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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「ワールド イズ ダンシング」 6→7 明確にinterestingで惹かれたアニメ。まー、アニメ視聴ごときで何を学んだような顔してんだって話だが、今まで全く知らなかった世界の、知らなかった考え方が少しでも気になれば、それは学びといえるのではなかろうか。 1話目の白拍子の強烈な「舞」から入ってインパクト抜群だった今作。映像クオリティは最後まで一切落ちることはなく、舞台が関わるシーンの凄みは(そこまで数は多くなかったが)常に魅力であり続けた。確か新番チェックの時にも引き合いに出したと思うが、「ワンダンス」との制作理念の違いは興味深く、あちらは(なんかネットで叩かれたりしてるけども)わざわざモーションキャプチャーを使うことによって「人の身体とはどのように動くものなのか」をなんとかアニメ上でリアルに表現しようと心を砕いていた。結果的に「アニメの画」にまで噛み砕くことができなかったことがなんか批判を浴びている原因だと思うのだが、私はあの取り組みの目指すものは評価するし、たとえ画面で浮いてしまったとしても、それ自体を「身体性」の特異点として浮き彫りにしたのなら、意味はあったんじゃないかと思っている。 対して今作の場合、「人が舞う意味」について最初から最後まで考えることをやめず、鬼夜叉の体験や思考を通して、現代の人々に「なぜ人は舞い続けるのか」「それが、どのような形で現代へと受け継がれているか」を考えさせる。そのため多分に観念的な要素も画面に取り込む必要があり、ざっくりした言い方になるが、とても「アニメ的な」舞いの映像を作り上げている。しかしそれがありきたりな画面になってしまうと鬼夜叉や観阿弥たちが探し求める「舞」の真意としては物足りないものとなり、彼らの追求するものが途端に安っぽくなる恐れがある。歴史の重みをのせつつ、そこに人類がひたすらに受け継ぎ続ける普遍性も与えなければならない。どうにも矛盾したようなその観念を、なんとか形にしようとした結果が今作の映像。私は、そこに挑んだことだけでも充分な評価対象だと思うわけだ。 まぁ、わたしゃ猿楽はもちろん能狂言についての知識なんてさっぱりないので今作で語られた種々の思索が的を射たものなのかは判断できないのだが、少なくとも私は理解できる部分が多かったし、「そういうことを考える人たちもいるだろう」という納得があった。世阿弥が追い求めた「花」の姿の一端が見えた気がした。もちろん、「1クールのアニメを見ただけで分かった気になれるような浅い領域じゃねぇよ」と言われたら返す言葉もないのだが、少なくとも私が何か分かったような気になったし、そうした思索・活動を現代も続ける人たちに敬意を払えるようになったというだけでも意味はある。この流れは、間違いなく「ワンダンス」→「今作」の流れで作られたものなのだ。私個人としては併せて感謝したい。 毎度お馴染み花守ゆみり礼賛については(文字数。 PR
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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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