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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 あっぱれな寂しさ、第10話。文芸部周りには本当にいい人ばっかりだよねぇ。というか、この作品世界において純然たる悪意とか害意を持ち合わせてるのって、どこぞのみたらし団子できゅるるんしてた女だけでは? まぁ、あれはあれで「悪」ではないのだろうが……。

 毎回楽しませてもらっている今作において、唯一不満があるとするなら「負け」という言葉を使っていることだ。これもまぁ、何回も書いている気がするが、今回の小鞠の経験を「負けた」よばわりするのは何か釈然としないのだ。彼女は確かにフラれた。そりゃ間違い無いし、先輩が気遣いで何と言ってくれたのかも分かりゃしないが、それでも彼女は立派に戦いを挑み、一定の戦果を得た。そこには一夏の貴重な経験もあるだろうし、部長とBL先輩という掛け替えのない仲間を得たのだ。こんな貴重な体験が、「負け」であるものか。

 ……まぁ、そんなもんは言葉遊びの範疇なので文句を言ってもしょうがないし、今作はそもそものコンセプトが「負けヒロイン」からスタートし、そんな彼女たちの人生をキラキラと美しく描くことが逆説的な目的になっているのだから、むしろ彼女たちを「負けた」と評することで得られるものも多いのだ。小鞠ちゃんの今後の人生も、引き続きたくさんの困難が待ち受けていることだろうが、今回以上に「負け」が怖いことなんてあるはずもない。きっと一皮剥けたヒロインは、次に「勝ち」を拾えるはずだ。……まぁ、いまだに知らない人とろくすっぽ話せないところは変わってないんだけど……。素敵な文化祭をありがとうございました。そしてそんな小鞠を支えてくれたぬっくん、端々に畜生めいた発言が混ざらなければ今回こそは正統派主人公っぽくあったんだけどね……これだけの触れ合いを通じて、小鞠の中で温水の存在ってどうなってるんでしょうね。

 今回が一応最後の一花ってんでやたらと滾っていたのはBL先輩。彼女には月之木先輩という立派な名前があるらしいのだが、今回のお話を見たらもうBL先輩で固定して問題ないと思われる。クソ野郎を自称し、卑怯者だったと自虐する先輩。ほんとに悪いやつならそんなこと言えないし、小鞠ちゃんがあんなふうに救われることもなかったんですよ。こいつはこいつで立派に「勝つ」権利を持った女性でしたね。あとはカーステレオの音量だけちょっと絞ってもらって。

 そんな先輩のせいで余計な属性を披露してしまったのがもう1人の勝ちヒロイン、朝雲さん。そっかー、腐女子かー。まぁ、あの見た目とあの声だとなんか納得するわー(風評被害)。一度朝雲×月之木でじっくり対談して欲しい気もするが、そうすると思考がアニマルタウンに飛んでしまいそうでちょっと怖い。こわくない、こわくない。

 そして文芸部室のあれこれなどどこ吹く風、負けも勝ちも全て薙ぎ倒す、マインドがどっちかっていうとウマ娘寄りなのが焼塩。こいつだけは「負けヒロイン呼ばわりされてるけど普通にモテる」っていう時点でだいぶ異質なんだよな。無意識系フラグクラッシャーも確かに負けカテゴリには入るのか。なんかこう……薄い本で一番輝けそうな属性だよね。

 さらにさらにどこ吹く風すぎて何してるかもよく分からなくなっているのが我らが八奈見杏菜。もうこいつが口の周りに何もつけずに登場するシーンはないのだろうか。作中トップレベルの下衆のくせして何もかもわかってる風に温水を教え導くのなんかムカつくな。いや、これも彼女なりの優しさなのだろうが……今作もぼちぼち終わりが近いと思うのだが、最終的にこの八奈見といい感じになって終わったりするんでしょうか。それもどうなんでしょうか。

 
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 アンドロイドは夢を見るか、第10話。一気に核心へと駆け込む展開、今回のコンテは加藤誠&あおきえいという、TROYCAの総力戦とでも言うべきお仕事ぶり。そんだけ思い入れのある作品なんだろうなぁ。

 VS須藤の決着は存外あっさりと。強制的に極限まで追い詰められた状況下で、アトリは自分が優先すべき行動のために全てを捨てた。そこに至るまでの葛藤は、もはや心であるかどうかを議論することすら不要であるように見える。ロボット三原則を無視した暴挙は敵側の狙い通りだったはずだが、アトリはそんな場所はとっくに通過している。スカッとバラエティのごとく容赦無くボコボコにした挙句、終わってみれば暴走ヒューマノイド側には(今のところ)お咎めなしという最良の結果に。まー、いくらなんでも相手側の無茶が過ぎたからな。

 結局、「アトリに心があるか否か」というのは外野からしてみれば些細な問題だったのだ。あると思えばあるだろうし、無いと思い込みたければいくらでも理由づけはできる。プログラムの果てに人間に手を上げたのだとしたらそれは人間の責任なのであるし、その先にある「心」を信じるなら、それはきっとなんらかの理由がある行動なのだ。単なるバグや暴走として処理するには、もはや機械と人間の関係性は進み過ぎている。

 そうして当座の問題は解決へといたり、あとはどこに着地点を見出すか。そして、これまではずっと夏生の方が「アトリの心の有無」に結論を出すべき物語なのだとばかり思っていたが、結局他者にとっての「心」はさほど大きなファクターではなかった。最後の最後に求められる結論、それは「アトリ自身にとっての心」である。数奇な人生を歩んできた高性能ヒューマノイドは、自分自身の行動の中に「心」を見出して良いものかどうか、数十年にもわたって悩み続けていた。周りの人間の反応をみれば、自分は心を持っている方がいいように思える。しかし、それが度を過ぎて「あまりにも人間らしい行動」に出た結果、前のマスターである椎菜にはバケモノ呼ばわりされた上で断絶してしまった。もちろん、周りの環境があまりに悪かったという不可避の要因があったのは事実だが、本当の高性能であれば、そんな窮地だって脱することができたかもしれない。大切な主人のために何もできなかったこと、それが長い間アトリの中で後悔の念として残り続け、「心を持つこと」への迷いにつながっていた。自分はプログラムで動く機械人形であるべきなのか、それとも、受け入れてもらえる新たな心を宿すべきなのか。そして何より、自分は「心がある」と思っていいものか。

 結局、“心”を規定する最大の要因は自認なのだろう。どこまでも深く自己へと潜り、そこに見出せる情動を認められるか否か。アトリはずっとそこに眼を向ける必要を理解しつつ、過去のメモリに蓋をしていたこともあり、どこまでもロボのラインを守り続けた。この度その一線を超えたことで、新たに客体としての自己を認識し、そこに心を見出すことを真剣に検討する必要が出てきたのだ。そして、規定を大きく後押ししてくれるのは当然他者視点での認識。もはや夏生は迷っていないし、周りの人たちも同じこと。「心を持ってもいい」、そう認められ、アトリは本当の意味で「高性能」になれたのかもしれない。

 ……それにしても水菜萌さんの達観はすごいな……アトリと夏生の関係性を見ても、一切動じずに全てを見通しているかのよう。この世界で一番器が大きいのは間違いなく水菜萌さんです。

 
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 「ビーエイチ」って発音しちゃうんだww第10話。いや、別にそれでもいいんだけどさ、今回のエピソード中、原作のセリフでは「BH」表記が2回あって、1回目のバッファローマンは「ブラックホール」って呼んでたから「まぁ、流石にそやろな」って思ったらそのすぐ後でスプリングの奴が「ビーエイチ」って呼んでるもんで、何が何やらよくわからんかった。もしかしてバッファローマンはまだちょっと気まずさが残ってるからあだ名呼びできない、みたいな演出なんでしょうかね。

 などとどうでもいい話題はさておき、今週の最大の見どころは何といっても悪魔超人軍のわちゃわちゃである。なんかよく分からない地下洞窟住まいの面々、あれほんとにどこなのか謎なんだけど、アトランティスの特訓とかもみんないっしょにやってたし、もしかして普段から集団生活してるんでしょうかね。アニメ化に際して惜しかったのは、尺の関係で悪魔マント(?)に関わるくだりが全カットだった部分で、1人1人が適当な理由をつけて完璧超人をターゲット指名していく台詞はなくなってしまった。まぁ、すげぇいい加減なことしか言ってなかったから切ってもいい部分ではあるんだが、特にカーメンの「クラッシュマニアの血を吸ってしまえという神のお告げ」は下ブレ感が尋常じゃないのでちょっと残しておいてほしかった気も。代わりに、ちょけるステカセさんのシーンは完全収録でほんとに可愛い。っていうかこいつらみんなして和気藹々とふざけ合ってる姿が全部可愛い。あれだけ冷酷に悪魔の使命として味方の犠牲を尊重していたスプリングマンが、この後の展開で最大級の友情パワーを発揮していくっていう展開を知っていると尚更である。あと、みんなして憎まれ口を叩きながらバッファローマンを補佐して盛り立てていく姿勢についても、この後の展開を知ってると「こいつらめっちゃ見る目あるやん……」って感動してしまうポイント。やっぱり付き合いが長い分だけ、バッファローマンがスペシャルであることを感じ取っていたということなのだろう。

 そんなバッファローマンに「全てを見ておけ」と託した魔雲天。残念ながらバッファローと武道の直接対決は叶わなかったので試合そのものを見せた意味はあんまり無いんだけど、バッファローマンが後々に始祖の欺瞞を見抜いて勝機につなげる展開に関わったといえば関わったのかもしれない。なるほど確かに大殊勲である。魔雲天って本筋での出番は割と少ない方の超人だったはずなのに、この短いエピソードだけでグッと好感度あげたよね。どこぞのマキマキとはエラい違いである。

 そうそう、今回の魔雲天の決めポーズのおかげで今更気づいたんだけど、グランドキャニオンでの試合、ナイトシーンになってましたね。思い返せばテムズ川も暗かったので、これってもしかしてキン肉マンのとんでもネタあるあるの「世界中から中継してるはずなのに時差が無い」っていうネタをきっちり回収して整合性をとった結果なのか。だとしたらアニメスタッフのこだわりすごいな。別にそこに矛盾があっても全然気にしないのだが……。大峡谷での対決がナイトシーンになったことで、この度の魔雲天の唯一とも言えるキメシーン、トップロープ上での宣誓が逆光に映えて格好良く仕上がっている。こうやって花を持たせてくれる演出いいよね。紹介ムービーでも「数々の超人を葬り去ってきた」とか紹介してくれたしね。我々熱心な読者でも「魔雲天が葬った超人」が誰なのかは全く知らないんですけどね。

 ちなみに魔雲天については「柔道超人」という部分にも割とツッコミが入ることが多いが、今回はアイキャッチのTIPSで「柔道から学んだチーム戦術」とか書かれちゃってるので「お、おう」と納得するしかない。今回に至るまで、あいつにチーム戦略の要素なんて1つもなかったやんけ、とか思わない。霊になって邪魔してたあたりが多分チーム戦略。ついでにTIPSからもうひとネタ拾っておくと、魔雲天ドロップといえばやはり「ペシャンコに」する技です。こちらはキン肉マン超人テーマソング、魔雲天のテーマ「地獄の山脈」の歌詞にも象徴的に登場するフレーズである。「ぺしゃんこ」っていう間抜けなワードも、宮内タカユキ歌唱でバシッと決めると格好良く聞こえるんだから不思議なもんだぜ。あ、ちなみに武道については「剣道超人」と言われていますが、同じく超人テーマソング「覆面の狩人」内の台詞によれば「武道、すなわち剣道柔道空手道など、あらゆる武芸に精通」しているらしいので、武道の概念は柔道超人の上位互換です。

 さぁ、第1ラウンドを終えて試合は次のフェイズへ。この度完璧第2陣のキャストも発表され、特にグリム=べーさんというあたりが話題になっていましたが、引き続き出し惜しみなしの良いキャスティングになってるんじゃないでしょうか。特にネメシス役の草尾毅については「そうきたかぁ!」というナイス采配。それにしても体が緑。

 
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 ハリネズミパペットかわいい、第11話。ちょっとほしいけど、可愛いパペットって意外と難しい。

 今週も相変わらずで色々と刺激の与え方を考えさせてくれる構成。話をざっくりまとめようとすると割と普通の「義妹」ものっぽくなりそうなんだけど、あの手この手でそれを印象的に伝えてくれる手練手管が素敵。

 Aパートは軽めに、三者面談のお話。これまでずっと家の中、特に暗い夕方や夜にばかり出番が多かった亜季子さんが珍しくお昼の日の光の中を歩いており、それだけで可愛い(露骨な中の人贔屓)。でも、今作における光の演出ってすげぇ分かりやすい含意があるから、亜季子さんがパッと昼の光の中に出てきたっていうのも、家族の関係性が進んだ証だとは思うんだけどね。

 三者面談というイベント、ぶっちゃけほとんど記憶にない。当方、高校時代は超優等生だったもんだから、確か秒で終わっちゃったんだよな。進路も迷ってなかったし(まぁ、まさかその後の人生でこんなに迷うとも思ってなかったが)。だからどのくらい真剣なイベントなのかもよく分からんのだが、多分悠太も似たような感覚だっただろう。「どんな進路でも大丈夫ですよお母さん」と言われ、それに対する返答で確実に亜季子さんからの好感度がアップ。ほんとによくできたお子さんで。高校のセンセってそういう家庭事情って全然把握してないもんなのかしら。そして沙季の方は絶対的な優等生とはいかなかったので一応三者面談で話すことはいくらかあったようだが、悠太の影響で確実に成績アップした沙季も結果的には希望的な評価を与えられ、自分の人生の進路を改めて考える機会になった。そしてその結果が後半パートのオープンキャンパスである。

 というわけでBパートは謎の大学教授編。これまでとは違って「1人で歩く沙季」を暗示させる内容で、そんな彼女の内面を掘り下げ、今後を考えるためにダイナミック変なキャラとして謎教授が投入される。世間的に大学の先生ってこういう変人ばっかりだと思われてるんだろうか。まぁ、当たらずといえども遠からずかも。ただ、今回のセンセはあまりに突飛な行動だったもんでちょっと受け入れるのが大変だったが。いや、変なのは教授の方じゃないんだよな。多分読売先輩が単にバイト先の後輩だからって悠太とか沙季のことを大学の指導教官にペラペラしゃべりすぎじゃね? というのが気になるんだ。倫理が専門ってことで、「義理の兄妹」なんて珍しい関係性に興味があったんでしょうかね……。そんでその先生が実際に沙季に会って、なんでそんなとっくりと話をしようと思ったのかも謎。模擬講義の前の忙しいタイミングで、初めてあった女子高生とあんな話をしようと思ったのはなんでなんでしょうね。

 まぁ、そこを悩んでも答えは出ないので、作品的な要請としては「この機会に改めて悠太のことを考えるきっかけにしろよ」というだけの装置だとは思うんですけどね。先生曰く、沙季が抱えている恋愛感情はもしかしたら環境が生み出した勘違いかもしれないよ、というお話。まぁ、そう言ってもらえた方が安心する場合もあるだろう。やはりどこかに禁忌を匂わせる関係については「違うよ」って言ってもらう方が楽な可能性が高い。もちろん「そんなこたぁない、これこそが真実の愛じゃ」と反発する可能性もあり、その辺はさすがの大学教授、どっちに転んでも沙季の精神的安寧を害さないようにアフターフォローも入れている。何が目的の先生かは分からなかったが、多分悪い人ではないのだろう。悪い奴がいるとしたら、勝手に個人情報を漏洩しまくっている読売先輩の方である。

 教授と対談している一室の描写も、例によって光の演出がさまざまに描かれる。興味深いのはハリネズミパペットの使い方で、登場時以降はとっとと手から外れて放置されていたが、沙季との対話の内容からして、「上から被って外見を作る」パペットは一時的に沙季の象徴として機能しており、そんなパペットがちょうど影の境目に入って日向と日陰で白黒に二分される構図は、今もまだ迷いを孕んでいることの表れ。沙季がどっちに振れるかは、案外先生も興味を持っている部分なのかもしれない。そして、この対話と並行して挿入されるのは予備校の実習室で勉強する悠太と、突発的種﨑ボイスで出てきたメガネちゃんの関係性。いつの間にやら昼飯を一緒に食べるまでの関係になった2人のシーンと、教授の部屋の沙季のシーンが対比的に挟み込まれ、沙季のシーンは右(上手)から光が差し、悠太のシーンは左(下手)から光が差している。舞台において「上手からの力」は何らかの介入、強制の含意。沙季は今回のオープンキャンパスの結果、何かしらの大きな力を受けていることが想起されるのに対し、悠太の方は下手からの光に支えらえるような安定、現状維持、停滞などを想起させている。別に2人の行動に良し悪しはないが、同じようにして「互いに違う道を進んで余計なことは意識しないようにしよう」と考える兄妹でも、そのモチベーションにはいくらか違いがある。

 そのことはいつもの通り、夜ご飯のリビングでも描かれている。毎度お馴染み「カウンターに置かれた花瓶」。今回も慎ましくその姿を見せているが、今回象徴的だったのは「悠太の後ろに隠れて半分しか見えない花」である。露骨に悠太が何らかの隠し事、後ろめたいことを抱えていることの暗喩になっており、「予備校の友達」が女性であることを沙季に話さず、2人きりでご飯を食べたことがどこか後ろめたいことが伝わってくる。いや、別になんも悪いことしてないし、悠太のモチベーションとしては全く正しいものなのだが……「悠太は公正だ」とは、以前も沙季に太鼓判を押されていた性質であった。そんな「公正」な悠太は、今の自分の立ち位置に正当性を感じているんだろうか。

 まっすぐな兄妹の進路、そこに本当に交わりはなくなるんでしょうか。

 
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 甘酸っぱくて綺麗極まりないお話だったのにオチが下衆汚ねぇの流石だ、第9話。この学校、しょっぴこうと思えば結構な数の犯罪者が見つかるんじゃなかろうか。

 頑張れ小鞠編、事実上の大団円だろうか。小鞠ちゃんが複雑なのは、自分が負けヒロインであることを完全に認めつつも、部長とBL先輩への恩義も絶対的なものなので関係を断ちたくないっていうジレンマがあるところ。まぁ、焼塩だって朝雲さんとマブダチになったように、フラれたからってそのカップルと絶縁する必要もないのだけど、小鞠の場合は先輩たちとは「卒業」という強制お別れイベントが待っており、別れたくないのにその関係性にけじめをつけなければならないという別な苦しさがある。もはや自分のことは忘れてもらったって構わない。2人の幸せを最優先して身を引いた自分の立ち位置はあくまで思い出の中だけでいいという甲斐甲斐しい決意。それを先輩たちもよく分かっているからこそ、距離が計れずに苦しむことになるのだ。思い合っているが故の優しい苦しさ。これが小鞠の人となりを一番よく表している。まぁ、あんな弟妹がいる時点で良い(善い)ご家庭なのは間違いないでしょうからね。彼女の唯一の負け要素って、そんだけ心根がいい奴だったのに何故か圧倒的陰キャになってしまったという部分だけ。小鞠の可愛さに気づく人類がもっと増えるといいですね。

 もちろん、一番気づいてあげられるポジションなのは温水であり、ちらほらと主人公的ムーブをかまして小鞠の好感度も上げているはずなのだが、この温水という男、「マケインの主人公」という厄介極まりない役柄を任されたが故に、正統派主人公として振り切れたお約束ムーブが取れないという面倒な制約を課されている。具体的には、小鞠があれだけ苦しんで「1人でやらなきゃ」と塞ぎ込んでいるというのに、温水は2人きりのシーンで面と向かって「俺たちに任せろ、俺たちは友達じゃないか」という定番の一言を切り出していないのである。最後には小鞠弟に無理やり背中を押される形でようやく「友達」というワードを絞り出す始末で、この男がもう少し真っ当な主人公体質だったら小鞠の苦労ももうちょい少なくて済んだとは思う(そしてその結果として小鞠が主人公に惚れるとこまでがテンプレ)。まぁ、そうならないからこそ、温水の周りには3人の負けヒロインたちが付かず離れずの距離感でうろうろしているのだろうけど。焼塩の鼠蹊部はもはや放送コード的にアウトなんじゃなかろうか。きちんと年相応の恋愛感情とかは持ち合わせているのに、何故か自分がエロいという認識が無く、羞恥心が足りてない焼塩、生物兵器かよ。

 小鞠ちゃんが頑張っているという合意のもとで集まった温水周りの最強パーティ。まさかの朝雲さんたちまでが参戦し、1日で準備できる限界突破したハイクオリティな展示室の構築を実現。高校の文化祭ってこんなにレベルの高いものが求められるもんだったっけ。また文化部でもないくせに綾野・朝雲ペアはこの展示を作るのにめっちゃ向いてる人材だったのはラッキーだったよな。まぁ、集合シーンにすら登場してなかったくせして一番大活躍してたのは妹ちゃんだった気もするが……妹の高性能っぷりが兄のダメっぷりをさらに際立たせているのがなんとも不憫である。

 そして、負けイン勢の中でもどこをどう活躍しているのかよく分からない八奈見杏奈という存在。今回彼女は温水のサポートという役割はそれなりにこなしていたし、決して無能ヒロインではないはずなのに何故か善行ポイントがなかなか加算されないという人徳をお持ちである。ツナマヨはまぁ、偉大かもしれないけども……それこそほんとにコンサルとして温水周りの人間関係をとろ火で加熱し続けるみたいな役割が一番しっくりくるのかもしれません。当人どうしでどういう感情を持ち合ってるかが未だはっきりしないけどさ。温水目線でもちゃんと「八奈見はまぁ、4Kではある」という事実は認めてるんだけどねぇ。

 今日のまとめ:保険医、どうやら作中で一番ヤバい(知ってた)。

 

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 心って、なんだろうね、第9話。ほんと、水菜萌さんはいちいち的確なことを言ってくれるなぁ……。

 というわけで、結局前回までで愚痴愚痴と考えてたようなことが堂々巡りである。アトリは間違いなくプログラムに従って動いている。そこに心は無さそうだし、実際、今回夏生からクリティカルな質問・命令を受けたらあっさりとこれまでのキャラを崩壊させた。「本当に心があると思っているのか」という質問と「心があるふりをするな」という命令。これだけであっさりと様子が変わってしまったことで、夏生が余計にショックを受けるのはしょうがない。自分で勝手にやったことなのにね。アトリのプログラム上の優先順位ってのも悩ましいところで、「主人の命に従え」がおそらく最上位コマンド。その下に「夏生が喜ぶことをせよ」などがあると思うのだが、例えば「本当に心があると思っているのか、YESNOで正直に答えよ」という質問が夏生から飛んできた際に、「主人の命に従え」が優先されれば答えはNOになる(実際そうなった)。しかし、もしここで「夏生が喜ぶことをせよ」が優先された場合、適当に嘘をついてYESと答えることだってありえたのだ。アトリがヒューマノイドのくせに嘘をつけるというのはこれまで散々示されてきたことである(まぁ、もしかしたらほんとにロケットパンチが撃てる可能性もあるが)。

 結局はプログラム。それは間違いなくその通りなのだが、しつこく言っている通り、今回の水菜萌の台詞に代表される「でもそれって人間と一緒じゃない?」もまた真理。相手の反応を見て、都度最適解を選んでいくという戦略性は人間どうしのコミュニケーションでも必須であり、そのオンオフの判断のどこまでが「理」でどこからが「情」なのかなんて簡単に割り切れるものではない。結局は「どれくらい理解が及ぶか」によってそれを振り分けていくしかないのだ。

 人と人との間には「情」のコミュニケーションが存在しているという前提、いやさ幻想。これは「自分は感情を有している」という前提と、「おそらく相手も同様に感情を有している」という前提から成り立っている。だからこそ相手を慮りもするし、想定と異なる反応が返ってくれば不和も生じるだろう。「想定している感情と異なる人間」なんてのは世の中にたくさんおり、わかりやすいところでは宗教的な思想の違いや生育環境の差から生じる文化の違いなど、「そんなこと思うわけがない」という誤った他者認識が世に溢れかえっている。それらの不和の種がありながら、それでも人と人とがコミュニケーションを取れると信じられるのは、どこかでヒトという種に共通の感情基盤が横たわっているという強固な前提があるためだ(往々にしてこれらの前提は犬猫のペットなどにも拡大するが)。転じて、「相手が人に造られたヒューマノイドである」という理解はこの前提構築を大きく阻害する。もしそのロボに積まれた思考回路がヒトと酷似していて「感情がある」と認定するに充分な機能を備えていたとしても、ただ1点、「それがロボである」という前提によって感情のコミュニケーションは成立しなくなる。今回夏生がぶつかった壁は、ただそれだけのもの。とはいえ、直感のレベルで軽々と乗り越えられる水菜萌のような人間の方が少ないのかもしれない。

 ぶっちゃけ、この問題は平行線だ。心なんてものは定義し放題でいくらでもその所在は変わりうるものなので、あとは夏生がどう自分に都合のいいように納得できるかというだけの話なのだろう。そこで一番手っ取り早い解決方法として、「とにかくもうヒューマノイドが憎くてしょうがない」という非常にわかりやすい(ある意味安易な)外部刺激が投入される。これにより、夏生はロボを忌避する感情を外において観察することになるのである。自分は目の前の男と同じ感情をアトリにぶつけていたと感じた時、その対象たるアトリをどのように見ることになるのか。まぁ、1つのお話としての落とし所は、この辺りが無難だろうなぁ。

 
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 確定演出アツい、第9話。やっぱアニメ版キン肉マンにとってシンボルとなるのは「キン肉マンGo Fight!」なんでしょうかね。個人的にはシリアス味が強い「炎のキン肉マン」の方がどっちかってぇと印象深い派です。そっちも是非どこかでリメイクしてほしいな。なんならセンセーションの方も。串田アキラが元気なうちにやれること全部やろうぜ。

 毎回きっちり原作3話分ずつ進行しているので今回も大きな改変などは無く進んでいるのだが、原作首っ引きで確認しながら視聴している身としては、今回が今までで一番細かい編集が多かった回かな、という気がする。ざっくり言うと台詞のカットがかなり多く、詰められるところをぎゅぎゅっと詰めまくった感じ。これは改めて原作を丁寧に読むと理由が分かって、今回展開された3話分、とにかく設定の説明が必要な話なので他のエピソードに比べて圧倒的にネームの量が多いのである。説明しなければいけない要素としてはまずは「ピークのトンデモな性質」について、そして「キン肉マンとカメハメの関係性」「カメハメがキン肉マンに伝えたこと」「その精神がなぜピークを凌駕したのかという理屈」「ピークと武道の関係性」「完璧超人の掟とピークの変心」と、丁寧に掬っていかないと訳のわからなくなる要素がてんこ盛りなのだ。そのどれか1つを完全に切り捨てるという措置がありえないため、それぞれの要素からちょこちょこ抜ける部分を抜いて軽量化を図っているのである。改めてこういうのを見て、「やっぱアニメの脚本家って難しい仕事だよなぁ」と尊敬の念を新たにする。いや、うまくいってる作品だからこそだけども。

 要素が多いのでいちいち全部は回収しないが、毎度のことながら過去エピソードでも切り捨てていい部分は容赦なく切っている。具体的には今回「ジェシーメイビア」という名前は1回も出てこない。まぁ、無くても問題ないのでしょうがない。一応そのために回想シーンのキン肉マンがカメハメに言った文句が「お前の代理でジェシーメイビアと戦ってやるのに」みたいな内容から「お前の技を受け継いでやるというのに」とだいぶ恩着せがましくなってる部分だけがちょっと気になったくらいか。まー、ここで「カメハメが1度ハワイ王者を譲り渡した」みたいな面倒な説明いれてられないしな。

 他には、バッファローマンの「こうして私はキン肉バスター返しを誕生させました」みたいな丁寧な解説もカット。これも画面を見てれば不必要な要素なので問題ないし、当然風林火山の歴史の説明なんかも、そもそも「あんま覚えてる人はいないだろうけど!」って言ってるくらいだから端折ってもいいだろう。まぁ、原作読んでる時は「確かに、風林火山ってアニメでめっちゃ使ってた印象あるけど、原作だと出てきたの1回だけなんだよなぁ」ってしみじみしたので、その辺の要素が響く人からしたら残念な修正かもしれないが。でも、そんな「アニメ版の象徴たる風林火山」にメインテーマ重ねるのはやっぱアツいのでナイスな演出でしたよ。地味に、技の説明にその後カメハメが捕捉してくれた「それぞれの技にどんな意味があるのか」を織り交ぜてくれた改変も○。そして何より、カメハメの声で風林火山の文言を詠唱してくれたのが◎。もう、我々にとっての最大級のご褒美でした。ありがとうございます。

 こうしてきっちり主人公の帰還を印象付けてくれたマッチメイクは素直にとても良いものだったと思う。キン肉マンにおける超人レスリングって、作中でキン肉マンも言うようにどんどんド派手なオリジナルホールドの応酬になってジャンプ的な能力バトル感が強くなっていくと思うのだが、根っからのプロレスファンであるゆでたまごはそれをあんまり良しとしてなかったきらいがあるのよね。その揺り戻しが「2世」で露骨に出てきて、2世の時代って、現実のプロレスの流行り廃りもあるのかもしれないけど、やたら渋いグラウンドでねちっこく展開する試合描写が多かった。画力の向上もあってそれでも作品としては成立してたんだけど、やっぱ活劇漫画としてどうしても地味なところがあって、2世の頃の間延びした雰囲気は試行錯誤の過程だった気がしている。そしてこの新シリーズ。キン肉マンという象徴を使って「渋い技も見せたい」という主張を声高に叫びつつ、それをしっかりギミック超人の打開策として意味を持たせ、ドラマを膨らませているストーリーテリングが実に綺麗。「ゆで、やれば出来るやん」と本当に感心したものだが、まぁ、有能すぎる若手編集のアイディアがどれくらい関わってるのかは不明。なんにせよ、この辺のバトル展開、シナリオ展開で新シリーズキン肉マンがその支持を磐石のものにしたのは間違い無いだろう。

 こういう話をすると2世を馬鹿にしてるように見えてしまうが(まぁ、実際その傾向は否めないが……)、別に2世も嫌いじゃなかったんですよ? いろんなテイストをまるっと飲み込んで、老境にいたり完成したキン肉マンが今のシリーズ、それでいいじゃないですか。だから、次の確実に消化試合にしか見えない魔雲天の試合だってちゃんとフックがあるんですよ。たとえ「まぁ、こんだけ男気を見せた魔雲天も、十数年後には可愛いオーバーオール着込んでトラックで息子の部活の送迎してくれる子煩悩なパパになるんだけどな」とか思っちゃってもね。あれはあれでいいエピソードだ。

 
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 そういや先週で沙季さんも私のツボである「作中でヘアスタイルが変わるヒロイン」になってましたね、第10話。髪の毛を無造作風にいじってる感じが少ない筆数でちゃんと表現できてるキャラデザは偉いと思う。

 あいもかわらずじっとりしっとり進むお話。そして毎回なんとも不思議な構図が多くてどうしても画面に見入ってしまう。変な言い方になるけど、ほんとに度胸のある画作りだ。とても理にかなってる部分もあるし、大胆に視聴者に委ねて余白を残している部分もあるし。ほんとにきちっと考えてるスタッフが作ってるんだろうなぁ。

 まぁ、ここまで10話も積み重ねてきた作風なので今更追加で何か語るべきこともないかとは思うし、そもそも語られるほど方法論についてのまとまった見解もないのだけど、やっぱりどうしても目を惹かれてしまうのは、兄妹をはじめとした家族の交流の中心地として描かれるリビングの風景。今回は特に兄と妹だけではなく、そこに「母」と「父」も絡んだおかげでその重要度はいや増している。今までずっと「ママン」とか「うえしゃま」としか言ってなかったキャラだが、ちゃんと「亜季子さん」「太一」と名前で認識してやる必要があるかもしれない(今更)。

 最大の焦点となったのは、母・亜季子さんと三者面談の絡み。父・太一が忙しいらしく、沙季の分も悠太の分もどっちも保護者として参加しようってことなのだが、学校での2人の立場を考えての気遣いがとても甲斐甲斐しい。悠太たちからしたら「そんなん気にせんでもいいのに」だけど、その辺りが親世代と少年少女の認識の違いでもありますね。そしてそんな案件から「母と息子」の距離感を定めていくというのが今回のお話。

 そして、そんな対話が発生するのは当然リビングなのである。今回もやたらと存在感を放つ位置に置かれているのは、以前も言及したカウンターの上の花瓶である。ここ最近ちょっと認識してなかったことを考えると(確認してないけど)多分最近はあそこに花がないこともあったんじゃなかろうか。その花がまた強調されるようなライティングで画面の端に戻ってきており、母と娘の対話をじっと見守っている。ここでの花の存在感は、おそらく生けた本人であろう、亜季子さんの存在を示唆しているように見える。ここでは「母」に当たったスポットがそこから派生するあれこれを暗示させており、娘との対話では当然微動だにすることなく、同じ灯りの中におさまっている。しかし、こと悠太との対話となるとまだ構図が不安定なのか、画面の中を花が移動していたり、そもそも部屋の外からの超遠景の静止アングルで切り取っているので花自体が見えない画角だったりする。亜季子さんの出勤前のシーンは悠太との位置関係が「手前」と「奥」になるカットがあり、画面上では重なり合っているかのようにも見えているのだが、周りの灯りは暗く、2人の距離・すれ違いみたいなものがまだ印象に残る描き方。これは同じようにバイトに出ようとした沙季の時の描写と対比するとわかりやすい。

 また、悠太の作った晩ごはんを沙季と2人で食べたシーンも興味深い。このシーンでは当然カウンターの上の花も見えているのだが、2人の食事が終わり、肩を並べて後片付けを始めるシーンになると、それまで色彩豊かに画面内で存在感を放っていた花がスッと消えてなくなる。まぁ、未だ間取りがよくわかってないので「映ってない画角」なのかもしれないが、その場合でも意図的に花の存在を画面から消していることになる。上述の通り、花の存在感が(少なくともあの夜は)亜季子さんの存在を含意するとしたら、皿洗いシーンにおいては親の存在などかき消えた、完全に「2人の関係性」に言及していることの示唆ととることができる。……2人とも、いつどうやって親御さんに相談するんでしょうね。

 他にも、次の夜に今度は「娘と父」の2人での食卓になった時にもやたら遠景でとって「この2人の関係はどんな距離感なんだ!」とヤキモキさせられるし、不思議な距離感が続くこの4人家族の内実が、何気ない描写からしっかりと刺激を持って伝えられている。なんかもう、ずっとこのままこの家の壁として行末を見守りたいですね。

 
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 奇跡的な偶然、第10話。いや、ほんとそれが言いたかっただけなんで特に中身のない話なんですが……。

 いや、でもやっぱこの上田麗奈絶賛応援ブログ民からすると今回の事件は神がかった何者かの意思を感じてしまう出来事ですよ。視聴してた皆さんもそう思いませんでしたか? それともこれって単なる声ヲタの悪い病気? まぁ、ゆっくり療養してもろて……。

 なんのことやら分からない方のために説明しておくと、今回のお話は赤猫の店員、ハナの元飼い主が店に押しかけてよりを戻そうとする話なんですよ。そんで、その元飼い主のCVが上田麗奈だったってだけの話なんですが、ハナちゃんはスマートでキュートでプリティーな白猫なんですよ。元は長毛種なんだけど、ラーメン屋で働く都合上短く刈っているので見た目はまぁ、普通の猫。お腹にあるハートマークの模様が特徴。

 ……お分かりですね? 設定があまりに猫屋敷だったんです。しかもハナちゃんは元々ネットでアイドル猫として活躍してたということで、2人は「インフルエンサー」だったわけですね。もちろん、どちらの場合も猫が人語を解するのは当たり前のこと。まとめると、「CV上田麗奈の人物が真っ白でキュートな猫を飼っていて、その子は人間の言葉を話すネットアイドル。チャームポイントはハート型の模様。お互いのことを思い合って、本音を伝え合うまでは距離感が難しかった」と。ここまで設定が合致するというのは、これはもう奇跡というしかないのではなかろうか。まぁ、1クールに1、2回くらい奇跡が起こってる気がするけど……。

 ちなみに、ハナちゃんと飼い猫のヨーコは思いのすれ違いから別れ別れにはなってしまったけど、そんな様子を見たからこそ、ユキまゆには末長くにゃんだふるでいて欲しいという思いを一層強くしました。結局これ、にゃんぷりの感想では?

 
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