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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 シャチョウも歳いくつなんだよ、第4話。てっしーだけでも年齢不詳感半端無かったのに、シャチョウは現役活動中も32歳からスタート?! もう、このアニメの最終回がSF的な解決を図っても一切驚かないぞ。タイムスリップするんじゃねぇかな。

 さて、そんなヘンテコ要素はありつつも、展開されているお話はひたすらに地味。アイドルものといいながら、毎回メンバーの1人にスポットを当てて、一切華やかさの無いお話が展開されていく。これじゃドラマとしても地味なんだよなぁ、と思わせておいて、不思議と見せる話を作ってくるから不思議なものだ。この作品、今回もシャチョウの口から「気持ち悪い」という言葉が出た通り、間違いなく一般的な観念からすると「気持ち悪い」世界のはずなのだが、そんな中で悩んでいる若者たちの姿は、どこか小っ恥ずかしい中にも共感や親近感が感じられる。ひたすら前向きだった3話のトミーはそうでもなかったのだが、今回の主人公、キラについては、なんだかいかにも「若者の悩み」っぽい素直な自問自答っぷりが、実に青臭くてたまらんかった。

 シナリオを簡潔にまとめると「今まで親の敷いてきたレールの上だけを走ってきた若者が、初めて自分の人生に疑問を抱き、自分の足で走り始める決意をする」というベタにもほどがある流れなのだが、いわゆる「そういう話」と比べるとちょっと切り込み方が違うのだ。確かにキラは「自分の夢じゃないかもしれない」という壁にぶち当たったが、これは単なる自己実現欲求からきたものではなく、「役者とは、演技とはなんぞや」という問いかけを(実に乱暴な形で)ぶつけてきたシャチョウの手によって引き起こされたものである。これまで超がつくほどの親馬鹿マザーによって「自分は天才。自分の演技は人を幸せにして、感動を与えるためにある」とひたすらに思い込んできたキラが、ただ一言、「なんか気持ち悪い」と言われたことでその根幹をぶっ壊される。その様子は、泣きじゃくったり暴れ回ったりというダイレクトなアクションに立ち現れるわけではなく、ちょっとサクランボの種をかみ砕いてみたり、ちょっと母親に大声を出してみることに現れる。だが、そこからこれまでの自分を全否定するというわけでもない。確かに「夢は借り物」だったのかもしれないが、それを返した後に残った夢も、きちんと「借りたもの」と同じ形をしている。決して母親の行いを否定するのではなく、新しい世界を作っている。あくまで「次の一歩へ進む」ことで、「破る」のではなく「乗り越える」ことが出来た。これにより、キラもトミーと同じように、真っ直ぐな気持ちで少年ハリウッドに向き合うことが出来るようになるのだろう。未だに「死」と同じ次元で考え込んでしまっている颯や生馬よりも一歩先に行った形である。

 こうした「非常に個人的な悩み」を描く時に、今作はやたらと綺麗なのである。画が綺麗、画面が綺麗というのではなしに、コンテが綺麗。たとえば件の「サクランボの種」のシーンでは、その前に子役時代の回想が入り、「すりつぶす」という言葉の後に文字通り「噛みつぶされた」種が映ることで、彼の中にある「子役」「俳優」への葛藤がよく分かり、そこに「種を取るための器」を持ってきた母親の無自覚さが対比的に写る。このワンシーンだけであの母子の全ての関係性が伝わってくるようである。他にも、仲良く夕食を食べる颯と生馬のコンビにしても、肝心の食事のタイミングでは何故か足下を写すカットが流れ、彼らがどのような表情で「同じ釜の飯」を食っているのかが見えないようになっている。最終的には生馬が先に食事を終え、その後数秒してからゆっくりと颯が飯を食い終わる。普通のアニメなら、「ごちそうさま」をいうのはほとんどの場合はどのキャラも一緒になるはずである。こういう細かいところで、この2人はまだ「ずれて」いるのだ。互いの関係性を見る上でこういうところが面白い。

 やっぱり、なんだか気にさせるアニメである。ちなみに、今回一番感心したのは子役時代でも問題無くキャストが成立する山下大輝である。最近の男性声優、声高いの多いなー。

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 てっしーいくつなんだよ、第2話。どう観ても30そこそこにしか見えないのに、初代のハリウッドが売れない時代に既にハリウッド東京にいた? 妖精さんか何かかな?

 やっぱり1話目と同じく、どこか気になってしまうのがこの作品。最初に「気持ち悪い」って思っていた感情も2話目で既に消えており、じわじわ「こいつら、何考えて生きてるのかな……」という興味がわき始めている。アイドルもののはずなのに歌も踊りもなく、今回ステージ上で行われたことといえば、大掃除と台詞の練習だけである。魚料理はきらしております。

 歌いもせず、踊りもせず、「幕末Rock」の真逆を行く本作。それじゃその間何をしているかというと、主に悩んでいる。主人公の風見君は「アイドルとはなんぞや」を自問自答し続け、日常生活にも支障が出るくらいには自分の存在意義を問い続けている。そして、これが安易なアイドル論に落ち着くのではなく、「そんなもんしらねぇからてめぇで考えろ」と叩きつけられているあたりがなんだか妙に生々しい。シャチョウが危険人物なのは間違いなかろうが、彼の持つアイドル観には何か一抹の真実があるようにも見えるし、大量にうち捨てられた備品を見ればやっぱり単なるキチ○イのようにも見える。この揺さぶり方は、あくまでも「若者が勝手に考えなさい」というシャチョウの根無し草のような性格を表したものであろう。「友達をきり捨てることになる」というあり得ないほどに無責任な発言も飛び出したが、実際、スニーカーのお話でそれが妙に真実味を帯びてしまう。そして、風見がそれを自ら受け入れたことは、彼の中で更に問題を複雑にしている。ただ、単に「別世界の住人になるためのイニシエーション」とかいう夢見がちな結論が出るわけではなく、「友達を切り捨てたような気がしたけど、これがそうなのかな? まだ、普通の男子高校生として友達と仲良くしてていいのかな?」という揺れは素直に残したまま。「嘘をつくこと」の意味すら、今はいい事なのか悪いことなのか分からないのである。このもやっとした落ち着かない感じ、いかにも思春期、いかにも進路の悩み。頑張れ、若者。

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 チェインバーさんの侠気に思わずもらい泣き、最終話。このアニメの主人公、チェインバーさんだったんだな……。惜しい男を無くしたものだ。

 ストライカーの狂い方は、ある意味非常にシンプルなものだった。どうやらクーゲルは船団形成をはじめた直後にはまだ生存していたようだ。彼がレドと同じようにこの世界のあり方、自分のあり方に悩んだのかどうかは分からないが、あくまで彼も人間だ。おそらくはそこまでトチ狂った希望があったとは思われない。「現状で可能な限り、組織的で効率の良い集団組成を考えよう」くらいのニュアンスだったのではなかろうか。しかし、残念ながら風土病によって彼は志半ばでこの世を去った。残されたのは、考えることを仕事にしているはずだが、考え思い至ることの出来ない機械のみ。ストライカーは、クーゲルの提言を全て「彼女なりに」解釈し、結果的にあの船団を産みだすに至った。別に悪気があったわけではない。あくまでも彼女が産みだされた同盟の倫理観でもってこの世界を睥睨したならば、あまりにも無駄とムラが多すぎたのだ。それを運営しやすいようにまとめるのには宗教という形が一番手っ取り早く、自らが超越的な力で「神」として君臨することが、組織の運営、並びにヒディアーズの殲滅に最も効率が良かったのであろう。どこまで言っても機械は機械。彼女の意志で何かを願ったわけではないのだから、そこに憎しみを求めるのはお門違いというもの。

 しかし、そんな純粋な遂行意識も、やはり場所が変われば単なる圧政になる。地球の人々が求めていたものはストライカーの願うような「思考を放棄した上での安寧」ではなく、自分たちの足で立ち、自分たちの頭で考えて生きていく面倒臭い世界である。効率化を極めた世界で産みだされた機械には決して到達出来ない領域が、地球には存在していた。

 しかし、やはりミライ科学は恐ろしい。そんな不可侵の領域にまで食い込んでしまったマシンキャリバーが1台存在した。レドの「啓発」だけを目的とし、レドと共に悩み、成長した機体、チェインバーである。何が正しいか、などという白黒を付けることは出来ない。人間にだって出来ないのだから、機械に出来るはずがない。しかし、チェインバーにとって、レドの成長こそが全ての結果であり、レドが至った結論が、彼にとっての理想となる。これまで全ての正否判断に同盟の基準、大原則を掲げてきた彼であったが、この度ストライカーの提言に対し、初めて反論を行った。突如漏れ出した「懐疑提言」に、思わず鳥肌全開である。その後のチェインバーの行動は、全てレドのために費やされた。どう考えても機械の領域を超えたような選択も含まれていたような気もするが、多少ぶっ飛んだところは全て「ミライ科学すげぇ!」ということで解決するだろう。最終的にはレドが「啓発を完了させた完成品」であるとの判断をくだし、レドが生きるための世界を残すために、チェインバーは自らの最後の仕事を全うした。もちろん、彼にだって「レドが完成を見たのか」「レドがパイロットとして相応しくないのか」などといった判断は出来るはずがないのだが、彼なりの最善手を機械の言葉で翻訳したがために、あんなツンデレになってしまったのだ。末期の捨て台詞は、きっと彼のAIがフル回転で相応しい語彙を探し求めたのだろう。結局、そこから出てきた一言は、彼もまた、ガルガンティア船団で育ち、立派な乗組員として成長したことを表すものであった。偉大なる戦友に、今一度弔意を表したい。

 さて、そんな主人公チェインバーの活躍は言わずもがなだが、その傍らで、他のキャラクターたちも粛々と最終回の準備を整えていた。レドは戦う決意を固めたし、ピニオンはこの期に及んで男前度数をアップさせるために仲間達を逃がして自分だけは貴い犠牲になる目論見。ただ、野放図なラケージ姐さんのおかげでこれは叶いませんでした。そしてちょっと突飛過ぎる気がしたけど、何故かガルガンティア船団にも搭載されていたミライ兵器、「天のはしご」。リジットさんが責任者としてわざわざ操縦桿を握り、案外迷い無く斉射。多分、ストライカーさえ居なければガルガンティアは放っておいても最強だった気がするぞ。そして、レドを奮い立たせる大事な役目は当然エイミーのものである。光線系の技や実体弾が飛びまくるばけもんどうしの戦場に貧弱な飛行機械単体で突っ込んでくる命知らずぶりであるが、今回メカ戦以外で一番作画に気合いが入っていたのは、滑空するエイミーがレドと顔を合わせて振り返る一連のカットである。流石のメインヒロイン。彼女の一声が無かったらレドはそのままチェインバーと心中していた可能性もあるので、やはり大事なお仕事であった。

 最終的には、異分子となるチェインバー・ストライカーの2体が消滅したことにより、この世界にはただ1人、レドだけが残される結果となった。しかし、彼にはもうチェインバーの支援は必要無い。自分が何故地球に飛ばされてしまったのか、宇宙での戦争は一体どうなっているのか、まだまだ分からないことばかりではあるが、現状を受け入れた彼は、きっとガルガンティアで新しい希望を見つけていくのだろう。「最終回でレドは宇宙に帰ってしまうのか?!」なんて疑問も始まった当初は議論されていたが、この「居残りエンド」が一番お話としてはすっきりするし、ハッピーエンドに見える。是非とも、エイミーたちと末永くお幸せに。

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 余裕の反乱、第12話。終わらせに来てますなぁ。レッドロブスターかっこいいな。あれ、操縦者は大丈夫なんか。

 レドの葛藤に集約されるクライマックス。事態はとてもシンプルで、銀河同盟の先鋭化した合理政策を理想とするクーゲル船団に与するのか、それとも地球人が独自に培ってきた(現代文明に近い)新たな生活基盤を理想とするガルガンティア船団に与するのか。まぁ、シナリオ上の要請を考えればそんな二元論に選択の余地はなく、レドは反旗を翻すことを決意する。その裏には色々な契機はあったが、まぁ、分かりやすい流れである。そこからマシンキャリバー2体のバトルが幕を開け、仲間達のサポートのおかげで機体の性能差をなんとか覆してレドが勝ちそうだよ、というお話である。

 今回進展した最大のサプライズと言えば、もちろんラストで明かされたクーゲル中佐の真実である。レドは幸運にも地球に転移した際にも五体満足で居られたわけだが、誰もかれもがそんなラッキーなわけじゃない。転移のタイミングで無理をしたのか、それとも以前言っていたように地球の風土病に冒されてしまったのか。彼らの技術力を考えれば前者のような気がするが、とにかく既にクーゲルは物言わぬ存在になってしまっていた。そんな彼の意志を引き継いだのか、現在のクーゲル船団を動かしていたのは実際にはストライカーの方であった。なるほど、そう考えれば納得出来る要素もいくつか確認出来る。

 一番分かりやすいのは、クーゲル船団の度を超えた統制模様にある。いかにも「機械的な」処理によって統制された大船団は、前回までは同盟の教えを遵守するクーゲルの信念によるものかと思われていたわけだが、実際にはまさに「機械による統治」だったわけである。マシンキャリバーは非常に高性能なAIなのは間違いないが、それでも人間の思考からはほど遠いものであることはチェインバーが嫌と言うほど教えてくれている。ストライカーはヒディアーズとの戦いに明け暮れる殺伐とした同盟の理念のみで構築されたものであり、それが地球人類を最適化しようと行動すれば、どこかに歪みが生じるのは避けられなかったのであろう。結果的には、狂気じみた「理性による支配」を目指した時代に即さない組織が形成されるに至ったわけだ。

 こうしてみると、段階を踏んだこれまでの「理性と本能」の対比構造の構築はなかなか気の利いた脚本だったことが分かる。元々レドはチェインバーと思想を同じくし、ガルガンティアの面々とは相容れない部分が多かったわけだが、少しずつチェインバーと話が合わなくなってくることでレドの変化が描出されており、それが今回の反乱に繋がっている。「理性」が同盟側の旗印であり、「本能」がヒディアーズの活動目標という分かれ方も明示的で、レドはヒディアーズに感情移入することで、すっかり「感情の生き物」としての自分を意識する状態へと追いやられていたわけだ。対決を決意するまでの流れとしては充分理解出来るものになっているだろう。

 ただ、その構図を丁寧に作り上げてきただけに、今回の事件はなんだか余計だった気がしないでもない。ピニオンやフランジの苦悩が浮き彫りになればある程度外堀は埋まるわけで、謎の大量投身自殺のくだりは、いかにも唐突である。雨というのは非常に効果的なツールで、レドが初めて見たガルガンティアでの共同作業のシーンと対比させることで、クーゲル船団の狂気じみた「おかしさ」を表す作用がある。今回の事件も「群のためならば個を犠牲にする船団の教義」を端的に表してレドの背中を押すことが目的だったと思われるが、いかにクーゲル船団とて、あのような行動に出る意味が分からない。何一つ合理的な「意味」が無いのだ。「生け贄」という行為は古くから宗教的祭礼では当たり前のように行われてきたことだが、群を成す際に意味があっても、それは理性による行為とはいえない。ストライカーが本当に理性に依拠した共同体作りを目指していたとするなら、あのような習わしを作るためには特別な理由が必要になる。最もシンプルなのが「反乱分子を抑えるための見せしめとしての処刑」というものだが、穏やかな表情の子どもが含まれていたということは純粋に信教から来る行為であるように見える。口減らしだとしても若年層が犠牲になる意味が分からないし、あのような形で個体数を減らすことは、ストライカーの目指す方向性には合致しないのではなかろうか。

 まぁ、アニメ的には「インパクトがでかいから」と言われればそれまでなのだけれども。とにかくショッキングな光景を目の当たりにして、レドとピニオンが同時に反乱を決意。何故かフリースタイルで活動出来ていたラケージ様も煽るだけ煽って参戦した(彼女の存在も本当に謎である)。相手が尊敬すべき先輩だったとしたらまだまだくすぶっている感情も多かったのだろうが、単なるマシンキャリバーの暴走であると分かれば、もうあんまり悩む理由も無い。愛するガルガンティア船団の安否もあることだし、後は暴れ回るストライカーを倒してエイミー達を守れれば大団円ってことになるだろう。ガルガンティア側でも色々と動きがあるようだし、最終話は割と綺麗にまとまってくれるんじゃないだろうか。しかし、まさかここにきてメルティに活躍の機会が与えられるとはおもわなんだなぁ。

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 完全に宗教アニメになってしまったよ、第11話。これまで延々「宗教」「信教」という言葉を使ってきたのだが、ここまでダイレクトに方向性が定まるとは。ある意味必然だったってことかしらねぇ。

 突如現れたレドの元上司、クーゲル中佐。どうやらレドが巻き込まれた謎の時空現象の犠牲者は1人だけではなかったということらしい。一応気になるのは「じゃ、一体何人巻き込まれてたんだろう」ということだが、2人が地球に流れ着いてから、レドの救難信号をクーゲルが受信して到着するまで一切他の仲間達が出てこないことを考えると、おそらく同盟の人間はこの2人だけと考えた方がいいだろう。つまり、このアニメのクライマックスは同じ教育、同じ信教を持っていた2人の同盟戦士のイデオロギーのぶつかりあいということになるはずだ。うむ、急に視界が良くなった。

 ついでに、これまでクーゲルさんが何をしていたのかを勝手に想像してみると、地球に落ちた直後の状況はレドと同じようなもんだろう。何が起きたのか分からず慌てふためき、必死に宇宙に帰る算段を模索したに違いない。しかし当然帰れるあてなどなく、レドはそこでふさぎ込み、ガルガンティア船団という新しい仕事先に慣れていくことに全力を注いだ。しかしクーゲルは違った。地球人類が「戦い方も知らない遅れた人類」であると認識し、習うことを選んだレドに対し、全ての環境を自らの支配下に置くことを選んだ。マシンキャリバーの力があれば船団の1つや2つをあっという間に制圧出来ることはチェインバーを見ても自明であり、クーゲルだってコクピットからろくにでなくてもそれぐらいは余裕である。そうして自分の主義主張を邪魔する人間は全て片付け、地球上で動く当座の人員も確保。統制を取るために、同盟仕込みの限界まで簡略化された「幸福」論でコントロールを得ることになった。いかにも怪しい宗教のスタイルを借用しているのは、地球の文明レベルに合わせた時にいちいち科学的なところを説明するとメンドイというのもあるし、過去の蓄積から、宗教的な道具立てというのが人心をコントロールするのに最適なものであることを理解していたためだろう。おかげで、臣民達の内心はどうあれ、完全な統制を持った1つの船団が一糸乱れずに完成している。

 クーゲルが産みだした船団宗教と、レドが暮らしたガルガンティアには天地の差がある。さて、このような違いは一体どこから生まれたのだろうか。中佐とその配下という役職の違いはあれども、基本的にはレドとクーゲルに与えられた状況はほぼ同じものである。2人は全く同じような方向に進んでもおかしくなかったはずだ。2人の行く先を変えた原因は大きく2つあるように思える。1つは推測でしかないが、「ヒディアーズと出会うタイミング」。レドはすっかりガルガンティア船団に溶け込んだ後にクジライカに遭遇したため、大きな混乱はあったものの、その混乱期が、のちに自分の行動を振り返り、迷いを生じさせる役割を果たした。おそらくクーゲルは、地球に降りてまもなく、あのヒディアーズを目撃したのではなかろうか。「殺さなければいけないもの」を見て、それに対して一切の対策を講じない地球人に焦りと同情を覚えたからこそ、彼は組織を作り出すことを思いついたのだろう。

 ただ、結局そんなことは些事であり、最大の違いは、やはり2人の人間性なのだろう。お互いヒディアーズの真実については地球に降りてきてから知ったはずなのに、レドは迷い、クーゲルは歯牙にもかけなかった。「本能のままに動き理性が無いヒディアーズは既に人類ではない」というのが彼の言い分であり、これまた「そうとも言える」ものである。もちろん、レドだってそのことは知っているだろうし、そう思い込んで吹っ切れようとしたこともあるはずだ。しかし、結局それは彼の1人では処理出来なかった。エイミーたちの主張を聞いてしまったあとでは、どうしても割り切って考える方向には結論づけられまい。しかし、今回クーゲルとの情報交換を行い、あっさりと彼の説得に同意してしまっている。もちろん迷いはあるだろうが、自分よりも強い「信教」を叩きつけられてなお跳ね返せるほど、彼の躊躇いは根強いものではない。心に疑問を抱えつつも、「先輩が言うならそれはそうなのかも」というくらいの気持ちで賛成することになるはずだ。

 暴れん坊のピニオンもクーゲル船団の理念に取り込まれ、「とりあえず非の打ち所がない」クーゲル理論には、レドは逆らうことなどありえない。このまま行けば、地球には2人の手による第2の同盟支部が出来上がる……はずだったのだが、残念ながらそんなに簡単にお話は終わらない。クーゲルの掲げる幸福論に真っ向からぶつかる存在、それがガルガンティア船団である。ガルガンティアの断片ともいえるフランジ船団は為す術もなく飲み込まれたわけだが、レドにとって、ガルガンティアは特別な存在である。それを脅かそうとする存在がある今、彼は再び悩まなければならない。生まれてからずっと浸かってきた同盟の教えに帰依するのか、それとも、地球にたどり着いてから新たに手に入れた不自由な幸福論を守るのか。ほんと、若い子には酷な選択であることよ。

 今回1つ気になった存在に、久しぶりに登場したラケージ海賊団がある。てっきり彼女たちもクーゲル船団に飲み込まれたのかと思ったのだが、ラケージたちの顔には、レドやピニオンが押しつけられた顔面の「刻印」がない。つまり、彼女たちはクーゲル船団にいながら、彼らの「教義」に則っていない。クーゲル教団が彼女たちのような異分子を放っておくはずがないと思うのだが、何か上手いことやって逃げ延びているのだろうか。ラストの筋書きがどう転がるのか、最後まで引っ張ってくれる。

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 大量生産されて居並ぶチェインバーの図が怖すぎる第10話。そりゃ同盟はアレを大量生産してたのは間違いないんだろうけど、ジムとかと同じレベルの生産量であのスペックのマシンが配備されてるって、恐ろしいぜ。全部CV杉田とかだったら恐怖過ぎる。それとも、アナウンス音声は好きなように選ぶことが出来るのかしら(実際、中佐のマシンは声が違った)。

 さておき、今回もずっしり重たい話が満載である。終始フランジ船団の駐留している「霧の海」がベースだったこともあり、今作前半で彩りを見せた碧い海の姿は無く、暗く煙った世界が話の重さに拍車をかけている。ここからどうやったら幸せになれるのかがさっぱり見えてこないのが怖い。最終的にレドを救えるのはエイミー(姉弟)しかいないと思うのだが、レドがどうやってガルガンティア船団と接触できるというのだろうか。

 今回話の中心となったのは、まずはなんと言ってもピニオンである。ただ、今回のピニオンは正直言ってなんかよく分からないところまで突き抜けてしまい、見ていて嫌悪感を抱くレベルになっていた。彼の心情も理解出来るし、主張に理がないわけではないのだが、やはりやり過ぎだ、という回りの声が正直なところなのではなかろうか。フランジさんが思いの外思慮深い人だったので、その差が更に如実に表れている。

 亡き兄の面影を追ってクジライカ殲滅を誓い、それをかなえたところまではいいだろう。地球人のモラルからするとクジライカの討伐はタブーに近いものにも見えるが、これはあくまでも「信教」の一環でしかなく、チェインバーという武力が手に入り、打倒できるようになったのだから、「意思疎通の出来ないケダモノ」を狩り、旧文明の遺産という大きな見返りを求めるのは自然な行動である。フランジさんたちだって、そこまでは理解があったからピニオンについてきたのだ。しかし、そこから先は考える必要がある。ピニオンが選択したのは、サルベージした遺産の独占と、その武力による版図拡大である。元々「他の船を打倒して勢力を拡大する」というところまでは意識していなかったようだが、元々「弾はいくらでもある」と武力をひけらかしていたのだから、遅かれ早かれ「侵略」というルートを取ったことは間違いないだろう。現時点では「攻めてきた勢力を返り討ちにし、その見返りとして船団を大きくする」程度に留まっているが、更に軍備と人員が整えば、積極的に他者を侵害し始める可能性は高いだろう。

 彼がそのような行動に走った理由は、現時点では存在しない。先週まで大きな動機となっていた「兄の敵討ち」は既に果たされており、そこから更に独占と侵略に傾いたのは、ただ単に「野心」以外のなにものでもない。元々理解可能な目的である仇討ちにのみ使われていた武力が、目的を見失って暴走し始めている状態である。持ちつけぬ力を手にしたがために更なる欲求を持つというのは人として自然なものではある。「守らねば討たれる」という大義名分も、一応は理のあるところだろう。しかし、彼の場合にはそうなるだけの後ろ盾がいささか不足気味で、単に浅慮であるが故に先のない道を選んでしまっているように見える。ここから先はレドが思い悩む「人類どうしの争い」しか待っていないわけで、普通に考えれば挫折は早いだろう。

 ピニオンが「人類どうしの争い」へ突き進むとするなら、現時点でレドはそれを止めるはずである。深海で知ってしまった秘密に思い悩むレドは、ついに自らの目的を自問するようになった。今までただ1つ抱えていた目的意識は、喪失するだけでなく、真っ向から否定すべきものになってしまったのだ。レドがきちんと自分の言葉で「殺せない」と言ったことは、非常に大きな変化である。しかし、そこに怪しい影を落とすのがチェインバーの存在である。チェインバーの厄介なところは、彼の主張には齟齬が無いところだ。確かに、レドが訴える「戦えない理由」は共感出来るものであるが、それを説き伏せたチェインバーの主張も、反論の余地はない。エイリアンだろうが人間同士だろうが、結局は異なる目的を持った勢力が存在するからこそ戦争になる。ヒディアーズと人類は、折り合いを付けられない根源的なところで袂を分かった「完全に別種の存在」である。たとえオリジンがどうあろうとも、チェインバーの製造目的にそぐわぬものではないし、彼が主張するように、「ヒディアーズの存在を認めれば、人類の叡智たるマシンキャリバーは存在出来ない」のである。もちろん、純粋培養で同盟の兵士として産みだされたレドだって、アイデンティティの喪失という意味ではチェインバーと大差ないだろう。

 しかし、それはあくまで「機械的に」判断した場合である。現に地球人類はクジライカとの共存共栄の道を選んでおり、チェインバーの唱えるような「教義の相違」は現時点では存在しない。チェインバーはあくまで「全てを知り、互いを主張し合うからこそ起こる必然」について語っているのであり、互いに不干渉を貫くことさえ出来れば、2つの種が共存することに問題は無い。あとは、「知ってしまった」チェインバーとレドがどのように問題を処理するかだ。現時点でレドはまだ揺れている。いかに「殺せない」と悟ったとしても、長年養われてきた「教育」の成果はそうそう簡単に覆るものではない。そしてここに、更なる追加要素として同盟からクーゲルが登場する可能性が出てきた。もう、何がなにやら分からない状態になってしまったが、2台のマシンキャリバーが存在しているということは、一番恐ろしいのは「人類どうしの争い」で台頭する可能性が出てきてしまったこと。混乱しっぱなしのレドにこの状況を丸く収めることが出来るのだろうか。

 早く、ガルガンティアに、帰りたい。

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 動いてしまいましたなぁ、第9話。元々(脚本家の名前のおかげで)そりゃ何かあるだろ、とは言われていたし、数多邪推されていた展開の1つに落ち着いた、というのが正しい表現になるのだろうが、やっぱりヴェールの剥がし方がいちいち嫌らしくてね。

 今回は完全にタイトル詐欺状態で、ガルガンティア船団についてはほとんど描かれておらず、袂を分かったフランジ隊しか出てこない。というか、ピニオンとレドくらいしか出てこない。わざわざあれだけの苦悩と非難の中で離船したのだから、その目的となるクジライカの殲滅作戦にはサクサク移らなければおかしいってなもんだろう。そういや、船団って元々電力供給のためにヒカリムシが生息してる海域に沿って進むはずだったのだが、離船した船団ってそのあたりはどうするんだろうね。単に銀河道が分流してるだけなのかしら。

 霧の中で黙々とプランを遂行していくピニオンとレド。ピニオンの方は、案の定、過去に肉親をクジライカに殺されたという恨みがあった。あれだけの窮地からよく助かったものだとは思うが、その過去があるために、最もクジライカを憎む者となったのは間違いないだろう。驚くべきは、そのついでに「最もクジライカを恐れる者」にならなかったことだ。肉親の死に繋がる惨状を見せつけられて、クジライカと戦うことはおろか、海に入ることさえトラウマになってもおかしくないと思うのだが、ピニオンはあまりそうした傷を抱えている様子はなく、あくまで、隙あらば兄の敵を討とうと機会を狙っていた。そして、無敵の戦力であるチェインバーとレドを手に入れたことで、彼の望みはめでたく叶うことになった。「お宝」の徴収も順調で、今のところ彼にとっては万々歳の展開となっている。

 しかし、その下で実働していたレドの方はそれどころじゃない。多少なりとも地球環境下で弱体化したヒディアーズを順調に殲滅していった彼は、生涯の願いであった仇敵の駆逐の先に、みてはならない真実を手にしてしまった。結局、彼が生まれながらに植え付けられた「使命」も、単なる人間同士の醜い諍いの先に産みだされたものであったのだ。「ヒディアーズも人類」。たった1つの些細な事実で、レドはあっという間に拠り所を失った。

 さて、最も大きな真実が明かされ、今一度ここまでのこの作品のあゆみを振り返ってみると、実に分かりやすい図式が見えてくる。このレビューでも幾度となく「宗教」「信教」という言葉を使っていたが、結局、レドが持っていた「使命」は「信教」以外のなにものでもなかったということである。レドは大きなショックを受けていたようだが、考えてみれば、有史以来「人が人を殺す」のはとても普通のことだ。レドは「兵士」として育ったのだから、なおさら「普通」である。そして、殺す理由というものは戦争においては一切必要無い。敢えて答えがあるとするなら「敵が攻めてくるから戦う」のであって、もっと突き詰めれば「相手が自分と違うから戦う」のである。神が違う、所属が違う、目標が違う、理念が違う、そして姿形が違う。そうしてみれば、レドがヒディアーズを殺し続けてきた理由は至極「人間的な」ものである。「人類の生存のために」という言葉は現時点では相応しくなくなってしまったが、「同盟の生存のため」というなら全く問題無いわけだし、かつての宗教戦争、侵略戦争と比べても、相手の姿形が全く違うのだから、抵抗は少ない方なのではなかろうか。

 しかし、やはりレドの信教は「相手が自分とは違う」ことに依って立っていたらしい。これが教育ってものなのだろうが、レドは一度たりとも「ヒディアーズに生きる意味は無いのか」ということを考えたことは無かったようだ。ヒディアーズにも家族があり、生活があり、命があるということを、考えたことは無かったようだ。そのことについてレドを責めるわけにはいかないが、彼にとっての不幸は、ガルガンティア船団に流れ着いたことで、「考える機会」を得てしまったことである。これが、宇宙から直接今回のヒディアーズ基地に転がり込んでの殲滅戦なら、まだ救いはあった。「だって知らなかった」で済んだ。しかし、一度クジライカの存在について考える時期があったために、レドは苦しまねばならないのである。「あれはヒディアーズではなく、クジライカである。殺してはならないし、殺す必要が無い」という、「別な信教」を提示されたにも関わらず、レドは思考せずに動いてしまった。そのことが、「知らなかった」では済まされないだけの「罪」となってのしかかってくる。海中のラボを進む中、少しずつヒディアーズが「人」に近づいていく描写が、レドの焦りを如実に表していた。海中に漂うヒディアーズの「胚」の姿は、レドが最後の最後で思いとどまるチャンスだったのである。結局、レドは止まるタイミングを逸し、最悪のタイミングで事実を明かされることになってしまった。

 いや、最悪ではないかもしれない。彼にはまだ、未来が残されている。このまま地球で暮らしていくだけならば、全ての真実を人々に伝え、人類とクジライカの共栄関係を維持するように努めることで禊ぎとなるかもしれない。下手に宇宙に戻ることを求め続ければ、禁忌を犯したことによる自責に必要以上に苛まれることにもなってしまうだろう。出来ることならば、人類が産みだしてしまった情けない負の連鎖を、水の星になった地球の上だけでも止められれば良いのであるが。

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 リジットさんメイン回! 第8話。まぁ、当然辛い話だったわけだが……リジットさんを悩ませるような輩は許し難いが、リジットさんが悩み苦しんでいる表情もまた官能的で良い。日本一喪服が似合う薄倖声優の面目躍如。未婚の頃から未亡人扱いだったのは伊達ではないのだよ。リジットさんにじゅうにさい!

 リジットさんの名前だけでもテンションが上げられる状態なので何を見ても楽しかったわけだが、物語の進行としては大きな動きは無く、前回の激動を受けて、その顛末を収束させるエピソードとなっている。強いて今回一番大きかった出来事をあげるなら、ついにチェインバーが演算を終了させ、地球の位置座標を割り出せたことだろう。案の定、レドの戦場は遙か遠く、(通常の方法では)帰還もままならない。ピニオンの言うように「腹をくくる」覚悟が必要な状況だが、不器用なレドにそんなことが出来るのだろうか。今回は事件が重なったこともあり、レドは「帰ることが出来ない」というショックから、意図せずに視野を狭めてしまっているように見えた。今まではいくらか多角的に目標が設定出来ていたのに、「帰れない」→「だったら地球で出来る限りのヒディアーズ殲滅を行わねばならない」というように、まるで現実から眼を逸らすかのような方向性になってしまっている。タイミングが悪かったと言えばそれまでだが……。

 前回も問題となった「レドと地球人の価値観の差」であるが、地球人の一部が船団と袂を分かったことで、より混迷を極めることになってしまった。レドの持つ「ヒディアーズ撃つべし」はあまりにも妄信的で、地球側から見ればそれこそ宗教のようにしか見えないものだが、逆に船団側の「クジライカを討ってはならない」という教えも、積極的な理由があるわけではない。同族と思われていた船団の構成員から離反者が出てしまったことで、この「信教」も絶対遵守のものでは無いことが露呈してしまった。そして、フランジ・ピニオン率いる新たな一群についても、決して「悪気があって」やっていることではない、というのがまた難しい。正直言ってピニオンは今のところ悪役にしかなっていないわけだが、いの一番に離反を決めたフランジについては、今回の直接対話シーンを見る限りでは決して悪人というわけではない。あくまで「自分たちの利益」を考え、将来を見据えた上で、倫理的にも、法的にも認められた行為としての「離船」を決めた。もちろん船団長の意志を考えるならば大きな抵抗はあるわけだが、それはあくまで情の問題であり、「よりよい船団を作る」という目標が大上段にあるとするなら、誰にも責められた行為ではないのだ。

 だからこそ、リジットさんは悩んでしまった。フェアロックの死とフランジの離船は、実は直接的な因果関係は無いのだ。あくまでフランジはピニオンの提案に乗ったからこそ離船するのであって、フェアロックが去り、船団のトップが交代したことに反感を持ったわけではない。船団の分離に、リジットは何ら責任はないのである。しかし、それにしたってタイミングが悪すぎる。彼女は一人でそんな現状を背負い込むことになってしまったわけだ。そして、それを救ってくれたのがベローズだった。事務方と現場指揮官という立場こそ違えど、若くして人の上に立って決断を迫られるという状況は同じ。現場で培った彼女なりのアドバイスで、多少なりともリジットの肩の荷を降ろすことは出来たようである。年若いベローズが諭すようにしてリジットさんの心をほぐしていく様子は、なかなかに感慨深いものがあった(リジットさんも若いですけどね!!) まぁ、「先週あんたがレドの手綱をきっちり握っておけば、問題はここまで大きくならなかったかもしれないんだけどな」とか思わないでもないのだが。

 船団の分割の影響は、もっと若い女の子のところにも出ていた。なんとアスミスな子(メルティちゃんというらしい)は今回の船団分離によってピニオン側に回ってしまったのだという。いつでも3人一緒だった仲良しトリオに突然の別離が降って湧いたことは衝撃的であるが、メルティちゃんもそんな別れを笑って許して欲しい、と受け入れてしまっていた。もちろん、永久の別れになるわけではなし、そこまで重く考える必要も無いだろう、という気もするのだが、悩ましいのは、彼女たちのような「末端構成員」は、フランジやリジット、そしてレドたちのようにヒディアーズを巡っての「信教」の差で別れるわけではない、ということである。メルティはあくまで「上の判断に従って動いている」だけであり、彼女がクジライカをどう思っているかは関係無い。これでもし、レドの暴走が原因でフランジ船団が壊滅してしまったりしたら、これほど寝覚めの悪いこともないだろう。そんなレドをある程度コントロール出来そうなのはエイミー・ベベルの姉弟だと思うのだが、この2人についても、結局レドの「信教」を止めることは叶わなかった。2人ともレドに残って欲しい、復讐を忘れて欲しいという気持ちは同じく強いはずなのだが、まだまだそれを届けるには足りないものが多すぎる。話の筋を考えれば当然こちらも永久の別れではないだろうが、しばらくはエイミーも辛い日々が続きそうである。

 結果的には、「やたら女の子多めの船団」と「野郎率高めの船団」の2つに分割されてしまったわけだが、今後しばらく注目しなければいけないのは、ピニオンの動向であろう。結局、彼の浅慮(作中ではそうではないかもしれないが、少なくとも視聴者目線ではそうとしかみえない)がハッピーエンドに結びつく未来は見えない。確実にフランジ船団は試練に見舞われるはずで、レドはともかく、みなを煽動してしまったピニオンがどのように落とし前を付け、どのようにそのあとに繋げていくのか。出来れば明るくさわやかな海の景色に心いやされたいところだが、さて……

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 また面倒臭いところに切り込んできたもんだなぁ……第7話。正直、しばらく考えたあとでもどういう視点で見るべきなのか、いまいち定まってません。

 「文化の違い」といってしまえばそれまでである。同じ生き物に対して、やれ殺すべきだの、守るべきだのといった議論は、往々にして戦争の火種だ。それが神である場合もあるし、食料である場合もあるし、単なる愛玩動物の場合もある。近しい事例では、近年諸々の場所で揉めていたクジラ漁、イルカ漁なんかも似たようなものといえるかもしれない。日本人目線からしたら当然「いや、増えてるんだし、食えるんだし、殺せよ。牛や豚と何が違うか言ってみろよ」というのがとても筋が通った説明に見えるわけだが、「こちら目線で筋が通っているかどうか」は関係がない。想像するしかないが、あちらはあちらで全く持って「理屈に合っている」ことしかしていないのだから。そう考えると、ガルガンティアで起きているクジライカ問題も、絶対に穏当な解決策など無いに違いない。

 そんなイデオロギーの問題とは別に、視聴者目線で問題になってくるのは、「果たして視聴者はどちらの側の『理屈』に従えばいいのか」ということ。まず、「ヒディアーズは悪であるから、とにかく誅すべし」というレドの意見。こちらについては、1話冒頭のヒディアーズとの壮絶な死闘を見ているために支持できるものである。そもそもレドは生まれた時からヒディアーズ相手に散々辛い思いをしてきたはずだし、何よりも洗脳と言っていいほどの徹底的な教育を施されている。ちょっとやそっとの環境の変化で、その信念を曲げられるものではないだろう。また、理屈の面においても、「現時点で地球人の文明が取るに足らないものだから無視されているが、もし今後ヒディアーズが牙を剥くようになったときには、どうするというのか」という彼の主張についても、一理ある考え方だろう。「ヒディアーズが人類に仇をなした」という事実は間違いないわけで、その可能性が多少なりとも残されているのならば、次善の策として出来る限り脅威を詰んでおくのは彼なりの親切心とも言える。

 他方、船団側の主張も視聴者からすれば理解しやすいものである。レドとヒディアーズの対決は1話のみだったのに対し、我々はガルガンティア船団の日常にはかれこれ5話以上も付き合ってきた。どちらかというと現代文明に近いこちら側の主張の方が心情的にも受け入れやすい。また、「現時点でなんの脅威でもない」という状態も間違いなく事実。船団の人間の言質からして、過去にクジライカとやり合った経験はあるのだろう。確かにその他魚介類との区別はつかないし、でかいから邪魔だ、という理由や、サルベージ中の遭遇でぶつかった過去があったのは間違いない。そしてその結果として、「クジライカはこちらから手出ししなければ害をなさない」という経験則を得ている。そして「もし争うことになれば人間に勝ち目がなさそう」ということも理解している。突然レドという戦力を得たからといって、「今まで害をなさなかったもの」に攻撃を仕掛ける理由など何一つ無いのである。まして、神聖視する文化まで生まれている状態では、イスラムにおける豚、ヒンドゥーにおける牛みたいなもので、訳もなくちょっかいを出したら怒りに触れるのは当然である。

 2つの「理屈」は平行線だ。そして、視聴者はどちらの主張もある程度理解出来るため、果たしてどちらの目線で物事を見れば良いのかがなかなか決まらない。現時点の脚本では、「どちら側からみて下さい」というサジェスチョンも無いように見えるし、今週分の話まででは宙ぶらりんの状態になっている。しかし、敢えて突破口を考えるならば、個人的には「船団側に分がある」と見るべきではないかと考える。その最大の理由は、結局ヒディアーズという存在が何を目的としているのかが分からないことである。レドは「発展した文化を危機に陥れるもの」という主張をしており、実際に彼の文明はヒディアーズによって甚大なダメージを被っていたわけだが、果たしてそれが、「高度な文明」によるものなのか、という確証が得られていない。現在船団が持っている「こちらから手を出さなければ無害である」という主張も、ひょっとしたらレド達の文明に適用出来る可能性すらある。レドがヒディアーズと戦火を交えていた理由の発端が、「レドの文明側がヒディアーズにけしかけたから」という理由でないと、誰にも保証出来ないのだ。

 今回の船団の対抗措置に関しても、その「すれ違い」の端的な表れであったように見える。電気を消し、動力を止め、とにかく静かにしていれば、クジライカは何も害をなさなかった。多少の不便は生じるかもしれないが、人命に関わるようなこともなければ、余計な争いを生む心配も無い。ひょっとしたら、宇宙空間における人類も、そうしたスタンスだったら問題は起こらなかったのではないか。結局、今回の問題は「レド側」「船団側」という2つの思惑に加えて、「クジライカ側」という第3の勢力の意見を聞かないことには解決しないのである。この状況から、無事に最善の「共存共栄」策を見つけることが出来るのだろうか。

 ただでさえ面倒な状況なのに、突然荒ぶりだしたピニオンのテンションが心配である。その声で「死んだ兄貴の仇」とか言われても、「アニキはお前だろうが」と言いたくなるのは仕方ないとこだよね。ブータに文句を言ってもなんの解決にもならないがな。それにしても、ベローズと言い争って首根っこ掴んだ時、彼女の服は一体どんな状態だったのだろう。当然画面には映っていないが、ベローズのあの衣装、肩紐部分をふんづかまえたらその下のおぱいの部分が大変なことになっていた気がするのだが……

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