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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
○「魔法少女まどか☆マギカ」 5→8
ようやくほとぼりも冷めてきたので、ボチボチこの感想を書いていきたいと思う。長きに渡った1月期番組感想も、ここでやっと終わりだ。 まず、この作品が今シーズンのアニメの中で最大の話題をかっさらっていたことは間違い無く、それにふさわしい出来であったことは断言できる。その上で点数を8で止めたのは、今現在においても、作品本来の盛り上がりと、その周りを取り囲む騒乱の区別が付けられないためだ。アニメを取り囲むムーブメントも含めて1作品と見てしまうというやり方もあると思うのだが、個人的には、この12本のアニメの中に、過去のアニメ史を塗り替えるほどの最大級のインパクトがある、という風には捉えていない。10点満点の10点は事実上空位にしているくらいなので据え置くとして、9点を冠した作品群に列するものになるかどうかは、現時点で決めかねるのが実情だ。今後のアニメ業界の変遷を見て、「やはり『まどか』は時代の分岐点であったか」と言われるようになれば話は別だが、今のところ、そこまでの影響は無いだろう、というのが近視的な見方である。 とはいえ、冒頭でこんな注釈を書くくらいなので、ぶっちゃけると9点でも10点でもいいんじゃないか、というのが内なる感想だ。その上で意固地になっているのは、多分「こんなん俺の知ってるシャフトと違う」という気持ちが大きいのだろう。長年キワモノの代表として扱われてきた制作集団シャフト。「化物語」でブランドとしての地位を確立させた異端児は、オリジナル作品でついに頂点に上り詰めた。そこに現れた制作スタイルは新生シャフト流と言ってしまって良いものだろうが、万人に受ける作品を打ち出せたということは、そこに本来残っていたアクの強さが無くなってしまったということ。個人的には「化物語」の方がイメージしてるシャフト的作品なので、この作品が面白くなったのが、少し悔しいのである。 「シャフト的」とは一体何なのか。個人的には、その答えは独特のエッセンス描出にあると考えている。尾石達也、森義博、武内宣之といった面々がその代表格だが、アニメーションの目的を「動かすこと」そのものに見いだすのではなく、「時間軸を持った映像の集合」として大きく捉え、その中で与えられた脚本の要素が伝わる方法を様々な方向から模索するスタイル。それがシャフトのシャフトたるポイントで、それこそが新房昭之の生み出した1つの文化である。もちろんこの作品にもそうしたエッセンスは詰め込まれているのだが、細かく刻んだカット構成や、独特のカメラアングルによるいわゆる「シャフト角度」などは、あくまで過去の作品の蓄積によって生み出された様式であって、この作品のために生み出されたものではない。そう考えると、この作品はあくまで「これまでシャフトが関わり続けた様々な作品で培った技術の総合展示場」であり、「新たな一歩」とは言いにくいのである。常に無茶とも言える挑戦を続けてきたフロンティアスピリットは、この作品ではちょっと物足りなかった。 とはいえ、「これまでの技術の総合展示」であるとすれば、やはりその規模はとんでもないものになっている。シャフトの技術の粋が、一体どんな目的に使われたかといえば、この作品で最も顕著だったのは、完全に非整合であるはずの諸要素の融和である。具体的には、蒼樹うめ画と、イヌカレー演出と、虚淵脚本。この3点を結ぶラインなど、過去に存在してるはずがなかったのだが、そこに極細の繋がりをみせた奇跡こそが、シャフトの最大功績となった。その上で、「動かすこと」というアニメーションの基本原理においても必要充分な品質を維持し、全ての要素を1本のアニメシリーズの中に抱き込んだ。大抵のグルメ漫画だと悪役が使って負けるパターンの「最高食材を集めまくって混ぜ込んだ料理」を、それに見合った器を用意したことで、名実ともに「最高料理」にしてしまったのである。こんな非道は、普通のスタジオでは実現し得なかったことだろう。 話題の中心となるのは、やはり虚淵脚本である。ただ、冷静に見返してみると、「魔法少女」というテーマの扱い方が斬新である部分を除けば、残りの見せ方はごくオーソドックスなものである。物語の中心となるのはまどか・ほむら・さやかという3人の少女で、ほむらの物語として見た場合には、最近のラノベやSF小説では割とありそうなライン。シンプルな友情物語としての骨格が最も強く、作品の軸となった基本に忠実な内容。それをエキセントリックな後味にしたのは、ほむらの物語を更に上の視点から観察したまどかの物語。こちらはオチの付け方が突飛で、ともするとトンデモ系のネタにも見られる危険性があるのだが、ほむらの物語との接点が周到に配備されていたおかげで、1本の友情物語のサブテーマとして、こっそりと着地に成功した。そして、まどかとほむらという2人の物語の裏返しとなったのが、中盤を盛り上げたさやかの物語。こちらもシンプルな悲愛であり、なおかつ作品の根底をささえるキュゥべえというシステムの描出に最大限の効果を発揮した。「小メリットを得るために、後の大リスクを背負う」という構造は文学作品などでも多く扱われるジレンマの1テーマであるが、それを「魔法少女」というタームに結びつけて、悲哀として構築したことが、ここまでの新鮮さに繋がったのだろう。分解してみれば何とも理知的なシナリオ配分。けれん味の付け方といい、やはりけちの付けようもない。加えて、地味な要素ではあるが、各エピソードのサブタイトルの捻出も、この作品のインパクトを一段上に押し上げることに貢献した。個人的にベストエピソードだと考えている「あたしって、ほんとバカ」など、何気ない一言にも神経を遣った脚本の見せ方が、細やかな売り方に反映されているのだ。 そして映像部分では、蒼樹うめ先生と劇団イヌカレーという、水と油の2つの要素による融和が見どころ。うめ先生の絵は、序盤に看板としての魔法少女を売り込むのに効果があったことに加え、最終的なシナリオの中心が「2人の少女の友情物語である」という部分に大きな影響を与える。現代アニメとしてのセールスを考えた上で、「起点と着点はやっぱりうめ絵で」という決断は、実はものすごい英断だったのではなかろうか。そして、その「蒼樹うめの世界」を一時的にぶっ壊してこの作品のメインテーマである「魔法少女システム」を現前させるのが、イヌカレー空間である。「絶望先生」で初めてアニメとして世に現れたイヌカレー空間は、その異質さから「とにかく意味の分からないもの」を描くのに最適なツールであると判断されたのだろう。「これまで一切無かった魔法少女の世界を描く」という無理難題を見事にこなしてみせた創造力には頭が下がる。そして、こうした要素を全て巻き込んで、1本の流れを作り出したのが、シャフトの力だったわけだ。改めてみると、このボーダーレスな多層世界の結合の難度がどれだけ高かったかが分かるだろう。 そして、やっぱり最後は中の人の話。この作品を評する上で、中の人たちの功績を語らずに終わるのは片手落ちの誹りを免れない。基本的には「3人の少女達の物語」であるから、やはりそのキャストが最大功労者といえる。美樹さやか役、喜多村英梨。彼女無くして、12話を完走するだけの持久力を得ることは出来なかった。鹿目まどか役、悠木碧。多層世界に現れる幾人ものまどかと、最後に人の理念をも越える概念存在へと昇華したまどか。これが「生きている」ように聞こえるというだけで、それはもう事件であろう。そして暁美ほむら役、斎藤千和。これこそが千和、これでこそ千和。やはり本物の持つ風格は、他を寄せ付けない。もちろん、その他水橋かおり、野中藍、後藤邑子といった面々も良い仕事をしてくれました。何一つ不満はありません。 全ての要素において、不満の出る部分はなく、ただひたすら溜息だけが漏れ続けた。色々と悩みの尽きないアニメ業界であるが、オリジナル作品でここまでの結果が出せたのだから、まだまだ表現技法としての可能性は残されているはずだ。さて、次の地平は一体どこになるのか。今後も、シャフトに限らず、多くの制作者たちが「次なるまどか」を作り上げることを期待してやまない。 PR
「夢喰いメリー」 5→4
放送終了から、この感想文を書くまでに随分間が空いてしまったのは、この作品の評点をどうしたものかをちょいと悩んでいたためだ。あと、新番が多いからうっかり忘れていたためだ。どっちかというと、後者だ。 誰しも、向き不向きというものがある。個性が強い人間ならば、その差はより顕著なものになるだろう。今作の監督を務めた山内重保は、そうした「個性的な」人間なのは間違い無い。彼の武器となるのは、その独特の感性から繰り出されるコンテワークであり、常人とは時間感覚が違うのではないかと思える不可解なタイムスケールの計り方と、思いもよらないカメラワークから切り出される構図の妙は、快不快の軸では説明出来ないような、曰く言い難い後味を残す。そうした「味」は、時に長所となり、時に短所となる。 さて、この「夢喰いメリー」の場合、彼の味は武器だったのか、足枷だったのか。答えは両方としか言いようがない。まず、長所としての側面は、この作品の舞台が「夢」という独特の背景を持っていることに関係する。アニメというフィクションの中の、そのまた奥の非現実である「夢」。その世界を表現するのに、山内コンテは並々ならぬ効果を発揮した。重苦しいカット割りがどこかフワフワした夢の不安定さに繋がったし、妙なアングルから妙なモーションに入る動画面でも、何か「普通と違う」感じが醸し出され、「これは確かに白昼夢かもしれない」と思わせるだけの世界を作り出した。この番組のタイトルに「夢」という言葉が冠されているのだから、その部分に力点を置き、独自のフィールドを展開出来たことは、文句無しで手柄といえるだろう。また、そんな個性の主張と同時に、この作品が「まんがタイム」系列の萌え漫画であるという意識もきちんと持っていた。具体的にはメリーのヘソとか、あとメリーのヘソとか……とにかくそういうところだ。妙なコンテ割りなので、多少阿漕な見せ方を足し合わせても、それが「奇妙な味」の上塗りとなるだけで、媚びた絵に見えにくかったのは面白かったところだろう。 他方、短所となってしまったのはどこだろうか。残念ながら、それもやはり、彼独特のコンテワークなのだ。山内監督の前作「キャシャーン Sins」は、荒廃した世界を舞台にした、どこか退廃的な臭いのする作品。その中はいわば「どこを切り取っても山内世界」であることが容認され、一貫した空気が世界を覆うことが十全にプラスに働いたのだが、残念ながら、この作品はそうはなっていない。夢の世界も、夢路たちが暮らす現実の世界も、同様に存在していた。そして、そんな世界を舞台に行われる物語は、あまり深いテーマ性などを求めない、「普通の漫画」なのである。メリーの活劇、夢路の少年魂。そうしたものを見せる必要がある「シンプルな」作品に、どうしても独自の味はかみ合いにくい。結果、バトルシーンなども「もっさりした」印象になってしまうことが多く、そのすべてが機能しているとは言いにくい状態になってしまった。 また、単純にシリーズ構成もあまりよろしくなかった。特に終盤のミストルティン戦でのグダグダっぷりは流石に看過できるものではなく、アニメシリーズとしては失点になっているのは確定的だ。映像作品としての面白さを追求してくれるのは嬉しい限りなのだが、やはりその前提として、1クールのシリーズアニメとして、筋は通して欲しかったところである。この流れでは、残念ながら原作に興味を持ちにくいし、「続きがみたいな」という気にもならないのである。総合的に見ると、やや失点多めでちょい下げ気味、というのが結論か。でもまぁ、やっぱりこの世界観はすごく好きなので、是非とも次作でリベンジをはたして欲しいものです。 最後はキャストの話。今作MVPは(どさくさに紛れて美味しいところを持っていった中田譲治を除けば)岡本信彦になるだろうか。夢路は最近じゃ珍しい、真っ直ぐで男の子らしい男の子。それを嫌み無く演じられるだけでも、やっぱり岡本君は裾野が広い。あとは……秋谷智子がどうなんだろう、っていうポジションだったのがちょっと気になるかなぁ。彼女はもう、山内作品以外には出ないんでしょうかね。ちなみに、メリー役の佐倉綾音だが、やっぱり後半の大事な話数になってくると、どうしても拙さが目立ってしまったか。ヒロインデビュー作としてはそこそこのレベルだが、まだ同じ事務所の竹達の方がデビュー後の仕事ぶりは安定していた。要精進である。
「放浪息子」 6→7
「アニメわ〜く」(ノイタミナ)内では、「フラクタル」というアクの強い作品の後に放送されていたために、「色々と悶絶した後の一服の清涼剤」みたいな扱いを受けていたこの作品だが、実際のところ、こちらの方が作品としての立ち位置はよっぽど特殊である。ここまで異形の作品を、しれっと「普通ですよ」とばかりにまとめあげ、完成させてしまったことについては、本来ならばもう少し話題にすべきことなのではなかろうか。 この作品の最大のポイントは、なんと言ってもその「アブノーマルさ」にある。女装男子と男装女子というモチーフは今の世の中には掃いて捨てるほど溢れているが、この作品ほど徹底してその禁忌としての存在に肉薄し、ギリギリの日常レベルにまで深度を落として描いた作品というのは無いように思える。主人公の修一にとって、「女の子になりたい」はごくごく普通の願望であり、周りのにもそれを否定する人間は少ない。同様に、高槻よしのの男装願望についても、それは「あって然るべきもの」として認識され、「それがあり得る世界」として、すべてが描出されている。そうした一種異様な世界を、モノローグの導入、独特の色彩、細かな人物配置、台詞の間による関係性の見えなどから、「日常世界」として成立させてしまったのが、この作品のぶっ飛んだところなのだ。水も漏らさぬ完璧な世界構築は、おそらく原作の純度に依拠する部分が大きいのだろうが、1本の「爽やか青春アニメ」というステータスを付与されたのは、間違い無くアニメスタッフの力である。あおきえいの手による「キャラクターの産出」は、本当に頭を抱えたくなるくらいに完璧だ。 以上の論旨は、一応の評価軸として用意したものなのだが、この作品の場合、本当にディティールの集合として巧さが表れるために、なかなか説明が難しい。そこで、多少卑怯な手段だが、同時期に放送された「君に届け」と比較して見るというのはどうだろうか。どちらも「青春ラブストーリー」であり、視聴後には軽やかな爽快感が残り、一つの物語を見た満足感が得られるのは同じ。個々の人物の心情描写が実に丁寧で、キャラクター達と一緒に泣いたり笑ったり出来る近しさも同じだ。しかし、この作品は「君とど」とは決定的に違う。爽子と風早は「普通の高校のクラスメートどうし」であるだけの、いわば「普通の世界」。しかし、この作品における面々は、全てにおいて性の概念が倒錯している。言い方は悪いが、周りにこんな連中が居たら、間違い無くドン引きだろう。しかし、アニメを見ていると、そんな異物感がどんどん薄れ、最終的には「青春ラブストーリー」に帰着できるのである。これだけの「毒抜き」「ごまかし」は、よほどの注意力が無いと出来ない荒技なのである。本当に、お見事でした。 最後は中の人の話。終わってみれば、修一役のリアル中学生・畑山航輔君は、立派に与えられた仕事を全うした。今後の活躍を期待してみたい気もするのだが、あんまり声優志望じゃない気がする。とにかく頑張れ。あとは周りを取り囲む豪勢な面子にも満足でした。南里侑香が久し振りにメインを張ってくれていたのは嬉しかったし、豊崎・水樹・堀江といった花形が独特の白い画面を賑わせてくれたのは眼福もの。でも、一番楽しかったのは、千葉紗子が作中でしょっちゅう「千葉さ〜ん」って叫んでたこと。「お前や」って何回も突っ込んだ。
「フラクタル」 6→3
うーむ、こればかりは一言、「残念」としか……最後の最後まで応援したい気持ちは残っていたのだが、次第に削れていく気力に、最後の最後までモチベーションを維持することが出来なかった。誰にとっても、悔いの残る作品になってしまったのではないか。 ダラダラと見ていた最終話に、この作品の全てが現れているように思えた。次々と切り替わる画面は、クレインを始めとしてネッサ、フリュネ、エンリ、スンダとその他ロスミレの方々、それに僧院側と目まぐるしく描写が入れ替わり、その1つ1つの情報量がかなり多い。おかげでどのシーンについても意味を考える機会が奪われてしまい、その結果として、全てが上っ面だけの「お話を進めるためのお話」に堕してしまう。クライマックスシーンなのだから、全てのキャラクターにはこれまでのエピソードで培ってきた主義信念があるはずなのだが、残念なことにそれらの内からどれに感情移入していいのかも分からないし、理解が追いつかない。結局、よく分からない世界でよく分からない信念を持った人間達が、実に身勝手に世界を思い、世界を変えていくだけだ。 僧院の長や、ロスミレの長の1人(名前が分からん)あたりのやりとりは、それまでの流れに全然溶け込まず、なおかつ下準備も無かったために、単なる猿芝居にしか見えないし、フリュネの決意にしても、彼女が元々何を願い、どこに向かいたかったのかが定かでないため、例によって「いつも通りの気紛れ」という説明しか出来ない。最終的には、クレインがフリュネに対して打ち明けた恋心すら、「お前、その子好きになる理由があるんか?」というレベルで飲み込めないために、こけおどしに見えてしまうのだ。何もかもが寄せ集めでしかなく、中心線を定めることがない作品だった。「フラクタル」とは、本来の意味は「自己相似図形」であり、個々のディティールが全体の総和と形態を一にする概念らしいが(具体的には知りませんが)、この作品の場合、本当にたくさんのファクターが乱雑にうち捨てられ、1つ1つの形が非常にいびつで、手心がない。それが寄せ集められて、「全体図形」を形成することを放棄してしまっているかのようである。何とも皮肉なタイトルであった。 さて、この作品が不完全燃焼に終わったことについて、世間のアニメファンは色々と囃し立てている。監督の「引退」や、制作スタッフの内部不和など、どうにも醜悪な製作側の場外乱闘が目に着いてしまう。そんな中で「誰が悪いのか」という「犯人探し」の方向性があるのも、なんだか嫌な風潮だ。アニメなんてものは総合芸術(口はばったいなら「総合技術」)であるのだから、責任はどこにでもあるだろうし、どこにも無いともいえる。強いて言うならば、やはり統括元である監督にある。スタッフの並びを見て、最初は期待感があったし、実際、1話目を見た時点では「面白くなりそう」という期待が強かった。「面白そうなもの」の断片がちりばめられていたのだから、そう思うのは当然だった。しかし、ばらまいた「断片」をまとめ上げる仕事をする人間は、どこにもいなかった。残念ながら、山本寛にはそれが出来なかった。そういう意味では、ヤマカンははっきり言って「駄目な監督」である。本人の好きな言い方を使うなら、「その域に達していない」。 この作品を見ていると、なんだか「バクマン。」の悪役である七峰透を思い出す。七峰はネット上の50人からアイディアを集めるという手法を思いついたが、散り散りのアイディアには「思いがない」という少年漫画的な理屈で主人公に敗北した。山本寛は、ネット上ではなく、他のアクの強い才能にアイディアを求めたが、やはりそこには中心線が無く、まとめ上げられずに瓦解した。七峰透が「悪役」になってしまった理由は、ネット上に意見を求めようとしたためではない。あくまで、その意見をまとめ上げ、自分のものとして再構築する努力を怠ったためだ。そうした「不和の原因」としての統括者像が、今回の「フラクタル」の絵図にも当てはまるのではないか。読者アンケートを意識して踊らされた七峰と、ネットの醜聞に一喜一憂して迷走したヤマカンも、なんだか被ってしまう。彼のとった手段は、やはり間違っていたようだ。漫画と違って、アニメは最初から「複数の意志の集合体」としての作品である。最初から「まとめること」を前提としなければならなかったのに、そこを放棄してしまっては、どうにも仕方なかったろう。 だが、個人的には、ヤマカンは運が悪かった、という思いもある。このアニメを見ていて面白い部分は、なんと言っても映像技術的な面であり、丁寧に作られたモーションの数々は見るべき点が多かったし、手間暇かけて「動かすこと」に対して信念を燃やしていたことは伝わってくる。そうした純粋に技術的な側面から見れば、やはりこの作品はレベルが高い。「かんなぎ」は面白かったし、「らき☆すた」も秀作。アニメーターとしての山本寛は、やはり才人だと思う。しかし、それと構成をまとめあげるプロセスは別。誰が譲らなかったのか、どこで不和があったのか。外野は誰にも分からないが、ヤマカンの才を活かせるだけの足場は、結局最後まで維持できなかったのだ。実に勿体ない。個人的には、過去の業績から「ヤマカンは良いアニメを作れる」という部分は信じて疑っていないので、この作品が失敗したのなら(まぁ、原案を書いた人間が失敗したと言ったのだから、失敗なのだろう)、その責任は、ヤマカンを使い切れなかった人間にあると思う。そう思わないと、供養にもならない。 改めて、この作品を見直そう。様々な「アイディアの断片」「無念の結晶」が、そこかしこに詰まっているはずだ。そうしたものを掘り起こし、意志を邪推するだけでも、ひょっとしたら新しい楽しみ方があるかもしれない。その上で、今後に活かせる部分、反省すべき部分をより分け、また新たなオリジナルアニメにチャレンジすればよい。災人・山本寛の、次の活躍の舞台はどこになるのだろう。気を長くして、楽しみに待ちたいと思う。
「君に届け 2ND SEASON」 5→5
まとめると「能登かわいいよ能登」。本当にそんな感じで、何の不満もなくずっと見続けることが出来た作品。やってることはリア充生活の実況中継であり、普通に考えたら「爆発しろ」と思うしかないはずなのだが、爽子と風早のドキドキ初恋物語には、一切の口を挟む気も起きない。本当に恵まれた友人たちの助けを得て一歩一歩進んでいく爽子の後ろ姿を見続けるだけでここまで幸せを共有出来るというのは、本当に希有な作品であった。おかげで、細かく書くことがあんまり無い。 というか……せっかく幸せな気分で放送終了を迎えたのに、エンディング直後に出てきたテロップが「このあとは逆境無頼カイジ 破戒録編をお送りします」の一言で、ぶち壊しだったんですよ。どんだけのギャップやねん。 「レベルE」 6→6 安定。たった一言「原作が面白いからな」といえばおしまいの作品ではあるのだが、あの無茶苦茶な原作を極力変質しないようにアニメ化出来たのだから、その部分はちゃんと評価すべきかと。 もちろん、無茶苦茶なのでやっぱり無理だった部分もある。特に野球犯人当ての回なんかは、原作の時点で初読放置というひどいありさまだったので、アニメで無理矢理1エピソードに落とし込んだのは無謀だった。いや、だからといって2話に分けたら意味が分かるかといったら確実に無理なんだけど……諦めるしかなかったよね。もし原作未読の人間がいたとして、あの話を「分からなかったからもう1回観よう!」と思えるんだろうか……原作買って下さい。それでも分からないから。 それ以外だと、例えば最終話が王子の結婚までで、新婚旅行エピソードがカットされてしまっていたりするのもちょいと残念なところだが、実を言うと私は虫がものすごく嫌いなので、あの話がアニメ化されなかったことにはホッとしてたりする。1話のクライブの時点でちょっと嫌だったくらいなので、アニメスタッフの判断にはがっかり半分感謝半分。まぁ、忠実なアニメ化を望むならばやっぱり全エピソードやって欲しかった気はするんだけどね。他のエピソードについては、時間配分もちゃんと考えられていたし、オリジナルアレンジの部分も「アニメにするときには原作では分かりにくいだろう」という部分を積極的にいじっていたのが分かったので、悪くない修正だろうと思えるものが多かった。ここまできちんとスタッフに愛と理解を得られただけでも、文句を言うのは筋違いというものだろう。良いアニメでした。 個人的には中の人MVPはクラフトの子安だったわけだが、浪川先生の頑張りも素敵だったし、だんだんキャラが固まってきた細谷佳正についても、悪くなかったと思う。そして、カラーレンジャー回はあまり聞かない名前ばかりが並んでいたのだが、特に気になる点もなかったのは有難かった。金谷ヒデユキがメイン張ってるのとか、どういうことだろうと思いましたがね。笹島かほるんも随分久し振りに見たなぁ。あとは二股人魚の中の人でしょうか。幸薄い声サイコー。
「IS<インフィニット・ストラトス>」 4→4
今期最大のフーン枠。世間では「CLANNADは人生」のテンプレに追加して「ISは養豚場」という表現が生み出されたらしいが、なるほど、上手いことを考えたものである。ただ、それってつまり入場できるお客さんをかなり制限してるってことで、イマイチ食指が動かない人間にとっては、単なる「キツめの臭いがするもの」でしかないのが正直なところである。 先に評価すべき点をあげると、なんと言っても画面の安定感。サテライトあがりの菊池康仁とエイトビットの製作体勢は「マクロス」の例に倣わずとも終始不動のもので、シリーズを通じてやたらめったら明るい青空を基調とした画面構成は、見ているだけでも気分が高揚する。キャラクターの造形も細かく、実に丁寧で、なるほど、女の子が可愛く描けていればいい、というノルマならば十二分に達成出来たといえるだろう。これだけ無節操にキャラクターを上書きしていく方式だというのに、なんだかんだで全ヒロインが(そこそこ)埋もれずに頑張って自己主張が出来ていたのも、ひとえに見ていて萎えないだけの画の力があってこそだろう。ちなみに、個人的にはネタ要員になったときにどれだけ輝けるか、というのが評価ポイントになったので、セシリアが好みです。ラウラの情けない姿も良いね。 とまぁ、「養豚場」としての仕事は全うしたであろうこの作品だが、いかんせん、それだけでは中身がなさ過ぎる。上にはセシリアが好み、と書いたが、何故彼女が良かったかというと、彼女の人生や一夏との絡みには、主義信条やキャラクターのバックグラウンドに依拠する要素がほとんど無いためである。セシリアが一夏について回るのは、最初の一騎打ちで敗れた悔しさの裏返しがスタート地点であったが、そこからは単に周りを取り囲む有象無象と同レベルに、「何となく一夏について回る」だけの役割。そこには辛い過去も、執念も存在していない。だからこそ、単純に彼女だけは面白がれた。 ただ、残念ながら他との絡みだとなんだか変な臭いがする。一番残念だったのは、最初に応援していた箒だ。彼女は最後の最後で専用機を手に入れて一発逆転、最終的には箒エンドで幕を閉じるという、理想的な幼馴染みポジションだったわけだが、「専用機が無くて落ち込む」というイベントの描き込みが全く厚みを持っていない。どちらかというと世界に400台程度しかないISの専用機を、こんなところの女子学生が大量所持している事実の方が問題だと思うのだが、箒の場合、そんなたいそうなものを持ちたいと思えるだけの背景が無いのだ。おかげで、最後に浮かれるイベントや、浮かれついでに一夏に怒られるイベントもなんだかよく分からないテンションになってしまっている。そもそも、ちゃんと任務を遂行していただけの箒が、一夏の勝手な行動の巻き添えを食らって悪者扱いされる流れがおかしすぎて、彼女が落ち込む理由がぜんぜん分からないのである。 他のキャラクターも似たり寄ったりだが、結局、この作品は「キャラさえ可愛く見えりゃそれでいいんじゃね?」という大義名分を過剰にはき違えてしまい、物語の下地づくりを放棄してしまっているのだ。おかげで、メインシナリオを気にしてしまうと、ストーリーに没入することが出来ず、「可愛いヒロイン」要素もおまけ程度の扱いに感じられてしまう。そうなれば、もう萌えるどころではないのである。本当に、この作品のシナリオを考えた人間は一貫したシナリオラインを組もう、という意識があったのだろうか? 分からんねぇ。 ま、どこまでが原作の責任で、どこからがアニメスタッフの怠慢なのかは分からないので、単純な原作批判をするつもりはないが、いかに「萌えハーレムアニメ」だからといって、ここまでいい加減にものを書かれると流石についていけませんよ、というお話でした。 でも、中の人に責任は無いな! 麻里奈もゆかなも可愛いな! 花澤は反則だな! ぴかしゃはラジオが本命だからアニメの中身は別に気にしないこととする。以上だ! 「これはゾンビですか?」 5→4 うーん、なんだかよく分からない作品だったな。ものすごいごった煮でとにかく思いついたことを全部ぶち込んでみた、みたいな作品で、その「思いつき」に統制が取れておらず、どこに行きたいのかを誰も分からない状態になってしまっている、そんな印象である。分からなくなったのは視聴者だけでなく、制作スタッフも、そして原作者についても、そんな気がする。 面白い部分は割と面白い。ギャグに特化している時にはそれなりに笑える要素も少なくなかったし、現代ラノベの残りカスの塊みたいな、とにかく属性だけを山のように盛りつけてそれを垂れ流すだけ、というアイディアも、実は案外メタネタとして悪くないのではないか、という気にもなった。しかし、その程度のネタ回しは、本気でギャグに振り切れた作品の命がけのチャレンジには敵うものではない。中心となるアイディアが無いままに走り出してしまったが故に、体幹が維持できずにフラフラしているだけなのだ。 たとえば、えげつないネタの1つに魔装少女となった主人公歩の姿があるが、既に現代アニメでは「キワモノ魔法少女」のジャンルはほとんどの道を走り追えた後で、野郎が変身するくらいではトップランクのネタとは言い難い。世の中には魔女の孵卵器や白い悪魔など、もっとえげつない魔法少女が山ほどいるのだから。でもまぁ、「歩がもっと可愛く!」とか、そういうネタ回しはちゃんと設定をいかしているので悪くないとは思ったけど。豚骨ラーメンの回とか、突っ込みようもないくらいに突き放してくれた方がこの作品のテイストとしてはありがたかったか。 また、ヒロインの乱立っぷりが消化不良でイマイチ活かし切れていないのも勿体ない部分。結局歩の中では一番大事な存在はクーだったと思うのだが、それを埋め合わせるくらいにハルナが頑張ってしまい、どこを見たらいいのかがブレてしまった(ユーの魅力が、結局中途半端に終わってしまった)。最終的に、一番親しみやすいヒロインが割と常識人のトモノリだってのも頂けない。ギャグが武器にならずに阻害要因になってしまうようでは、ハーレムものとしての設定にかみ合わない。当然、シリアス展開になると、「ろくにバックグラウンドもないのになぁ」と不安になってしまうこともマイナス要因だろう。やっぱり、要素だけの切り貼りで成立するほど、物語というのは甘くないのである。 おかげで1話1話を「独立したよく分からない流れのギャグ」として見た場合には、それなりに楽しく見られたというのがこの作品の評価点。毎回妄想ユーが誰になるのかが楽しみだったし、メガロの造形なんかも割と楽しかった。そういえば、中の人で言うと、今作で一番頑張っていたのはハルナ役の野水伊織か。最近はすっかり新人臭さも消えて、安定感のある仕事が出来るようになった。お歌の方はそこまで大したものではないが、今後はエースの看板を背負って一線で戦っていくことになるのだろう。なかなか楽しみである。……結局、クー役の月宮某にとって、この作品はどうなんだろうな。作中でほとんど声が聞こえなかったから印象がぜんぜん無いわ。
○「STAR DRIVER 輝きのタクト」 7→8
綺羅星! ほら、なにも問題無かったじゃないか。うん、放送が終わってしばらくしてから気づいたんだけど、結局部長と副部長は何者だったんだろうな。エントロピープルって何だったんだろうな。投げっぱなしだけど、別にどうでもいい。ま、「サイバディがなんだか分からない存在だから、あいつら地球外の存在が作ったものなんだ」っていうのを何となく臭わせる引っかかり程度があれば充分なんでしょう。実際、どうでもいいし。 さて、改めて1話時点での感想を振り返ったら、大体今と同じ感想で笑ってしまった。つまり、この作品は半年やっていたけど全くクオリティを下げずに走り抜けたということになる。シナリオ、キャラクタ−、動画、演出、全てがハイクオリティで、馬鹿みたいに楽しめる。隙がないっていうほどに完璧すぎる部分はないのだが、それ故に、視聴者に委ねられた好き勝手な楽しみ方があるのもこの作品のセールスポイントだ。ガッチガチに見方を決めつけてしまうのではなく、とにかく面白いものをばらまいて、それを繋いでおくことで、あとは視聴者が勝手に面白い部分を拾い集めて好みの作品に仕立て上げてくれるって寸法だ。ずるっこい姿勢だとは思うのだが、勢い重視の榎戸脚本では、これが本当にハマってしまうから参ったものだ。私自身が1話時点で「足りないものがない作品」と評したのだが、今になってみると、本当にそんな言葉がしっくり来る気がします。 唯一視聴者から不満が出そうなのは、あれだけ引っ張っておいてぜんぜんすっきりしなかったワコの周りの人間関係くらいのものだろう。実際、なんじゃそら、という終わり方ではあるのだが、最後の最後にはケイトという素敵なキャラクターが出てきてくれたおかげで、思っていたほど「3人の閉じこもった世界」にならず、「別にワコが駄目なら他の女を取ればいいんじゃね?」みたいなゆる〜い逃げの算段が打てる。真剣に応援していた身ならば「そんなんじゃ駄目だ、ワコはスガタと幸せにならなきゃいけない!」と叫ぶ人もひょっとしたらいるのかもしれないが、このお話を見てそこまでどこかのカップリングに入れ込むのはちょっと思い込みが強すぎるだろう。今にして思えば、「どっち付かずで最後まで来ちゃった」のは、本当にワコが単なるどっちつかずだったせいなのだ。じゃぁ、それが答えでいいじゃないか。現実の人間関係だって、そんなもんだろうしな。 あとはもう、ただひたすら馬鹿なキャラ、ストーリー、演出をお腹いっぱい楽しむだけ。よくもまぁ、毎週毎週ここまでのめり込ませることが出来たものだと、感心しっぱなし。我ながら単純なメンタリティだとは思うが、楽しんじゃったものは仕方がない。みんなで一緒にレッツ綺羅星だ。「貴様、銀河美少年か!」で幕を開け、「なにが綺羅星だよ、馬鹿馬鹿しい」で閉幕するこの作品。改めて見ると、本当にひでぇな。すごく良い意味で。 中の人については、本当に毎回触れているのでほどほどにしたいが、こちらも言ってしまえば「足りないものはない」。タクトが宮野なのが最初はどうだろうと思いながらの視聴だったのだが、やっぱり奴はアホな役の方が似合うね。「デュラララ!」の紀田とか、タクトとか、どこか浮ついてて「実際に居たらあんまり友達にはなりたくねぇな」と思わせるキャラクター造形が魅力。その父親であるヘッドについても、絶対お友達になりたくないのは一緒。そろそろアニメ業界は石田彰を制限カードに指定すべき。だって、いるだけで卑怯じゃん。面白すぎるんだよ。 そして更に詰め込まれるのは各種ヒロイン勢。本当にしつこく言っているが、マジで四方の巫女は4人でグループを結成して欲しい。ここまで歌える4人が集まったのだから、一人1曲のソロだけってのは勿体なかろうに。当然、小清水にはあのダンスを踊ってもらうがね。モデル体型だから絵になるはずだ。静かに歌い上げる早見沙織のソロ歌唱に始まり、戸松が高らかに歌い上げる荘厳な「モノクローム」、日高里菜ちゃんには是非ミズノのコスプレで登場願いたい。ほら、こんなに妄想が止まらないよ! 結局、どこかの誰かが期待していたような「続きは劇場版」エンドではなかったが、まだまだこの世界は続けていけるだけの土壌がある。人生という冒険は続くのだ。まだまだスタドラワールドは終わりじゃないと信じたいものである。なにが最終回だ、馬鹿馬鹿しい! |
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