最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「ひろがるスカイ!プリキュア」 6→5 「終わりよければすべて良し」の精神で、最終回だけ観て点数そのままでもいいじゃんとは思ったけども……一応1年通しての総評ってことで、評価はアベレージくらいに落ち着かせてもらおう。それにしたってラストバトルのスキアヘッドの作画とかどないやねん。 点数は下げたが、決して大きな不満を抱えるようなシリーズではなかった。ちゃんと評価できる点はあったし、いい1年だったとは思うのだが、そこは諸々のプラスマイナスがあるので、少し要素を分けて見ていこう。まず、ざっくりいうと「思ってた方向性と描きたい要素がだいぶ違ってた」という食い違いがある。これはまぁ、ほんとに好みの話なのだが、私は戦隊レッドで言えば歴代1位にあげるのは明石チーフである。多分その下にマベちゃんとかがくるのかな(朝加圭一郎をどこに置くかが悩ましい)。あまり意識していなかったが、どうやら戦隊においてはシンプルに頼れるリーダー像が好きなようだ。今作が始まった時にも、「ヒーローガール」という耳慣れないフレーズを手がかりに、「きっと痛快なヒーロー活劇を繰り広げるヒロインなのだ」と期待していた。ただ、1年を通して見ると、ソラ・ハレワタールはどっちかってぇと悩めるヒーロー像の方だった気がする。晴れ渡らずに曇ってる時間も結構長いし、他のプリキュアに比べて押し寄せる困難のシリアスが強めだったので簡単にゲンコツ1つで解決できない問題にぶつかり、曇ったり淀んだりで大変だった。そりゃまぁ、シャララ隊長の一件とかどんな罰ゲームだよ、と思うし、ラストのカイゼリンを巡るいざこざもソラさん1人の手に委ねるにはあまりに大き過ぎる国難。どんな女の子だって曇るし折れる。そこはしょうがないのだが、「あぁ、そういうヒーロー像の方ね」というのはちょっと想定とずれてしまった。どっちかというと1年通して強かったキャラはましろんだった気がするのよね。彼女の優しさと強さを併せ持った心の力こそが象徴的なプリキュア的パワーであり、そう考えると、ガワの割にはオーソドックスな作品だったのかもしれない。 そう、オーソドックスだったんですよ。スタート時には色々と鳴り物入りで始まったはずだったのだが、ツバサの扱いとか、割と途中から無難な推移になったじゃないですか。まー、「男の子プリキュアだから!」ってんで特別扱いしちゃったら本末転倒になってしまうし、しれっと扱うのが正しかったとは思うのだが、その辺もやっぱり「せっかく入れた割には……」みたいな肩透かしはあった。なかなか度肝を抜くような革新ってのは難しいものだが、ここ最近は「ドンブラ」「キングオージャー」と戦隊シリーズが殻を破り続ける快進撃を続けているもんで、プリキュアにも思い切った転換があるかと期待してしまった部分はある。 ただまぁ、例えばツバサの立ち位置にしても、ベースが4人だったチームを大胆に2:2に分けるというアイディアは面白かった。ソラ・ましろがいわゆる「2人キュア」のフォーマットを取るに際し、どうしたって残りのメンバーの陰は薄くなりがちだし、絡みを作るにしても2人の添え物みたいになってしまいかねないのだが、そこをバッサリ切って「少年とあげはさんのおねショタペア」と定義づけることによって、全く別軸でのドラマの拡張を可能にしていた。この辺の構造はもしかしたら「ドラマ性が散逸的だ」という批判にもつながりかねないが、個々のエピソードに何かしらのフックをつけていかなきゃならない長丁場のアニメにおいて、わかりやすい関係構築はいい処理だったんじゃないかと思っている。「ましろを中心として苦難のヒーローを支えながら、共に戦う」というプリキュアのベースとおねショタ。……こう考えると充分に挑戦的ではあったのか。 あと、これもどっちかというと好みの範疇の話で申し訳ないのだが、アンダーグ側の描き方はもうちょいいじって欲しかった。というのも、多分これもどこかで書いた気がするんだが、私は悪の組織の面々がわちゃわちゃしているのを見るのが大好きである。現在進行形なら(もう終わりかけてるけど)宇蟲五道化の絡みなんかは好きだし、プリキュアで言えばディストピア3幹部とか、後回しの魔女様の配下衆の仲良く喧嘩してる様子なんかがとっても好きなのですよ(あ、ビョーゲンズはガチでギスギスしちゃってるからちょっと……)。悪の組織サイドでも関係性の物語が進むというか。しかし今作は残念ながら幹部クラスが1人ずつ出てきては討伐されていく、私が勝手に「ギンガマンシステム」と呼んでいる構成で倒れていった。まぁ、最後にはカバトンさんも帰ってきて私の見たかったわちゃわちゃを少しは演出してくれたが、どうせならもっと最初の時点からカイゼリンをトップに据えてカバトンとバッタモンダーとかの絡みがあれば、もっと終盤のアンダーグの物語にも色々と要素が加えられたんじゃないかと。……まぁ、それが煩雑すぎるからこういう構造を採用したんだろうけど……どうしてもカイゼリンが出てくるタイミングが遅かったもんで、ミノトンあたりは単なる繋ぎ役にしか見えなかったのがねぇ。バッタモンダーの地上生活奮闘記みたいなやつが、もっと他の連中でも見られたら面白かったんだけど。なおバッタモンダーについては、ましろんの活躍を引き立てるいい仕事をしてくれたので感謝している。 というわけで、トータルでそこまで悪いもんじゃないが、「もっとこれが見たかった」っていう要素がちらほら。結果は「まぁ普通」でFAでした。オールスターFの素晴らしさを見るに、威風堂々とした勇姿でもって立つソラは歴代プリキュアでも屈指の格好良さを見せつけられるポテンシャルはあるはずなので、出来れば今後の劇場作品などでの活躍にも期待したい。 来週から犬ですってよ。日曜に犬アニメが2本放送されるようになるな……。 PR クソ野郎VSクソ野郎、第15話。やっぱり今作は下衆野郎を描いている時が一番活き活きしている。そしてキャラの大半が下衆野郎なので、つまりはだいたい活き活きしている。 満身創痍だったラグナが気合いを入れてなんとか復活。全然噛み合ってる感はないが、全部自分で片付けようとしていたラグナがなんとかここまで持ち直し、「未来の自分」への歩み寄りを見せたきっかけとなったのは必死についてきたシン・カトラスのおかげといえばおかげ。「新たな仲間の力で主人公がちょっとだけ友情を覚える」……みたいな綺麗な形ではないかもしれないが、とりあえず少しだけ成長できた。ラグナの場合はおっちゃんが言ってたように「成長する」というよりも「元々持ち合わせた潜在力に寄せていく」っていう方向性なんだろうけども。そして、その無茶苦茶なスペックには流石のオルト・ゾラも舌を巻く。これまでどんだけ対策されても余裕を見せていたゾラちゃんだったが、今回ばかりは流石に焦りをあらわにした。そんな彼の状態に盟友・タラちゃんも心配そう。それでも直接口に出して文句を言わないあたりはタラちゃんの優しさなのかもしれないが、その隔たりが壊滅的なダメージにならないといいのだが。 今回、あらためて気づいたことが2点あって、そのうち1点はもしかしたら単なる勘違いかもしれない思いつきなのだが、もしかしてラグナの「過去回帰」の能力ってアルテマティア様由来なんじゃないか? 彼が静止した時間の中でわずかでも動くことができたのは、未来でアルテマティアの血を受けて血族にさせられたことに由来している。であるならば、彼が「時間を戻して過去へ遡ってきた」理由ももしかしたらティアちゃんの能力が原因なんじゃなかろうか。……だとしたらほんとにティア様がかわいそ過ぎるな……全部自分で巻いたタネなんだけど、「未来の自分」じゃどうしようもねぇし。まぁ、ほんとかどうかは知らんけど。とりあえず「なんてタイムリープできるんだよ」っていうなろう系にありがちなツッコミについて、一応今作では答えらしきものが見出せた気がする。 もう1点気づいたことがあるのだが、それはもう1局の戦線に関係する。もちろん、クリムゾンのことだ。銀器姫が倒れて絶体絶命の騎士団。ここで一発逆転の手を打ち出してアルテマティア成龍を返り討ちにしてみせたのが前回のクリムゾンの活躍だったわけだが、そこから「よぉし! 反撃の狼煙だ!」とならずに常に斜め下の戦略をとってくれるのがクリムゾンらしさ。フーさんはいきなりの裏切りにてんてこ舞いだし、村瀬ボイスで性別不詳の相手に蹂躙されっぱなし。クリムゾンはオルト・ゾラのすべての行動原理を読み切った上で最善(最悪)の下衆戦略をとっており、その狙いは彼の完璧な頭脳の中ではすべてうまくいくはずだった。しかしそこで更なるどんでん返し。フーさんと技術班のおっぱいは兄妹(?)だったとかよくわからん設定が飛び出し、さらにフーさん同様に想定外の魔力量を秘めた爆弾だった。意図せずそれに触れてしまったクリムゾンは文字通りぶっ飛ばされてしまって全ての計算が狂う(多分、これによってさらにゾラさんの計算も狂わされるだろうが)。戦局はますます読めなくなった。 気づいたことってのは作品内部の話じゃなくて、「そうか、この作品ってクリムゾンが酷い目にあうのが楽しいのか」ということ。普通の作品って、「正義チームをピンチに陥れる悪役」を打ち砕いた時にスカッとするのがカタルシスになるわけだが、「正義チームをピンチに陥れる悪役」って、1つの物語にそうそう頻繁に出てくるもんじゃない。悪の規模がデカければそれだけにカタルシスも大きくなるわけだが、ラスボス戦ばかりを繰り返すわけにもいかないし、山場ってのはそんなにたくさん出てこないものだ。しかし今作の場合、常に隣に「最低最悪、ほぼ作中最強の能力を持つ極悪畜生野郎」がおり、こいつが期待を裏切らずにクソムーブを常にかましてくれるおかげで、敵だろうが味方だろうが、こいつの思惑をぶっ壊すことでいちいちスカッと体験ができるのである。今回の一件だって、騎士団の戦況を考えれば別になんの解決にもなっていない(むしろクリムゾンが退場したら不利ですらある)のだが、それでもどこかでスカッと感が味わえる。これが、今作の気持ちよさの1つの原動力なのだな、ということになんか納得がいった。もちろん、そのためには何回酷い目にあってもクリムゾンが株を下げないという厳しい条件が必要になるわけだが……ごめん、ちょっと下がってるかも。まぁでも、今のところは気持ちよさの方が勝ってるよな。 でも今回一番面白かったのは、よりによってデブの成竜の特殊能力が「機動力を活かした不意打ち」だったことです。お前はデブであれよ。 どうとも判断のつかぬ、第3話。今期はなんだろう、むしろ精神的に余裕があるせいなのか、いつもと違って「面白いわけではないのだが」という奇妙な動機の記事立てが発生している。 こちらの作品については、新番チェックの際に「よく分かんなかったから保留」みたいな適当な結論にしていたのだが、一旦そこにちゃんと白黒つけようというのが今回の記事立ての理由である。結論から先に書くと、「どっちかってぇと無い寄り」である。 いい点から先にあげよう。まず、映像制作がちゃんとしているというか、そこはかとない作家性を持ち出した責任ある作りになっている。決して作画状態が良いとは言えない部分も多く、どうにも違和感は混じるのだが、最近の中国アニメなんかでよく見られる不思議なエフェクトと陰影の付け方には目を引かれる部分も多く、決して捨て鉢なクオリティではない。なんなんだろね、機材の流行り廃りでもあるんだろうか、この「どっかソシャゲみたいな不思議なライティングの色彩」は最近そこかしこで見るようになった傾向な気がする。多分見栄えがしつつ作画のコストを(金銭的にも、時間的にも)ある程度抑えられるシステムなんじゃないかと睨んでる。知らんけど。 そしてもう1点は新番チェックの際にも触れたが、既存のなろう文法の完全なコピーだけではない進行。そもそも「最弱」が最弱のままで進行していること自体がレアだし、現時点で主人公に優遇的な措置がほとんど取られていない。辛い物語ではあるが、これはこれで独自性を発揮する要素にもなっているだろう。 その上で何故「無い寄り」という結論に至ったかというと、そうして描かれているドラマにやっぱり説得力が無いからだ。1話目2話目時点で「なんでそこかしこにビンに入ったままのポーションが落ちてるんだよ……」とかいう細かいところが気になってしょうがなかったのだが(どこぞの転生者なんて、ポーションを生成できることを悪用して空き瓶だけで一儲けしようとしてたぐらいやぞ)、まぁ、そこは「本当にスキルという言葉が全てを支配している世界」だと思えば無理やり納得できなくもない。たとえば1つの村に1人くらいの割合で「瓶入りのポーションを生成するスキル」持ちが生まれてくるという世界であれば、そこらじゅうに瓶入り賞味期限切れポーションが転がっていてもおかしくはないだろう(どうだろう)。ただ、そうして「すべての人間が星に規定されたスキルを持っている世界」だとするなら、あまりに描写が杜撰なのだ。世界観の説明のためとはいえ、家族の会話で「お母さんの星2スキルがあるから」みたいなことをいちいち言わんだろ。また、星無しがあそこまで忌み嫌われる世界ということは「星1」と「星2」にも厳然たる差があるはずで、それだけで身分の差があるような扱いを受けて然るべき。その世界で軽口として「お前は星1だからだろ」みたいなことを言い合うのはどうにもこの世界の倫理がイメージできない。 そして主人公がレアな星無しという設定と、星無しが生まれたら親子の縁を切ってでもそいつを村から追放するという過激な文化。こちらに関して、脳内前世記憶から「魔女狩り」というフレーズが出ていたが、どっちかというとシンプルに「忌み子」文化だろう。これも現実世界では近世くらいまでどこのコミュニティにも存在した可能性がある文化であり、ひどいことはひどいが、まぁ、理解できる文化形態である。ただ、もし「忌み子」の文化的背景があそこまでの拒否反応を引き起こすほどに強固なものであるとするなら、まず忌み子に認定された時点で殺すなりなんなりという「規範」が存在して然るべきだろう。殺すことがいいというのではない。ただ突然父親がとち狂って娘を家からおん出すだけ、というのがどう考えても文化の理解度とその対応の未成熟さで釣り合わないのだ。 また、当然作者目線ではこの忌み子の文化を「主人公が受ける理不尽な仕打ち」の描写として表示しているわけだが、残念ながら視聴者目線ではこれが本当に理不尽なのかどうかを判断する術がない。まず、「世界中のすべての人間がスキルを与えられる世界」であるということを飲み込む必要があり、さらに「星無しは家族であろうが幼子であろうが放逐されるくらいに忌み嫌われる」という文化も飲み込むとしよう。であるならば、この世界にはさらに「そこまでの仕打ちを受けるくらいに、過去に星無しが忌み嫌われるような理由を作り出してしまった」という歴史的事実があるはずなのだ。そうでなければあそこまで強固な忌避感は作り出せないだろう。であれば、ヒロインは本当に周囲に「呪い」を与えている可能性があり、彼女の身の上が単なる「不憫」で終わらない可能性が出てくる。もちろん「そんなことはなく、あくまで理不尽な仕打ちを受けているだけなのだ」ということは描写から伝わってはくるのだが、そのことをきちんと理屈として設定してくれないことには納得感が薄い。そこに筆を割く判断が下されないのであれば、やはり今作の脚本には懐疑的にならざるを得ない。 ……というのが現時点での結論、長くなったのでもう一回まとめておくと「無し寄り」になった理由である。…………まぁ「そんなに気張ってみるもんでもないやろ」も結論なんだけども……せっかく他には無い設定で進めてくれている作品なので、もっとうまいことやって欲しいっていう気持ちがあるのだよなぁ。 このサブタイトルだとオークを食ってるみたいに見えちゃうが……まぁ、いろんな切り口のお話があります。 Aパート、ダンジョンにおける野菜の栽培について。前回に引き続き(特にマルシル目線で)「流石にそれは食い物と関係ないやろ」というモンスターに強引に飯を結びつけるお話。なんと今回はゴーレムである。勝手な想像だが、おそらく原作者はこの作品を執筆するにあたり、ファンタジーやゲーム世界における定番のモンスターをリストアップし、それらをどのように「食べる」行為に結びつけたらネタになるかを考えていったのだと思うが、前回の「動く鎧」の場合は「あれがどういう生き物だと想定できるだろう? どういう生き物だったら食べられるだろう?」とイメージを膨らませた結果のお話。しかし、RPGなどで登場し、作品によって解釈が変えられる「リビングアーマー」と違い、「ゴーレム」は古くからの謂れのある伝統的怪物。まぁ、自分で作った世界なのだから後付けでどうとでも設定は増やせるかもしれないが、そこはやはり基準となるラインを守ってモンスターを描写しないとフェアではない。 となれば、やはりゴーレムが「魔法によって動く土人形」であるという設定は動かせない。「流石に土人形は食べられないでしょ」というのがマルシルの言だったが……かの「美味しんぼ」で紹介された書籍に「土を喰ふ日々」というものがあってな……。そう、我々は間接的に土を食う生き物。大地は我々の食を育む。そこから発想を膨らませて出来たのが今回の「ゴーレムによる畑作」という斜め上のお話……なんじゃないかな多分。 ほんとに突拍子も無いことを思いつくものである。それは作中のセンシもそうだし、原作者もそうだ。ついでに「ゴーレム畑作」を通じてセンシがどういった目的でダンジョン飯を追求しているかという動機面も語られ、「何故モンスターを食うのか」という今作最大の眼目に厚みが与えられてもいる。まぁ、彼の理屈で納得させられるのもどうかとは思うのだが……。ちなみにマルシルがトイレにいったことによって明かされた事実もいくつか出てきた。今作のエルフはよくトイレに行く気がするが……まぁ、「食」をテーマにした作品なのでね。「食った」ら「出す」とこまでが必然的生理。そこを語らねば「食うこと」のお話も片手落ちということなのだろう。……本当にそうか? 単にマルシルに嫌な顔させたいだけじゃないのか!? Bパートはオークと一緒にパンを作ることで展開されるこの世界の亜人族との関係性。この辺りもまたデリケートなお話で、かつて「ダンまち」なんかでも描かれた「モンスターは対話の相手たりうるのか」という命題があけすけに語られている。冒頭でいきなりオークが酒場の面々を虐殺した時には面食らったが、今作はどこぞのひきこまり作品ほどではないにせよ、比較的人の生き死にが軽んじられる世界。そりゃ散々ひどいことをしてはいるが、まだ他の作品における「虐殺」よりも軽いものだと好意的に受け取っておこう(?)。 センシとオークが繋がっていたために一命を取り留めた一行だったが、その後は喧々轟々のイデオロギー対立。オークさんのいうことにも一理あるが、やはり我々目線だとまだマルシル寄りの意見になるかな。ただ、オークさんが姫騎士を襲っている図などが他作品で顕著なせいでバイアスがかかっている可能性も多分にある。今後、この世界で「種を超えた共存」が語られる日は来るんでしょうかね。それにしてもマルシルは本当に命知らずでヒヤヒヤするな……ここまで短慮なエルフ娘ってのも珍しいキャラ造形だが……素直さは美徳なのかしらね。そういう意味じゃ、自分に素直な連中ばっかりのわかりやすいパーティーは良いね。 さぁライブですぞ。0thで「おもしれーじゃん」と興味を持ち、こないだのRoseliaライブのOAでパフォーマンスが思い切り刺さったのでライブは観たかったのだが、流石に残念ながら現地参戦は無理だったので今回も配信でのリアタイ視聴。 せっかくの配信なので、今回は「リアタイで観ながらひたすら感想を垂れ流す」という記録方式を採用し、ほぼそのままここに載せるという意味の分からんフォーマットにしてみた。ライブを観ながら読んでいただければ何かが追えるかもしれないし、何も分からないかもしれない。リアルタイムでパフォーマンスを観ながら漏れた生の感情/感想である。一応「・」(中黒)で個々のツイート(?)を分断してあるが、体裁をあんまりいじってないので見づらかったらご容赦願いたい。
<余裕のある方は、配信のアーカイブを観ながら楽しんでください>
エンディングはあれで固定なのか……第3話。2話目だけの特殊エンディングであってほしかった……。 というわけで毎週確定で乳首が楽しめるようになった本作。まぁ、今週は(今週も)エンディング関係なしに乳首全開でしたけどね。可愛い女の子、おっぱいの大きい女の子もたくさん出てくるというのに、何故脱ぐのはそっちじゃないのか。真の男女平等を目指して、アニメ業界も戦い続けなければなりませんね。 とまぁ、それくらいの話題で折り合いをつけなきゃいけないくらいに何も進まなかった驚きの3話目。引きこもって出てこない上にボトラー疑惑までかかっちゃってるイサミが何の役にもたたなかったため、今回頑張って動いていたのはもっぱらルイスの方。しかし彼も前回「女の子、拾っちゃった」という黄金パターンに入ったと思ったのに、その女の子の正体も何一つ分からないままで終わるという焦らしプレイ。いや、ちょっとずつ分かってることはあるんだろうか。人語が通じないとか、なんか機械じみてるとか、好感度メーターがバグってるとか。わざわざサブタイで名前まで明かしてるのに、その名前すらブレイバーンがてきとーに言ってるだけだから合ってるかも分からんし。なんでブレイバーンが彼女のことを認識してるのかも謎。「善い側」「悪い側」に単純に二分するとして、彼女はどっち陣営なんでしょうね。 もうちょっと進展した箇所でいうと、個人的にはイサミ周りの取り巻きの女の子が順調に個性を伸ばしているのは注目ポイントでしょうか。個人的な推しはやっぱりくまちゃんボイスのメカニックの子ですかね。多分、全員が全員満遍なく変な子だとは思うけど。ここからルルがメインヒロインの座につくとは考えにくいが、この3人のうち誰かがイサミと距離を縮めて「ヒロイン」として独り立ちするタイミングはあるのかなぁ。女の子の描写にちゃんと興味を持ってくれよ……。 そして本作主人公である(?)ブレイバーンは相変わらずいつもの調子だったが、視聴者側も彼のふざけた要素にちょっとずつ慣れてきた。コクピットに液体を流し込むくらいの暴挙はこいつならやるだろうし、水中で呼吸できずに苦しむロボであることももはや大した問題ではない。前回も書いたけど、こうして展開された小ネタの数々が最終的に何らかの伏線になってブレイバーンの正体が盛大に明かされるタイミングが来たらどうしようというのがちょっと不安なくらいである。もしマジでそれやって成功したら伝説になると思う。 エルフブームはまだ続くか、第4話。ここに来てついにフリーレンに比肩しそうな強烈なエルフが登場、エルフバトルロイヤルがあったらこの2人が決勝でしょうね。……多分最初にヤムチャ状態になるのがエルダ様なんだよなぁ(不死だけど)。この度どこぞのデブエルフもアニメ化が発表されたので、そっちの活躍も期待したいところ。 4話目にしてついにバトル要素が一切ないエピソードに。ここまでのお話と今回の麻美子の独白でようやく何となく分かったんだけど、今作はこうして毎回登場する癖のある「勇者候補」が最終的に直接対決で潰し合うことを目的とした作品なのね。直近だと「終末のワルキューレ」みたいな、フォーマットで言えば「ケンガンアシュラ」、そして最大トーナメント形式の作品ということになるが、普通ならキャラが登場後、実際の戦闘中に挟まれるその人物のバックグラウンド解説が事前にこうして陳列されているという状態。 普通に考えたら「バトル大会もの」ってバトル描写が面白いからこそ客の目を引くわけで、それを持ち込まずにただ紹介文を並べ立てていくってのは随分思い切った構成である。それでなお成立しているのは、「ケンガンアシュラ」などとは違い、異世界設定のおかげで1人1人のキャラの差異を思い切りつけることができるおかげ(まぁ、ケンガンだって随分異世界じみてはいるが)。ここまでの4話で当然同じテイストのお話など1つもなく、ある意味で至極まっとうなフォーマットを遵守しつつも、その枠内で出来ることを色々と模索している様子が楽しいと言えば楽しい。ただまぁ、反面「この作品はどこにいくんだろうな……」という不安も常に付きまとってはいるのだけど。 不安がついて回る理由は、出てくるキャラの個性を際立たせているために、あまりに軸が違って並び立つ様子が想像できないからかな。これが「ボクシングと相撲はどっちが強いんだァ〜?!」ならまだ色々と説明のつけようもあるのだが、多分「ギリシャ神話の神と日本の侍でどっちが強いんだァ〜!?」の時点でだいぶ無理があったし、そこにさらに「有能なアサシンと呪文で世界を歪めるエルフはどっちが強いんだァ〜?!」はもう分からんのよ。多分どうとでも強弱の理由はつけられるだろうが、どう説明されても納得感は出しづらい。その辺のあまりに野放図な世界観がちょっと怖いといえば怖い。これまでは一応「武力」の枠内に収まるキャラばかりだったので心配は最低限のものだったが、いよいよ世界を操りそうなキャラが出てきたことで不安がじわじわ滲み出してきた形。もう、こないだも書いたみたいにこいつらのバトルじゃなくてそのまま小話集として終わってくれた方がまだ平穏な気もするのだが……それじゃ終わらない作品なのだろうなぁ。 とりあえず、今回はサービスシーン多めだったこともあり、「高橋丈夫監督って元々エロ畑の人なのだよなぁ」ということを思い出してみたり。みんな忘れがちですが、この人のプロフィールには燦然と輝く「ヨスガノソラ」っていうタイトルがあるのでね。おっぱい先生なんて序の口よ。……もっとエロいキャラばんばん出してもいいのよ。 ところで、最初に出てきたサイボーグっ子の出番少なすぎだろ。 このアニメの方が真っ当な意味でもふもふなでなでしてるよな、第3話。動物の種類はうさぎとクマだけだったけど……こっちの動物の方がもふった時に幸せそう。 というわけで、汚いシートン動物記みたいなお話になったわけですが、相変わらずテンポが良くて勢いがあるので、今期なろうの中では一番忌憚なく観ることができる作品になっている。3話目時点でこれだけの作画クオリティが維持出来ているなら、今後もそこまで大きな崩れは無い……と期待したいところだね。 今作が楽しく見られるのは、やはりなろうではあるがなろう的な要素が薄くて至極真っ直ぐな少年漫画っぽさがあるところで、いわば1話から3話までず〜っと修行パートみたいなもの。最近は本家ジャンプ漫画ですら人気が落ちるというので忌避されているらしい修行パートだが、こうしてちゃんと努力の過程と結果が見え、そこに因果関係が感じられてキャラクターの成長要素に寄り添えるならあって然るべきだと思うわけですよ。治癒魔法の「間違った使い方」は多分「間違ってる」のだろうが、「ダメージを受けてもその場で回復し続けながら殴る」は割と伝統的なキャラ造形の1つであり、ヒーラーというポジションじゃなくても、例えば不死性を持つキャラなんかが似たような振る舞いをすることもある。つまりは描き方次第でだいぶ陳腐に見えてしまうリスクを孕んだ主題のはずだが、今作はその部分をおよそヒーラー職とは思えないローズというバイオレンスクイーンに全て委ねることによって「地獄を見た上で、より高次の恐怖に打ち勝つためにヒール」という謎のモチベーションが付与され、充分にオリジナルな要素になっているのである。 今回の大蛇戦もアクション的見せ場が多く、ファンタジー世界ではお約束というか、一番の盛り上がりになるべき「巨大ボス戦闘」がちゃんと見せ場になっている。最近だと「一撃死のリスクを負った状態での巨大ボス戦」というと「シャングリラ・フロンティア」あたりで割と力の入った映像が見られるが、やはりゲームと現実(?)では必死さも違うし、こちらは熊さん親子の命のバトンという余計なおまけもついている。必死で頑張る主人公・ウサトの下に集うのがエロ可愛い女の子とかじゃなく、もふもふ出来る動物軍団になるならそれはそれで嬉しいじゃないですか。いや、今後ハーレムになる可能性は多分にあるのだが。ちなみに今回仲間になった熊さんのCVが明乃さんらしいです。女帝、なんでか知らんけどこれで異世界は巨大ハムスターに続いてのケモノ実績解除である。そんなポジションか? 中の人の話をついでにもう1つしておくと、今作を見ていて楽しい要素の1つに、実は主人公・ウサト役の坂田将吾がいい仕事をしているというのも挙げられる気がする。まぁ、普通の主人公ボイスではあるのだが、全盛期の石川プロみたいないい具合のノリを感じるのだよね。今まで何となくで名前を認識してたけど、もうちょい注目してみてもいいかもしれない。 なんかこぅ……真面目だよね、第2話。あんまり今作に触れる人もいないだろうと思って、せっかくなので触ってみた。 常日頃「面白かった作品の感想は書きたいし、面白くない作品の感想は書かないよ」とは言っているのだが、この2話目について言えば、別に面白くはない。面白くはないんだけど、なんだか放っておけない愛しさというか、蔑ろにしたくない不思議な感覚がある。多分真ん中にある感情は「なんでこんな売れなそうなアニメ作っちゃってるんだろう……」という憐憫とか畏怖なのだと思うけど。ただ、本当に真面目。なんか、時代劇チャンネルが作りそうなアニメだ。いや、時代劇チャンネルが作ってるんだけど。 真面目要素その1、風俗の描写が真面目。「時代劇アニメ」にするんだったらそりゃちゃんと描写するのが当たり前なのだけど、これまで私がみてきた「時代劇アニメ」ってだいたいが「なんちゃって江戸」とか「なんちゃって戦国」とかだったもんで、あんまりその背景は気にしなくてよかったのよね。「真面目に江戸文化を見ている気持ちになった作品って何かあったっけ?」と思い出そうとしてもパッと浮かんだのは「さらい屋五葉」くらいだ。今作は本当に「ちゃんと時代の変わり目を描くよ」という意識があり、侍という職業がなくなり、世界が激変する江戸・明治期の町人たちの様子が何となく見えてくる気がする。ただ、それがあまり押し付けがましいものではなく「ほら、これ見て江戸文化の勉強になるだろ」みたいな感覚も一切ないのだ(そういう路線はエルダ様がだいぶ強かったな)。別に教科書を見せるわけではなく、しれっと江戸の公衆浴場が描かれると、「あ、そうか、この時代の銭湯ってナチュラル混浴だったんだっけ」みたいな風俗がチラリと見えるし、町人の娯楽である芝居小屋の風景なんかも、「なるほどこんな風だったかもなぁ」と思える。そういう部分が真面目。 真面目要素その2、画作りがそこそこ真面目。よく分からないスタジオが作ってるし、1話目から外注バリバリでクオリティは決して高くない画なのだが、それでも何とか「時代劇にするぞ」という意識が見て取れる。描き方のベースは絶対に実写ドラマの時代劇。カメラワークや見せ方の「お約束」は時代劇そのものから取られているが、それをもっとフィクションに寄せたアニメというメディアの中でも不自然にならない程度には咀嚼されている。1枚画がショボい場面が多かったとしても、例えば渡世人がズバッと刀を一閃して腕を切り落とすシーンが凄みを帯びればそれだけでちょいと目を惹かれる。そういう気配りはどこかに感じ取れるのだ。 まぁ、真面目要素は以上なのだけど……俺にもっと権力があれば、今作を多少はメジャーにできるかもしれないのに。……いや、そこまで応援したいと思ってるわけでもないのだが……なんだろ、この感情。 |
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HN:
Thraxi
性別:
男性
趣味:
声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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