おそらく今週来週はもうスポイラの相手で手一杯になるだろうと思い、なんとか観てきました、劇場版。この夏は「シン・ゴジラ」も含めると劇場作品は4本観た事になりますが、まぁ、これくらいが良いあんばいか。
(以下、ネタバレとか特に関係ないけど具体的な内容に触れるかも注意)
一言でまとめるなら、涙腺を鈍器でダイレクトに殴り続けてくる作品。もうね、大変でした。歳をとってからというもの本当に泣き虫になってしょうがないのだが、いくら何でもここまで泣きっぱなしだったのは初めての経験だ。普段、家ならまだしも劇場でってあんまり泣かないようにはしてるはずなんだ。理由は大きく2つあって、1つは単に恥ずかしいから。回りに他のお客さんがいるところで鼻をぐしゅぐしゅさせてるおっさんって、みっともないじゃない。いや、別に回りの人なんて誰も気にしてないんだろうけども。今回も、中盤以降はずっとボロボロ涙こぼしっぱなしだったんだけど、回りにばれないように鼻もすすらず、涙も拭わず。終盤、回りから共鳴するようにグスグスと鼻をすする音が響くようになって、ようやく「あ、俺もいいんだ」って思ったくらい。むしろこういう感情共有を楽しんだ方が劇場らしくていいのにね。もう1つの「泣かない」理由は、こうしてブログで感想を書きたい、っていうモチベーションがあるせいで、いくらか客観的な、分析的な見方になるから。テレビで観てるならいくらでも巻き戻しが出来るが、劇場でもういっぺんお金を払って見直すのは大変。出来るだけ1回で全ての情報を取得し、それを文章に落とし込めるように整理しながら受容したい、って思うので、いくらか冷静に見ることになるんだ。普通の映画ならね。
しかし、幸か不幸か今作はそうした部分で分析的になりきらなかった。何故って、シナリオの半分は配信版で既に観てるから。どう呼び慣わしたらいいか定かじゃないので「星の人」パートと「屑屋」パートという風に分けさせてもらうが、演出の方向はいくらか変わっているものの、「屑屋」パートは配信版で一度見た内容である。正直、完全新作映画だと思って観に行ったために「あれ? 配信版と同じ内容やるのかよ」と冒頭で肩透かしをくらったくらい。しかし、この「屑屋」パート、一度見て筋立てが分かっているだけに、最初から最後まで、細かい演出意図がダイレクトに伝わりすぎて、もう冷静には観ていられないのだ。こうして改めて見直すと、本当に1つ1つの台詞の置き方が周到すぎて、全部が全部「泣かせる」着地点に向いているのが分かる。極端な話、最初にゆめみと出会って花束を受け取るあたりでもうちょっとヤバい。ゆめみが何度か口にする「重要命令」なんて言葉でもヤバい。全てがあの屑屋とゆめみの別れのシーンにつながってしまうので、もうそれだけで泣けてしまうという、我ながら安上がりでチョロい仕様の視聴者である。
配信版の感想でも書いたけれど、こういうベタの極みのお涙頂戴ってのは、洗練してあれば充分に破壊力のある物語になるもんだ。お話の骨子はあまりにシンプルで、多少パーツをいじれば、子供に読み聞かせる童話だと言ってもおかしくない。「ごんぎつね」や「泣いた赤鬼」のような訓話として子供に読み聞かせるお話に、今の時代ならロボットが登場しても何も問題は無いだろう。「ごんぎつね」も「泣いた赤鬼」も、「人ならざるものが持つ人の情」という部分で大きく括れば今作と共通しており、こうした「異なる」存在との触れ合いを通じて、「人らしさ」を学ぶ情操教育になるはずだ。私もこの歳になって、改めて教育されているのである。
さて、ここまでの話は配信版だけでも片付く話なので、劇場版で加わったパートも含めての「星の人」としての全体について。この「星の人」「屑屋」の二段構えというのも、実に周到な構成になっていると思う。配信版を先に観たかどうかで印象も変わるかもしれないが、まず、「屑屋」パートはそれだけでファンタジーである。荒廃した近未来の情景は我々の世界とは違い過ぎるのにどこかが繋がっていて、そこに現れるゆめみという存在の異物感が、この遠くて近い異世界をより一層浮き彫りにする。そして、そんな「異世界」である「屑屋」パートで与えられた「物語」をさらに膨らませてもう1つの「物語」を仕立てるのが、「屑屋」パートの世界から分離したもう1つのSF世界、「星の人」パートなわけだ。我々は、この2つの世界(正確に言うなら2つの時代)の間に、屑屋の人生に何があったのかは分からない。しかし、すでに「屑屋」としての物語を享受したために、彼の人生を狂わせた1体のロボットの重さ、そして、遺志を継いだ屑屋の尊さを知っている。だからこそ、「星の人」の僅かな描写からでも、荒廃した世界の中でかろうじて生き残り、戦い続ける人々に与えられた「星」という存在の清さを認識出来る。
改めて考えると、この「星の人」パートにおける「星の人」の存在というのはなんとも珍妙なものだ。明日の食料さえ危うい時代、人々は星を見ることすらかなわず、そもそも星を見ようなどという意識すら起こらない。そんな中で人々に星の魅力を伝えようとする努力など、あまりにも無駄であり、滑稽ですらある。しかし、彼の夢はなんとも場違いで道理に合わぬものであるのに、その行為の根底に根付いた「人間らしさ」の発現を知っているが故に、我々視聴者は彼の労苦を無下に扱うことが出来ない。生きることに必死な時代、人々が人間らしさを失いつつあるからこそ。人間らしさを守り、諭し続けた1体のロボットの遺志が、何よりも尊いものと見えるのである。「星の人」の思いを継ぐのは、まだ世界について何も知らない子供たち。正直、彼らが大人になる未来にまで人類が生き残れるかすら定かでなく、彼らとていつ「星の人」の夢を諦めるかも定かではない。そんな中でも、「星」という不変の存在の美しさを伝え続ける、そのあまりに純粋な夢を無視出来ないのである。子供の一人が訴えた「こんなのデタラメだ。だって、綺麗過ぎる」という一言は、どんな世界、どんな時代に生きる人間でも、一度は感じることが出来る星への憧れを表した、この世界全てを支える嘆息だったのではなかろうか。
ラストシーンで「屑屋」が漏らした「報われた」という一言が、この救いのない物語を圧倒的なハッピーエンドに仕立て上げている。我々の知らない、彼の人生を賭した苦労は、最後の最後に遺志を継ぐことで結実した。「神」「天国」「花束」「涙」。どれもこれも、彼の人生を祝福するために用意された言葉だった。そして、個人的にひどく感銘を受けた要素としてあげておきたいのは「酒」かな。村長のおばあさんと2人で酒を酌み交わすシーン、星の人が心底幸せそうにその一杯を飲む様子に、彼の人生の全てが詰まっているような気がした。大木民夫氏による「星の人」の情感たっぷりの語らいがとても良い味をだしている。
他にも色んなキャラに素晴らしい台詞はたくさんあるのだけど、今作を象徴する一番の台詞を1つだけ選べ、って言われたら、ゆめみの「少し壊れています」になるかな。別れのシーンで明かされる「壊れている」ことの真意、本当にたまらないものがあります。涙を流す機能を持たない廉価版のゆめみ。彼女が大粒の涙をこぼすことが出来た「人と隔てられない天国」の様子。なんだかもう、それだけで充分だ。
長々と益体もないことを書き連ねてみたが、とりあえず「思いっきり泣けて本当にすっきりしました」ということでまとめておきます。スタッフの皆さん、ありがとうございました。あと、配信版を観るように勧めてくれた某氏にもこっそりありがとう。これからもギャルゲー道を邁進しておくれ(オチ)。
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