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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。普段使ってるWordにほったらかしだったアプデかましたらフォントやスタイルがよくわからんようになった。
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 桜舞う季節の最終話。ラストはハッピー川本家で締め。それ以外にも2話一挙放送なので色々ありましたが、すべてひっくるめての「3月のライオン」ですね。エンドカードの宗谷がちょっと可愛すぎるのがずるいです。

 川本家以外の要素としては、最終話でまさかの幸田家のお話が出てきた。なるほど、確かにそこをほったらかしにしては桐山零の人生を語り尽くすことにはならないか。作中で幸田の奥さんが言っていた通り、結局この家の問題は何一つ解決していない。香子や歩が零と顔を合わせてしまったら「空気が凍る」というのは事実だろうし(香子は割と慣れてしまっているのでもっと違った対応をするかもしれないけど)、奥さんも未だに零と対面しても「目を逸らしてしまう」ということを自覚している。幸田家の方からは何一つ零に対してアプローチしていないのだから、対応が変わっていないのは当然のことだ。

 しかし、零は変わった。そして、すっかり新しい生活を手に入れて「やわらくなった」零は、かつて自分が(意図せずとはいえ)迷惑をかけてしまった幸田家に改めて謝罪するとともに、「自分はもう大丈夫だから、気に病む必要はありませんよ」という報告をしに行ったのだ。報告する相手としては、歩は適当じゃない。彼の前に顔を出すだけで傷つける可能性があり、二人の関係は、未だにアンタッチャブルなまま。今後の人生で、歩はなんとかして自力で復帰のきっかけをつかむ必要がある。香子については、ちょいちょい顔を合わせていた(ちょっかいを出されていた)のであまり気にする必要もないだろう。零が変わったことを一番知っているのは彼女だろうし、わざわざ報告しても嫌味だと思われておしまいだ。彼女は彼女なりに、したたかに生きていくだろう。となれば、あとは奥さんにだけ報告すれば良いということになる(幸田さん本人には会館であっている)。「大丈夫です、あなたの息子は、ちゃんと一人で生きていけます」ということを伝え、彼女の肩の荷を降ろしてやる。今の零には、そうしてやれるだけの心の余裕があるのだ。幸田の家が健全な状態に戻るまではまだ幾ばくかの時間が必要だが、少なくとも、どこか救われたのは間違い無いだろう。

 こうして零が以前世話になった「家」に思いを寄せたのは、もしかしたら新しい「家」の存在をはっきりと認識したためなのかもしれない。これまでは「ご飯を食べさせてくれる、申し訳ないくらいに親切な川本家」もまだまだ「よそ様」でしかなかったが、今回ひなちゃんに受験勉強を教えるに当たって、また一つ距離が近づいた感がある。そして、今まであまり意識してこなかったひなちゃんとの関係性。「可愛い子だなぁ」とは思っていたが、「恩人の娘」みたいな対象にそれ以上の感情を持たなかった零が、今回初めて、「ひなちゃんがあんな顔を見せるのは高橋くんに対してなんだよなぁ」と、ちょっと口惜しげに語っている。ようやく、高校生男子の零くんにもそれなりの何かが芽生え始めた……のかもしれない。多分ひなちゃんだって髪型のことを褒められたら悪い気はしないのだし、同じ学校に通い始めたら、ますます距離は縮まりそうな……春ですね。個人的には、そんな青い春にキャァキャァ言いながら確実に年齢を重ねていくあかりさんの方が心配です。あんた、妹の心配もしてないけど、絶対自分の心配もしてないよね。美咲さん、ちゃんと面倒見てあげてくださいね。まぁ、本気出せばあかりさんクラスならいくらでも相手はいると思うが。

 しかしまぁ、今回もひなちゃんは可愛かったわ……ここぞとばかりに本気の入魂作画で1つ1つのカットが魅せてくれる。髪型がボブになったひなちゃんは、なんだか中の人を彷彿させますね(中の人は中学生には見えないが)。恋したり凹んだり、全力で青春を楽しめるようになったひなちゃんはかつてのいじめ問題の影はもう無さそうだ。新しい環境、新しい世界を存分に楽しんでほしい。

 最後の最後まで本当に癒しのイデアが詰まった素敵な空間だった川本家。これでお別れなんて信じられないくらいに寂しいのだが、最後に「またどこかで」と言ってもらえた。彼女たちの、そして桐山零の前途洋々たる人生、今後も追いかけられればいいなぁ。

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 あかりさんに甘やかされたいだけの人生だった、第20話。あかりさんさぁ、あれで子供産んだことないとかおかしくない? あかりさんの中の人さぁ、あれで「産んだこともないのに母性とか言われる」とかいうのおかしくない? 茅野愛衣に甘やかされたいだけの人生だった。

 もう、温かみと幸せの絨毯爆撃回。これまでの重さ、辛さ、アツさとは別次元の作品になっており、今回は何一つとして心が痛むことがなくあらゆるものが幸せを表現しているという、眼で見て耳で聞くタイプの麻薬。永遠にこの世界に埋没していたいが、残念ながらアニメである。本当に残念である。

 Aパートは何故か流しそうめん。突如夏休みのグラウンドに流しそうめんの舞台が出現する高校って怖いわ。野口先輩、自宅の竹林が云々とか言ってる時点で本当に実年齢がわからぬ。そして、将科部といえば零にとっては学校で唯一の救済の場であったわけだが、そんな温かみが、ついに作中最大の幸福の象徴である川本家とタッグを組んだ。陽光の下で弾けるひなちゃんがいればそれだけでギアが一段上がり、純真無垢の塊であるモモちゃんの存在は高校生にとっても癒し以外の何ものでなかろう。そして穏やかな気持ちで真夏の太陽を浴びているところに、地球規模のセックスシンボルであるあかりさんが光臨するのだ。並大抵の男子高校生では耐えられまい。……まぁ、一番ダメージ負ってたのは林田先生だったけど。先生、まだ独り身なんですかね。そして、2つの幸せの光景が交錯した時、それは融和し、1つになる。そう、ひなちゃんの進路が決まったのである。

 そして時は流れて一気に4ヶ月。その間に何もなかったわけでもなかろうが、ひなちゃんの受験勉強は佳境へと突入した。受験勉強なんて言ったらそりゃ重たい話もあってしかるべきだが、発奮しちゃった零という最強無敵の家庭教師もついてくれたので、ひなちゃんのお勉強もそこまで心配なものではない。マイペースな零だが、これまで色々なところで将棋の解説を担当していたこともあり、他人に教えることは苦手ではないのだ。特にひなちゃんとの付き合いは長く、彼女が真面目な頑張り屋であることがわかっているので、どういう教え方がベストなのかも把握しているのだろう。着実に関係性が深まっている二人の行く末を見守るだけでもニヤニヤできてしまう。挙句に訪れる甘やかしの極み。だからさ、あの声で「甘やかされたい人〜」とか言われたら、全人類が崩壊するやろが。なんなの? 魔女なの? 傾国なの? 零はなんで冷静でいられるの? 目の前にひなちゃん、追い討ちのあかりさん、さらにコタツに大量の猫。零、貴様今死んでも問題あるまいな?

 一応、おじいちゃんとひなちゃんの真剣なお話なんかもあったけど、このパートだってじいちゃんが家族思いで、非常にためになる、まっすぐな教育をしていることが伝わってくる良いシーンだ。「金は大切、それは間違いない」。こういう教育がちゃんとできていれば、お孫さんは将来立派に社会に出ていけるんですよ。まぁ、あかりさんっていう実績があるからこの家は何一つ心配してませんけどね。10年後、モモちゃんはどんな女の子に成長しているかも楽しみだなぁ。多分あかりさんが二児の母とかになってて、ひなちゃんはお店の看板娘としてバリバリ新商品を開発しているだろう。そんな「かわもとけ!」みたいな日常4コマ、どこかで連載されてませんかね?

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 先生やめて、その説教は俺に効く、第19話。ほんと、アニメ観ててこんなに打ちのめされてるのはどういう試練なんだ……いや、日頃の行いの悪さ故だが……。

 島田さんの大一番が終わり、残りの話数を考えたらもう大きな対局は無いだろう。となるとあとは何をするかといえば……そうか、ひなちゃん事件の顛末を描かねばならぬのか。第2シーズンは将棋の試合とこっちの問題が半々ぐらいだったイメージですかね。そして、ひなちゃんが立ち直ったら終わり、なんて簡単な問題じゃなかったということを改めて思い知らされる展開。

 本当に硬軟織り交ぜた押し引きの強い展開でもグッと惹きつけられるのが今作のすごいところで、今回は前半パートでは本当に幸せそうな川本家の様子が久しぶりに描かれる。甘いものを食べるときには格別のエンジンがかかるあかりさん。丁寧な白玉団子クッキングから、さらに商魂に火がついた爺さんも含めて、川本家は家族総出で大きなミッションへと挑む。文字通りのお祭り騒ぎであったが、川本姉妹の持つ総天然の明るさが突き抜けていて本当に楽しそうなお話。途中、ひなちゃんはかつていじめられていたちほちゃんの見舞いに向かうシーンもあり、改めて確認した友情と、香り高い梅シロップの関係性がなんとなく暗示的でもある。ちほちゃんは未だ回復途上であるということを知らされて気も引き締まるが、「これからのこと」を考えられるようになっただけでも進歩はあるのだし、ひなちゃんも今後の人生で引き続き誰にも恥じぬ公明な生き方を続けていく決心がついたであろう。まぁ、進路を考えるためには成績も関係してくるけどねー。

 こうして、穏やかな時間が流れる川本家の光景は本当に素敵なものだ。しかしBパートでは一転して夏休みの学校の風景。かつていじめ問題に当たって一応の決着を見せた国分先生(CV立木文彦)が2学期以降の業務を若い先生に託すに際し、いじめの首謀者だった高城との最終決戦を迎えることに。まだ若い先生は「いじめは加害者が悪いに決まっている。その報いは当然受けるべきであるから、自分が担任することになるなら、そこは割り切っていく」と宣言。さらに「何故、悪い人間の方にそこまで目をかけてやる必要があるのだ」とも訴えている。この辺りが、引き続き教育の難しさを考えさせられるところだろう。確かにこの若い教員の言っていることは正論である。そして、大抵の学校では(いじめをうやむやにするという最悪の対処を除けば)おそらくこうした処理で白黒をはっきりつけるのが一番正しいという結論になるはずだ。

 しかし、それは「処分」であって「教育」ではない。教育者がどこまで生徒たちの面倒を見るべきなのか、なんてのはどこまでいってもゴールのない議論であるが、少なくとも、明らかに道を踏み外し、人生に迷っていると判断した生徒がいるのなら、それを自分の思う正しい方向へ導くというのも教育の理念の1つである。余計なお世話かもしれない。過干渉かもしれない。しかし、国分先生は、それで終わるわけにはいかないと考え、自分なりの「説教」を高城に叩きつけるのだ。

 高城が一人待つ教室に国分先生が入って行くシーン。今回のエピソードだけでも私は何度も涙腺が緩んだが、この入室シーンでのほんの一瞬が、一番の鳥肌ものだった。それまでの明るかった川本家のパート、夏休みのどこか気だるげな、蒸し暑さを感じさせる陽光。そうした「暖かさ」「明るさ」を全て消し去るような、熱を持たぬ高城の一言。もう、この一言が出てくるだけでも、やっぱり悠木碧は化け物だと言うことができる。人生の定まらぬ、世の中を全て見捨てたかのような、諦観のこもった高城の態度。「悪いとすら思っていない」と評されていたが、まさにその通りなのだろう。彼女は自分以外の人間が苦しむことをなんとも思っていないし、「苦しむ」という行為・心情自体に対し、余人とは違う観念で生きているのだ。いじめという問題があったことすら認識していない。彼女は、ただ自分が「苦しまない」方向で、クラスの人間関係が構築できていればそれ以上でもそれ以下でもなかったのだ。学校という組織の必要性も、下手したら「友達」という存在も、彼女は認識していないのかもしれない。

 そんな空虚な高城の人生は、「頑張る」こととは無縁である。だからこそ、「なんで自分が努力して、苦しむ必要があるんだ」という質問を投げかけてきたのだ。そして、考えた末の国分の回答は、「そんな必要はないんだな」というもの。自分の娘ほどの年の少女の屁理屈とも取れる抗弁に、あっさりと自分の勝手さ(世間の理不尽)を認めた形。しかし、それは自分が間違っていたという謝罪ではない。「少なくとも自分はそうして生きてきて良かったよ」ということを報告した上で、さらに高城に対し、おそらく本人も一切意識したことがないような心の有り様を叩きつける。曰く、「努力をしないのは、した結果で何かが計れてしまうのが怖いからだろう」と。何かを頑張った時に得られるものは達成感であろうが、もう一つ、「頑張ってもできなかった」という結果も伴う。そこに自分の限界が見えて、自分の器がわかる。逆に言えば、死ぬまで頑張らなければ、自分の器は計れない。大きさはわからない。無限の可能性を秘めているし、もしかしたら思っていた以上にちっぽけかもしれない。自分の限界を見てしまうことは、誰だって恐ろしいのだ。

 高城が、本当にそんな理由から今の生き方になったのかはわからない。しかし、確かに国分のいう通り、彼女は「頑張って」いないのだから、挫折もなければ後悔もない。それはそれで楽しい人生かもしれないが、今後の人生では必ずどこかで大きく転げるものだ。だからこそ、なんとかして若いうちに自分という器を測る尺度を与えなければいけない。それが、国分の考える教育なのだろう。

 年を取ってしまえば、この国分の伝えた言葉の意味はわかってくる。しかし、まだ若い中学生の高城にはどんな風に響いたのだろう。痛いところを突かれたと悔しがるだろうか。わけがわからなくてポカンとするだけだろうか。はたまたじじいがまた的外れな説教をしていると笑い飛ばすだろうか。少なくとも、真正面から中学生にぶつかっていった国分の本気は、高城の凝り固まった「世界」にひびくらいはいれていたように見えるが……。

 結果はまだわからない。本当に分かるのは、彼女の人生の、ずっとずっと先なのだろうけども。真っ暗な高城の未来図、色とりどりのお菓子で描かれたひなちゃんの未来図。その対比は、寓話と言うにもあまりに残酷だ。

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 貫いた人生、第18話。もう、こんなもんまともな状態で見られるわけないやんけ。全身全霊での対局、その行く末に。

 島田VS柳原戦の決着。もう、どっちが勝っても納得できるし、どっちが負けても納得いかんやろ、という壮絶すぎる試合。勝負の天秤はあちらに振れ、こちらに揺れ。これまでのお話を見ていれば、どうしたって「島田さんがんばれ」と応援したくなるものだが、そんな島田さんの「呆れるほどの努力家」という強みは、最終的にしがみついた年月へと集約されていく。成長は遅いが確実に大きくなるというケヤキに例えられ、島田さんは少しずつ、ここまでの道のりを刻んできた。

 そして、刻んだものを強さだというのなら、やはり柳原さんは強かった。誰よりも自分のため、そして、そんな自分を作り上げてきた有象無象のため。焼け野原を歩き続ける最後の1人として、道無き道を進み続ける。一度は崩れ掛かった膝を立て、土壇場で気力を持ち直させたのはそんな焼け野原の道程を共有してきた者たち。誰もが倒れ、いつかは別れゆく人生。さよならだけの人生。それでも、受け取ったたすきを無下にするようなことだけはしちゃいけない。それは枷であり、命綱でもあるのだ。驚異の粘りから年齢以上のバイタリティを発揮した柳原を相手に、島田さんは、未だ自分の届かぬ領域の存在を痛感するのである。

 本当に、わずか二週の物語で全てを持っていった柳原さんはやはり化け物である。まぁ、私が芳忠さんが好きすぎるってのはあるかもしれないが、単なるわがまま爺さんだと思っていたはずのキャラが、これだけのバックグラウンドを抱え込んだ「老人」の象徴として引き立つことになろうとは。ギットギトのイラストレーションで描かれたわかりやすい勝負の熱量。燃え続ける身体と、はっきり「老人」だとわかる心身との対比。それらすべてが柳原さんの人生をあぶり出し、「この人になら島田さんが負けるのも致し方なし」というところまでたどり着く。この映像は生半な入れ込みでは作り得ないものだろう。

 そして、いざ決着した後の柳原さんの諸々も本当に素敵だ。勝利報告はきちんと周りにいるみんなに。本当は身も心もボロボロのはずなのに、応援してくれる人たちに対してはそれを見せず、まだまだ希望であり続けている。島田さんサポーターズまで転がっちゃってるのは可哀想すぎるが、島田さんだって、相手がそれだけすごい人だったことは分かってるわけでね。なんだろ、こんなに負け方にも華があって格が落ちないのは島田さんの役得だわね。しかし、二階堂までつやつやして写真に写ってるのもすげぇなぁ……それだけ棋士にとっては「魅力的な」激闘だったんだろうなぁ。誰だよ、この2人の対局を地味だなんていってたやつは。

 やはり特筆すべきは、島田・柳原両名が、本当に心の底から対戦相手の強さを認め、敬意を表しつつも憎まれ口とともに「絶対負けたくない」と思っている関係性。「そんな怖い顔すんなよ」とか、「ジジイのくせに」とか言ってるのが本当に清々しくて、これこそが男と男の勝負なんだなぁ、とニヤニヤしてしまう。勝手な妄想だが、多分芳忠さんのこの熱演を観て、島田さん役のミキシンも「負けないくらいいい芝居でやり返したいなぁ」って思っていたに違いない。島田さん、本当に素敵なんですよ。

 さて、これで棋匠戦も一段落か。次回予告は川本家の面々の声ばかりが聞こえてきたが……またそちらの話に戻るのかな?

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 お久しぶりです、第17話。オリンピック期間中はまさかの1ヶ月お休みという異例の措置になっていたため、シリーズアニメのくせに余裕で休憩時間があったという不思議な作品。これなら多少気合を入れてもスケジュール的に余裕が持てるのかもしれない(勝手な想像)。一応シャフトはこれと「Fate」の二本体制だけどね。

 さておき、1ヶ月空いてしまったから流石に前回までの流れはうろ覚え。これで話題が完全に山場を挟んでいたりしたら興ざめだが、その辺りは制作側も当然気をつけているので、前回のエピソードで処理するべき諸々は片付いており、今回は心機一転、新しい物語が始まっている。そして、その主人公はなんと島田さんと、その対戦相手である柳原さんだった。以前も宗谷が登場する名人戦に比べて棋匠戦は地味だのなんだのと文句を言われていたが、そんな「地味な」試合がまさかここまでドラマティックな展開になろうとは。いやが上にも盛り上がるこのドラマづくりは本当にお見事。本作は「零以外のキャラクターもみんなみんな主人公」みたいなキャラクターの掘り下げが本当に丁寧で、どこを掘っても必ずその労力に見合った量のドラマが繰り広げられる。原作の語り口の巧みさが最大の要因なのだろうが、作品の売りを理解してそこからハードなデザインも活用して画面を作り上げているシャフト製作陣の手腕もお見事だ。

 まずドラマ部分から見ていくと、我々は島田さんのドラマについては1シーズン目でたっぷりと堪能させてもらった。地元の期待を一身に受け、ひたすら努力だけでここまで勝ち上がってきた作中最大の苦労人にして、作中最大の善人でもある島田さん。地味なところはどうしようもないが、胸に秘めた闘志は本物であるし、もちろん将棋の実力だって本物だ。普通に考えたら、視聴者目線では島田さんを応援し、島田さんが勝ってくれることが最善の展開であるように思える。

 しかしそれだけでは終わらない。地味だと言われる棋匠戦だが、対戦相手の柳原さんだって、島田さんと同様のもの、もしくはそれ以上のものを背負っているのだ。これまで登場したシーンはほとんどが会長とのコミカルなシーンだったのでギャグメイカーの印象が強かった柳原さんだが、一度盤に向き合えば「現役最高齢」の看板は伊達ではない。戦い続け生き残り続けている裏には、当然それだけの血と汗と涙が隠れているのである。柳原さんが抱えているテーマは単純に「年齢」であろうか。才能にも恵まれ、ここまで勝ち続けてきた柳原さんが抱え込んでいるものは、どうやら自分の「加齢」だけではないようである。周りを取り囲む「同窓会」の面々も等しく歳をとり、すでに周りを去ってしまった人間だって数多く存在する。そんな良き友たちが柳原に託していった大量のタスキ。渡した人々はそこに大きな意味を持たせたわけではないかもしれないが、託された柳原にとってはそうもいかない。今回登場した新聞記者を引退したおっちゃんのように、様々な状況で「リタイア」していった男たちは、未だ現役で戦い続ける柳原に憧れ、そして託してしまう。「自分は良くも悪くも歳を経て変わってしまったが、変わらずにあり続けるものがあると嬉しい」と、悪意も他意もなく、人々は考えてしまうものである。そして、それを託された側は、そんな思いを無下にはできないのだ。

 島田と柳原。2人の背負ったものに大小も貴賎もない。それぞれの人生の目標は、別々に存在し、本人にとっては何よりも大切なものだ。島田さんが背負い、手放さずに進んできた三十数年、そして柳原が背負い、受け止めてきた五十数年。それぞれの「理由」を胸に秘めて、「地味な」2人は盤上でド派手な戦いを繰り広げるのである。ただ積み重ねることだけで自分の人生を示し続けてきた男たちの対局が、今まで誰も見たことがなかったような次の地平に渡るというのもなんとも皮肉で、柳原の信念がこもった試合であることが伝わってくる。どちらにも頑張って欲しいし、どちらにも勝って欲しい。しかし勝負は二つに一つ。来週には決着もつくのだろう。果たして、「焼け野原」でその身を焦がしながらも進み続けるのは、どちらになるのであろうか。

 今回も情感たっぷりに作り込まれた数々のシーン構成がお見事。特に見入ってしまうのは、やはり他人の人生までもを背負い込み、それでも表では豪快に笑い飛ばして戦い続ける柳原さんの壮絶な生き様を描いたカットだろうか。「焼け野原」のイメージ、「タスキ」に絡め取られるイメージ、そして、静かな朝の床でただひたすら生きるためのルーチンをこなす「老人」のイメージ。あまりに生々しく、鮮烈な映像で描かれた彼の生き様は、ほんの数十分で柳原という人間を描くのに充分な情報量を持っている。彼がくゆらす紫煙が「焼け野原」のイメージと重なり、道半ばで夢を絶たれた多くの人々の人生を燃やしていく様子が残酷で、切ない。それでも、柳原はいざ決戦の場に臨めば眉一つ動かさずに戦い続けるのである。島田さんは本当に大変な相手とばかり戦っている印象があるが……この世界のトップなんて、誰も彼もがこんな化け物じみた人間なのだろうなぁ。

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 不意の飯テロマジ勘弁、第16話。角煮はね……手間だよね……(圧力鍋の購入を真剣に考え始める)。

 前回までのあれこれを総括するインターミッションのようなお話。おかげで宗谷・日向家・島田さん・二階堂と、この作品の良いところがぎゅっと詰まったたくさんのキャラクターが一気に楽しめるお得な回。そして、その全てのシーンがそれぞれに違ったテイストでいい具合に感情を揺さぶってくれる。

 まずは宗谷。前回の時点でその超然たる妖精さんっぷりは存分に発揮してくれていたわけだが、今回はいわば「答え合わせ」というか、衝撃の事実が明かされる最終回である。これまで何度か、零は宗谷を評して「周りから音が消えたよう」という表現を使っていたが、さすがは天下の桐山零といったところだろうか。その表現は当たらずといえども遠からずだったわけだ。実際に、宗谷は周りの音を聞いていなかった。何だろう、彼の場合は「聞こえない」というよりも「聞かない」と言った方がしっくりくる気がする。もちろん本人の意思で選べるはずもないのだから「聞こえない」には違いないのだが、それを一切苦にせず、むしろ武器として研ぎ澄ませている感すらあるのが宗谷という人間の恐ろしさである。

 しかし、こうして真実が明かされてみると、これまで見てきた宗谷の超越性の1つの真実が見えたような気もする。「音が消える」ことの影響は、単に彼の人間性が表れるだけのものではなく、将棋という勝負の世界でも何か意味があるようにも見える。もちろん困難の方が多くはなるはずなのだが、それでも宗谷ならば「その世界」で戦えてしまうだけの天賦の才があったということなのだろう。結局、真実が判明してからは零と宗谷が再び出会う機会はなかったわけだが、次に再会した時、零は宗谷に対して、一体何をみて、何を語るのだろうか。

 文字通り嵐のような新人戦が終わるが、ひと段落している暇もないのが忙しい棋士の生活。そんな零の苦労をねぎらうかのように、日向家の団欒が描かれる。まぁ、残念ながらその中に零はいなかったんだけどね……角煮&半熟卵によるトロトロやらプルプルやら、もう、なんか全部日向家を表すメタファーみたいに見えてくるな。零のやつ、本当にこんな幸せ空間を無駄にしやがって……。今回はかやのん&花澤のユニゾン台詞も多くて、あらゆる面で眼福(耳福?)でしたね。芸歴のせいで忘れそうになるけど、ちゃんとかやのんの方が年上である。

 さておき、そんな日向家の誘いにもなかなか乗れない零ちゃんは、宗谷戦の後遺症のようにただ彼の影を追う。別に意識しているわけではないだろうが、さすがに「神」との対戦を終えて綺麗さっぱりその衝撃を忘れてしまうのも難しいだろう。まるで夢うつつの出来事のように、零の脳裏にこびりついた宗谷のイメージ。同じ体験をしたことがある島田さんは、それを指して「楽しかっただろう」と言った。零はともかく、島田さんはあれだけの肉体的な苦労を伴いながらの戦いだったにもかかわらず、それでもなお「楽しかった」と言えるのは、おそらく2人とも生粋の棋士であるからだ。神と対峙した者だけが得られる共通認識があるのだろう。

 島田さんは零に対して、もう1つの重要な情報である二階堂の復帰を告げた。「命の恩人」とも言える二階堂の復帰。零もこれには宗谷の影など忘れておっとり刀で駆けつける。不本意な体調不良で色々と問題を抱えてしまった二階堂。復帰といっても素直に祝福の言葉を送るわけにもいかない……と思ったけど、そこはやっぱり二階堂。この作品の天使である。転んでもただでは起きない。入院してもただでは出てこない。一皮剥けてさらに強くなった二階堂の帰還に、零も、島田さんも、そして打ち負けた対戦相手すらも、安堵と喜びを表さずにはいられない。それこそが二階堂の人徳というものである。

 さて、これで一通り、難しい話は片付きましたね。残りの話数は一体どんなお話が待っていることやら。

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 神性の描き方、第15話。宗谷無双回であるが、むしろ神っていうよりも妖精さんみたいに見えてくる……。ところで、今回石田彰しゃべった? 「そういうもんだ」だけか。

 ある意味最後の目標みたいなもの、宗谷VS零の宿願の対決。普通、なんらかの「試合」が作中で描かれるのだから「勝敗やいかに?」っていう部分が気になるはずなのだが、今回の試合は誰一人として零が勝つとは思っていない。それは周りで見ている観客もそうだし、我々視聴者だってそうだ。そしておそらく、零本人も勝てる見込みがあるとは思っていないだろう。ただ、なんとか「勝てる気持ちで」挑まないとなんの意味もないと自らを奮い立たせ、記念対局から1つでも成長の糧を見出そうと前のめりになっていた。結果的には事前に予想したように「あっという間に倒されて」しまったわけだが、盤上での対話は何よりも雄弁に名人の意思を語る。勝ち目こそなかったが零だって宗谷と同じ中学生プロであったのだ。彼の盤上の意思を汲み取り、感想戦では何よりも雄弁に対話することができた。

 こうしてみると、対局の様子はほとんど熱を持たずに描かれていたのがかえって印象的。かつての島田さんとの対局では血が流れそうな痛々しさを伴ったものだったのに、今回は本当に初対面の2人が互いにポツリポツリと自己紹介していくような、そんな対局シーン。これであっさりと幕を引き、零の記念すべき一戦は終わるのかと思われたが……ここからが真骨頂である。対局にも表れていた「静けさ」は、宗谷という圧倒的な世界が漏れるほんの一端。前回の試合前インタビューの時点ですでにそのむちゃくちゃぶりは表れていたが、新幹線でたまたま再開した2人の交流が、さらに宗谷の超常性を掘り下げることになる。本当に一言たりとも話さない宗谷。将棋以外のことではただのポンコツなのかと思われたが、無言で指し続けるその手筋はどうやら日常世界でも確かなものらしく、気づけば盤外でも零との「対話」が成立している。ホテルの位置を指し示す時の所作が駒を打つ時と同じなのは笑ってしまったが、その後もただひたすら「自分の世界の正しさ」を貫き続ける宗谷は、異次元世界の住人、まさしく「神の座」にあるものの存在感である。台風による混乱で騒然とする世界から隔絶され、すべての音を消し去るその様子は、なんだか一人だけぼんやりと浮き上がるようにも見え、それにつられて零までもが彼岸へと連れ去らそうだ。おそらく、この人に将棋で勝つことなど、人間には不可能なのではなかろうか。

 今更気がついたのだけど、今回も含めて第2シリーズになってからはコンテワークに佐伯昭志氏が多く参加しているのね。シャフト流にうまく溶け込みながら、ストップモーションよりも流れで見せる絵作りが印象的だ。こうして色々なクリエイターがそれぞれのスタイルで羽海野デザインを描いてくれているのはそれだけで楽しいなぁ。

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 年明け一発目からえぐってくる話だよ……第12話。世界は容赦なく、その表れは嫌になるほど鮮烈だ。

 昨年放送分まででとりあえず零の戦い(と部活)は一区切り。いよいよひなちゃんの戦いが正念場を迎える。筋立てだけを書くと非常に簡単だが、その奥に潜む人の心は一筋縄ではいかぬ。ひなちゃんの元々の担任は、あまりに無責任な人だと思われていたが、これまでの長い教員生活の中で、いじめだの何だのという底の見えぬ問題にぶつかりすぎて、疲れ果てていただけだった。確かに、我々の目線から見ると「ちゃんと仕事して生徒たちの健全な学校生活のために尽力しろよ」と思うわけだが、先生の側から見ればそれは終わりのないループの中。1つの学年でいじめ問題にぶつかり、解決するにせよ、せぬにせよ、過ぎ去って終わって、しかし次の生徒はすぐにやってくる。人間の本質など変わるわけもなく、どこの学年だろうが似たような問題は起こるもの。その度に神経をすり減らしていたら、身がもたないのもしょうがない。ひたすら見て見ぬ振りを決め込み、目の前を通り過ぎるのをただ待つだけ。職務怠慢と謗られようと、それしか生きる術がなかったのだ。

 闇に葬られるいじめの問題ならば、目をつぶっていればいつかは終わる。しかし、幸か不幸か、今年はそれでは終われなかったというだけなのだ。「いじめられた方が声をあげることも稀」と言われていたわけだが、そんな中でひなちゃんは立ち上がった。立ち上がってしまった。ここまで明らかに示されて、担任が目をつぶってはいられない。見たくない、見なきゃいけない。そんなどうしようもない堂々巡りの中で、担任はついに壊れてしまった。一つ、壁が動いた。

 そうして次に現れた先生が「話のわかる」人だったのは、サブタイトルを拝借すれば「光」である。あれよあれよと問題は掘り下げられ、件の三者面談へと至る。そこへ向かうあかりさんの決心は悲壮なまでのものだったが、それで人間にはできることとできないことがあるものだということを、まざまざと見せつけられる。川本家というのは、悲しいまでに「善」の家庭なのだ。世の中の悪い部分、汚い部分に触れずに過ごせるということは、どれだけ幸せなことだっただろう。しかし、そうして「善」を貫いてきた人間というのは、「理不尽」を振りかざす相手にかくも弱い。ひなちゃんを信じなかったことなど一度もない。自分が間違っているなんて思うはずもない。それなのに、あかりさんは何もいえなくなってしまう。これはただ、そういう「理不尽」に慣れていないのだ。触れなくていいものに、触れてこなかっただけなのだ。世の中には、そんな善なる人たちの「善意」をいいことに、好き勝手に振る舞う人種というのはいるものだ。いじめの首謀者高木さんの家庭も、そうした「理不尽」を上手く使いこなせる素養があった。無茶な要求、居丈高な物言い。どのように振る舞えば「弱者」が折れるかなんてよく知っている。声が大きいものが勝つことをよく知っている。そんな中で戦おうとして、動けなかったあかりさんを、誰が責められようか。

 それでも、そんな姉の姿にひなちゃんはさらに決意を固めることができた。自分がこれまでの人生を生きてきた「善」は間違っていないと、心から信じることができた。拠り所を得れば、人は強くなれる。今まで培った「善」に怒りを加え、ひなちゃんはもう、迷うことはないだろう。戦うこともできるだろう。それだけで、この度の挑戦には意味があったのだ。

 こうして形作られた「戦い」の構図。それを引き立てるのはシャフトが描く鬼気迫る心象風景。そして、キャスト陣のどこまでも埋没するかのような圧倒的な作り込み。もう、本当に新年一発目で強烈に厄除けされたような気分で途方にくれてしまう。「善」を体現するあかりさん、茅野愛衣。そして「善の戦い」を体現するひなちゃん、花澤香菜。この2人は言わずもがなだ。そして、何と言っても「善悪」をあぶり出すことになったのは、その狭間で討ち果てたひなちゃんの担任の姿である。全ての憎しみを、慚愧を叫び壊れた担任を演じきった大原さやか。彼女の中で、一体どんな感情が渦巻いただろうか。そして、そんな渦中の「悪」を築き上げるのは悠木碧、新井里美。ここにこのキャスト陣が集まったことも、何か因縁じみたものを感じさせるのである。

 さぁ、次回はいよいよ戦いも終盤か。あらゆる感情を見逃さず、聞き漏らさずにいきたい。

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 わんわん泣くよ、第9話。駄目だ、アツいです。1話で2回ももらい泣きたぁね。

 2局の戦いが進行中。川本家を舞台にしたひなちゃんの戦い。そして彼女を守る騎士となり、盟友二階堂の仇を討たんとする零の戦い。そして今回ようやくその片方に決着がついた。ついに零は、自らの手で勝利をもぎ取った。

 相手方にも事情はあるだろうし、それぞれが持てる力を全力でぶつけてきた新人戦。対戦相手の山崎は、あの二階堂を破った歴戦の猛者。零はそんな相手に義憤にも似た感情を抱きながら戦いを挑む。あの日命を燃やして戦った二階堂は、最終的には彼の千日手に巻き込まれ、残酷な時間の流れの中で敗れた。それは純然たる戦いの結果であるから、文句を挟むものではないかもしれないし、何を言ったところで覆るものではない。しかし「もしも」が許されるのであれば、もっと二階堂に負担をかけない、まっすぐな勝負の方法があったのではないかと、零は考えてしまうのである。あの日の千日手は本当に「全力の戦い」だったのか。そんなことを考えて高ぶる零。そして、相変わらず守りを固める相手に対し、魂の一手で勝負をかける。

 しかし、そこで脳裏をよぎったのは、いつの日か二階堂に言われた一言だった。じりじりした展開でしびれを切らして突破を狙う零の悪癖を、二階堂は見抜いている。そしてそれを何よりも怒り、たしなめてくれていた。そんな二階堂の言葉が、最も大切なこの場面でフラッシュバックしたのだ。本当に勝負のために打っている手なのか? 怒りを理由に考えることをサボってはいないか? 大事なものを背負ったこの試合で、零はようやく友の本質を知る。自分に何が足りず、何を与えてもらっていたのかに気づく。そして、零は改めて一歩目を踏み出すのである。この雪辱戦は、二階堂にどれだけの感謝をしてもしたりない、そんな意義深い一局となった。

 そして、自分の戦いに勝った零は、そこでもう1人の戦いを思い出す。大阪-京都間は新幹線なら本当に一駅。新幹線じゃなくても割とあっという間。ただまぁ、幾ら何でもざっくりした日程表の記憶だけから再会は難しいとは思うのだけども。特に新京極・四条通りなんて普通は人でごった返しているし、年中無休で修学旅行生がうろうろしてる場所だからね。この「京都の修学旅行で誰かを探したい」っていうシチュエーションをごく最近見た気がしたけど、多分「月がきれい」だな。

 しかし、何と修学旅行生の笑顔を見つけたことで、零の頭の中でこれまた別な記憶がフラッシュバック。「ぼっちはこんなところにはいない」と、自らの経験から今度は鴨川へ走る。「自分がそうだったから」っていうのも何だか寂しい判断だが、一応「ひなちゃんは泣きたい時に川に行く」っていうのが手がかりとして機能していたか。まぁ、近所の慣れ親しんだ川と、カップルが等間隔で並ぶ鴨川では随分意味合いが違うのだけども……ひなちゃんがいたのはあまりカップルが並ばない鴨川東岸である(こちらは川原道が狭く、ゆっくり座りにくい)。駆けつけた零を見つけるひなちゃんの表情。そこには絶対いるはずのない「騎士」がいたのだから、そりゃぁ驚くに決まっている。そして、彼女はすでに前日の夜に京都で一泊しており、もう充分に修学旅行での辛さを経験していたはずなのだ。満身創痍で目の光を失ったひなちゃんに、駆けつけたナイトはどれほど頼り甲斐があるように見えただろうか。まさに王子様のような、圧倒的な信頼感である。気丈なひなちゃんでも思わず抱きついて号泣してしまうのもしょうがない。それは子供の特権、そして女の子の特権なのだから。

 二階堂の無念を晴らし、今度はひなちゃんの心の支えになれた。桐山零は、確実に人との繋がりで成長している。ひなちゃんは、そんな彼の支えをもらって、奮い立つことができるだろうか。

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