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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 ネット考察の力を感じずにはいられない第8話。そんなに熱心に見回っているつもりはないのだが、今回回収されたネタの7割はネット上のシナリオ考察で予測されていた気がする。もちろん、その上で衝撃度が下がらないのがこの作品の恐ろしいところだが。

 実に様々な事件が巻き起こった今回。敢えて一言でその本筋をまとめるなら、「光と影の分離」ということになるだろうか。次第に闇が溶け込んでいくソウルジェムのように、これまでたゆたっていたこの世界の善と悪は、今回をもって言い逃れ出来ない段階まで分化された。具体的には、「キュゥべえ軍VSほむら軍」の分化だ。ほむらの最大の目的であるまどかの存在がクローズアップされ、それに伴ってキュゥべえの正体が(一部とはいえ)明らかになった。Incubator(保育器)たるキュゥべえの目的である魔女の育成の結果、さやかは最悪の結末へとたどり着き、さやかの安否を気遣っていた杏子は避けられない流れに巻き込まれて現実を目の当たりにする。一人一人の価値観に揺さぶられた少女達は、結局行くところまで行ってしまった。

 今回最大のトピックスとなったのは、やはりさやかの末路だろう。必死で差し伸べられたまどかの手をふりほどいてしまったことを契機に、彼女はほむらの最終警告を遮断し、杏子の救いも受け入れることが出来なかった。前回確認した「利他」と「利己」に揺れた彼女の孤独な戦いも、次第に穢れていくソウルジェムに浸食され、硝子細工のごとき決意は些細な衝撃で容易く砕けてしまう。「利他」とは、心を砕くべき「他」が存在してこそ成立する理念。彼女が信じるべき「世界」そのものの価値が崩壊すれば、彼女の理念は維持出来なくなり、それはつまり、支えを失った魔法少女としての存在意義も否定されることになる。「魔法」の「少女」であった魂の亡骸は、彼女の懊悩を取り込み、見事な「魔女」としての孵化を果たした。

 「魔女の保育器(Incubator)」。それがキュゥべえの本当の姿であった。これまで何度となく言及されてきたあまりに残酷で心ない契約の様子も、ゴールが災厄の象徴たる「魔女」であるなら、不思議でもなんでもない。キュゥべえは「奇跡」という安価な代償を先払いすることにより、膨大な魔力を有する魔女を生み出すためのコーディネーターであったわけだ。いつも通りのセールストークでまどかを手にかけようとしたキュゥべえは強硬手段に出たほむらに狙撃され、まるでチーズのごとく穴だらけになるが、「替わりの素体」がすぐに現れ、用済みになった「使用済みケース」を「回収」していた。あくまで、地上をうろつく白い獣は各所の「種」に繋がるルーター基地のようなもの。その本体は、保育器としての概念そのものといえるのかもしれない。

 そんなキュゥべえに対抗しようと必死の活動を続けるほむら。さやかの魔女化を阻止しようと強硬手段に出たり、まどかの契約を阻止するために実力行使に出たり、今回はかなり切羽詰まった様子がうかがえる。そして、達観して奇妙な洞察力を手にしたさやかに、その心中を看破され、さらに直接攻撃に出たことで仇敵であるキュゥべえにも能力の一端を掴まれてしまった。これまで情報戦においてはかろうじてリードしてきたほむらだったが、ジワジワと窮地に追い込まれているようである。

 さやかの見抜いたほむらの本質、それは、まどかを守るというたった1つの彼女の意志である。まどかさえ守れるならばその親友を手にかけることも厭わないし、多少の傷も恐れることはない。常に防壁を張ったような空虚な彼女の言動も、たった1つの目的を隠匿するためのペルソナである。たが、キュゥべえの強攻策を阻止するため、そんな彼女の防壁にも綻びが見え始めた。さやかに「空っぽの言葉」と指摘された彼女の行動だったが、まどかの説得の時には全てが剥がれ落ちてしまっている。彼女にとってはまどかが全てであり、最大の弱点。それを看過されてしまったことで、いよいよキュゥべえとの関係性に変化が現れるかもしれない。

 はっきりと別たれた「光」と「闇」。そんな展開を示唆するかのように、今回の構成では「光と闇」というモチーフが印象的な構図で多用される。分かりやすい部分ではいちいち「闇から光へ現れ、闇へと帰る」ことを徹底したキュゥべえの移動シーンが上げられるし、ほぼ暗闇の中だけで活動を続けていたさやかの心象風景もその一部。さやかが光に照らされたのは、最後の望みであるほむらの説得を受けるシーンだ。ほむらの背後から照らすスポットが、ギリギリのラインでさやかを捕らえている。しかし、その光も杏子の乱入で消え去ってしまった。その後、彼女には二度と光が当たらない。電車の中で男2人に詰め寄る彼女の「真っ黒な」姿は、彼女が人として見せた最後の姿としてはあまりに切ないものがある。車窓の外に流れる風景、きしみを上げる車輪。本来なら明るいはずの電車の中の風景が、暴走の果てに行き着いた彼女の最期を演出するラストステージになってしまった。

 対照的に、たとえ夜のシーンであっても常に光の中にあり続けるのがまどかだ。たった1人だけ、ほむらの「本当の声」を聞くことが出来る少女まどか。未だ蚊帳の外に置かれ続ける彼女だが、さやかが失われ、ほむらも策を失いつつある現状、彼女に残された未来は一体どんなものなのだろう。終わらない絶望の続きは、まだまだネットの住民の予想の範囲に収まるものなのだろうか。

 今回は久し振りに蛇足で中の人のことも少し。どうにもたまらん迫力を叩きつけてくれるのは、さやかの中の人、喜多村英梨だ。今回はほむらとの対話の時の空虚な感情とか、電車のシーンの鬼気迫る台詞なんかは彼女の真骨頂。サブタイトルにもなった最期の台詞「あたしって、ほんとバカ」は涙無しでは聞けない台詞になっている。これが出来るからこそのキタエリだ。そして、対抗するのはほむら役の斎藤千和。正直言うと、これまでのほむらの声、抑え気味の演技はどこか虚ろで、釈然としないものがあった。戦場ヶ原ひたぎとかと同じトーンではあるのだが、ひたぎの時と違い、「クール」ではなく「空虚」だったのが気になっていたのだ。だが、それがほむらというキャラクターの本質であることが明らかにされて、ものすごく納得した。おかげで、今回まどかにすがりついた時の彼女の慟哭との対比が素晴らしかった。

 あとはキュゥべえの中の人、加藤英美里ですかね。キュゥべえを演じるっていうのはどういう気持ちなのかは想像も出来ないが、これだけフラットな「悪役」を貫くというのは、前例が無いだけに難度が高そう。自分の「肉」を食べ終わった後にゲップするみたいに「きゅべぃ〜」っていうのがやたら可笑しかったけどな。あれがアドリブなら笑える。

 折角なのでこのブログオリジナル要素としてMTGのカードの中に「インキュベーター」が無いかと思って確認したら、「ウルザの保育器(UDS)」と「マイアの保育器(MRD)」がヒットしました。後者の方は凶悪さとかではキュゥべえに近いと言えなくもない。嘘だけど。

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 完全にさやかが主役、第7話。そこまで画面に動きが大きく出ているわけではないのに、今回もあらゆる場面から怒濤の展開てんこ盛り。「食い入るように見る」というのはこの作品のためにある言葉。

 1つずつ処理していこう。アバンは、ストップ安がまだ止まらない、外道の中の外道キュゥべえさんによる商売の心得だ。「聞かれなかったから答えなかった」「私がやってなかったらあなたはこんな危険な状態になっていた」「ガタガタ言うなら痛みで黙らせる」など、ヤクザもんもびっくりの脅迫商売。いわば「面倒みたったんやから身体売らんかい」ってことだものなぁ。その一方的な物言いに、強気なさやかも完全に挫けてしまう。

 そして、そんな外道の所業を知っていながらも黙って見守っていたほむらさんと、彼女の態度にちょいと裏切られた気分のまどかさん。最初のうちはマスコット扱いだったキュゥべえも、気づけば「あいつ」呼ばわりですよ。「人間の価値観が通用しない生き物」ですよ。「どうしてこんなひどいことするの?」と言われる段になって、もう絶対にまどかとは相容れない気もする。

 ただし、この言い合いにおいて、ほむらが冷静にキュゥべえ側の主張を踏襲しているのは見るべき点だろう。「奇跡は、人の命でもあがなえるものではない」とは、確かに事実であるし、そういう見方もあるだろう。そしてキュゥべえ側の主張はこの1点にのみ集約されている。「願いを叶える奇跡と、魔法少女になる奇跡。同じ奇跡ならばその出入りは等価である」と。我々人類は、魔法というもののコストパフォーマンスに幻想を抱きすぎているきらいがあるわけだ。

 もちろん、そんな「理屈」で納得出来るほど少女達も強くはない。どうにかさやかの心の穴を埋めようと、再び傾きかけるまどかの気持ち。しかし、ほむらはその一点においては頑なだ。「感謝と責任を混同しては駄目」とは、酷であるが真実でもあろう。まどかの行いは、「自分で出来る範囲のこと」で奇跡を埋め合わせようとする、「出過ぎた真似」でしかないのだ。彼女の主張は、常に正しい。

 もう1つの議論が巻き起こったのは、犬猿の仲だと思われたさやかと杏子。前回同時に認めがたい事実を突きつけられた2人の魔法少女は、あまりに違いすぎるスタンスを正面からぶつけ合うことで、理解と対立を深める。

 「先輩」の杏子は、ソウルジェムを巡る一件を突きつけられても、立ち直りが早い。おそらくこれは、過去に同様の過酷な運命を戦い抜いてきたが故の経験値の差であろう。「やってしまったこと」はどうしようもないわけで、あとはそれを埋め合わせるべく、自分に利するように世界を生き抜くだけだ。そのためには他者の犠牲もある程度は容認するだろうし、世界から逸脱してしまった魔法少女の特殊性を飲み込めば、多少倫理に外れたとしても受け入れるべき。あくまで利己にこだわれば、受益も被害も、全てが「自業自得」。言うのは容易いが、なかなかたどり着くのは大変そうなテーゼである。

 他方、そんな杏子の生い立ちと誘いを聞いても、さやかの信念は踏みとどまった。「やってしまったこと」はどうしようもない。その部分においては、杏子の励ましを受けて立ち直れた部分であろうし、時間をかけて少しずつ回復した部分だろう。そして、その先に見た信念は、杏子と異なる「利他」の精神。自分が魔法少女になったのが「自業自得」であるならば、それによって変質した世界の責任を、他者に押しつけることはフェアではない。変わりゆく世界も、自らの生き様も、全て一人で飲み込んだ上で、手にした力で何とか改善していく。実に前向きで、正しい方向性といえるだろう。

 2人の魔法少女は決別し、お互いの存在を理解しきらないままに次のフェーズを迎える。何とか自己の復旧に務めたさやかに、さらなる試練が覆い被さってきたのだ。遠因とはいえ、自分を魔法少女にする原因を作り上げた友人、仁美。彼女が、さやかのたった1つの願いであった上條恭介に対する気持ちを打ち明けてきた。この仁美の行動には、言ってしまえば責任も咎も無い。あくまで彼女は自分の気持ちに正直に行動したのだし、中学生のメンタリティを考えれば、幼馴染みのさやかに話して義理を立てたことも、立派とすらいえる行動である。そして、仁美にそんな行動をおこさせたきっかけは上條の復学、つまりはさやかの願いの成就であった。

 さやかの「願いが変質させた世界」が、さらに彼女を苦しめる。ひたすらに「利他」のために動いてきたと信じ続けた彼女が、一瞬でも仁美を救ったことを後悔したと吐露する。それはつまり、上條の回復という願いに、これ以上ない利己の精神が内在していたことを示す最大の証拠である。利己の象徴たる杏子と決別して意志を固めたにも関わらず、わずかな期間でそれが瓦解してしまったのだ。そして、そこまでを認めた上で、未だ彼女は上條に対して具体的なアクションを起こすことが出来ないでいる。何も言わずに退院した上條。明日になれば行動を起こすといった仁美。全ての環境が、彼女の「利他」の精神を苦しめる。

 そして彼女は、自分に嘘をつき続けるために、「魔法少女」という真実を突き詰める選択をしてしまった。「自分は、自らの幸せが欲しかったから上條の回復を願ったのではない」という幻想を現実にするために、無理矢理「魔法少女になること」に価値を付加してしまった。典型的な代替行為は、対岸から彼女を見守り続けるまどかや、根源的なレゾンデートルを別った杏子の目にも異様に映る。何しろ、彼女の願う「価値」には、終わりがないのだから。

 今回のエピソードは、「後悔」という言葉が要所要所で重要な役割を果たす。杏子が歩きながらさやかに聞かせた言葉は、「すべてが自業自得なら、後悔なんてあるはずがない」。このフレーズはご存じの通りに5話のサブタイトルにもなっている、さやかが変身直後に語ったものである。「利他目的を果たすことが出来たのだから、後悔なんてあるはずない」と答えたさやかと、「利己の追究が出来れば、後悔なんてあるはずがない」と勧める杏子。彼女は続けて「これ以上後悔するような生き方を続けるべきじゃない」とも訓告している。しかし、さやかはあくまで「後悔なんてしない」と決意を語るのである。2人の信念が明確に違うことが分かる部分だ。

 そして、この「後悔」というフレーズは、さやかと対面した仁美の口からも出てきている。さやかが魔法少女というファクターと対峙する姿勢については、我々視聴者はその真偽を判断することは出来ない。彼女が「後悔しない」と言っていることは、ただの強がりかもしれないし、心の底から出た言葉かもしれない。しかし、こと上條との関係については、彼女の嘘は明示的である。上條との関係を濁すさやかに対し、仁美は「もう自分に嘘は付かない」と明言している。どっちつかずでぐずぐずしているさやかとの対比である。そして、そんな仁美が「さやかさんは後悔しないように決めて下さい」と進言しているのである。ここでも登場した「後悔」という語が、最終的にはさやかの欺瞞を脆くも打ち崩してしまったわけだ。彼女は後悔した。仁美を救ったことを後悔した。そして、その後悔したことを後悔した。もう、どうにも止まらない負のスパイラルである。

 そして、この負の連鎖の根幹には、「魔法少女という契約をしてしまった」という事実があるわけだ。そして始めに戻る。キュゥべえの悪辣さに。つまり、奴が動き続ける限りは、この連鎖はまだ止まらない。

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 色々衝撃的だったのに、後番組の「Rio」のせいであんまり残ってない第6話。もうね、このサブタイトルは「Rio」の方にふさわしいと思いますよ。おかしいとかいう次元じゃねぇけど。

 さておき、今回は魔女も使い魔も登場せず、純粋に魔法少女どうしの対人関係のみが描かれるという、一応シリーズ初の構成になっている。ただ、この状態でも普段からの殺伐とした空気が一向に緩和されず、むしろ根深いものにすらなってしまうのがこの作品の恐ろしいところ。そして、そんな絶望的な状況を作り出しているのは、全てあの白い悪魔なのである。放送開始当初は「みんな、いくらなんでも穿った見方をしすぎだろう。腐っても魔法少女もののマスコットキャラなんだから、最終的にはすごく大きな目標を持った良い奴なんだよ」とか思ってたんだが、最近はその悪辣さを隠そうともしないな。

 「人間は分からないなー」みたいなことを平気で言いやがるが、依頼を出す側なんだから先方のデータくらい調べておけよ。「何にせよ、彼女が何かを企んでいるのは確かだ」じゃねぇよ。お前だお前。穢れたシードを回収って、最終的にお前が穢れの集合体になる姿しか思いつかねぇだろうが。もしくは魂をジェムに閉じ込めて食べやすくなった魔法少女でも吸収するのか。さやか絡みでどんどんまどかに対する外堀を埋めようとするのもえげつない。

 ディープな分析は他の場所で色んな人がやってる人がいるので、あくまで個人的に印象に残ったシーンをピックアップしていこう。今回はイヌカレー空間が発動せず(代わりにDDRの画面内で暴れてたけどな)、アクション面での演出はほぼ無い状態。さやかのジェムを回収しに駆けるほむらがちょっと特殊な動きを見せていたが、その他にはあまり印象的なパートがない。そんな中でちょっと気になったのは、冒頭のシーンで杏子が戦闘を避けて退場するカット。独特な形状の武器を使って跳躍する姿がなかなか格好良くて、魔法少女の特殊な身体性を確認することが出来る。

 イデオロギーの差がどんどん拡大していくことが分かるさやかとまどかの口論のシーンも、次第に荒廃していくさやかの精神性が救われなくて辛い。確かにまどかが言っていることは甘っちょろいし、実際に命を賭けていない人間の戯言であるのは事実。しかし、魔法少女と戦うことが本懐でないことくらいは、さやかも冷静なら判断出来るはず。それが出来なくなっているのは、着実にキュゥべえがさやかを追い込み、「洗脳」しているせいである。改めてさやかの主張を確認すると、マミの存在がすっかり彼女の中で偶像となって認識をゆがめてしまっていることも分かる。こうなると、あの悲壮なマミの死すら、キュゥべえの策略だったのではないかとすら思えてしまう。「キュゥべえも何か言ってよ」とのまどかの懇願に対し、キュゥべえは思いっきり話題をねじ曲げて訳の分からない返答をしている。本当に、パニック状態に持っていって顧客を追い込む手管に長けているようにしかみえない。

 混乱するまどかが、夜のリビングで母親と語らうシーンは、個人的には今回のベストショット。あまりに理解力のありすぎるお袋さんの男前っぷりには頭が下がる。一体どんな人生を歩んできたら、こんな達観を持つ立派な母親になれるものだろうか。ただ、流石に大人の美学はまどかには難しすぎたのかもしれず、言ってることが乱暴なのは間違い無いので、扱いの難しいアドバイスだったのは確かだ。ただ、個人的には中の人が透けて見えるせいか過激さばかりが際立ったアドバイスにも聞こえたけどな。「はやく大人になって、ゴトゥーザ様とお酒飲んでみたいな」って、あおちゃん、それはアカンと思う。その人はアニメと違ってウィスキーをロックじゃなくてストレートで飲む奴だ。あ、茶々入れてすみません。珍しくハートフルなシーンだったので余計に感じ入ってしまいました。

 そして、地味に衝撃度が強いシーン「上條の退院」。何気なく描かれてたけど、今週一番ショッキングなのがここだった気がする。どれだけの献身を施しても、結局さやかは報われていないという……ひどい話。杏子が「上條をボロボロにしてやろうか」って提案したおかげで「元気になった上條」というだけで対比的に幸せな気もするが、さやかの心情を思えば、「勝手に自宅に帰った上條」って、これ以上救いようのない状況は無いと思うのだが。すさみきったさやかが杏子の提案を飲み込んじゃう可能性すら無視できないレベル。

 そして、あのラスト展開へ。血みどろの争いをするのかと思ったさやかと杏子だったが、白い悪魔の前では等しく被害者でしかなかったために、対決はなんだかなあなあに。ジェムこそ命、ジェムこそ本体。それが魔法少女としての契約。さっさと説明すりゃいいのに、キュゥべえが最初に吐いた台詞が「友達を放り投げるなんて」。もう、開いた口がふさがりませんよ。っつうか、契約時にまず説明しろよ。そこ説明しない契約とか、クーリングオフ効くんじゃないか? 一応キュゥべえの言ってることも一理あるっちゃあるが……

 

 さて、ここからどういう展開になるんでしょうか。今回の一件で、さやかと杏子の因縁もなんだか尻すぼみ。少なくとも即死イベントは避けられたように見える。そして、こんな現状を叩きつけられたらまどかの契約イベントなんて夢のまた夢だ。キーワードとなるのはほむらが仄めかしていた「ワルプルギスの夜」だろうか。強大な魔女の来襲イベントみたいなものだろうが、ほむらも杏子も、そこなら協力体制が敷ける……のか? もう、何も信用できない状態だから静観するしかないんですけどね。

 どうでも良すぎる余談だが、「ワルプルギスの夜」は同じくシャフト制作の「ダンスインザヴァンパイアバンド」でもサブタイトルとして登場している。千和とあおちゃんは、1年で2回も同じスタジオのアニメでこの名前に触れているわけだ。だからどうしたってこともないけどさ。

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 史上最も禍々しい契約シーン、第5話。その耳(?)は何? その手つきは何? キュゥべえの勧誘の強引さも目に余るし……もう、幸せな結末なんてありゃしないの?

 改めて語られるさやかの契約。冒頭、夕日に照らされた契約シーンは、ビルの屋上に伸びきった二人の影が余計な不安感をあおり立てる。どこかの考察で「キュゥべえ」=「魔性の者、九尾の狐」という推論を見たことがあるのだが、妙な形の観葉植物を背負って契約を施したキュゥべえから伸びるシルエットは、まさしく九尾のような禍々しさがあった。

 上條の手の治療と引き替えに得られた「引き返せない運命」は、あらゆる人々に絶望をもたらす。契約したさやか本人は、自らを「幸せだ」と言ってみせた。上條は順調に回復し、不安定だった精神状態も戻りつつある。復帰戦となった演奏も周りの人々の祝福に囲まれつつ行われ、こちらの「現実」は順風満帆。その光景が見られただけでも、さやかの笑顔は嘘ではない。「友達を2人も無くしていた可能性」を排除することにも成功し、現時点において、さやかは決して後悔していない。しかし、やはり「素人魔法少女」にとって、これからずっと戦い続けなければいけないという運命は荷が重い。キュゥべえに連れられた初のパトロールも、まどかの気持ちがなければ自分を奮い立たせることも難しい状態であった。彼女の重責は、これから少しずつその身に刻まれていくことになるのか。

 そして、そんな友人を止めることが出来ず、あまつさえ変身する理由の1つにすらなってしまったまどかは、何も出来ない無力な自分にひたすら後悔ばかりを積み重ねる。さやかを止められなかった自分。さやかに心配をかけてしまった自分。そして、さやかのために何もしてやれないのに、一人前に心配だけをしている自分。「魔法少女の立場になければ、他人を責める権利など無い」とは、先週のキュゥべえの言葉であるが、ついに対等な立場ではなくなってしまったまどかとさやかの間では、両者がどれほどわかり合おうとしても埋められない溝があるのだ。「変身しないままでいる無責任さ」がまどかの重荷であり続け、さやかもつい最近まで同じ立場にいただけに、その気持ちを充分に理解出来る。選んでしまった者と、選ばないことを選んだ者。今後の2人の友情は、どのような形で維持されることになるか。

 そして、そんな2人の様子を遠くから見守り、大きな後悔を抱いているのが、ほむらである。自分に近付いてくれていたまどかに対しては充分な警告が与えられたが、さやかの方にまではフォローが行き届かなかった。彼女の目的は相変わらず謎であるが、さやかの現状については、ほむらは「後悔している」と明言する。キュゥべえをして「イレギュラー」と言わしめたほむらは望み云々を差し置いても、「他者の契約」を阻止することを至上命題としているようだ。

 その上で、彼女の言葉は辛辣だ。「どのような献身も見返りなどありえない」とは、さやかの現状に対する否定であるし、そのものずばり、「さやかのことは諦めて」とまどかに断言した。「どうやっても償いきれないミスである」「一度魔法少女になってしまったら、救われる望みなんて無い」と、現状が最悪の展開であることを吐露している。「全てを諦めた」と語るほむらにとって、つかの間の幸せを手にしたさやかも、それを見て悲嘆に暮れるまどかも、等しく後悔の的であった。

 サブタイトルとは裏腹に、数多の後悔が渦巻く今回。事態はさらに面倒な方向へと進み、初仕事に張り切るさやかが命を削り合ったのは、宿敵である魔女などではなく、同業者でポリシーが対立する魔法少女、杏子。遠慮無しに命を奪いに来た杏子と、怒りをぶつけるさやかの対決は、「誰にも止められない」とキュゥべえは言う。巴マミは、人々を守るために命を失ったが、杏子はその命すら自らの益と成そうとしている。その姿勢だけはさやかは許すことが出来ない。どちらかがへし折れるまで続く対決は、介入したほむらに預けられることに。

 

 とにかく、現状認識の絶望感だけが際立つエピソード。端的にそのことが伝わってくるのはまどかとほむらの対話のシーンで、冷静に聞いていると、ほむらの中では「魔法少女になること」は「死ぬこと」と同義の最悪の事態である。マミの死が最悪の悲劇であるのと同様に、さやかの契約も「地獄と同義」であるというのである。この時点で、もうさやかの契約は本当に失敗以外のなにものでもないという描写になってしまっているわけだ。一応、形の上ではさやかが「幸せだ」と言っているのに、この扱いはひどい。しかも、そこまで必死に決断した契約の結果、さやかは一切望んでいなかった「魔法少女との対決」に巻き込まれているのである。この時点でさやかの選択からは「街を守るため」という大義名分すら失われており、残されたものは上條の回復というほんのささやかな幸福だけ。既に転落の秒読み段階に入っているかのようだ。

 そして、そんな悲劇の裏側で、キュゥべえはあの手この手でまどかに契約を迫っている。もう、本当に悪魔の所業。窮地で登場したほむらの勇姿が、この作品で最も格好いい「ヒーロー」に見えたのは、自分で火種を広げておきながら静観しているだけのキュゥべえとの対比効果もあるのだろう。ほんと、一体奴は何を考えているのだろうか。

 今回メインとなったさやかの心情についても、現時点では色々と複雑である。性根がシンプルな子なので実際の言動だけをみればほとんど裏表は無いのだろうが、まどかとの関係性は簡単には割り切れないものがあるだろう。「自分は変身出来ないけど協力したい」と嘆願するまどかに対し、さやかは最終的に「その気持ちは本当に嬉しく思う」と受け入れたわけだが、まどかが最初に申し入れてきた時には、彼女は一瞬だけ笑顔を消して、口元を結んだカットが挿入されている。それは、自分から窮地に飛び込もうとする友人を気遣ってのものだったのか、それとも、確実に運命を分かった「ただの人間」に対する苛立ちだったのか。そのことを判断することが出来るのは「同じ魔法少女の立場に立った者だけ」である。

 後半パートの見せ場は、新キャラ杏子の本格参戦。多節棍と槍を組み合わせたような奇妙な武器を操る新たな魔法少女のバトルシーンは、実に流麗で見応えのあるアクションに仕上がっている。対するさやかが単なる剣によるシンプルな武装なので、トリッキーな遠距離武器と槍による波状攻撃が映えるのだ。おかげで、どうしてもさやかの方が噛ませ犬っぽく見えちゃうんだけどね。これだけ打撃メインの肉弾戦を演じておいて魔法少女を名乗るのもどうかと思うわ。一応、望遠鏡で覗く時なんかはそれっぽい「魔法」を使っているみたいだったけどさ。

 その他、河原でさやかとまどかが語らうシーンでは、川縁で無機質に回り続ける大量の発電用風車が不気味な圧迫感を出していたり、上條の演奏シーンで大写しになる落日が、どうしても不安なイメージを喚起したり、どの画面をとっても爽やかさや安心感とは無縁の作品。今回もエキセントリックな魔女の使い魔のデザインが、ひとさじの狂気を確認させてくれます。「ぶーんうっわー!」って叫んでる使い魔の鳴き声って、多分あれあおちゃんだよな。……この作品、少ないキャストでのインパクトの出し方がたまらんものがある。野中藍の悪辣系魔法少女って……配役的になんか「とらドラ!」っぽいイメージになってる。

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 一番気になったのが先生の英語の授業だった第4話。あまりにぶっ飛んだ内容だったものだから「最近の保健体育は進んでるなー」とか思ったら、英語かよ! 30歳云々言い出したらほむらの中の人とか仁美の中の人がナイーブになるからやめろよ!

 前回の騒動のおかげで、嫌でも注目が集まる今回だったが、むしろちゃんと「話を作りに来た」ので好印象でした。あれだけ世論ではキュゥべえが悪者扱いされ、魔法少女への勧誘についても、やれ悪徳業者だのやれ詐欺まがいの恐喝だの言われていて、そのあたりの見る側とキャラクターの温度差がどの程度のものか、というのは無視できない因子になっていた。マミの一件があってなお、キュゥべえがまどか達を勧誘し続けていたとしたら、それこそ悪魔の所業。そして、まどか達がそのことに恐怖心を持たなかったとしたら、流石に異常である。

 マミの喪失というファクターは予想通りにまどかとさやかにショックを与えており、2人の中で「魔法少女になる」などという選択肢は無くなった。「優しさがより大きな悲しみを産む」とほむらに言われたまどかは、マミを犠牲にして自らの進路を修正した己の行為に慚愧の念が強いようだが、だからといってわずかな期間に育んだ友情のみを代償として、命を賭けるような行動に出ることは出来ない。「あたし、無理」の一言が全てを物語る。既にこの世にすら残っていないマミの幻影にひたすら謝り続けながら、見てはいけないものに出会ったことへの後悔ばかりが先に立つ。

 一方、さやかもマミの死に対する衝撃は大きいが、彼女にはもう1つの「人生の喪失」の物語がある。不慮の事故によりそのアーティスト生命を絶たれてしまった不遇の少年、上條恭介。恭介に強く思いを寄せるさやかだったが、これまでただひたすら信じ続けていた彼の回復と、日々の献身に対する自己満足。「恭介はいつかまた演奏が出来る。自分はそんな恭介の為に頑張っている」。そんな幻想が、ふとしたきっかけから全て崩れ落ちた。「自分は嫌な奴だ」とエレベーターの中で独りごちた彼女。前回3話の中でも、マミから「献身が望みであるのか、献身による自己の幸福感が望みなのか」と問われ、そのスタンスは揺らいでいるところであったがために、この変化は、彼女の人生を変えるのに充分なインパクトがあった。

 かたや、友情を育んだとはいえ、つい先日であったばかりの、素性もよく分からない「先輩」の死。かたや、自らの人生を捧げてすらいる気になっていた、最愛の人の「喪失」。天秤にかけた時に、彼女の中に既に選択の余地は無かった。マミの命を賭した「訓戒」とほむらの「忠告」を無視し、さやかは魔法少女になった。

 やはりこの作品は、「魔法少女になるとは」という部分が最大のテーマとなっているらしい。このテーマ設定は実はものすごく斬新で、過去のアニメ作品ならば1話で確実に終わらせている部分だ。「魔法が使えるってどういうこと?」「これまで持ちつけなかったような力を得て、環境や自己が変わらないことなんてあるの?」「そもそも、何で面倒なのに魔法少女の任務なんて引き受けちゃうの?」などなど、誰もが何となく考えていたような疑問を、徹底的に「ひどい」シチュエーションで掘り起こしたのが、この作品である。その結果として、メインヒロインであるまどかが全く魔法少女になりそうもないという看板詐欺が実現しているわけだが、窮地に陥って選択の余地無く魔法少女の任を与えられたマミ、悪魔の誘惑のごとき「安易な」解決に手を出してしまったさやかと、それぞれに異なった動機が設けられた。「魔法少女になるなんて、ひょっとしてこれくらいの覚悟が無いとだめなんじゃないの?」という、ライターの悪意がにじみ出ているようだ。

 悔恨と恐怖に留まり続けるまどか、一時の激情から禁断の麻薬に手を伸ばしてしまったさやか、それを険しい顔で見つめるほむら、新たな火種杏子、そして、未だ真意の読み取れないキュゥべえ。まだまだ先の見えないこの作品だが、シャフト演出だのなんだのという些事はさておいて、純粋に楽しくなって参りました。

 今週は(今週も)、本当に印象的なシーンが数多く、列挙していくと、まずは台所でまどかが泣き出すシーン。「生きているとパパの料理が美味しい」って、突然そんなことを娘に言われた両親はどうしたらいいやら。弟さんの声がナニなのでさらに涙を誘います。そして、屋上でキュゥべえと会話している時のキュゥべえのひどい台詞、「非難できるとしたら魔法少女の運命を背負った者だけ」。いや、その理屈はおかしい。ほむらとまどかが2人で歩く帰り道、ほむらの放った一言「魔法少女の最期なんてそういうものよ」。いや、過去にそこまでの覚悟がある魔法少女なんて見たことねぇし。

 しかし、やはり今回の最大の見せ場は、病室での上條君ご乱心のシーン。CDプレイヤーを叩き割るという、リハビリ中の身とは思えないパワフルな行動に出た上條君に対し、さやかは決定的な一言を放つ。今回のサブタイトルにもなっているその台詞は、「奇跡も、魔法も、あるんだよ」。そして窓の外を見れば、そこには1つの影……「そっちは駄目ぇぇぇぇ!」と叫ばずにはいられない、痛々しさの溢れる名シーン。来週もきっと、怖い。

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 予想外のことが起きるんだろうと覚悟しながら見つつも、やっぱり予想外な第3話。「画面がちぐはぐだし、製作側は穿った血だまりな見方をさせたいのかどうか分からないなぁ」と斜に構えてみていたはずなのに、もう、もろに血だまり方向に進んでるじゃないですか。こうなってくると、何が起きても「意外」ではないぞ。

 今回は、2話かけてずっと描かれている「魔法少女になるとは」「人生における最大の望みとは」という点がさらにクローズアップされ、メインキャラクターのより深い部分へと踏み込んでいく。マミの魔法少女としての活躍を後ろから見学し続け、さやかとまどかは自然に「魔法少女になる」という方向へ歩を進めている。確かに、颯爽と魔女を退治し続けるマミを見れば華々しいものであるように見えるし、その上で「願いが何でも1つ叶う」という提案も魅力的だ。

 しかし、魔法少女になるというのは生半なことではないと、マミは釘を刺す。さやかの願いの種類を察し、「自らのためか、それとも他者のためか」と問いかけたり、まどかの何とも不思議な動機にもすぐに頷かなかったり。これまではあまり言及されてこなかった「魔法少女になること」のリスクについても、多くは語らずとも臭わせることはしていた。

 利己であるか利他であるか。そのことは個々人が活動するための最大のエネルギーになると考えることも出来るだろう。さやかの望みは、一見すると非常に利他的な「上条という知り合いの治癒」であろう。それが純粋利他的である場合と、あくまで他者に幸福を与えることでフィードバックされる自分の幸福感を望んでの場合、結果は同じだが、そこには大きな隔たりがあるという。また、まどかは仕事に打ち込む母親の姿にも、「活動するためのモチベーション」という要素を考える。仕事をすることで得られる結果を求めているのか、それとも仕事自体をもとめているのか。大好きな母親の姿を見て、まどかは自分なりの魔法少女との接し方を感じ取る。

 既に魔法少女として活動を続けるマミは、残念ながらそんなことを考える余裕は無かった模様。多くは語られなかったが、どうやら命の危機に瀕した状態で、キュゥべえとの契約を選択せざるを得なかったようだ。命を長らえたことで後悔はないというマミだったが、親しくなった3人の関係性において、その動機が三者三様になってしまっているのは気になるところ。マミは純粋に己がため、さやかは他者に幸福を与えることを通じての己が幸福のため、そしてまどかは、活動すること自体に幸福を見いだすため。そんな微妙なズレを知ってか知らずか、ほむらは常にマミに釘を刺し続けていた。

 そしてその時は訪れた。上条の入院している病院に現れた魔女を打倒するために結界内に侵入する4人。そこで、まどかはマミに対して魔法少女になる決意を告げる。「本当の意味での友達が出来る」と喜んだマミだったが、そのことで慢心が現れたのか、油断を突かれ、魔女に一瞬で食いちぎられてしまった。目の前で頼れる先輩を亡き者とされた2人を尻目に、ほむらは魔女を倒し、シードを持ち去ってしまう。「魔法少女になるというのは、そういうこと」。彼女にも、絶対にゆずれない夢があるのだろう。まだ入門すらしていない2人の魔法少女への道は、いきなり決定的な障壁へとぶち当たってしまった。

 

 3話目にして、マミの死亡(?)。もう、どうにもとまらない。要所要所で印象的なカットが多い本作だが、一瞬にしてマミが喰い殺され、だらりと垂れ下がる半身が大写しになるカットは、それまでの異様な画面と違って実にシンプルな構図だ。それだけに、どうしようもないぐらいに「表すべきもの」が分かりやすすぎる。これが、この作品の悪意なのだろうか。また、そんな魔女を眉一つ動かさずに破壊するほむらのアクションも、爽快さとは無縁の悪魔的な所業。今回は魔法空間のモチーフが「病院とお菓子」という倒錯的なものであるが、これまでのイヌカレー画面とはちょっと違って華やかなイメージをもっていた「お菓子」の画面や奇妙な愛らしさすら感じさせる魔女のデザインが、一転して「血みどろ」へと転換するシーンは本当に救いようがない。これが毎週続くとしたら……どうしたらいいんだろう。

 もう、世界設定や「裏側」についての考察などは無意味なのでやらない方がいいだろう。いくらでも憶測や妄想は出来るが、今の時点では何を考えても無駄だろうし、かえって頭空っぽの状態で見た方が面白そうだ。また、現時点においては、マミの活動やキュゥべえの勧誘活動については、『本心から行っている』という風に描写されているように見える。正しい視聴者ならば、そこにクリエイターの個性などは考えず、描かれた通りに素直に受け取るのがベターであると思う。ただ、途中で心が折れなければの話ではあるが。

 「衝撃を与える」という目的で考えるならば、この作品は本当にハイスペック。今回はようやくエンディング画面も描き下ろされたが、シャフト作品でありながらビィートレイン作品のような印象も受ける、黒い方黒い方な画面作りは本当に容赦がない。これまで作られてきた「シャフトっぽい画面」のテンプレートが、ようやく「シャフトらしい」ではなく「まどかマギカらしい」画面になってきたのだろう。イヌカレーフィールドもワンパターンにならずのそのエピソードごとにちゃんとコンセプトが見えるようになっているし、毎回どんな「とんでもない」画面が飛び出してくるのか、期待せずにはいられない。

 今週の駄目ハイライト。後藤邑子さんがべろんべろんに酔っているシーン。スピリタスを余裕で干すような人間がくだを巻いている姿は、なかなか見られるもんじゃござんせん。

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 引き続き異質な第2話。本当に「異質」という言葉がしっくり来る作品。「異常」とか「異様」ではなく、異質。

 さて、今期の新番組の中では、どうやらこの「まどか」が話題性では頭抜けているように思われる。数年ぶりとなる新房シャフトのオリジナル作品というだけでも話題性はあるし、その食い合わせの悪いスタッフ陣は何が出てくるか分からないために、良くも悪くも目が離せない存在となっているのは確かだ。ただ、2話まで視聴した時点で、そこまで明確なセールスポイントがあるようには受け取れない。確かに異質な画面を作り出すことに成功しており、それが昨今のブランド力の影響下で「流石シャフト!」と膝を叩かれる要因にはなっているようだが、今のところ作品の内容が画面の見え(見得)と融和しているとは言い難い。あくまで「普通のラノベ・漫画の様な筋立て」を、ちょっと特殊な効果を巡らせた画面で表現しているだけであり、そこに「この画面でなければならない理由」が見られないのである。

 個人的なシャフト観から言うと、新房昭之はあくまで画面のメッセージ性を重視する作家。「宇宙戦艦ヤマモトヨーコ」などで惚れ込んだ彼の画面作りにおいて、異質さというのは独特のコンテワークの結果ついてくるものであり、異質さを求めたから得られるものではない。そして、そんな彼の独特の感性が様々なクリエイターに影響を与え、「ぱにぽにだっしゅ」、「化物語」などで、作品の属性を最大限に引き出す「見得」を生み出していたわけだ。個人的にシャフトの頂点にあったと考える「ひだまりスケッチ」の1期5話(上坪亮樹演出)や2期1話(尾石達也コンテ演出)、「化物語」5話(武内宣之コンテ)、そしてするがモンキー全編(尾石達也)などは、その粋ともいえる出色の出来である。「何故その演出技法を取るのか」を、理屈ではなく、物語に埋没しながら答えが得られるためだ。

 翻って、この作品の場合、現時点で「何を見せるべきものであるか」が判然としない。魔法世界からバトルまでの怒濤の流れはアニメとしてのレベルは高いし、余計なことを考えなければ楽しんだりおののいたりするのに不足はない。しかし、そこに横たわる「異質さ」の正体が掴めないが故に、どっぷりと入り込むまでは至らないのである。正確には「異質さを表示する理由」というべきか。オリジナル作品であるためにこうした敷居の高さが見えてしまうのは、ちょっと勿体ない部分ではなかろうか。

 そして、そんな捉えどころの無さのせいなのか、ファンの間ではストーリーに対する憶測が飛び交っている。虚淵玄の脚本ということでただじゃすまないだろう、という読みが先立っているようだが、世界滅亡後説、全部夢説、世界ループ説、魔法少女悪人説、はてはキュゥべえラスボス説まで。とにかく「裏をかくシナリオ」の可能性がまことしやかに語られる。ただ、現段階の個人的な想像では、2話までの演出では、そうした「単なる悪意」を含んだサプライズではない気がする。

 確かに、劇団イヌカレーが生み出す画面の怪しさたるや、想像を遙かに超えたものになっているし、マミとほむらの確執など、単なる「友情努力勝利」なお気楽魔法少女ものでないことは確かだろうが、「何か怪しげな事」をやるには、画面が「怪しすぎる」。「不可解なこと」で風呂敷を広げる目的ならば、むしろ後々の演出効果を考えれば、もっと「怪しさの質」を調整する気がするのである。ここまで全力投球で序盤から世界がぶっ飛んでいるとなると、そこにはむしろ物語の本質は無いのではないかと、そんな風に邪推してしまうのだ。「画面が怪しいのは、世界が怪しかったからです」って、それじゃ面白くないだろう。気持ち悪くて生理的嫌悪感すら抱いてしまう魔法世界の造形は、脚本家の悪意ではなく、もっとメタレベルの低い、作品世界の中の何かを表示している。そうでなければ、シャフトがシャフトとして立脚できないのだから。

 ま、現時点ではなんの根拠もない印象論なので、数話後にはあっさりと自説を翻している可能性もあるが、今の段階では、「うーん、怪しさがとまらないな」と思いながら、しばらく慣れそうもない画面のギャップを楽しむだけである。やっぱり梶浦音楽には有無を言わさぬパワーがあるので、音響を聞いているだけでもゾクゾクしますわ。

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  久し振りに面白かった気がするので記事を立ててみた第9話。……いや、オープニングのインパクトだけだったかもしれないけど。とにかく凄かったよ。

 シャフトでチョーさんが遊んでるのを見ると、本当に楽しそうでたまらない。同じように歌の仕事でものすごくテンションを上げていたのが「ひだまり」シリーズで歌ってくれた「男の子パズル」だ(是非fullで聞いて欲しい名曲だぞ)。ほんとに芸達者な人だよなぁ。今回はチョーさんだけじゃなくて芳忠さんとか立木さんまで絡んでたからエラい騒ぎですよ。1期も1回だけあった特殊オープニング(「タイトルなんて自分で考えなさいな」)のクオリティがやたら高かったし、シャフトらしい変化球を見せてくれるときはやっぱり輝いているなぁ。1期でマリアだけ特殊オープニングっていう時点でおかしかったわけだが、今回は誰が出てくるんだろうと思ったらまさかの高井オープニング。ありえねぇ選択肢。

 とまぁ、オープニングの話だけで満足なんだけど、最近はあまり注目してなかったこの「荒川」だったが、今回はそれなりに面白かった。特にBパート以降の筋肉話は、無駄な作画の労力がきちんと実っていて、作画がちらほらやばいことがあった(むしろ「それ町」の方がだけど)最近のクオリティを考えれば頑張っていたと思う。台詞回しのキチ○イっぷりも気が利いていたし、このくらいのレベルのギャグが毎回見られれば満足なんだけどなぁ。

 今回なんでそんなに楽しめたのかと悩んだのだが、多分、中の人絡みで面白かったんだろう。千和ステラが2キャラ演じ分けて無茶苦茶やるのには慣れたが、今回「変身」してしまった鉄雄の中の人は三瓶由布子である。「男の子」キャラならば経験値の高い三瓶であるが、流石にムキムキマッチョの筋肉ジャンキー役は初めてであろう。千和ステラのようにまるきり声をかえるのではなく、いつもの鉄雄の延長線上でしっかりとそのマッドな部分が出ていて、すごく新鮮だった。後半になると新谷演じる鉄郎の方も変身したわけだが……こちらは別に変わりなかったな。

 シャフト作品は中の人に無茶ぶりしてくれるところが楽しめるポイントですね。「マギカ」が始まるのが今から楽しみです。

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  何となく方向性は分かった気がする第2話。これまでのシャフト作品の中でもかなり動く漫画なので、演出方針としては正しいんだろうな。

 Aパート、何故か先生を意識する歩鳥と、買い物先で警官とのバトル。お巡りさんの中の人が千葉繁っていうキャスティングは流石に狙いすぎだと思うのだが、「あの」お巡りさんよりもよっぽど常識人の設定になっているせいで、あんまり中の人ではっちゃける要素がないのは勿体ないか。演技の方はかなりトバしてるんだけど、画面でそのあたりの迫力を前面に押し出してこないからちょっと温度差がある気がするんだよね。

 温度差、という意味では、冒頭からの歩鳥や辰野さんの動きもそう。なんだか無駄に枚数を使った動画になっている気がするのだが、残念ながらそこは「動かす必要が無い」パート。いや、別に動いてもらっても構わないんだけど、相変わらず中の人のトーンが単調なおかげで、画面のクオリティが無駄に浮いてしまっている。なんだか「実験的に色々な動きを取らせてみていますが、ストーリー上、画面は無視して下さい」みたいな仕上がりなのだ。シャフトは毎回紙芝居だのなんだのと非難を受けることが多いので、余力のあるこのあたりで思い切って動かすことにしたのかもしれないが……無駄遣いっぽいよね。それとも毎週このくらいの出来で出てくるんだろうか。だったら文句も無いが。

 Bパート、空回り気味に頑張る歩鳥と、それを見守るばあちゃんの話。こちらもシャキシャキと動いて、文字通り「ドタバタ」が起こる勢い勝負のネタ。お巡りさんも含めて参加人数が増えて、こちらの方がAパートよりも随分賑やか。個人的な好みの範囲だが、この作品の売りの1つにはこうした「商店街を巻き込んでのドタバタ」みたいな要素がある気がするので、Aパートよりもこういうノリの方が好きかもしれない。「大人気ない」みたいな説明臭いネタは出し方が難しいのでアニメにしたときのインパクトは弱まっている気もするが、それまでの歩鳥と辰野さんの立ち回りが賑々しくて、それだけでも何となく楽しめる気がするのである。まぁ、ひょっとしたらあおちゃんの台詞が多かったから楽しかっただけかもしれないけどさ。

 「シャフトらしくない」ことは、今のところそこそこいい方向に機能しているように思える。製作期間があったのか、それなりに人の手もかかっているようだし、単純な質でいえば今期では高い方に入るんじゃなかろうか。その上で、今回は龍輪さんのコンテ回ってことで、相変わらずの癖も発揮されている。このあたりを受け入れられるかどうかの勝負だよなぁ。

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