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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
日曜の! 夕方!! 5時台なんだが!!? 第22話!!! 健全な青少年たちが楽しめるアニメです。限界ギリギリまで攻めろ、それが青春だ。 いやいや、別に邪な目で見る作品じゃないですし、終わってみればいつも通りのピュアっピュアな内容だったわけですが、それにしてもあの湿度での描かれ方はさすがに居住まいを正してしまいますわよ。おっちゃんらはな、若者たちのピュアなお付き合いのご様子とか眩しすぎて正面から見てられへんねん。みんな幸せになってくれよな。 今週は推しカプである東×平組がおやすみ(平の中の人だけにゃーと鳴いていたが)ということで、僕からしたら物足りなく感じそうなものだが、もちろんそんなことないのがこの作品の三点体制。先週までにたっぷり匂わせていた「進路の悩み」を紐解く行程で、残り2組もばっちり魅せてくれやがります。 まずはピュアネスで言えば他の追随を許さない西・山田組。西さんが抱えていた悩みは「進路の決定で親とそりが合わない」という高校生らしい悩みであった。もっと厳密に言えば、これまで人生で重要な選択は全て親任せだった西さんが、この度生まれて初めて自我を出して親の提案とは違う選択をしてみようと思えたが、それがまだ母親に響いてない、という問題。西さんだって「大人」になっていくのだし、進路選択は今後の人生を左右する重要な局面。ランドセルの色を選ぶのとは話が違うのだから、お母さんだってもっと娘にヒアリングをすべきなのだが、そこは悪気があってやってるわけじゃない。「うちの娘は何にも決められないから私が決めてあげないと」と本気で思っているからこその親心であろう。ただ、そこに成長した娘さんの自我がちょっとぶつかる。人生で最初に乗り越えるべき「社会」ってやっぱり親なんですよね。そういう意味では至極真っ当な成長記録。これ、お父さんがもっと的確にサポートしてくれれば西さんも悩まずに済んだんですけどね。どうやら西家のパパさんはあんまり頼りにならない様子。それでも奥さんの言いなりになるよりはよっぽどいいけど。 なんとか自分の要望を出すことができた西さん。それだけでも充分な進歩だと思うし、それが出来たのはこの1年で彼女が受けた刺激を持って成長できたから。もちろん、一番大きな影響を与えたのは山田に違いない。彼との付き合いがなければ、「もっとワクワクする未来」を想像して親に具申することすらできなかったかもしれない。あとは何気に本田さんの存在もあるよね。彼女の常に的確でクレバーな判断力に憧れているからこその2人の関係性。早々に推薦で大学を決めてしまった本田さんからしたら西さんの悩みも「高見の見物」なわけだが、ちゃんと親身に話を聞いてくれているし、本田さんとの普段の何気ない対話からも、精神的な成長は得られたのではないだろうか。 そうして大人になった西さんが、もう一歩大人の階段を登るかどうかの選択だったが……まぁ、そこはね。時間帯を考えてもろて。でも、このシーンでの山田とのやりとりもとても「らしい」ものでよろしかったですね。互いに決して相手に依存するわけではなく、あくまでも「尊重」。お互いに最善の関係性を目指して悩み続けられるからこそ、愛情は育まれているのである。 そうして互いのことを想い合う時間の長さでいえば、作中でトップなのはもちろん鈴木・谷ペアである。谷の悩みは「進路を考えてて候補は上がったけど、進学で鈴木と離れ離れになるのがヤだったから飲み込んだ」というもの。まぁ、これも想定通りのシチュエーションである。そしてそんな谷の逡巡を初めて嗅ぎ取った鈴木だったが、その後の思考と行動の展開が早いのが鈴木の強み。下手なカップルであれば、ここで「あたしになんの相談もしてくれなかったじゃない。なんで!?」と不貞腐れることもあるかもしれないが、鈴木はその思考からすぐに「でも言い出しにくくしてたの私じゃん!」と内省できる。そして、谷の振る舞いからどうやら彼が遠くの大学の方に心を向けていることも察して、反射に近い速度で「別れることも考えなければ」と持ち出せる。後になってベッドの上でのたうち回っていた通り、鈴木の本心からすれば別れるなんて言語道断。絶対に避けたいはずなのに、谷の未来を最優先で考えた時に、「自分が邪魔にならない」ルートを即座に提案してしまえる。これができるからこその鈴木である。 対する谷だって、思いやりの深さでは負けていない。まずもって鈴木に心配をかけまいと進路の話を飲み込んだのも谷の優しさであろうが、その迷いがバレてしまった今となっては「優しさ」はもはや理由にできない。鈴木から「距離を取ろう」という提案を受け、そこに鈴木のどうしようもない葛藤や決断の苦しさを理解したのだろう。そこで鈴木の判断を責めるでもなく、甘んじるでもなく、「鈴木をこんなに悩ませてしまったのは自分の甘えからだった」と自己に責任を求める。この両者の判断も、どちらも「尊重」の結果である。 人と人とのお話、そして変化の激しい青年期のお話、誰もが皆ハッピーになる万全の結末を求めるのは難しい。この先、谷が改めて進路を熟考した結果、近くの大学でこれまで通りの関係を続けるか、遠距離恋愛みたいな関係性を選択するかはまだ分からない。今回の流れを経た後には、どちらの選択だとしても万全とは言えない悩みが付きまとうだろう。それでも、悩み、選べたそのことが、若者たちをもう一歩大人へと引き上げてくれるに違いない。本当に、恵まれた2人じゃぁないか。 PR やっぱいい女しかいないな! 第11話! マジでそれぞれの生き様が格好いいのよ。「いい女」は「善い女」でないことには注意が必要だけどな! いい女1号、ボラクチン。これまで言及してこなかったけど、彼女のCVがくじらってのも攻めた配役でばっちりハマってるよな。そりゃま、年嵩の女性だし、他の妃たちとは存在感が違うわけだけど、ここでその渋さ、重さに重点を置いたキャラ設定を前面に打ち出したのが物語の重厚感を出すのに一役買っている。彼女は今作で登場する「魔女」の中でも筆頭のような存在で、現時点に限り、という条件はつくものの、その知識と経験を見事に活用し、野望を成就させている。元々チンギス皇后という強い立場の人物ではあったはずだが、それだけに行動には制限も効いていただろうし、立場にあぐらを描いてしまえばチンギスの死と同時に表舞台から退場していた可能性すらあった。そんな人物を取り上げたオゴタイの器の大きさもみるべき点なのかもしれないが、そこからしっかりとオゴタイの期待に応える働きを見せたボラクチンの胆力と執念は凄まじい。あるべくして、その地位にある人物である。 ボラクチンの謀略によってトルイが排除され、オゴタイ1強の体制が着実に形作られていく。その陰で尽力するボラクチンを見ながら、どこか心痛めた風のモゲさんも引き続きいい女である。彼女はほんとに純粋で、思いやりと愛嬌で周りに光を与える女性像。現代の感覚からも分かりやすいそのポジションだが、どうやらそんな彼女もボラクチンには思うところがあるようだ。元々ボラクチンだけじゃなくドレゲネに対しても色々と感じていた彼女のこと、今の情勢があまりにもボラクチンの思い通りになってることについて、喜ぶべきだとは分かっていても、どうにも座りの悪さは覚えているのだろう。ボラクチンもシタラも、野望のために色々と画策するのは構わないが、どうかモゲさんみたいな心優しき人が苦しむことにだけはならないように願いたい。 ドレゲネさんは現在行方不明なので置いとくとして、そんなドレゲネさんの行方を追う我らがシタラさんだって、そりゃいい女ではあるよ。ただ、現時点では彼女はボラクチンというあまりにも大きな壁を前に行き詰まってしまった状態。必死に打開策を模索した結果グユクというキーパーソンに辿り着いたものの、そこにはすでにボラクチンたちの手が回っており、なんとドレゲネの息子がソルコクタニとの婚姻を命じられるという。これにてオゴタイ・トルイの関係性が決定的なものとなり、一族内の構図はボラクチンの思い描いた通りになる。そして、どの目線に立ったとしても、この命令を拒否する理由はないのである。シタラさんもそんな命令を盗み聞きして「すげぇこと考えるもんだ」とびっくりこそしたが、そこに異を唱えるつもりはなかったはず。 ソルコクタニにとっては事実上の「敗北宣言」となるこの婚姻。シタラが伝達役を買って出たのは単なる気まぐれだろう。今更ソルコクタニと顔を合わせる理由はなかったはずだし、なんなら「トルイの世を守るために!」ってんで送り込まれたシタラは目的を果たせなかったのだから、「合わせる顔が無い」関係のはず。それにも関わらず、多分シタラは「ソルコクタニのやつ、さぞかし悔しかろうな、吠え面かく様子でも見に行ってやろうかしら」くらいの気持ちで向かったのだろう。このモンゴルに着いて最初に敵意を剥き出しにしたのはこのソルコクタニに対してなのだから、意趣返しのつもりで拝みに行った気持ちは分からんではない。 しかし、残念ながらソルコクタニの反応は予想外のもの。トルイを亡くして失意に沈むソルコクタニは、かつてシタラを煽った(シタラが勝手に煽られたと感じた)覇気を失い、一方的な命令も二つ返事で受けちゃう生ける屍状態。見方次第では「これにて復讐完了」とザマァして高笑いでもできたかもしれない状況だが、想定外のソルコクタニの反応が逆にシタラの逆鱗を刺激してしまった。 「1人殺されたくらいで悲劇のヒロイン気取ってんじゃねぇよ」は相当に理不尽なキレ方には違いない。ソルコクタニからしたら「知らんがな」でしかないし、別にソルコクタニが直接虐殺を命じたわけでもない。なんならシタラが「原論」にこだわってたことすらソルコクタニは知らないはずだ。そんなシタラが突然キレる。そしてその喝は、「お前のトルイへの気持ちはそんなもんか!」と聞こえるわけだ。この一言で一念発起、そう、ソルコクタニもまた、強くて「いい女」なのである。トルイが死んだことはもうどうしようもない、それならばその遺志を継ぎ、誇りを守ることが、妃たる自分の役目なのだと、ソルコクタニはそう判断したのだろう。 まだ動乱は終わらない。回り始めた運命が、シタラの望んだ方向へ転がるのだろうか。
閑話休題、サブタイトルにある通り、創作をテーマにした作品では避けては通れない、「顧客のニーズに応えるか、作りたいものを作り続けるか」問題の端緒。もし安海たちがこれからの人生で創作活動を続けていくなら幾度となくぶつかる問題だろうが、今回はWeb掲載の4コマ漫画という最小限のフィールドで、初遭遇の問題として取り扱われる。 その前にまずは「ネットで作品を発表すること」というハードルも1つ超えましたね。いつも通りに光ちゃんからの助言で知名度アップを図ることになった漫研。現代はSNSの発達のおかげで草の根作家でも手軽に発信力を上げることが可能になったわけだが、その分草の根の裾野がとんでもない広さにまで拡大してしまい、同業他社との過当競争が一段と激しくなってしまっている現状がある。おかげで発信のしやすさと勝ち残りの難しさが結局トレードオフなんじゃねぇか、という気はするのだが、まぁ、ツールがなかった時代に届く確率がゼロだった層にも届く確率が上がっているのだから、結局は使い方次第だろう。ベースとなる作家の能力に加え、こうしたマーケティングのスキルも問われるようになってしまったのが、純正芸術家肌のクリエイターにとっては痛し痒しの時代である。 一応漫研には光ちゃんという(やる気のない)フィクサーがついているので作戦のいろはくらいは教えてもらえるかもしれないが、いかんせん石龍スタイルはガチ天才だけが使えるストロングスタイル。凡百の高校生漫画家未満は真正面からTwitterを使いこなして頑張らなきゃいけない。そして残念ながら、その手の戦略に疎すぎる安海と藤森さん、ネットリテラシーどころか現実リテラシーもちょっと危うい赤福と、メンバーにもあまり恵まれていない。ここで大人の力が使えればもうちょいプラス要因もあったのかもしれないが、残念ながら手島先生もこの手の広域戦略に適した人材ではない。結局は手探りでの宣伝活動になる。 そしてぶつかる「表現は誰のためか」問題。まぁ、今回は本当に些細なメディアだったから誰も傷付かずに済んだ形であり、まだ活動が大きくなっていない状態で安海がこうした自己言及に至れたのは良い機会だったんじゃなかろうか。「自分の描きたいものを描くだけ」という姿勢はクリエイターとして正しいものだと思われがちだが、時として独りよがりな我儘にもなる。その辺りの「自己表現と商業のバランス問題」についてはすでに「バクマン」などでも散々語られている問題なので、今作ではどちらかというと安海という若者の青春要素を強めでお送りしている向きはある。現実にぶち当たって悩む役目は、回想シーンの手島先生に任せておこう。この二層構造が今作の便利なところなのでね。 今回もひでぇ顔を見せてくれた若かりし手島先生。見れば見るほどに編集の金剛寺さんのありがたみが増すばかりだが、我々視聴者は「ポコ太」が短期とはいえ連載を実現させたことを知っているので、より一層「金剛寺さんの見立てはいつも正しいのだな……」と感心してしまう。まー、手島先生からすると最初に自分を見出してくれた金剛寺さんと一緒にゴールまで辿り着けなかったことは悔しかろうが、こればかりは創作とか情熱とは別問題の「出版社の体制」の問題なのでしょうがない。……あ、でもこの人まだ金剛寺さんの名前すら覚えてなかったな……やっぱ漫画家って社会不適合者やな(偏見)。 最終的にはそんな手島先生の過去など与り知らぬ安海も無事に「やりたいことをやった方がいいよ」という無難な結論に帰着。そしてここでも手島の「趣味の範囲で!」という事前の指示が有効に機能している。先生がこれだけ安海に肩入れしてるのに(スキャナ、どこにしまったんだろう)頑なに「趣味の範囲で!」と主張し続けているのって、その方が迷った時に意思決定しやすいし、現段階で余計な要素を考えずに自由な創作ができるようにしてくれてたんだね。やっぱいい指導者だよ。安海がそのありがたみを理解してるかどうかはわからないけど。
種々の決着、第10話。どんな物事にも、いつかは結果が訪れる。それが望む形であれ、望まざるものであれ。 舞い比べ第3戦、注目の舞台に登壇するは鬼夜叉と増次郎のまさかのコラボ。我々視聴者は2週前からネタバレ喰らってたから驚かないが、聴衆、そして義満からしたら結構なサプライズ。そしてそっから繰り広げられる演目はなんとも艶かしい「女2人」の歌舞台。もちろん実際には小僧2人で演じているわけだが、何しろ花守ゆみり・朴璐美というだいぶあり得ないデュエットソングである。なんかもう、いろんなところがトランス状態。朴璐美の歌唱がアニメで取り上げられるの、1年前の「アポカリプスホテル」以来である。 まぁ、そんな(現代の)下世話な話は置いとくとしても、田楽と猿楽の対決だと言われての舞台だったのに、実際に出てきたのはそのどちらとも取れないけどなんか美しいという、えも言われぬ斬新な展開。観客からは絶賛の嵐だが、結論を出さなきゃいけない義満公からしたら厄介な話である。ここで適当な理由で啖呵を切るわけにもいかず、「で、これって猿楽なの? 田楽なの?」と分からないことは素直に尋ねる姿勢。それを受けてお互いに功績を押し付け合おうとする鬼夜叉と増次郎。すっかり意気投合してるはずだが、この辺の頑固さは相変わらず。最終的には大人が割って入り、「どっちもいいよね、どっちも優勝!」というゆとり仕様の裁定が下された。まぁ、ここでこれ以外のジャッジを行ったらそれこそ野暮ってもんですしね。義満からしたらどちらも引き立てておけばこの場は丸く収まるし、未来の可能性が買えるのだから損は何もない。正直に言えば業子様の見立て通りに「鬼夜叉が頑張って勝てば話が早いのに」と思ってはいたのだろうが、まぁ、そこはなるべく表に出さないようにするのも公人の務めであろう。こうして、稀代の舞い比べは幕を閉じたのである。 これでこのお話が終わってれば大団円、文字通り「次のステージ」へ進むことができたのだろうが……もう1つの局面が突如牙を剥く。世を儚んだコガネによる造反計画。トクさんの死からこっち、何一つ救われる要素がなかったコガネは、残念ながらやけっぱちで世直しのための凶行に及んだ。時の将軍に刃を立てたのは一大事だが、屈強な義満にはその程度は大したダメージにもならず、幼いクーデターはわずかなわだかまりだけを残して鎮火。当然、コガネは一切の弁明の余地もなく処断される。もはや、この終わり方すらコガネが望んだものであるかのようだ。 小さな不満が、浮かび上がる泡沫のように弾けて飛んだ。もしかしたら、この時代にはそこらじゅうでみられたかもしれない小さな雑音。義満はこれを受けて「やっぱ世をもっと平定させにゃならん、それができるのは俺だけじゃい」と襟を正し、業の深い南北朝のこの時代への決意を新たにする。そして、大切な友を失った鬼夜叉は、当然のように沈みこむ。コガネとの決別は少し前のことだったが、自分の生まれ育ちを理由にされては、鬼夜叉側から言い返せることは何もなかった。それでも、コガネを救えなかったことが自分のせいであるかのように感じ、どうしようもない罪悪感に苛まれる。そしてそこに追い打ちをかけた石也との決別。自分の最も身近にいて一番の理解者だと思っていた人間が、預かり知らぬ悩みと不満を抱えていた。石也の悩みに気づいてやれなかったことも、鬼夜叉にとっては罪悪感を押し付けれられるような事態である。そしてここでも、自らの生まれ育ちが重荷となるのだ。 知らなかったから、なんて理由は知らない。自分は成す者で、なんとか出来る範囲で使命を果たしてきたつもりだ。それでも、周りの人々は勝手に挫折し、鬼夜叉の人生から退場していく。悪いのは人か、社会か、はたまた時代か。解決を見ぬままに、それでも時は流れていく。 そうか、花守ボイスとは、お別れなのか……時の流れは残酷だ。
そのミーティングを2週間早くやっておけば……第9話。色々と後手後手なのは、やっぱ国家機関であるが故の窮屈さからだろうか。 トワのために出頭してきた魔人狩り一同。警察からどうやってなのはさんたちに繋がるのかと思ったら、そこはノンストレスで行けるのね。事前に警察やら報道やらに篠宮の息がかかっていることは判明していたので「真正面から行ってもダメじゃね?」と心配していたのだが、どうやらそっちのラインは特に警戒されていなかったようだ。まぁ、篠宮陣営がEXCEEDSをどの程度の脅威として認識してたかも分からんしね。我々視聴者からしたらこの世界の魔法少女の壊滅能力がとんでもねぇことは知ってるわけだが……。 無事に合流することができた魔人狩りと国家組織の一部、通称「トワさん助け隊」の皆さん(命名・俺)はまずビジネスの基本である情報共有から。こんな事態になってしまったのはそもそもトワが意固地になってシイナにろくに話をしなかったせいもあるので、生い立ちから経過・現在の悩みに至るまで、メンバーたちは洗いざらい公務員の人たちに暴露してしまう。これまでの警戒心が嘘のようであるが、まートワがピンチになったこの状況、藁にもすがる思いなのだろう。ラッキーなことに、この話をした連中は組織の中でもとびきり物分かりのいい正義の味方だったもんで、助けを求める一般市民たち(市民権持ってるかどうか知らんが)のお悩みは一切合切受け止めてみせる。 一応の見返りとして魔人化薬を提供し、濃密な情報共有会議は無事に幕を閉じた。なんかもう、今回のお話は半分以上がこのすり合わせに使っちゃったもんで、視聴者としては「我々全部知ってるからその辺カットでもよかったのに……」という気持ちで見守るしかなかった。まぁ、魔人狩りのみなさんの切実さとか、なのはさんたちの度量のデカさとかを見せたかったんだろうけども。私はといえば、「こんだけいろんな出自の人間が集まってるけど、関西弁話すのって総督だけなんだよな……この世界における関西方言ってどういう意味があるんだ?」とかいうどうでもいいことを考えていた。この世界って共通言語がJapaneseなんだよな(でも何故かひらがなだけ存在しない)。ちなみに総督の夜天の書が起動してるシーンが久しぶりに見られたのはちょっと嬉しい。ヴォルケンリッターも全員登場してるんだけど、みんなしてさっぱりセリフがないのでなかなか声が聞けない。 さぁ、「助け隊」の準備が整ったぞ、と思いきや、一足お先に篠宮がトワを襲撃。すでに手筈は整えてあったために誘拐はイージーミッション……と思わせておいて、トワさんも一矢報いる大反撃。せっかく味方の能力全部乗せで逆転を狙ったのだからもっと報いて欲しかったところだが……残念ながら篠宮さんは「単純に私の方が強い」というので歯牙にもかけず返り討ち。まぁ、ラスボスだしね……魔人のパチモンが本物の魔人には勝てないということだね。哀れ、実験材料としてどこでもドアで連れて行かれてしまったが、トワさんも心は折れていない。必死に仲間へのメッセージだけを残していった。……普通に考えたらあの蜘蛛のメッセージって意味がなかったはずなんだよな。仲間連中は能力を強奪して無力化してしまったので、もはや現場の留置所に介入できるはずないんだから。篠宮の手のものではない職員が見つけてくれることでも期待したんだろうか。全てをなげうって単身で挑んできたくせに、最後にすがるように助けを求めているトワさんはだいぶダブスタである。まぁ、おかげですぐにどこでもドアのいく先が分かったから結果オーライなんだけどさ。 さぁ、思いの外早く篠宮のところにたどり着いた。いくら彼女が強いとはいえ、単身でいきなり魔王なのは・フェイトたちと組み合うのは無茶なのでは? という気がするが……えーじくん以外に信頼できる戦力っているんでしょうかね? ここから巨大化とかしたらどうしよう。 ずっと東のターン!!!! 第21話! 当方、東のことが好き過ぎてずっと情緒が不安定なままで、ニヤニヤが止まらないのに泣きそうになって相当にキモい顔で観続けていた。これは予感でしかないんですが、前回のアニメグランプリ企画の男性キャラ部門に平を選出してしまったんだけど、今年は遅れて東を選出してしまいそう……。 今回の東と平の絶妙すぎる距離感を見て、ふと今作のタイトルが「正反対な君と僕」であることを思い出す。このタイトル、果たして本当なのだろうか。まぁ中心にいるのは当然鈴木と谷なのであの2人のことを表現している文言なわけだが、おそらく「西と山田」、そして「東と平」だって今作における「正反対」カップルのはずである(1組はカップル未満だが)。 ただ、鈴木と谷は違いをお互いに意識する部分もあるけど、実はすごく気遣いし合ってるところなんかは似てるかもだし、最初こそ「正反対」だなぁ、って思ってた西と山田だって、付き合うきっかけとかその後の関係性で西さんが意外にグイグイ引っ張ったりするところもあり、「正反対なところもあるけど、付き合うからにはどこかにつながる部分があるよね」という感覚も同時に存在するのだ。 結局、恋愛感情・男女関係ってそういうもんだよね、という気がする。いや、こちとら偉そうに語れるような人生遍歴は無いから全部フィクションベースで考えるしかないんだけどさ。結局、自分に無いものを求めて好意を抱くこともあるし、その上で「うまくいく」関係性ってのは最終的にはお互いの敬意なんだよね。どこを自分との差として許容し、場合によっては自分を変えていく必要があるかを考える。常に付かず離れず、いいところも悪いところも、違うところも同じところも認めていける関係性こそが理想なのである。 そういう意味では、さぁ東と平ってどうなんだい。「超絶コミュ力おばけ」の東とコミュ障が服着て歩いてるような平。そりゃ最初こそ「正反対だよなぁ」とは思うわけだが、そのコミュニケーションの不器用さにはやはり「惹かれあってしまう要素」はあるような気がする。そのことにいち早く気づいた(気づいてしまった)東は一方的に負債を抱えた状態で四苦八苦しており、「こんなん、平に伝えたところで絶対に平は処理しきれねぇだろ」という相手に対する負の信頼感から絶対に告白なんて至らない。また、東の場合は過去の男性遍歴(といっていい代物なのか?)のせいで自己評価にも微妙な部分があり、「告白したことない/されたことない」くせして過去の男の思い出が重なっているという地獄のような過去の自分の恋愛をこの期に及んで処理しきれていない様子。東は間違いなく「いい女」なのだからもっと自信を持てばいいのだろうが、それができない、してはいけないと思ってしまうあたりがあまりにも東。「こんなにキラキラせんもんか?」と自分でも訝しんでいる今の関係性、「これまでと違う恋愛感情」なのだから、過去の経験の逆を行けば「うまくいく」可能性はあるはずなのだが。 そうして東が1人で悩んでいた時間が重なり、ふとしたきっかけで外部からの刺激を受けた平は、なんと1度は真実に辿り着いてしまう。「あいつ、俺のこと好きなんじゃね?」は男の子が勘違いしちゃいけない妄想ナンバーワン。「考えれば考えるほどそうとしか見えなくなる」のもすごーーーーーくよく分かるんですが、現実だったら999%トラップだから気をつけろ。しかし、タチの悪いことに平この気づきはよりによって「正解」の方。東さん、ちょいとガードがゆる過ぎましたな。 そうして「気づいてしまった」のならあとは走り始めたトロッコのようにノンストップのはずなのだが、ここで大胆にブレーキを踏めるのが平という男だし、そのブレーキを脇からアシストするのが東という女。互いの自己肯定感の低さが、このままストレートコースを進むことを拒否し続けている。互いに1度は名前をつけかけた関係性からラベルをひっぺがし、そのトロッコは永遠の並走状態で走り続ける。このまま速度が上がったら、いつの日かちょっとした方向転換で大激突してしまいそう。そうなった時に、平は男を見せられるのだろうか。平の「気遣いや優しさという名の欺瞞と自己弁護」はあまりにも共感性が高くて、応援したくなるけど応援しちゃダメなやつなのだ。でもやっぱり頑張れ平! もはやこの関係性の決着ばかりが気になってしまいますが……どうやら谷が鈴木との進路について何かを思い悩んでいるようだし、西さんも山田に話していない悩みがあるようだ。進路選択、それは高校生から始まる人生の一大問題。全てのカップル(カップル未満)に幸多かれ。 追伸:平の妹役の声優さん、「ユルドゥズ香音」というインパクト抜群の名前だったので、「スタッフロールで目立つ声優」カテゴリでインプットしておきましょう。
次なる人生、第10話。目的を成しても次の目的へ。人生はそれの繰り返しだ。 ボラクチンの手管は、想像以上に周到だった。オゴタイの危機を利用してトルイにごく自然に毒を盛り、不自然さをなくしてダイレクトに殺害に成功する。現代から見たらふざけんな案件だが、この時代、この文化の中では成立してしまったまじない絡みの大胆すぎる暗殺劇である。一般市民たちがどの程度この顛末に納得しているかは定かでないが、裏の事情を知っている者たちからすれば何者かの意志が介在したことは瞭然。その筆頭はシタラであった。 全てが終わってから知らされる事実。ドレゲネはどこかへ消え、シタラの注意がそれたその隙をつくようにトルイが死亡。オゴタイの天下は磐石のものとなり、「炉の主」としてトルイが引き継いでいた先代の財産は丸ごとオゴタイに流れ込む。それは、トルイが継承しソルコクタニに与えられていた文化資材にも言えること。期せずして手元に「原論」が戻ってきて生涯の目標と誓っていたことがいきなり叶ってしまったシタラ。長年振り上げ続けていた拳が、偶然どこかにヒットしてしまったような状態だ。しばらくは状況を飲み込めず、自分の人生のレールがぽっかりと無くなってしまったような感覚。 「憎きトルイが死んだ」「ファーティマの原論も取り返せた」。額面上は全ての目的を達して大団円と言えるこの状況。そこから先の人生を考えた時、モンゴルの大平原のごとく茫漠と広がる未来図に途方に暮れるシタラだったが、とりあえず「この辺りでもう自分だけの人生を歩んでもいいんじゃないか」と緊張を解く。流石のシタラも、これだけ長い年月を1つの怨嗟によって支えるのは大変だったのだろう。本という具体的なものが手元に返ってきたのが良いきっかけ。一旦これまでの全てを忘れて、目の前の景色にただ素直に従ってみるのもいいかもしれない。そう思えた瞬間に、偶然にも鳴り響く金ダライの音。その音は、かつてムハンマドが「知恵の重要性」を解いた時のシチュエーションに酷似しており、そこから一気にかつての感情がフラッシュバックする。そうだ、元々しがない奴隷でしかなかった自分が救われたのは何故だったか。こうして「知恵」を武器に今も1人立てているのは、誰のおかげだったのか。 そうしてこれまでの人生の積み重ねを振り返り、改めて自分の足元を見つめ直す。確かに宿願は果たされた。これからの人生を自分のために費やしてもいいだろう。しかし、そんな自分が今、一番やりたいことは何なのか。そこでボラクチンを通じ、ドレゲネが自分をどのように扱っていたのかが告げられる。ドレゲネの消息は不明だが、少なくとも、自分は裏切られたわけではない。まだ、同じような苦しみを抱えたドレゲネが、どこかできっと自分を待っている。そう思った時に、「次の一歩」が決まった。自分のための1手目は、まずはドレゲネのために使うのだ。 知恵に驕った瞬間もあったかもしれないが、此度の顛末での勝者はどう見てもボラクチン。自分は彼女の手のひらの上で踊らされただけで、ドレゲネも、そして本来なら憎むべきソルコクタニも、いいように扱われた駒の1つに過ぎなかった。この状況に、ただ黙って従うのは性に合わない。乗り越える壁として、まずは正面を見据えてみよう。 ……なんか変なやつが出てきたぞ。ドレゲネさん、子育てはどんな感じでやってたんだろう……(追伸・ロリすぎるママさん、キルギスタニさんも可愛ですよね。)
継承、第8話。先週みたいな先生の過去編もとても好きなんだけど、それを踏まえた上での現在の「希望編」みたいなのもまた良き。蓄積あってこその、その先。 あえていうなら温泉回である。8話で温泉回というアニメでは非常に真っ当な(??)構成ではあるが、夏休みの思い出ラッシュは放送時期的にはびみょーに遅い。でもこのアニメはそうしたリアルタイム性とか、商業的な1クール構成なんて関係ないのである。あくまで安海たちに必要な行程だから描かれる、そんな夏のワンシーンだ。 と、その前に、一瞬だけ挟まれた回想は手島先生と七ちゃんが島の飲み屋で行ったやりとり。お互い王島に縁があると知った2人は島での再会を果たしたわけだが、「零ちゃん」の漫画が好きで応援したかった寺村七の想いを他所に、「マグマ」が尽きかけ、筆を置くことを考えていた手島。せっかく送ったノートも1ページ目1行目でその役割を終えてしまい、手島は教師への道を進み始める。海辺で語らう2人の間に相互理解は無いはずだが、そんな手島の気持ちを聞いた七ちゃんの「そうかー」の調子が何とも物悲しく、それでいて手島の人生を慮っている様子が分かって切なくなってしまった。寺村七、ほんとに刺さるタイプのキャラである。 しかし、そうしてさまざまな思いをぎゅっと押し込めて寝かせた時期があるだけに、現代の光景が眩しく見えるもので。高校生たちからしたらただでさえ楽しいイベント・夏休み。ダラダラするのも本分の1つかもしれないが、コミティアの燃え尽き症候群を解消するため、先生は部員たちを「島内名所巡り」へと連れ出す。いやー、伊豆王島(大島)って、意外と気になる名所が多いんですね。興味がさっぱり無かったので全然知らなかったが「日本で唯一の砂漠」とか言われたら気になるやん。他にも色々と独自の景観が楽しめるらしく、聖地巡礼で訪れてみたい場所である(残念ながら琵琶湖と違ってめっちゃ大変だが)。 興味の対象はいつだって外界に溢れている。そのありがたさ、大切さを知らない若者に「取材の何たるか」を伝えようとする手島。「アウトプットするものがなくなるならインプットすればいい」というクリエイター論は正しいものだが、これが案外難しいんですよね。インプットってとにかく常日頃から意識しないと取り入れられないものだし、感覚的には人生における刺激を100インプットして1でもアウトプットできればいい方だ。凡人は、「生み出す」ことのハードルは本当に高く、なかなかそれだけのモチベを作りづらいものである。 その点、漫研の若人たちは若々しい感性でクリエイティビティも潤っており、実際に刺激を与えてやれば、それこそ10も100も捻り出しそうな雰囲気。傍らに天才・石龍光ちゃんがいることもあって、どうやら「創ること」へのモチベについては先生の心配は無用だったようだ。もちろんモチベだけあったところで実際に手が動かなければ絵に描いた餅ではあるが、そこで活躍するのが先生の与えたノート。これに鉛筆を走らせることで、安海のクリエイティビティはしっかりと形を成す。手島がかつて消してしまった1文が、安海の1000の創造の源泉になったのである。何も言わずとも継承される魂。それはもう、先生じゃなくても「尊い」ってなっちゃうよ。 気になるのはそんな継承の様子を全て傍から見守っている七ちゃんのこと。正直、部室で先生が安海にノートを手渡した場面を、七ちゃんがどんな気持ちで見ていたのかは気になるところだ。七ちゃんだってかつては「創造の源泉」としてノートを送ったはずで、そのノートを先生が生徒に譲渡したという事実は、手島が完全に「創造の受け皿」を手放してしまったことを意味しそうである。かつてせっかく自分が送ったノートが他者に渡る、それだけを考えたら、七ちゃんとしては複雑な思いもあっただろう。 しかし、寺村七は手島零のことを最優先で考えられる人間。彼女がノートを託したことを「後継が現れて託せるものを託したのだな」と前向きに受け取ることができるし、それによって手島の創造の受け皿がなくなってしまうというなら、今一度同じノートをプレゼントすればいいのだ。この辺りが七ちゃんのしたたかなところでね。彼女はまだ「漫画家・☆野0」を諦めてはいないんですよ。その上で、無理強いして描かせようともしていないあたりが愛ですよね。 過去も現在も、そして未来もないまぜにして、2人の「漫画家」に、新たなインスピレーションが広がりますように。 コラボって難しいね、第9話。お互いにWin-Winになる関係性を頑張って見つけるんだ。 2人の若き才能によって締結された猿楽と田楽のコラボ企画。鬼夜叉・増次郎は同意しているが、田楽側はまだそのことに意義を見出していないし、具体的に何ができたらコラボがプラスに働くのか、誰もやったことがないのだから、やってみないと分からないのである。ここで難しいのは、コラボの意義である「異分野の融合」をどこに見出すか。前回わざわざネットで調べた上で「よく分からんかった」という結論になった猿楽と田楽の違い。ただ、少なくとも今作においてこの2つは明確に違うものとして区別されており、演者たちもそのあたりの意識はちゃんとあるらしい。今回出てきた言及をまとめておくと、「田楽は見るものではなく、行うもの」。対する猿楽は「神事に近い生まれで、見るものとしての性格が強い」だそうです。この言説が史実的な観点からどの程度正しいのかは分からないが、とりあえず作品世界内ではそういうことらしい。実際、舞い比べの1戦目では鬼夜叉の獅子舞が「軽い」と断じられ、しっかりと地に足をつけて伝統的な格式を守って舞った田楽の勝利、2戦目ではそこを打ち抜くために鬼夜叉が「死生観」という全人不変の概念を観客たちにも叩きつけ、猿楽の基盤の弱さを吹き飛ばして見せたわけだ。最後のコラボにおいて、ベースに田楽の演目をおき、そこに「見る人が楽しめる要素」を加えることで、地に足がついたエンタメにまで昇華されることを期待する、これが今回の狙いになるということ。 とはいえ、言うは易し行うは難し。具体的に「猿楽らしさ」とはなんぞ、というのがよく分からない鬼夜叉。もちろん増次郎だってそんなこと分かるわけもなく、「汐汲」という田楽の演目を見た鬼夜叉はせいぜい第三者視点から「なんか物足りないのだ」という感想を漏らすしかなく、そこにどんなデコレーションで見応えをプラスするかは分からない。こういう時、「とりあえず原点に立ちかえるんだ!」というのはいろんな漫画でお馴染みの定番作戦らしく……2人は「汐汲」の何たるかを探すために「実際にやってみる」ことに。 道中、変態ジジイに遭ってパニックになりかけたりもしたが、その経験もあって(?)、鬼夜叉は「唄」の可能性に行き当たる。近いところでは業子様も「詩」を専門にしていたこともあり、鬼夜叉は「演目に人ではなくて情景をプラスするには唄がよかろう」という気づきを得たのだ。これは増次郎たちもある程度納得し、得手不得手の問題もあり、その「唄い」の追加作業は鬼夜叉が担当することに。ただ、作詞作曲(?)なんてやったことがない鬼夜叉はとにかく四苦八苦。できることといえば先人たちの残した「文」にあたるほかなく、これまで読んできた古典作品からひたすらインスピレーションの源泉を探す。いかんせん初めての作業である、どこまで根を詰めても「これが完成形」と言う自信は得られなかったが、偶然にも歌を奏でた千晴の様子などもみて、確かな手応えを感じた鬼夜叉。どうやら、無事にコラボ演目は決まったようである。……問題はこれを現代人である我々が見て面白いかどうかなんですけどね……まぁ、来週の本番を待ちましょう。 それにしても、まさかのCパートでコガネが鬼気迫る舞を披露していたのは予想外。どんどん追い詰められてこの世の無情に蹂躙されているコガネ。このままだと、あの時の白拍子のように舞を残して旅立ってしまう恐れすら。鬼夜叉、気づけるんだろうか……。
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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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