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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 ようやく行ってきました。封切りから随分時間がかかってしまったが、全部混んでるのが悪い。基本的に、長年培われてきたぼっち根性、コミュ障の症状のせいで、極力人がいるところには行きたくないんだよ。映画も1人で観たいんだよ。隣に知らない人がいるとか言語道断だよ。だから、空くまで待つしかなかった。あと、空いてるだろうタイミングでも季節柄雨が降って面倒になることも多かったけど。とにかく、これ以上待つと今度は暑さで外に出らんなくなる、というギリギリのタイミングで、ようやく視聴が叶いました。

 

 

<以下、一応ネタバレ的要素もあるかもしれないので注意>

 




 

 とりあえず、「奏さんがまた絶唱して後進に道を諭してる……」というのが第一の感想かな。あの唐突な出現シーンは流石に吹くわ。「中の人はなんで?」って思ったけど、考えてみりゃ読売系列の作品だから自然ではある(そうか?)。

 さておき、一言でまとめると「予想していたものが予想通りに」といったところだろうか。事前に「アメリカ版のけいおんみたいなもんらしいよ」という噂を聞いていたのだが、まぁ、本当と嘘が半々か。確かにテンプレートとして同じものに乗っている部分はあるものの、製作理念が大きく異なっているために、あまり「けいおん」と重なる印象はない。最大の違いは、この映画は「卒業後」であるということ。けいおんはアニメシリーズで卒業の様子を描いておいて、劇場版でそこから少し戻って卒業旅行の様子を描いていたわけだが、今作はアニメ2期の終了時期から更に時間を進め、卒業式の日から物語が始まる。けいおんのゴールはあくまで「卒業」であり、「学生時代の1ページ」を作りあげることが目的だったが、今作はそれでは駄目なのだ。「School」の終わりではあるが、それは一般的な「卒業」ではなく、「Idol」の終幕を描く必要がある。おかげで、あまり見たことのない、不可思議な筋立てになっていたわけである。

 ぶっちゃけ、筋立てだけを見たら荒唐無稽もいいところである。アニメ2期の時点で既にμ‘sはおかしな高みにまで登り詰めており、彼女達がライブに出場するとなれば謎の大吹雪が襲い掛かっても街全体が彼女達の道行きをサポートしてくれるし、μ‘sが歌えば秋葉原全体が震撼する。そんな存在にまでμ‘sという存在は昇華してしまっている。そして、今回はそんな「終わったはずのμ‘s」に再び火を灯し、更に完全に幕を閉じるために、更なる高みへと放り投げるのである。世界規模のアイドル。穂乃果が一声鳴けば、日本中からスクールアイドルが集まってイベントが開かれる。そんな想像を絶する存在に、彼女達は到達してしまったのだ。

 別にそれが悪いということは全く無い。そこでリアルにこだわることで物語が縮こまっては意味が無いし、既にテレビシリーズでぶっ飛んでいたなら、映画では更に無茶苦茶してもらった方がいいに決まっている。彼女達はもう、世界を司る神に等しい存在なのだ。たとえアメリカ遠征でどたばたして一切練習する時間がなくとも、歌も振りも完璧にこなすことが出来る。彼女達は、あの世界では紛れもなく「idol(偶像)」なのである。そういう意味では、今回の映画はちょっとした「暇を持てあました神々の遊び」みたいなもんである。タイトルをつけるにしても「ラブライブ! ニューヨークの幻」とかにした方がしっくり来る。神託をつげに来た謎の女性シンガーの存在とか、そこを深く突っ込む意味は全く無い。彼女は穂乃果が生み出した幻影であり、彼女が自らの背中を押して「正解」を導き出すためのツールでしかないのだ(実際、この世界ではμ‘sの選択は全て正解となるのだ)。

 こうした「極まった」ストーリーラインになるのだから、後はμ‘sを、「ラブライブ!」という作品を崇拝しているかどうかで今作の評価は変わってくる。正直、ちょっと引く部分もある私はファンの中でも下等な地位に甘んじているのだと思う。とにかくμ‘sが暴れ、μ‘sが幸せになれる。それを見ることで至上の幸せを感じる人々は、私よりももっとこの映画に埋没していたはずだ。そりゃまぁ、2時間まるまるμ‘sメンバーのいちゃいちゃが見られるのだから、そこに不満の出ようはずもないだろう。シナリオの細部を気にする人間ならば、すでにテレビシリーズで離脱しておるわ。

 かくいう私も、最終的に「ライブやってくれれば別にいいや」ってなもんで、要所要所で見せる彼女達のいちゃいちゃを見ているだけで不満は無い。特に今回はのぞ×まきの絡みが多かった気がするので、2期から急激に猛虎ネキが気になり出した身としては嬉しい限り。逆に、推しメンであるはずのかよちんは今回あまり炸裂しなかった。最大の見せ場になる(と思われる)アメリカでの白米欠乏症についても、特に彼女らしいオチを用意されるでもなく、あくまで「必要なイベント」として淡々とこなされたような気がする。まぁ、ニューヨーク1夜目の凜ちゃんとのベタベタがあればそれで良いか。冒頭から彼女が「DOOMだよぉ!」と破滅を予言していたのはなんだったのでしょうね。

 各メンバーを個別に見ていくのはなかなか難しい。何しろμ‘sは9人もいるのだ。放課後ティータイムの5人ですら一本の映画で全員に見せ場を作るのは難しかったのだから、同じ時間で9人はますます無理。その割に、今作はあまりバランスの偏りを感じさせずに全キャラクターのファンをまずまず満足させていたと思う。特にリーダーとしての牽引力を感じさせた凜あたりは突出していた気がする。それでも、あくまで「穂乃果の物語」として全ての結末を収束させることが目的だったために、他の8人の中で特別贔屓されたキャラもおらず、何とも「丸い」まとめ方。「ちょっとにこまき成分が足りない気が」と思っていたら最後の写真撮影のところで一気に持っていったし。「誰が主役」ではなく、「μ‘sが主役」という意識が、決してなおざりな結果ではなく、9人の和としての結末を綺麗に演出していたのではなかろうか。

 その「チームの和」を効果的に彩ったのが、合計6回ものライブシーンだ。ミュージカル風にストーリーの合間に挟まれた曲シーンは、最初ぶつ切りになった気がして「どうやねん」と思ったが、2つ目の3年生トリオの歌が存外に決まっていたし、画面も非常に愉快だったので、これこそがラブライブオリジナルの演出方向なのだ、という認識になった。「起承転結」の「承」としての役割を果たすアメリカでのライブは絵里を中心に「異国でのジャパンライク」が面白い具合に表現されていたし、ラストに2つ流されるクライマックス・ライブは言うことなし。「秋葉全体、学校全体でスクールアイドル」という突拍子も無い催しものも、ライブシーンとしての一糸乱れぬダンスになってしまえば文句の言いようもない。そしてエンディングライブは、曲の中にμ‘sのメンバー全員の名前がしっかりと刻印され、「この9人こそがμ‘sである」というこれ以上無い宣誓となった。アニメキャラクターとしてのμ‘sの物語はここで幕を閉じる。これは、これでよいのではなかろうか。もちろん、こうして執拗に「終わり」を強調しながらも「スクールアイドル」という存在を確立させたことは、後進、次なる一手への橋渡しの役割も果たしているということ。次の世代は、もう動き始めているのである。

 余談だが、何故か本作は作中で一度も「アメリカ」「ニューヨーク」という具体名が登場していなかった。自由の女神まで登場してるんだから伏せる必要も無いと思うのだが、そこを明言出来ない制限があったんだろうか。謎である。

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