくのはもったいなさ過ぎる小清水メイド。小清水はどうしても真面目な役、切れ目の役をやる機会が多いだけに、中の人の奔放さを垣間見せるポンコツ役で暴れ回ってくれたのは本当に眼福。血縁関係にゴトゥーザ様って、どれだけ素晴らしいキャスティングですか。

 中盤以降で一気に株を上げたのは、出番こそ多くなかったがとてつもない存在感を見せてくれたヘディエ。多分純粋な技術的難度でいったらヘディエをやるのが一番難しかったと思う。充分高かった戸松株だが、まだまだ天井が見えない。釘宮ショタ娘なんてライトにイチローくらい当たり前の配置はおいとくとして、さらにリアル中学生声優日高里奈の持つポテンシャルまでも爆発させ、どこまで心得た音響なのかと。そうそう、理事長役の伊瀬茉莉也も美味しかったです。ほんと、耳の休まる暇もない作品!

 ということで、「声優大好きな人間ならとりあえず観とけばいいと思う作品」というカテゴリでいいと思います。一応もう少しフォローしておくと、高見明男のキャラデザも割と好きなんだけどね。目のハイライトの入れ方が独特なので、アップになってもキャラが崩れにくいんだよね。こういう「アニメ向き」のデザイン構築って、やっぱり熟練度が出るもんですね。 

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 「ちゅーぶら!!」 4→4

 題材が病気な作品だったが、気付けばどうでも良くなっているのが恐ろしい。「下着同好会」って言う言葉が凄く普通に聞こえるんだもんなぁ。まぁ、どこまで危険な作品かと言われると、別に大したことなかったんじゃないか、という気もする。

 結局、この作品の製作理念は「女子中学生がブラやらパンツやら言ってはしゃいでいるのを見てハァハァする作品」ではなく、「ちょっとイレギュラーな青春要素を中心にして学園ものをやるだけの作品」である。描かれていたものはエロがゴールではなくて、それを使ったコミュニケーションによる友情の描写であったり、大人と子供を行き来する微妙な年齢の心情の描写であったりする。「下着部合宿」だって、ちょいとシフトさせて「合宿に行って特訓する話」だと解釈すれば(いや、してねぇけど)、学園青春ものとして特におかしな展開ではないし、最終回に向けての燃料は学園ものでは定番の引っ越しによる別れだ。やろうと思えば野球だろうがバスケだろうが描けるような作劇である。結局、骨子はスタンダードなので、そこまでおかしなものは出来上がらなかった。まぁ、それでいいような気もするんだけど。各々のキャラクターはそれなりに立っていたし、別につまらなくはないわけだからね。

 ただ、結局それって誘致要因が薄いっていう話でもあって。この作品はどういう製作姿勢なのか分からないが画面がちょっとぼやっとしていて画的なセールスが薄く、シナリオを追う以外の作業が視聴時に発生しない。そのシナリオがチープなものであれば、残念ながら楽しめる要素は少ない。そりゃまぁ、この設定で「微に入り細を穿つ緻密な描写をするのだ!」というのはちょっとした変態紳士の主張になってしまうわけだが……

 というわけで、個人的にはキャストの力で見てた部分が大きいですな。メインヒロイン奈由役の茅原実里は、こういう地声に近い役だと演技がぎくしゃくしないので安心して聞けるし、寿美菜子もおそらく初めての「地声よりもやや低めの声」だったので、これまでとは少し違った演技の切り口が見えた。まだまだ他のメンバーに比べると見劣り(聞き劣り?)してしまうのだが、確実に進歩はしているだろう。そして珍しい関西弁の役を振られてきちんと構築してみせた矢作紗友里も、随分貫禄が出てきた。日笠陽子も、キャラとしてそこまで立ってはいないが、癖のない使いやすさが好印象。全体的に、若手連中と中堅のバランスがいい感じでした。

 そして、巨乳皆勤賞を続ける水野先生役の大原さやか。結婚に萌える天然巨乳女教師……あ、なんか切ない。憧れの先輩が櫻井孝宏だったんで、「空中ブランコ」の2話を思い出してちょっと楽しかったです。

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 エンドカードのミナ姫が凄く天才に見える第11話。へっきーの絵は全然うまくならないのに、ベッキーは可愛く見える。不思議! でも、その絵だと確実にキャストが変わってしまいます。

 三士族の嫌がらせによって、放送コードぶっちぎりの羞恥プレイを強要されるミナ。この作品はエロ&グロが信条ではあるが、ここまでアグネス召喚確実のシチュエーションが用意されているとは。もちろんモロ見せではないので画面としては問題無いわけだが、見せないことに配慮しているというより、見せずにどこまで官能的に出来るかにチャレンジしているような画作りは発狂してもおかしくない仕上がり。原作者もこれを見せられたら流石に満足だろう。

 さらに今回は暁と追っ手のバトルでメタモルフォーゼ女が終始全裸。もちろんビーム修正は入っているわけだが、それでも野外露出のエロさが際立つし、あげく変身能力で由紀やミナの変装までしてくれるというおまけ付き。こんな刺客を放ってくれる三士族はなかなかのジェントルマンである。さらにさらに、ミナの不貞(?)を理由に美刃まで暁にアピールし始める始末。ここもしっかりエロい。最終回間近ということでやり残したことを全て消化するかのような、ダイナミック・エロフェスティバルだ。昨今エロまがいアニメも随分大胆かつ適当にきわどい場面を放送するようになったが、この作品のようにダーク・エロというのはあまり無かったので、独自の路線としてそれなりの満足感はありますよ。

 今回はそれほどどぎついシャフト臭を感じさせずにきちんとシナリオを消化する良演出の回で、ミナ姫が恥辱に屈してから立ち直るまでの由紀との心の通わせ方や、美刃と暁の逢瀬と、それを支える「蝶と花」のメタファー挿入。そして単純ながらもそれなりの盛り上がりを見せるバトルシーン、変身能力を駆使して暁を籠絡しにかかるメタモルフォーゼと暁の「記憶」の暴走など、見どころは多い(エンドロールでコンテが小林智樹だと知って納得した)。個人的には「ついに浮気性の暁にブチ切れて殺しにかかる由紀」「素直な言葉と素直な全裸で暁に迫るミナ」という2つの特典が、バーチャルとは言え拝むことが出来たのは嬉しかった。由紀は本来ああいう態度に出るべきだと思うんだ。中の人も今作では初めてちょっとはっちゃけられた。

 シナリオ自体としては、結局「最後の記憶」がなんなのかがまだ分からないのでやきもきさせられる部分ではあるのだが、多少強引ではあるもののミナの目的と暁の奮闘の利害関係がきっちり一致したし、吸血鬼ヒエラルキーの構成もすっきり分かったので良しとしましょう。でも、今回の宣言ってミナが「もう二度と真祖の血脈を残す気はない」って宣言したことと同じなんだけど……社会システムとして成立するのかねぇ。

 ま、難しいことは考えずに、この作品は「様々な年齢層のエロが楽しめる作品」と割り切ってみてもいい気がした。そう考えると、熟女代表ヒステリカが死んでしまったのはちょっと勿体なかったかもしれないな。 

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○「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」 6→5

 実に歪んだ作品であった。初回放送後は「様々な既存の番組と被ってる妙な作品」という感想を持ったわけだが、改めて見ると、この作品は最終的に非常にオリジナリティ溢れるものとなった。何しろ、ここまで評価に困る不安定さは、なかなか他では得られないものだったからだ。何が新しくて何が陳腐だったのか、何が良くて何が悪かったのか、改めて俯瞰的に考えてみる必要があるだろう。

 先に良かった点をあげておくと、まずはなんと言っても「アニメの画」としての完成度だろう。入念なロケハンによって構築されたセーズの町並みや、雄大な景色の中に佇む時告げ砦の雄姿といった美術設定の秀逸さに加え、大きな作画の崩れなどもなく、賑やかな中にどこか物寂しさを感じさせるような、前時代的な「田舎」の風景がにじんで映る。そうした中で生活する人々は、1121小隊の面々を含めて、奇妙な生活感を伴う身近な存在に感じることが出来た。

 動画面でも最終回のタケミカヅチの活躍や、ミラクル・クラウスの精一杯虚勢をはったアクション活劇など、画面構成も丁寧だったし、「その時見せたいもの」はきちんと見せられていただろう。ちょっと倫理的に問題のある方向で話題になった8話だって「あの題材」を描くための1本のストーリーとしては実は完成度が高いし、個人的にはフィリシアの抱えた悩みと罪の意識をすべて飲み込んでしまうような重苦しい演出が光る7話はかなり面白かった。監督の神戸守の演出力、そしてA-1 Picturesの技術力は、きちんとアニメオリジナル作品を作るという気概に溢れ、そこかしこに目を見張る成果を残してくれていたと思う。

 ただ、それぞれ1本ずつのシナリオとして見れば充分に魅力的な素材だったにも関わらず、それが1つのシリーズとして形を成さなかったのが、この作品の最大の難点といえる。最終話の講評で触れたが、最終話の出来の良さというのは、あくまで「11話をまとめるための12話」としての話であり、「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」というアニメシリーズをまとめるための最終話としては、様々なファクターが不足している。個人的に一番不満だったのは、7話で描かれていたフィリシアの決心、罪の意識を生み出す原因となった「旧世界」「滅びに向かう世界」については一切触れられていないという部分。最後のオチで旧世界が絡んだのはせいぜい炎の乙女の伝承くらいで、それだって別に「旧世界の実在性」は求められない。旧世界の記憶とは、結局何だったのか。

 また、それよりも描写の量が多い先の大戦についても、その描写が十全に出来ていたとは言い難い。最終話で描かれたのは軍人としての矜持や、それを踏まえた上での平和と、国家間のあり方の問題。シンプルな戦争史になるはずのところだが、それまで戦争についての描写もほとんど無く、突然の隊員達の自我の目覚めには困惑するしかない。誰も、カナタが銃を構えて人を殺している図を想像は出来ないだろう。もちろん、「人を殺さないで終わらせること」は充分な選択肢として存在しているが、そこには「殺すかどうかを選択するイベント」が必要である。さもなくば、そこに戦争を持ち出してくる意味がないのだから。

 では、「あくまで戦争などはオプションであり、単に軍服に身を包んだ女の子がきゃっきゃうふふする話」と割り切るのはどうか。そういう見方が出来なかったので定かではないが、残念ながらそうした方向性のニーズにも充分に応えたとは言い難い。作品の性質上、どうしたって世界観の描写にはある程度時間を割かれるはずなのだが、それも中途半端で「なんか分からない世界」のままに話が進行してしまったため、そこに住まうキャラクターたちの立ち位置まで不確定なまま終わってしまったためだ。萌えキャラを掘り下げることは、例えばクレハが戦争孤児で戦争に対してどのような思いを抱いているかとか、ノエルが過去の自分の過ちをどれほど悔いて、恐れているかといった要素を、きちんと描写することである。そうした側面については全て「戦争史」と分けられない要素であるはずで、「戦争物」として不出来であれば、遡及してキャラの描写も不足ということになる。砦の乙女達については、結局、その内実が余すことなく魅力的に伝わってきたキャラというのは、いないのではなかろうか。

 こうした様々な「不足」は、コラージュのように種々の要素を不自然な形に紡ぎ上げた構成の理念自体に問題があったと考えられる「戦争物」であり、最近流行の「ガールズバンド」ものでもあり、もちろん「ハーレム萌えもの」「百合もの」「ドタバタギャグアニメ」である。しかし、そうした要素は全て独立して存在しており、脚本の中で融和しているように見えなかった。それぞれの要素を引き立てるためのアニメーション技術がいくら優れていても、素材のままの状態で「作品」として忌憚なく楽しむことが出来なかったわけだ。

 このことは、ひょっとしたら現代アニメの孕む病巣の端的な表れと言えるかもしれない。原作の無いものをやるとここまでシリーズ構成が破綻するということは、原作ものをやったとしても、脚本を余すことなく伝えるためのアニメに仕上がらない可能性も大いにある。「キャラのために話がある」のではなくて、「話のためのキャラがある」ということを、どれだけ意識して初期段階で企画を練り上げられるか、そこにちゃんと注意が行っていればいいのだが……

 でもまぁ、結局そうしてばらまかれた「素材」を見るだけでも、それなりに楽しめてしまうのが最大の病巣なのかもしれないのだが。悠木碧、喜多村英梨の2名を筆頭に、さらに新人の金元寿子などのキャストへの賛辞も含めて、点数はボーダーの5点ということに。脚本の吉野さんは、流石に少しずつ私の中で株を下げているのだが、どこで下げ止まるのかが心配でなりません。 

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 ま、大体予想通りの筋書きで幕を閉じた最終話。前回から幕を開けた(?!)どっきり国際紛争編の幕引きとしては、実にスタンダードな、教科書通りの展開といえるだろう。ここ2話については。

 響く軍靴の音。キレ気味の「鬼神」の話では、ローマ軍は示威行為のためにヘルベチアの国境沿いにぐるりと回っていた模様。なるほど、だからノーマンズランドから進行してきた訳か。そして、彼らの目的が脅しなら、当然それを愉快に思わないヘルベチア軍人もいるわけで、ホプキンスは何とかしてこれを開戦の足がかりにしようとアーイシャをうまいこと釣り上げる。ローマだって、あからさまに敵国側から挑発されればそれに応じる用意はあるわけで、あとはちょいとその火種をたきつけてやればいい。ホプキンスの計略は、ほぼ完成段階に入っていたわけだ。

 しかし、それを何とか阻止せんと起ちあがったのが「炎の乙女」たち。最終兵器タケミカヅチで突貫し、開戦地帯とおぼしき小競り合いの現場を急襲、そこでカナタが入手した「停戦ナル」の方を皆に伝える。だが、それでも一度動き出した武力は止まることが出来ない。絶望的な状況の中、カナタが選んだ選択は、ヘルベチアにもローマにも分け隔て無く響いた「ソラノオト」、アメイジング・グレイスだった……

 と、端的にまとめると普通の物語。今回は気持ち悪いくらいの動きを見せるタケミカヅチの完成した造形や、オープニングの絵画やアーイシャの存在をうまく絡めた「炎の乙女」の伝承を流すシーン、そしてクライマックスとなるカナタの演奏シーンなど、流石に最終回らしく気合いの入った仕上がり。実は個人的にはアメイジング・グレイスを聞くとどうしても「風の立つライオン」(さだまさし)を思い出してしまう人間なのだが、そのイメージと朝日に照らされながらラッパを奏でるカナタの画がなんだかいい感じにリンクして感じ入ってしまった。音楽のパワーってのは、本当に計り知れないものだ。

 ただ、「1話のアニメ」としての完成度は非常に高いのだが、今回の話は、あくまで「11話で起こった話の結末」である。この「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」という作品全体を総括する話としては、まったく全然本当に足りていない。旧時代とは何か、世界は本当に「終わり」を迎えているのか、時告げ砦の面々は、これからどんな人生を歩んでいくのか。どこから来たか分からないアニメは、どこに行くのか分からない終わり方をしてしまった。もちろん、全てが全て片を付けなければいけないというわけでもないのだが、流石に「戦争が起こりそうです。でも、起こりませんでした!」というだけで何となくめでたしめでたしというのは、ここまで作ってきた流れを考えるといかがなものか。それなら、アーイシャが登場する話をもう少し前に持ってきて、今回のローマ軍との対峙の描写をもう少し詳しくしてクライマックスを盛り上げるべきではなかったのか。軍人としての心構えを語るなら、先んじて軍人の抱えている無視できない感情、使命を描くべきではなかったのか。

 これまで出来る限り真剣にこの作品を見てきたつもりなのだが、なんだか、ちょっと裏切られたような、そんな気持ちになってしまう。もちろん勝手な期待、勝手な妄想をはねつけられただけの話ではあるのだが、もし「この最終回」がやりたかったのだとしたら、ここまでの12話の構成は、とてもベストのものだったとは思えない。どこかで何かを見誤ったのか……

 うーむ……どうにも視聴直後ではまとまらない。とにかく、色々難しい作品でした。最後に、今回様々な感情を抱えて怯えるノエルの演技は実に素晴らしかったと思います。あと、泣きじゃくりながらもきちんと意志を全うしようとしたクレハも。あおちゃん、キタエリ、いい仕事してます。 

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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子
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