最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
○「キミと越えて恋になる」 5 なんと今期3本目の中原ママン作品。もはやそっちが本業になったか……いや、年齢を考えれば別におかしなことはないのだが、なんかこう……時代の流れが切ない……。 脇の情報からスタートしてみたが、色々と刺激が多くて評価に悩む作品。例によって「加点要素もあるが減点要素もある」というのでトータルはイーブンという判断にさせてもらったので、数字としては中庸に落ち着いてしまうのは申し訳ない。まぁ、新番チェックなんて4〜6点に集中するもんだから(身も蓋も無い)。 今作は先に良い点をあげてしまおう。割とびっくりした要素なのだが、今作の制作はなんとミルパンセである。ミルパンセのくせつよ画風はここ数年で一気に存在感を増してきており、プラス方向への伸び代を感じたのは「蜘蛛ですが、なにか?」の時だっただろう。あまりにもビビットな原色ギトギトの濃い画面に、どっからどこまでがCGなのかよく分からないけどとにかくぬるぬるした謎の画面。前身として作られていた「ベルセルク」はどう考えてもCG風味が強すぎて受け入れられる土壌がなかったが、その後の展開で少しずつ「CGのクドさ」を調整し、さらに世間的にもCG作画への抵抗感が薄まっていることから、「蜘蛛」→「異世界チート」となろう作品2連発を展開したのち、先ごろ展開されたのは「沖ツラ」であり、こちらはもはやクドさすら武器にして新たな分野を開拓せんとする勢いだった。 そして、そんなミルパンセのクセ強画風がついに現代アニメとの融和点を見出したのが今作であるようだ。正直、アバンではミルパンセだとは全然意識せず、私が「あれ?」と気づいたのはオープニングで音響名義に板垣伸の名前を見つけた時点である。ついにCGの不自然さを払拭し、今作は見事に「少女漫画の作風」が画面に載っている。当然、動きだってしっかりしているし、おそらく原作ファンもこの作画なら不満はないはず。ついに、このスタジオが一線級の「作画スタジオ」になる準備が整った感がある。ちなみに板垣伸と共同で監督にクレジットされている木村博美という人は来歴を辿るとミルパンセの生え抜きっぽく、これまで総作監やキーアニメーターをこなし、この度ついに監督名義に。ミルパンセの底力が見られるかどうか、なかなか楽しみな部分である。 そうして映像的には刺激の多い作品だが、マイナスというほどでもないのかもしれないが、懸念点があるとすればシナリオそのものである。今作はオブラートをひっぺがして語るならば、ぶっちゃけ「被差別民との恋」を描いた作品である。別にフィクション内でそのような設定を出すこと自体は何の問題もなく、むしろ突拍子も無い「獣人」の設定は最初から引き込まれてしまうものだったのだが、やはりあからさまな「差別」の様子というのは見ていて気持ちの良いものではないし、軽々に扱いづらいテーマであるのは間違いない。今作は国レベルというか人類種レベルで獣人を「差別」している社会傾向がはっきりしており、この状況下での「被差別民との恋」というプロットは、単に「困難の多い恋路」というだけで終わらせてはいけないものになっている。ここで安直な「差別」の描写を繰り返したり、安易な解決を持ち出したりすると、「設定のコストとペイが見合っていない」という評価になりがちである。わざわざこの設定を持ち出したからには作者サイドで何かしらの大きな「決着」を用意しなければいけないわけだが、1話目の設定だけを見ると、まだそのように大きな志を持って展開している設定には見えなかった。単に「身分違い」を演出したいがための「差別」だとすると、ちょっと安易だし余計なストレスの種になりかねない。 まぁ、全てはこれからの展開次第ではあるのだが、しばらくは様子を見守って「ちゃんと考えてこの設定を作ったんですよ」という部分が証明されていくことを願っている。ひとまず最初に「獣人と人間のSEX」についての設定を公開してもらおうかね。話はそこからだろ。そうだろ。 PR ○「ちゃんと吸えない吸血鬼ちゃん」 5 実は私は……吸血鬼もののコメディなんて山ほどあるだろうけど、テンション感はアレがやや近いかね。ただ、全体的な雰囲気でいうと阿波連さん。というか、単に座席位置が完全に阿波連さんとライドウ。 というわけで学園コメディらしい作品。Wikiで確認すると掲載誌は「ドラゴンエイジ」で、すでにコミックは9巻で完結しているらしい。アニメ1クールで9巻やることはないだろうけど、「結末が分からなくてモヤモヤ」みたいな心配がないというのは安心できる要素だ。いや、この作品の「結末」が気になるかどうかは知らんが。 ガワだけみれば割とありきたりだしそこまでパンチの効いた作品ではないので「これ以上の上がる要素が無いのでは?」と警戒して点数は据え置きだが、アニメーションとしてのクオリティだけ考えれば評価は良い寄り。制作のfeel.は去年は1本も無かったくせに、前クールの「Summer Pockets」に続いて今期はこれと「千歳くん」の2本体制。まぁ、単に放送時期の問題で制作時期は各々異なるのかもしれないけども。とにかくそんなfeel.の作る映像部分は比較的安定しており、何より重要なポイントであるメインヒロイン・石川さんの様子は可愛らしく描けている。また、「阿波連さん」を比較に出したのは「よく考えるとヒロインよりも野郎の方がイカレてないか?」という部分が共通していたからで、主人公の大鳥の様子もきちんと魅力的に描く必要があり、その要請もおよそクリアできている気がする。 キーとなるのはデフォルメを使うタイミングで、本作は「石川さんが血を吸う時小さくなる」という(本人は自覚してないっぽいけど)謎現象が作品内部からも「デフォルメ化」を正当化できる珍妙な道具立てとして機能しており、ヒロインの愛らしさは文句なしだ。そしてこのデフォルメ化の波が外野にまで押し寄せ、大鳥もしょっちゅう顔のパーツが省略され、簡単な画でポヤポヤと進む雰囲気が統一されているのだ。ちなみに監督は「ファ美肉」「ダンジョンの中のひと」と2作続けて良い雰囲気の作品を提供してくれている山井紗也香氏で、今作もそのクレジットだけでちょっと期待してしまうし、なぜか「ひげのおじちゃん」こと池端隆史氏も「助監督」という立場でクレジットされている。これって意外に重厚な座組みになってるんじゃなかろうか。 先述の通り、そこまで爆裂面白くなる気配はないのだが、ただ緩やかに、平和な世界が描けていればそれで良い作品なのだろう。ママになる喜びは分からないけど、ちっちゃくて可愛い何かを愛でたい気持ちは分かるのでね。
○「デブとラブと過ちと!」 5 前クールには「ブス」アニメが放送され、続けて「デブ」アニメがスタート。こういうタイトルが堂々とまかり通るあたり、業界が病んでいるのか、それともこの国全体が病んでいるのか……まぁ、別に言葉狩りをする意味もないので、むしろ世界的に堂々とこういう言葉を使えるようになった方が気が楽だとは思うんですけどね。 こちらも前の週に解説特番があったので概要はなんとなく把握した状態でスタート。Web連載なのでなんとも言い難いが、ジャンルとしてははやり「少女漫画」ということになるのだろうか。実写ドラマも成功したとかなんとか言ってたし、なんでわざわざアニメ化されたのかはよく分からんのだが、まだまだ掘り続けられるだけの鉱脈を感じてるってことなのかしら。メディア化の基準はいつも謎である。 いわゆるシンデレラストーリーを展開するためにはスタート地点でヒロインが「灰被る」必要があるってんで、ブスだったりデブだったりから始まるというのもある種の定番なのかもしれない。「ブス」の方については「少女漫画テンプレだし、端々にどうにも受け付けない要素が……」とネガティブな感想しか出てこなかったが、こちらの作品は実はそういう要素が案外少なくて普通に見られてしまった。イケメンとのランダムエンカウントとか「おもしれー女補正」とか都合のいい部分があるという意味では同じようなもんなのだが、決定的な違いは「デブ」という要素の扱い方だろう。 まず1つに、ビジュアルに割とこだわりがあるというか、結構あけすけに「デブ」を描いている点。どんなカットでも基本的に夢子の二重顎が解除されることはないし、面相のタプタプした感じとか、「絶対にデブであることを忘れるなよ」みたいな作画のこだわりは感じられる。そこに正々堂々とした「デブだと嘲られたものをそのまま描いてやろう」という姿勢が見えるのは評価点。そして、そんなビジュアルからくるヒロインの扱いについて、ヒロインがネガティブじゃないというのが最大の評価ポイントだろうか。別にネガティブなものを描くのが悪いってことじゃない。ただ単に自己肯定感の低い「自称ブス」が「報われる意味がわからなかった」のに対し、こちらのデブなら理屈抜きで「前に進む」エネルギーを持っているため、「これなら相応の見返りがあってもいいだろう」と思わせてくれるのだ。また、単なる「ひたすらポジティブハッピー」ではどこかに胡散臭さが漂ってしまうのだが、夢子の持つ大雑把なポジティブさって、いわゆる「おばちゃんのおおらかさ」なのよね。我々が現実レベルで見たことがある、理屈は通じないがどうにかしてくれそうなおばちゃんの理不尽なあのエネルギー。あれが見えると、そこまで「都合よくおもしれー女」ではない気がしてくる。結局、人類はおばちゃんのパワーには勝てないということなのだろう。 また、シナリオが単なるざまぁ(?)やハッピーではなく、ちゃんとその裏に何かしらの縦糸が感じられるのも先々を気にさせてくれる要素で、同期のぶりっ子ちゃんや杉田課長などの不穏な要素がどういうアクセントになっていくのかは普通に気になるお楽しみ要素だろう。 あとはまぁ、夢子役に遠藤綾っていうキャスティングがいい采配だなぁ、と思う。ほら、ブスの方は早見沙織だったわけじゃないですか。ブスだっつってんのに声で逃げるなよ、と思っちゃうわけですよ(別にみさおは悪くないやで)。遠藤綾の生み出すキャラクターの方向性が、しっかりと「ギャグ」に寄せてて現実感をかき消しちゃってくれているのでこのヘンテコ構造を楽しめるようになっているというのが、演技の作り方ってのはいろんな妙味があるもんだと感心してしまうのである。ただ、ここから記憶が戻った状態の夢子が現れた時にどうなるかは分からんけども。記憶喪失というかもはや「人格変化」なのでどこまでいっても「梓川花楓問題」は抱えてはいるのだが、多分そこまで深く悩んで観るような作品でもなかろう。あとはせいぜい最低ラインの作画クオリティを維持してくれることを祈るばかりである。 ○「ワンパンマン(第3期)」 ― キャストロールの数がとんでもないことになってたな。2ページにわたってぎっしり錚々たる名前が並んでるって、流石にキャラ数多すぎやろがい。 さぁ3期目。張り切って観ていこう……と思いながらも、確認したら2期の放送が2019年と6年前。まぁ無理よ、そりゃ覚えてない。一応、先週導入代わりの解説特番が入っていたので「2期に何があったか」はなんとなく思い出せた気はするのだが、それでも居並ぶ大量のキャラクターを全部覚えてるわけもなく、どれが既存のキャラでどれが新キャラかもよく分からない(特に怪人側)。子安がいたことはなんとなく覚えてるので、現時点ではガロウと子安の関係性だけ把握しておけばなんとかなるか。ヒーロー側はそれに輪をかけて多いが、ここまできたら誰が本命で誰が噛ませかも分からんわ。 ほんでややこしさとは一切関係ないが個人的にどうしても並べて見ちゃうのが今作と「ヒロアカ」。どちらもヒーロー大挙ジャンプアニメであり、趣旨が全然違うのに全体的な雰囲気にはどこか似通ったものもある。確認したらヒロアカと今作が同時にアニメで放送されるタイミングは史上初である(ほんとどうでもいい情報)。さらにビビるのは、ヒロアカは8期まで制作されてだいたい年1くらいでコンスタントに放送されていたので随分な長寿番組のイメージがあるのだが、なんと1期の放送でいえばこっちの方が早かったという(こちらは2015年が第1期、ヒロアカは2016年スタートである)。ガチで時間の感覚がよく分からん。さらに付け足すなら今作が未完、ヒロアカは完結済み。……媒体が異なるとはいえ、なんとも珍妙な関係性である。 せっかくなので似てる部分も1つ挙げておくと、アニメ制作が長期にわたっているためにスタッフがちょいちょい入れ替わっているというのはどうしても避けられぬ類似点。今作は2期で制作がマッドからJ.C.STAFFに移管しており、1期の夏目真吾監督から毎回監督のクレジットも変化しているし、その他のスタッフも結構変化してるっぽい。監督を任された人が過去にショートアニメの監督しかやってないんだけど大丈夫なんだろうか。いや、別に1話目で何か不満があったわけじゃないが。 久しぶりに見た画面で何か感じたことがあるとするなら、例えば「最近はこのテンションの古川慎を見ることまずないよな」とかだ。それこそサイタマは古川氏が売れる1つのきっかけだった作品でもあるが、それ以降はだいぶテンションが上下に振れる役柄が多く、ここまで低血圧で一本調子なキャラはほんとに珍しい。そういう部分だけでも時代を飛び越えた新鮮さはある。あとは最近アニメでのタイアップ仕事が少なかったJAM Projectが久しぶりにオープニングを担当し、しかも今回はBABYMETALとのコラボという異色のユニット形成。ここはちょっと贅沢で面白い。 さて、時代を超えて新しい面白みが見つけられるといいんですけどね。 ○「グノーシア」 6 初回は27分とちょい枠が拡張されていたようだが、この時間で5人盤面を処理するのはギリギリやな。 さて、変則人狼アニメがスタートした。私は結構な度合いで人狼好きだが(残念ながら見る専だが)、今作にはまだ触れたことがない。実は贔屓にしてる配信者なんかは割とこのゲームをプレイしてるはずなのだが、端的にいうと「新しいゲームのルール覚えるのがめんどくさい」ってんでその配信は飛ばしてしまっていた。結局、根本的にゲーム配信を見るのは得意な方ではないので、数年前にAmong Usを追いかけるようになって以降、Feignはちょろっと追いかけたがだいぶ複雑になってしまっていて今見てもあんまり分からない(おバカ人狼のくせして役職の絡み合いが複雑なんだよォ)。さらに最近は「デスノート人狼」も割と人気みたいだが、こちらもルールを覚えてないもんだから盛り上がってる界隈を追いかけていない。こうして、贔屓にしている界隈からも置いていかれるのがおっさんなのである。 そんなわけで「人狼っぽいゲームだよね」しか知らない状態でアニメの視聴をスタートしたが、想像以上にガッツリ人狼でちょっとびっくりした。というか、「宇宙船の中がこんなに人狼ゲーム専用にチューンされてる意味がわからねぇよ」というツッコミがしたいくらいなんだけど「そういうゲームなんだからしょうがねぇだろ」と言われそうなので一旦黙っておく。1話目を見た時点での疑問として「コールドスリープした時点でそいつが人狼かどうかわかるんだったら、判定出てすぐに解凍したらダメなん?」とか思うけど……多分ダメなんだろうな。なんか理由はあるんだと思います。 そんなわけでよく分からんゲームが始まったが、やっている行動と根本的な行動原理は慣れ親しんだ人狼ゲーム以外の何ものでもないので理解にハードルはない。「最終盤面で釣られた人間の遺言で負け確やんけ」みたいな感想とかがちらほら出てくるし、「お前が胃痛ポジかい」とか色々と手軽に意見も出せて、まさに人狼配信を見ている時の感覚といえばそうかもしれない。ただ、もちろんそこから先は未知の領域。どうやらタイムリープものだったらしいが、はてさてこの先はどのように人狼を続けていくことになるんだろうか。シナリオの構成はシンプルに興味はある。 細かい部分は分からないのでぶっちゃけ1話目は「雰囲気」での評価。制作はこないだまで「フェルマーの料理」を担当していたドメリカだが、今回はなぜかシリーズ構成にスタジオ名がクレジットされるなんて謎の現象は起こらず(シリーズ構成は花田十輝である)、加えて「フェルマー」の時よりも随分作画はまとまってるような印象がある。サイバーでスペースな雰囲気を醸し出す非常に繊細なキャラデザは動かすのが難しそうなのだが、CG技術を上手いこと転がしているのだろうか、あまり違和感なくそのままの絵で動かせていて純粋に高評価。クドいキャラデザについても、延々同じキャラの顔を見ながら議論しなきゃいけないというゲーム性を考えれば多少分かりやすすぎるくらいでちょうどいいのだろう。この雰囲気を見てるだけで「ゲームの方も触ってみてもよかったかもな」とは思っている。 シナリオ運びについても、「人狼ってドラマにするの結構難しいのよねー」とは思いつつ、まさか1話目で1卓目が終了するとは思ってなかったので、推理もへったくれもないスピード展開はむしろ潔いとプラス評価でとってしまった。ちなみに「人狼ドラマは難しい」とは言ったものの、過去には「やや人狼」であった「六花の勇者」は大成功を収めているし(個人の感想です)、アニメですらないが私はドラマ「人狼ゲーム ロストエデン/インフェルノ」の大ファンになった過去があるので、実はドラマにしても結構楽しめたりするのである。 願わくは、ここからまた人狼文化が世に広まりますように。そして広島県在住の某配信者が楽しんでくれるといいな。
○「さわらないで小手指くん」 ― 新番期には、私は一切作品の情報を入れず、一覧ページを参照してひたすらにレコーダーに予定を入力していく。最近はその過程で「すでに切った作品の続編」なんかを外していくわけだが、外す作品の1つにいわゆる「僧侶枠」と呼ばれるショート作品群がある。この枠、改めて確認したらなんとスタートは2017年と8年も前で、そこから休みなしでコンスタントに毎クール1本は製作されている、由緒正しい伝統芸能になっているのである。 そして、それと同じAnimeFestaというレーベルの作品が少し前に追加で放送されたことがあり、それが「エルフさんは痩せられない。」だった。他の関連作品と違って30分枠だったもんで私も気付かず録画しており、視聴を始めたらアニメは10分弱で終了、そこからどーでもいい絵の止め絵ドラマが始まり、強引に30分に枠を延長したなかなかの意欲作(?)。当然のように綺麗に2話目で切らせていただいた。 そして油断していたところに同じ洗礼。今作も実はAnimeFesta枠だったのに気づかずに録画していた。内容は「神の手を持つ整体のプロである男子高校生が同じ寮に住まうことになった若き女子高生アスリートを次々にマッサージして……」という実に分かりやすい内容である。一応1話目で犠牲になった(?)キャラのCVが直田姫奈だったり、監督が斎藤久だったり、みるべき点もあったので最初は気づかずに見ていたのだが、さっさと本編が終わって止め絵ドラマが始まったところで「エルフさんと同じ枠かい!」ということに気づいてむしろスッキリ。まー、流石に視聴は継続しなくていいと思う。 なお、Wiki情報によると今作は原作が13巻出ているらしい…………何をそんなに続けることがあるんだ? ○「羅小黒戦記」 6 今更この作品を「新番」として品評するのもなんか違うやろ、という気もするが、まごうことなく「新番組」として始まったので、せっかくだから俎上に載せておこう。 知らない人のために解説しておくと(というか私もよく分かってなくてWiki見にいっただけだが)、今作は映画作品として有名で、「羅小黒戦記 ぼくが選ぶ未来」のタイトルで5年前に吹き替え版が日本でも公開され、各所で話題を呼んだ。私もそのタイミングで映画を視聴しており、「中国アニメ、ここまできたものか」と舌を巻いた記憶がある(記録もある)。しかし、実はこの劇場作品は「人気が出たから作られた事実上の2作目」で、元々は中国本国のWebミニアニメとしてスタートしたものが、今作の始まりだったという。Bilibili上で1話目が公開されたのはなんと14年も前のこと。これが少しずつ人気になり、キャラクターなどもウケて採算が取れる目処が立ったために作られたのが、5年前(本国での公開は6年前)の映画だったわけだ。今にして振り返ると、日本での公開がコロナ真っ只中だったってのに、よくもまぁ、ちゃんと普及したものである。 そしてこのほど、映画「羅小黒戦記」の2作目が製作され、まもなく日本でも公開されるとのこと。それを記念して、めでたくオリジンであるWebショートアニメが再編集され、吹き替え版として地上波で放送されることになったというわけだ。これ以上ない宣伝効果がありそうだし、もしかしたらこれまでにも作品自体は視聴できたのかも知れないが、しっかり分かりやすい吹き替え版でまとめて放送してもらえると視聴ハードルも一気に下がる。ありがたく「新番組」として視聴させてもらうことにする。 元がショートアニメであり、1話の尺はだいたい5分程度。これを地上波では4本まとめて放送しているので、形態としては「万聖街」と同じ。というか「万聖街」の方が時系列としては本作より後で、アニメは同じ人が監督してたりもする。サクサク見られる作品なので1本ずつの印象はどうしても軽くはなってしまうが、このスナック感覚でなんとなく見られるキャラアニメという形式がヒットの大きな要因だったのだろう。相変わらずシャオヘイのコロコロしたモーションがとても可愛らしく、見てるだけで猫動画と同じくらいにセラピー効果がありそうである。 劇場版でも感じた本作最大の魅力はやはりその映像表現、動画の技術。個人的には制作理念として「トムとジェリー」あたりが近いんじゃないかという気がしていて、余計なセリフも設定もほとんど加えず、ただひたすらに画面の「動き」の小気味良さのみで展開される「アニメーション」。極論すればこれこそがアニメという媒体の存在意義であり、その武器だけで勝負できてしまう製品というのは抜群にセンスが良い。余計なことを考えずにただ画面を見て穏やかで、楽しげな気持ちになれればそれで良い。1回目の放送で一番分かりやすかったのは最後のパートで出てきた洗濯物のワンピースのモーション。ありえない動きのはずなのに、風でふわふわと舞う様子がどこかリアルでもあり、その馬鹿にしたような動きが非常に面白い。こういう映像だけで作品になるということがちゃんと分かった上で作ってくれているのだから大したものだ。日本でも、改めてこういう趣旨の作品が作られたら面白いんだけどね(Eテレとかではちょこちょこ作られてるのかもしれない)。 劇場版、楽しみです。 ○「転生悪女の黒歴史」 6 冒頭、なんも知らずに「まーた悪女ものだよ。タイトルからして色々お察しじゃんねぇ」と思いながら視聴を開始、そのまま「前世」の設定をなんとなく見守りながらオープニングに突入する。たいてい、1話目のオープニングは全部のクレジットを見るわけにもいかないので「制作はどこかな」「監督は誰かな」くらいを気にしてチェックするのだが、最後に監督の名前がクレジットされる前に異変が起こる。曲サビに入り、突如後ろに現れるにょろにょろモブ。我々はこのモブを知っている! 監督は桜井弘明! まさかこんなところで遭遇するとはな! というわけでお久しぶりです。3年前の「まちカドまぞく」以来、久しぶりの桜井弘明作品だ。そうなってしまえば話は早い、実に馴染んだにょろにょろキャラ、臆面もなく繰り出すへちょ絵ギャグ、あらゆるオブジェクトにはやる気のないユルい顔がつき、力の抜けた映像世界が、シャキシャキしたテンポで展開されるいつも通りの桜井節である。今回はさすがに「みゅーくる」や「まちカドまぞく」のようなマシンガン展開は控えめではあったが、普通はあんまりなろう系には噛み合わなそうなほわほわした気の抜けた空気が染み渡るのである。 「なろう系」とは書いたが、Wikiによればこちらはなろうではなく漫画原作とのこと。しかも掲載誌が「Lala」なのでカテゴリとしては「少女漫画」になるのだろうか。よくよく考えてみると桜井弘明って少女漫画的作品での起用が多いんだよな。相性がいいのかしら。 「なろうじゃないよ」ということをことさらに強調する必要もないだろうが、そうしてみると色々となろうほど安っぽくないことも感じ取れて、いわゆる「はめふら」展開ではあるものの、細部には独自の設定も散見される。例えば転生先が「自作小説」というのは分かりやすい特徴で、既存のゲームや小説世界と違って全てが「自分の手によるもの」であるという認識なので、運命との対立構造が「過去の自分との対決」になっているのが新鮮。まぁ、だからとて何かが大きく変わるわけでもないのだが、主人公自身が1話目から内省しているように、一応は「全部自分が作った世界なのだし、この世界で悲劇に見舞われる人を救済しなければ」という謎のモチベーションにつながっているところはちゃんと活きた設定である(まぁ、その「悲劇的な人」に今回の叔父とかはカウントされないのかという気はするが)。 自作小説であればどんな設定であろうとまさに「自己責任」だし、ゲームシステムに縛られるというメタ度の高い思考は必要なくなり、純粋に「私、前に何書いたっけ」という記憶との勝負になる。この世界が自作のストーリーラインからどんどん外れていった際にバタフライ的なエフェクトで後々の設定が役に立たなくなる可能性もあるのだが、その辺りのセカイ設定は今考えてもしょうがないところだろう。いつも通りに都合よく都合の悪い設定が出てくる展開を見守ろう。 そうしていくらか特殊なところもある設定ではあるが、それをいかにコミカルに、押し付けがましくなく描いていくかがアニメとしての勝負のポイント。そこにユルさと軽妙さでは右に出るものがいない桜井弘明に白羽の矢が立ったというのなら実に良き配置であろう。まぁ、原作ファンからしたらかなり独自色の濃い演出に見える可能性もあるが……でも、少女漫画誌のギャグ漫画ってデフォルメ調をどれだけ上手く使いこなせるかにかかってるとこあるし、それならやっぱり最良の選択だとは思うんですけどね。 そしてもう1人の立役者はなんといっても飛ぶ鳥を落とす勢い、ヒロイン役の青山吉能である。無茶ぶりを全部けろりと飲み込める青山マジック。いい座組みになりそうだぜ。 ○「暗殺者である俺のステータスが勇者よりも明らかに強いのだが」 4 なんやこれ……なんかまたとんでもないもんが出てきたで。なろうアニメにこういう方向の驚きがあるとは思わなんだ。 視聴した方は皆共感状態だろう。今作はなろうアニメのくせに映像が……なんだこれ、「良い」とか「悪い」とか「細かい」とか「しょぼい」とかじゃない。「ナツい」。いやまじで。テイストが90年代末期から2000年代初頭くらいの、「質のいい」アニメのテイストである。どうみても現代アニメには見えないために「もしかしたら前クールでいっぱいあった全然関係ない作中作から始まるパターンかもしれん。ちょうどこないだショートアニメ「バンドリちゃん」でも前世紀アニメネタがあったしな!」とか納得しようと思ったのだが、もちろんそんなこたぁなくて全編このテイスト。これがこのアニメのストレートコースなのだ。 座組みを確認したら納得は納得。監督はなんと羽原信義。「なんかめっちゃ久しぶりに見たぞ!?」と思ったが、私が脳内から「境界戦機」の記憶を消していただけなので実際は3年ぶりくらいなのだが、このテイストはもはや氏の代名詞となっている「ファフナー」シリーズよりさらに一昔前のデザイン。そんな旧時代の面影をわざわざなろうアニメに使っているのである。 濃い目のキャラデザ、重苦しいベタ塗りの背景。ただアニメーション自体はそこまで重厚なわけではなく、省エネするとこはちゃんと省エネなので「すげぇ手が込んでるアニメだ!」とはならないあたりがなんとも言えず、「一般的なろうアニメのアベレージよりは確実に上だろうが……」くらいの感覚。まぁ、このレベルの作劇が続くというのであれば、作画クオリティ自体に文句をつけるつもりはないが……。 そんな20年前のテイストで画面が展開されているというのに、内容はほんとに潔くなろうなので頭がバグるのだ。いわゆる「クラス全体転移もの」であるが(そんなジャンルが定着してるかしらんが)、数少ない私のなろう履歴でこの手の設定が成功した作品は見たことがない。一応「蜘蛛ですが」は「結果的にクラス全員転移」でそこそこ成功した作品ではあるが、あれもだいぶ後半まで「クラス転移」は関係ない設定だし……その後アニメ化された「クラス転移」作品はだいたいが悲惨な結果になっている気がする。今作ではいよいよもって作中のキャラに「テンプレ展開だァ!」などと言われてしまっており、語るべき部分は1つもない。 その上で主人公ageの手管がいつも以上に雑であり、「1人だけ転移時に理由もなくスキルMAX」の時点でその後のお話など全く無意味であるし、「聡明な主人公像」を描くのがだいぶ下手。転移直後に「王たちの素性の裏が取れてないんだ、何かあったらまずい!」っていう警戒心から逃げたってのに、その後の騎士団長の「私は信用してくださいよ」は特に理由もなく全幅の信頼を置いちゃっているというナイスダブスタ。お前の用心深さと聡明さはどこに行ったんだ。「影が薄い」のはまぁ分かったが、唯一主人公を認識してたはずのクラスメイト(風魔法使い)は、突然消えた主人公のことを心配してないんだろうか。普通に考えたら王たちに「もう1人いたはずなんですが……」と相談するだろう。本当にクラスメイトなのかこいつら。 などなどなどなど。ほんとにいつも通りのなろうでしかないのでストーリーを追うのが苦痛なのだが……それをこの画でやられるからもう何が何やら。人間の脳ってのがこんなに簡単に認識を乱されるものだということが知れてちょっと面白かった。映像の「昔っぽい作り込み」はもはや意地になって貫き通してるレベルだと思うので、これがどこまで続いて、どういう効果を生み出すかはちょっと興味がある。さぁ、視聴継続なるか!?
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HN:
Thraxi
性別:
男性
趣味:
声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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