最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
なんなん? 第6話。当方、巨乳は嫌いじゃないですが奇乳はあまり趣味ではありません。まー、今作の場合は完全にギャグだからね……。 引き続き困惑しまくりの今作。前回ほどの「この感情をどこにぶつけたらええねん!」感は無いが、相変わらずガワとして出てくる要素はいちいち頭がおかしいのに、その裏で描こうとしてるヒューマンドラマが意外と真っ当なものなのでどうにもバグる。なんというか、「こんだけの問題作ならそりゃアニメ化もしたくなる……けど、アニメ化できると思わないよな」という理解と不可解がセットになっているような感覚である。連載誌は「コミック電撃だいおうじ」というらしいですが、ほんとにどんな雑誌なのでしょうか。 今回のテーマ(?)はサブタイトルにある通りに「巨乳」。今作の場合はまずもってこのはが巨乳キャラであり、これまでも一応さとこがこのはの乳に言及するシーンもいくらかあったと思うが、「人の心も愛想もない冷徹でどっかズレた殺し屋メガネ女子高生が何故か巨乳属性まで付与されている」という余計なおまけ感が逆に程よい感じではあったのだ。これが露骨に巨乳を売りにするようなキャラだったらこれまた作品性が違うものになっていただろうし、アニメの画面でも、なんとなく「あぁ、そういやこのはっておっぱいでかかったんだっけ」と時々思い出せるくらいでちょうどいい。 そこに、完全にギャグなさとこの奇乳がぶっ込まれる。まぁ、彼女なりの「成長したい」という願望の現れであり、「大きくなる」ことがすなわち成長であるという安易すぎるメタファーとも解釈できるのだが、よりによってその表現におっぱいを選んでしまうあたりが今作の病巣。「背伸びして頑張ってる女の子を、少しずつパートナーが認めていく」なんて女の子どうしのドラマとして非常に良いセッティングだし、今作でも応援できる部分のはずなのに、そこにおっぱい要素が紛れ込んでるせいでな〜んか変な空気になるという。この独特の「ハズし」の感覚、あと何話かみてたら完全にマスターしてクセになったりするんだろうか。 単なるおっぱいバカ話だったら1話限りのネタとしてスルーしてもいいのだが、本作の厄介なところはこんなアホな設定でも次回へ持ち越しそうなところ。そして、前回のロボ子騒動が根強く尾を引いているところ。あの騒動のせいでさとこが焦って変なことやっちゃった部分もあるし、ロボ子と比べられる悔しさから必死に頑張るさとこの見当違いの努力でどんどん転げていく様子も、おっぱい(とロボ)が中心になければ割といい話というか、飲み込みやすいプロットのはずなのだ。でも画面に映るのは無限のおっぱいと、余計なまでの擬音の嵐。「ぜってぇ真面目な雰囲気になんかさせてやらねぇ」という歪んだ情念が表れているかのようである。 そうしてドタバタしながらも必死にコミュニケーションを図るさとこ。色々と失敗しているのは間違いないのだが、一見すると修復不可能じゃないかと思われた「ロボ子を介した関係性」も、ちょっとずつ解決の糸口が見えてきた。興味深いのは、マリンが開発したロボ子があまりにもよくできすぎていたせいで、「常人の数倍の速度で成長していたかもしれない」という可能性が提示されたこと。つまり、このはは短期間でロボ子にぞっこんになって現在でもロスに心を痛めているわけだが、そうして憧れたロボ子という存在は、もしかしたら「さとこの成長した未来の姿」である可能性が出てきたわけだ。目先の便利さや心地よさからどうしてもロボ子の方を選んでしまいがちだったが、その事実に気づけたことで、このは側からも「いつかはあの良き思い出をもう一度作れるかもしれない」というので少しだけ前向きにさとこと接することができるようになった。まぁ、冷静に考えるとそれだってロボを媒介した関係性ではあるのでいびつなのは間違いないが……とりあえずさとこ目線はそれでよしとしておきましょう。 ほらぁ、なんか百合アニメとして成立してる感出してくるーーー。 PR 人類には早すぎるアニメ、第6話。もう、ほんとにね。すでにいいとか悪いとか、面白いとかつまらないとか、そういう次元を超越している。視聴後に「今回はどんな感情を抱くのが正解だったんだろう……」と頭を抱えてしまう、そんなふとしたアポカリプス。 スペースファンタジックデカダントラブアクションファンシーコメディメロドラマ。何1つ削られず、この世界には余計なまでの追加要素が継ぎ足されていく。作中で経過した時間は400年。そりゃまぁ、人類の感覚で言えば何が起こっても不思議なじゃいくらいの長い長い時間が経過しているのだから、そこにどんな要素が増えていってもおかしくはないのだが、いうてアニメとしてはまだ6話。そんな中に盛り込まなきゃいけないことがどんだけ多いのだろう。今回は特殊オープニングでざっくりと切り上げて時間をまかない、30分でやっていい分量じゃないだけの謎ドラマがたっぷりと詰め込まれた。お腹いっぱいなのかどうかすら分からない。我々は食べ物を出されているのか、凶器を突き出されているのか。 冒頭、いきなり「さよならタヌキ一家」というとんでもない出だしから始まり、「あっれぇ? このタイミングでタヌキ退場させるの? しかもそんなあっさりと……」というびっくりを提供し(それよりもオープニングの方がビビったが)、「いや、大したことじゃないんだけどね」と秒で手のひら返し。まぁ、このくらいの扱いの方がタヌキらしいっちゃらしいのだが。ポン子がお仕事やめずにすんでよかったですが、果たして100年分のホテル代をどこからまかなったのだろう。まぁ、今後は一家も「お客さん」じゃなくて「ご近所さん」。こないだのウィスキー作り以降、ヤチヨさんとはそれなりにいい関係を作れているようだし、客という属性がなくなれば、よりフランクに付き合えるんじゃなかろうか。 そうしてやってきた次なるお客さんはなんと「惑星を滅ぼす者」。ポン子の呼び方だとハルマゲ、公式には「凶悪宇宙人」という名前でクレジットされているが、流石に可哀想なので「ハルマゲ」と呼ぶことにしよう。彼はSF的には割とよくある設定の「星の断罪者」であり、進みすぎた文明をリセットすることでそれ以上の悲劇を引き起こさないことを目的としている様子。彼なりの美学があるのだろうし、見方によっては「決して悪い奴ではない」と言えなくもないが、まー、過去の被害規模を考えたらどう考えても「極悪」には違いない。これまで地球を訪れた客の中でもトップクラスの問題児である。 しかし、最初はちゃっちゃと地球を滅ぼそうとしていた彼も、滅ぼすべき文明がすでに無いと言われたら話は変わってくる。一応は「ほんとに問題なく滅びたのかしら?」ってんで実情調査のためにしばらくホテルに逗留するつもりだったかもしれないが、途中からはとても理解が及ばないヤチヨさんへ純粋に興味をもったために滞在していた感がある。彼のポリシーからしたら、進みすぎた文明がアウトということは1つの物事にこだわって維持し続ける行為そのものが理解の及ばぬ事象かもしれないし、そうでなかったとしても、(我々視聴者目線でも)ヤチヨさんの「待つ姿勢」は常軌を逸しているのは事実。その真意が知りたいと思うのは自然な流れだろう。 そして、我々にも理解がおよばぬということは、やはりヤチヨさんの大願はハルマゲにも最後までよく分からない。「そうプログラムされているから」と飲み込めれば話は早いのだが、ヤチヨさんと触れ合い、対話を続けていくにつれ、彼女はものの道理が分からぬ愚か者ではないということも理解できるはず。厄介な客に誠意ある対応を示し、決してマニュアル通りではない接客を見せてくれる彼女の聡明さからすれば、流石に「人類は多分滅んでいるのだろう」ことを理解できないとはとても思えない。だからこそハルマゲは「寂しいのか」「虚しくはないのか」と問いかけるが、ヤチヨさんの答えはいつだって「分かりません」。だっていつか戻ってくる物を待っているだけなのだから。どこまでがプログラムで、どこまでが彼女の「心」なのか。それはまだ、我々が理解できる部分ではないのかもしれない。 結論が出ない問題も面白いものだ、ハルマゲは執念深い復讐者を軽く一蹴し、ホテルを「滅び」から守って再び宇宙へと旅立っていった。置き土産はヤチヨさんの大願の1つである温泉掘削。これでまたヤチヨさんの野望は一歩前進したわけだが、この前進が彼女の「終わり」への一歩なのか、それともハルマゲが望む(?)ような「滅ぼしたくなる文明」への一歩なのか。それもまだ、誰にも分かりません。ただ、少なくとも2人の関係は「恋」ではないのです。ポン子が勝手に1人で盛り上がっていただけの今回の顛末。それでもなお、「恋だね」と煽られると、我々はアンドロイドと末法宇宙人の関係性にすら、そういうものを見出してしまいそうになる。人間の心というのも不思議なものです。ただお湯が出るだけのアンドロイドの方が、よっぽど誠実ですね。 時間を稼ぐために今回はエンディングも特別仕様。なんとも切なく印象深いそのテーマソングの曲名は「アポカリプス」。いつかじっくりフルで聞いてみたい一曲。歌っているのはなんと朴璐美。「なんでここで?!」と思ったが、今回のハルマゲとの関係を思えば……納得? 作中にラブの要素がないので、せめてそっちで匂わせておきましょう。マイティ。
花金なので映画館でも行こうかな、と思って上映リスト見てたら「あっ、やべ、忘れてた!」って思い出したのでちょうど良きタイミングで行ってきた、1年ぶりのVシネクスト。連休中に始まってた限定上映なので、下手したらもうちょっとで終わってたかもしれん、危なかった。一応劇場上映作品なのでネタバレ前に折り返ししておきますが、まぁ、特にネタというネタもなく、かなり王道展開ではありましたね。あ、VSって書いてるけど今回はガチで対決要素はゼロです(ネタバレ)
<ギラさんとか、VS構造組みやすいキャラのくせに……>
展開についていけてません(正直)、第6話。なんなんでしょうねこのアニメ。いや、やりたいことは分かるんだが……どうにも評価に困る。 面白いか面白くないかと聞かれたら、多分面白くはない。表面的に漂ってる変な匂いに未だに慣れていないのが最大の原因だが、なんだか薄ら寒いテンション芸をひたすら塗り重ねられている感じで、会話は終始上滑りしている。ちょっとずつ人間関係が構築されてチーム内での対話に少しは噛み合いが感じられるようにはなってきているものの、それがまだ面白みにつながっていない状態だ。映像についてもCGの悪い部分が先に目につき、特にライブシーンはどうにもそそられない。まぁ、これは楽曲も含めてアイドルとしての方向性が単に性に合わないだけという可能性もあるか。基本がバカを押し出した「キャッチーで楽しいでしょ」路線なので、あたしゃあんまり求めてない文化である。まぁ、駆け出しのアイドルグループってこんなもんだと言われたらそうなのかもしれないので、その辺を「リアル」と言えばそうなのかもしれない。 そうして惹かれる部分はほとんど無いとは思っているのだが、今週も引きは強いんだ。引きってのは当然ラストCパートのたった一言のことで、この「はぁ?」という感覚は3話でも展開された手っ取り早くて確実な話題性の種。悔しいがやはりこういうことをされると気になるのは事実である。いわゆる「フリオチ」としてもよくできており、今回は当然まだ「お当番回」が回ってきてないメンバーを中心とした話になるだろうというのは視聴者側も想像していることであり、主人公のユイナを除けば当てはまるのはチョコとキョウカの2択。そしてキョウカのお嬢様っぷりを積み重ね、彼女の悩みに触れることで「今回はキョウカのお当番回になるのだな」と思わせておいてのラストである。ブラックジャック(袋状のものに砂などを詰め込んだ凶器)でぶん殴られるような、お手軽な衝撃が楽しめる。こうして「フリオチ」の配置を考えれば、普段の薄ら寒い会話ベースにしても「ひっくり返す前の下準備」なわけで、意味があると思えば文句も言いづらい。 また、こうした「とにかく露悪的で強烈な引き」というのは、すげぇ雑に括れば「Ave Mujica」と同種のものだとも考えらる。在りし日のモーティスショックとか、絶対量は違えどショックの種類は通底するものがあるだろう。その上で、今作の「オチ」がなんかイヤな味が強くてどうにも受け入れ難いのは、はてさてどういう理由なのか。 まー、普段の積み重ねかなー、とは思うけどね。「落とすためのガワ」の作りがちゃちくて、ギャップを出したいにしてもインスタントすぎるというのが悪印象の原因かな。どこか依って立つところがないと初めの一歩すら踏み出せないわけで、今作は6話目となる現段階でも、まだベースが掴みきれてないのである。ネタに振り切る展開勝負ってのは、実にハイリスクでハイリターンなものだ。 でもまぁ、ネガティブな言葉を並べてはいるが、「気になった」という事実は覆しようがないし、似たようなフリオチで2回もガツンとやられたのは悔しいがちょっと楽しくもある。どうしても気になるのは、「このままの展開だと同じくらいのインパクトの最終決戦がユイナメインでも待ち構えてないと落としようがないよな……」という部分なのだが、なんとかなりますかね。誰かと小豆島に愛の逃避行する? カサマツ篇、終結、第6話。なんかね、とりあえずこの辺のタイミングで「ちゃんと観てますよ」という表明と、やっぱりちょっとキュンときちゃうところもあったので節目の記事立て。 カサマツラストレース、ウマ娘アニメの歴史を振り返れば、別にそこまで劇的というわけではないレースなんだよ。まぁ、地方なのでどうしたって会場はショボくなるし、終わってみればオグリの独擅場なのでレース的な盛り上がりもそこまでびっくりするようなもんじゃない。ただ、今回のお話を見ていてふと気づいたのだが、今回のレースの動機づけってシリーズ全体を通して結構希少な展開だったんですよ。というのも、ウマ娘シリーズって「新時代の扉」に象徴されるように、ただひたすらウマ娘の本能が勝つために走るっていう大前提があるじゃないですか。今作においてもオグリから迸る野生のパワーとか、マーチの滲み出すような向上心なんかはこれ以上ない例示になっていて、相変わらず「本能と本能のぶつかり合い」のドラマになっている。いつも「単なるかけっこでどう盛り上げるか」と今作に対して問い続けているのも、このモチベーションの部分にすら大きな変化を起こすことができないことも要因だ。 しかし、今回のレースでオグリが戦ったのは対戦相手のマーチでもなければ自分の本能でもない。「勝てば中央・負ければ地方」という条件を出され、自分が愛したカサマツと、そして何より北原との別れを突きつけられたことによって、「勝ちたくない」という自己と戦うことになったのだ。「勝ちたいという本能の否定」は、少なくともアニメ3シリーズを見守ってきた中でも初めての展開である。いや、厳密に言えば我々の心に刺さりまくったライスシャワーの物語がやや近い構造にはなっているが、彼女は「世間の目」という吹き飛ばすべき「壁」が明確だったのに対し、今回のオグリは本当に「自分の都合」での葛藤なのが苦しい。 普通のレース漫画、いや、スポーツ漫画の枠でみれば「試合の盤外で何かしらの条件を突きつけられて苦悩する主人公」なんてのは話作りの基本中の基本だが、こと「ウマ娘」というシリーズにおいては、誰がなんと言おうと1位を取りたいというのが全員共通の目標すぎて、そこを揺るがせにはできなかったのである。 そんな「ウマ娘の基盤」を破ったのがまさかのオグリ。最も勝ちに貪欲で、余計なことを考えないタイプの主人公だと思われていたオグリが、まさかの「しがらみ」に悩まされてしまうというこの展開。これは別に良いとか悪いという話ではなくて、「そうかぁ、これが長期連載を必要とする連載漫画ならではの筋立てなのだなぁ」と妙に納得した次第。本家のソシャゲの方ではこうしたモチーフがどれだけ扱われてるかは知らんが、少なくとも原作漫画を読んだ時点ではその特異性に気づいていなかったので、此度の放送を見て、「既存作品との差」が認識できたのはちょっと面白かった。 まぁ、そんな話はどうでもよくて、とにかくオグリはみんなに背中を押されて中央に行く。大切な仲間、最大のライバルから託されたものをたくさん持って。オグリを引き止める要因でもあったマーチが、最終的に一番のオグリの力になってくれる展開はやっぱりアツい。マーチだけで切り取ると今回のドラマって本当に残酷なのだけど、それでも彼女は挫けないのよね。他方、ノルンはだいぶ挫けてる。こんなにも分かりやすい転げ百合もなかなかないので、なんとかこの先ノルンにも幸せな未来を与えてほしいですね。 どういう世界観なんだよ(今更)、第6話。相変わらず怒涛の展開が続くのだが、今回は(も?)バックボーンがよく分からんから「どゆこと?」という気持ちの方が強かったお話。結局「信頼値」の謎がまだ解けてないのよね。八幡海鈴さんが気にしそうなパラーメータだが。 主人公ヤンチョンは前回子供を誘拐から助けたことをきっかけにヒーローとしての能力(信頼?)を発動。これまでの人生ではずっと「信頼値ゼロ」という足枷をつけて生きてきた彼にとっては初めての出来事であり、憧れの女性・シアチンからも認められ、我が世の春を謳歌することに。いや、シアチンとの関係性はまだそこまで完璧に繋がってるわけではないのだが……間にシャンチャオという微妙な間男(失礼だなヲイ)が入り込んでるので2人のがお互いに好き合ってるかどうかも定かじゃないんだよな。 で、もともと「魂電のスーツアクター」として仕事をしていたところに事件が降ってわいたせいで「魂電の2代目」として世に広まった彼の名声だが、当然、いきなりそんな後追いが出てきて元祖魂電がいい顔をするはずがない。というか、普通に考えてそんなことが認められるわけもない。悪意がなかったとはいえ、ヤンチョンがやってることは他人の威名を勝手に借りての後追い。素顔を晒しているので詐欺行為ではないかもしれないが、いうたら著作権侵害とかそういう問題に関わってくる話。ヤンチョン自身もかつて魂電に助けられて憧れていた側面もあったのだろうし、ここで魂電の活動の害になるようなことをしでかすのは望んではいなかったはずだ。そのくせ、シャンチャオたちとよってたかって「新魂電」を作り上げる動きには逆らっていない。これがこの世界では認められている行為なのか、それとも身勝手な悪行なのかは作品を見ていてもよく分からないのだ。 まぁ、あんだけ大衆から支持を受けてるってことは作品世界内で彼の動きにそんなに問題ないんだろうな。勝手なネームバリューの剽窃なんて、普通に考えたら一発でアウトだと思うのだが、どうやらそれを「悪いことだ」とする認識はこの作品世界には一切無い。これを中国的な権利思想なのだと思っちゃうのは……流石に偏見がすぎるだろうか。なんかこう、「海賊版でも流行ったもん勝ち」みたいな道徳観念が根底に横たわっているようでちょっと抵抗があるのだ。 もちろん、これは現実世界のお話ではないのだから、もしかしたら「そういうことしていい世界」なのかもしれない。特に「ヒーローとして信頼されているスキルの発現」はこの世界でしか起こり得ないことなので、現実の倫理観を持ち込んでもしょうがない。勝手に想像してみると、「人々の信頼に応じた能力が付与される」という世界であるなら、ヤンチョンはたまたま最初に魂電のスーツを着て捕り物に参加したため、「魂電として」認められてしまったという可能性がある。その場合、本人が望もうが望むまいが、彼は魂電っぽい能力しか使えず、魂電(の亜流)として活動するしかない。そして、世の中にそうしたヒーローがいくらかでも存在するなら、何かしらの「継承」制度みたいに、この世界では「勝手に属性を名乗る」ことを悪事だとみなしていない可能性はあるわけだ。まぁ、その場合に今度は元祖魂電の反応がちょっと浅慮だろ、という話にはなっちゃうので、どこかしらほころびはありそうなのだが。 まぁ、とにかくこの世界における新魂電は「無罪」と断言されたのだからこれ以上は考える意味はない。さらに露出が増えていけばますます信頼値が上昇し、お飾りになりかけている元祖魂電を抜き去ってヤンチョンがランキング入りを果たす可能性だってあるわけだ。この世界における世代交代がそう言う形だとするなら、致し方ない話だろうよ。 ただ、やはりそうは問屋が卸さない。最後に狙撃されたのはまさかのシャンチャオの方。これはプロモーターを狙っての計画的な犯行なのか、それとも、偶然シャンチャオがマスクをかぶっていたせいで魂電本人と間違えられてしまったのか……まぁ、どっちにしろやるせない悲劇ではある。あんだけゴツいヘルメット装着してる相手の頭を撃ってくれる狙撃犯、むしろ親切なのでは? 「方言女子が言うならそうなんだろうな」←分かる、第5話。そうなのです、方言女子には、宇宙人ですら説明できない、不思議な力が込められていると思います。ことに私の憧れの地でもある北陸(素敵な声優を多数輩出していることから)の方言ともなると良さもひとしおですね。個人的にはアニメの中で好きな方言キャラといえば、たとえば朝日六花さんとかがいます。あと祐天寺若麦さんも好きです。 前回はサブタイトルが天空橋だったが、今回はちゃんとムームーが戻ってきた。今更気づいたんだけど、番組冒頭に表示されるワーニングがムームーからのメッセージになってて「この作品はフィクションだムー」って書かれてるの、宇宙人が必死にフィクションであることを取り繕って真実を隠蔽してる感があっていいですね。ただ、実際には今回もそこまでムームーの活躍シーンはないのだけども。 Aパート、サブタイ通りにエアコンのお話。どうにも桜子の通っている大学の文化部連中は必要以上に濃い奴らが揃っているらしく、天空橋が外出していても部室棟はほんとに賑やか。今回エアコン修理の依頼に来たやつ、一切自分の素性を名乗ってなかったのだが、衣装と言動からして落研の部員ってことでいいんでしょうかね。なんでそいつらが「子供向けのカードゲーム大会」の主催として動いてるのかは全くわからないですけどね。単に趣味なのかしら。エアコンの修理なんて、家電の中でもそれなりに難しそうな課題で「プラグの断線修理」→「ハンドミキサーのモーター改造」から一気にレベルが跳ね上がる。致命的な故障だったらそれこそ業者に頼まないとアウトな案件だったはずだが、幸いにしてそこまで大したトラブルではなかった。「室外機をないがしろにしたせいで故障っぽくなった」は、実際にあり得そうなレベルのトラブルだったし、これを桜子が1人で解決してみせたのは彼女の成長が如実に分かる良い展開である。まぁ、周りの文化部連中が頼りなさすぎだろ、とは思うが。 そしてそんな中でもダントツの頼りなさを誇るのが、なんとも珍妙な存在であるアキヒロ。そりゃまぁ、男の子だからってみんなして機械に強いわけでもないし、現代っ子だからって最低限の技術力を身につけてるってこともないのだろうが……それにしたって、世捨て人みたいな機械音痴っぷりだった。「アナログなカメラの使い方が分からない」は接点が無ければしょうがないけど、「単三と単四を知らない」は割とやべぇし、「その上で単四のボックスに単三をねじ込もうとする」はだいぶイカレたムーブ。桜子さんも親近感を覚える前にちょっとなんとかしてあげたほうがいい。まぁ、相手役が底抜けの機械音痴だからこそ、桜子さんがゆっくり成長する姿も見栄えがするということなのだろうが。とりあえず、今回の一件で文化部棟全体で桜子の知名度が上がっただろうから、結果オーライということにしておこうか。ちなみに、今作の良きところの1つに「背景美術の丁寧さ」が挙げられるのだが、ことに部室周りの殺伐とした風景は異次元のごとき描写になっているのでこれまた楽しいぞ。 Bパート、突如脳天に穴を穿たれた天空橋。普通に考えたら即死案件だが、ムームーたちの技術力が高かったからか、単に天空橋のタフネスがイカれてるだけなのか、大ごとには至らずにすんだらしい(だいぶ大ごとだろ)。ついに動き始めたムームーの「同胞」の動きは気になるところだが、現段階では分からないことが多すぎるので気にしてもしょうがない。 それよりもレントゲン。これまた「なんかよく分からずに使っている」機能の1つではあるな。そりゃまぁ、X線がなんたるかってことは初歩の化学で学んでこそいるが、冷静に考えるとラジオとテレビとWi-Fiとレントゲンと電子レンジが全て同じ電磁波を運用するための機械で、同じ現象を異なる使い方に回しているだけ、というのもにわかには信じられない話かもしれない。こういう「言われてみれば」を掘り下げてくれるところが今作の面白いところでもあるし、そんな「ほんとだけどなんか嘘っぽすぎる」原理を説明されてテンパるムームーを見るのも面白い。私はね、実際に携帯電話が普及した初期には「携帯電話の電波は人体に悪影響を与えるかもしれない」という言説を完全には否定しきれず、しばらく携帯電話を持ってなかった人間ですからね(今でもスマホを胸ポケットとかの心臓近くにしまうのはちょっと怖い)。彼が電磁波滅すべしと躍起になった気持ちは分かるのですよ。 最終的には電子レンジの便利さには勝てない、という安心のオチではあるんですが、あの勢いで分解されて、流石に天空橋でも修理できない気がするし、できたとしても桜子は実費を取られるわけで……そろそろ家計がジエンドなのでは? 色んなテロをくらってしまった、第5話。Aパートが飯テロ、そしてBパートがホラーテロである。 Aパート、なんでああいう田舎の観光地で売ってるハムとかソーセージっておいしく見えちゃうんだろうというお話。わたしゃ八ヶ岳は行ったことないんだけど、たとえば軽井沢なんかは人生で1、2回行ったことがあるのさ。あとは地元がクソ田舎なので帰省自体も似たようなニュアンスになることがあるし、そもそも住んでるのが観光県なのでいろんなところでそういう「名産品」に出会うことになる。ほんで、すごく欲しくなる。あれってさぁ、すげぇみっともないこと言うようだけどあんまりコスパ良くないんだよね。その辺のスーパーで売ってるソーセージよりは絶対に上手いんだけど、その辺のスーパーのソーセージでもそれなりに満足できちゃうからさ、4倍5倍とかの値段で買うのはどうしても、ね。でも買っちゃう。あの魔力はなんなのでせう。 というわけで、今回は春乃改めハム乃がそんな煩悩を体現したかのように肉類を買いまくる。ついでにうまそうなカレーも食べる。時間が時間なのでダイレクト飯テロ。勘弁してください。数年前まで近所に良きシャルキュトリーがあったからどうしても欲しかったらそこに走ってたんだが、もう閉店しちゃってるから近所でこの欲求を満たすのが難しいんだよぉ。デパ地下とかいくしかないかなぁ……。お腹すいた……。 ちなみに今回のお話で気になったのはたいしょうの存在である。どう考えても猫の行動範囲じゃねぇんだわ。一応、以前彼の行動範囲の広さは示されていたので遠く離れた地で遭遇するというギャグも成立するはするんだが、一度はそこで「飼い主として」名乗りをあげて拾ってロープウェイにまで乗っちゃった猫を、そのまま現地の放置してくるのは責任問題なんじゃなかろうか。まー、すぐ帰ってきてたからなんの問題もないんだろうけども……。みんなが住んでる甲府と清里の距離はざっくり4、50キロ程度だそうです……流石に厳しくね? 余談ですが「清里」という地名には全く縁もゆかりもありませんが、「桃鉄で手作りハムの店がある駅」という印象だけがあります。初期はかなり収益率がよかったのよね。 Bパートはホラーテロ。「この程度の怪談話でテロも何もないやろ」と思われるかもしれませんが、以前もどっかで書いたんだけどわたしゃホラーと名のつくものが全て、超超超超超超苦手。どんな些細な怪談話でもその日の夜に寝る時に支障をきたすレベルなので、今回のお話がギャグじゃなくてしっかり怪談だったせいで充分なダメージを食らっている。怖い。山梨の観光スポットを紹介する作品のくせに、特定のスポットをがっつり怪談に絡めていいのかよこんちくしょう。またバスとトンネルとか定番中の定番だしさぁ……何ギャザリングだよ。今後山梨界隈に行く用事ができたとしても、あのトンネルはできるだけ通りたくありません。……でもなぁ、だいたいのメジャーなトンネルって怪談話はつきものなんだよなぁ……。 怪談のついでに春乃の日常も色々と垣間見られたし、謎の人脈の広さも明かされた。今回登場したクロクマ先生、CVはまさかの羊宮妃那である。猫だったり鳥だったりクマだったり羊だったり、なんともアニマルチックな作品。 結論:みんな猫が好き。猫みたいな上田麗奈はもっと好き。 流石にカップ麺多すぎない? 第6話。もう、どこからどこまでが夢と現なのかがよくわからなくなってくる景色。 だいぶ言及が具体的になってきたかな? 今回は蛇沼院長サイドの掘り下げが多かったおかげで、九龍についての具体的な進展があった。とりあえずこれまでなんとなくぼかしてはきたが、やっぱりクローンの存在は公然の秘密っていう扱いになりそう。鯨井さんとかグエンがその具体例ではあるが、こないだ実験がてら消滅しちゃったおじさんなんかもいるし、案外九龍にはクローン的存在が多く配置されている? そしてそれらを蛇沼院長(もうみゆきちゃんて呼びたくなってきたけど)らは「ジルコニアン」と呼んでいる。なるほど、これまで「ダイヤモンドのレプリカ」として象徴的に「偽物」の代名詞となっていたジルコニアが、ここにきて正式名称として取り上げられるわけか。 そのジルコニアンの作り方もなんとなく説明されちゃった部分で、なんとジェネリックテラ(通称ジェネテラ)には人の記憶が保管されているという。クラウドにデータ保存して管理してるバックアップ装置と同じであり、人が死んだり、記憶を失った場合にもジェネテラからダウンロードすればその記憶は担保されるとかなんとか。そんなうまくいくもんかとは思うが、実際にジルコニアンの記憶がそこから捻出されているのだとしたら、この世界の技術レベルはそれが可能なくらいには進歩しているということ。まぁ、ソフト(記憶)が戻ったとしてもハード(肉体)はどうやって作ってるんだというのは相変わらず気になるところだが……それこそ「クローン」なんでしょうかね? ここでの「クローン」という言葉はあくまでも比喩としての呼称であり、「細胞を培養して物理的に生み出したコピー品」ということまでは意味しないと思ってるけど。 そうして「クローンが作れます、九龍にはそれがいっぱいいます」が事実だと認定されたとしても、実はまだよくわかっていないこともある。最大の謎は、「記憶を残すことが目的のコピー品」であるなら、鯨井さんが九龍以外の記憶を持たないというのはおかしいはずなのだ。元々鯨井Bという「オリジナル」が存在し、彼女がこれまで生きてきた人生をコピーして作ったのが現在の鯨井令子なのだとしたら、彼女の中で記憶の齟齬は生じないはずだし、余計なことをせずとも工藤との記憶はたくさんあったはず。それがないということは、①鯨井ちゃんはクローンとして欠陥品 ②そもそも鯨井ちゃんはクローンではない の2択だと思うのだが……どうなんでしょうかね。それ以外にも九龍城が見えるだの見えないだの、多分ジルコニアンの作り手側にもコントロールしきれてない現象が色々と起こってるんだろうな。 結局、鍵を握るのは工藤なのだ。彼は鯨井Bの顛末を知っているはずなので、それを聞き出すのが一番手っ取り早いのだが……結局その辺はずっとうやむやなんだよなぁ。鯨井さんが直接「私はクローンなんですよね。知ってます」と言ったことにより流石に工藤も一歩前に進む必要が出てきたとは思うのだが、これが2人だけの関係じゃなくて九龍全体を巻き込むような話だったら簡単に決着はつかないし……。カップ麺の味と同じくらいに謎だ。
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HN:
Thraxi
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声優のこと全般
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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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