最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
つまり……どういうことだってばよ、第10話。サブタイトルからして前回までの仮定がひっくり返るんだろうとは思っていたが、それがまたひっくり返って? で? まぁ、多分あんまり理路整然とした話にはなってないんだろう。最終的にシアンの能力がどのようなものなのかは闇の中。というか、基本的にこの世界の「ヒーローの能力と信頼値」についての仕組みはいまだにその全てがブラックボックスなのである。この世界に生きる人々は信頼値の増減や大小をめぐって一喜一憂を繰り返しているが、果たしてどれくらいその内実に迫った上で対処しているものだろうか。 文字通り大舞台へと躍り出た「ラッキー」シアン。あれよあれよと神輿を担がれた彼女はいまいち自分の置かれてる状況がわかっておらず、晴れ舞台となるライブステージで堂々とルオについての思い出話をしてしまう。まぁ、別にそれくらいで世間が動くとも思えないのだが、何せこの世界の人たちは「信頼」に敏感。それこそ彼氏騒ぎが巻き起こるとこの世の終わりのように騒ぎ立てる愚昧な声優オタクのように。とっかかりが生まれればあとは噂が走る速度はマッハ。彼女が施設を再訪して院長に出会ってしまったことも悪影響を及ぼしたのだろうか、シアンの能力が「反転」し、自らが育った土地に不幸をばら撒くことになる。この時点で「シアンの幸福は他者の不幸を糧に成り立っている」という言説がまことしやかに流布したわけだが、今回の話だけを見るとそれが果たして正しかったのか、単なる妄言だったのかはよく分からない。実際に施設跡地でゾンビ騒動が起こったわけで、何かしらの「悪いもの」はどこかに溜まっていた。それを後付けで「恐怖因子」と名付けるわけだが、これはシアンのパーソナリティには関わらない世間一般の条理なのか、はたまたシアンのラッキーの反動から強烈に打ち出された現象だったのか。そのあたりは来週以降に恐怖因子に触れるタイミングで少しずつ掘り下げられていくのかしら。 とにかく、シアンの幸運は世の人間全ての幸運には直結していない。前回「ラッキーマン問題」についてディティールを検討したが、そもそもの能力が「絶対的幸運」でないならば、あまり能力の成果を語る意味もないのだろう。一部ではうまくいっていた要素も、別な側面を切り出せば不幸になりうる。まぁ、ある意味では人間社会の根本原理と言えるものなのかもしれない。シアンはそれを操作しているのか否か。まだしばらく答えは出ないだろう。 とにかく、なんとかして「不幸」との関係性だけでも切り捨てなければいけないシアン。かつての友と対峙し、窮地では自分に希望を託した2組の親の力が彼女の背中を後押しする。それが信頼値と呼べるものなのかは分からないが、シアンの源流は「幼き日の希望」であるという。これは言い換えれば、赤子だったにも関わらず極限状態にあったもんだからその身に余る想定外の信頼(期待というべきか)を背負ってしまったがために、あの日あの時、あの場所でラッキーシアンが爆誕したということなのだろう。死者の「信頼」が無限に続くとは思えないので、そうして生み出された「ラッキー」の化身は燃料切れならぬ「幸福切れ」を起こさぬよう、院長が聖女として祭り上げてしばらくはその絶対性を維持していたが、くだんの騒動でシアン自身が「ラッキーの担い手」の座を一度おりてしまったことで歯車が狂った。おそらく余計な揺り戻しはシアンの責任ではなく、聖女に過度な期待を寄せすぎた哀れな民草への代償。「いっぺんにまとめて借り受けられるラッキーなんてありませんよ」という、なんだか「笑ゥせぇるすまん」みたいなお話でしたとさ。 ……まぁ、幸せならばOKなんですが……恐怖因子、恐怖因子なぁ……信頼値とは別軸の概念なんだろうか。ますます世界は意味のわからんことに……。
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