最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
ホテルの宿泊客、列席者にテトラポッド型の宇宙人がいたのってもしかしてaiko繋がりなんだろうか? 第9話。いや、他の宇宙人に繋がりがあるかどうか知らんが。 ここまできても一切の妥協を許さない、徹底して既存の価値観をぶち壊しにくる理不尽ストリーム。その中心に置かれたのはなんとポン子のウエディング! 前回出てきた花江狸がふつーに彼氏だった。お姉ちゃんも「繁殖期」を迎えたそうなので結婚することになんらおかしな部分はないのですが、ポンスティンっていつどこで、どうやって地球に来たタヌキなんでしょうね? まぁ、ポン子たちと同じようにして母星を脱出したタヌキ星人は宇宙全土に散らばってるだろうし、それがたまたま数百年ぶりに地球で接触できたってことなんでしょうね。何はともあれ種の存続ができそうでよかったですね。地球なんて霊長類が絶滅してんのにね。 ちなみにサラッと流しかけたが普通なら流せないはずのヤチヨタンク継続状況。前回はひどく不自由そうにしていたヤチヨさんだったが、しょうがないとなればそのボディに順応してしまうわけで、タンクという足回りの頑強さをうまく活用した腰(?)の入ったパンチは今回2匹のタヌキを悶絶させるにいたった。機械のパワーで、あのマジックハンドが叩きつけられたら下手したら致命傷だよ。ちなみに、前回ヤチヨさんの手の形状を「コロ助ハンド」と書いてしまったが、コロ助はドラえもんと同じペタリハンドだったので、正しくは「ゴンスケハンド」でした。同じ藤子作品だったので勘違いしちゃった。謝罪して訂正します。……そうか、ゴンスケとは「ホテリエ」繋がりなのか……(あいついうほどホテリエか?)。 手の使い方、そして足回り、意外と順応したヤチヨさんはその状態でも通常業務くらいはこなせるようになっており、いつも通りに体の正面で手を重ねる所作をすると輪っかの部分が綺麗に重なってフォルムが美しく見える(?)。あと身長がグッと低くなってしまったので、成長したポン子との身長ギャップが楽しめるのもポイントの1つだろうか。……身長といえば、ポン子はあの通り急成長したのにフグリはフグリのまんまだったな……まだまだ謎が多いタヌキ星人。今回判明したのは「ブンブクは婿養子」くらいである。あ、あと母星での思い出ではばあちゃんとポン子が田舎道を仲良く歩く様子が描かれていたが、あんな牧歌的な風景のくせして、技術水準は地球よりはるかに高いのがタヌキどもの面倒臭いところである。進化の過程で貯め糞がなくならなかったのは残念な話。 そうこうしているうちに、懸念していた通りばあちゃんが他界。ご家族の反応からして大往生だとは思うのだが、それでも悲しいものは悲しいわけで。一度は中止しかけた結婚式だったが……まさかの葬式との合同という形で実現。この辺りの感覚が流石のアポカリ。……どうなんだろ、「冠婚葬祭」の言葉の通り、多くの文化では「婚」も「葬」重要な儀式として取り扱われることが多いだろうが、現実世界に「婚/葬」を同時に開催する文化ってあるんだろうか。人類学的にはあってもおかしくない気はするんだけど、まぁ、我々の感覚からしたら「不謹慎」とか「クレイジー」ってな印象にはなりますよね。見送りながら祝うだけなら百歩譲って理解できるとしても、式中のエンタメ要素として棺桶をフル活用するのは流石にアウトだろうよ。まぁ、「故人がそれを望んでいる」という最強の免罪符が認められるならしょうがないけど……この話のために、ばあさんのキャラをウェイ系に設定してたんでしょうかね。子狸をおんぶして子守唄を歌ってくれるだけならいいおばあちゃんだったんだけどな……。まぁ、まさに「終わりよければ」ですかね。 喜びも悲しみもないまぜに、またホテルとして1つの責任を全うした銀河楼。ヤチヨさんのボディも復元され、もはや宇宙人向けホテルとしてこれからもやっていけそうな雰囲気だが……別にそれがヤチヨさんの最大の望みってわけじゃないからなぁ……残り数話で、ヤチヨさんの身の振り方を決めることはできるのだろうか。
PR 全部がエロ漫画の設定、第9話。今回描かれたヨウメイの催眠(?)っぷりがやばかったですわね。「特定領域内で特定の行動をしてしまうと催眠状態に入り、それまで疑問に思ってたことも全部忘れて楽しくなっちゃう」って……どこぞのエロ漫画じゃん。某学園じゃん。 というわけで、単なる複製品というには色々とタチが悪すぎるし闇が深すぎるのが第二九龍。模造品なんだから外部の人間は別に気にしなきゃいいだろ、というのが今までの考え方だったし、実際に「現実」からの干渉を受ければ幻影が消えるわけで、そこまでの影響力はないものだと思われていたのだが……その反例となったのが今回のヨウメイの一件。確かにヨウメイは外部の人間だが、「見える」ことによって九龍内部の生活を受け入れており、さらに「九龍内のものを飲み食いする」というシンプルかつ限定的な条件で「九龍の何もかもを疑問に思わなくなる」という催眠状態に突入することが判明。これなら外界の人間が取り込まれる可能性もワンチャン生まれたわけだ。「内部で物を食う」はすでに工藤なども通過しているポイントであり、各々がどれだけ九龍に入れ込んでいるかがなんとなく察せる部分ではある。いわゆる「ヨモツヘグイ」の類、取り込まれてしまったらもはや内部の人間になってしまうのではないかという恐怖もあるだろう。 まぁ、ヨウメイはその状態からいっぺん外に出られたのだからそこまで条件は厳しくなさそうだが、しっかりと「外から」攻略しないと「取り込まれる」恐れがあるというのはいろんなキャラが指摘している部分。まぁ、そもそも最初から気をつけて「中で物を食わない」とか心得てるグエンあたりは大丈夫なんだろうけどね。そうなるとみゆきちゃんの意識がどこに向いてるかだけがちょっと気になるところか。 そう、ここまでで九龍のルールがおおかた説明されたため、残る疑問点というか、ふわふわしてる点はもうみゆきちゃんを取り巻く関係性のみになったと言っていい。彼が親父さんと何かしらぶつかっており、互いに調査員を派遣しながら九龍の実情を探っているのはいったい何故なのか。そしてそもそも何故第二九龍が作られているのか。ここまでのみゆきちゃんの言動を繋ぎ合わせればもう答えは出ているのかもしれないが、そっちサイドの情報をあんまり処理しきれてないもんで、私はよくわかっていない。今回はっきりしたのは、グエンを除くと蛇沼グループで動いているのはユウロンとシャオヘイという2人の諜報員がいるということ。片方がみゆきちゃん傘下で、もう片方が親父さんの手のもの。互いに上に情報を流しつつ、シャオヘイはさらにみゆきちゃんサイドの情報も逐一伝える役割をもっていたようだ。ついでに鯨井さんをはじめとした九龍住民の情報も調べる必要があり、シャオヘイはなかなかのハードワークっぷり。そりゃまぁ、盗聴器でサボりたくなる気持ちも分からんではない。 しかし、残念ながらそんな行動はユウロンに筒抜けで、彼が目指すみゆきちゃんの目的のために、使えるものはなんでも使う精神のようである。その答えの1つが「鯨井の殺害」ってんだから物騒なことで。現時点で、ユウロン目線で鯨井を殺したくなる理屈も正直よく分かってない。鯨井さんを刺激して動く部分といえば工藤関係の要素だと思うので、蛇沼グループも工藤という1人の男を重要視してるってことなのかしら。本人も認識できてない気がするのに。 そんな工藤さんは今の女(鯨井さん)と過去の女(鯨井B)の間で揺れ動いており、今回のお部屋での一件は割と失礼なやつ。「やっぱこいつは俺の知ってる令子じゃない」って、そりゃぁもうだいぶ前からわかってた話のはずだが……頭では理解してても気持ちがついていかない部分があるんでしょうかね。でも、別に鯨井さんが悪いわけじゃないのに彼女に負担をかけるのはダメだろうに。 結局、工藤が何もかも抱えたまんまで全然周りに頼らないのが一番の問題な気がしてきた……ラストまでにその辺精算できるんか? 節目のライブ、第9話。流石に今回のライブについては記事立てしておく必要があるわね。 まぁ予定調和っちゃぁ予定調和の展開ではあるんですよ。私は原作をここまで追ってなかった身だけれど、今回の要素に意外な部分はあんまり無い。唯一予測がつかずに気になっていたのは今回のライブでのティナの処遇の部分だけだったのだが、「りりさが覚醒する前に一回頑張ってもらって不問とする」というのは、今後の伸び代を残した無難な決着だろう。どう考えても実力的には場違いではあるのだが、そっちを気にしてしまうと一番大事なりりさVSシロの対決がなおざりになってしまう。演奏する曲を何曲かで区切ることにより、「ハイ、ここまででティナの問題は一旦解決ね」と線引きするのはちょっとズルいけどしょうがない落とし前である。 というわけで、今回のライブのメインステージは当然りりさに回ってくる。ここをどう描くか、どれだけ説得力を持ってみせるかがわざわざアニメ化したスタッフの責任がかかってくるところで、特に「インストバンドである」という地味さは作品世界内でもビハインドになっていたが、アニメ演出的にも不利な点は多い要素だろう。正直、これまでの旧校舎での演奏シーンについては、CGの多少の浮つきもあってそこまで真に迫ったものにはなりきってなかったのだが……。 個人的にはいいライブだったと思います。徹底してりりさにスポットを当て、彼女のモノローグと大げさすぎるプレイスタイルを見せることで引き込むデザインはインストバンドだからこそできる芸当だし、一応はCGモーションも維持しつつ、胡散臭いまでのエフェクトをぶつけることで「ロックな」感情の噴出を見せる画面作りは思いの外成立している。まぁ、ぶっちゃけわたしゃ素人なので音の良し悪しなんて厳密には分からんが、やはり前半と後半ではしっかり音を変えてきた感覚もあったし、それよりなにより、「聞かせたい音」よりも「見せたい画」ができていたと思うのだ。 演出として見過ごせないのはやはり音羽の活躍。ステージ上でどんどん落ち込み、存在全てを否定されるようなどん底まで追い込まれたりりさ。彼女に対して「勝つ演奏じゃなくて自分が楽しくて気持ちよくなる演奏を」というメッセージを伝えるという、これまでの流れからしたらあまりにもベタベタで意外性のない展開なのだが、あのありえない衣装でもへろっと着られちゃう音羽のクレイジーマインドがドラムサウンドに乗せられ、しっかりと「2人の関係性の物語」が浮かんでくる。ステージ上なので罵詈雑言を吐いたり中指立てたりはしないが、その分余計に「2人の中だけでぶつかり合う激情」みたいなものが引き立ち、いい具合のガールミーツガールを見せつけてくれた。はたからそれをサポートして全部が分かっちゃうシロのテイマーっぷりも、格を下げずに一歩引かせる動きになっていてちょうど良い。最終的に、ちゃんと満足できる1本のステージングになっていたんじゃなかろうか。 懸念があるとしたら、現段階でこのライブ、この演出を見せてしまったら、もうこのバンドに(少なくともアニメ的な)伸び代はもうないんじゃないかって部分なのだが……そこをティナが盛り上げてくれるのかしら。どうなのかしら。 なんやねんこのアニメぇ!!(1週間ぶりM回目 M>N) 第8話! もう何が起きても驚かない。驚かないけど……開いた口は塞がらないよ。そういや最近、これとは全然関係ないところで「堅物で規則にうるさいメイドがグレて暴走モードになる」話を見た気がするのだが……もしかして俺らはこういう話が大好きだと思われてる? ……まぁ、好きだけどさ。 星屑となったヤチヨさん。カーズ状態をどうやって脱却するのかと気を揉んでいた1週間だったが、そこは気合いでカバーだ。一応は「広告衛星(+神の杖)を打ち上げにいった結果宇宙を彷徨う羽目になったヤチヨさんだったけど、その広告のおかげで宇宙からのお客さんが来るようになり、そのお客さんの足のおかげで何とか地球に戻るきっかけが掴めた」と考えると因果応報ではある。もしお客が来なかったらハルマゲみたいな奴がたまたま近くを通りかかるのを待たなきゃいけなかったわけで、おそらく数十年じゃきかないミラクルなタイミングを待ち続ける必要があっただろう。まぁ、今回のこともラッキーといえばラッキーなのだが……「幸運にも」というには時間が経ちすぎてはいる。永遠にロリだと思われていたハイパー長寿生命体のポン子すら外見に変化が見られるほどには。いや、よく考えてみりゃポン子の親御さんはそれなりに年嵩に見えてたし、ばあちゃんはばあちゃんなんだから、タヌキ星人だってゆっくりゆっくり歳は取るんだよな。そしてばあちゃんはそろそろお迎えがきてもおかしくなさそうな歳になったっぽい。今後の話でばあちゃんを看取る話とか出てきたらちょっと切ない。いや、あいつ基本的に迷惑ばっかのキャラなんだけどさ(ウィスキー以降は割と協力体制だったじゃん)。 とにかく、ヤチヨ不在の状況でまたも時計がくるくる回り、その間にヤチヨの代理を務めたポン子の采配により、銀河楼も少しずつ様変わりしていく。ポン子が元々宇宙工学に長けた才媛だったこと(そしてそもそも地球外からやってきた異星人であること)もあって、銀河楼は独自の進化を遂げ、お客さんもちょっとずつ増え始めた。そしてその分外敵も増えて(?)、ポン子肝入りの防衛装置もどんどん進化。あとついでにシャンプーの成分まで変化したりなんだり。 そんな「変わってしまった銀河楼」についに帰還したヤチヨさん……改めヤチヨタンク。パーツがないのはしょうがないし、ポン子の現時点での技術力ではタンクが精一杯だった……ことあるかい。せめてコロ助ハンドだけなんとかしてやれよ。そっちは宇宙船のマニピュレーターとかもあっただろうし、もうちょい何とかなったやろ。とにかく地球の物資だけでは完璧なるホテリエ・ヤチヨの再生はままならず、自我は保ちながらもアイデンティティを否定されてしまったヤチヨさんはマッハでぶっ壊れた。普段が堅物の子ってのは一度崩れると脆いからねぇ、とか言ってる場合じゃない。ヤチヨさんの行動プログラムに暴走族モードがあること自体が問題だ。あれもイースターエッグだったらどうしよう。進化したミサイルをあやつり、ハエトリロボさんたちに散々迷惑をかけながらの1人反抗期。当然、そんなバグを諌めるのはポン子の役割である。「単にやりたかっただけやろがい」というロボVSモビルスーツの謎戦闘がいつも通りに超絶作画で展開され、最後の殴り合いはもうどの作品へのオマージュかすらよく分からなくなってきた。もしかして俺らはこういうバトルが好きだと思われてる? ……まぁ好きだけどさ! シャンプーハットさえ必要なくなってしまった銀河楼。そこはヤチヨが生まれ、数百年守り続けてきた銀河楼ではない。ヤチヨさんはそんな様子を見て処理しきれずに暴走した。1話のシャンプーハットを見れば、「確かにヤチヨさんならこのくらい暴れてもおかしくないか……」と妙な説得力があるのズルいよな。でも、別に何かを壊したかったわけじゃない。大切なものが変わっていくことが、ちょっと寂しかっただけなんだ。身の振り方が、プログラムされていないだけなんだ。でも、暴れたからって何かが帰ってくるわけじゃない。「ポン子が守り抜いた銀河楼」にも自分の夢と同様に敬意を持ってあたるべきであることを悟り、壮大な「姉妹喧嘩」の末にヤチヨさんも変化を受け入れることに(シャンプーハットは除く)。まぁ、数百年のスパンで変わらない方が嘘なのだが、おそらくヤチヨさんはこれまで意識的に「変化すること」を拒んできた。設定上、基本的には保守的な体質。大きな変化はよしとしなかったタイプだが……流石にポン子の頑張りをこれだけ見せられてしまったら、ヤチヨさんも受け入れるしかないのだよ。伝統には「革新と遊び心」ですよ。「今後はグレないように注意します」っていう謝罪、世界中でヤチヨさんにしかできないよ。 そうそう、今回ついにサブタイトルが銀河楼十則を飛び出したわけだが、途中で管理室の壁の額縁を確認すると、今回のサブタイトルはその脇に新たな紙を貼って描かれている「ポン子時代からの新たな規則」である(ちなみにこのモットー以前に「最初はグーで……おもてなし。最後はパーで……」という謎の張り紙も確認できる。とにかく、これらは十則では不充分だと考えたポン子オーナー代理代理代理が新たに追加した規則だったのだろう。こんなところにもホテルの「革新」は表れているのだ。 他にも「ポン子が一緒にいた男(CV花江夏樹)は誰よ」とか、「そろそろハエトリロボさん他の従業員のボディも限界が近いような……」とか気になることはたくさんあるのだが、全ては来週以降の気まぐれ次第である。多分、このアニメのことだから来週もタンクはタンクのままだと思うけど……ねぇ、このアニメどうやって終わるんだ?
中国語で飲み放題は「無限量使用」、第8話。中国産アニメの邦訳版だと必要なとこに字幕出したりするけど、日本産で中国が舞台の作品だと意図的に出さない部分が多いのがちょっと面白い。 着々と答え合わせが進んで九龍が「解体」されていく。前回グエンがだいたい話してくれたのでもはや九龍の現状にそこまで謎は残ってない気すらするが、今回はさらに改めて「九龍の現在の住人は『過去の住人の幻影』である」旨が念を押された。なるほど、確かに以前本体を引っ張ってきてコピーを消す実験はやってたっけね。あれはみゆきちゃんたちも現状を把握した上での行動だったか。そうなると、今回ヨウメイが香港市内であったおじさんみたいに「昔九龍に住んでたよー」という人は案外近くに存在しているわけで、仮初の九龍の人々は常に消失のリスクに晒されてるってことになるわけか。 事実を認識しているグエン、みゆきちゃんの2人は、どうやらジェネテラで何かしてる上層部の行動については懐疑的な部分があるらしく、独自にジェネテラで「何かしたい」人たち。ただ、それがなんなのかは分かってない。キーとなるのは、2人ともちゃんと九龍が見えており、九龍内部で生活できているということ。 転じて、今回ネカフェでヨウメイと話してた怪しげな関西弁(ユウロンというらしい)も別枠で九龍の調査を進めているが、こちらは本人曰く「九龍を見ることができない」らしい。実情を知ろうにも、確かに見えるか見えないかで調査の難度は激変しそうである。ただ、完全に「外」の存在であればこそ、見えるものもあるのかもしれないが。そもそも何で外部の人間が九龍に探りを入れたいのかもよく分かってないけどね。 ヨウメイが一旦「外」に出たことで内外から挟み撃ちの形で調査が進むかと思われたが、よく考えてみたら「内」から調査しようというモチベがある人間はあんまりいなかったな。もちろんその任にあたるべきは鯨井さんなわけだが、一番手っ取り早い手がかりが工藤である関係上、そこに冷静に探りを入れることはできず、あれよあれよとベッドシーン。まぁ、工藤のあの姿勢が崩れないなら、鯨井さんは流れに身を任せてる方が気楽だもんなぁ。でも、普通に考えたら工藤は何かに目をつぶって「誤魔化してる」状態なわけで……2人の関係が健全なものでないことは、工藤が見てみぬふりをするなら、それを指摘できるのは鯨井さん自身しかいないのよ。 真実を優先するか、現状に甘んじるか。……割とクライマックスじみてきてるんだけど、これって原作未完なんだよね? アニメだけで片がつかないかしら?
何やねんこのアニメ(1週間ぶりN回目)、第7話。本当に情報の入れ方がクレイジーすぎて、何が普通なのかわからなくなって脳がバグる。個々のシーケンスだけを拾うといちいち感動的だったり、刺激的だったりするのに、ふと冷静になって俯瞰で見ると「マジで何してん?」というクエスチョンしか出てこないという。俺たちは壮大な詐欺の片棒を担がされているんじゃなかろうか。 今更ちょっとやそっとの展開じゃ驚かねぇぞ、と思っていても、その筋立ての突飛さにいちいち変なボディブローが刺さる。今回のお話、あらすじだけピックアップすると……「宇宙への宣伝を目し、オーナーの夢でもあった広告衛星を打ち上げることになった銀河楼一同。防衛のために衛星には質量兵器『神の杖』を搭載すべきだと主張するポン子だが、他の面々は必要ないと一蹴する。納得いかないポン子は地道な政治活動を続けて賛同者を増やし、最後にはヤチヨの心を溶かして兵器の導入を取り付ける。『神の杖』の設置には宇宙空間での活動が必須だったが、大学で宇宙工学を学んだ才媛のポン子をもってしても、どうしても重量の問題が解決できずにプロジェクトは頭打ち。しかし、ヤチヨが自ら作業役を買って出ることで問題は解決した。ロケットは無事に打ち上げられ、ついに念願の『神の杖』を設置できたと思った矢先に……」。 もはやボーボボの「前回のあらすじ」と大して変わらないレベルの夢小説である。もちろん視聴中だって我々は冷静なのでツッコミは止まず、「いきなりのベントラ?」「そら科学的根拠はないやろ」から始まり、毎分ごとにツッコミポイントが押し寄せるのだが、何故か知らないけど要所でやたら胸を打つ(気がする)描写が飛び出してグッと来てしまう。中でも今回はポン子とヤチヨの諍いについては、「あぁ、いよいよこの時が来てしまったか」と胸を痛めた視聴者の方も多いのではなかろうか。 「ヤチヨがロボットである」という事実は、前回のハルマゲのお話でも気になるトピックとして取り上げられていたが、よりにもよって一番の仲良しになったはずのポン子の口から「脳も心も無いロボット」と罵倒されるシーンは義憤と悲しみがノンストップ。それでもヤチヨさんはただその事実を飲み込み、大切な従業員のことを最優先に行動してくれるのである。決して飲み込めない一言を吐いてしまったポン子も、自分のしでかしたことの重大性を理解していないはずもない。心優しきロボットの悲しむ姿を見たくないとばかりに、和解後は持てる力の全てを駆使して銀河楼の発展へと寄与する姿勢を見せる(まぁ、本当に必要な行程なのかどうかは誰にもわからないが)。取ってつけたような彼女の最終学歴の話など今作においては瑣末な問題だ。個人的には、宇宙を股にかけた凄惨な衛星兵器の建造にバアさんが関わってることの方が怖い(中の人の宇宙世紀的に)。 今回経過した70年という時間は、ロケット開発というテーマを考えるともはや長いんだか短いんだかもよく分からない。今作の特長の1つ、「雑多に流れるシーンの説得力が異常」は今回も発揮され、「ロケットを打ち上げ宇宙に行くためのエトセトラ」が短い時間でぎゅぎゅっと展開されるパートは圧巻。個人的にはプールでの宙域活動訓練がツボ。そしてそんだけ長期(我々の感覚では)の計画を進めているにもかかわらず、ポン子が目の下にクマを作って寝る間も惜しんでプロジェクトを進めるモチベーションも正直十全には理解できない。「もう逃げたくないのだ」とは彼女の弁であるが、そもそも星を失った理由が戦争であるなら、ここでまた兵器に依拠するのもどうかと思うし、そもそも人がいなくなった地球を占有したのがお前ら異星人ちゃうんかいとか言い始めると身も蓋もないのだが、まぁ、流石にウン百年もこの星に住み続けているタヌキたちはもはやこの星の住人と認めてしまってもいいのだろう(そんだけ時間経過したら星を追われた思い出とかどうでもよくね?というのは置いとくとして)。とにかく、世は宇宙時代。銀河楼もいよいよ地球を飛び出して活動する時が来たわけで、それってつまり、ヤチヨさん側が積極的にオーナーたち地球人を迎えに行くこともできることを意味するのだが……。 神の悪戯、太陽フレア。生身の人間であれば一撃必殺のその電磁の衝撃に、ヤチヨさんは機能を奪われ、なんでか知らんけど追加機能を獲得。ヤチヨさんの設計者、ウン百年前にどこまで見越して彼女をプログラムしていたのだろう。そこの謎が解かれる日は来るんだろうか。 宇宙・孤独・永劫の時。カーズもびっくりの状況を前に、ヤチヨさんに与えられたのは自害のためのトリガー。彼女がその端緒を掴んだ「感情」は、彼女を塵芥へと変えてしまうだろうか。そこから何も見えなくなるの、星屑ロンリネス。 夏の幻、第7話。今回はなんだかぼやけた景色の中、若干作画のクセが強め、っていうか省エネ部分がちらほら。ただ、そんな中でも濃密な濡れ場(?)だけはしっかり描き込んでるあたりに何かしらの信念を感じる。 さて、とりあえず今作における大きな設定はだいたい開示されたのだろうか。これまでちょっとずつ匂わせながらもだいたい解答を提出してるみたいな状態だった謎のエリア・九龍。その正体はもちろんまだ分かっていないが、どういう類の存在なのかは今回明確な客観視点をもって提示された。ざっくりいうと、「でっかいおばけ」である。 一応自分の理解のサポートのためにまとめておくと、「九龍」と言われて最初にイメージする巨大で雑多な九龍城はすでに何年も前に解体されていた。その跡地は現在単なる廃墟に成り果てており、普通の人からはその廃墟が見えるだけである。しかし、ジェネテラが何かをしたせいなのか、そんな廃墟の地に巨大な「九龍城の幽霊」とでもいうべき幻が定着。そこには在し日の九龍の面影がそのまま投射されており、「見える」人はその設備を使って普通に生活できる。そしてそんな九龍の面影の中には、かつて生きていた(?)人々の面影も含まれている可能性がある。 「見える」人には2種類あり、1つは「もともと九龍にいた人」に見える可能性。かつて蛇沼とよろしくやっていたグエン、そして我らが工藤さんあたりは「分かった上で、かつての九龍を知っていて見えている人」。そしてもう1つは「九龍の解体そのものを認識してない人」。現時点でこのカテゴリにはヨウメイしかエントリーしていないが、彼女の反応からして、現在の九龍にはこのカテゴリの仲間はあまりいないかもしれない。 ただ、ここからが問題なのだが、ここまでさまざまな状況で言及されてきた「ジルコニアン」だの「ジェネリック」だのと言われた複製たちがどういう存在なのかは、まだ定かではない。安易に考えると「九龍がコピーされたから当時の生活の中にあった住人もコピーされた」というのが自然なのだが、九龍の解体が1994年とのことなので、その当時鯨井Bが生活していたとはちょっと考えにくい(工藤の年齢などから考えて)。まぁ、「現在が西暦何年なのか」もよく分かってないので時間的な要素は検討の余地はあるのだが、工藤が鯨井Bと現在の鯨井ちゃんの間にそこまで気の遠くなるような時間を挟んでいるとも考えにくく、複製体の「元データ」がどこから提供されているのかはちょっと気になるところ。 工藤が鯨井Bと付き合っていた時代がそう遠くないと考えると、工藤が彼女と付き合っていたのがすでに現在の「複製九龍」だったと考えた方が辻褄は合うのか。何も知らずに複製九龍に迷い込んでお仕事を始めてしまった工藤は、複製体と知らずに鯨井Bと付き合うが、なんらかの事情で彼女が死亡。その後さらに「後発」の鯨井さんが生み出され現在に至ると。その方がわかりやすいかな? グエン、蛇沼あたりの関係性ももう少し絞り込む要素になりそうだし、オウ先生が色々と語ってくれれば話は早いのだが……。 怪談話じみた答え合わせが展開され始めたので、あとは解体される速度も上がっていくことだろう。とりあえず、「そういやふたなりっていうとどうしても女性っぽい竿役ばっかイメージするけど、ヤオイ穴がついてる男性もふたなりといえるのか……」ということを改めて気付かされたのが収穫です(何を収穫してるやら)。 人類には早すぎるアニメ、第6話。もう、ほんとにね。すでにいいとか悪いとか、面白いとかつまらないとか、そういう次元を超越している。視聴後に「今回はどんな感情を抱くのが正解だったんだろう……」と頭を抱えてしまう、そんなふとしたアポカリプス。 スペースファンタジックデカダントラブアクションファンシーコメディメロドラマ。何1つ削られず、この世界には余計なまでの追加要素が継ぎ足されていく。作中で経過した時間は400年。そりゃまぁ、人類の感覚で言えば何が起こっても不思議なじゃいくらいの長い長い時間が経過しているのだから、そこにどんな要素が増えていってもおかしくはないのだが、いうてアニメとしてはまだ6話。そんな中に盛り込まなきゃいけないことがどんだけ多いのだろう。今回は特殊オープニングでざっくりと切り上げて時間をまかない、30分でやっていい分量じゃないだけの謎ドラマがたっぷりと詰め込まれた。お腹いっぱいなのかどうかすら分からない。我々は食べ物を出されているのか、凶器を突き出されているのか。 冒頭、いきなり「さよならタヌキ一家」というとんでもない出だしから始まり、「あっれぇ? このタイミングでタヌキ退場させるの? しかもそんなあっさりと……」というびっくりを提供し(それよりもオープニングの方がビビったが)、「いや、大したことじゃないんだけどね」と秒で手のひら返し。まぁ、このくらいの扱いの方がタヌキらしいっちゃらしいのだが。ポン子がお仕事やめずにすんでよかったですが、果たして100年分のホテル代をどこからまかなったのだろう。まぁ、今後は一家も「お客さん」じゃなくて「ご近所さん」。こないだのウィスキー作り以降、ヤチヨさんとはそれなりにいい関係を作れているようだし、客という属性がなくなれば、よりフランクに付き合えるんじゃなかろうか。 そうしてやってきた次なるお客さんはなんと「惑星を滅ぼす者」。ポン子の呼び方だとハルマゲ、公式には「凶悪宇宙人」という名前でクレジットされているが、流石に可哀想なので「ハルマゲ」と呼ぶことにしよう。彼はSF的には割とよくある設定の「星の断罪者」であり、進みすぎた文明をリセットすることでそれ以上の悲劇を引き起こさないことを目的としている様子。彼なりの美学があるのだろうし、見方によっては「決して悪い奴ではない」と言えなくもないが、まー、過去の被害規模を考えたらどう考えても「極悪」には違いない。これまで地球を訪れた客の中でもトップクラスの問題児である。 しかし、最初はちゃっちゃと地球を滅ぼそうとしていた彼も、滅ぼすべき文明がすでに無いと言われたら話は変わってくる。一応は「ほんとに問題なく滅びたのかしら?」ってんで実情調査のためにしばらくホテルに逗留するつもりだったかもしれないが、途中からはとても理解が及ばないヤチヨさんへ純粋に興味をもったために滞在していた感がある。彼のポリシーからしたら、進みすぎた文明がアウトということは1つの物事にこだわって維持し続ける行為そのものが理解の及ばぬ事象かもしれないし、そうでなかったとしても、(我々視聴者目線でも)ヤチヨさんの「待つ姿勢」は常軌を逸しているのは事実。その真意が知りたいと思うのは自然な流れだろう。 そして、我々にも理解がおよばぬということは、やはりヤチヨさんの大願はハルマゲにも最後までよく分からない。「そうプログラムされているから」と飲み込めれば話は早いのだが、ヤチヨさんと触れ合い、対話を続けていくにつれ、彼女はものの道理が分からぬ愚か者ではないということも理解できるはず。厄介な客に誠意ある対応を示し、決してマニュアル通りではない接客を見せてくれる彼女の聡明さからすれば、流石に「人類は多分滅んでいるのだろう」ことを理解できないとはとても思えない。だからこそハルマゲは「寂しいのか」「虚しくはないのか」と問いかけるが、ヤチヨさんの答えはいつだって「分かりません」。だっていつか戻ってくる物を待っているだけなのだから。どこまでがプログラムで、どこまでが彼女の「心」なのか。それはまだ、我々が理解できる部分ではないのかもしれない。 結論が出ない問題も面白いものだ、ハルマゲは執念深い復讐者を軽く一蹴し、ホテルを「滅び」から守って再び宇宙へと旅立っていった。置き土産はヤチヨさんの大願の1つである温泉掘削。これでまたヤチヨさんの野望は一歩前進したわけだが、この前進が彼女の「終わり」への一歩なのか、それともハルマゲが望む(?)ような「滅ぼしたくなる文明」への一歩なのか。それもまだ、誰にも分かりません。ただ、少なくとも2人の関係は「恋」ではないのです。ポン子が勝手に1人で盛り上がっていただけの今回の顛末。それでもなお、「恋だね」と煽られると、我々はアンドロイドと末法宇宙人の関係性にすら、そういうものを見出してしまいそうになる。人間の心というのも不思議なものです。ただお湯が出るだけのアンドロイドの方が、よっぽど誠実ですね。 時間を稼ぐために今回はエンディングも特別仕様。なんとも切なく印象深いそのテーマソングの曲名は「アポカリプス」。いつかじっくりフルで聞いてみたい一曲。歌っているのはなんと朴璐美。「なんでここで?!」と思ったが、今回のハルマゲとの関係を思えば……納得? 作中にラブの要素がないので、せめてそっちで匂わせておきましょう。マイティ。
カサマツ篇、終結、第6話。なんかね、とりあえずこの辺のタイミングで「ちゃんと観てますよ」という表明と、やっぱりちょっとキュンときちゃうところもあったので節目の記事立て。 カサマツラストレース、ウマ娘アニメの歴史を振り返れば、別にそこまで劇的というわけではないレースなんだよ。まぁ、地方なのでどうしたって会場はショボくなるし、終わってみればオグリの独擅場なのでレース的な盛り上がりもそこまでびっくりするようなもんじゃない。ただ、今回のお話を見ていてふと気づいたのだが、今回のレースの動機づけってシリーズ全体を通して結構希少な展開だったんですよ。というのも、ウマ娘シリーズって「新時代の扉」に象徴されるように、ただひたすらウマ娘の本能が勝つために走るっていう大前提があるじゃないですか。今作においてもオグリから迸る野生のパワーとか、マーチの滲み出すような向上心なんかはこれ以上ない例示になっていて、相変わらず「本能と本能のぶつかり合い」のドラマになっている。いつも「単なるかけっこでどう盛り上げるか」と今作に対して問い続けているのも、このモチベーションの部分にすら大きな変化を起こすことができないことも要因だ。 しかし、今回のレースでオグリが戦ったのは対戦相手のマーチでもなければ自分の本能でもない。「勝てば中央・負ければ地方」という条件を出され、自分が愛したカサマツと、そして何より北原との別れを突きつけられたことによって、「勝ちたくない」という自己と戦うことになったのだ。「勝ちたいという本能の否定」は、少なくともアニメ3シリーズを見守ってきた中でも初めての展開である。いや、厳密に言えば我々の心に刺さりまくったライスシャワーの物語がやや近い構造にはなっているが、彼女は「世間の目」という吹き飛ばすべき「壁」が明確だったのに対し、今回のオグリは本当に「自分の都合」での葛藤なのが苦しい。 普通のレース漫画、いや、スポーツ漫画の枠でみれば「試合の盤外で何かしらの条件を突きつけられて苦悩する主人公」なんてのは話作りの基本中の基本だが、こと「ウマ娘」というシリーズにおいては、誰がなんと言おうと1位を取りたいというのが全員共通の目標すぎて、そこを揺るがせにはできなかったのである。 そんな「ウマ娘の基盤」を破ったのがまさかのオグリ。最も勝ちに貪欲で、余計なことを考えないタイプの主人公だと思われていたオグリが、まさかの「しがらみ」に悩まされてしまうというこの展開。これは別に良いとか悪いという話ではなくて、「そうかぁ、これが長期連載を必要とする連載漫画ならではの筋立てなのだなぁ」と妙に納得した次第。本家のソシャゲの方ではこうしたモチーフがどれだけ扱われてるかは知らんが、少なくとも原作漫画を読んだ時点ではその特異性に気づいていなかったので、此度の放送を見て、「既存作品との差」が認識できたのはちょっと面白かった。 まぁ、そんな話はどうでもよくて、とにかくオグリはみんなに背中を押されて中央に行く。大切な仲間、最大のライバルから託されたものをたくさん持って。オグリを引き止める要因でもあったマーチが、最終的に一番のオグリの力になってくれる展開はやっぱりアツい。マーチだけで切り取ると今回のドラマって本当に残酷なのだけど、それでも彼女は挫けないのよね。他方、ノルンはだいぶ挫けてる。こんなにも分かりやすい転げ百合もなかなかないので、なんとかこの先ノルンにも幸せな未来を与えてほしいですね。 |
カレンダー
ブログ内検索
リンク
最新記事
(06/07)
(06/06)
(06/05)
(06/04)
(06/04)
(06/03)
(06/03)
(06/03)
(06/02)
カテゴリー
プロフィール
HN:
Thraxi
性別:
男性
趣味:
声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
アーカイブ
|