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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
アニメしか観てないと、義満の言う「先々代」について「でも、あんな奴なんだよな……」という記憶が先に来る、第4話。ややこしいのは足利尊氏が今作の観阿弥と同じ声だってところよ。 などという中の人ネタはさておき、相変わらず考えさせてくれる作品。今回は鬼夜叉の人生初の「大舞台」ということで、今まで以上に「舞とは何か」を考えさせる構成になっていた。あたしゃ浅学なもので猿楽も能楽もなんも知らんし、現代の「舞踊」についても知識なんて1ミリもないので、これを機に猿楽についてググってみようか思ったのだが、せっかくなので何も見ずに先にこのアニメを観て思ったこと、考えたことを書いてみよう。 まず、ありがたいことにアニメだけしか見ない人生でも知識を得る場所というのはある。私がこれまでの人生でいっっっっっっさい触れることがなかった「舞」という文化についても、アニメでは「ボールルームへようこそ」や「ダンスダンスダンスール」など、いくつかのアニメのテーマとして接触機会があった。そして直近では「ワンダンス」があり、その時に得た知見は今作を見る時にも活きてきそうだ。 人は何故舞うのか。その恒久の問いに答える術はないが、少なくとも「ワンダンス」を見ていて「ダンスすることの楽しさ」みたいな部分はある程度解説されていたし、「どんなダンスがすごいのか」という部分も語られていた。私の理解では、やはり一番は「身体表現」である。人は自分の身体は自分の意志で動かしていると思っているが、それでも「思い通りに動かない」ものだし、可動域・可動量に限界がある。それを学んで鍛えて反復して、少しずつ「人ができないような」動きに拡張し、その技を競うのがダンスバトルだった。リズムとの兼ね合いなどももちろんあるが、突き詰めれば「どうやって身体を動かすのか」の限界に挑む、言うなれば「人の身体」の限界に挑むのが現代ダンスシーンの主目的のように思える。だからこそ男女を問わず身体のラインが見えやすい服を着ていることも多いし、動きを大きく見せるような「客に見せる」工夫も多いことだろう。 転じて、今作の時代の「舞」はどうか。我々が「能や狂言」(あと歌舞伎とかも)でイメージするようないかにもスローな所作、決まった音曲に合わせて動くそのモーションには取り立てて目を見張るようなものが見当たらないような気がするが、この時代の観客たちはそんな鬼夜叉たちの舞を見て「猿楽もやるじゃねぇか」と感心していた。これには2つの側面がありそうな気がする。1つは現代的な感心と同じもの。彼らは日々の訓練でとにかく「決められた型」を反復練習し、日常的ではない、「舞のための動き」を作り上げる。我々現代人から見たらピンとこない部分だが、当時の人たちから見たら、きっとこの「舞にしかない動き」は非日常であり、何かしらの感心を得られるものだったのだろう。鬼夜叉の舞で見えた水の演出などは、そうして「普通なら得られない動き」によって作り出された非日常の空間演出だ。 そしてもう1つの側面として、やはりこの時代の「舞」は「神への供物」としての側面が大きく残っているのではないか。神へ捧げるためのしきたりがあり、ひたすらに定型とされた「儀式」である。その側面を寸分の狂いもなく表現しきることが神へ近づくための一歩であり、人々は舞の中に「神々しさ」を見出すのではないか。現代ダンスが「人の限界を見せる」ものだとするなら、猿楽の時代の舞は「神に近づき、神を表す」ことが最大目標だと思えるわけだ。まぁ、時代によってその神が「将軍」とかに接近する時もあるのかもしれないが……とにかくそうして「動きで表される儀」にこそ、意味を見出していたのであろう。 そのことは、最後に父子で帰路についた際の観阿弥の言葉からもニュアンスが出ている気がする。彼は彼で、「現代の舞」の最終形を探している。しかし、「神への供物」としての舞には一定の「正解」がありそうだが、猿楽はそこで終わらないという可能性も見出している。その最先端にいるのが、息子の鬼夜叉だということにも気づいているのだろう。観阿弥のいう「自分の身体、自分の時代」という言葉には、先人たちの積み重ねてきた時代、すなわち「歴史」も含まれているはず。歴史の最先端(ある意味最後尾)で先人たちの蓄積を継承しながら、次の一歩を常に模索し続ける父親が、「自分の身体」の表現に疑問を感じ、滅法に追求したがる息子への可能性を繋いでいく。これもまた、「人のなし得る業」なのであろう。 良いものを見せてもらいました。今度暇な時に猿楽・能楽についてちょっと勉強しよかな。 PR
などというどうでもいいところが気になるのは、シナリオラインが完全なる王道展開に乗ったため。「王道」といえば聞こえはいいが、別な表現をすれば「ベタの極み」「ド定番」である。これだけ歴史を重ねたシリーズであえてこの路線を突っ走る決断か。いや、歴史を重ねたからこそ、そこから外すことを良しとしないのかもしれないが。「巨悪と戦うヒロイン、事態の全容を知る前に敵側の少女と出会って友情を育んでしまう」があまりにもテンプレでびっくりする。でもまぁ、振り返ってみりゃなのはシリーズではなのはとフェイトの出会いもちょっと違うから別にいいのか(この2人は最初から敵としてぶつかってるからな)。 シンプルな「運命の悪戯」展開であり、その理由が「どっちもたまたま休暇でのんびりしてたから」というクッソ適当なもの。一応、遭遇シーンで最低限配慮されてるのは、シイナが一瞬だけ魔人の力を発動したが、その瞬間だけは相手方のトワは死角になって見えておらず、互いに魔人の力を有しているとは気づかないままに交流を深めたという部分だろうか。まぁ、多分お互いに日常的にあんまり異能を発現させないようにはしてるだろうしな。この世界では魔人の力は当然忌むべきもの(最低限、恐れられるもの)と認識されているのだろうし、よっぽどの緊急事態でも無い限り、民間人の前でひけらかすようなことはしないのだろう。今回の飛び降り自殺(誤解)はシイナにしてみればその「よっぽどの事態」だったというだけの話である。 こうして両サイドのトップ(?)が交流を深め、それぞれの信念で「魔人」というものに向き合っていく。順風満帆なシイナさんは良い上司にも恵まれ、現場での活躍は目を見張るもの。まぁなのは・フェイトの2人でも同じような仕事はこなせるのだろうが、シイナオリジナルの強みはなんといっても侵略種の吸引能力。あれでエネルギー補給もできる上に現場のクリンナップが一瞬で片付けられるという、あまりにWin-Winすぎる能力である。ちょっと気になるのは「一個人にガンガンエネルギーを吸引させて、組織としてはシイナが力を持ちすぎることを懸念してはいないのだろうか」という部分だが、事前の面接とかでよっぽど信頼がおける人間性だという判断なのだろうか。今回チンピラさんが話してた内容から察するに、通常の魔人は「エネルギー吸いすぎると限界を迎える」とのことなので、流石に天井知らずで能力値が上がり続けるってところまでは心配していないのかもしれない。何より、シイナ自身がその辺をあんまり深く考えてないってのが一番大きいだろうけども。多分、今でもセツナにご飯食べさせてあげてるみたいな認識なんじゃなかろうか。 そうして私生活が充実しているウキウキアーバンライフなシイナさんと比べて、別れた後のトワさんの日常は一気にバイオレンス。日々、不法に魔人化したもの、魔人化を推し進めるものを討滅するために暗躍し、そのとんでもない能力でもって日々数えきれないくらいの人命を奪い続けている。まー、「悪人を殺すに罪はなし」ということで正義感に燃えてやってるなら開き直りもできるのだが、どうにも彼女たちの様子を見るに、「正義は我にあり」までは開き直れて無い感じはあるんだよな。あくまで法に反する殺人には違いないからな。そのあたりで完全なるアウトローとして戦っているトワさんたち。こちらもなのはさんらが気づいて「合法的に罪人を殺せますよ(?)」というポジションでも用意してあげられれば事態は好転するのかもしれないが、多分この世界もそこまでシステマティックに処理はできないだろうなぁ。八神隊長は「魔人狩り」についてはどれくらい調査が進んでるんでしょうね。 まぁ、現時点では「いつか訪れる衝突」を思ってちょいと心苦しくはあるものの、どーせその先の「共通の敵を見つけて共闘」までが既定路線なので、早めにあのマッドサイエンティストみたいな人らの正体が分かるといいですね。ラスボス(仮)のCVはすみぺでした。あれだ、ガムテの時と同じ発声法だ。これやってる時ほんと楽しそうなんだよな。 真夏の熱波の中でもお正月話、第15話。前クールも「クジマ」でお正月を体験したし、我々日本人はアニメさえ見てれば365日いつだってお正月である。 改めて、やっぱずっとニヤニヤできるいいアニメだよなぁ、と感じ入る。こないだまで「氷の城壁」で気が気じゃなかった分、今作の染み入る感覚がたまりません。 Aパート、年末年始に彼氏の家へ初来訪イベント。これはまぁ、鈴木からしたら災難ではあるよな。谷は「彼女の家にお呼ばれ」イベントをそつなくこなすことができたが、逆のイベントはまだ未達成(ばあちゃんだけ第一次接触済み)。そんな大仕事を、よりにもよって正月にやろうなんてのはなかなかの無茶振りである。ただでさえ「正月の過ごし方」って各家庭の個性が出るし、互いの文化を擦り合わせながらのお付き合いでそんなピンポイントに狙いを定めなきゃいけない鈴木のプレッシャーたるや。おまけに美容院も開いてないし菓子折りだって買えないし……せめて数日前までに打ち合わせは必要だろうよ。 そんな中でもノーと言わず健気に頑張る鈴木。「ヘアアレンジアニメ」の面目躍如(?)、なんと彼氏の家に初めて行く時にピンク髪では不味かろうというので中学ぶりの黒髪鈴木である。何がすごいって、慌てて染めたもんだから全然乾ききっておらず、おそらく髪をいじるたびに付着するのだろう、ずっと鈴木の指が黒いまま。そして、アニメの描写でそれがはっき描かれているのに、作中の会話とかで特に触れないっていう。「あー、なんか染まってんなー」っていうのが分かるだけで鈴木の心労が察せられるというものだ。 もちろん、そんな頑張り鈴木を谷家は邪険に扱ったりはしない。お母さん目線は一人息子が初めて連れてきた女の子を値踏みする目線もゼロではなかろうが、まぁ、まだ高校2年生である。ここで運命が決まるわけもなし、どちらかというと「ようやくうちの息子もそんなことできるようになったのねぇ」というお祝いムードの方が強いだろう(お正月だしね)。当然お母さんだって似たような少女の時代があったわけで、その時を思い出しながら、「めっちゃ緊張してるわね」っていうのも分かった上での対応。この辺りで遠慮ゼロだった鈴木母との対比が出るのが面白い。ちなみに鈴木は谷ママンに「roots」を感じていたが、あんまり前に出てこないあたり、お父さんにもがっつり血縁は感じられたけどね。ぺちゃんこの手土産と黒い指先を残して、鈴木の大イベントは無事に終了したのであった。 Bパートは友達グループでのお正月。主な視点が東・平ペアへと移り、私の大好きな「人付き合いの距離感がいちいちヘンテコな東」像が相変わらずもどかしいような微笑ましいような。でも今のグループは東の「気遣いと無遠慮の間」みたいな不可解な距離感でもうまく接することができるチームになってて、ほんとに楽しそうに笑ってる東を見るだけでこちらも癒されます。平だってきっと同じ気持ち……じゃないのは間違いないが、なんだかんだでちょっとずつ東と2人きりの時間にも慣れ始めている平にだって成長は見られるのだ。Bパートの間、鈴木はずっとドヤ顔後方腕組みのまんまだったな。頑張れ山田、はやくマウントを取り返せる立場に辿り着くんだ。 え〜ん! 面白い! 第4話! ……私は以前「世界史の知識がさっぱり無いことがコンプレックス」ということを書いたんですが、今作のおかげでちょっとだけ良いところが見つかりました。「史実かもしれないお話なのに、一切ネタバレ無しで楽しめる」ってところです。知ってるネタバレ、「最終的にモンゴル帝国も滅びる」だけだからな。 というわけでお話も面白いのだが、ぶっちゃけ今回のシナリオは8年もの時間が流れてるのに「チンギスカンが死んで跡目が決まったよ」「その後にシタラが衝撃的な提案をされたよ」の2つを語るだけなのでドラマとしての要素は少ない。しかし、その間にみっちりと挟まった「モンゴル絵巻」がただ画を見ているだけでも楽しめてしまうというのが最大の特徴なのだ。よく分からないモンゴルの風習、いちいち言葉で説明しないでなんとなく流れていくだけなんですよ。酒宴でのマナーから普段の生活の細かな所作まで、正直「何やってんだ?」ってよく分からない描写もあるのだけど、その分からなさも含めての「異文化感」。そしてそこには「モンゴルの文化に嫌でも取り込まれていくシタラの苦闘」が描かれているわけで。異物を異物として描いてくれた方が、その辺りの切実さが伝わってくるってもんで。 ギミックとしても色々と楽しませてくれる工夫が施されている。今回最大の見せ場(の1つ)は当然チンギスの後継者が明らかになるシーンなわけだが、ここまでの持っていき方も実に抜け目が無い。まずもって私なんかは「末子相続」って言葉すら初めて聞いたくらいなんですよ。「そんなんあるんや」って思わず調べてしまったのだけど、まさにWikiには今回のオッチギンの例が掲載さており、遊牧民社会でのこのシステムの有用性が解説されていた。なるほどと後から納得はしたものの、ふつーに考えたらやっぱり我々の常識とはちょっと違う文化で、視聴者目線で「トルイが継承するんだろうな」っていう認識はあんまり芽生えない状態のはずなのだ。 そこを、少しずつ「トルイの為政者としての姿勢」を見せることで説得力を加えていき、「そうだ、この国では末の弟が広大な親の領土全てを相続して当たり前なのだ」という認識を重ねていく。そして充分な下地ができたところで、カット割りの妙で視聴者の目を欺き、ダイナミックなトリックで逆転を演出するのである。この辺りの持っていき方、途中からカット割りがちょっとずつ不自然になって、「あれ? なんか違う?」と思わせて出てくるのでやたらとドラマティックに見える。そして、この「逆転劇」があるからこそ、ラストのソルコクタニにガツンとつながるわけだ。なんて綺麗な構成。 と、後半部分のギミックも見事だが、今回心臓を鷲掴みにされたのはなんといっても冒頭の数分、ソルコクタニVSシタラの対面シーンだ。無垢で真っ直ぐなソルコクタニは、そりゃまぁシタラたちの苦悩なんて知らなくてもしょうがない。シタラ目線では恨み節も出てくるが、それを当人に求めるのは酷というか、お門違いというか。そして、もしこれでソルコクタニが単なる阿呆の世間知らずであれば「何にも理解してねぇこのアバズレがァ!」というシンプルな怒りで昇華できただろうに、タチの悪いことに、ソルコクタニは馬鹿ではなく、むしろこの時代の女性像としてはかなり聡明な部類。夫の一族での立ち位置を理解し、それを支える内助の功としての学び。シタラが「なんの役にも立たないのに」と揺さぶりをかけた「原論」についても、しっかりとその重要性を認識し、学びの大切さを説いた。シタラの中で、その姿がよりにもよってあのファーティマと重なってしまったのが最大の屈辱。ファーティマが育て上げた自分の「知」を、何も知らないソルコクタニが同じような言葉を使って再び発揚させる。裏事情を全て取っ払えば、ファーティマとソルコクタニの精神性は近しくすらあるはずなのだが、シタラの立場からそれを認めることはできない。ソルコクタニの行動そのものを認められない。それをしてしまったら、精神的な隷属が決定的になってしまうのだ。 このシーンのシタラの表情やら息遣いやら、本当に緊迫感のある出来で……最高でした。そして毎回で本当に申し訳ないのだが、中の人の仕事を礼賛させてほしい。誰なんだ、ソルコクタニに久野ちゃんを配したのは!! すごい! この久野ちゃんはすごいよ! ほんとに美しく、賢く、思慮に飛びながらも無邪気さを残して罪作りなソルコクタニがそこにいる。ごめん久野ちゃん、俺は初めて認識したんだ。あなたの声、本当に綺麗だったんだな、って。 人生で何度目の発見だろう。声優って、やっぱすごいよ。 世代も時代も飛び越えて、殺意を抱け! 第3話! 熱量落ちずにここまでくる。安海と手島先生のナイスパスがつながっていく。 Aパート、先週持ち上がった議題、「漫研をどうやってつくるか」問題。まずもって部員が足りず、部室を作ろうにも場所が足りない。先生の力だけではどうしようもない部分は安海たちがなんとかしなきゃいけないのだが、いかんせん、唯一の仲間(だよね?)である赤福がクッソ適当で一切頼りにならない。女子校とは思えない渋い部活が乱立する部室棟をしらみつぶしに当たるも、持ってる武器が安海のヘンテコ漫画だけでは説得の材料にもならず。 赤福が飽きて、もはや匙を投げたその時、最後に訪れた美術部に、ネギを焼きながら待ってる鴨みたいな子がいた。以前キャンバスを落とした時に助けてあげた美術部員、その名を藤森心ちゃんという。内気すぎる彼女は何をするにも一歩が踏み出せない性格で、安海の適当な交渉もなんも言わないうちに終わってしまったが、じっくりと1コマ1コマ、お手製の下手漫画に目を通し続けた。どうやら、ニャン太の掲げる夢への憧れが、個人的に刺さってしまったようである。後で先生が使った言葉を借りるなら、「脳を揺らす」とはこういうことか。初心者が初めて作ったヘンテコ漫画であろうとも、届くべき人に届けば脳は揺れるのである。できすぎた人間関係ではあるが、うまいこと「3人目」の確保に成功。 部室の当てもうまいこと寺村に話がつき、思いの外あっさりと漫研の設立は達成。そこからどんなお話が展開するかと思えば、再び手島先生の回想へ突入。そのトリガーは先生が思わず漏らした「これ描いて死ね」というどっかで聞いたことがあるフレーズ。赤福と安海は突拍子も無い言葉の響きに一笑に伏したが、どうやら手島にとって、その一節は非常に重要な意味を持っていたようだ。 かつて鬱屈した青春時代を過ごしていた手島。編集に「テーマはなんですか」とお決まりのことを聞かれた際は射殺する勢いだった彼女の中には、どうやら「これと決まった信念」は固まっていなかったようだ。ただ漠然と「漫画が好き」というモチベだけで突っ走ってきた彼女にとって、「テーマとは何か」「この漫画のメッセージは何か」みたいなありきたりな問いは気取っていけすかない姿勢にも見えたのだろう。そういうことを訳知り顔で聞いてくるやつは射殺して爆殺して。そんな鬱屈した「澱み」を抱えながら、手島は前にも後ろにも進めずに八方塞がりになってしまう。 弟の就職、そして家族のため息。いろんな要素がダメ成人を追い詰めた結果、何もかもが嫌になった手島は「最後」に自分の人生のピリオドとして叩きつけるための渾身の漫画を作り上げる。その時の信念が「半端にするな」ということで「これ描いて死ね」であった。彼女の信念は凄まじい。確かにこれまでの創作物だけを見れば鳴かず飛ばずだった手島だが、作り続けながらも煮えたぎる感情を蓄え、先輩からのアドバイスとはいえ、それを「殺意」にまで昇華して叩きつけられるエネルギー。これを持っているだけでもすごいことだ。1週間でノート1冊分の漫画を作り上げた安海と同じように、手島も自分の全てを賭けて何かを生み出したことがあった。そしてそれは、少なからず他人の「脳を揺らし」たのである。 自分に言い訳はできない。だから妥協も許してはいけない。手島が掘り当てた貴重な鉱脈、その先に眠るまだ見ぬ何かのために、手島は同じ気持ちを持つ後輩にも機会を与えることにしたのかもしれない。「決してプロを目指してはいけない」を標榜するあたり、まだ「漫画家」と「教師」の間で揺れている証拠か。でも、こんだけ熱心な指導者がいて、若者を引き止める必要があるのかな。安海が何に対する「殺意」を持つかは分からないけど、殺意も熱意も、総量が大きければなんとかなるんじゃない? 道は遠く、第3話。白拍子との一件で一皮剥けたかに見えた鬼夜叉だったが、まだまだ先は長い。 とりあえずサボり癖は抜けたようで、真っ直ぐに舞と向き合えるようになったのは大きな進歩。「自分の形」を探すという遠大な目標を見出し、とりあえず出来ることから始めないことには前に進めないと判断したのだろう。これまで人前で舞うことすら渋っていたが、往来でも自由に身体が動くようにもなったし、鬱屈した思いはだいぶ軽減されているようである。 一座のものはそんな鬼夜叉の変化を歓迎してくれたようだが、それが一気に加速しちゃうのが立ち位置の難しいところで。どうやら親父さんも全面的に鬼夜叉の進歩を認めたようで、次なる大一番でいきなり舞台に立てと命じられる。これは……親父さんがきちんと実力を評価してのものなのか、単なるコネ(血縁)のせいなのか……親父さんのキャラからしてあんまり忖度はしてないと思いたいが、少なくとも周りからそう見えてしまうのは止められない。そして、鬼夜叉自身にそうした風評を止めることもできない。今回スポットが当たった十二五郎は師匠から「醜さ」を見ろと言われていたが、その「醜い」感情を鬼夜叉にぶつけてくれたのが彼1人だけだったということも忘れてはいけないのかもしれない。鬼夜叉自身も、不甲斐ない自分を内省する意識はあっただろうし、改めて外から「お前はそのまんまだと落ちこぼれてたんだからな、死ぬ気で舞に向き合わないとすぐにお払い箱だぞ」くらいの気概をぶつけられた方が良い刺激になるはずだ。 そんな五郎の鬱屈した気持ちを思い知らされるまでは、相変わらずのん気な鬼夜叉。そりゃまぁ真面目に練習にも励むようになったし、これまで以上に「道」の追求にはストイックにはなっているが、ハタから見てもその様子は分かりにくい。これまでとは違うものを模索している人間なのだ、常人からは奇行に見えても致し方ないだろう。彼が川辺で見た謎の男が実在しているかどうかもまだ分からないが(普通に考えたら幻だと思うのだが)、何かしらの神託じみたものを感じ取る能力も、彼の「奇特な」要素の表れなのかもしれない。そんな不思議な力に導かれ、たどり着いたは「田遊び」と呼ばれる農村での神事。これを「舞」の1つと捉えるかどうかは議論のあるところだが、どんな形であれそれが人の営みを表していたのは事実なのだろう。それを見てまた1つ、鬼夜叉は持ち帰れるものがあったようだ。そしてそんな鬼夜叉の奇行を見守っていたのは……義満公と呼ばれてましたね。こんなとこで運命の出会いをしちゃってよかったものか……。 「まぐわいとは良いものだな!」という爆弾発言で散々に未来の為政者を楽しませたらしい鬼夜叉。こうして強制的に「持つ者」への因縁が巡っていくあたり、成し遂げた者たちの人生目録はどこかしらチートにも見えるか。まぁ、彼の人生にはまだまだ難題も多いのであろうが……今後とも、課題クリアの方法がいちいちイカレてることを望みますよ。この世界で「また何かやっちゃいました?」は通じないからな。
ふむ、正直時系列とかさっぱり分かってないのだが、思い返せば劇場版2作もなのは達は少女形態だったか。結局この時系列だとStrikerSの歴史ってなかったこと(というかまだ無いこと)にされてるって認識でいいのかしら。まぁ、大抵のキャラは小学生時代に関係性ができてるから別に構わんのだけど……スバルとティアナの2人だけはちょっと可哀想。 というわけで、中学1年生になってロリを卒業した(???)なのはさんと今作主人公のシイナさんががっつりお手々を繋ぐまでのお話。ちなみにここでも「後の正史でシイナのことは一切語られてないってことは、このあと殉職したりするんだろうか……」とか意味不明な妄想が出てきてしまうが、多分パラレルな関係性だからあまり意味はないのだろう。そもそも舞台となってる怪獣大戦争次元もよく分かんないしな。魔法で人と人とが憎み合う世界から、異界生物が地球を侵略する地球防衛軍な世界に飛ばされたなのはさんは相変わらず大変である。 それでも魔力最強・執務力SSのはやてさんであればすぐに対策組織だって作れちゃう。まだ少数精鋭で小回りが効くレベルの組織らしいが、はやてという頭脳を中心になのは・フェイトという優秀すぎる現場要員で前線を押し上げていくといういつも通りのチーミングは強力に違いない。今回はさらに現地での対応力を上げるため、問題の中心要素である「魔人」側からも人材登用することで対応力の強化を図る。そんなところに「魔人と融合したはずなのに侵食もされず、むしろバケモンのエナジー吸いまくりで有効利用してくれる突然変異体」なんて都合の良すぎる奴が出てきたなら、そりゃヘッドハンティング待った無しである。「苦しい運命をその体内に取り込んで」って意味ではフェイトだってはやてだって同じようなルート通ってるわけだし、この手の人材の使い方なんてお手のものよ。 そうして無事に大火力と大火力が出合ったリーサル・ウェポン軍団。レイジングハートはそこそこ常識的な範囲で活動をとどめていたが、ヴァルディッシュさんは本来なら近距離戦闘の方が得意なはずなのに不特定多数の怪獣の広域殲滅までこなすとかやりすぎである。「魔法使いは火力」。マトリフ師父の教えはどんな世界だって有効なのだ(シイナさんはフィンガーフレアボムズ使ってましたが)。 そうして新人を囲い込み、戦力を充実させて戦う相手は「腐った魔人達」。ただ、ここで難しいのは「魔人の力を持つ奴らにも2パターンある」という話。違法薬物から魔人の力を取り込んで悪用する奴らがいっぱいいたらしいが、それを狩っている「魔人狩り」と称する女の子集団が今回一気に5人も登場。どう考えても今回の対戦相手なのだが、なのは達とこの子らがどの程度目的を共にして、異にしているのか。「魔人の力の悪用を許さない」という部分は近い思想を持っているはずだが、それをアウトローな方法で制圧する傭兵軍団と、法整備も含めて押さえ込もうとする警察組織の戦い。そこに魔人戦力を引き入れるなのはさんたちはやっぱりやってることがエグい。というか、「対戦相手のチームと同じ属性の戦力を使う」って、結局やってることはStrikerSの時(スバルさん)と同じではあるんだよな……。 StrikerSの時は「ナンバーズの数があまりに多すぎてストーリーがグダる」という手痛いミスを犯してしまったが、今回の対戦相手は5人で一旦固定かな。1クールだとギリギリの人数だが……なんとか白熱するストーリーを展開してほしいなぁ。
ラストの解説コーナー助かる、第2話。「弾平」の方の原作の雰囲気も分かるし、「一撃家ってどんなご一家なんだ……」と思ったところですぐに説明がくるので置いてけぼり感も少なくて済む。こういう細かいホスピタリティで印象も変わりますよね。 順当に2話目もいい勢い。まだどのアニメの感想を書こうか迷ってる段階ですが、これも候補の1つではある。こっから単調な展開になったら毎週書く必要はなくなるかもしれないけど。でも、退屈になる気はしてないんだよなぁ。このテンション芸は現代アニメだと割と貴重な気がするし。 サブタイにもなっている「ライバル」平子(ぺいこ)が登場。……いちいち名前がひどい……。いや、由来を語られたらなんか素敵なお話ではありましたけどね。「1文字もらう」ってそういうことじゃねぇのよ。まぁ、ちんこが許可される世界線なので、ぺいこだって余裕でOKではあるんだろうけどさ。1つ前の世代の人たちは割とフツーの名前であることが弾子のママンで明らかになってるからちょっと不思議なもんだ。ちなみに何故かママさんの方がCV日高のり子でばあちゃんは違うんだよな(福圓先生だった)。確認したら旧アニメでは弾平の方が日高のり子ボイスで、そしたら母ちゃん(みさと)は別な方がCVやってた。当然ばあちゃん(当時は母ちゃん)も別な方。世代的には日高のり子を今回もキャストとして起用するならばあちゃんの方にしても良かった気がするのだが……まぁ、ナレーションも含めてあらゆるところから聞こえてくるから瑣末な問題か。ちなみにこれは多分思い込みだが、福圓先生は意図的に日高のり子ボイスの方に傾向を近づけてる気はする。「そういう家系だから」っていう流れを読んでる気配がする。 キャストの話ばっかりになるけど、ぺいこ役の若井友希も面白いキャスティング。この人はi☆Risの中では(声優としては)やや地味な立ち位置なのだが、いうてもスターチームなのですよ。ストレートなイケメンボイスっぽくしてるんだけど、実はぺいこってよく見ると巨乳だしやたら色っぽい部分があるので、その辺も感じ取れるのが良い。ちなみに配下の者たちも筋肉メイドがゆかち、メガネメイドがなんと橘杏咲という陣容。なんかもう、色々楽しい。橘杏咲はまた今までと違う傾向で面白いし、スタンスとしてハニイちゃん(さっさ)と対立構図になってるのもイカす。声聞いてるだけでも愉快な作品。 その他のキャラとしてはもち子先輩がいい人だと分かって急造チームのくせして早くもチームメイトの絆が生まれていたり、一発で敵ボスの必殺技をコピーしちゃうちんこのスペックがいちいちおかしかったり、ツッコミどころなのか盛り上がりどころなのか分からないネタがぎゅぎゅっと詰め込まれて大忙し。この出し惜しみなしの密度の濃さも「コロコロのギャグ漫画」的なのかなぁ、と感心する。ここから賑やかになる一方だとしたらすげぇなぁ……。 男だァァ! 殺せェェ! 第2話! この「キモいおっさんなら無条件で殺すべき」というテンション、どっかで見たことあると思ったら「くの一ツバキの胸の内」だな。あれもゆーみんが先生役だったんだよな……。まぁ、この世界は子供達の中に男児も混じってるので、「男=敵」とかいう百合の園な価値観とは少し違うんだろうけど(でも男性性が芽生えたら殺されそう)。 さて、前回時点で「合法的にキスできる世界観はありがたい(?)ものの、主人公がこんだけおっとりしてたら実際の生きるか死ぬかを俎上にあげるの大変そうだな」とか勝手に思っていたのに、2話目でいきなり死にかけた。ごめんよ、想像以上に世界は殺伐としていた。「咲うアルスノトリア」を引き合いに出して「実際の戦場など存在しないのではないか?」くらいまで妄想してたってのに、こんだけ明確に「敵」というか「害意」の存在を見せつけられたら、「そりゃ死ぬまでとか言いたくなるよな」ということがよく分かった。まぁ、死にやすい分、負傷の回復もだいぶ簡単な世界だけども。 キラキラとした女の子たちの関係性が素晴らしいビジュアルで描かれた1話目を見れば不安はなかったのだが、こうして「生きるか死ぬかの戦争」が肉薄してきて、実際にシーナは死にかける負傷を負うほどの苛烈な戦闘。それもまた気合の入った作画でがっつり描かれるもんで、単なる鬱ラブアニメでは終わらせず、きっちり「死ぬ」部分も描いてやるぜ、という気概がうかがえる良い2話目であった。これは原作に対してもそう思うし、アニメに至ってはさらにいろんな覚悟を上乗せして書いてくれていると思っている。個人的にお気に入りなのはミミが2体目の模擬戦傀儡をぶっ壊した時のモーションで、女の子がやっちゃいけないような遠慮ない足の踏ん張り方してて、ほんとに「戦闘のプロとして技術を習得してるんだな」ってのがよく分かる活劇になっていた。魔法のエフェクトもド派手で普段のミミとのギャップの描き方が見事、普段の修道院然とした静謐かつ陰鬱な空気とガラリと入れ替えることでアニメとしての刺激も増し増しになるのが良い。まぁ、その結果が腕もぎだったわけだが……。 なんの因果か、今週のアニメは主人公が2人も隻腕になっている。ほんでどちらも内山夕実が深く関わっている(かやのんも)。隻腕への対処がナンバーワンの声優になったらどうしよう(どんなカテゴリだよ)。しかし、こんだけ簡単に四肢が復活するとなると、「この子達は人間なのかしら?」っていうところがだいぶ疑わしくはなってくるね。ミミの魔法について大人2人がびみょーに隠しごとしてそうな空気だったし、何か子供達には秘密にしてることが、この世界にはあるんだろうなぁ。 |
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声優のこと全般
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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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