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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 ふざけたタイトル、ふざけられない最終話。これが1年間この作品を追いかけ続けた集大成。言葉も無い。

 これまでのエピソードでも要所要所で圧倒されてきた今作であるが、最終話はやはり最大の「決め所」。手抜かりは許されない晴れ舞台だ。原作がまだ続いている作品を途中で終わらせるアニメ化というのは大体において最終話あたりでうやむやになって尻すぼみになるものだが、このアニメの場合、「千利休の生涯」というはっきりしたテーマで39話を駆け抜けて来たおかげで、最後の最後まで気を抜かずに作り込むことが出来ていた。ラストシーンは多少なりとも抽象的な表示に逃げたきらいはあったが、それでもこの最終話を見終わった余韻の出し方としては文句も付けられない。このドラマを作り上げた原作もきっと凄いものなのだろうが、それを真に迫った造形美を伴って作り上げたアニメスタッフも同様に凄い。結論、凄い。

 わざわざ細かい部分を切り出してエピソードを語るのも野暮なことだろうが、いつにも増して見事だった「へうげ」ワールドの有終の美を、少しずつピックアップしたい。開始直後、辞世の歌をしたためて満足した後、謎の殺戮マシーンとなった利休が控え室から登場し警戒に当たっていた上杉の面々を黙々と殴り倒していくというシーン。もう、面白くて仕方ない。元々利休はばかでかくておっかないジジイだったわけだが、この当時の70歳なんて、現代でいえばどれほどの高齢者になるというのか。普通に考えたらしわくちゃのよれよれであろう。しかし、利休は違うのだ。諸肌を脱いで現れ出でた彼の肉体は、確かに年相応のみすぼらしさではあるのだが、それでもがっちりと筋肉が締まり、並み居る武士たちを殴り倒すのに不足はない。ご丁寧にバンデージまで巻いてひたすら顔面に鉄拳を見舞う利休は、これまでで最も「へうげた」姿であった。

 そんな利休の介錯を務めることになってしまった、本当の主人公、古田織部。彼の苦悩も1つの見どころではあるが、今回最も苦悩していた男は、そんな織部にすがりついた秀吉ではないだろうか。力無く俯きながらも、どうにもならない非情の決断を告げる秀吉は、最後の最後に、あの織部に「友であって欲しい」と本音を漏らした。野心に燃え、乱世を謀略でくぐり抜けてきた山猿も、最愛の主君を失い、信頼ある弟を失い、尊敬する師をも失い、寄って立つものが何も無い状態。ただの一家臣である織部に弱い部分を見せるなど、天下人たる秀吉にはあってはならぬことだが、もう、そんな虚勢も限界だった。浅黒い彼の顔には諦めと懇願があり、古田織部は自らの義を通すにも、そんな「主君」を捨て置けるほどに計算高い男ではないのである。

 そしてクライマックスとなる、茶室での利休と織部の師弟対決。本当にどうかしちゃったんじゃないかと思えるほどに罵詈雑言を吐く利休と、最後の最後まで見透かされていることにぐうの音も出ない織部。真っ直ぐに切腹を終えるかと思われたギリギリのタイミングで、織部は利休の真の「もてなし」に出会う。茶人としての死とは、茶室で死ぬことでも、茶を点てながら死ぬことでもない。あくまで、自分が対する客人をもてなすことにあった。それに気づいてしまったら、やはり織部は師を切ることなど出来ない。

 そして、利休はそんな織部の心中すら理解し、自ら道化を買って出ることで、織部の「自分」をそっと差しだしてやった。「それがあなたなのです」。師は最後の最後まで師であり、弟子はその末期にまで、学び続けなければならない。希代の大茶人の最期は、弟子に全てを伝えた、一片の悔いも無い晴れ舞台であった。
 

 本当に素晴らしい。こういうシーンのことを「名シーン」と言うのだろう。シナリオの含みの持たせ方も凄いのだが、これを映像にしたときのビートレインの力の入れ方が見事。利休の横顔を映し込んで一切音を入れずに数秒保たせる無音の「情感」や、織部が涙を溢れさせた際に、実際に涙が流れるカットは一切入れずに、ぐしゃぐしゃの顔を映すことで感情の溢れ方を見せる切り替えの妙。これに田中信夫の絶対的な「利休の声」が込められ、全てが完成する。圧倒されることの多かった今作のラストに相応しい、歴史に残る名演だったのではなかろうか。

 お見事。いやさお見事。

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 残すところいよいよあと1話、第38話。この期に及んでがっつり話が進む。この作品最大の見どころは、真下作品であるにも関わらず、きっちり話が進んで全く退屈しないところにあったのかもしれない。

 前回の利休の堂々たる挑発行為に対しても、秀吉は苦しみながら決断を下せずにいた。自分が慕い、焦がれていた人間に手をかけるという行為は、既に信長討伐で体験しており、その苦しみは嫌というほど理解している。そして、信長の亡霊に襲われたときに必死に助けを求めた先こそが利休なのだ。そんな父親同然の人間の命を奪うことなど、出来るはずもない。そんな秀吉の判断を確認すると、利休は全てのことが終わったことを確認し、静かに大阪を去ることになる。「全ては失敗に終わった」というメッセージを愛娘に残して。偉大なる侘び数寄の退場に、細川・織部の2人も粛々と見守るしかなかった。

 しかし、事態は誰もが望まぬ方向へと動く。明智の意志を継ぎ、次代を作らんと意気盛んな徳川、そして、利休の意志を不幸な方向へと解釈してしまった愛娘のお吟。利休を亡き者としようとする三成の陰謀とも絡み、秀吉の不安は最高潮へ。しつこく斬首を進言する三成に、弱々しく切腹の報だけを命じてしまった。ついに、この物語の主人公である千利休に終わりの時が来てしまった。

 
 これまでの物語の積み重ねが、一気に崩れて、なだれ込むように「最後」へと向かう。最大のトピックスは当然利休の最期ということになるだろうが、その他にも、細川家のドタバタやお吟の情念、茶々の思慕、三成の陰謀とそれを見守る徳川勢の狙いなど、あまりに多くの思いが渦巻いている。そしてそれが、最終的には豊臣秀吉・千利休という2人の男に収束するのだ。「豊臣の世」への思い、それを打破せんとする思い。2つの流れが急激にぶつかり合い、その中心で、利休が打ち立てた「侘び好きの世」がもみくちゃになっている。これこそがまさに「大河ドラマ」なのだなぁ、と圧倒される。これだけの内容でありながら「もう終わってしまう」ことが勿体無くてしょうがない。

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 本命は誰だ? 第36話。この作品って、確か39話の予定だよね……もう終わってしまうんだなぁ……これだけキワキワな状態なのに、何をどう終わらせればいいやらな。

 もう、ろくに隠そうともせずにガンガン回り始めた運命。秀吉は老け込んだせいなのか、それとも生きいそいでいるせいなのか、国内の統治については次第に疎かになりつつあり、何とか三成に治世を任せようとしている。遠方の伊達の様子などは気にしているみたいだが、足下でジリジリと迫る利休達の一派については、どうも一切気づいていない様子。もし不穏な空気をちゃんと現実の危機感に結びつけられていたら、いくら忠臣とて完全に三成に任せたりはしないだろう。

 そして、利休の方もいよいよ念願のゴールに向かってのラストラン。坊さんたちとの会話でも平気で「我らが企み」とか言っちゃうし、反逆の意志がある人間の名簿を平気で持ち歩いちゃってるあたりに、危機感の薄さすら感じられる。ここまで来たら生きるか死ぬかだし、細かいことは気にしなくていいという判断なのだろうか。枕を送ったこと+娘を配置したことで、そろそろ最後の一手を打つか、という状態だ。

 そして「本命」として選び出されたのが、かの徳川家康であった。後の世の「正解」を見れば、利休が毛利ではなく徳川に世を託そうとしたことは流石である。きちんと「任せることが出来る」人間を選び抜いたわけだし、侘び好きがどうこう、という目先の事象に囚われず、とにかく世界が変わる方向、という狙いに搾って動き始めたのはお見事。これで家康が本当の意味での野心家で、利休の誘いにほいほいついていく人間だったら、それはそれで世界が変わっていたのかもしれない。

 しかし、誤算だったのはただ1点。家康が京に上洛する際に履いていた足袋のことだ。家康は、あの仁君である明智の志を強く強く受け継いだ男だったのだ。光秀の持つ気位については利休も承知していたこととは思うが、あの時点では直接結びついていた秀吉の持つ「野心」と「利権」の方に手っ取り早い利益を見いだしてしまい、更に信長という化け物を片付ける必要性もあったおかげで、利休は光秀を単なる織田討伐の道具として使い捨ててしまっていた。しかし、ここに至って、光秀を打倒したという事実が、家康との間に大きな壁を作ってしまっていたのである。家康だって、今の徳川の世には疑問が無いではない。うまく事が運べば、全てとはいかずとも、どこかで利休と通じ合い、秀吉の天下を打ち崩すチャンスがあったかもしれないのだ。しかし、ここで過去の行いが牙を剥いた。最も大きな利休の罪、最も大きな秀吉の企み。それが、「侘び好きを自らの手で葬り去ってしまった」という事実とともに、利休に重くのしかかる。この構図は、徳に篤い人柄ながらも、信長打倒の折に人の道を踏み外し、前回のエピソードであっけない最期を遂げた秀長の末路に通じるものがある。

 今回の最大の見どころである、利休と家康の茶室での対峙。相変わらず陰影の使い分けが見事で、薄闇にぬっと現れる離宮の顔は、未だに不気味さがある。「天下にかける最後の一輪」として探し求めた家康の姿と、茶室にかけられた花がリンクするカメラワークも面白い。そして、「黒」を貫き通した利休が、光秀の辞世の句を伝えられた時に真っ白になってしまうという、画面のメリハリもインパクトが絶大だ。本当に、言葉少なにたっぷりと伝えてくれる作品だ。

 そして、そんな忙しい利休のゴタゴタとは別に、相変わらずの織部さん。彼の場合は……うん、まぁいいや。なんだかんだで政宗とのコンビは良いコンビだと思います。

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 暗がりを最終話に向けて突き進む、第34話。作中で幸せな人間が一人もいないという、なかなか苦しい状態が続いています。辛うじて政宗だけは楽しそうにしてるけども……

 前回のお達しで決定的に対立図式を確立させた秀吉と利休。「名器と娘を差し出せ」という無体な要求を前に、既に水面下で仕事を始めていた利休は、腹をくくって断固要求を拒否する構えだった。しかし、そんな頑なだった利休に待ったをかけたのは、意外にも実の娘。「父親の積年の想いを受けて、ここで自分が辛い目に遭ってでも父親を止めようとしてるのか、なんて甲斐甲斐しい娘なんだ……」と思いきや、「必ずや豊臣の寝首をかく」との宣言。これにはさしもの利休さんもドびっくりである。宗二の首印を見た時と同様か、はたまたそれ以上に顔をゆがめ、立派に育ちすぎてしまった娘に声もかけられない。たとえ血は繋がっておらずとも、頑固ジジイの娘はそれ以上の頑固者に育ってしまっていたのであった。

 固い決意を動かすことも出来ず、ただ歯がみしながら娘を送り出す利休。そんな彼の元を訪れたのは相変わらず脳天気に数寄にチャレンジし続ける織部さん。利休は彼の力作を認めたものの、「全てを賭けた覚悟が見受けられない」とはねのけ、今ここで、師匠と弟子の関係では最後のレッスン。「自分を見つめ直し、そぎ落とし、そぎ落とし、最後に残すのが織部風」とのこと。乾坤一擲の作品がイマイチ響かず、織部は何度目かになる大ショックタイムである。

 「内省しろ」っていうあまりにシンプルなアドバイスがこの期に及んで出てくるあたりがこの師弟の関係の奇妙なところだが、利休は決して織部が嫌いなわけじゃない。自分の行く末を見据えた上で、ここで切っておかなければ、織部までもを畜生道に巻き込んでしまうことになるのだ。涙も感動も無い茶席ではあったが、2人がお互いのことを理解しつつ、最後まで謎を残しての別れの茶碗であった。

 そして、そんな利休の苦悩を産み出す元凶となった秀吉もまた、出口のない袋小路を彷徨い続けている。ついに海の外に向けた活動も本格始動し始めたようだが、やはり世界は広い。これまでのように猿知恵猿芝居で通用するものかどうか、出足は捗らない。これまで通りに強く強く押して強引に侵略を進めるという道もあるのだろうが、病床の秀長は、それにも限界があると必死に指摘する。秀吉が結果を焦って失ってしまったもの、それこそが「数寄の力」。言い換えれば、利休との関係性。一度破綻してしまったそんな「力」が、今や秀吉ののど元にまで迫っているのだ。恐ろしいことである。

 やはり、この作品の中心にいるのは「黒の巨人」こと千利休である。今回も普段は見られないような強烈な顔芸や、湧き上がる情念をふつふつと見せてくれた利休。久し振りに、田中信夫の存在感を肌で感じることが出来たのである。

 改めて、怖いジジイだ。

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 ギスギスギスギス、第33話。やっぱり宗匠は黒い方がキャラが立つなー。それにしても怖いなー。

 ついに明かされてしまった、利休の過去の罪。これまでひた隠しにしてきた自らの暗部を、いくら全幅の信頼を置くとは言え、織部に話したことは、利休の決意が固まったが故とみることが出来るだろう。彼が「信長殺しの主犯は秀吉であると織部が知っている」ことを知っていたかどうかは定かでないが、「秀吉と自分が信長を滅したのだ」と告白することは、自分を苛むと同時に、秀吉の罪を暴くことにも他ならない。そして、そんな恐ろしい秘密を吐露したことは、既に自分と秀吉の間には、協定が成立しないほどの状態であるということを漏らしていることにもなるのだ。織部は利休の変化にのみ目が行ってしまっているようだが、この変化は、時代を動かすだけの充分な「変革」に結びつく。

 老い先短い人生の最後の目標を見いだしてしまった利休。彼は茶の湯を使い、商人としての才覚をふるい、諸将に手を伸ばし始めている。既にリストアップされていることからも分かる通り、今回の「変事」はかなり具体的なところまで構想が進んでいるようだ。きっかけはやはり山上宗二の一件からであったと思うが、一度は修復されたと思われた秀吉との関係は、今や回復不可能なところまで進んでしまっている。そして、それは秀吉も既に察知しており、遠巻きながらも、予防線は張り始めているのだ。「娘を寄越せ」という秀吉の要求は、「これが叶えば、まだ関係修復の芽もあるぞ」という最後通牒と受け取れるかもしれない。もちろん、利休にとっては「とどめの一撃」にもなり得るものなのだが……

 「黒さ」を久し振りに全開にしている利休とは打って変わって、こどもの落書きを手にしてはしゃいでいる織部は、今回も本当にひどい。いや、今回は特にひどい。何だか「ミスター味っ子」みたいなベタな過剰演出で描かれるテンションの上がり方は、今までの織部にも観られなかった馬鹿馬鹿しいまでの盛り上がりだ。「なんか妙なテンションだなぁ」と思ったら、今回コンテは全く関係無い外部の人がやってるんだね。前田真宏という名前は始めてみるのだが、割と実績のあるベテラン監督か。良くも悪くも癖が強い。単なるアホの子みたいに見えるのはどうかと思うけども……ただ、「明るい道」と「日陰の道」を選ぶという象徴的なシーンで、織部が自然に「暗い方」へ歩を進めているのはちょっと気になった。彼は、この先利休をどのような対象として見ていくことになるのだろうか。

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 偉人たちは尿で語る、第30話。ジジイ共にしてはエラく気合いの入った放尿で、大量に、なおかつ長時間出っぱなしである。やはり天下を統べる大人物たちは何から何まで違うものだ。「殿の小水の出が鈍ろうものなら」って、訳の分からない心配もされたことだし。

 さて、今回はそんな連れションシーンからの江戸情緒が一番の見どころであり、その他のサブイベントも軽快にサクサククリアして行ってる感じ。冒頭は織部による無茶苦茶な開城交渉から。試作品の茶器1つで説得できたら安いものだというのに、目に入っちゃった好みの品は何としても持って帰らなきゃ気が済まないのが業の深さ。1話目の時点では交渉事などそっちのけになってしまってろくな結果を残せなかったものだが、今となっては織部だってすっかり大大名だ。大軍に囲まれ、あわや命の危機という状況にも眉一つ動かさず、口から出任せ嘘八百で状況を打開してしまった。もうあんたはヘタレでもなんでもない、立派な詐欺師だよ。

 そして関東征伐を進める豊臣・徳川の連合軍。秀吉は三成との繋がりを強め、彼の信念をひとまずは認めてやることになった。山上宗二の一件もあるが、ここで三成を立てることで、自分のサポート役として大任を任すことが出来る人材を複数キープしている状態か。元々外様である家康にはそこまでの信頼を置いているわけではなかったので、ここで一つ安全策を打つ意味もあったのだろう。ただ、今回の放尿談義を経て、彼もようやく他人に足下を任せる決心がついたようであるが。

 そして、そんな秀吉に試された男、徳川家康。彼が甘んじて受けた東方への配置換え。それは事実上の左遷であったはずだが、この男は耐えることに関しては天下一だ。光秀の騒動で得られた人脈、天海僧正を呼び戻し、新たに描くは千年王都となるであろう、江戸の町並み。「戦で天下を取る気などさらさら無い」と言いはなった異端の大名の未来がここに見えた。この時代から1400年経った現代でも、彼の信念は生き続けているということが、フラッシュバックする現代の町並みに見て取ることが出来るのだ。

 そして、同じようにフラッシュバックした現代の姿と、残念ながら重ならなかったのが「七本木」の地である。1000年を見通す家康の目と、数分後すらろくに見えなかった可哀想な織部の対比が本当にひどい。どこまで大きくなろうとも、きちんと身体を張ったギャグを忘れないのが織部の良いところである。

 平和な世を願う家康の様子と、少しずつ大願を形にしていく織部。ストーリーは良いことずくめのこの作品だが、最後に登場した利休だけは、世の中がそう甘くないことを教えてくれる。三成に目を付けられた最後の巨人、千利休。宗二の一件で床に臥せっていた彼にも、気づけば「老い」という最大の敵が迫っている。あまりに壮絶であった1人の数寄者の人生の末路は、一体どのようなものになるのであろうか。

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 よくも、よくも、第29話。事ここに及んでこの衝撃。やっぱり油断出来ない「へうげもの」。

 まず先に軽い方から片づけていこう。数寄者の回りには数寄者が集まる。北条を制圧し、関東にその覇権を伸ばした豊臣の築城計画に荷担する織部さん。いつの間にやらその名前は諸処に響いていたようで、石垣山城の下見の際に、小堀作介との面会を果たし、なーんか気持ち悪い出会いとなってしまった。数寄者って、こんな連中ばっかりなんだろうか。声が勝杏里でこの気持ち悪さ、なんか、嫌なのに癖になるな。

 その他、東の龍こと伊達政宗もよく分からん奴だし、この世界の武人たちはどっか間違ってる連中が多い。そして、そんな中でも一番間違っちゃってるのはやっぱり織部なんだな。前回「死んでたまるか」と力強く心に誓っただけあって、戦場に出たときにはチキンと誹られても一向に構わないようで、ひたすらに自分の身を守る謎の板ブロックを徹底。もう、戦国BASARAの小早川もびっくりのディフェンスっぷりである。結局、今回戦場を離れたシーンでもず〜っとあの板を背負ったままだったしね。どんだけ死にたくないねん。っていうか、その板でどんだけ守れると思ってるやら。一時は戦場で刀を振るって必死に戦ってたこともあったのにねぇ。人間、未練が出来るとみっともなさは増しますね。いや、命あっての物種とは言うけどさ。

 さて、今回の主人公は、なんといってもそんな大事な大事な命を途絶えさせてしまった山上宗二であった。山の庵で利休と感動の再会を果たした宗二。自らの浅はかさを利休に詫びると、既に解脱を果たしていた利休に逆に頭を下げられることに。互いの若さ、堅さを過去のこととして笑いあうことで、二人の間にあった亀裂は、いつの間にかすっかり取り払われていた。離ればなれで過ごした日々のおかげで、二人は改めて、お互いの持つ価値を確認することが出来たようだ。

 残された問題は、宗二の現在の立場である。秀吉の派手好きに嫌気がさし、喧嘩別れして北条についた宗二。あくまで謀反者である宗二が再び利休と手を取り、未来の茶席を作っていくには、どうしたって秀吉の許可が必要である。秀吉に頭を下げ、帰順を認められなければならない。あの激情家の秀吉に許しを求めるのは並大抵のことではない。とはいえ、一度は微妙だった利休と秀吉の関係も、一連の事件の中で和解を見ている。「自分が進言すれば秀吉も許してくれるだろう」と利休は自信ありげだ。

 しかし、彼らはあの石田三成のことを忘れていた。利休が進言し、宗二の帰順を問う形の査問会。宗二の詫びの言葉もスルスルと出てきたまでは良かったが、割って入った三成が取りいだしたるは、宗二が書き連ねた過去の見聞録。そこには、義憤に任せた彼の「本当の思い」が綴られていた。結局、その思いを秀吉の前で曲げることが叶わず、宗二は、最後の最期まで秀吉に苦言を呈することを抑えられなかった。たとえ命がかかっていようとも、自らの数寄は、自らの信念は曲げられぬ。それが、山上宗二という男であった。彼に与えられたものは、秀吉の「やれ」という無情の一言のみ。竹林で名竹を物色していた利休の下に、三成によって届けられた宗二の首印。破局の幕開けが、そこに込められていた。

 今回はもう、この宗二殺害の一連の流れがたまらない回になった。冷酷な三成の重々しい宣告から始まり、息苦しくなるような主義信条のせめぎ合い。そして、闇夜に展開される衝撃の宣告まで。今回もBGMの使い方が絶妙なことに加え、いつも通りに光と闇のコントラストで見せるカット割りと演出がたまらない。特にインパクトがでかかったのは、利休に首印を届けた三成の描写だ。利休の煽り視点で見あげた三成の目が灯明の火を映して明々と燃え、彼がこれまでずっと秘めていた利休への敵愾心をむき出しにして投げ捨てた木箱。この作品において、「木箱」というツールは大抵の場合には中に名品を収めた状態で出てくるために、「乱雑に投げ捨てる」というシチュエーションはなかなかお目にかかれない(一回織部のいる船にぶん投げたことはあったけどさ)。そうした状況下で、三成は立派な木箱を唾棄するようにふいと投げつけるのである。これ以上ないくらいに、三成の「数寄への反発」「利休への嫌悪」を映し出した行動といえるだろう。

 そして、いざ箱を開けた後の利休のリアクション。これまで、なかなか本当の感情を見せることが無かった不気味な老人、利休が、身も世もなく慌てふためき、自分の本心をさらけ出して憎しみを露わにする。それでも、絶叫するでもなく、のたうち回るでもなく、白目を剥き、ぽつりぽつりと呪詛の言葉を漏らしながら、竹筒を握りつぶすのである。このシーンの想いの籠もり方と漏れ方が、本当に怖い。何が怖いって、よりにもよって漏らした台詞が「よくも我が親友を」とかじゃなくて「よくも真の侘び好きの目を」なのだ。どこまで行っても、この人の業の深さってのは底が見えない。

 さて、せっかく穏便に進んでいたこのお話、これでまた動乱の中へ……

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 一笑一笑、第28話。ほんと、憑き物が落ちたように幸せな顔をした利休を見てるだけで、なんだかものすごい違和感があるのはどうしたことなんでしょうね。なんか白いし、白いし!

 色々な問題が前回で片付いていたこの世界だが、意外なことに、世間的にはそうも言っていられない状態。東の北条が腹を決めて豊臣への反旗を翻し、豊臣軍は「未開の地」である関東までの大遠征を行うことになった。普段から数寄だ茶の湯だと騒いでいた面々も、この大事には武人としてのつとめを果たさねばならない。自分が産み出した器が歴史に名を刻むまで死ねぬ、と気を吐く織部なんかはある意味ものすごくモチベーションが高いと言えるのかもしれないが、一度は平定された天下において、この新たな進軍は再びの動乱を予感させるものだ。

 火種の内実は、豊臣政権下における、利休のスタンスにあった。侘び好きを究めたストイックな利休の姿勢は、既に落ち着いた現在においても、回りの人間には多大な影響を及ぼした後である。また、憑き物が落ちたとはいえ、利休は「フルオリ以上の化け物で馬鹿者」であるから、調子が乗ってきたら誰にも止められない圧倒的な爆発力がある。新たな寺門の寄進や、秀吉に依頼された数寄屋の設計など、その才覚は縛られていた時代を飛び越えて、化け物の名に恥じぬ突っ走りっぷり。これを良しと見て高め合うのが、織部たち数寄者たちだが、これを意に沿わぬ暴走と見て腹に据えかねる人間もいるのである。

 秀吉自身は、既に利休との関係性に1つの決着を付けているように見えた。数寄屋の出来についても褒め言葉を残しているし、世継ぎが生まれて上機嫌の状態ならば、一介の茶人のやんちゃなど、気にするようなものでもなかろう。今大切なのは、目の前に控えた戦なのだから。また、そんな秀吉の背中をずっと支えてきた秀長も、改めて利休の重要性を説いている。各大名の信頼も篤い「父親替わり」を、最後まで手放さぬようにと、病床に伏した身で繰り返し訴えている。

 そして、そんな秀長が挙げたもう1つの名前が、山上宗二である。秀吉の華美趣味に嫌気がさし、織部の行きすぎた数寄に辟易して京を飛び出した頑なな数寄者。彼がたどり着いたのは、あろう事か敵方北条の懐であった。宗二の身柄をどのように扱うのか、今後の豊臣の世では、1つの指針となる重要案件である。そしてまた、秀長の次に控えた大切な腹心である三成が、利休の覚醒を良く思っていないというのも気になる部分であろう。いつか利休のわがままを抑え込んでやろうという彼の目論見は、一度は秀吉が諦めて通過した心境そのものである。戦の無い時代ならば、数寄も勝手に羽も伸ばせるものだが、そこに武力と政治が介入すれば、単に善し悪しで決められるものではなくなってくる。「怪物」利休をどのように処理するのか。各々思惑渦巻く戦国の世に、まだまだ波乱は続きそうである。

 でもまぁ、織部の様子を見ていると、そんな真剣な悩みなんて馬鹿馬鹿しく見えてきますけどね……利休の手柄を聞いて思い切りふくれ面で悔しがる様子や、美濃焼のセールスチャンスに一世一代の勝負を賭けに行く無駄な気合いなど、ほんとにこの人はそっち方面の頭しか回らないんだなぁ、というのがよく分かる。大丈夫、回りにはあなたの理解者ばかりですから。まぁ、家康の息子、後の二代将軍秀忠にはちょっと嫌われちゃったみたいだけどね……そらまぁ、10歳の子供が初対面であんな耳かきのお化け渡されて、興味持てっていう方が無理な話だとは思うけどね……親父さんも無骨者だし。

 このアニメを見ていていつも思うのは、こいつらあんまり歳取らないよね。いや、秀吉や家康はそれなりに老けてきているのだが、主人公である織部が全然年を取っているように見えないのである。そして、奥さんも全然衰えてこない。もう、結構いい年なのに、ずっといい女のままなんですよ。織部さん、夜の生活は恵まれてるよねぇ。

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 年を取ってから怒られるのは恥ずかしいですよね、第27話。ついに訪れた。訪れてしまった、利休の「デレ」。先週分もかなり大きな時代の転機だったように見えたが、ここまで半年間この作品を観てきた身としては、利休の軟化というのは最大の衝撃である。あと1クール、一体何をしたらよいのか……

 今回最大の事件は、歴史的には茶々の懐妊なのである。これによって長らく世継ぎ問題で頭と心を悩ませていた「種なし」秀吉は破顔一笑。これ以上ない有頂天状態で、見たこともないような大盤振る舞いで大金をばらまく始末である。この浮かれ気分が利休にも伝染するのかと思ったが、利休は先週起こった丿貫逝去事件のおかげで傷心中。落ち込んで落ち込んで、もう自分がやっていたこと全てが許せないレベル。そのために筆頭茶頭の職を辞するというところまで自分を追い込んでしまった。何をするにもホントに極端なじいさんである。

 しかし、ここで複雑なのは秀吉の心中である。大茶湯の際には何としても引きずり下ろそうとした利休の地位。それが、一年を過ぎた今になって向こうから辞めようと言ってきたのだ。本来ならば渡りに船、願ったり叶ったりの状態のはずだが、秀吉の脳裏をよぎったのは、先日見たあの悪夢であった。豊臣兄弟の抱える最大の罪、それを信長を巡る本能寺の一件。そして、そこには利休もずっと一緒に顔を連ねてきたはずなのだ。いや、むしろ当時の関係性で「父親替わり」であった利休の方が、信長の謀殺に荷担した割合は大きいとすら言える。その「主犯」の利休が、突然このタイミングで自分から離れようとしだした。その真意をくみ取ることが出来ない秀吉からすれば、これは単なる「逃げ」にしか見えない。もう、こうなれば侘びがどうだのと言っている状況ではない。一人でも罪を抱えた人間は多いに越したことはないというので、秀吉は、結局利休を手放さなかった。

 この意外な裁定に、思わず含み笑いを漏らしてしまう利休。秀吉がずっと自分を煙たく思っていたことは承知しており、よもや引き留められるなどと思ってもみなかっただろう。しかし、いざ申し出を断られてしまった時には、目の前の猿が何に怯えているのか、全て分かったのではなかろうか。今や関白として全ての頂点に立つ小男は、日本で一番、臆病なのだ。そのことは、親代わりで面倒をみてきた利休が一番よく知っているのである。結局、利休と秀吉は、最後まで思惑が合わずじまいだ。

 そして、「業」に縛られ続ける秀吉を見て急に楽になったのか、利休は自らを焼き尽くす「業の炎」が消えたことを感じた。そうなってしまえば、まずはこれまでやってきたことの清算をしていかねばならない。大仏堂の建築で「侘び」の新しい融合形を目指し、気軽な意匠の提供を快諾。そして、勝手な思い込みで頭ごなしに叩いてしまった織部には、ちゃんとした謝罪を。肩の力を抜いてあの馬鹿みたいな顔を見れば、馬鹿は馬鹿なりに楽しくて新しいことをやっていたのだと、今更気づかされたのだ。何事も、好きが高じて突き詰めていくと、いつしか「好きだ」「面白い」ということを忘れて、「究めなければ」と必死になりすぎて、当初の目的を忘れてしまう。こういうジレンマってのは、きっと昔からよくあることなのだろう。それが日本人のもつ「オタク気質」の根源なのかもしれない。自分に厳しく、責め立てるよりも、馬鹿馬鹿しくても楽しんでいる者の方が、最終的には正しい道なのであった。

 「黒」を離れた利休は清々しいまでの好々爺に変身した。衣装もすっかり色味が落ちたし、茶碗も赤、茶室も明るく、なにやら顔の色まで白くなったように見える。目を開いて微笑む、口を開けて馬鹿笑いをする、二人でせこい商売の話をしてにんまりする。これこそが、堺の大商人から端を発した、千利休の本当の姿なのかもしれない。

 今回は、がらりと変わってしまった利休の新しい人生を彩る、これまでと真反対の演出方向が実に新鮮で、茶室のシーンだけでもカルチャーショックを受けてしまうくらいのギャップがある。その衝撃は織部が茶室のにじり口を開けた時のBGMなんかにもよく現れていて、これこそが「次なるへうげものの世界」なのだろう、ということを感じさせてくれるのだ。先週見せた「黒い」世界と、今週見せた「白い」世界。こういうメリハリがきちんと画面上の演出にのってくれるから、この作品は楽しい。織部の幸せそうな顔を見ていると、見ている人間もなんだか幸せな気分になりますよね。

 しかし、それだけでは終わらないのも、この作品の難しいところ。「楽しさを見付けて、過ぎたることも面白ければよし」と2人で浮かれる織部と利休とは裏腹に、落書きを見た秀吉の発する言葉には血の気が多い。落書きのような些細な「遊び」でも、それは泰平を乱すものになるのだ、と冷徹な返事だ。はたして、この国で「遊び」を求めたへうげ方は通用するのかどうか。静かに緊迫感が高まっていきますよ。

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プロフィール
HN:
Thraxi
性別:
男性
趣味:
声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子
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↑越えられない壁
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