|
最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
まだまだ劇場に行くのです。先月、先々月と続いた劇場アニメ月間、この期間の影響は変な形で尾を引いていて、今作を視聴しに行った一番の理由は「劇場で番宣を何度も見せられて気になっちゃったから」である。普段だったらあまり触れないタイプの作品だしスルーしてたかもしれないのだが、劇場に行くたびにCMが流され、「ほな観たろやないかい」という気持ちになってくる。そう考えると繰り返しのCM発信というのはやはりバカにならないものだ。また、個人的にはそうして何度も劇場に足を運んでいたものだから「劇場で映画を見る」という行為のハードルが下がっている状態になってたってのもあるかもしれない。お金はかかってしまうけど、「アニメファン」としてはこれくらいなら必要経費よね(先月が5本、先々月が6本だからクーポン使っててもだいたい1万5000円くらいかぁ……)。 というわけで特に主義も主張も思想もなく観に行った「戦争映画」。折り返し前に一言感想でまとめておくと「身の引き締まる映画」でした。まぁ、やっぱりこういう内容は考えさせられるものね……2時間弱というそれなりの尺をただひたすら鬱々と「戦争の辛さ」を綴っている作品だが、決して「なんでこんな目に」みたいな被害者意識を植え付けられるようなものではない。決して眠くなることもなく、しっかりと刮目して向き合えた時間は、それだけでも貴重な体験だったと言えるだろう。
<てなわけで折り返し。まぁ、内容は予告を見て想像できるものではあるが>
最初に持った感想としては、「これ、PG12なのかぁ……まぁ、かなりダイレクトにエグい描写も入れてるからその判断で正しいのだろうけど……世間が許すなら、むしろ小学生向けの戦争教育で見せるべき作品なのでは?」と思った。先に改めて書いておくと私は基本的にノンポリだし、戦争責任が云々みたいな話を持ち出す気も、持ち出された時に相手する気もないのだが、「戦争教育」はあって然るべきだと考えているし、伝えるべき内容は世代や状況によって変わってくるとは思うが、その根源で「戦争は、ダメだよ」というシンプルなメッセージは伝えるべきだと思っている。 そして「ダメだよ」の理由を切り出したらさらに思想的に難しい話になっちゃう可能性を孕んでいるのでここもあまり触れたくはないのだが、私のノンポリ脳にある真実としては「人が死んじゃうだろ。人が死ぬってのは、辛いし苦しいもんだよ」という、それだけの話。その話を、今作は非常にあけすけに描いてくれている。正しさも愚かさも関係なく、ただ「痛さ」「苦しさ」が描かれている。それだけでこの作品を伝える価値がある。子供達に嫌悪感を抱かせる価値がある。だからこそまだ柔らかい魂の子供達に見せたらいいんじゃないかと思うのだが……もしかしてこの意見もポリティカルに引っかかる人はいるんでしょうかね(私は何を恐れているんだ)。「痛いし苦しいしグロいよ、だから戦争はダメなんだ」まずはここからスタートして、ものの道理は後から分別のついた1人1人が考えればいいだけの話である。 今作との比較対象としては、私の観測範囲内で真っ先に浮かぶのはもちろん「この世界の片隅に」だ。あれもまごうことなき傑作であり、素晴らしい「戦争映画」だった。しかし採用した方法論は今作と大きくことなっており、「片隅」で描かれた一番の恐ろしさは「見えない戦争」であった。最終盤で爆撃被害はあるが、そこまでの展開においては「忍び寄る戦争の影」と「その中で暮らしている人々の鈍化」「知らぬことの恐ろしさ」などが少しずつにじりよるように描かれる。そのハイコンテクストな作劇は背景を知り、作劇を知る大人たちには良く刺さるだろうが、子供達には説明無しではちょっと難しいところもあるだろう。 対して、今作は最初からもう「痛い」。何しろ最初の死者はすっ転んで死んだ小山である。「戦争は人が殺しあうんだ」という理解すら及ばぬところでいきなり人が死に、そこから嘘の報せが国元に届く流れになる。もう、この辺ですでに「戦時中のどこかおかしなマインド」の話は伝わってしまい、残りのパートでも繰り返し「戦時中だから」という今の尺度では測れないような言動が描写されるが、もう、その辺りの理不尽はさらりと流せるくらいの話で、ことさらにそのことに言及するでもない。当時の当たり前を当たり前に描くことで、そこに付随する痛みや苦しみが次々に展開されていくのが本作のエンジンである。 細かい描写はいちいち思い出して書かないが、我々がいわゆる「戦争教育」で説明されてきたような分かりやすい理不尽はもちろんのこと、小山の事例のようなそれ以上にやるせない理不尽もいっぱい出てくる。必死に戦おうとしたが力尽きた仲間の銃の暴発で死ぬ兵士、アメリカ兵にも家族がいるのだという当たり前の事実を認識したかと思ったら、そのまま米兵が爆雷で敵を巻き込んでの自害。壕を捨てる際に連れて行けない傷病者たちにとどめを指す上役、そしておそらくは事実を理解しながらも、背負ってきたものがあまりに大きく、主張を曲げることができなくなってしまった島田少尉の苦しみ。ほんとにじゃんじゃか「辛い」「苦しい」が押し寄せて、それらは全て「戦時だからしょうがない」に飲み込まれていく。そこから得られる結論は「やっぱり戦争はダメだよ」でいいのである。 そうして誰が悪いだの何が間違っているだのという話をさておいて描かれる「戦争はダメだよ」の切実さは、非常に分かりやすい脚本でもあるし、ことさらに劇的に描かれる部分はそう多くない。おかげで今作は悲壮なシーンが多いにも関わらずどこか淡白な印象も与える。2時間弱の尺でまとめる目的もあってか、台詞は少なめにして淡々と進む部分もあるし、画面上のオブジェクトでの「匂わせ」も数多い。個人的には野生動物・虫・鳥・魚・木々や花々に至るまで、ペリリュー島の自然の景色がちょっとずつ生き残った兵たちの心情の代弁者となっているカットが多くて、オブジェクトの美しさに感心しながらも、いちいちあけすけに伝えてくるヤなメッセージに苦虫を噛み潰したものである。自由の象徴として空を舞う鳥、個を持てず、ただ群れることで日本兵を象徴するアリの行列など、ダイレクトなメタファーが短い時間の中でも効率的にしんどさを提供してくれる。 そして個人的に感心したというか、「これはこうなるしかないよな」と思ったのがキャラクターデザインそのものである。予告を見た時点では「なんでこんなゆるキャラみたいなデザインなんだろう。戦争映画のくせに」という印象だったが、実際に本編が始まってみると「こうでもしないと正面から描けないもんな……」というので激しく納得。なんとか外側をソフトにしないと、多分PG12どころではないいろんな問題が発生していただろう。このデザインだからこそ許される描写というのは数多くあって、まさにその部分こそが「しんどさ」を伝える最も端的なシーンでもある。リアルに寄せて描写をマイルドにするよりも、キャラデザを丸っこくすることで免罪符を用意してダイレクトに描く部分を描いていく。この選択は、今作が伝えたいメッセージを考えれば実にクレバーな選択だった。別にキャラデザがユルいからって話までユルくはならないということを示す強固な事例である。 あとは普通の映画だったら「このキャラが良かったよねー」みたいな話を広げていくものだが、今作においては「キャラが良かったよねー」とか言っちゃっていいものかどうかも悩むところ。「史実を基にしたフィクション」ってことで、どこまで「本当にあったかもしれないのか」すら分からんからね。それを承知であえてアニメファン的なキャラ好き度でいえば最初から達観した視線を持って最後には田丸を助けるためにあまりにも尊い犠牲となった小杉伍長はやっぱ格好いいですよね。最初に「生きる」ために牽引してくれたのは彼だったし、最後まで田丸・吉敷の考え方を支持してくれた良い「上官」。それだけに彼にも生きて日本の地を踏んでほしかったところだが……。 もちろん、メインの田丸・吉敷のキャラもちゃんと立っている。田丸は自己主張が乏しいのでともすると影が薄くなりそうだが、現代の我々がこの作品世界を覗くときのいいバランスの「観測者」でいてくれたし、軍人という立場から解放された後の味方の解放までの動きはちゃんと「主人公らしさ」もあって凛々しくもある。キャラの配置にいちいち無駄がないのは本作のプロットの練り込まれているところであろう。 シナリオ展開で個人的に気に入っているというか、考えさせられたのは米軍キャンプに侵入しての物資簒奪作戦のくだり。あそこって、映画的に考えると「何もない」シーンなんですよ。島田少尉の采配の冴えを見せる目的もあるのかもしれないが、いわゆる侵入ミッションの緊張感がありながら、最終的には「無事に手に入れられたねぇ」でおしまい。なんならその後も定期的に通ってガンガン物資を手に入れることに成功までしている。そこだけをみると、固唾を飲んで見守りながら「上手くいったぁ……よかったねぇ」という話になり、ハリウッド映画だったら絶対に「無い」シーンになってしまい、存在意義がわからなくなりそうなくだりだが、 「良かったぁ、見つからずに済んだぁ」でホッとしたところで、視聴者の立ち位置にいる自分自身にふと気づく。冷静に考えて、田丸たちがやっているのは単なる泥棒行為であり、それが上手くいくことになんの達成感があるものかと。しかし、あの状況では田丸たちは米軍からその「益」を掠め取ることは正義であり、生き残る方策も兼ねた最善の「抵抗」であった。それが成功したことに喜びを感じてしまうわけだが、その後もずっと略奪を続けていたことも併せて、そこに達成感が残るのはおかしな話なのだ。気づけば、そうした異様な雰囲気に視聴者ともども飲まれてしまうのだ、という体験が得られるシーンである。「米兵が話す英語に字幕を一切つけない」という采配も興味深く、(英語ができる人なら意味ないけど)私のようにリスニング苦手勢なら当時の田丸たちと同じく「分からない言葉で話している夷狄・米兵」を認識することになる。 その他にも、ラストの吉敷VS島田の対決シーンの思い切ったライティングの妙など、1つ1つのシーンで違った感覚を入れ込んで飽きさせないように魅せるダイレクトな「けれん味」はありつつ、どこも華美に飾り立てすぎないように抑制を効かせ、「戦争記録として」も「映像作品として」も成立するポイントを突いている。その一点で物足りなさに繋がる視聴者も出てくる可能性はあるが、画面を見れば妥協の無さは感じ取れるわけで、私は今作は「伝えたかったこと」は充分に伝えて「やりたかったこと」を充分に果たした作品だと思っている。 平日昼間の回ということもあり、劇場は1割そこらの客席しか埋まっていなかったのだが、私以外に視聴していたお客さんに年配の方が多かったのが印象的だった。流石にもう「戦争世代」の人たちではなかろうが、こういうテーマの映画であれば、普段アニメの視聴層でないような人たちも足を運ぶのかもしれない。そして繰り返しになるが、今作は「大人」が考えるための作品としても機能するかもしれないが、やはり「教育」の一環としてもなんらかの役割を果たせる気がしている。難しい戦争の話などごめん被るし、別に「身につまされる」なんて感覚はあるはずもない。けれど、こうした作品を発信する人たちが何を思っているのか、それくらいは考えてもいいと思うのだ。だからこそ「身の引き締まる作品」であった。 機会があれば原作にもあたってみたいですね。 PR
|
カレンダー
ブログ内検索
リンク
最新記事
(12/08)
(12/08)
(12/07)
(12/07)
(12/07)
(12/06)
(12/06)
(12/06)
(12/05)
カテゴリー
プロフィール
HN:
Thraxi
性別:
男性
趣味:
声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
アーカイブ
|

