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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 百のうちの一。最終話。集大成のようにも見えるが、これもあくまで断片の1つ。人の数だけ、淡島は形が違う。

 決死の覚悟で出版にこぎつけた若菜。彼女の残した岡部絵美の記録が起こした波紋は、想定されていたものでもあり、想像以上でもあり。どうしたってスキャンダラスな側面はあるので、面白おかしく騒ぎ立てる層は絶対に存在する。おそらく普段淡島になんてさっぱり興味を持ってないような連中だって、きっと「とんでもない」だの「見損なった」だのと色々と騒ぐに違いない。これまで私は意識的に触れてこなかったが、やはりこうなってくると現実世界の宝塚の一件を思い出さずにはいられない。あの時に「宝塚」というものに全く興味が無かった私は、報道を見てどう思ったのだったか。つまりはそういうこと。

 しかし、そうした「痛み」も若菜が覚悟していた側面ではあったので飲み込める部分もある。若菜としては一番気がかりだったのは遺族への影響で、そこだけはきちんと確認せずにはいられなかった。結局、岡部絵美の次男の態度が軟化することはなかったが、長男や旦那さんからは丁寧な言葉をもらっていた。こうして、一番距離が近い遺族の中ですら、抱える感情は複雑なものなのだ。「考えるきっかけにして欲しかった」なんて、遺族については軽々しく言えることではないが、次男の表情を見るに、今回の出版を決して非のあるものだと決めつけているわけでもなさそうだ。若菜の狙い通り、「少しの膿が出て、世間が動いた」。それだけでも、本には意味があった。そして、岡部絵美の人生にも。

 流石にやりすぎな感もあるのは次なる舞台化の話。若菜からしたら「うまく行った」とかですらない、「想定を超えた」出来事。しかしここできちんと「淡島」という巨大な体制そのものが若菜の残した仕事に意味を見出したことが示されたことは重要だ。もしかしたら淡島運営陣の中でひどく打算的なものがあったかもしれないし、ファン感情に反する部分もあるかもしれない。しかし、若菜はそれでも信じたかった。自分を育て、形作った淡島という場所が、少しでも理想の形になってくれることを。そしてそれは、淡島に誠心誠意で関わった者全ての願いでもあるのだ。

 今回の結末に向けて、集まってくれた人たちがいた。竹原先輩は旗振り役に名乗り出てくれた。柳原さんもこれまで通りに舞台の実現に奔走し、その後輩である小鳥遊紗羅世代は、現役の淡島役者として舞台を支えていく。脚本家が淡島の反応を伺う紫金石の役割を果たし、出された結果には男女を問わずファンが反応していく。多くの関係者が、多くの人たちが、改めて岡部絵美の人生を想い、伊吹桂子という人物のことを考えた。それだけでも、若菜の目的は達成されたといえる。次の時代を作っていくのは、こうして淡島を取り巻く全ての人間の力なのだから。

 舞台が上演された結果を、このアニメは語らない。ラストシーンは、在りし日の岡部絵美のもの。しかも以前一度描かれたシーンの再演だ。彼女の涙は訣別を表していた。そして、その一筋の涙だけでも、人の心を動かす力があった。もし岡部が、小野田が舞台に上がっていたら、淡島の歴史は変わっていたのだろうか。しかし、それはもはや実現しない歴史であり、もしかしたら描かれたかもしれない百の景色の1つでしかない。これから紡がれていく幾千・幾万の情景の中に、それぞれの未来の可能性は刻まれ続けるのである。

 

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 「終」へと向かう物語、第11話。それは1本のアニメ作品としてもそうだし、1人の女性の人生についてもそうだ。

 今回もサブタイトルに異変が起こっている。前回は「人名を明記しない」というイレギュラーだったが、今回は「過去に登場したのと同じ組み合わせ」というイレギュラー。いや、実はこのパターンは7話ですでにやっているのだが……今回のイレギュラー要素は、先に書かれた「岡部絵美」が故人であり、今回も彼女の視点からの要素は何一つ描かれていないという部分。サブタイに出てきた人物が背景に没している状態である。しかし若菜が考えていた通り、やはりこの物語は「岡部絵美という人物を中心に据えた物語」になっている。

 講演会に若菜が呼ばれてから、またいくらかの時が過ぎていた。再び病に倒れた伊吹桂子は自分の命が長くないことを悟り、末期の願いとして、若菜に自分が抱えてきた秘密を吐露した。「本にして欲しい」は考えてみりゃ随分と無茶な注文ではあるが、伊吹本人からしたらそれくらいに重くて、抱えていられなかった想いだったのだろう。よく「墓の下まで持っていく」という表現が使われるが、持っていく判断にだって、それなりに勇気は必要なのだ。人間は何かしらの「生きた証」が欲しくなる。伊吹のそれは決して自己顕示的な欲求からくるものではないが、明確に自分が「悪事」だと思っていることを、そのまま抱えて「持っていく」ことはできなかったようだ。

 無茶振りされた若菜の方は困ってしまう。世代の差を考えると「岡部絵美」を調べるのは難儀なことだし、そもそも若菜が伊吹のモチベーションをそのまま引き継ぐことなんて出来るわけがない。折り合いが悪ければ「年寄りの最後の妄言だろう」というので若菜は「ハイハイ、きっと本にしますね」と口約束してお別れしちゃう選択肢だってあったはずだ。しかし若菜はそれをしなかった。頼まれごとを断りにくい性格だったというのもあるだろうが、おそらく恩師の切実な訴えに、無視できない何かを感じ取ったのだろう。自分の作家人生を賭けても、それを成し遂げる意義を見出し、それが淡島という自分を育ててくれた場所への「恩義」の返し方になるとも思ったのかもしれない。とにかく、若菜は自分自身にGOサインを出した。

 事前に淡島とのパイプはできていたので情報探索自体は難しいものではなかった。何十年も前のことで風化している可能性もあったのだが、残念ながら見つかった遺族の態度はそれなりに厳しいもので。どうやら絵美の次男さんは割と根深く淡島への恨みを抱えていたらしい。この現状から想像できるのは、やはり絵美が日常的に淡島への悔恨を漏らしていた可能性である。間違いなく「人生を変えてしまった場所」であるし、旦那や子供へ思い出語りと共にちょっとした恨み節を聞かせていても不思議ではない。また、絵美の性格からすると、おそらく自分がやめてしまったことよりも、小野田幸恵という才能を潰したことへの憎しみは大きかったとも考えられる。「今更出てきて母の墓を掘り返すような真似をする目的はなんだ」という息子さんの文句も決して理不尽なものではなく、「銭でも稼ぎたいんか」と身構えてしまうのも「被害者」側からしたら当然のもの。予想以上の風当たりに怯む若菜だったが、彼女とて別に嘘をついているわけでもないし、商売っ気だけでこの話を引き受けたのでもない。そうした若菜の真摯な気持ちを、旦那さんの方は拾ってくれたのだろう。なんとか遺族の許可を得て、執筆は可能な状態になった。

 あとはその目的をどこに定めるか。単なるスキャンダルでは意味がない。若菜は暴露によって知名度を得たいわけでもないし、淡島に迷惑をかける目的もない。ただ、自分たちは幸福にもそうした被害に遭わなかっただけで、もしこれから先、「後輩」たちが同じ目に遭う危険があるなら是正しなければならない。実際、今回だって柳原から「上の世代が腐っていた」話などを聞かされ、根本的な問題が解決していないことを知らされているのだ。若菜の書くその一文で、淡島の未来は変わってしまうかもしれない。

 というわけで出てきたのが編集の柳原だった。最初に見た時に「新キャラかな?」と思ったが、その後の思い出語りで小清水さんや梅本さんの顔が出てきて「あぁ、小鳥遊紗羅のルームメイトだったあの愉快な子か!」ということを思い出せた。なんと、若菜がかつて行った公演がちゃんと後輩の生き方に影響を与えていたという。まさかこの子に響くとは思っていなかったが……とにかく日頃の活動が実を結び、つながるべき縁が繋がった。

 これにて、この作品の全体像が見えてきた。モザイク画のように散らばった破片の集合体。ここまでのストーリーラインで伊吹桂子という縦軸はかろうじて存在していたが、それ自体は決して背骨であってはならない場所であった。改めて、そうして伊吹が繋いだ世代のラインは繋がっていく。伊吹が抱え続けたものを、若菜世代が受け取った。そして最後に、それはさらに下の世代の柳原と一緒に形を作るのだ。

 「淡島」という名の「主人公」が、最後に立ち現れる。我々の目に映る最後の景色は、いったいどんな色をしているのだろうか。

 
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 人の心がない構成、第10話! これをぬけぬけとやってくるからこのアニメは油断できない……。AパートBパートでこれまでのキャラとはさっぱり関係ない脇の話を展開して「今日はそういうつまみ食い挿話の回なんだろうな」と油断しきっているところに、突然叩き込まれる核心となる伊吹桂子。こんなん、不意打ち以外の何物でもない。受け止めきれるわけがない。

 緊張と弛緩がドラマの基本というなら、1本目2本目は間違いなく「弛緩」。いきなり関俊彦ボイスから物語が始まり度肝を抜かれたが、彼のええ声で語られた「淡島の物語」は、1人の脚本家の人生に影響を及ぼした美しくも愛らしい母の話。このお話における女優・夏木詩子の物語は、別に淡島という舞台の真芯を捉えた話にもなっていないし、誤解を招く言い方をするなら(なんでだよ)「なくてもいい話」である。しかし、こうして息子という血縁者から贔屓目無しで1人の人間として「淡島に生きた女性」の人生を客観的に語られることで、その「女優」という人生の凄絶さが垣間見えるようである。息子が文筆の仕事につき、彼女をモデルにさまざまな物語を「作り上げた」ことは別に誰に望まれたことでもないし、母も息子も、互いの助け合い・依存を考えて紡ぎ上げたものでもなかろう。しかし、ごく自然にそうした「夏木詩子の物語」が囁かれることで、女優の顔は外から埋まっていく。これも1つの相互依存の形。そして、互いに幸せを分け合う家族の1つの形。

 Bパート、こちらも今までのお話とは一切接点がないポッと出のサブキャラのお話。今回の夏木詩子パートとこちらのパートの主人公・滝本由加里さんについては公式ページの人物相関図でも一番外縁部にこそっと追加されただけの離小島。どう考えても周りとの接点がない。しかしこのお話は1つ際立った特徴があり、それがサブタイトルの「本人の名前が書かれていない」というイレギュラーである。これまで通りのフォーマットであればこのエピソードのサブタイトルは「滝本由加里」、もしくは「滝本由加里と森久保沙織」あたりになっていたはず。そこをあえて「城芙美子の娘」という「淡島女優との血縁関係」で表示するところに、このエピソードの主張が嫌でも引き立つことになる。由加里が認識している通り、結局彼女は未だ「淡島生」にはなれていないし、この先もなれないんじゃないかという予感すら持っている。未だ一角の人物にならず、母がつなぐか細い接点から分厚い壁を挟んで淡島を見ている状態。ただ、それは彼女にとっての呪いであるとか、苦しみであるという描かれ方でもないのがなんとも不思議なところで、この物語には結論が無いのだ。Aパートにあった「母親と息子」の関係性と対比的に、こちらの「母娘」関係は不透明な未来に無限の可能性を残し、まだ「娘」でしかない滝本由加里の不確定性ばかりを強調する。これはこれで、希望ある描き方なのかもしれない。ちなみにキャラCVは由加里が結川あさき、森久保沙織役は高田憂希。(スクール講師のかなえさんが明乃さんである)

 そうして「いろんな言及があるものだなぁ」と油断しきっているところに突然ぶち込まれる伊吹先生。この不意打ちには飛び上がった。ここに来て再び彼女にお鉢が回ってくるのか。前回のエピソードで若菜と対話して「伊吹桂子」の人生に1つの結論が出ているものだと思っていたが……ここまで語られてこなかった、「あの当時の伊吹」がついにヴェールを脱いだ。

 そして、そこで語られるあまりにもどうしようもないお話……伊吹桂子の物語は、これまで2話目で岡部絵美を中心として「害する敵」としての描写があり、3話では親子3代をつなぐ忌まわしき血の物語として、彼女が女優を目指すことについての胸糞悪さにまで言及されていた。となれば単純な足し算だ。岡部絵美という孤高の存在、そして伊吹桂子という淡島のしがらみを煮詰めたような存在。2つがぶつかり、あまりにも虚しく残酷な結末が訪れてしまう。

 もちろん、桂子がやったことは悪いことだし、同情の余地もない。しかし、すでに我々は3話で彼女の家庭環境を知ってしまっており、その情動にはどうしたって贔屓目ができている。そしてそこに改めて「桂子から見た絵美」が語られ、その抱えきれなかった青い感情には、どうしたって一定の理解を寄せてしまう。彼女の祖母が悪かったとかいう話でもない。人は、周りの全ての人間と何かしらの関係性を結び続けているのだ。そこにほつれやもつれができてしまった時、1つのつながりに負担が寄ってしまうこともあるのだろう。今回は、たまたま伊吹桂子という絡みに絡んだ人生が、岡部絵美をプツリと切ってしまったと、それだけの話なのである。

 ラストシーン、桂子は教え子の若菜へ、「淡島へ入ったことへの後悔」を問う。現役学生には問うことすら許されないだろうし、教師が問う意味もない、病身の心の弱さから漏れ出た問いかけなのだろう。田畑若菜は、今作における語り部となった。脚本家・長谷川慎爾のヒアリングをしていたのも若菜だったし、世代を超えてかつての寮の話を現役世代に語って聞かせてもいた。しかし、改めて今、若菜はステージ上に押し戻される。1人の淡島生として、1人の人間として、桂子は若菜に問うている。淡島とはどんな場所なのか。淡島とはいかにあるべきだったのか。

 誰も正しい答えなんて分からない。若菜は、桂子の人生に救いを与える救世主となるのだろうか。

 
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 Beyond the Generation, 第9話。時代を跨いだ語り口は間違いなく今作の持ち味の1つだが、それは何も大きな時代の跨ぎ方だけではない。予科生から本科生へのステップアップによる立場の変化も、大きな時代の区切りとなるのだ。

 スタートは前回描かれた「末端の世代」のお話から。最初にアバンではLINEでメッセージのやり取りをしてるのは誰なのだろう? という謎からスタートし、その正体が何と前回藤沢さんが喧嘩別れして「人間関係リセット」してきた澤乃井くんと絵莉ちゃんだったという(絵莉ちゃんのCVはよりによって安済知佳)。2人が「藤沢が淡島に行ってるんだよな……」ってんでわざわざ文化祭を訪れる話になったというだけでもちょっと驚き。

 しかし今回のびっくりはそんなところでは終わらない。何も知らない藤沢さんは、リセットしおえた人間関係以外にも早速悩みを抱えており、曰く、「同室の先輩とどう付き合っていいかが分からない」とのこと。同室の本科生・梅本美月さん(CV永瀬アンナ)は非常に生真面目で気遣いのできる人だけど、色々と気を遣いすぎてちょいラフめの藤沢さんとの関係性はどこか馴染みきれてないという。対照的に紗羅ちゃんと同室の柳原先輩(CV中村カンナ)は真反対の飛ばし気味のキャラなもんで、「どうにでもなるだろ!」とお気楽テンション。こっちのペアはだいぶ楽しそう。ちなみに「上級生の先輩2人が音楽室でピアノを弾きながら運営について悩んでいる」という図がどこぞの吹奏楽部の先代部長と副部長に見えてちょっとキュンときたのは内緒。

 そんな藤沢たちの日常に「文化祭」という非日常がやってくるが、毎年招かれるらしい「卒業生ゲスト」は、残念ながら(?)小鳥遊陽様ではなく、当時そんな陽様こと絹枝さんと同室だった田畑若菜の方であった。……若菜! お前そんな人生を! 先週時点で「若菜はどこいったんだよ」と思ってたわけだが、そりゃまぁ、語られないわけないですよね。若菜さんは一応淡島で女優としてデビューはしたものの、その後は引退して文筆業にシフトしたそうです。普段何を書いているかはよくわかんないけど、今回取り上げられていたのは淡島時代を振り返った「自伝」的物語。なるほど、女優時代のあれこれも含めて、まさにこの「淡島百景」のようなお話を世に出すことができたわけだな。なんか、彼女の進路についてはとても納得だし、多分絹枝さんもそんな若菜の現在を素直に応援してくれてる気がする。

 そうしてやってきた若菜は、てっきり絹枝さんとの同室エピソードを現役生の前で語ってくれるのかと思いきや……なんと、彼女の1年下の後輩も、絹枝さん同様に有名女優になった人物だったという。今回新たな中心となったのが、サブタイトルに名前が出ている柏原秋穂(CV:白石晴香)である。……ほんと、このアニメのキャストはいちいち濃いのよな……ちなみに紗羅ちゃんに手紙書いてた「病床のお友達」は石見舞菜香であった。

 新キャラ・柏原さんは「両親が芸能人」という淡島ではまれによくある出自の人物だが、淡島入りとほぼ同時に両親がスキャンダルで飛び、「親の七光り」どころか「親の七闇」みたいなものを抱えさせられた状態での入学。しかしそんな両親も娘の教育は割ときっちりできていたようで、立派な自立心と正しい自己肯定感を持った少女であった。おかげで「親は親、自分は自分」という区別ができていたし、今後の淡島生としての人生プラン(ROAD OF LIFE)も明確。そんな彼女でも自分の人生に対する負い目みたいなものは少なからずあるようで、漏れ出てしまう彼女のちょっとした悩みを、まるっと飲み込んでくれたのが同室の先輩、解毒剤・田畑若菜だったという。多分若菜さん、絹枝さんに対しても似たような効能を与えてたんじゃないかなぁ。若菜目線から見た柏原秋穂像についてはちゃんと講演を聞いてみたかったが、文筆を嗜む彼女のこと、きっと現役の学生たちの前で、面白おかしくためになる「女優像」を語ってくれたんじゃなかろうか。

 こうして「田畑若菜」という中心を10年単位で振り回してみたり、「本科と予科」という1年で差を表現して見せたり、変幻自在なのにそこにあまり大きなギャップや負担を感じさせないのが今作の語り口の妙。最終的にスポットが藤沢さんのところに戻ってきて「現役世代」のお話としてまとまる構造も綺麗だったし、特筆すべきは若菜が訪れていた伊吹桂子の存在。結局、今作において一番長期間に渡って淡島に在籍して関係性を繋ぎ続けてるのは彼女なのだよね。もう流石にいいお歳ではあるだろうが……きっと先生としての伊吹桂子は敬愛している学生さんもたくさんいるはず。まだまだ現役で、教鞭をとっていただきたいですね。

 
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 下の世代の話もあるのか! 第8話! いや、考えてみりゃ確かに「絹枝さんたちが一番の未来です」とは一言も言ってなかったな……。てっきり「この世界の終端は若菜と絹枝さんだ」ってこっちが思い込んでただけで。それにしてもこの構成は驚いたが……絹枝さん、ゴリゴリに影響力を持つセレブになっててびっくりなような、納得なような(若菜どこ行った)。

 というわけで、いきなり良子さんの結婚報告から飛び出す今回のお話。個人的に「なんか百合匂わせな茅野愛衣キャラからの結婚報告」の時点でだいぶ心臓にクるスタートだが、別にこの世界の良子さんは百合ではないのでふつーのご結婚をされるのは全然問題ない(百合でも問題ないやろがい)。素直な祝福を送る絹枝さん(未来の姿)は芸名を小鳥遊陽と定め、今や淡島の看板男役として大活躍である。そうなれば、当然そんな絹枝さんに憧れる世代が繋がってくるのが自然な流れでして……。

 1人目・良子さんとは叔母・姪の関係になった小鳥遊紗羅。CV市ノ瀬加那でこの世界では若菜以上の人懐っこさとコミュ力を持つ「人たらし」。おめめぱっちりで実に可愛らしい容姿をしており(今作の女の子はワンポイントの個性が際立ってみんな可愛い)、犬っころのような独自のコミュニケーション戦略でどんどん矢印を繋いでいく脅威の吸引力。おかげであんまり陰がある話なんかは出てこないが、今回の「雪崩式3点エピソード」の起点となった。こんなに短い1話分の尺に、個性的な3人の「新世代」が鮮やかに描かれるいつも通りの技巧に惚れ惚れしますわ。

 淡島に入ってもあの独特の神妙な空気に一切気圧されない紗羅のエネルギーに当てられたのが、2人目のスポット・藤沢江里(CV清水理沙)。こちらはうってかわって地味さを強調したようなキャラデザで、2つ結びの髪型もどこか野暮ったさを感じさせる。生まれながらに自分の「ここが惜しい、こっちが羨ましい」と少しずつ劣等感を感じさせているかと思えば、実はそれは単に「ちょっとそう思った」程度のもので、実際には周りの世間に負けないだけの太々しさを持つなかなかの剛の者。憧れていた「絵莉」ちゃんや「澤乃井くん」との人間関係を意図せずぶっ壊して「人間関係リセット」を余儀なくされたが、「別にあたしが悪いわけじゃない」とケロッとしてるのはぶっちゃけ性格の悪さではある。とはいえ実際に責任を問えるようなものでもないし、余計なことで余計なウジウジを見せないあたり、舞台役者向きのメンタルを持っているのは間違いないのだろう。しれっと淡島に受かってマウントをとりにいく所作がやたら手慣れているので、今回語られた以外のこれまでの人生でも、もしかしたら似たようなことをやらかしているのかもしれない。こういうタイプの人間は合わない人間には徹底的に合わないのだろうが、うまくハマるとこんなにわかりやすくて助かる人間もいないのである。願わくは、紗羅、そして雅楽川さんはベストフレンドになれますように。

 というわけで3人目、サイレントアドバイザー・雅楽川静香(CV泊明日菜)。ここまで3人をCV付きで表記してますが、なんかどのキャラもすげぇしっくりくるし一筋縄じゃ行かない感じも出てて今回も神がかったキャスティング(雅楽川さんエピソードに出てくるカノンちゃんは井上ほの花、図々しい友人は富田美憂である)。雅楽川さんはいわゆるクールビューティーに見られがちな性格で、率先して人間関係を構築しに行かないローンウルフタイプ。それでも中学時代は人並みに平熱のコミュニケーションはとっていたが、女子特有のジメジメコミュニケーションが苦手でずっと閉口していた。そしてそんなジメジメが度をこしてヌケヌケになったところでぷっつん切れて「は? なんかキレてない? 意味わかんない」されてしまったという。自分のためならセーフティを維持できるのに、他人のためにそれがぶっ壊れるあたり、この子も良い子には違いないのだが、どこかで人とは違う部分があるのだろう。

 雅楽川さんも流し目が素敵な目のインパクトが強烈なデザインで、3人集まったら誰が1番の美人かで盛り上がりそうなビジュ。人間関係をリセットした上できちんと一番大切な友達は作って淡島に進学しているあたり、彼女もきっと人生の勝者たり得るのだろう。藤沢は羨ましがっているが、彼女の太々しさがあれば、おそらく小鳥遊・雅楽川という強烈な友達をも出し抜き、最終的にてっぺん取るのは藤沢なのかもしれない。流石にこれより先の未来の歴史はなさそうだが、新たな世代の淡島を想像するのも実に楽しいのである。

 そして、今回の「3人分の新規エピソード一気にやる」という無茶苦茶な構成を下支えした名バイプレイヤーが実は上級生の小清水さん(CV Lynn)。彼女が紗羅のパスを受けて意外なところから雅楽川に繋ぐ視点の連携があるおかげで、「この世代」の解像度が上がって一気に見やすくなった。こういう構成がしれっとできるのが今作の巧さ。ちなみに今回のコンテは3話と同じ「銀さん」である。無限に繋がる人間関係をずっと見ていたい。

 

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 このタイトルだけどどうしても四方木田さんに注目してしまう、第7話。今回はそういう話じゃないのは分かってるんだけどさ。もつれ、絡み合う人生行路の妙よ。

 今回は現役世代の若菜たちに一切関わらないエピソードで、そのセンターにいるのは4話で登場した山県沙織(芸名は鏑木夕希)。4話で登場した時にはちょっとしたサイドストーリーみたいな扱いで、淡島を出てからも一線で活躍を続ける沙織と、学生時代に舞台から去ってしまった四方木田かよとの付かず離れずの絶妙な関係性が描かれ、「行くもまた人生、去るもまた人生」という「学園の先にある未来」を描く一編となっていた。

 しかし今回は、そんな2つの矢印の隣に、もう1本複雑に捻れた矢印が存在していたことが発覚する。それが武内実花子。学生時代には沙織と人気を二分したスター性を持つ役者だったが、生まれつきの身体の弱さが災いして一時は完全にこの世界からドロップアウトしていた人物。彼女のことはただただ「残念な」思い出として沙織・かよの記憶に残っており、いつしか2人もそんな実花子については語らなくなったという。しかし、奇しくも沙織が無理をして倒れてしまったそのタイミングで、懐かしい強敵(と書いて親友と読む)の名前と再会することになった。そう、何も人生行路には「行く」「去る」というワンウェイがあるだけじゃない。「行って戻る」って可能性だってわずかながらも存在していたのだ。

 卒業後も一線を走り続ける沙織については、4話時点で「続けられなくてやめてしまった」かよとの対比で描き終わったと思っていたのだが、世の中にはそんな沙織を上回る、さらなる剛の者も存在した。一度は諦めたかに思えた役者の夢。それを「親に申し訳がたたねぇ」という思いから一念発起し、最高のタイミングで返り咲いた武内実花子。相変わらず今作品では「いかにして実花子がカムバックしたか」なんて奮闘記が語られるわけではないが、そこに並々ならぬ苦労があったことは語られずとも想像できる部分。そうまでしてステージに這い上がってきたのは、そりゃ親御さんへの恩返しの気持ちもあっただろうが、忘れられない学生時代の「盟友」の存在もあったに違いない。「恩返しができる」という(本来なら的外れな)母親の言葉も、そんな旧友との繋がりを必要以上に想起させるものだった。切磋琢磨という言葉はあるが、そんな直接的な接触がなくても、互いに心におく要石ってのはあるものなのだ。

 今回初登場の実花子さん、CVが甲斐田裕子だったもんで「また甲斐田ちゃんかい!」と叫んでしまったが、テンプレ的甲斐田キャラと比べるとだいぶ穏やかで優しげな人物。こういう甲斐田ちゃんも良きかな。そして実花子さんのお母さんはCVが本田貴子だったという……親が本田貴子で娘が甲斐田裕子なんて遺伝、異世界転生者でも手に入れられないふざけた設定である(当然のように幼少期の実花子ちゃんには別キャストが当てられるところが甲斐田流)。ちなみに沙織さんが寺崎裕香、四方木田さんはなんと朝井彩加でした。あやちゅはこの音域でも面白いお仕事が出来ててよかったなぁ。

 今回は前半と後半のサブタイトルが反転構図になっているというのが面白い試みで、同じシーンを互いの視点から切り出して対比させたりもしているが、全く同じシーンを繰り返すわけじゃなく、それぞれの視点で何がどう見えていたかを丁寧に振り返っている構造はギミックに溺れておらずかえって興味深い。最初に「沙織視点」で事態の概要を描いておき、後から振り返るのが今回の主人公たる実花子さん視点での「彼女の物語」。こういうテクニカルな構成もしれっと展開しちゃう原作の強度はもちろんだが、それを30分のアニメ枠に収めて膨らませているアニメスタッフもさすがである。

 でもやっぱ最後は四方木田さんで締めてくれる。ほんとにいいポジションなんだよ彼女は。

 
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 生きてる人間の方がずっと、第6話。よく引用される言説ではあるけど、その話をこういう使い方にしてくるのか。

 初の「個人名に言及しない」サブタイトル。別にやろうと思えば今回だって絹枝さんをセンターに置いた話だと見ることもできるし、伊吹先生と小さな因縁を持つかつての学生、伊福部(住吉)との関係性を描いた物語としても切り取ることができる。いくらでも個人名のタイトルをつけられたとは思うのだが、今回はそうではないということ。

 本作は淡島を舞台とした群像劇であり、それ即ち最終的に描かれるべきは舞台上の役者の1人1人ではなく「淡島」という世界そのものである。だからこそ、本作は個人のエピソードも鮮烈ながら、俯瞰して見た時には異常なくらいにディティールに言及しない。ここまで描かれてきた人々の人生についても、大枠で何があったかは全て伝わってくるのだが、その大部分は視聴者の想像の余地を残しており、まるでスモークガラス越しの像を見るかのように、淡い輪郭でもって描かれている。この描写で何故毎回何らかの感情に肉薄できるものかと不思議ではあるのだが、5話が終わった時点でも、未だ「この人はこんな人で、周りのこういう人たちとの関係性がこうで」みたいなことを仔細に説明できるようなキャラはいなかったはずだ。それもこれも、今作は「淡島」を描く作品であり、個人の人生の過程も結末も、あくまでそのためのいち素材にすぎないためである。

 そう思っていても、いざ名前無しのサブタイトルが出てくると面食らう。今までと何が違うのだろう、と。そして「怪談」というタイトルが示すものがこれまたスモークガラス越しに輪郭を作り始めると、小さく焦点を結ばないが故に見えてくる景色があることを殊更に気づかせてくれるのである。

 「淡島」という学校が舞台の世界で、「怪談」がしっくりくる題材であることは作中で散々語られた通り。この手の施設で怪談が流れない場所などないし、歴史の重みも、その存在意義も、普通の「学校」以上に「怪談らしさ」を持った場所だ。しかし、今回は別に花子さんも出てこなければ血まみれの死体やおどろおどろしいおばけが出てくるわけでもない。校舎内に「過去の学生の思い残し」がコロリと転がっているだけ。結局、ここで生活している人間は分かっているのだ。生きている人間の情念以上に、何かを生み出したり、何かをダメにしてしまうものは無いということを。

 普段から「個人にスポットを当てることで世界を描く」作品だからこそ、そのピントを少しずらして淡島という世界そのものに当てたような今回の話は、かえって一人一人の顔がよく見えるような気がするのは何とも逆説的。文字通り舞台の中心に立つ絹枝さんのところに、久しぶりに良子が訪ねてきた。かつて舞台を退かざるを得なくなってしまった伊吹のところに、かつての顛末を知っている者たちが集まった。それぞれが淡島に「残る」「離れる」を選択した人たち。そこには決して明るいばかりではない人間の生の感情が渦巻き、淡島という空間/世界に押し流されるか、飲み込まれるかで今の立ち位置が決まっている。

 絹枝さんと良子の間には、「淡島に来てしまった者」と「来る前に忌避した者」という溝がある。それでも、良子は溝を跨いでこの校舎へとやってきた。そこにいる絹枝の姿を見て、「あり得た自分」の姿までもを幻視したかもしれない。本来なら淡島には縁もゆかりもなかった良子に、何かしらの「懐かしさ」をも与える絹枝の力。彼女は後悔を抱えたままで良子と再会を果たしたが、彼女が抱える良子への想いは、この先また淡島に1つの「怪談」を積み重ねるものになるのだろうか。

 「淡島を去った者」の歴史を知るのは、自分同様に娘を淡島に送り出すことになった伊福部(旧姓:住吉)。「怪談よりも厄介な生きている人間」に絡め取られて淡島を去ったかつての自分を思えば、娘に対してキツく当たるその態度も仕方ないものだし、淡島なんて二度と見たく無いとすら思っていたかもしれない。しかし、いざ「怪談の地」に再び訪れてみれば、そこには何かに縛られたようなかつての知人たちが指導者として立っている。岡部絵美を追い出してしまった伊吹。そんな伊吹の「悪行」について一緒に嘆息していた押上。当時は恐れるものだったり、恐れられるものだったり、立場は違った者たちが、図ったようにこの地で過去と向き合い続けている。そんな連中を見てもなお、伊福部はやはりこの地を「懐かしい」とは言い難い。どこまで行っても押上の気持ちは理解できないし、もちろん伊吹の感情など理解する気もない。それでも、この地には「懐かしさ」に類する何かがあるのだ。それが何か分からずに時ばかりがすぎていくせいで、結局はそれが「怪談」として落ち着くのだろう。

 「異界」は都市伝説の1つ。この世にはまだまだ、理解の及ばぬ世界が横たわっている。

 
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 攻めたテーマ設定やなぁ……第5話。まぁ、確認したところ今作の発表自体は10年以上前からなので、某事件が起こるよりも前のことではあるのだろうが。

 今回の主人公は珍しくカップリングじゃなく単体でサブタイを冠された大久保あさ美。冒頭はインパクト抜群のお風呂シーンからスタートするが、これが1話の若菜のお話で出てきたシーンだったってのがちょっと面白い。あの時は「寮暮らしってぇといろんな人が集まるもんだわねぇ」くらいの印象だったのだが、そんなモブだった子が今回はセンター。しかも「人の入ったお風呂に入れない」という潔癖要素はあくまでもサブであり、彼女の人生を紐解くための最も重要なテーマはなんと「宗教二世」だったという。なんかもう、なんでもありの作品である。

 なかなかにセンシティブな題材なので私もここで深く取り上げるつもりもないのだが、基本的には「信教の自由は尊重されるべきだろうが、周りに迷惑かけないようにね」というのが普通のお話なら出てくる論調だろう。かくいう私もそれくらいのスタンスであり、二世の気持ちは当然分からんけど、「宗教の人」は一応親戚に1人だけいたことを思い出した。年に数回しか会わないレベルの人だったので別に迷惑は被ってなかったし、ふつーに理知的で話の分かる「親戚の人」だったから子供の頃から全然抵抗はなかったのだが、ある日私が風邪をひいて寝込んでるところにたまたま来た時に、枕元でなんやらよう分からん儀式をやられた時だけ「えっ」とは思ったくらい。あそこで風邪が治ってたら、私もそういう道に進む可能性があったんだろうか。

 あさ美さんのご家庭は別にそこまで深刻な問題を抱えていたわけじゃないが、幼少期〜思春期の女の子にとって「他のご家庭と違う」はやっぱり後ろ暗さに繋がってしまう。それが爆発したのが淡島受験の際の母とのやりとりで、どれだけ自分が頑張っても「宗教のおかげ」と言われたらたまったもんじゃないし、もしかしたら母や父だって、自分たちの頑張りを他人に預ける人生を送ってきたのかもしれない。そう考えると、今まで「なんかヤだ」で済んできた両親の生き様が、「すごくヤだ」になるのもしょうがない。二重の意味での「自我の目覚め」である。そこでお母さんにどうやって自分の気持ちを伝えるかは大事なところだとは思うのだが……あさ美さんは残念ながらあまり良くない方法でぶつかってしまった。

 「なんでこんなことで悩まなきゃいけないんだろう」というもっともな嘆息。ただでさえ閉鎖的な淡島において、ことさらに他人と分け隔てられる要因が増えてしまうことは望むことではないし、直接自分のことを知っている熊谷洋子の存在もネックだ。「周りと違う、周りと交われない」という過度な拒否感が、彼女を湯船から遠ざけてしまった原因なのかもしれない。四面楚歌にも思えるその状態から脱却するには、この淡島という特殊な環境において、なんとしても他者との繋がりを作り、「成り上がって」いくしかないのだ。そのために、彼女は芸事に身を費やすことになるのだろう。他の神は知ったこっちゃないが、きっとミューズなら、信じられるはずだから。

 大久保あさ美の物語の結末はまだ分からない。彼女が若菜たちと出会って明日への希望を繋いだところで物語がふいと終わってしまったからだ。この続きが語られるのか、彼女の話が「それはそれ」で群像の中に埋没していくのか、ここからの展開も楽しみだ。

 そして残り数分でいきなり挟まれるCV花澤。憧れのスターに出会うために一生懸命頑張った女の子の話。……これこそ1話目でやるようなめっちゃ分かりやすい「少女の夢」の話だったが……なんでこのタイミングでぶちこまれたんだろう……人間、憧れの人を目の前にするとマジで口から言葉が出なくなりますよね(私も経験がある)。

 

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 サクッと味変、第4話。ここまでの2話が「鰻重の後にすき焼き」みたいな超ヘヴィーなお話が続いていたので、ここらで軽くおつまみ感覚で味わえる掌編を3つまとめて。これはこれでありがたい配慮ですね。そのくせ脚本に綾奈ゆにこ、コンテ演出がいしづかあつこというガチ面子での提供なの、ほんとに総力戦仕掛けられてる感じがたまらない。

 1本目「四方木田かよと山県沙織」。ある意味で今作に一番望んでいるかもしれない、ストレートなタイプの同性間のクソデカ(かどうか分からない)感情を扱ったエピソード。学生時代からの「腐れ縁」の2人が、大人になってもなんだかんだでいい距離感でバディを続けてるかもね、という絶妙な匂わせ。こういう寸止め劇場がいっちばん妄想捗って楽しいまである。まぁ、実際には作中の描写を見ればこの2人は全然「そういう」関係じゃないってのは分かるんだけど、別にあたしゃガチ百合だけが正義だと思ってるわけじゃないんで。同性間の「価値ある友情」はそれはそれで素晴らしい(当然男性間でもですよ?)。この2人は本当にツーカーで何でも言い合える仲だし、言わずとも分かるくらいの関係性。その上で本作の大テーマである「淡島という世界を描く」という目的もきっちり果たしており、途中でその道を諦めた四方木田かよの方がどちらかというと王子様ポジションに見える牽引役で、相方の山県沙織はそんな相方に引っ張られる形で今でも役者の道を進んでいるという構図が2人の人生行路を色々と想像させてくれる。事務方に回った四方木田も、憎まれ口みたいなことを言いながらも、舞台で輝き続ける相方を見るのがとても楽しいのだろう。そういう理屈抜きの信頼関係がほのかに見えるくらいの距離感、とても心地よい。四方木田さんの厚ぼったい唇、とってもセクシーで良いキャラである。

 2本目、「田畑若菜と田畑佐江子」。まさかのお母ちゃんエピソード。一応、ここまでの構造から今作の中心に据えられるべきは若菜(と絹枝)だと思われるが、そんな若菜を淡島に送り出してくれたお母ちゃん目線での「淡島」を描くお話。ほんとになんてことないエピソードだし、中心に全く触れないことから2話目と同じくこれまた枝葉末節ではあるはずだが、とても素朴な感性で偏見も何もなくしれっと娘を淡島に送り出してくれたお母さんの温かみが感じられる。淡島文化(現実では宝塚)って危険な沼だから、親戚に1人ハマってる人がいると、その人が周りを巻き込もうと布教し始める流れなんかもあるあるだし、そこから娘をきっかけにして新しい世界を垣間見ちゃったお母さんの少女のようなときめきっぷりも愛おしい。このお話、お母さんのCVが生天目仁美だっていうのが最高にハートウォーミングな雰囲気の構築に貢献してるんですよ。

 そして予想外の3本目、「柏木拓人と吉村さやか」。なんと今作のサブタイトルに男の名前が出てくるとは。そして何なら2人とも男だったとは! 主人公が「たまたま街中で若菜とぶつかっちゃったモブ少年A」というだけでもちょっと面白いが、そんな一般人から広がるのが「男だって宝塚が好きでもいいじゃない」というお話だったという。ほんとに若菜たちの生活には一切影響を与えない話なのだが、これによって完全に外から見た淡島、お客さんサイドの存在というものが明示化されているのが興味深い。そうなんだよね、結局どこまでいっても舞台演劇なんてものは「客商売」である。どこまでいってもオーディエンスがなければ成立し得ない。であれば、淡島文化を描くためにはそれを享受する観客サイドのドラマもあってしかるべきなのだ。今回はたまたまその白羽の矢が「男の子」に刺さっただけである。

 宝塚といえばやはり女性ファンの方が圧倒的に多いイメージがあるが、私の知り合いにも男性でヅカ好きな人は一応いるし、純粋に「演劇好き」であれば特に違和感なくヅカだって応援できる。かくいう私だって機会の少なさとか経済的なハードルの高さとか(重要)が理由でヅカにハマる機会こそなかったが、ライブのおっかけやってる時点で当たらずといえども遠からず。もし私の人生の進む道がもう4°くらいずれていたら、その道のどこかでヅカ沼に沈んでいた可能性もゼロではないはず。美しいものを愛でるのは根源的な欲求であるし、「人が作り上げるもの」を見るのは楽しいものだ。拓人くんにはこれからも胸を張って淡島ファンを続けてほしい。まぁ、その場合にはチケットがちゃんと取れるだけの経済的な基盤も必須ではあるのだけど。

 まさかの角度からいろんな「外堀」を埋めてもらえたお話。こうして百景は広がっていくのだなぁ。

 

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