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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 まさかのこれまでで一番鬱展開、第20話。今まで冗談で済んでいた部分が、だんだん洒落じゃなくなる怖さ。いや、今までも充分洒落になってなかったけども。ギロチンゴリラとどっちが酷いか。

 「最後の悪」を名乗る澤田灰司という謎の存在。それは「いつか見た少年」には違いないのだが、どうやら直接的に「中学生」がラスボスというわけではないようだ。その存在自体は1年前に消滅してしまっているようだし、実際の活動内容を見る限り、単なる中学生であるはずがなく、もっと言えばおそらく人間ですらない。原塚の言葉を借りれば「四次元人」かもしれないし、最後の羽佐間の言葉を借りれば「妄想が勝手に作り出した幻影」である。つまり、「非実在の悪」である。

 これまで様々な「悪」がサムライフラメンコと対峙してきた歴史があり、その全てがサムメンコのために用意されたものである。「大宇宙さん」の言葉によれば、サムメンコが戦い続けたければエンドレスで「悪」を送り出すことも可能だったはずなのだが、その悪の無限連鎖については、羽佐間が大宇宙さんに申請して終了した。この世には大小あらゆる意味で「悪」が無くなったはずなのだ。しかし、唯一「悪」が残っていたとするならば、その存在自体が世界を構築し、外界を改変し続けた羽佐間正義そのものである。「悪」が無くなったことは間違いなかろうが、羽佐間の中に「悪を求める心」はいくらかでも残ってしまい、それが「外界に極力影響を及ぼさない範囲で」現れることで、事態は最悪の物となったのではなかろうか。つまり、「世間には悪にあらず、羽佐間にとって最大の悪」となるのが、今回の澤田灰司だ。彼の存在は他者には認識出来ず、極力羽佐間に悪い影響をあたえる行為だけを行っていく。おそらく、ブルーの家を荒らしたのも、ブラックの祖父を殴打したのも、グリーンの六法全書を千切って子供と接触したのもの、ピンクの髪を切ったのも、原塚を押したのも、要を轢いたのも、全て「澤田」という存在ではない。画面には見えてこないが、おそらく原塚を押したのは施設内の誰かであるし、ピンクの髪を切ったのは通りすがりの誰かだ。これまで存在しなかったはずの「悪」が羽佐間に関係するフィールドに限定して、同時多発的に発生することになってしまったのである。

 澤田は何度かキングトーチャーの名前を挙げて、自分の存在と比較していた。確かに、過去にサムメンコが対決してきた存在の中で、純粋に悪を名乗ったのはトーチャーさんだけだった。フロムビヨンドは「もう1つの正義の可能性」だったし、奥崎総理も「歪んだ大義」、フラメンコ星人も「相対化された意志」であり、積極的に「悪」ではなかったのだから、「悪」を名乗る澤田が自分と比べられるのはトーチャーだけである。トーチャーの場合、悪を目指した動機は純粋存在への憧れであった。羽佐間が妄信的に正義に憧れたことの対極に、トーチャーがいるという位置づけだった。しかし、実はこの場合の「悪」も、真逆というわけではなく、「正義」と共通する部分がある。それは、1つの信念のもとで世界を統一的に管理するという目的意識だ。極論ではあるが、羽佐間が全てを成し遂げた後の「悪のない世界」と、トーチャーが実現したかもしれない「完全独裁の統一的征服世界」は、1つの法の下で平等化されるという点においては同じ理念である。それはそうだ。トーチャーの憧れた純粋悪とは、正義と競い合い、高めあう存在だったのだから。

 しかし、澤田のそれは決して「正義」と志を同じにしない。何故なら、その目的が純粋に「羽佐間のみ」に向けられている「悪」だからだ。これまでの「悪」の中では最も小さいスコープではあるのだが、だからこそ純粋であり、厄介である。その「悪」には終わりがなく、羽佐間自身の存在が消滅でもしない限り、永遠に悪は活動を続けられる。羽佐間が正義を振りかざせば振りかざすほどに、この「内面的悪」は輝きを増し、純度を高めていくのだ。よく「己の敵は己」なんてことをいうものだが、羽佐間の場合、正義志向をこじらせすぎて、最も面倒な敵を産みだしてしまったことになるわけだ。ビヨンドフラメンコも「もう1つのフラメンコ」ではあったが、それはあくまで外界であり、それ故に羽佐間にも干渉が可能だった。しかし、今回はそうもいかない。「悪が存在しないはずの世界に残された最後の悪は、正義の裏側に潜んでいた」。ふむ、まぁ、こういう衒学的な方向で落ち着くよなぁ。

 この禅問答のような敵の図式も、それだけが立ち現れれば「ま〜たやってるよ」と苦笑い1つで受け止められるナンデヤネン設定で済んだのだが、この脚本のいやらしいところは、澤田の登場前に、わざわざ1話使って後藤さんの悲劇に切り込んでいるところである。「非存在」は、それが「悪」に還元されるだけならば「羽佐間がしっかりせぇよ」と言われておしまいなのであるが、後藤の彼女というもう1つの「非存在」が存在しているせいで(ややこしい)、「無いものを否定することが救いを奪うことにもなる」という両面性を持たせてしまっているのだ。これにより、羽佐間は自己に内在する悪の可能性に気づき、恐れながらも、後藤の姿を見ているおかげで否定しきれずにいるのである。もちろん、一度「非存在」の切実さを見せつけられたせいで、視聴者側も「なんやねんそれ」と無下に言いづらい空気が作られている。いや、「なんやねんそれ」には違いないんだけどね。そもそも大宇宙さんが「なんやねんそれ」の極みだったもんでね。結局、「否定」は後藤との軋轢を生み、羽佐間が何よりも求めていた友情を失ってしまうという悲劇を引き起こしてしまったのである。

 さて、結局澤田は実在するのかしないのか。そして、どうすればこの「悪」を駆逐出来るのか。最後に迎えた鬱々とした山場を、僕らのなんちゃってヒーロー・サムメンコは打開することが出来るのだろうか。そして、ブラックのおじいちゃんは大丈夫だったんだろうか。人的被害が出てるブラック・要の2件だけ極端に凶悪性が高いのが酷い。まぁ、一番実質的被害が少なかったグリーンのところも、事実上強迫されてるようなもんだし、恐怖感はより一層強いとは思うんだけども。どうせだったらミネミラのとこにも行って何かエロいことしてくれれば良かったのに。まりちゃんたち、まだ温泉で飲んだくれてんのかなぁ。

 ちなみに、今回ゲストキャラとして澤田の元クラスメイトが「中学生A・B・C」と3名登場しているのだが、何故かキャストが石川界人、花江夏樹、村瀬歩と無闇にしっかりしている。微妙に贅沢やな(ちなみにグリーンのところの幼女は井澤詩織である)。

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