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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 松田ァ! 生きとったんかワレ! 最終話!! 激動を生き抜いた最後の証人だ。昭和は終わり平成へ、多くの死が、多くの生を繋ぐ、心中の物語。こんなにも晴れやかな幕引きなのに、何故だろう、涙が止まりません。

 菊さんの死後、時間は飛ぶように過ぎ去ってあっという間の十七年。菊さんが悩みに悩み抜いて作りあげた落語の次の時代はどうなっていたかを見せる壮大なエピローグだ。まず、当然信乃助は噺家に。飛ぶ鳥を落とす勢いの気鋭の天才「2代目」として名を馳せ、立派に新しい時代の大看板を背負っている。菊さんがその存在だけを知って逝ってしまったあの時のお腹の子、妹の小雪も立派に大きくなり、こちらは落語大好きな女子高生に。流石に噺家になりたいとは思ってないようだが、その理由は「聞いてた方が面白いから」。いかにも現代っ子なサバサバした考え方。八雲の落語は難しくてよく分かんないからおとっつぁんが一番好き。樋口先生の言からすると、彼女は八雲の影響力の薄れた現代落語の象徴的な姿か。そして小夏は長年の夢をついに実現させ、この度「小助六」として正式に噺家としての仕事を始める。あの時代では考えられず、小夏自身もあり得ないと思っていた女流落語家という道。ついにその先鞭をつけることに成功したのだ。

 新しい寄席も無事に完成し、めでたい話をたくさん詰め込んで新たな時代の幕開け。その立役者になったのはもちろん与太郎だった。この度九代目八雲を襲名する運びとなった与太。八雲の看板を背負わされたら少しは変わるかってぇと、もちろんそんなことは無い。どれだけ歳を取っても、どれだけ大きなものを背負っても、どこまでも「ただの落語好き」の与太だ。背中の彫り物もいっぱしに、贔屓にしてくれる旦那衆、ファンのためにサービス満点のお計らい。この男が現代落語を背負っているという事実が、この世界の落語の在り方全てを表しているだろう。八雲と助六に憧れたただのチンピラは、菊さんの手に依ってあらゆる芸をたたき込まれ、進んだ道こそ「助六の落語」だったはずだが、グルリ回ってゴールは八雲。「助六が八雲を襲名する」という先代2人の悲願を見事成し遂げ、与太郎はこの世界を統べる存在となったのである。

 そして、最後の最後にぶち上げたのは樋口先生。相変わらずのKYっぷりを存分に発揮し、こんなハレの日に小夏に爆弾を叩きつける。「果たして信乃助は誰の子だったのか?」。あの日、与太郎は無い智恵を絞って考えた末に親分さんとの関係性に辿り付き、小夏の過去を振り払い、過去を顧みぬと誓うことで小夏を呪縛から解き放った。しかし、小夏の口から何かが語られたわけではなく、真実は闇の中。そこに疑念を抱いた樋口先生は、持ち前の大胆さで最後のブラックボックスに手をかけた。小夏と菊さんの間に、どんな関係があったのかと。老成した小夏は、もちろんこんなところでポロリと何かを漏らすような女じゃない。答えは謎のままだ。正直、菊さんとそんなことがあったかどうかなんて考えもしなかったが……しかしまぁ、当時の小夏は母親の面影を(本人も)いやというほどに抱えていたわけで、そこに菊さんが打ちのめされてしまうことは充分に考えられることなのかもしれない。だからこその、あの「親子」関係だったとも考えられる。我々視聴者目線でもその答えは邪推するしかないが……。ただ、大きく成長した信乃助の面影を見るに、答えは出ているような気もしますね。助六の落語ではなく、畏敬する八雲・菊比古の芸を引き継いだ信乃助。彼の立ち居振る舞いが「祖父」に似るのは憧れの表れでもあろうが、そこに抗えない血の関わりがあるとしても……不思議ではないかな? 助六と八雲の落語を技で繋いだ与太郎、そして、その2人を血で結んだ信乃助。その2人が、新たな師弟関係の中で次の時代を作っていく。なんともまぁ、よく出来たお話で。

 2期エンディングのタイトルは「ひこばゆる」であり、映像からもぐんぐん伸びていく雨後の竹の子のイメージの曲だったことがよく分かる。そんな「伸びゆく輝かしい未来」を表す「雨竹亭」という新たな寄席でもって、最後の演目が演じられる。信乃助による「初天神」は、彼の持つ「血」の繋がりを示す親子というテーマ性がはっきり出た一席。黄泉への道行きでも菊さん信さんがナチュラルに演じていた演目だ。そして、大看板・八雲となった与太郎が何を見せてくれるものか。「助六」としての高座なら「芝浜」だろうが、菊さんとの関係性を考えるなら「居残り佐平次」もあり得た。しかし、ここで彼がかけた噺はなんと「死神」であった。これこそが、八雲の育んだ全てを受け継いだという証である。普段なら客席とのインタラクションがメインで描かれる与太の一席だが、新たな名前を受け、そこにははっきりと燃えつきた蝋燭のビジョンが映る。「噺の中の世界」の描写は間違いなく「八雲」の領分だ。そして、てっぺんに上りつめた与太が次に足をかけるべき階段は、師匠・菊さんの待つ場所へ。まさか、最後の最後の出番が「死神」とは思いませんでしたね、菊さん。まぁ、単ににっこり笑って愛弟子を褒めるだけじゃないところが菊さんらしいヒネたところでね。「お前にも見えるようになったか」ってのは、与太が師匠と同じステージに登ったことの表れでもあろうし、お役目をまっとうし、次の世代へと引き継いでいく未来の希望の表れともいえる。菊さんは、信さんやみよ吉に連れられ、「死神」の演目からうっかりあっちに行きそうになったこともあったが、その点、与太は大丈夫。何しろ辛気くさいこの話のオチも、一言加えて自分の側に引っ張り込んでしまったのだから。「なんだ夢か」の一言は、助六の落語だった「芝浜」と鏡写しの存在。新たな「死神」は、新たな時代の九代目八雲の世界。これからもしばらくは、与太さんのお話を楽しむことが出来る時代は続きそうだ。

 時代の終わり、時代の始まり、それらがつながって、一つの流れが続いていく。昭和元禄落語心中、これにて閉幕。

 お後がよろしいようで。

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 最強執事伝説松田更新、第11話。まさかの死出の旅路にまで付き従ってくれるとは。今作最強の下馬評は伊達じゃない。

 茶化してみたが、今回は茶化すことが出来る貴重な回ということである。まさかの死後の世界でまるまる1話。ぽっくり逝ってしまった菊さんが、「その後」どんな末期を迎えたかを懇切丁寧に描いている。一体どのように死んだのか、周りの人間は彼の死にどんな風に接したのか、そうした現世の情報はほとんど無く、一部信さんに語られたのみである。おそらく、現実世界では小夏や与太郎を中心に上を下への大騒ぎになっていたと思うのだが、そんなこたぁ死んだ当人には関係無い。あくまでも「仕事終わりの一杯」的な感覚で、余生ならぬ「余死」を楽しむだけのお話。下手にわちゃわちゃした現世のしがらみを感じさせず、心のつながった3人だけでの時間が流れることで彼の死が、即ち彼の生き様が充分に幸せなものだったことが伝わってくる。今回のお話はあくまでも死後の世界という仮想を描いたものであり、菊さんの独りよがりな妄想であるという考え方も出来るのだが、流石に本作でそれは野暮というものだろう。死後の世界は(変な言い方だが)実在し、今回の一件、菊さんも、信さんも、みよ吉も、全員「あるもの」として認識していると考えるべきだろう。

 死んでしまったことはさほど驚くこともなく受け入れられる菊さん。まぁ、歳も歳だし、何度か入退院を繰り返していた身。あれだけ「死にたくない」と未練にすがってはみたものの、心の準備はある程度出来ている。そこへ迎えにきたのが「死神」として幾度となく任を果たしてきた信さんだったのだから、まぁ、その時点で気持ちの整理も出来ていたのだろう。むしろ、ここに来て死神の影響を受けない純正の朋友と再会出来たことを喜ぶべきところだ。享年によって外見に差があった二人だが、ミラクルパワーで一気にショタ状態に戻る。そういや菊さんって若いころからずっとステッキ使ってたんだっけね。縁日風の道行き(変なの)では2人の仲の良さを見せつけ、演じてみせるは「初天神」である。このあたりの息の合い方はまさに親友といったところか。銭湯に出向くと今度は青年バージョンに格上げされ、信さんはあの時の腹の傷を見せつけるというなかなかに意地の悪い趣向。ただ、菊さんはこれに凹むかと思われたが、割としれっとたしなめていてそこまで大ごとにしていない。この辺りの描写で、「あぁ、死後の世界は現世のしがらみが全部剥がれ落ちた清い世界なのだな」ということが分かる。みよ吉たちも「死んだ後まで○○してもしょうがない」というロジックを多用しており、ここでは生前に抱えていたドロドロが全て抜け落ちている。まさに、菊さんからしてみれば「極楽」みたいなものだろう。菊さんが数十年も抱えて、守り続けたものが、たった1度の銭湯でユルユルと溶け出していくかのようである。

 そしてついに、みよ吉との再会を果たす。彼女もすっかり憑き物が落ちた状態で、助六との三角関係もどこ吹く風。まるで小娘のように「菊さんは顔が好み」と笑ってみせるし、菊さんを前にして旦那の悪口を言ったかと思えば、ちゃんと「あの人は優しいンだ」と2人の関係性も示してくれる。こんな関係性が生前に構築出来ていれば、と思わなくはないが、これも「死んでから考えてもせんないこと」である。とにかくみよ吉はこの世界で救われているし、それを見た菊さんも報われている。それが分かるだけでも充分だ。

 そしていよいよ満を持しての寄席入りである。「燃やしちまったからこっちに来たんだ」とか、昭和の大名人が大挙している様子は笑ってしまうが、まぁ、その辺は「菊さんの思うあの世」だから勘弁しましょう。こんな寄席があったら、そりゃぁ連日超満員だろうにね。さっき死んだ八雲の名前もばっちりカウントされてるあたり、あの世の入国管理システムも抜け目ない。客席側から寄席に入った2人だったが、せっかくなので高座に上がるのは欠かせない。まずはこっちの世界に慣れている信さんから。「火事」というマクラから繋げて見せたのは「二番煎じ」。滑稽が中心のお話なので当然助六の得意とするところだろう。助六の高座ではお馴染みの、客席とのインタラクション多めの演出で、笑い声もこれまで以上に多く響いている。この世界に欠けていると愚痴っていた「美味い食い物」「美味い酒」の描写が際だち、「無いものをあるように見せる」落語の世界の真骨頂といえる(あと、山寺宏一の真骨頂ともいえる)。久方ぶりの助六の落語に菊さんも大満足だ。隣の座布団では小夏が父親の高座を見守っている。「この小夏」は「あの小夏」とは別であろうが、仏様は粋な計らいをしてくれるらしいので、ひょっとしたら今頃現世の小夏も助六や菊さんの高座の夢でも見ているのかもしれない。

 そしていよいよ、菊さんの最期の落語、最初の落語。信さんに背中を押されて高座にあがる菊さんの顔がスッと老齢のものに戻るシーンは、涙を禁じ得ない。「望んだ通りの姿になれる」というこの世界の理を考えるなら、彼が高座に上がるときにこの姿になったというのは、彼の落語は歳を重ねてこその完成を見たことの表れである。直前に信さんも言ってくれていたが、助六亡き後の落語界を支え続けた八雲。思い悩み、苦しみながら噺家を続けた人生ではあったが、彼の中でも、その生き方にはきちんと意義を見出せていたのだ。信さんやみよ吉に見てもらうべき自分の晴れ舞台は、若かりしあの時のものではない。2人の意志を継ぎ、守り続けた「八雲」の落語だったのだ。語り始めるは「寿限無」である。およそ大名人の高座には似つかわしくない前座話。死人を集めて長命のお話ってのも随分ちぐはぐだが、彼にとってはその長い命を尊ぶ最高の演目であり、小夏や信乃助に見せる上で一番「楽しい」のはこの噺なのだ。前座に始まり落語界の髄を極めた男が、また前座話で子供に戻っていく、そんな回帰や輪廻を感じさせる、意義深い高座になったのではなかろうか。

 生前の禊ぎも終わり、しがらみも、未練も、この世にはない。改めて松田さんを引き連れ、菊比古は彼岸へと去っていく。最期に固く信さんと契り、2人の友情が終わらないことを告げながら。

 良い、人生だった。

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 次回予告、こはる姉さんか? 第10話。確認したら助六の幼少期名義でクレジットされてたみたいだが……まぁ、出てきても何にも不思議じゃない配置だけども。

 何とも晴れがましい一幕。2期に入ってから明るい話はこれで2度目だが、その中心には必ず小夏がいる気がする。とにかく色っぽいのよねぇ。そりゃま、あのみよ吉の血を引いていて、さらに父親も割と目鼻立ちのはっきりした助六なんだから本当の意味で美人さんなんだろうけど、そういう見た目以上の部分で、小夏は本当に良い表情をしてくれるようになった。もう彼女の笑顔や、それ以上の表情だけでも、あらゆるものが浄化されていくかのようだ。

 もちろん、浄化ってのは我々視聴者サイドのことではなく(まぁ、そういう側面もあるかもしれないが)、作中における家族全てのお話だ。前回あれだけ壮絶な幕引きになり、一体どれだけ荒涼たる結末が待ち構えているものかと戦々恐々としていたので、今回の話の振り方は意外といえば意外。どうやら、前回の一幕が菊さんの「心中」の最終段階だったと見て良さそうである。どこまでを意図して企てたものなのかは今となっては分からないが、たった1人、夜の高座でかけていた「死神」の一席は、自らを死地へと誘う最後の大仕事。これまで幾度となく「落語と心中する」と漏らしてきた菊さん。そうは言っても「心中する」ってのはあくまで比喩的なものであり、大看板たる八雲を失えば、そのあとの拠り所を失った落語業界そのものが死に絶える、みたいなニュアンスで解釈してきたものだが、彼の最後の所業は歴史ある演芸場を飲み込み、本当に地獄へ引きずり込んだ。焼け跡を見て泣いていた兄さんが「この寄席は落語そのものだった」と言っていたことからも分かる通り、演芸場という形有るものが失われたことで、そこに「落語の喪失」を感じてしまう者も多い。菊さんが本当にそうした意味での「心中」を目論んだのかどうかは定かでないが、間違いなく分かっていることは、その心中が失敗に終わったということである。以前作中でも高座にかけられた「品川心中」のごとく、菊さんは心中に誘っておきながら、すんでのところであの世への道行きを自分で蹴ってしまったのである。あとに残されたのは、無残に焼け落ちた「落語」の残骸と、自分の「生き様」を見せつけられてしまったジジイが1人。

 結局、寄席が焼け落ちた程度では落語は死なない。ひょっとしたらこれが原因で落語文化が衰退する未来もあり得たかもしれないが、この世界には何よりも落語が好きで、菊さんと一緒に文化を創り上げてきた「同志」たる与太郎がいるのである。日々テレビにラジオに飛び回り、落語の火を消させやしない。結局、菊さんの「心中」は落語も、己も、どちらも殺せなかったのである。しかし、こうして死の儀式を経たことで、菊さんも腹は決まったようだ。不甲斐ない自分の生への執着は理解出来た。そして、満身創痍の老体では落語はもうまともにできやしない。心中は出来なかったが、ある程度の別離には成功したのである。落語を離れて人生を振り返ると、あれもこれも落語に費やしすぎた自分の人生のアラばかりが見えちまう。後生大事に抱えていたものでも、一度手を離してみると「何でこんなに必死だったのか」と我に帰ることもあるもので。別に落語から完全に切れたわけではないが、改めて自分の人生を見るに、どうにも落語中心が過ぎた一生だったことは間違いないわけで。花も、空も、そして「娘」も、色々なものが今更ながらようやく色彩を持って見えたような気がする。

 小夏はようやく、与太との間に「2人目」を身籠もった。菊さんの落語が与太に伝わり、与太から信乃助へ、そして、新しい命へ。菊さん一人が自暴自棄で殺そうとしたところで、落語は死にゃしない。あれだけ憎まれてきた小夏だって、「死ね」だのなんだのいいながらも、結局その愛情は変えられない。意固地で不器用だったのはお互い様のこと。なんだか随分遠回りな親子関係だったが、菊さんの贖罪の旅は、小夏と過ごす春の縁側で、ようやく終わりを迎えたのだった。これまで彼が必死に支え続けたものが、ついに手を離れて世界に進み始める実感。菊さんが作り上げた世界の姿があまりに美しく、本当に尊いものに見える。今回、落語をラジオで流しながら、「野ざらし」の内容に少しずつマッチした映像があくまで「背景」として流されるという新しい演出パターンが採用されているが、こうして何くれと無く街中を流れていく与太の声が、染みいるように「落語の世界」を現実に作り上げ、助六や八雲が求め続けた「新しい時代」の到来を告げているようだ。八雲の落語は、ここでついに、大願を成した。

 そうして、菊さんは穏やかな笑顔で、自分の後に残された世界を見ている。そこにあるのは混じりっけのない「幸せ」のはずなのだが……充足は即ち、渇望の終わり。世に残すべきを残し、役割を終えた者には、誰しも平等に迎えが来る。その顔はよく知っている。「死神」と呼ばれる顔。いつでもどこでも、菊さんの人生で隣にいたヤツだ。

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 夢とも現とも、第9話。死ぬの生きるのを繰り返し、菊さんの腹ん中もだいぶ見えてきた様子で。

 前回の顛末は、結局菊さんの高座が実現しなかったという幕切れだった様子。親分さんは6年の実刑が決定し、東京のそのスジのもんの動きも変わってしまうのかもしれません。6年ってぇのは短いようで長い年月。「うちのボンが小学校に入って中学生」って言ってたけど、そのボンの年齢も6,7歳そこそこなんだからなぁ。親分さん、塀の中をどんな気分で過ごすんでしょうか。

 そして、そんなボンも随分生意気に成長しているご様子。今まであんまり意識してなかったけど、どこまで行っても信乃助にとって与太郎は「与太ちゃん」なのね。「おとっつぁん」と呼ぶタイミングがあるのかと思ってたんだけど、その辺の線引きは小夏にもしっかり教え込まれているのか、それとも、父親ってのはそういうもんだと思ってるのか。今後信乃助が大きくなるにつれて、自分の家庭環境をどのように考えるかは色々気になるところだ。でもまぁ、「じぃじ」は「じぃじ」なんだね。天下の八雲と一緒に銭湯へ。この時代の風呂屋はまだまだおおらかだった様子で、背中に彫り物がある与太でも自由にウェルカム。こんなアニメでもお風呂回があるもんですね! いわゆるテコ入れというヤツ……ではない。いや、どうだろう。作中屈指の萌えキャラである菊さんと、ショタ味あふれすぎる美少年な信乃助、それに無駄に筋骨隆々でいい身体の与太のスリーショットは、ある意味サービスシーンと言えなくもないか。

 まぁ、冗談はさておいても、裸の付き合いで師弟の会話もはずみ、こんなところでもなきゃ漏れ出てこないようなお話も聞ける。菊さんも少しずつ外向けの顔が変わってきており、与太に対して素直に「落語やりながらコロッと死にたい」なんてことを言うようになった。結局あの一席ではネタが出来なかったので未だ高座には上がってない状態だが、少しでも落語がやりたいっていう本音を隠さずに与太に相談出来るようになったのは大きな進歩だ。そして、そんな師匠の晴れ舞台に与太が選出したのが、なんと刑務所の慰問会。振り返れば与太が菊さんと出会った記念すべき場だったということで、これ以上無い復帰の花道であろう。

 とんとん拍子で進んだ慰問会の復帰戦。それにしてもまぁ、菊さんってのはこういうところで性根の座った人でね。この日の高座にかけたのは「たちぎれ」というネタ。当方、寡聞にしてこのネタは知らなかったので調べさせてもらったが、どうやら上方落語がもとになっている話のようで、あまり聴く機会が無かったようだ。菊さんがこのネタを高座にかけた理由は明らかで、噺の中身が「罰として軟禁された者が、外の者に会えないために起こる悲劇」を題材として扱ったものだから。刑務所で受刑者相手に聞かせる話として、こんなにもぴったりと……痛切なものもないだろう。そういえば与太との出会いの時にはムショの中で「死神」をやってるわけで、この人、誰が相手でも一切の容赦がないのな。芸の力を信じ、自分の芸をどう見せるかを知っているからこそ、こうして聴衆にダイレクトに叩きつけるネタをチョイスするんだろう。

 案の定、ネタの最中には聴衆も、看守さえもが涙を隠せない圧倒的な引力を見せつける。菊さんのネタではお馴染みだが、雪が降り出し、次第に「噺の中の世界」に引きこまれる演出で物語の臨場感が嫌でもかき立てられる。しかし、皮肉なことにこのお話がダイレクトに響くのは受刑者ばかりではなかった。「本心が伝えられず、思いを寄せた女性に先立たれてしまう不甲斐ない男」というモチーフは、またもみよ吉の幻影を浮かび上がらせることに。噺の中では芸者の小糸、菊さんの中では放埒なみよ吉。先立つ女性への未練は募り、菊さんの漏らす「生涯伴侶は持たない」という誓いは、ネタを飛び越えて現実を侵食する。必死に謡を務める小夏も、そんな菊さんの心情に打ちのめされる形で涙をにじませる。この男は、復帰をかけた晴れの舞台でも、ただひたすらに自分を責め続け、打ちのめしているのだ。

 しかし、この日の高座では再びみよ吉に「連れられ」るようなこともなく、菊さんは無事にお勤めを終える。果たして復帰の一歩目として相応しかったのかどうかは分からないが、とにかく、八雲がまた高座に戻ってきたのである。多少なりとも落語に対して前向きに接することが出来るようになった菊さんは、その流れで与太の「居残り会」なんてものも聞きに行くが、元気になればなったで途中退場からお小言の一つも漏れるってもんで。まー、2人の「落語道」ははっきりと違うビジョンから成るわけで、そこで完全に相容れることは出来ないのだが、別に菊さんだって与太をいじめたくてそんなことを言ってるわけではない。あくまで「自分のやりたい落語と違う」ってだけだ。もうすっかり1人前になった与太のことはそれはそれで認めるわけで、樋口先生を通じて受け渡したのは、これまで後生大事に御守りとして携えてきた助六の扇。こうして、後世に少しずつ、自分が残せるものを伝えていくのだろう。

 与太は与太で自分の落語を見つけている。だとしたら、残りわずかな人生、「八雲の落語」はどこへ行くのか。前向きになったとはいえ、体力的な限界があるのは事実だし、みっともない姿を晒してまでお客の前に出たいかと言われたら、それは違う気もする。一体どうした心境からか、菊さんは一人、改修も間近な演芸場へ足を運び、真夜中の一人芸に興じる。今となっては自分の芸の出来に不安は付きまとい、なかなかお客様の前で披露するのも憚られる。そんな悩みの末の、闇の中の一人高座。かけるネタはあの日の「死神」で、かつては助六を葬るための鎮魂歌として作り上げた演目である。此度菊さんが計ろうとしたのは、おそらく自分の命の行く末。落語と一緒に「心中」しようとしていた命の炎は、ここで消えるべきなのか、消えるわけにはいかないのか。

 全霊を込めた迫真の「死神」。演じきったその先には、あの日と変わらぬ助六の姿。あの日葬ったはずの最大の理解者の姿を持って現れた幻影は、菊さんの弱音を、本音を全て受け止めたあとで、改めて命の在り方を問う。生きたいのか、それとも逝きたいのか。たゆたう意識の中で命の炎は劇場を焦がし、気付けばそこは煉獄の中。導いたのは死神なのか、芸の神なのか。しかし、そのまま思い出の劇場とともに命を終わらせることも可能だったはずだが、最後に伸びてきたのは死神の手ではなく、憎たらしい愛弟子の手。そして菊さんは、みっともなくも「生きたい」と声を漏らすのである。

 またも菊さんは「未練」という言葉を漏らす。でもさ、人が生きたいって思う事って、それは普通のことなんじゃないのかね。未練なんて、そんな言葉で飲み込んじまうのは、それこそみっともない話じゃないかね。菊さんの生は、まだ、終わらないよ。

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 次回予告の出囃子が志ん生! 第8話。あんまり他の噺家さんの出囃子なんて分からないんだけど、幼い日に(CDだけど)すり切れるまで聞いて育ったのが志ん生の全集だった身としては、やっぱりこの曲こそが「落語の出囃子」なんですよ。訳も分からず嬉しくなります。

 さておき、本編も心底感極まる展開。もう、視聴中はずっと涙が流れっぱなしになります。それは悲しい涙だったり、嬉しい涙だったり、まさに悲喜こもごもではありますが、菊さんの積み重ねてきた人生のあれこれに対し、生中な気持ちでは観ることを許されません。

 菊さんの入退院から、また随分時が流れたようだ。与太の野郎が弟子をとった、なんてとんでもない展開がサラッとながされていたし、一番分かりやすい時間の変化は、着々と大きくなっていく信乃助。もう小学生くらいになっているのだろうか、そう何度も聞いたわけでもなかろうに、落語の調子をそらんじながら過ごす首までどっぷりの生え抜き小僧。その血の濃さは容姿にもはっきりと表れており、グッと濃い男前の助六の面影はますます強くなる。菊さんはそんな「孫」の顔を見て何とも複雑な心境ではあろうが、割とあっさり「本当のじいさん」の話をしているところを見ると、特に隠し立てするとかいう意識もなく、本当にフラットな関係性で孫に接しているようだ。まぁ、そのへんは信乃助に分別がつくようになったら少しずつ説明はつけていくんだろうけども。

 すっかり老け込んでしまった菊さんだったが、高座に上がれない身の上でも、まわりの人間は容赦無い。そしてその多くは、樋口先生に代表されるように、「八雲の落語はもう菊さん一人のものじゃない」という意識で復活を望んでいるようだ。戦後の混迷期を支え、落語文化の守り手となった八雲と助六。その大きな礎は、本人の意志とは別のレベルで、何とかして残そうという動きがあるのはしょうがないところ。樋口先生はずけずけと言い過ぎだし、慇懃な態度で一応菊さんに選択権を与えているように見えて、もう完全に強迫になってしまっている。でもまぁ、その辺は菊さんも諦めているようで、ため息混じりに強引な男のいう通りにしてしまうだろう。一応、そんな樋口先生の豪腕も悪いことばかりではなく、懐かしいあの日の写真が見られたり、老人の郷愁を満たすのにも一応の役は果たしているのではなかろうか。

 しかし、やはり応えられない期待ってのはプレッシャーになってしまうもので。高座に上がれない苦しみ、そしてあがれないからこそどんどん衰えていく心と身体。自分の居場所を求めてフラフラと出歩く菊さんを、与太と小夏がつかまえる。橋の上ってのは今も昔も「死に際」の代名詞。落語の名作なら「文七元結」あたりが有名なところで、当然、落語夫婦がフラフラと橋の上に出てきた老人を見てしまったら、そういう想像が先んじるのも仕方ないところ。仕方なくはあるのだが……小夏さんの叱咤は本当に心に来る。別に死ぬつもりは無いがフラッと出てきただけの菊さんに、「身を投げて死ぬんじゃないか」と詰め寄る小夏。当然、そこには同じように「身を投げた」心中劇、助六とみよ吉の姿が重なるはずだ。そして、小夏は「アンタは罪を償っていない」という。もちろん、小夏は心の底から菊さんを責めているわけじゃない。昔はそういう部分もあったが、今となっては、そんなこたぁ責めるつもりもないだろう。しかし、菊さんが生きる理由を一つでも突きつけられるなら、小夏はそういうしかないのだ。そして、そんな「罪」の真実を知っているからこそ、菊さんも、そして与太郎もこの小夏に返す言葉が無い。菊さんが一生を賭して「でっち上げた」偽りの罪の存在を、ここで小夏にどうすることもできない。菊さんからすれば、この時の感情は悲しみなのか、後悔なのか、諦観なのか。

 改めて自分の人生の意味を突きつけられ、菊さんは本当に参ってしまう。普段だったら憎まれ口の一つも叩いてなかなか弱みは見せないところなのだろうが、自分が抱えている不安も悩みも怒りも、全部愛弟子にぶちまけて、「八つ当たり」をする。師匠から「お前みたいな噺家に何が分かる」なんていわれてしまったら、普通の弟子なら打ちのめされてしまうところなのだが……そこは与太郎だ。ちぐはぐながらも長い付き合いの弟子と師匠。このリズムこそが、与太が与太でいられる理由なのかもしれない。師匠の話はそれはそれで聞くけど、「ところで」ってなもんで。突然こんな風に頭を下げられてしまっては、みっともない姿を見せて取り乱した菊さんだってあっけにとられちまう。「この馬鹿に何を言っても効きゃぁしねぇ」ってんで、悩みも怒りもぽろりと抜ける。そして、何ともお気楽な落語観でもって、菊さんの悩みなんて上書きしてしまうのだ。もう、このシーンの菊さん、本当に絶妙な表情をたくさん見せてくれて最高でした。

 そして、菊さんの背中に最後の一押しを加えるためのドキドキのBパート。松田さんという首魁(それにしても元気なじいさまだな)を中心とし、結託して菊さんをはめたのは全国菊さん愛好会の皆様。確かに本人の意志を無下にするのはいかんことだろうが、おそらくみんな知ってるんだ。口では何と言おうと、菊さんが一番落語をやりたがってることを。だからこそ外堀を徹底的に埋めて、なし崩しで高座にあげちまおうって作戦に出たわけで。一度は帰りかけた菊さんだが、人前に引きずり出されたら絶対に背中を見せないのは芸人の意地。稀代の大師匠は、無難な受け答えから次の展開を待つ。とりあえず、馬鹿弟子の出方を見てからの判断だろう。

 そして、ここで与太がかける話はこれまでの流れから「居残り」になるだろうと思われたのだが、なんと、ここでしかけた「趣向」ってのが実に攻めっ気あふれる演目。そう、あの日の助六、「芝浜」の再演だ。菊さんからすれば、それは夢のようだった若き日の名残でもあり、あの忌まわしい悪夢の夜の前兆でもあり。自分の言葉を馬鹿正直に貫き通して助六を受け継いだ弟子の仕事ぶりを見て、あの日の気位が幾らか戻ったかもしれない。

 与太のしかけた「芝浜」の一席。これまた随分と念の入った仕上がりだった。例によって、与太郎の芸ではあまり「話の中の世界」のオーバーラップ演出はない。先代助六と同様、「噺の中身」というより「与太の世界」が中心になるからだ。今回わずかに芝の浜辺の波の様子が重なった様子が見られたが、あくまでも世界は「与太郎のもの」だ。しかし、これまでの与太とは大きく違う点が1つ。それが、途中から彼が流し始めた涙である。確かに噺の中で、あの夫婦は泣いていたかもしれない。しかし、ここまでの涙を流すことはない。噺と乖離した、「与太郎の涙」だ。普通、演者は「泣く演技」こそすれ、本当に泣いてはならない(声優業界の定石)。先代助六だって、噺に入り込んで泣くなんてことはしていない。しかし、与太郎は泣いてしまう。泣きながらしっかりと噺を作る。それが、芝浜を作った助六に捧げる思いなのだ。最後に菊さんは、「映像の中で助六は泣いていたかい?」と尋ねた。弟子の仕事の不備を指摘する師匠の役割を果たしながら、助六に何を見たかを問い、与太が得たものを確認するためだ。与太は「確かに泣いていた」と答えた。助六が落語をやる喜び、そして、その時間を共有していた菊比古の喜び。映像の中で2人は笑っていた。高座に立たない今の菊さんは、果たして泣いているのか、笑っているのか。

 「芝浜」という演目も、こうして見てみるとまた意味深長なところがある。一夜にして大金を得たと思った漁師が、目覚めて見たら手にした大金を失っている。女房にそれは夢だったと諭され、自分の行いを悔いて心を入れ替えて真面目になり、改めてあの日を笑えるほどにまで身を立てる。そしてそこで、妻から突如、あの日本当に「あった」大金を差し出されるのだ。大切だと思っていたものでも、無くしてしまった後に悔いるだけではなく、なくした後にどのように生きるかが大切だという一種の訓話じみたところがある噺。そして、そんな噺を聞いて、「全てを失った」と思っている菊さんは何を思うか。ポロポロと自分の身から落ちていく過去の財産。何も出来ないとふさぎ込む日常の中で、本当に大切なことは、「失った後」なのではないか。完全になくなったと思っていた助六の思い出だって、こうして弟子の手を借りてポッと後世に蘇ることだってある。あの日の思い出は、夢だったのか、現だったのか。それを決められるのは、今を後悔しないような生き方をした者だけではないのか。

 菊さんは立ち上がった。たくさんの後援者に、そしてどうしようもない馬鹿弟子に背中を押され、改めて、自分の夢の所在を探す決心をした。ここからが、有楽亭八雲の、最後の花道だ。

 そして、間の悪さというのはどうしようもないもので……。菊さんの高座が聞けるのは、いつになるのだろうか。

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 明かされた真実、第7話。そこに秘められていたのは菊さんの犠牲の精神。松田さんの言った「師匠は墓場まで持っていくつもり」という台詞も、いよいよ墓場が差し迫ってきたこの時世には、何とも重たくのしかかる。

 本当に見ているだけでつらくなってくる菊さんの現状。何とか生きるか死ぬかの状態からは抜け出せたものの、一度倒れてしまったことによるショックは、業界全体を揺るがせただけでなく、当然本人の心情にも大きな影響を及ぼしている。なかなか話してくれないことを気にしていた与太だったが、菊さんが与太と話したがらないのは、本人が言うように「思うように声が出ねぇ」ところを見せたくないからだろう。素っ気なくあしらっていても腐れ縁で結ばれた愛弟子のこと。いつでも一番近くで師匠の落語を聞き、いつだって彼の言葉を聞き続けた与太には、自分が変わってしまったこと、噺家として決定的なものが失われたことは嫌でも伝わってしまう。だからこそ、菊さんは与太の前で声を出したがらない。では、菊さんは落語をやりたいのか、やりたくないのか。おそらくそれは本人すら分かっていないのだろう。

 彼が一番「本心」に肉薄した部分を見せられる相手といえば、結局は小夏なのだ。彼女は業界に関わっているとはいえ噺家ではないので、与太とはまた違ったスタンスで菊さんの話を聞くことが出来る。「声が出なくなり、高座に上がるのが怖いんだ」という菊さんの台詞を、小夏は「分かりきった建前はいらねぇ」と一蹴。これだって充分納得出来る理由だと思うのだが、小夏から見ればそれは「建前」であるらしい。肉体的な限界は、八雲を高座から引き剥がすだけの理由にはならず、「そんな理由であんたが落語を手放せるわけがない」と切り捨てる。そして、そこから漏れ出すように菊さんが語るのは、「落語をやらない安堵感と虚無感」。もう落語をしなくてもいいと言えば確かにそうだ。年齢から来る身体の問題が理由なら、どれだけうるさい外野陣でも無理に仕事をしろとは言えないはず。堂々と、合法的に引退宣言出来るこれ以上無いチャンス。これまで散々嘯いてきたように「自分と一緒に落語が死ぬ」「落語を殺す」ことが望みであるなら、この度の騒動は菊さんにとって必要不可欠なステップだったはずなのだ。しかし、そこで落語を手放すことが、果たして自分の望みだったのかどうか、それすらよく分からない。生まれてこの方、落語以外の生き方を知らなかった人生なのだ。そこから落語がすっぽり抜けて、空いた穴を埋める方法を知らないのだ。幼い頃は生きるための術として、みよ吉や助六生きた時代には皆を繋ぐ縁として、そしてみよ吉の死後は自らの罪を縛める枷として、常に菊さんの人生の中心には落語があった。生きながらにして「理由」を失っては、自分が何ものなのかすら定かではない。自分は落語が好きだったのか嫌いだったのか。何故落語を続けてきたのか。予想もしていなかった自分の気持ちの揺れ動きに、菊さんはまだ解決の糸口を見ない。

 一方、そんな菊さんの窮地を知ってか知らずか、樋口先生率いる与太郎・松田さんのコンビはあの因縁の地へ。独力でそんなところまで調べ上げた樋口先生すげぇと思いきや、なんと彼もみよ吉の故郷に因縁浅からぬ人物であった。落語に出会う以前にみよ吉に会っており、むしろそのみよ吉が落語への道しるべ。そんな樋口の人生にとっても1つのキーポイントとなった、亀屋旅館である。あの日の口演映像が残っているということで、与太にその全てを受け継ぐことが今回の1つ目の目的。見つかったのは、あの思い出の日の菊さんと助六の高座である。ここで描かれる2つの演目がまた印象深い。

 まずは菊さんの「明烏」。若かりしころの師匠を見てテンションが上がる与太だったが、白黒で画質も荒い当時のフィルム映像は、視聴者目線からすればどうしたって「過去の歴史」という印象が強い。事前に弱り切った菊さんの様子を見ているだけに「今」と「昔」の差はより一層強く意識されるものになっており、フィルムの中の菊さんが活き活きと、本当に「楽しそうに」落語を演じていることが、彼の現在の懊悩の理由を根底から支えていることがよく分かる。因縁でしかないと本人が思い込んでいた落語だが、やはりその隣に助六がいて、周りにみよ吉がいたこの時代は、間違いなく「菊比古の落語」には純粋な楽しさがあったのだ。あれだけ八雲の落語を見続けた与太が「こんな師匠見たことねぇ」と言っていたのも無理はないこと。今の八雲は、当時の菊比古とは全く違った目的意識で落語をやっているのだから。

 そしてフィルムは助六へと移っていくわけだが、ここでの演出の対比も非常に明示的で面白い。今回、実に久しぶりに「落語の中の世界」の映像が流れた。菊さんの演じる「明烏」の女郎屋での一幕である。この「落語の作中世界」の映像は本作において「落語の生々しさ」を表すものであり、いかに話に埋没した状態かを表すもの。過去の事例では菊さんの「鰍沢」なんかが印象深い。この時の菊比古はご存じの通り、まだ年若いにも関わらずすでに「世界を作る」落語の腕を持っていたということである。対照的に、助六の落語では「落語の中の世界」は全く描かれない。その代わりに、白黒だったフィルムは助六の登場とともに一瞬でカラーになり、映像を見ていた与太は気付けばその客席に座っている。これは、助六の落語における「助六中心の世界」を描いたものである。前回樋口先生が分析していた通りだが、助六は何をやっても助六。しかし、その「助六の姿」を見せることが最大の魅力であり、寄席の会場全体が彼の落語の舞台と言える。こうした違いが、今回フィルムを見ている時の映像ではっきりと差別化されるわけだ。伝説の「芝浜」は、見事な余韻を持ってすっきりと終わるところであるが、松田さんも与太郎も涙が止まらない。松田さんは懐かしさもあってだろうが、与太の場合には、ただひたすら、助六の作る世界に打ちのめされたが故の落涙である。また1つ、新しい「助六」が伝えられた。

 こうして過去の歴史を手に入れた与太だったが、残念ながらこの地はただの晴れ舞台ではない。忌まわしい事件の現場でもあった。どうにも野次馬根性が止まらない樋口先生のKY発言で何とももやっとした上映会だったが、その後の墓参りの際には、与太は八雲が語った「助六とみよ吉の落語心中」の話をする。だが、松田さんが実際に見た光景は、そんな八雲の話とは似てもにつかない内容だった。2人の死には小夏が関係している。というか、小夏が原因だった。子供のすることだし、それ以前のみよ吉の行いに大きな責任があったのは間違いないのだから小夏を責めるような話でもないのだが、小夏本人がこの事実をどう受け止めたらいいかとなると難しい。だからこそ菊さんは、小夏のことを考え、「自分が全て悪い」という罪の意識をそのまま歴史に塗り重ね、別な「心中」を作り上げていたという。そうでもしなければ小夏は生きていけない。そして、罪を被ることで、菊さん本人が慰められていた部分もあったのかもしれない。

 小夏が実際のあのシーンを今も覚えているのかどうか。それは分からない。おそらく、松田さんが言ったように記憶が曖昧なので菊さんが何となく語っている「事実」の方を信じているのではなかろうか。2人の何とも歪な関係性を知ってしまうと、今回冒頭の病院のシーンにおける菊さんの反応も、また違ったものに見えてくるのが興味深い。菊さんにとって、小夏は「助六とみよ吉の置き土産」であり、2人を失ってしまった今、菊さんは自分のなにもかもを犠牲にして、小夏の人生を救っているのだ。そして、そんなことは普段の生活でおくびにも出さず、小夏の憎しみも長い間受け続けていた。そんな菊さんが、いよいよ「墓場」が見えてきた現在、何を残し、何を持っていくつもりのか。何とも切ない「親子」の縁である。そして、そんな事実を知ってしまった与太郎は一体どうしたらいいのか。残念ながら、与太は馬鹿だからよく分からない。彼に出来るのは、ただただ小夏を抱いて泣き叫ぶことだけ。大きな子供を抱えながら、小夏は一体何を考えるのだろう。

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 歴史たゆたう第6話。時代の動乱の中で、八雲は過去になってしまうのか、現代に踏みとどまるのか。

 高座で倒れ伏した菊さん。落語の時代を動かす大名人の異変に、楽屋裏は騒然。歳も歳だけに周りの人間だって心配していた部分はあったのだろう。誰もが最悪の事態を思い描き、慌てふためきながら対処に追われる。幸い、医学部崩れの萬月兄さんがいてくれたおかげで現場での対処は適切なものになったが、その場で解決するような事でもなし。病院に搬送され、あとは本人の生きる意志次第ということになってしまう。

 当然、愛弟子の与太は付き添いするはずだったのだが、幸か不幸か、菊さんの意地を貫き通した仕事ぶりと緞帳が間に合ったために事態は客席に伝わっていない。まだ残っているお客さん、自分たちを待ってくれているお客さんのために、与太は残ることを選択する。「お客が待っている」「落語をやらなきゃ」。この時の与太の心情は、一体いかほどのものだっただろうか。落語という存在、それを支えてくれるお客の存在、それらがかけがえの無いものなのは間違いなかろうが、全ては菊さんという存在があったからこそ、自分が出会えたものなのだ。師匠を失っては、与太郎の落語は成立しないのだ。だからこそ、そこは私情に任せて菊さんを追いたかったところなのだが、そこに一言、菊さんの口から何かが漏れる。その内容は聞かずとも分かることだろう。噺家が何よりも優先すべきもの。それを守れと、師匠は身を賭して示したのである。菊さんの言葉を魂で理解出来るのは、与太郎、そして小夏の2人だけ。「ここで落語が出来るのはあんたしかいない」。

 いわば「命懸け」の演目、「居残り佐平次」は樋口先生の言葉を借りるなら「とんでもないもの」だったという。鍛錬を積み、この日のために与太が磨き上げた大ネタ。その完成度はどんな大名人とも違った与太郎オリジナルというべきもの。記念すべき日のトリを務めるに不足のない出来だったのは間違いないはずだ。しかし、この「居残り」、演出上は何とも絶妙なポジションに落とし込まれている。ここで与太が「完璧な居残り」を完成させてしまうのは、どう考えてもおかしいのだ。本来なら心ここにあらずに状態なわけで、心情を考えれば与太郎の目指す「楽しい落語」なんて出来るような状態ではない。しかし、そこは菊さんに背中を押されて高座である。半端なものを出すわけにもいかない。良すぎれば与太の人間性が問われ、悪すぎれば噺家としての技量が問われる。そんな八方ふさがりの演目を、与太郎はスレスレのバランス感覚で成立させている。普段のように、噺の世界に埋没し、現実を侵食するような力は演出上浮き彫りになっていない。あくまで、「話をしている与太郎」にスポットが当たった状態で演目は進む。グルグルと渦を巻くように切り取られるカメラアングルも、どうしようもなく心が切り離された与太郎の焦りを表したものだ。しかし、だからといって魂が抜けるというのでもない。特に、主役である佐平次が突然過去を語り出して嘯くシーンでは、グッと汗を滲ませながら、彼の背中に迫るアングルがとられる。これは明らかに、与太郎が背中に背負った彫り物を思い起こさせる演出だ。噺の中で佐平次が背負い込んだのは多額の借金と仲間との約束。そして、現実世界で与太郎が背負い込んだのは、自分の過去と、それを受け入れて認めてくれた師匠との約束。現実に降り立った与太郎が高座の上でけじめをつける姿は、まさに、現代版の「居残り」なのである。奇跡的に繋がったこの奇妙なリンクによって、一世一代の「居残り」は稀代の高みへと上りつめたのだろう。

 こうして約束を果たした与太がこの後出来ることは、ただひたすら師匠の帰りを待つことだけ。状態はあまり楽観的な見方を許さない様子で、小夏の言葉を借りるならば「正念場」。落語界の至宝を「引き戻せる」のは、家族の役割だと萬月兄さんも釘を刺していた。もちろん、ここで言う「家族」という言葉に血の繋がりは必要ないことは言うまでもない。菊さんを彼岸へと誘ったあのみよ吉の幻影と、昔日の慚愧の具象となった助六に対抗出来るのが、その血を引いた小夏や信乃助、そして助六を引き継いだ与太であるというのもなかなかに因果な話である。萬月兄さんはそうした「家族」の繋がりからちょっとはずれて、蚊帳の外で寂しそうではあった。小夏に振り向いてもらえたことでちょっと報われたのかな。これまで登場した中では一番の活躍でしたし、松田さんのように「落語やってくれればいいのに」って思ってる視聴者も多そうだ。遊佐さんのネイティブ京都弁が格好良いよね。

 八雲が倒れたことで、ただでさえ忙しかった与太の日常は更に慌ただしくなった。そんな中で耳に入る、寄席の建て替え計画のお話。直接与太たちに関係のあることではないのだが、このタイミングで「歴史の切り替え」が訪れているというのも何とも因縁深いところで、どうしたって「時代が変わる」ことが「八雲の退場」と重なって見えてしまう。深夜のタクシーで萬月がともしたライターの灯り、そして楽屋で席亭が一服するためのマッチの明かり。今回は「火」が画面の中心に来る構図がかさねて登場するのだが、どうしたって、先週表れた「蝋燭の火」のイメージがそこに重なってしまう。そこかしこで灯っている「火」がいつかは消えることの暗示。それは長い歴史を刻んだ寄席そのものかもしれないし、そこで落語を支え続けた大名人かもしれない。与太郎の根拠のない明るさに救われている部分はあるが、得も言われぬ寂寥感は、時代の終わりをじわりとにじませている。

 そんな中、新しい時代に目を向ける者もいる。相変わらず与太郎を追いかけている樋口先生は、八雲の容態を気にしながらも、あの日与太郎が演じた「居残り」に新たな可能性を見出したと興奮気味。樋口先生の分析する「3つの型」の話はなかなか興味深い。ちょっと本筋から離れた話になるが、これって私も「声優という仕事」を見ている時に常々感じているやつだ。1つは純粋に技術を磨き上げ、芸の中に自分の存在を置く八雲タイプ。千変万化で優雅さを感じさせる演技の方向性といえば、それこそ石田彰の仕事ぶりや、後輩の沢城みゆきなんかの方向性だろうか。2つ目は「何をやっても○○」だが、ハマればこれ以上無い魅力に繋がるという助六タイプ。お客は皆、その「人」を見に来るという方向性で、作中のキャストなら小林ゆうは間違いなくこのタイプ。世間的には若本規夫あたりもこのカテゴリに入るだろう。そして、3つ目は「自分を必要とせず、役の全てに散らして世界が見える」という与太郎タイプ。言わば1つ目と2つ目の複合進化形みたいなデザインだが、個人的には大看板である川澄綾子や福圓美里あたりがこの方向性に近い気がする。男性でパッと浮かぶのは三木眞一郎あたりかな。本当に「演じる」ことが好きで、技術論や精神論を超えたところに何かを見出す、そういうタイプだ。この3つに貴賤があるわけではないが、樋口先生は「与太郎タイプ」の存在を落語家の中で初めて見出し、それを新しい時代の先駆けであると睨んでいる。正直、こんな状況で「次の時代」の話をするのも相変わらず空気が読めてない感があるのだが、先生の場合は悪気があってやってるわけじゃない、むしろ「落語の未来」を一心に追い求めるが故の言動なので致し方ないだろう。

 そして、そんな先生が最後に持ち込んだのが、なんと先代助六の映像が手に入るかもしれないという貴重な情報。この時代、音源ならともかくなかなか一昔前の「映像」を手に入れるのは難しかっただろう。特に活動した時期が短かかった助六ならなおさらのこと。演目はこれまた大ネタであり、あの日助六が魅せてくれた「芝浜」。この情報が、与太郎にどのような影響をもたらすことになるのだろうか。

 「芝浜」のサゲといえば、「また夢になるといけねぇ」である。目が覚めた先が夢かうつつか。彼岸と此岸をたゆたっていた菊さんは、どうやら夢ではなく現実に帰還したようである。涙ながらに目覚めた菊さんは、一体何を見てきたのだろう。目の前の景色を見た菊さんは、その世界のことを「未練」という。

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 鮮烈一閃、第5話。どこかのタイミングで現れるだろうと思っていた“もの”だが、この大舞台で、出てきてしまうものか。

 前回は心底晴れがましいお話で、助六としての成長、そして小夏との決定的な和解など、新しい時代に繋ぐ明るい展開ばかりのお話だった。随分珍しいとは思っていたが、もちろん、その先に訪れるものの前座だったのはある意味当然なわけで。

 与太郎が自分の殻をようやく破れそうな節目のタイミング、時機と見た菊さんは身を削るようにして助六の「居残り佐平次」を披露し、与太郎に最後の一山を設ける。難しい課題だったのは間違いないが、与太郎は持ち前の落語愛、そして樋口先生らの協力もあり、なんとか「自分の落語」の突破口を見出すに至ったようだ。正直、個人的には「居残り佐平次」がそんな大ネタだっていう認識はあんまり無かったのだが、樋口先生の話を聞く限り、ネタのスケール感よりも内容に肉薄するキャラクターの作り込みに特徴があるようだ。かくいう私は過去に聞いたことがあるのは志ん生のものくらいなので、あんまりバリエーションって分からないんだけども。何にせよ、あの菊さんが「諦めた」ってんだから骨のある仕事だったのは間違いないようだ。

 そして、そんな大仕事を披露する絶好の機会である親子二人会の企画がいよいよ進行する。飛ぶ鳥を落とす勢いの与太、そして今や落語会を代表する大看板となった菊さん。この2人の会ともなれば、落語会をあげて盛り上げるべき一大イベントである。周りの人間も当事者たちも、嫌でも力が入ることに。菊さんは良くも悪くもいつも通りの調子だったが、与太はここで大きくけじめをつけるために、以前菊さんが褒めてくれた背中の彫り物をしっかりと仕立てての大勝負。別に任侠に義理を果たすわけではないが、半端を咎めた師匠への筋を通すための仕事だろう。自分は自分で「我を通す」ということの表れがここに1つ見られる。2人会で与太が最初にあげたネタがあの因縁の「錦の袈裟」だったというのも、彼の決意表明ととることが出来るだろう。

 そして「居残り」を巡る菊さんとの問答でも、与太はある意味では「我を通して」いる。「我が無いのが自分」とは何とも不思議な話だが、遡って見れば与太をこの世界に踏み入れさせたきっかけが菊さん。そしてその菊さんは、「私の全てを引き継げ」ではなく、「八雲と助六の全てを覚えろ」と約束させたのである。つまり、そこには八雲があり、助六があり、そしてその後ろに与太郎がある。我を通すと言われても、まずは成立させなければならない「他」が絶対的に存在するのだ。だからこそ与太郎は「自分の落語」に迷っていたわけだが、樋口先生の言葉を借りるなら、「我を通すのも1つの型」。他人から無理強いされて「我を通せ」と言われてひねくり出した「我」にどれほどの価値があるかも分からないのだ。それだったら、「自分を空っぽにして」有象無象に引っ張り回されて作り上げる世界だって、一つの「我」と言えるのかもしれない。与太郎はそんな難しいことを考えているわけじゃなかろうが、菊さんだって「どうせこの馬鹿ァ大して考えちゃいない」ってんで、叱るのも無駄だと思ったのだろう。ガチガチに固い落語論なんかでぶつかることが無いのも、この師弟のいいところなのかも。

 そして明るい話はもう1つ。前回壁を越えた与太と小夏との関係性は、今回小夏と菊さんの間にも及んだ。元々女子供を楽屋に入れることを好ましく思っていなかった菊さんだったが、小夏の仕事ぶりを見て、ついに認める動きを見せた。思えば、菊さんが小夏に笑顔を向けてくれたのって2期目に入ってからだとこれが初めてだったんじゃなかろうか。「嫌なジジイ」だったが、彼は彼なりにずっと小夏のことを気にかけており、ようやく一人前になった彼女を見て、菊さんもフッと気を緩めたのかもしれない。

 こうして、与太は新しいステージに歩を進め、何とも奇妙な家族関係もここで円熟の兆しがあった。万事良しでここからが新しい時代だ、と思った矢先のこと……。

 菊さんが記念すべき高座にかけた噺は「反魂香」。死者の魂を呼び戻す香を焚き、先立たれた女房に会おうとする男の話。幽霊が出てくるとはいえ、基本的には賑やかに落とす噺。女房とのやりとりも艶があり、なるほど菊さんがやるに丁度良いし、与太との二人会にもしっくり来る演目である。しかし、ここ最近は寄る年波もあって体調を心配されていた菊さんには、どうにもこの噺は他の因縁がついて回ってしまった。

 今回の高座は、普段よりも広いホールでの催しということで、例えば舞台のライティングがやや陰影の強いものになっていたり、マイクから聞こえてくる声にいくらか反響があって会場の広さを感じさせるようになっているのが芸の細かいところ。そうしていくらか遠巻きにも見える菊さんの手元、最初は遠景からのカットが主だが、噺が佳境に入るにつれ、少しずつにじり寄って噺の中に没入していく。菊さんの指示で小夏が焚いたお香の煙は、当初舞台袖からたなびいていたが、気付けばその煙が菊さんの噺に取り込まれ、作中人物が焚いた手元から立ち上がるようになる。自然に作られていく怪しげな話芸の世界。八雲の作り上げる噺の真髄がここに表れているわけだが、あまりに真に迫った世界の有り様は、いつしか演者そのものを取り込んでしまう。菊さんが手元で焚いた反魂香。会いたかった女房が見えるというその煙の中に、ゆらゆらと浮かぶ忌まわしい面影。

 別に、会いたいと切に願ったとも思えぬ。そこに死者の意志が介在したなどというロマンチズムも無いだろう。しかし、菊さんにはそれが見えてしまった。長きに渡る彼の苦難の人生の中で、一番強く彼を冥土へと引き寄せる、あのみよ吉の姿が。噺の中の反魂香は「死者を現世に呼び出す」ものだったが、今の菊さんには、死者を引っ張り出すほどに現世に強い繋がりは無かったのかもしれない。香の力・噺の力は、いつしか生者を隠り世へと誘うものに。心のどこかに澱のように溜まり続けたあの日への後悔が、どうしようもなく菊さんを惹きつける。

 名人と呼ばれる八雲のこと、何とか噺だけはやりきってみせるのは意地の成せる業。倒れ伏した菊さんの前に立ちはだかるのは、もう1つの亡霊、助六の姿。彼は「あちら」へと菊さんを招き入れる。否、菊さんは、「招かれるべきだ」と未だに自分を責め続ける。2人を取り囲む蝋燭は、先代八雲を見送るようにして菊さんが産みだした「死神」の再演。未練もある。悔悟もある。しかしそれ以上に、先立った2人を想う、強い自責がある。落語を殺して自分も死ぬ。そんな菊さんの「心中」は、いよいよもって、その姿を現実のものにし始めた。

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 寿限無タイフーン、第4話。もう、一生分の寿限無を聞かされた気分。

 今回は今作には非常に珍しいエピソードになっている。まずもってオープニングとエンディングがちゃんとついていたというだけで珍しいんだけど、それだけ頭と尻がはっきり前後から切り取れるような内容だったと言えるのかもしれない。それにしても、4話目にして初めてのエンディングテーマだったわけだが……映像が謎過ぎてびっくりするな。「心中」のイメージからはかけ離れた映像で、すくすくと伸びゆく竹のイメージが表のテーマなのだが、そこから何故か無人の高座をイメージさせるパーツだけが舞い落ちるという。結局一周して怖いやつじゃん。「助六の落語」のあけすけな勢いを見せながら、最終的に「心中」のもの悲しいイメージに着地する、曲芸みたいな映像である。当然作劇は畠山監督本人が担当している。なんなんだろ、この人。

 そして、オープニングやエンディングの有無以外にも今回は割と特徴的なお話で、なんと、表立って悲しかったり、苦しかったり、思い悩むような要素が作中に(ほとんど)出てこない回なのである。前回からいきなり時代がすっ飛び、息子の信乃助の年齢からすると大体4〜5年後くらいだろうか。かつては真打ち昇進とともに芸の壁にぶち当たった与太郎だったが、周りからの激励の効果もあって無事にブレイクスルーを果たしたらしく、スキャンダルによる風評被害もどこ吹く風。再びあの当時の勢いを取り戻し、「助六の落語」にも身が入る。これだけの大人気になったのだから天狗になって芸をおろそかにしそうなものだが、根っから自分の「馬鹿さ加減」を理解している与太は決して今の自分に慢心することなく、テレビに出ながらもきちんと演芸場に顔を出し、忙しい日々の合間を縫って夜間の居残り練習まで欠かさないという。こうした彼の落語に対する真摯な姿勢が、新しい「助六の落語」を産みだすに到ったのだろう。

 また、この数年で小夏が楽屋に入るようになったのも大きな変化。ヤクザの親分との一件で無事に与太との間にあった壁がなくなり、「夫婦」になったのかどうかは定かじゃないが、少なくともわだかまり無く接することが出来る関係にはなったみたいだ。実の父、母、そして憎らしい八雲じいさんを育てた寄席の中に身を置き、彼女は何とか新しい生き方を見つけようと努力している。もちろん、落語が好きなことは変わらないのだし、一番近いところで与太郎を「見守って」「見張って」いられるポジションが色々と丁度良いのだろう。唯一の懸念材料は菊さんがチクチク小言を言ってくることくらいだが、まぁ、そこはしょうがない。信乃助の存在はまさに「子はかすがい」ならぬ「孫は接着剤」みたいなもんで、鉄面皮の菊さんだって、調子の良い信乃助の振る舞いには相好を崩さざるを得ない。

 今回1つ目の名シーンはやはりこの楽屋のシーンだろう。「寿限無が出来るんだ」と言ってまさかの一席を始めてしまう信乃助。それを見て与太が盛り上がるのは分かるのだが、なんとまぁ、小夏さんまで親馬鹿をフルに発揮して顔を上気させていた。今回は小夏が主人公のお話なのでとりわけ彼女の表情が細かく表現されており、すげぇ分かりやすい表現を使うなら「めっちゃ可愛い」です。この時のテンション上がった小夏さんも実に愛らしい。そして、そんな馬鹿親子のテンションが上がっているところにチクチクやりに来る因業なジジイ。こりゃぁまたピリピリしちゃうか、と思いきや。このじいさんも可愛い孫(?)にコロッとやられてしまうのである。菊さんの人生においては「子供」という対象とふれあう機会も他になかったが、やっぱり信乃助のことは大事に思っているんだろうか。なんか、信乃助の顔って小夏以上に助六に似てるんだよなぁ。ただ、流石にそれで年端もいかぬガキに負けてちゃ癪だってんで、高座に上がって「明烏」をかけるあたりが菊さん流。まぁ、流石にトリを務める大看板が前座話の寿限無ってわけにはいかないものね。正直、菊さんの得意分野ど真ん中であろう明烏は長めに聞いてみたかったところなんだけど。

 そして、団欒睦まじい与太のご家庭に更なるご褒美を提供するのが幼稚園での落語会だった。「園児が全員寿限無を唱えられる幼稚園」とか一周回ってホラーみたいな映像にもなっていたのだが、まぁ、子供っていこういう「意味の無いもの」を覚えるのが好きだからね。「スリジャヤワルダナプラコッテ」とかね。そして、子供だらけで礼節もしきたりも気にしなくて良いボランティアの落語会ってんなら、与太だって多少の無茶は許される場。千載一遇のチャンスで狙ったのは、なんと小夏を高座に上げてしまうことだった。なるほど、こりゃぁ他の場所では出来ないし、これだけお膳立てがあれば、小夏がはるか昔、楽しげに「助六の落語」をそらんじていたあの時代が再び戻ってくるには充分な場所だ。腹をくくって噺を始める小夏。その堂に入った仕事ぶりは流石の血筋である。最後には園児たちとのコール&レスポンスまでばっちり決めて、落語の楽しさに感無量。このシーンの真っ赤になった小夏さんもやたらに可愛いんです。もう、とにかく今週は色んな小夏姐さんが可愛いんです。画伯ボイスのキャラでこれだけの愛嬌を発揮したキャラって初めて見たかもしれないな。

 そして、この顛末が「女を高座に上げちまった事件」とかで後に尾を引く展開になるのかと思いきや、そこはきっちりわきまえている小夏さん。高座に上がったのはあくまでイレギュラーな場と割り切り、そこからの無理はしない。今後の憂いもなく、ただ小夏さんがちょっと幸せになれるだけのお話でした。たまにはこういうお話があってもいいよね。

 これだけで終わるなら本当にハッピーなお話だが……まぁ、流石に八雲パートもちょこちょこと。今週一番の緊張感があったのは菊さんと樋口先生のタクシーでの一連のシーン。菊さんは先生のことを評して「違和感」という言葉を使っていたが、それは彼の思う落語についての違和感なのか、それとも先生の言動と内実に関する違和感なのか。まぁ、控えめに言っても割と不躾な人なのは間違いないので、菊さんが警戒するのも致し方ないところなのかもしれないが、別に樋口先生の信念自体は今のところ間違ったものではないだろう。「自分の見てきた落語は自分と一緒に終わらせる」という菊さんの信念も個人の自由なので邪魔出来るものではなかろうが、樋口先生の「生き残る落語」の話だって至極まっとうな意見である。この対立はおそらく本質的に埋まることのないものだろう。どれだけ先生が歩み寄ったところで、菊さんの刻んできた歴史を完全に理解することなど出来ないのだから。しかし、菊さんが破り捨てた原稿用紙はあくまで「自分は落語に新しい命の可能性など見出さぬ」という決意表明であり、それは決して先生の野望を邪魔するという意味でもない。今後、先生は菊さんの人生観を変えて、協力を仰ぐことが出来るのだろうか。

 そしてラストシーンは助六の名を刻んだ扇子をじっと見つめる菊さん。パチンと閉じて後は暗闇。助六は、この世に求められている存在なのか、それとも菊さんの思い出の中だけにあり、闇に葬るべき代物なのか。答えはまだ出そうもない。

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