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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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12月17日 ドラフト模様(SOM×3)

ピック順 【Serra】→【Sangriter】→【Thraxi】→【Newcomer】→【Alessi】

 寒いですね。我々がドラフトをやっているブースもあまり暖かい環境とはいえないので、この時期はかじかんだ手を温めつつのドラフトになります。いや、別にそこまで寒くないんだけども。むしろ寒いのは私の神話レア事情ですよ。それなりに少なくない回数のドラフトをやっているはずなのに、ここ最近全くプレインズウォーカーさんの顔を見ていません。前の環境ではギデオン先生がちょろっと出たけど、他の連中はうんともすんとも言わないんだよなぁ……ここまでのピック表を見直すと全てのレアが分かるんだけど、神話枠だと「ワームとぐろエンジン」3体、「白金の帝像」3体、「ゲス」さんと「水銀のガルガンチュアン」もそこそこ多いな。……どこにいるんだ、ペスさんコスさん。


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  鬼のような作品であった。脚本家泣かせで監督泣かせで、アニメーター泣かせで、そして視聴者泣かせ。ここまで身を切る覚悟が無ければ完成を見ないアニメ原作というのも、希有な存在である。

 個々のエピソードについてはくどいほどに各回の感想で書いているので総論のみになるが、終わってみればかなり楽しめた作品であったのは間違いない。キワモノ作品にありがちな「特異な演出だけは見応えがあった」とか、私の感想にありがちな「中の人の声だけ聞いてれば幸せだった」とか、そうした一面的な価値ではなく、きちんと総合技術としての「アニメーション」としての完成度が高い、見どころの多い作品であったと思う。

 この作品をアニメ化するにあたって、最も苦労したのはシリーズ構成・脚本を組み立てる人々であろう。月一の1時間枠というのは、普通のアニメシナリオになれてしまった熟達者であればあるほどに異質に見えたであろうし、30分という枠に慣れてしまった視聴者にとっても、1時間の「長丁場」をダレることなく見続けられる脚本の線など分かるはずもない。そんな中で、「原作本まるまる1冊分」からアニメ脚本を再構築する作業は、並大抵の苦労ではなかったはずだ。当初は「月一で発売されてた本を月一のアニメにすればいいんだから楽じゃない?」とか考えたりしたのだが、この作品は残念ながら、西尾維新の作品なのだ。通り一遍の技術でアニメになるはずがないのである。シリーズ構成の上江洲誠氏を始め、脚本を担当した待田堂子氏、長津晴子氏にはとにかくお疲れ様と言わねばなるまい。

 その上で、脚本をどのようにアニメに落とし込んでいくか、という部分は、実にチャレンジングな物作りが試みられている。最も顕著だったのは田中基樹の手による第7話だったと思うが、それ以外にも小松田大全や小林智樹など、多芸な演出家たちの手によって「台詞アニメ」であったこの作品に艶と味が付け加えられ、毎回異なった楽しみ方が出来た。もちろん、統率者としての元永慶太郎監督は言わずもがな。画面の質についてはあまり触れられる機会のない作品ではあったが、癖の強いイラストレーションを毎回安定した質で提供してくれたWHITE FOXの1年のがんばりにも賛美を送りたい。とにかく、スタッフの実力と、愛に恵まれた作品であった。

 1ヶ月ごとに1時間枠で1本、というスタイルは色々な事情と思惑があって実現したスタイルではあると思うが、その試みは充分成功していたと見ていいだろう。ステロタイプな王道パターンを心得ながらも常に捻くれる西尾維新の作品そのものが、「区切らずに1話を1本で」やる前提のスタイルになっており、その意志を十全に再現するには、この方法しかあり得なかった。時間的な余裕もあって質が落ちなかった部分もあるだろうし、今後のアニメ放送のスタイルサンプルとしては興味深いものだ。昨今は、WEB配信などの様々な形態が模索されるアニメ業界の過渡期とも言える時代。その1つの先例として、悪くない結果を出したのではなかろうか。放送本数や放送時期など、財政的な問題で不必要な労苦が多いアニメ業界において、「無理を減らして作品の本質を掘り下げられるスタイル」というのはそれだけで価値があった。なかなかこれに追従することは難しいと思うが、今後もこうした「既存のスタイルに縛られない」作品作りに期待したい。

 少し作品内部のことにも触れておくと、「一月に1本の刀を手に入れるために、一月に一人の敵キャラを倒す」というシンプルな構成のおかげで、各々のエピソードに魅力的なキャラクターを丁寧に配することが出来たのが根源的な強み。刀の所有者であげると、2話で登場した宇練銀閣と10話で登場した彼我木輪廻が印象深い。全てのキャラクターが、ちゃんと「七花の成長物語」という大きな縦のラインにちゃんと絡んでいるという構成も心得たものである。全てのキャラが愛らしかった真庭忍軍の中でも、初登場でインパクト絶大だった蝙蝠は最高の敵キャラだったし、人鳥と鳳凰は最後まで作品を盛り上げてくれた名バイプレイヤー。そして、メインキャラクターである七花・とがめ・否定姫・右衛門左衛門。七花は最初「あんまり魅力的じゃないなぁ」と思っていたのだが、とがめとの相乗効果からか、終わってみればなかなか味のある「主人公キャラ」に成長していた。個人的にお気に入りだった否定姫も、ぶれない生き様が実に魅力的。こういう阿漕なキャラを作らせると、悔しいけど西尾維新のセンスってのは妙に刺さる。そして、そんなキャラクターたちの中でも一番のお気に入りは鑢七実である。男の子はね、やっぱり最強キャラには無条件で惚れるもんなんですよ。

 当然、キャラが盛り上がったということは、私の視点は「中の人大フィーバー」ということ。本当に毎回名前を挙げているのでよく飽きないものだと我ながら感心するが、戸松遥、田村ゆかり、小山力也に置鮎龍太郎。こんな異様な世界の中で、よくもまぁ、活き活きと動いてくれたものです。でもMVPはやっぱり中原麻衣のもの。次点は……インパクト重視で鈴木千尋かな。ちーくんは本当にお気に入りなんですよ。

 のんびりと1年間付き合ってきた全国行脚の12話分。終わってしまうのはとても寂しいが、長丁場で引っ張っただけの意味は充分にあったし、期待以上に楽しませてもらいました。是非とも、このスタッフでまたこうしたチャレンジングな作品が見たいものです。

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 もう、なんだかよう分からなくなってきた第11話。慶彦のキャラ描写がブレ過ぎてるからどこに感情移入して見たらいいのか判断出来ない。

 前回あたりもあまり盛り上がったように見えなかった本作だが、今回はなんと、1話まるまるかけてやったことが慶彦との問答だけ。その間に宗朗が覚醒したり、義仙の手引きで天草四郎が復活の予兆をみせたり、クライマックスといえばそうなのかもしれないが、実際のバトルで一番花を持たせてもらったのはダルタニアンだったし、慶彦のポリシーが何とも捉えにくい状態のままなので、彼の大望が正しいようにも見えるし、妹の千姫にすら愛想を尽かされた最低の男のようにも見える。脚本でもそうした二面性を描こうと思っているのだろうが、なんだか「1人の人間が持つ二面性」というより、単に「慶彦がその場の気分次第でちぐはぐな行動を取っている」ようにしか見えないのである。

 まず、宗朗サイドから見た「徳川喜彦」。サムライの立場にある幸村、千姫、十兵衛からすれば、今回の慶彦の態度はまさに最低野郎と呼べるもの。自分を慕って必死に仕えるダルタニアンを罵倒し、彼女の真意など解する様子もなく一方的に使い捨てる彼の態度は、どう考えても擁護出来るものではなく、これまで身内の情に揺れていた千姫ですら反発を強めてしまっている。十兵衛はそうした嫌悪感を最もストレートに表しており、「気にいらねぇから天草軍勢などどうでもいいんでぶちのめそう」という姿勢がはっきり見て取れる。

 ただ、そんな十兵衛たちと少しだけ違うスタンスなのが宗朗である。彼はあくまで慶彦を「将軍」として立てており、彼の不遜な態度も国を思ってのものであって、腹を割って話せばちゃんと伝わると信じている。結果的には望むようにはいかなかったが、彼の「臣下を信じろ」という思いが極限まで純化され、信頼に足ると思っていた慶彦に現実を覆されたために、自らの内にあった将としての資質を覚醒させることが出来た。

 そして、どれだけ悪し様に罵られようと、過去の想い出を信じ、将を守り続けんと死力を尽くすダルタニアン。一度は慶彦に抵抗を見せた彼女だったが、最後は自らの想いに殉じた。そこに残された信頼関係は、出会った頃の本当に些細でどうでもいい記憶。結局、ダルタニアンはただの愚かしい女でしかなかったが、他人への思いを貫く力だけは、誰よりも強かったというわけだ。本当に、仕える将さえ間違わなければ、といったところである。

 そして、当の慶彦は基本的に最低の人格ではあるのだが、一時の興味から親交を深めたダルタニアンという1人の女性のために、最後の最後で何か大切なものを取り戻すことは出来たようだ。確認しておくが、彼の「国を想う気持ち」は本物である。あくまで最大効率を持って敵対勢力に当たろうとする際、彼の世界の中では、「サムライとの忠義関係」が不必要であっただけなのだ。もちろん、それが人として正しい姿だったとは思えないが、ダルタニアンがいてくれたおかげで、わずかでも救いの道が残されたのは幸運といえるだろう。

 一途なダルタニアンのおかげで何とか美談には昇華された今回のお話。ただ、やっぱり回想が挿入されて彼女の想いの末路を描くには、いささか唐突すぎたし、押しつけがましさは消せない。慶彦が「本当に最低の男なのか」という部分もぶれてしまい、そのとばっちりで、宗朗の覚醒もイマイチ説得力の無いものになってしまっている。もっと物語の核心部分に十兵衛の存在が食い込めば、宗朗の成長物語としても見るべき部分が出た気がするのだが……なんだか勿体ない話である。

 話の筋がイマイチな分、今回はダルタニアンと十兵衛という最大戦力のぶつかり合いのバトルがそれなりに面白い。墨汁の色によって攻防が表現されるのはこの作品独自の持ち味で、次々と墨汁の色を変えるダルタニアンに対して、黒一色で挑む十兵衛のスタイルが格好いい。斬撃が墨の痕跡で残る演出なんかも、動きの激しさが目に見えやすくなる面白い効果といえる。せっかくの「サムライ」ストーリーなんだから、もっと剣で語るパートを増やせば良かったのにね。

 でもまぁ、今回は十兵衛と十兵衛の会話パートとか、相変わらずのあおちゃん劇場が聞けたので満足としましょう。

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 長かった1年の決着、最終話。長かったとはいっても、実質普通のアニメで言えば24話分の尺ですが……やっぱり、ゴールしたなぁ、という感慨があります。

 今回のエピソードの中で起こった事件は、たった1つ。それはもちろん「奇策士とがめの死」である。先月狙撃シーンで幕を下ろし、まさかそのままということも無いだろうと思っていただけに、あまりに真っ直ぐそちらへ向かったのは正直ショックだった。これだけ様々な場面で「最強」であることを話題にし、「最も賢い」ことを誇ってきたとがめと七花。その2人が、為す術もなく「死」というあらがえぬ現実に打ちのめされる姿は、じわりじわりと物語の終幕を伝えていく。

 「とがめが死ぬ意味」については、いかにもこの作品らしい話ではあるが、末期のとがめ自身が全てを語ってしまっている。とがめ自身から見れば「駒という存在からの解放」であり、その死をもって奇策の完成となす。もしあのままとがめが生存した状態で尾張城へと乗り込んでいたならば、七花は幕府軍に敗れていたであろうし、最終目的である「歴史の改竄」には到達しない。そして、もし無事に目的を果たしたとしても、とがめがとがめであり続ける限り、いつかは七花を「駒として」殺す日がやって来る。それを避けるための手段は、「とがめの死」以外には無かったという。実際には、今の2人の関係を見れば決してそんなことはないのだろうが、それが「とがめの死ぬ意味」として、最も優しい解答であった。「自らの死を策と成し、成就した後にはお互いに駒である必要がなくなる」。己を含むあらゆる事物を奇策の手駒として使い続けてきたとがめの、文字通り命を賭した最後の奇策。この結末こそが、とがめにとって、七花にとって、否定姫にとって、右衛門左衛門にとって、そして世界にとってあるべき姿ということか。

 「とがめの死」を受けた七花は、駒としての役割、刀としての役割から解放されるのと同時に、あらゆる目的を失う。残された道は「死」への1本のみ。これまでは「自分を守れ」とのとがめの命があったからこそ選択できなかったその進路を、今ならば気兼ねなく取ることが出来る。そして、それを叶えてくれる人間は右衛門左衛門をおいて他にはない。最後に残された虚刀・鑢は、全ての刀を越えて、完了形へと至る。

 奇策士の死は、否定姫と右衛門左衛門の最後の一手。七花の動きまでを全て読み切った上での行いだったのかどうか、今となっては闇の中であるが、否定姫の大願と、それを叶えるために動き続けた従僕の願いは、最後まで果たされることなく終わった。つまり、最終的に「奇策士の死」は、単なる「奇策士の死」でしかなかったわけだ。

 あまりに何の変哲もない単なる「終幕」は肩すかし以外のなにものでもないが、考えてみれば「ま、そうなるか」という、妙な得心が残る。最大の関心事は「はたして七花はどのような精神状態になり、どうやってこの先を生きていくのか」という部分だが、とがめのいう通り、彼女は七花にしてやるべきことは全て託し終わっていた。そして、本人が自らの死を悲嘆していなかったのである。ならば、七花はこの喪失を、単なる悲劇と受け止める必要も無い。「やりたいことをやれ」という最後の命令には「ただただ悲嘆に暮れ、残りの人生を棒に振る」という選択も可能だったわけだが、それが最愛の奇策士の望みでないことは、いかに七花とて理解出来たはず。自分を除けばとがめの最大の理解者であったであろう否定姫との珍道中は、彼の中でも、自然に受け入れることが出来た「次の物語」であったのかもしれない。

 終わってみれば「なんじゃそれ」と投げ捨てることも出来る、テキトー極まりないエンディング。こけおどしの尻すぼみ作品とこき下ろすことも出来ようが、どうも、そうすることも作者の狙い通りのようで気にくわない。「終われなかったこと」「終わり方が分からなかったこと」、それがこの作品の「幕引き」だったのではないか。「尾張城を真っ二つに切る」というビジュアルに、「おわらず」という右衛門左衛門の声が聞こえてきそうなのは、あまりに穿った見方であろうか。

 メインシナリオでは色々と思うところもあるが、その他のパートではこれまでの集大成と言えるおふざけと苦心がいっぱい詰まっている。序盤で延々続いたとがめとの分かれのシーンは、いかにもこの作品らしい、一切の場面転換のない長口上のパート。作品が始まった時にはどうなることかと思った空気を読まない長台詞も、今となってはごく当たり前の光景。じわりじわりと死に歩み寄っていくとがめの様子に、悲しさも伴いつつ、どこか穏やかな収斂を感じさせる。

 これまで集めてきた刀を丁寧に破壊しつつ天守閣へ上り詰める戦闘パートは、ジャンプ漫画の王道展開のテイストを残しつつ、皮肉たっぷりのネタ仕込みが憎らしい。絶刀・鉋をあっさりと叩き折ったり、賊刀・鎧を苦もなくぶっ壊してみせた七花に理屈抜きの力を感じ、王刀・鋸や誠刀・銓のパートでは「ま、そりゃどうしようもないよな」という肩の力の抜けたギャグも交える。どう考えても「塔登りバトルパターン」なんて実現できないはずのセッティングなのに、敢えて最終回だからっていうのでそれをやってのける根性と底意地の悪さに溜息が出る。いちいち名前つきで登場する敵キャラが全然分からなかったのはご愛敬だな。誠刀・銓をもってた奴とか、なんで幕府直属の11人に名前を連ねていたのかさっぱり分からんな。

 最上階での右衛門左衛門との戦闘。一応「ラスボス戦」ということだが、もうここまで来たら理屈抜き、とにかく「なんかすげぇことが起こってる」感が出せればそれで充分という姿勢。野暮はいいっこなしで、とにかく「強い者が強い者に負けた」のである。

 そして、全てに決着をつける否定姫との初会談から、エンディング。対面したことすらほとんど無い否定姫と七花だが、当たり前のように会話が成立しており、この2人の関係性の最終形態こそが、とがめの作り出した結末であることが伝わってくる。最後の最後まで否定姫というキャラクターは一筋縄ではいかない造形だったのだが、様々な心中を暗示させる細かい台詞回しが心憎い。

 右衛門左衛門戦の前に「姫様、あんた……」と口を開きかけた七花。のちの展開から、彼はそこで「とがめのことが好きだったのか」と問うつもりであったことが分かるのだが、彼女はその質問を押しとどめさせている。右衛門左衛門との勝負の前に、「それ」を聞かれることは七花の姿勢に影響を及ぼすためだ。あくまで「勝った七花」こそが彼女と心をかわす権利を持つのであり、その前にとがめとの関係性に答えを与えることが出来なかったのである。また、右衛門左衛門の最後の言葉を伝えられた時に、彼女は一笑に伏したわけだが、その時に口から出た言葉は「否定」ではなかった。「案外否定的」な彼女であるが、ラストシーンの頭飾りを見て分かる通り、右衛門左衛門との関係性だけは本物であったわけだ。

 そして、最後の一撃を見舞う七花の、渾身の「ちぇりお」。時代の改竄こそうまくいかなかったわけだが、奇策士唯一の望みである「ちぇりお」については、長い長い時を越えて、この現代に結実した。そして、右衛門左衛門戦では「いつ言うのだろう」と思って身構えていた「だがその時、あんたは八つ裂きになっているだろうけどな」が、何故か最後に否定姫に向けて放たれる。右衛門左衛門戦においては、七花は「自分を守れ」などのとがめとの約束事をことごとく破ることで勝利しており、その約束事には、毎回きちんと守っていた「決め台詞を言うこと」も含まれていたのだろう。記録者であるとがめの死をもって、彼はその台詞を言う必要がなくなったはずである。しかし、最後の最後で、彼は否定姫に向けてその一言を使ってみせた。自身の人生が、まだどこかで記録されるのかもしれない。もしくは、自分自身の記録は、ちゃんと残しておく方が良い。そう思えば、彼は「最後に殺すはずだった対象」の否定姫に、律儀にそれを言っておかなければならなかったのだろう。

 

 とにかく、これだけのシナリオ、これだけの台詞量の中に、ありとあらゆる憶測が可能な、読者泣かせ、視聴者泣かせの作品である。最終回を見終えた後でも、その感想は変わらない。本当に、ふざけた作品でした。そして、だからこそ楽しめました。1年間お疲れ様です。

 最後に蛇足。ラストシーンでこれまで登場してきたキャラクターの顔が全員流れたわけだが、あの順番で見ないと、錆白兵はわからねぇよ……

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 最近ではすっかりお馴染みのOVA商法でありつつ、3年ぶりのアニメ復帰作にもなるという、何とも微妙な扱いの1本。個人的にはスタッフ&キャストの総入れ替えによるまったく別な作品にしか見えないわけだが、おかげでどの程度の出来になっているのかが気になっての視聴である。やっぱり301本で3000円超えはきついんですがね……

 原作は嫌いではない本作だが、アニメ1期の評価を振り返ってみると存外低くて3点を付けていたのに驚いた。当時の迫井作品というとどうしてもピントのずれたものが多くてアニメとしての魅力に欠けていたというのもあるが、放送時はまだ原作を読んでいなかったこともあり、この作品独自の「見方」みたいなものを心得ていなかったことも原因であったろう(それにしたってアニメの出来は良くなかったと思うが)。しかし、それでもシリーズ2クールは全部見ていたわけで、それなりに愛着があったのも事実。特にメインキャストの布陣は最高のものだったと思うので、今回完全な「世代交代」を行った結果がどうなるか、実に気になる部分である(今回のメインキャスト5人の年齢の平均値が22歳というのだからとんでもない「若返り」である)。

 改めてこの作品のエッセンスを原作から確認していくと、1期で四苦八苦していたのは独特の雰囲気作りの部分であったと思う。ホラーをメインテイストにしており、しかもシナリオラインが1話1話でブツ切りになり、捻くれた導入だったり、難解な解決だったり、1本のストーリーとして消化しにくい部分が多い。さらに怪異の表現についても、原作者の癖のある絵柄でごり押ししている部分が少なくないため、アニメ絵にしたときに表現しづらく、何とか画面に表そうと解題すると、どうしてもチープな印象になってしまいがち。ホラーなのに既存のホラーの手法ではうまくいかず、かといって「萌えもの」のようなキャラクター主体の見せ方をしようにも設定がかみ合わない。実にアニメスタッフ泣かせな原作。

 今作はOVA媒体ということもあり、1期では規制されていた残酷描写などはストレートに表現しやすくなっており、緊迫感を出しやすくなっているのは救われる部分。加えていかにもホラーらしい一人称視点の導入など、変化球気味の構図を多用することによって、原作の持つ「不安定さ」みたいなものを再現しようとしている部分は上手い。いわゆる「ホラーもの」であるならば、それなりに満足できるクオリティであろう。

 しかし、この作品はそう簡単ではない。何せ、ホラーと言っても、やってることは実に単純で、「あまり怖くない」内容なのである。今回のエピソードも、ふたを開けてみれば単に「光が苦手な怪物」が大挙して押し寄せるというだけのもので、冒頭から引っ張ってきた「暗闇から伸びる腕」の演出が、終盤になればばるほど単なるこけおどしであったことが分かってしまう。「電気を消すと消えている」といった魅力的な導入もあっという間に意味を成さなくなり、「ホラーとして」見ていると思い切り肩すかしを食らう。こういう「中途半端なストーリー」は原作にも見られるものなのだが、漫画版の場合、これを光永絵の不思議な癖で押し切ってしまう。残念ながら、アニメではそうもいかない。

 メインスタッフは川口敬一郎とタツノコプロというちょっと珍しい組み合わせで、川口さんらしい阿漕なサービス精神はそこかしこに確認出来る。単純な流血描写などによるサービスや、序盤のホラーっぽい仕立て方、姫とヒロの関係性の見せ方なんかは、それなりに満足できるものだ。しかし、やっぱりこの作品は普通のアニメ演出の処理では限度がある気がしてしまう。その証拠に、そういう点を気にしなくていい特典映像の「ケルベロッテちゃん」の方は普通の面白かったりするのである。むーん。

 そして、もう1つの焦点はやはりキャスト変更の結果だ。どうしても先代キャストの完成度に目がいってしまうので、新キャストには微妙な印象を抱きがち。あの喜多村英梨のリザ役ですら、先代が甲斐田裕子である印象が強いせいで違和感は否めないのだ。違和感なく受け入れられたのはフランドル役の井口ぐらいじゃなかろうか。トータルで見ると、井口フランドルは文句無し、キタエリのリザはやや違和感があるけど「これはこれで」くらいのレベル。問題は、先代が大沢コンビ(川澄・能登)だった姫と令裡ということになる(紗和々については先代が反則技なので対象外とする)。

 まず、令裡役の豊崎愛生。確かに頑張っているし、これはこれでアリな令裡像であると思う。ただ、やっぱり「一度能登がやってしまった役を他人がやる」というのは厳しい。あのイメージを覆すのは並大抵の労力ではないからだ。アニメシリーズになってしばらく聞いていれば慣れるものなんだろうけどなぁ。そして、さらに厳しいのは姫役の早見沙織。キタエリ・豊崎の場合は「先代とのギャップが違和感になる」レベルなのだが、早見の姫は流石に分が悪い。言ってしまえば、「威厳が薄い」。もちろん早見は腕のある役者なので、精一杯自分が出来る「姫」に到達しているとは思うのだが、どうしたって音域が高いし、あの姫をやるには声が柔らかすぎる。とにかく音域を抑えることばかりに労力を割かれてしまい、その裏の芝居にまで追いついていないのが現状だ。数多の王位を渡り歩いた川澄綾子と比べてしまうと、どうしたって威厳不足は否めない。

 総じて見ると、キャストの音域が軒並み高音になっており、演出方針とも加味するといくらか「素直な萌え」方向に歩み寄った形の配役になっていることが分かる。もちろん、これはこれでアリな方向性だとは思うのだが、ことこの作品に関しては、食い合わせの悪さが気になってしまうのである。スタッフ陣の力量は決して不足しているわけではないので、何か「この方向性」にしたことによるうま味を、次作でガツンと一発発揮して欲しいとは思うのだが。今のところ一番面白かったのが「ケルベロッテちゃん」というのは、口惜しいではないか。あぁ、でもエンディングテーマは良かったな。結論、フランドル可愛い。

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 緊迫のクライマックス、第11話。事実上の最終回といってもいい、「落とし前」的な節目です。

 クライマックス、とはいっても、シナリオ自体は「そらおと」にあるまじきベタベタで分かりやすい愛情・勝利の物語。それ故にシンプルに伝わってくるものもあり、物足りなく感じる部分もあり。しかし、形はどうあれこの作品は1クールのシリーズ作。カオスを巡る物語には、決着を付けなければならない。

 今回は智樹など人間側の活躍はほとんど無く、相変わらず「会長と英四郎の科学力と行動力は中学生じゃねぇよな」と思うくらいなので、大空を飛び回ったエンジェロイドたちの活躍を見ていくべきだろう。まずはアストレア。彼女はすっかり会長の「弟子」として定着したようで、襲撃してきたカオスを相手に、最も危険な斥候役を引き受けた。3人の合流後はその機動性と破壊力を活かしてとどめの一撃を任されるも、カオスの予想以上の成長に飲み込まれ、初太刀では仕留め損なってしまった。しかし、智樹の一言で復活したニンフと共に新たなマスターとの可能性を見いだし、最終的には、カオスに物理ダメージをたたき込んで動きを止めることに成功する。流石、ダイダロスをして「最大の武力」と言わしめた性能である。ダウナー社会からすれば最も「新参」の彼女であるが、下界に新たなマスターと師匠を見いだし、自らの特性を最大限に引き出すことに成功した。そして、自らとどめを刺せと懇願する「後輩」を目の当たりにし、自分がこれまで下界で触れてきた「愛」について思いを馳せる。彼女は、カオスにとどめを刺すことはしなかった。

 次に、前回ラストで記憶のデリートを開始してしまったイカロス。彼女の演算処理は、智樹との関係性というイレギュラーを抱え込むよりも消去した方が効率が良いと判断してしまったのか、肉体的な負荷は、記憶の抹消をより加速する結果となってしまう。しかし、消えつつある記憶を必死にたぐり寄せ、智樹の愛した「平和」を守らんと立ち上がるイカロス。ウラヌスクイーンとしての能力は機能せず、ただその思いだけでカオスに挑んだ。愛する人を守る為には、その記憶を犠牲とすることも厭わない。それこそが、イカロスの選んだ結末だったのだろうか。

 智樹の叫びを聞き、遂に目覚めることになったニンフ。今期はやはり彼女の物語であったことが改めて意識される、新たな羽の芽生え。小さいながらも美しい翼を得たニンフは、自分の最大特性である演算能力とハッキングフィールドで戦況を打開する。マスターを得ること、明確な愛情を与えられることで、エンジェロイドは初めて羽ばたくことが出来る。長らく苦しんだニンフの目覚めにより、二人の仲間は、カオスを圧倒することが出来た。

 そして、ただひたすら孤独と探求心とで己を突き動かし続けたカオス。深海で成長を続けた彼女は、自らの経験から得た「愛」の答えを、3人の先輩相手に突きつける。圧倒的な武力と信念は、ただ孤独だったからこそ得られたもの。そして、孤独であるが故に、その愛は最後に実ることがない。全てを手に入れた「下界の」天使たちに打ち砕かれた信念は、最後にはへし折られるのではなく、穏やかに眠りについた。

 カオスの思いにニンフの思い、そしてイカロスの願い。すべてが予定調和のように折りたたまれていった今回。シナリオラインとしてはいささか陳腐さが際立つものの、特に文句の付けようもない。おそらく「そらおと」に望まれるべきはこうした展開であったろうし、今までのテイストを損ねることなく、ちゃんと広げた風呂敷をたたんでいる。現時点ではイカロスの記憶のことだけが未回収だが、おそらく最終回はそれ絡みでもう一山あることを期待していいのだろう。

 ただ、今回はちょっと戦闘描写が固かったのが惜しい。8話では短いながらも見応えのある戦闘パートを見せてくれていたのだが、3対1の大規模なクライマックスとなる今回は、ややもっさりしていて、中割の質もちょっと不足気味。普通のアニメならば不満が出るようなものではないのだが、この作品は普段の画面の質が高いだけに、最大級の見せ場がちょっと足りなかったのは勿体なかったか。イカロスや英四郎の組んだ戦略プランも盛り上がりに乏しかったし、復活して最大の敵となったカオスの晴れ舞台としてはちょっと消化不良。むーん。

 まぁ、この作品にそこまで明確なバトル要素を求めている人も多くないかもしれないので、「ニンフの覚醒」や「イカロスの決意」といった心情面がちゃんと描けていたなら問題無いとも言えるんですが。個人的に一番勿体なかったのは折角バージョンアップしたアストレアのソードが何の役にも立ってなかったことなんですよ。こけおどしの「強そうに見えるだけ」が残念でね。8話のクリサオル一刀両断シーンがかっこよかっただけに、なんだかやけに心残りである。

 もちろん、そんなことはいってもキャラの魅力は落ちてはいません。今回のMVPはやはりカオス。気付けば豊崎愛生が「ラスボス」キャラを演じるのはこれで2つ目なんですが(1つ目は黄金のクェイサー)、前回までの「子供カオス」と今回の「覚醒カオス」の微妙な声音の差とか、「悲」と「喜」の絶妙に入り交じったクレイジーな感じとか、全力投球でやってくれているのが分かって本当に気持ちよかった。あとはニンフの「どれだけ聞きたかったか!」とかイカロスの「忘れたくないのに」とか、印象的な台詞も多くて、本当にいい「泣かせ」でした。野水伊織は着実に良い経験を積んでいるなぁ。そういや今回はモブに合田彩と高橋夢波が出演していたのだが、随分プロダクション・エースの息のかかったキャストだったな。

 そして、今回嬉しかったのはオープニングの「ハートの確率」早見沙織ver。「ハートの確率」は今期の数あるアニソンの中でもお気に入りの1本で、是非fullで聞いて欲しい名曲。そんな主題歌のカップリングバージョンで収録されている早見バージョンだが、こちらも吉田仁美verと違った味わいがある。イカロスの感情が揺れ動くこのタイミングで持ってこられると、歌詞の意味も相まってインパクトは絶大である。エンディングも再びの「帰るから」で、イカロス押しで固めた1本となりました。こういう気配りが出来る構成は大好きです。

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 「薄桜鬼 碧血録」 4→5

 今期1番最初にゴールテープを切ったのはこの作品。2期目としてはわずか10話分という短期決戦の作品であったが、なんだかんだで気付けば最後まで観ていた、珍しい「乙女ゲー」作品である。

 元々の視聴のモチベーションは徹底的に中の人。雪村千鶴嬢の声、つまり桑島ボイスにはみるみる人を不幸にする魔力が込められており、彼女を守る為に奮戦していた新撰組の面々は、ものの見事に全滅エンドを迎えることになった。今回はキャラクター自体が死ななかったことを喜ぶべきかもしれないが、この救われないエンディングは予想通りとはいってもやはり切ない。新たな桑島伝説の1ページと言ってしまっていい出色の出来である。

 とまぁ、茶化してみてはいるものの、1期では「鬼(羅刹)」だのなんだのとファンタジー要素強めで展開していたこの作品も、2期目になると時代の荒波に押し流されていき、存外しっかりと戊辰戦争の顛末を史実に基づいて描いているのには驚かされた。もっと考え無しな「腐女子向け」展開になるのかと思っていたのだが、特に軍略面、実際の新旧幕府軍の攻防などについては、お茶を濁さずにきちんと設定として活用している。その結果として新撰組の隊士たちは帰らぬ人となってしまっているわけだが、下手な逃げを打たずに、真正面から歴史の悲劇を描いているのは感心させられた。「一人の女性と危険な薬物のせいで人生を狂わせた男達の物語」といえばそうなのだが、ちゃんと各キャラクターたちが信念を守って生き抜き、絶えているために、そこにはお仕着せの悲劇だけではない、ひとかどの物語が存在しているのである。最終回ではエンディングバックで各隊士たちの想い出が流され、不覚にも目頭が熱くなってしまった。

 もちろん、難点も多い。最大の問題点は、「軍記物」として戦争の行方を克明に描こうとしてしまったために、どうしても進行が駆け足になり、中盤以降は、戦局の趨勢を全て千鶴のナレーション1本で片付けてしまっている。もちろん、細かい局地戦の様子を事細かに描かれても視聴者側としては訳が分からなくなるだろうが、全てが同じようなテンションでただ流されていくだけというのはいかにも味気ない。その中で、例えば近藤さんの死のような大きなドラマが挟まれているはずなのだが、どうしても「死ぬために死んだ」ような部分も目立ち、あまりに無感情に戦争が進行するため、ジワジワと負けを重ねる旧幕府軍の連中が全員馬鹿に見えてしまう。策も何も無しに突っ込んで部下を見殺しにした近藤さん、そして最終回では激情に身を任せて突っ込んでさっさと狙撃される土方。そのへんの「格好悪さ」を軽減してくれれば、もう少し物語への没入度も上がったような気がするのだが。話数の尺も半端だし、もう少しシリーズ構成の仕方があったのではなかろうか。

 でもまぁ、最終的にやりたいことは軍記物ではなくてラブロマンスだからね。あれだけツン状態だった土方が最後にはさらりと千鶴に愛の言葉をささやけるようになっており、無骨ながらも精一杯愛情を表現する様には、腐女子でなくてもココロときめくものがあるのだ。三木眞一郞ボイスのイケメンと、桑島法子ボイスの一途な子女。どっちに告白されてもくらくらしますがな。千鶴嬢は最後の最後まで甲斐甲斐しく、実に可愛らしかった。私の桑島ライブラリーに1キャラ追加です。

 その他個人的には風間役の津田健さんがお気に入り。最終バトルはミキシンVSツダケンですよ。無闇に格好良かったし、最後の最後でお互いを認め合い、「薄桜鬼」というタイトルの言われが判明するシーンなんか、ちょっとサムいくらいのやりとりのはずが、この2人だと不思議と絵になるのである。やっぱり乙女ゲーキャストは男性陣が充実してるなー。

 最初から最後まで、グラフィックの質が落ちなかったのも評価出来る部分で、「乙女ゲーならディーンにお任せ!」みたいなよく分からないセールスポイントが確立された感がある。嘆美な演出が実に絵になっていて、最終回を例に取れば後れ毛を描き上げてうなじを吸い上げる二人のインモラルな雰囲気とか、舞い散る桜の下で眠りにつく「薄桜鬼」の末期なんかは、本当に「絵のような」シーン。他のキャラクターについても、男性キャラがどれだけイケメンに描かれてもしったこっちゃないが、見れば見るほど千鶴嬢が可愛らしくなっていくのがたまりませんでした。彼女には、人里離れた山奥とかでひっそりと土方さんの喪に服しながら人生を全うして欲しいです。原作ではどういうエンディングなのかね。

 結論として、この作品を一言でまとめると「やっぱり桑島法子は不幸が似合う」。以上。

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  サブタイトルの響きからきっとギャグ回に違いないと期待したら、そうでもなかったのでちょっとがっかりした第11話。いや、勝手な思い込みだったわけですけども。

 今回の主役は、エロ人妻カナコの従者、シモーヌ。3話で少しだけスポットが当たったミセス・ワタナベの従者2人だったが、今回はさらに掘り進めて、ワタナベ家とシモーヌの因縁の物語を描いている。これまで特に注目されてこなかったキャラクターがいきなり過去を語り始めるというのはよくよく考えればあんまりそそられない展開な気もするのだが、この作品は特に誰がメインという構図がはっきりしておらず、キャラクターも増え続ける一方なので、こうして少しでも地に足の付いた描写のあるキャラが増えるだけでも安心できてしまうのがなんとも。

 シモーヌの正体は、カナコの夫であるレオン・ワタナベの実子である。レオンとその秘書の間に生まれたシモーヌは、姉の指示によって憎きカナコの懐に潜り込むことに成功し、同僚であるタカシを抱き込み、いつかは主人をその座から追い落として綺羅星での地位を確立してやろうと目論んでいた。3話でもその様子は描かれていたし、諾々と従うふりをしながら、腹の中では「この女が嫌いだ」と唾棄し、自分の野望を達成せんとする様子は今回も顕著。だが、終わってみれば彼女の反骨心ですら、ミセス・ワタナベの手のひらの上であったことが分かってしまうというお話。メインで描かれたのはシモーヌだったわけだが、結果的にはカナコの計り知れない人間の度量のでかさばかりが浮き彫りになっていく。

 後に続く要素は多々あるだろうが、今回は1話完結で「シモーヌのエピソード」として成立していたので視聴後の印象は悪くない。中盤の緊張感のある演出は不覚にもドキドキしてしまったし、少しずつ形成されていくカナコのキャラクター描写も面白い。シモーヌが「カナコの奴が慌てているのを初めて見たぞ。これはきっと、私にその地位を追われることが怖くて焦っているに違いない」とほくそ笑んだのに、終わってみれば単にシモーヌやタカシがサイバディ戦闘で傷つくことを心配して語気を荒げていただけであることが分かるという、何とも寓話的なセッティング。最も近いところに埋伏の毒と知ってシモーヌを置いた動機が「だってすごくロマンチックじゃない」というぶっ飛んだものであることも、彼女の器のでかさを物語っている。もちろん、授業中だってのに先生の存在など一切気にせずにタクトをたぶらかし、突如パーティーの提案をすることなんて朝飯前だ。今のところ一番悪の幹部っぽい悪役ですな。

 また、コンテワークとしては今回要所要所で登場した「見ること」というファクターの使い方が面白い。中心となるのは「最近鏡で自分の顔を見る時間よりもカナコを見つめる時間の方が長い」とシモーヌが独白するパートだが、それ以前に、彼女は剣道場で練習するタカシをじっと見てしまうシーンがある。同様の行為はマリノが演劇練習中のタクトを見つめるシーンにも対応し、その答えはミズノが語る「だって見つめるってことは好きってことじゃない」。マリノ→タクトはほのかな愛情であり、シモーヌ→タカシは露骨な親愛。となると、自ら「ずっと見ていた」と語るシモーヌ→カナコという視線の向きは、本人も自覚しない過度な「愛情」を表すことになるわけで。締めの一言は「やっぱりこの女は嫌いだ」という繰り返しのフレーズだったわけだが、シモーヌの持つ相反した感情を効果的に見せる、実に面白い演出だった。

 加えて、「見ること」に「鏡」というファクターが絡むのも見どころで、「鏡を通して見つめる」ことに「愛情」は乗りにくい。それは、シモーヌが鏡越しに見つめていたのが自分自身であることからも分かる。普通、鏡越しに見る顔と言えば自分の顔が一番多いのだろうが、今回鏡越しに会話をしたキャラクターが存在している。それが、マリノとミズノである。「直接見ること」が愛情であるなら、「鏡を通して見ること」は何を示すのか。ミズノとマリノの関係性は、今後のシナリオでは重要なポイントとなりそうである。

 静かな中にも色々と見るべき点が多かった昼ドラのごとき展開だったわけだが、その割を食って戦闘シーンは相変わらずあっさり目。シモーヌがアプリボワゼしてタカシが戦うという作戦の意味がよく分からなかったし、スガタが何をしたのか分からなかったので勝因も不明。スガタとヘッドの邂逅は重要な意味を持つことになりそうではあるのだが、少なくとも現時点では何が起こっているのかさっぱり分からぬ。どんどん影が薄くなっていく主人公達、大丈夫か?

 あとの見どころは2人の巫女の歌唱シーンですかね。ワコのミズノも、落ち着いて聞けるようになるとやっぱり雰囲気を持ってますわ。最終的には4人の巫女の大合唱とかが聞けたりするのかなぁ。

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  さて、発売まであと一月半ほどになりました、「ミラディン包囲戦」。今回からブースタードラフトのパック開封順が変更になったり、「陣営ブースター」なんて謎の存在が報告されたりと、ウィザーズ社もあの手この手でキャッチーなことをして来やがりますが、ギミックに策を弄しすぎてカードセットとしての質が落ちないことを祈ってますよ。ただでさえアーティファクトブロックのデザインってのは難しいからなぁ。「ミラディンの傷跡」は今のところ悪くないセットなので、このままいい塩梅を維持して欲しいものです。

 ついでに、このタイミングで第3セット(通称Action)のアナウンスも入り、普段ストーリーにあまり興味のないプレイヤーでも、ミラディンが勝つのか、それともファイレクシアが新たな領土を手にすることになるのか、その趨勢は気になっているはず。今のところ、ちまたの予想では9:1でファイレクシア有利みたいだけど。だってセット名が「ミラディンの傷跡」「ミラディン包囲戦」「清純なるミラディン」だと「MMM」になって分かりにくいじゃん。わざわざ「清純なるミラディン」の略称が「MP」で「新たなるファイレクシア」が「NP」ってPの文字を合わせてくるあたり、ファイレクシアへの気遣いしか感じられないわ。

 さ、今から色々気になりますが、とりあえずは2月発売の次のセットの話!

 

○カード情報

 

Mirrodin Crusader ミラディンの十字軍 (1)(W)(W) R

クリーチャー・人間、騎士

2/2 

二段攻撃 プロテクション(黒)(緑)

 ミラディン軍の象徴ともなる、「ヴェクの聖騎士(10ED)」の系譜を受け継ぐ質実剛健のレア。プロテクションの対象が単純に敵対色から感染ファイレクシアカラーである緑に変更されたのは分かりやすいが、時代の流れからか、先制攻撃が二段攻撃に純正パワーアップしているのが驚きだ。二段攻撃はそんなに簡単に手に入る能力ではなかったはずなのだが……すごいわねぇ。黒除去で死なないボディはもちろん超優秀だし、「カルニの庭」に阻害されないプロ緑だって役に立つ機会は多い。良いカードなのは間違いないが、あとは世界に何万枚も印刷された「紅蓮地獄」や「稲妻」をどう乗り越えていくのかが目標となるわけだな。よし、そろそろ「模範の騎士」に声をかけてこようか。

 

Phyrexian Crusader ファイレクシアの十字軍 (1)(B)(B) R

クリーチャー・ゾンビ、騎士

2/2 

先制攻撃 感染 プロテクション(赤)(白)

 「ミラディンの十字軍」と対になる、ファイレクシアの象徴的存在。プロテクションの色はミラディン軍の筆頭である白と赤に向けられ、相手が二段攻撃ならこっちは先制と感染じゃい、と対抗意識を露わにしている。ま、お互い一生ぶつかることはないすれ違い人生ではあるのだが。ブロッカーがいない前提なら、お互いに敵を倒すのに必要なターン数は5ターンで同じ。対クリーチャー戦闘においても、二段攻撃と先制感染ならほぼ五分と見られる。その上で、このクリーチャーの場合にはプロテクションの色がずるい。何せ現在では2大除去カラーと言ってしまってもいい赤と白に向けられているのだ。「稲妻」で死なず、「糾弾」や「未達への旅」にもへこたれない。もちろん、自身が黒なので「破滅の刃」も知らんふりだ。この耐久力はかなりのもの。さらにここにお約束の「肉体と精神の剣」まで付けたりしたら……あぁ恐ろしい。感染デッキの台風の目となることが出来るだろうか。現在「刻まれた巫女」が一切注目されていないという現状こそあるものの、直接アピール出来る戦闘力のあるなしはやはり違う。吸血鬼にその座を奪われた、ゾンビたちの悲鳴を受けて立ち上がれ!

 

Peace Strider 平和の徘徊者 (4) U

アーティファクトクリーチャー・構築物

3/3

〜が戦場に出たとき、あなたは3点のライフを得る。

 随分前の時点で情報が公開されていた、この環境のカード第一号である。わざわざ記事を立てるほどのカードでもなかったので続報が来るまで無視していた。で、改めて見るとやっぱり地味。「ありがたい老修道士(10ED)」のパワー/タフネス、回復量が1点増えただけのアーティファクトでしかない。そりゃま、無色でこの能力は充分強かろうし、アーティファクトであることはこの世界では値千金である。「エナートゥのゴーレム」が少ない荷物をまとめて実家に帰る後ろ姿が確認出来るし、リミテッドならば充分欲しいカードではあるのだが、それにしたって普通すぎるだろう。こうなったら「試作品の扉」や「ミミックの大桶」に刻印して延々ライフゲインを狙うしかなさそうだ。そして、その上を「生体融合外骨格」をまとった「疫病のとげ刺し」に飛び越えられると。うわ、ファイレクシアマジ鬼畜。

 

Pierce Strider (一刺しの徘徊者) (4) U

アーティファクトクリーチャー・構築物

3/3

〜が戦場に出たとき、対象のプレイヤー1人は3点のライフを失う。

 今回はひたすら「対決」をフィーチャーした内容になっているので、「平和の徘徊者」の対となるクリーチャーがファイレクシアの紋章を背負って登場。英語名も綺麗にもじってあり、そのへんの努力は伺える。そして、「平和の徘徊者」と比べれば、こちらはなかなか魅力的なカード。基本的にライフってのは増やすもんじゃなくて削るもんなので、同じ数値でもゲインよりルーズの方が圧倒的に価値が高いのだ。白のビートなどに入れておけば戦力を補充しつつゲームを早めることが出来るだろうし、「金属の駿馬」などに続けて投入することで金属術をフォローしつつ感染にも余裕を与えずに押していける。それこそ「ミミックの大桶」と絡めてゲームエンドを狙うことだって出来るだろう。相手の「平和の徘徊者」とぶつかって完全にプラマイゼロになる「対消滅」とかが起こったらちょっと哀悼の意を表すくらいはしてあげよう。

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