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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 先週のギアスに続けて、2週連続で劇場へ。理由はいくつかあるんですが、まぁなんだ、最近は割といい日和じゃないですか。もうちょっとすると暑くて外出たくなくなるだろうし、せっかくの行楽シーズン、休日に家にいるのもどうかと思って外に出たかったというのが1つ目。そして本日6月1日。毎月1日はファーストデイってことで映画が安く視聴できますのでね。まぁ、これは劇場に行ってから気づいたんですけどね。あとこの作品はギアスのようにふつーにネトフリで配信されてるらしいので、劇場に金払わずに見ることもできるらしいんですけどね。そこはまぁ、いいじゃないですか。あとは最大の理由はこれまたギアスと同じ路線なんですが、「メインヒロインが富田美憂」ってのもありますね。いかにもな富田キャラだったのをCMで見て、「こいつぁいいや」と思ったというのが最大要因です。これでギアスのうえしゃま同様にたっぷりと滋養強壮に効く成分を摂取できればと思ったんですが……。

 折り返し前の一言感想は、「まぁ、あんまり……」でした。ぽっと出のオリジナルアニメ、当たり外れが大きいのはしゃーなしだが……。

 

 

<というわけで以下ネタバレ含みます。否定的なニュアンスも含むので、視聴前に先入観を持ちたくない方は注意しましょう>

 




 

 制作のスタジオコロリドは「ペンギンハイウェイ」「雨を告げる漂流団地」などを作ったところで、劇場アニメ専科みたいな性格を持ってる割には、そこまで飛び抜けたクオリティのものが出てくるってわけでもないのでやや微妙な印象。「ペンギン」はコンセプト含みで嫌いな作品じゃぁなかったが、「漂流団地」はあんまりピンとこなかったので総合的には評価の高くないスタジオということになってしまうだろうか。そして今作。相変わらず映像クオリティとしては「可もなく不可もなく」くらいの印象だろうか。決して悪いものじゃないし、劇場版らしい刺激に満ちたぐるぐる作画も出てくることは出てくるのだが、最近はどこのスタジオも映画を作るって言ったらこれくらいやってくるからね。全体通じて「ならでは!」みたいな突出した部分が見出せないと、今時なかなか印象に残るものにはなりづらい。でもまぁ、内容に噛み合ってれば不満は出ないレベルで、特に後半に突入する隠の郷のビジュアルは昔ながらの「雪深い里」のイメージに現代的な設備を混ぜ込み、限界集落と巨大兵器の軍事施設を組み合わせたようなコンセプトはなかなか面白い。グラフィックの部分については大きな不満はない作品だった。

 となればここまでどうにも語る言葉が鈍ってしまうのは全面的に脚本の責任ということになる。なんというか、ほんとに場当たり的というか、「なんか描きたい要素はあるのかもしれんけど」という個々のパーツに焦点を絞れば成立しているようにも見えるのだが、これを100分のムービーとして流した時にどうにも支離滅裂というか、前後のつながりが感じられずにブツブツとシーケンスを結びつけたような、なんとも雑な印象を受ける。それは設定そのものの説明不足であるかもしれないし、説明すらない単なる不備であるかもしれない。キャラの心情がどこに依っているかも分かりにくく、突発的に起こる「瞬間的なドラマ的断片」を有機的に繋ぐ材料が不足している気がする。

 パンフも何もない作品なので要素を拾い上げるのがなかなか難しいのだが、序盤からあまり入り込めなかった原因を思い出すと、例えばいざ柊たちが冒険(?)へと出発する発端があまりに唐突だ。自室で雪の神に襲われて流れで外へ飛び出し、そのまま日枝神社へ向かうことを決意する2人。可愛い女の子に頼まれちゃって断れなかったというのは一応納得はするし、何よりも反抗期の息子さんが親元を飛び出してみたかったという家族の問題の現れとして描きたかったことは重々承知だが、それにしたって決して馬鹿じゃない柊にしては行動が無鉄砲すぎる。せめてその後の移動がスムーズになるよう、ちょっと部屋に戻って靴と財布を持ってくるくらいのことはできただろう。何も考えずにサンダル履きで夜通し歩き続けるほどのモチベーションがあの瞬間に柊にあったとは思いづらい。

 そして、そうまでして始まった長い旅路が、何を目的としたものなのかも、どれくらいの道程なのかも分からないので拠り所がない。前半の視聴中に一番気になっていたのは、「で、日枝神社とやらに向かう行程って、どれくらいの距離なの?」という部分。最初の柊のセリフからすると「結構遠いよ」だが、その後は徒歩とヒッチハイクでそこまで苦労せずに辿り着いている感じ。感覚としてはせいぜい同じ県内の隣村くらいの距離に見える。ただ、それが全く提示されずに勝手に移動しちゃうもんだから「今どの辺?」「本当に大変なの?」ということが全然分からず、2人がどれだけの思いを持って歩みを進めているかがイメージできない。いわば単なる散歩に付き合わされている感覚である。

 また、ツムギが日枝神社になんとしても向かいたいというモチベーションも、どれほど明確なプランを持っての行動なのかも分からない。何しろツムギは最初にバスに乗ろうとしたところを保護されているのである。ってことは、彼女は「バスで目的地に向かえる」ことを知っていたはずで、いざ移動を始めるにあたり、落ち着いて「明日になってからお金持ってバスに乗ろう」で良かったはずなのだ。なんで行き当たりばったりの徒歩旅行に繰り出さなきゃ行けなかったのかが分からない。

 おそらく制作側の意図としてやりたかったことは「すずめの戸締り」なのだろう。まぁ、あの作品に限らず少年少女の思春期にまつわるエトセトラにちょっとした超常を交えたオリジナルアニメなんてたくさんあり、最近でも「アリスとテレスのまぼろし工場」みたいな作品もあったが(あれはまた別軸でとんでもない設定だったので次元が違うが)、とりあえずなんとなく旅をすることで「大変なことやってる」感が出せるというのが一番の狙いだろう。道中で何度も同じ怪異に対処しながら少しずつ目的地に近づく過程もまさに「すずめの戸締り」だ。ただ、あちらは九州を出発して四国・関西・首都圏を経由して最後に東北へ辿り着くという道程は間違いなく「大冒険」なのだが、今作はその距離が分からないのでピンとこないのである。また、ゴール地点に明確な目的があるわけでもなく、普通に考えたら神社についたところでそこに何もなくて無駄足になる可能性の方が高かったはず。常に「なんとなく」で動かれているので、視聴者は「拠り所がない」と感じてしまう。

 そして何もないと思っていた神社にたどり着いたら、なぜかツムギの親父が図ったように待ち構えている。「お前もきたのか」とか言ってたけど、いや、そう思ってたなら父娘の2人でこいよ。なんで偶然バラバラに向かって、偶然同じタイミングでついてるんだよ。親父のモチベーションが全く分からなくて、「郷が雪の神に襲われてるんだ」とツムギに伝えられたのは単なる結果論。神社では間違いなく「なぜここにツムギが?」みたいなリアクションしてたんだから、あそこに娘が来るなんて確証は全くなかったはずなのだ。親子揃ってよく分からない奴らだ。

 分からん親子といえば柊の父親もひどい。いや、父親としてひどいのは別にいいんだけど、物語中盤以降の行動がいちいち謎で、例えばようやく2人に追いついてツムギに柊のことを尋ね、「あっちに行ったよ」というあまりに漠然とした情報をもらった親父は「そうか」と言ってそのまま車でどっかへ行ってしまった。幼いツムギを夜の道にほったらかしにしたままである。いくらなんでも人としてあり得ない行動だろう。その後もどこで何をしていたのか、偶然ツムギと再会してその父娘が「柊に会えるかも」と訳のわからんことを言い出したらどこへ行ったらいいかもわからずに「車に乗れ」という。そして2人に逃げられたあとは何をしてたかというと、ラストシーンでは事情も何もわかってないはずなのに、なぜか隠の郷への入り口のところにずっと座っていたことが分かる。なんでそこにいるの? お前がそこで柊を待てる理由なくない?

 その後の隠の郷でのドタバタは、もう理屈も何もないから困ったらとにかく観念的なシーンを挿入することでなんとなく繋がってる風を出している。例えば郷に入る時には違反者扱いされて「少なくとも朝までは監禁するぞ」と言われていた父娘は、その後追っ手を振り切ったあとは何食わぬ顔で好き勝手に動いている。郷の衛兵がチェックしていたのなら違反者であり反逆者であることが伝わっているはずなのに、その後スノーモービルに乗せてもらうところとか、全面的に村人の支援を得て動いているのだ。いつの間に許されたのだろう。ツムギが柊を閉じ込めた「食糧庫」の設定も面白い。上からボタンを押すと、なぜか食糧庫周りの会話だけが上のスピーカーから施設内に流されるという謎仕様。一応物資運搬用のエレベーターみたいな設備が見てとれるのでおそらくはエレベーターを使って物を送る際の連絡手段なのだろうが、何が困るって、食糧庫側には一切エレベーターらしき設備が見当たらないのである。そして柊側には「館内につながっていること」が分からないということは、連絡用じゃなくて完全に一方通行の放送設備なのだ。いったいなんのためにそんなものがあるというのだ。答えは「その方が次の展開に都合がいいから適当にそうした」だけであろう。

 他にもツムギの母ちゃんが結局何したかったのかとか、郷は雪の神との付き合い方をどうしたかったのかとか、根本的な問題は何1つ解決してないはずなのだが、全てツムギと柊の観念世界で「なんとなくいい話風」に収束させたもんだから映画としては「終わった風」になった。わたしゃもしかしたらとびきり察しが悪いのかもしれないが、これで1本のまとまったエピソードというのはいささか無理があるんじゃないかという評価である。脚本家は本当にこの状態で「書き上げた」と思ったんだろうか。

 あと、個人的に納得いかないのがエンディング演出で、最後はそれまでに使った背景美術を時系列順に流していくというもので、まぁ背景美術のクオリティが高いのはいいんだけど、ただ機械的に並べてるだけでメッセージ性がないのよ。重要なシーンも、そうでもないシーンも等しく流れていくので本当にスライドショーを見せられるだけで、鑑賞後の余韻を生み出す効果がない。こういうところにこだわらないあたりが、多分今作の制作コンセプトの表れなんじゃないかと嫌な見方をしてしまった。でも、普通はもうちょっと何かあるんじゃない? もしかしたら、制作側すらも今作において「どこが重要なシーンなのか」が分からなかったとか……。

 まだまだツッコミポイントは多いのだが……まぁ、どれも気に入らなかったところをチクチクいうだけで似たり寄ったりになるので割愛(電車に閉じ込めた雪の神、どうなっちゃったんだろうな……)。いつ頃からか生み出されるようになった「寄る辺なきオリジナル劇場版」の歴史に新たな1ページという認識です。もっと劇場に金を払いたくなる作品をお願いします。

 
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