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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 ○「魔法少女まどか☆マギカ」 5→8

 ようやくほとぼりも冷めてきたので、ボチボチこの感想を書いていきたいと思う。長きに渡った1月期番組感想も、ここでやっと終わりだ。

 まず、この作品が今シーズンのアニメの中で最大の話題をかっさらっていたことは間違い無く、それにふさわしい出来であったことは断言できる。その上で点数を8で止めたのは、今現在においても、作品本来の盛り上がりと、その周りを取り囲む騒乱の区別が付けられないためだ。アニメを取り囲むムーブメントも含めて1作品と見てしまうというやり方もあると思うのだが、個人的には、この12本のアニメの中に、過去のアニメ史を塗り替えるほどの最大級のインパクトがある、という風には捉えていない。10点満点の10点は事実上空位にしているくらいなので据え置くとして、9点を冠した作品群に列するものになるかどうかは、現時点で決めかねるのが実情だ。今後のアニメ業界の変遷を見て、「やはり『まどか』は時代の分岐点であったか」と言われるようになれば話は別だが、今のところ、そこまでの影響は無いだろう、というのが近視的な見方である。

 とはいえ、冒頭でこんな注釈を書くくらいなので、ぶっちゃけると9点でも10点でもいいんじゃないか、というのが内なる感想だ。その上で意固地になっているのは、多分「こんなん俺の知ってるシャフトと違う」という気持ちが大きいのだろう。長年キワモノの代表として扱われてきた制作集団シャフト。「化物語」でブランドとしての地位を確立させた異端児は、オリジナル作品でついに頂点に上り詰めた。そこに現れた制作スタイルは新生シャフト流と言ってしまって良いものだろうが、万人に受ける作品を打ち出せたということは、そこに本来残っていたアクの強さが無くなってしまったということ。個人的には「化物語」の方がイメージしてるシャフト的作品なので、この作品が面白くなったのが、少し悔しいのである。

 「シャフト的」とは一体何なのか。個人的には、その答えは独特のエッセンス描出にあると考えている。尾石達也、森義博、武内宣之といった面々がその代表格だが、アニメーションの目的を「動かすこと」そのものに見いだすのではなく、「時間軸を持った映像の集合」として大きく捉え、その中で与えられた脚本の要素が伝わる方法を様々な方向から模索するスタイル。それがシャフトのシャフトたるポイントで、それこそが新房昭之の生み出した1つの文化である。もちろんこの作品にもそうしたエッセンスは詰め込まれているのだが、細かく刻んだカット構成や、独特のカメラアングルによるいわゆる「シャフト角度」などは、あくまで過去の作品の蓄積によって生み出された様式であって、この作品のために生み出されたものではない。そう考えると、この作品はあくまで「これまでシャフトが関わり続けた様々な作品で培った技術の総合展示場」であり、「新たな一歩」とは言いにくいのである。常に無茶とも言える挑戦を続けてきたフロンティアスピリットは、この作品ではちょっと物足りなかった。

 とはいえ、「これまでの技術の総合展示」であるとすれば、やはりその規模はとんでもないものになっている。シャフトの技術の粋が、一体どんな目的に使われたかといえば、この作品で最も顕著だったのは、完全に非整合であるはずの諸要素の融和である。具体的には、蒼樹うめ画と、イヌカレー演出と、虚淵脚本。この3点を結ぶラインなど、過去に存在してるはずがなかったのだが、そこに極細の繋がりをみせた奇跡こそが、シャフトの最大功績となった。その上で、「動かすこと」というアニメーションの基本原理においても必要充分な品質を維持し、全ての要素を1本のアニメシリーズの中に抱き込んだ。大抵のグルメ漫画だと悪役が使って負けるパターンの「最高食材を集めまくって混ぜ込んだ料理」を、それに見合った器を用意したことで、名実ともに「最高料理」にしてしまったのである。こんな非道は、普通のスタジオでは実現し得なかったことだろう。

 話題の中心となるのは、やはり虚淵脚本である。ただ、冷静に見返してみると、「魔法少女」というテーマの扱い方が斬新である部分を除けば、残りの見せ方はごくオーソドックスなものである。物語の中心となるのはまどか・ほむら・さやかという3人の少女で、ほむらの物語として見た場合には、最近のラノベやSF小説では割とありそうなライン。シンプルな友情物語としての骨格が最も強く、作品の軸となった基本に忠実な内容。それをエキセントリックな後味にしたのは、ほむらの物語を更に上の視点から観察したまどかの物語。こちらはオチの付け方が突飛で、ともするとトンデモ系のネタにも見られる危険性があるのだが、ほむらの物語との接点が周到に配備されていたおかげで、1本の友情物語のサブテーマとして、こっそりと着地に成功した。そして、まどかとほむらという2人の物語の裏返しとなったのが、中盤を盛り上げたさやかの物語。こちらもシンプルな悲愛であり、なおかつ作品の根底をささえるキュゥべえというシステムの描出に最大限の効果を発揮した。「小メリットを得るために、後の大リスクを背負う」という構造は文学作品などでも多く扱われるジレンマの1テーマであるが、それを「魔法少女」というタームに結びつけて、悲哀として構築したことが、ここまでの新鮮さに繋がったのだろう。分解してみれば何とも理知的なシナリオ配分。けれん味の付け方といい、やはりけちの付けようもない。加えて、地味な要素ではあるが、各エピソードのサブタイトルの捻出も、この作品のインパクトを一段上に押し上げることに貢献した。個人的にベストエピソードだと考えている「あたしって、ほんとバカ」など、何気ない一言にも神経を遣った脚本の見せ方が、細やかな売り方に反映されているのだ。

 そして映像部分では、蒼樹うめ先生と劇団イヌカレーという、水と油の2つの要素による融和が見どころ。うめ先生の絵は、序盤に看板としての魔法少女を売り込むのに効果があったことに加え、最終的なシナリオの中心が「2人の少女の友情物語である」という部分に大きな影響を与える。現代アニメとしてのセールスを考えた上で、「起点と着点はやっぱりうめ絵で」という決断は、実はものすごい英断だったのではなかろうか。そして、その「蒼樹うめの世界」を一時的にぶっ壊してこの作品のメインテーマである「魔法少女システム」を現前させるのが、イヌカレー空間である。「絶望先生」で初めてアニメとして世に現れたイヌカレー空間は、その異質さから「とにかく意味の分からないもの」を描くのに最適なツールであると判断されたのだろう。「これまで一切無かった魔法少女の世界を描く」という無理難題を見事にこなしてみせた創造力には頭が下がる。そして、こうした要素を全て巻き込んで、1本の流れを作り出したのが、シャフトの力だったわけだ。改めてみると、このボーダーレスな多層世界の結合の難度がどれだけ高かったかが分かるだろう。

 そして、やっぱり最後は中の人の話。この作品を評する上で、中の人たちの功績を語らずに終わるのは片手落ちの誹りを免れない。基本的には「3人の少女達の物語」であるから、やはりそのキャストが最大功労者といえる。美樹さやか役、喜多村英梨。彼女無くして、12話を完走するだけの持久力を得ることは出来なかった。鹿目まどか役、悠木碧。多層世界に現れる幾人ものまどかと、最後に人の理念をも越える概念存在へと昇華したまどか。これが「生きている」ように聞こえるというだけで、それはもう事件であろう。そして暁美ほむら役、斎藤千和。これこそが千和、これでこそ千和。やはり本物の持つ風格は、他を寄せ付けない。もちろん、その他水橋かおり、野中藍、後藤邑子といった面々も良い仕事をしてくれました。何一つ不満はありません。

 全ての要素において、不満の出る部分はなく、ただひたすら溜息だけが漏れ続けた。色々と悩みの尽きないアニメ業界であるが、オリジナル作品でここまでの結果が出せたのだから、まだまだ表現技法としての可能性は残されているはずだ。さて、次の地平は一体どこになるのか。今後も、シャフトに限らず、多くの制作者たちが「次なるまどか」を作り上げることを期待してやまない。

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