最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
さぁ、「劇場アニメ観なきゃ月間」とか書いてたけど、実質、この作品をなんとかして観に行かないとなぁ、というモチベを上げるための標語だったりする。例によって気づけばあっというまに上映回数は減っていくし、なんとかエイヤッと観に行かないと取りこぼす危険があったので。今回は平日ど真ん中になんとか隙間を見定めて劇場に足を運べてよかったです。 さて、そうまでして観に行った作品ですが、普段なかなか触れない文化の要素もあるためになかなか評価は難しい。ただ、視聴中にあれこれ好き勝手なことを考えることができたのは事実なので、何かしらの刺激を孕んだ作品であることは間違いないだろう。責任放棄なまとめ方をしておくと、「アニメを品定めしながら視聴したい人は、その1つのステージにちょうどよかろう」くらいに留めておきますね。
<というわけで折り返し。今作については一応ネタバレ注意>
まず最初にお断りしておくと、(書き始めてる時点で方向性は定まってないのだが)おそらくここから批判的な文言はちょいちょい出てくることになるだろう。ただ、その背景には今作のメインスタッフがあの「オッドタクシー」を生み出した面子であるという大きな大きな補正がかかっており、どんだけ大層なものを出されたとしても、そりゃオッドタクシーと比較したら色々と物足りなく感じる部分が出てくるのはしょうがないだろう。また、「物足りなく」感じたとしてもそれは今作が「オッドタクシー」に劣っているという話にもならなくて、描きたいものが違うのであれば当然作品の方向性はズレるのだから、ぶっちゃけ「比較しても意味がない」というのが正解である。ただ、やはり視聴中はどうしてもそういう色眼鏡は存在してしまっているので、まずそこだけはご了承願いたい。 という予防線をたっぷり張ってはみたが、総体としての評価は「非常に綺麗な映画」である。うむ、それは映像クオリティ的に、ではなくて構造の話でよ。ちなみに先にさっさと処理しておくが、映像部分については「まぁ普通」である。そりゃ劇場で見られるようにしっかりと画面は作り込んでいるし、背景美術の見せ方や統制の取れたキャラクターデザインなど、見るべき点も少なくないのだが、通常イメージされる「劇場作品だぜ!」というテンションは全く備わっておらず、その辺りの温度差も「普段なかなか触れない文化」と感じた要因である。ろくすっぽ見たことがないので勝手な憶測だが、今作は「劇場アニメ」というよりは「邦画」というレッテルを貼る方が正しいジャンルのように感じている。 閑話休題、とにかく映像クオリティはそこまでびっくりするようなものではない。その上での「綺麗」は、本当にそつがなく、90分で落としたいところに持っていく全体構造、そして起承転結のメリハリをきっちりつけて客を一切飽きさせることがない捻りの効かせ方。そして何より、オッドタクシーの時にも堪能させてもらった軽妙な会話劇。本当に地味なプロットの作品なのだが、その上で90分間まったく眠くなることがなく、するするとお話を飲み込むことができた。心拍数が上がるようなエキサイトシーンはほとんどないというのに、気づいたらみっちりお話を堪能して満足感が得られるというのは普段は感じられない貴重な感覚だった。やはり脚本の妙が今作の一番の魅力と言える。 ただ、その部分を全面的に認めた上で、「綺麗だ」という評価が100%褒め言葉として機能しているかと言われると、そこがちょいと引っかかる部分でもあった。なんだか、あまりに綺麗すぎて、全てのシーケンスが予定調和に回った感があったのだ。「ここにこの要素が置かれたってことは、多分あとでこうなるんだろうな」が全部回収された感覚。これって別になんの不満も出ないはずなのだが、奇天烈な進行で常に目を奪われ続けた「オッドタクシー」の巧妙さを期待して観にいくとちょいと肩透かしには感じてしまうだろう。 具体例をいくつかあげると、例えばオープニングで執拗に花火が上がるカット。「そっか、花火って実際には円じゃなくて球なんだよな」なんてことが分かる作画部分は非常に丁寧だし、夏祭りの情景を切り出した画の展開も綺麗だ。綺麗なんだけど、そこに庭のホウセンカのイメージが重なっていざ物語が始まるぞ、と腰をすえることになると、「まぁ、多分クライマックスではこのホウセンカが弾ける様子が花火とオーバーラップするよな」なんてことは何となく予想できてしまうわけだ。まぁ、そもそもタイトルが「ホウセンカ」の時点でクライマックスで弾けることは容易に想像できるわけだが。他にも「大逆転」を象徴するオセロの使い方や宝の地図の種明かしまで、あまりにきちんと生真面目に要素を配置しているがために、「回収したらそういう絵図が引けるなぁ」というのは何となく分かって観ている状態。別にそこからわざと外せ、なんて要求をするつもりはないし、「綺麗」なのは良いことに違いないのだが、そこは純粋に「オッドタクシー」との差があったというだけの話である。 ただ、この「納得感」「まとまった感」が出るのは90分という時間を考えればある意味で当然の話で、オッドタクシーはアニメが13話展開され、その自由な尺の中で、1クールという時間をかけて絡み合う群像劇を描くのが目的だった。対して今作で中心となるのは阿久津と那奈という一組の男女の愛情であり、もっと突き詰めたら阿久津というたった1人の男の生き様・死に様である。「オッドタクシーで小戸川を描きたい」と「この作品で阿久津を描きたい」は根本的に密度が違うのだ。そこにはやはり「端正さ」が求められるのは当然の帰結ではあるだろう。 だからやっぱり今作は「綺麗」というのが一番あっている気がする。「人語を解し、さまざまな特殊能力を持った妖怪みたいな花」というとんでもない存在を中心におきながら、その設定自体はほとんど話の邪魔をすることなく、古式ゆかしい「極道の愛」を描く作品。そこに現代アニメ的なけれん味は当然混ぜ込まれているが、そこは決して「本質」ではない。いかに今作の「見せたかった画」の美しさを評価するかで、なんだか大きく意見の割れそうな作品ではある。 個人的には「やりたいことが分かる」はプラス要素と常々言っているので、基本的にはプラス評価で問題ない。ただちょっとだけ、「違う刺激を求めていたんだけど」という愚痴が漏れているだけである。あとはまぁ、ちょっと実写的な真面目さによりすぎた部分もあるよなぁ、というのはやや気になる部分で、実は一番興が覚めた瞬間はオセロの大逆転シーンだったりする。あのシーンさ、やりたいことは誰もが分かってるのに妙に長尺で引っ張っちゃってダレたんだよなぁ。おそらくエンドクレジットに「オセロ監修」がいたことからも分かるように、「ちゃんと大逆転できる盤面」を正確に用意して、石の置き方も1個ずつ丁寧に再現した結果なのだろうが、あのカットは「阿久津が大逆転したよ」という事実さえ分かればいのだから、いくら何でもあの尺は要らなかった気がする。 もちろん、逆に感心した部分も色々あって、個人的にグッときたのは最後に空き家に押し入った老人堤が、足元の「セダン」を蹴飛ばしてしまったカット。序盤に阿久津が健介に向かって「堤さんが乗ってるんだ、格好いいだろ」と言っていた「憧れの象徴」であるセダンを、そして本当の「息子」が好んでいたミニカーを、堤が全く意識せずに蹴飛ばしてしまうというカットに込められた意味は色々と考えさせられる。他にもそうしたガジェットによるイメージの喚起はそこかしこに散りばめられており、監督の器用さというか、入念さみたいなものはしっかり感じ取れるのだ。あとはまぁ、言うてもメインキャラ全員にしっかりと血の通った人間性が伺えるってのが一番じゃないですかね。上の記述から分かるかもしれないが、私は実は今作で一番好きなキャラは堤である。時代をまたいだ安元洋貴の熱演が素晴らしかったというのもあるが、彼の「悪党」としての生き様と、因果が巡った末期の様子は、もしかしたら阿久津の一生以上に「生きること」の大変さや、汚らしさに肉薄していたのかもしれない。 もちろん阿久津も阿久津でいいキャラでしたよ。実写畑の俳優さんなので詳しくは存じ上げないが、声を当てた小林薫氏という方が実に良い仕事を見せてくれている。あとはホウセンカ役のピエール瀧だな。どこかで「オッドタクシー」の矢野みたいな雰囲気を匂わせる腹の立つホウセンカが、こちらもやっぱり憎めないところに落ち着いているのは脚本と役者の力でしょうよ。 トータルすると、うん、やっぱ悪くない作品であった。その性質上、なかなかセールスに結び付かなそうだなぁ、という感覚は正直あるのだが、こうした作品もきちんと発信できるだけの基盤があったことをまずは喜ぼう。 PR ![]() ![]() |
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