最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
感動の解像度が高い、第14話。いろんなところで切実に、このスタンスがブレない作品はやっぱり強いよ。 これはもう、声オタの悪癖でほんとにあかんことだと重々承知しながらの話なんだが、後半の吉祥寺先生VS鮫島のシーン、途中から勝手に「伊藤静と佐倉綾音の対話」として聞いてしまって、もう色々大変。いや、全くキャラと重なってはいないんだよ? 別に御前と佐倉さんの間にそんな大きな差があるわけでもないし、佐倉さんが「天才」かと言われたらそこもまた議論の余地はあるんだけど、現在の業界でのスタンスになんか重なる部分があってさぁ。見てるこっちからすると、佐倉さんは今という時代をどれだけ必死に生きてるのかなぁ、なんてしみじみしてしまった。漫画家も声優も、表現者という意味では共通する部分がありますし、多分佐倉さんも「今は走り続けて、止まったら終わる」みたいな切迫感は常にどこかに抱えてるんじゃないかしら。……おっかない業界だよねぇ。そんな佐倉さんに対して少しだけ先輩で、未だ第一線を走り続ける豪傑・伊藤静。彼女のスタンスもとても良いものですよね。プルタブぷしゅっとする声優代表2人みたいになってるやんけ。 というわけで先に漫画家2人のシーンから回収させてもらうが、よく言われる話として「漫画家の様子を描いた漫画は嫌なリアリティがある」。「バクマン」とかもそうだけど、そりゃね、自分の体験を元に作品を描いたら嫌でも現実感は出るからね。原作の赤坂アカ、作画の横槍メンゴ、どちらも週刊連載で結果を出し、過酷な業界を生き抜いてきた歴戦の猛者。その2人が手がけた「漫画家漫画」が切迫感を持たないわけがない。まー、もちろんこれが全部ノンフィクションだなんて考えるほど私も初心ではないですが、それでも一抹の真実を掴んでいるのは事実だろうし、よく漏れ出てくる「業界の噂」みたいなものを利用して、作者が鮫島アビ子というキャラに肉付けしようと狙っているのは間違いなく事実である。 序盤のアクアたちの視点からだと、先週追い詰められたGOAさんサイドにどうしても肩入れしてしまう部分があり、そのままだと「漫画家ってのはなんて傲慢な存在なんだい、脚本家のことを考えもしないし、狭い世界の中で自分が正しいとしか考えないお山の大将じゃないか」とネガティブな要素しか出てこない。しかし、世間で近い話題が紛糾したことからも分かる通り、こうした話ってのは誰か1人が悪いなんて一元的なものじゃない。ぶっちゃけケースバイケースでしかないので「原因」が特定できる可能性もあるが、多くの場合は小さな不和が積もり積もって、表出するときには大問題になっているのである。であればこそ、今作ではきちんと漫画家サイドの言い分も表明してやる必要がある。業界のシステムの中、走り続けなければ何かを失うという脅迫感と戦い続ける鮫島。限界も近い彼女の溜まりに溜まった何かが、この度不幸な形で吹き出してしまったという。 そこにアクアが投じた一石、それが「実際の舞台を見ろよ」。これがまた実に効果的な一石であることは前半のあかねとの舞台観劇で伝わってくる。餅は餅屋、舞台は舞台屋。たとえ原作者といえども完全な専門領域である舞台演出では譲ってもらう部分があってもいいでしょうと、それを心からわからせるには、実物を見てもらうのが一番手っ取り早い。得てして仕事でこもりきりの漫画家ってぇやつは外部の刺激が遮断され、新しいものを取り入れづらくなっていくもの。ここで「新時代の舞台」を目の当たりにすれば、考えを変えてくれるだろうというのがアクアの読みだろう。アクア自身が実際そうなっちゃったんだから、こんなに確実な話もない。 そうなんだよなぁ、舞台は舞台で強いんですよね……私も過去に偶然知り合いに誘われて観に行った2.5次元舞台でそのことを嫌というほど分からされたし、最近じゃぁ形は違えど「バンドの舞台」ってなもんで生の刺激を存分に浴びて昇天している。漫画が好き、アニメが好きな人間って、結局はそうした創作物から得られるなんらかのエネルギーを求めているわけで、舞台という鮮烈な表現技法に惹かれる可能性は高いのよね。多分、鮫島もこれでオチてくれるんじゃないでしょうか。まぁ、彼女の場合は「天才」なので丸め込まれるまでにもうひと暴れあるかもしれないけど。陰キャ同士のコミュニケーションということで、あとはアクアも一緒になんとか頑張ってくれ。佐倉さんの陰キャ仕草、ほんと堂に入ってるよね!(褒め言葉) PR なんかわちゃわちゃしとる、第2話。まー、女子高生がこんだけ大挙したらそりゃわちゃわちゃもするやろけども。 1話目時点で「チアなんて参加人数の多い競技を描き切るのはアニメだと大変なんやで」という話を書いたのだが、2話目の印象も引き続き「やっぱ大変なんやろな」という感じ。「まぁ、何とかしてくれるやろ」とは思っているのだが、現時点ではやや構成がキツめ。多分脚本から逆算して1話分に詰め込む内容が決まっているのだろうが……なんかね、視点が散ってなかなか追いかけられなくなってるんだよ。これって俺だけの感覚なのかなぁ。 理由はシンプルで、なんかカット割りがやかましい。いや、「やかましい」って表現もよく分からんかもしれんけど、シーンの繋ぎがさ、なんか忙しないというか、必要以上に割ってしまってるというか。1つ1つのカットの持ちが悪くて、もう少し呼吸させてほしいところで息継ぎできない、みたいな感覚でシーンが流れてしまう感覚がある。まぁ、どうしても詰め込みたい内容があるならしょうがないのだろうが、今作の場合は決して情報量が過多ってわけでもない気がするんだよな。 これは序盤だけの問題なのかもしれないが、何でこんなにカットを矢継ぎ早に繋ぐ形になってるかというと、合間にやたら回想を重ねているからである。「この時の感情はこう」「今の会話はあの時のこのシーンのことを思いながら展開されている」。そうしてさまざまなシーンの関連性をはっきり見せてくれるのはむしろ親切心からきているもので、「キャラが多くて場面が散逸的になりがちな作品だから、視聴者もわかりにくかろう」ってんでわざわざ過去のシーンを多めに用いることで関連性を明確にしてくれているんだろうけど、そのせいでなかなか視聴者側は「今、ここ」に視点が絞りづらい。回想にあたるシーンが挟まる際にも「こっからが回想ですよ」という明確なマーカーなど無いため、明確に「あ、前に見たシーンだね」と分かるパートでも、一瞬理解が遅れる。その「あ、前のあそこだ」っていう認識でいちいち切り替える負荷があるために、「それにつながっている今」の印象が薄くなってしまうのだ。この方向性は、関係性が明示化されれば次第に解消されるものだろうか。 繰り返しになるが、作り手側の狙いは分かる。分かるんだけど、なんか勿体無い気がしている。キャラデザ・作画がちゃんとしてる作品なのだから、1つ1つのカットの力を信じて、もっとじっくり見せてくれてもいいと思うんだけど、「賑やかさ」みたいなものを演出したいという気持ちもあるんだろうか、どうにも気が漫ろに。同時多発的にいろんなキャラから「あーしたい」「こーしたい」が出てくるとドラマ自体も焦点がぼやけてしまう可能性もあるので、今後はなるべく話がスッキリしてくれることを祈っている。真面目にチアを描こうとしている様子は窺えるので、多分ほんのちょっとのことだとは思うんだよなー。
よかった安定してる、第2話。いや、取り立てて何があるってわけでもないんだけど、悪くないアニメだからタイトルで敬遠してる人も観てみてね、という勧誘。 これさ、気づいてなかったのは実に間抜けな話だとは思うんだけど、今作におけるセンセーが太宰治だってことは一言も書かれてないのね。原作読んでる時も、1話目をみてる時点でもそのことに全然気づいてなくて、なんなら先週は「アニメだと流石に太宰ってダイレクトに言えないから濁す必要があるのかもね」くらいに考えてたんだけど、原作からして別に太宰とは言ってなかった気がする。あくまで「すごく太宰に似た、死にたがりの文豪」でしかない。まぁ、そりゃそうかもしれん。実は「異世界スーサイドスクワッド」の新番チェックの時に「有名人転生」の流れに触れたのは今作への前振りのつもりだったのだが、先週は忘れててそのことに触れなかった。うっかり勘違いを暴露せずにすんでラッキーである(今ばらした)。 というわけで「太宰に何となく似てる主人公」が活躍するお話だが、2話目はセンセーが異世界でどういうスタンスなのかを漠然とながらも示すお話。これまた先週も触れているのだが、「死にたがり」ってとことん主人公に向かない。「死んだらどうする!」なら主人公にもなれるだろうが、生きてようが死んでようがどっちでもいい奴は何をするにもモチベが上がらないし、共感も得られないので普通は画面映えしない。今作におけるセンセーがどうなっているかは原作序盤しか読んでない私はよく知らないのだが、少なくとも知っている範囲では綱渡りのようにギリギリの存在感で主人公として成立はしていた気がする。 今回のお話もきちんと「死にたがり」が機能しており、ゲストヒロインの心の内を暴くために「一緒に心中してくれる人」というスタンスが効果を発揮した。これが嘘死にたがりでは結局他の婚約者候補2人と大差ないことになってしまうので意味がなく、マジで「死んでもいいよ」と思っているからこその展開になっている。ナツキスバルじゃあるまいし「死」そのものは武器にはならないが、「死を厭わぬこと」が武器になることはあるって話。 ただ、繰り返すように「ただ死にたいだけ」ではお話が前に進まない。そこでセンセーは一応「生き別れた(死に別れた?)さっちゃんに再会する」という「生きる目標」も与えられており、表には出さないが生きる原動力も持ってはいる。この辺のバランス感覚が難しいところで、「さっちゃんに会いたいとは思っているが死んでもいいと思っている」だと単に薄情に見えたり、そこまで執着してないように見えてしまうのでモチベーションとして機能しなくなる。今回のお話は「機能してない」側なのだが、よその女性に対し「心中相手として失格」という烙印を押すことで暗にさっちゃんへの想いが垣間見えるのは意味がある描写と言えるか。まぁ、このまま進めて最終回はどうやって風呂敷を畳めばいいのかが想像できないのが恐ろしいが。 そして、そんな危うい存在感のセンセーを中心におきながら今作が不可解なエネルギーに満ちているのは、やはり周りを囲むツッコミ女性陣の活躍のおかげ。いやー、やっぱりるみるみ・鈴代コンビでの掛け合いはいいわ。2人して圧倒的に生命のエネルギーに満ちている。どっちもボケられるし突っ込めるフットワークの軽さも良いね。まぁ、単なるるみるみファンの感想なんですけどね。 ○「負けヒロインが多すぎる!」 6 この学校の女子の制服のリボン、どうなってんねん。流石に邪魔すぎるやろがい。 なーんか、今期は作画状態がガンギマリの作品が多いですね。これは業界がコロナから復帰した証なのか、それとも単にCG技術の革新によりそれっぽい処理が手軽に行えるようになったためか。どっちの要素もあるんだろうけど、今作を見る限りでは後者の要因の方が大きそう。背景とのマッチングで撮影処理に若干の違和感はあるが、多分背景作画はかなりデジタル処理で楽になってる部分だろうし。もちろん、キャラ作画部分でそれなりにカロリーを使っているからこそ実現できる画面だとは思うけどね。 というわけで画質はたいへん良好。制作はA-1なので納得といえば納得なんだけど、ここ最近のA-1にはなかったチャレンジングな画面作りになっている気もする。そしてそんな極まった画面でお送りするのが、これまた一筋縄ではいかないヘンテコラブコメ。なるほどその発想は無かった。概念的には「いろんなヒロインが集まってくる」要素だけだと「100カノ」に近い作風に見えなくもないのだが、あちらは全部が全部とにかく「ヒロイン」であるのに対し、こちらはなんと「負けヒロイン」縛り。ラブコメを描く際に「全員が負ける」ってどゆこと? とタイトルから疑問に思っていたのだが、なるほどそういうことか。1話目の出会いのシーンで全部語ってくれたのでこれ以上ないくらいの自己紹介になっていた。 ぶっちゃけ、わたしゃ「負けヒロイン」という言葉が嫌いである。古くは「滑り台ヒロイン」などとも呼ばれてその時点で嫌いな概念ではあったが、「負け」という名称であけすけに呼ぶよりはまだ「滑り台」の方が情緒があったかもしれない。何故嫌いかというと、恋の鞘当てで最終的に結ばれないことを「負けた」と揶揄して哀れんだり嘲ったりするのがなんか嫌だからだ。サブヒロインたちだって立派に彼女らの人生があり、その中でたった1度の失恋を経験するだけ。それを何故「負け」と言われなければならぬのかと、勝手に彼女たちの身になって憤慨したりする。え? 自分が負けヒロインを応援しがちだからじゃないかって? そんなまさか……。 まぁそんなこたぁどうでもよくて、本作におけるヒロインたちはそんな「負け」要素をスタート時点で属性として付与されるという何とも珍妙な設定。思いついたとしても実現が困難なこの設定でよくもまぁお話をスタートさせたもんだとは思うが、「負け」代表の八奈見杏菜さんのキャラが1話目にして完全にキマっているので単なる出オチで終わらず「こいつは負けるやろ……」みたいな納得感がありつつ、これが不思議と単なる嫌悪感ではない感情に繋がる。まぁ、主人公がだいぶキモオタ寄りなので彼と全く同じ視点で見ているかどうかは怪しいのだが、「こいつめんどくせぇな」という「負け要素」をはっきり見せる中で、何か気になる「次は勝ちそうな」要素も見え隠れさせる。これが今後もちゃんとシナリオラインの中で機能するなら面白い。少なくとも今まで見たことがない新たなラブコメストーリーが拝めそうである。 個人的にはかっ飛んだヒロインの性格と退屈しない百面相だけで1話目はしてやられた。その他文芸部の子やわけわからん先生などいささかキャラがクドすぎるきらいはあるが、ギャグだと割り切ればこれはこれで楽しいだろう。ほんで「勝ち」ヒロインの方はちゃんと「勝てそうに」描かれてるんだよなぁ……「負けヒロイン設定ってことは全部の子に勝ちヒロインも作らなきゃいけないってことになるから、実質ヒロイン数2倍か?!」とか思ったが、勝った方は別に主人公周りにたむろしないのでそんなに描写はいらんのやな。 本作を評する上で欠かせないのはやっぱり中の人の話。何とメイン(?)ヒロイン役が遠野ひかる、そして主人公が梅田修一朗ということで、カップリングはどこぞの日当たり普通なワンルームと全く一緒。おかしい、ちょっと前まではあんなに完璧な「勝ち」ヒロインだったはずが……。まぁ、とのぴーボイスのイカレたところが前面に出る設定はとわちゃんとは真逆に魅力を引き出してくれているので、これはこれでよし。他のヒロイン勢も今後の活躍に期待。(勝ちヒロインの中の人は間違いなく勝ちボイスですよね……文芸部のBL先輩は勝ちなんだろうか、負けなんだろうか)。
「こころのやいば」ですってよ? 第15話。ちゃんと広辞苑に載ってる方の意味でもあってるし、勘違いされやすい方の意味でもちゃんとあってる。勉強になるアニメだなぁ(?)。 ラストパートさえ見なければ女子中学生がきゃっきゃうふふしてるだけの日常アニメ。これまでもテルにはペペシャさんとかピルツさんのようなヒーロー仲間はいたが、同世代のマブダチといえば惟子さん一択だった。そんなテルの生活に突然飛び込んできた傍迷惑な闖入者、曖さん。わずか1話ですっかり打ち解け、人見知りのテルの心にもすんなり入り込んでしまった変な人。彼女の愉快な人となりでもって、3人のお友達関係が見事に形成されている。本作はとにかくキャラ作画がいいもんで、きゃっきゃうふふしてるだけのシーンでも問題なく楽しめるのはとてもありがたいし、三者三様でどこかクセのある会話を展開してくれるので退屈もしない。是非ともこのままいい関係を維持していただきたいと思うが、過去にツィベタちゃんのお話なんかもあったもんで「バッドエンドは勘弁してくれ」とちょっとドキドキしている俺がいる。まぁ、味方側のキャラにはちゃんと納得いく結末を用意してくれているとは思うんだけど。 以前も書いたけど、今作はコミックをちょっと先まで読んでおり、具体的には東京突入直後までは一応原作を追いかける形になる。具体的にどんなバトルを繰り広げるかは知らんので、今後曖さんがどのような活躍を見せるかは分からんのだが、彼女のスタミナが足を引っ張らないかだけがちょっと不安。敵側にいる「もう1人の曖さん」ことウツロさんは多分身体能力に不安は抱えてないだろうし。果たして次なる敵キャラはどういう存在なんでしょうね。ツィベタちゃんの時と同様ならウツロも曖さんの血縁関係の何かから生み出されたものなのか。ただ、曖さんの口調からすると「新しくスティグマが生み出した」って感じじゃなくて、以前から面識がある何者かっぽくはあるんだけどね。この世界には優れた戦闘能力を有する忍びがいったいどれくらい隠れ潜んでいるんだろうな。 追伸:えびおさんは人類がエビを食用としていることをどう思ってるんだろう。どうも思ってねーか。 さぁ後半戦! こういうシリーズものの特別上映を最後まで見るのって初めてかもしれん。まぁ、尺だけで考えりゃガルパン最終章もプリンセスプリンシパルも変わらんのだが……あいつら、おわらねぇんだよ……。
<一応ネタバレ防止折り返し>
○「ATRI -My Dear Moments-」 6 こっちの妻はちょっと感情がある。いや、妻じゃないけども。いや、感情があるかどうかも分からないけども。あるのかい、ないのかい、どっちなんっっだいっ。 というわけで、尽きることなき機械生命ものである。機械なヒロインを描いた作品では昨年度「SYNDUALITY Noir」という佳作が誕生したが、今作も設定自体は似た部分が多い。一度なんらかの原因で荒廃してしまった世界で主人公の男の子が偶然拾った機械仕掛けのヒロイン。記憶があったりなかったりするが、果たして彼女はこの世界の真実に繋がっているのか否か。まぁ、ノワールの世界観に比べりゃぁこちらは純粋に自然災害での荒廃世界っぽいので、なんらかの敵とドンパチするようなバイオレンスな展開にはならず、機械ヒロインの大先輩・マルチさんが代表するようなギャルゲー展開にはなるようですな。 というわけで確認したところ原作はゲーム。エロゲなのかと思ったけどWikiの表記ではCERO:C程度ということでエロゲってわけでもなさそうだし、やはり「ギャルゲー」というのがしっくりくるジャンルなのかしら。残念ながら名前は聞いたことがないのでどの程度展開された作品なのかも今ひとつピンとこないが、ここ最近はこの手のゲームからのアニメ化ってのもとんと見なくなってしまったので、そんな時代にわざわざアニメになってるということは、それなりに期待されてのものなのかもしれない。 制作はTROYCA、そして監督は加藤誠ということで悪くない座組み。TROYCAというと白い画面の印象が強いが、今作は「海! 夏!」みたいなトロピカルなイメージが優先されているおかげか、過去の作品に比べるとやや原色寄りで見やすいカラーデザインになっている。その上での作画力はさすがのもので、ヒロインのコミカルな表情変化なども実に自然に見せてくれているし、1話目での印象はなかなか良い。まぁ、ここからどれだけシナリオラインだけで持っていけるかは結局未知数なのだが……最近のギャルゲアニメというと、「この世の果てで恋を唄う少女YU-NO」が今ひとつだったので、できればしっかり画面のクオリティを維持しつつ、業界の期待を背負って戦っていただきたいところ。 一応もう1つ推せるポイントがあるとするなら、ヒロイン役に満を辞して出撃してきた赤尾ひかるの存在が挙げられる。以前その筋の詳しい人から赤尾ひかるがギャルゲー方面でいい仕事してるみたいな話も聞いた気がするし、この辺りがホームグラウンドなのかもしれん。こんな声質のくせして、やたらと業の深いキャラが回ってくることが多い気がするのも、業界の期待の表れなんじゃなかろうか。 ○「なぜ僕の世界を誰も覚えていないのか」 5 興味なかったんちゃう? 知らんけど。いきなりタイトルでそんなこと聞かれても……。 タイトルのクセで一瞬なろうかと警戒してしまうが、そこまでなろうではない、どっちかというとレトロラノベな感が漂う作品。実際に原作はラノベで、なんと「キミ戦」と同じ作者によるものらしい。同一作者の原作ラノベが同タイミングでアニメ放送してるってのはかなり珍しい事例なんじゃなかろうか。ちなみにさらに確認すると発表は2017年から2020年とあり、こちらはちゃんと完結しているとのこと(「キミ戦」は未完)。そういう意味では収束性に不安はない作品ではあるが……ラノベで全9巻ってことは絶対にアニメ1クールじゃ終わらないんだよな。ラストまでやるつもりだとしたらかなり一歩目を踏み出すのに勇気がいるアニメ化プロジェクトである。 さて、そんなラノベ作品だが、導入はそこまで目新しいものではないので全ては今後の筋運び次第としか言いようがない。細かい設定に若干のアラは見えるが(「流石にそれで男のフリしてるってのは無理あるだろ」とか)、まぁ、その辺はノイズレベルだし、今後の展開で説明される部分もあるかもしれないので現段階でめくじらを立てる必要もないだろう。展開はそれなりに興味を引くものになっているし、過度な不明瞭さもないので視聴にハードルは無い。まぁ、その分スルッと飲み込めてしまうのであんまり印象に残らないとも言えるのだが。強いて一番気がかりな要素を挙げるなら、どっちかというと「世界の上書き」ってぇより「主人公だけ別な世界線に飛ばされただけじゃね?」みたいに見えてしまうので、タイトルの文言にあんまりピンとこないことくらいか。 制作はproject No.9。今期は「先輩はおとこのこ」との並行だが、まぁ、向こうがそこまでカロリーの高くない作品だし、あっちの監督を柳伸亮に任せてこっちは南川達馬(「炎炎ノ消防隊」などの監督)が担当するという布陣なら決して手抜きではないはず。映像部分はまだ可もなく不可もなくといったレベルだが、ここから大崩れしない前提であれば、こちらもストレスにはならなそうだ(まぁ、その前提が守れるかどうかが一番の問題なのだが)。 最初に黒髪黒服のいつも通り系男子が画面に出てきた時にはどうしようかと思ったが、割とストイックタイプの主人公だったのでちょっとホッとしている。あと、メインヒロイン(?)の男装騎士様は「この騎士はすぐに屈しそうだな……」とか思ってしまう残念な声である。ぜひ悪魔軍は人質にとっていただきたい。 ○「ばいばい、アース」 6 へぇ、ここがブルームバロウかぁ……。この手のシチュエーションでさ、よく「なんだあいつ、毛が1本も生えてない……」みたいなこと言われることが多いんですが、あいつらは頭髪ってどういう認識なんでしょうね。言われたのに対して「生えとるわ!」って言って突然脱ぎ出す奴が過去にいなかったのかどうかは気になるところ。 なんてアホな話題から入ってみたが、その実態はずいぶん硬派なファンタジー作品。原作は冲方丁の小説作品とのことだが、調べてみると2000年に出版され、その量は全2巻とだいぶコンパクト。アニメ化を前にコミカライズも完結しているらしく、こちらも全4巻と程よい分量。アニメが1クールか2クールかは知らんが、多分すっきり終われる分量の作品なんじゃなかろうか。 制作はライデンフィルムで、1話目からかなりかっちりと世界を作りにきている丁寧な筆致が素直に魅力。とにかくキャラクターデザインが精巧で、多種多様なデミヒューマンのデザインなんかも1体ずつちゃんと描かれているし、ヒロインの女の子の真っ直ぐな表情も好みのタイプ。要となるアクションシーンも1話目ということで大盤振る舞いで言うことなし。シナリオラインだって冲方丁作品ってんなら最低保証はあると考えて良いだろう。トータルすれば「いい仕事してるアニメ」に分類してしまっていいのではなかろうか。まぁ、まだまだ分からん要素はてんこ盛りなので、勝手に期待して裏切られないようには気をつけなければいけないが……。 面白かったのは、いろんなものがちゃんとオリジナルタームとして設定されているが、流石に音で聞いてもなんのことを言ってるかさっぱり分からん部分を漢字にルビを当てる形のテロップを入れることで処理してみせた部分。SF作品なんかでオリジナルのタームを連発されるとすぐに話についていけなくなっちゃうというのは困りもので、それを避けるためになろうアニメなんかは「なんでこの世界にそんな言葉があるんや」みたいのを脊髄反射的に使ってしまうことの免罪符にしているわけだが、今作はそこを臆せず遠慮なく知らん言葉として並べたて、そこに漢字での意味を表示することで視聴者への理解を同時に促す狙い。文字媒体とアニメという媒体の差を埋めるための苦肉の策ではあるのだが、実際にやられると目から鱗。どうしても作り手側としては「分からん言葉……なんとか理解してもらうために説明台詞を入れるか、なんらかのオブジェクトに書き出すことで文字情報として伝えるか……」みたいなことを悩むと思うのだが、「もう、そこはテロップでいいじゃん」と開き直って必要な情報は文字で堂々と提示してくれるこの姿勢、実は一番いいやり方なのかもしれない。 そんな配慮のおかげで1話目での「入っていきにくさ」もほぼ無く、「いったいどんな冒険活劇が待っているんだろうねぇ」という期待が高まる。ファンタジー作品、こういうのでいいんだよ。 |
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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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