最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」 5→4 よく見かける言い方をするなら、「覇権」アニメということだったわけだが、残念ながら私の中では特に覇権を取ることは無かった作品。まぁ、どうしても土曜日は視聴日程がしんどかったから身が入らないってのはあったかもしれないけどね…… まず、1話視聴時には「それなりに期待できるかも」という感想が残っているわけだが、実際、アニメとしての骨子はかなりしっかりしている部類。作画は終始安定しているし、ヒロイン勢のキャラ画は比較的好みにも合致した。オープニング映像を毎回入れ替えるなどの手間もかけていたし、細かい遊び心も含めて、売り手側が自信を持つのにはそれなりに理由がある、ということはよく分かる。実際、ここで感想をあげた6話・11話はスマッシュヒットといえる話数である。ぶっちゃけると単なる麻奈実回ということになるわけだが、「気になるヒロインが描かれていればヒットが出る」ということは、アニメ自体に不満は無いということ。「俺の幼馴染みが〜〜〜」で12話やってくれれば8点でも9点でもつけたものを。 というわけで、何がいまいち受け入れられなかったかというと、メインヒロインである桐乃を取り巻くシナリオラインと、キャラクターへの言及の仕方だ。「桐乃と京介の関係性」がメインとなる作品であり、男性視聴者は当然京介に感情移入して視聴しなければならないはずなのに、結局「高坂桐乃」という女の子がどんな感情を持っているのかが分からず、それに対して京介がどのように感じているのかも、理屈で理解出来ても感情的に受け入れがたかった。ひょっとしたら「リアル妹がいる人間は妹萌えにはならない」という例の法則が大きく影響しているのかもしれないが……別に「ヨスガノソラ」は気にせず見られたものなぁ。 で、「桐乃について」という点からこのアニメの違和感を分析すると、「ツンデレ妹キャラとはなんぞ」という問題にぶち当たる。こんな文面を読んでいる諸兄には釈迦に説法とは思うが、「ツンデレ」という言葉には大きく2種類の意味内容がある。1つは「元々ツンだったが関係を深めるうちにデレ化する」という性格属性で、もう1つは「普段や人前ではツンだが、2人きりの状態だったり、何らかのシチュエーションにおいてはデレが現れる」という性格属性。どちらが誤用である、などという議論もあるようだが、当方、「言葉なんて使われている意味が通じればいい」というスタンスなので、とにかくこの2つがある、という風に理解して、混乱しないように使用すれば問題無い。この時、前者のツンデレを「通時的(ダイアクロニック)ツンデレ」、後者を「共時的(シンクロニック)ツンデレ」と呼称しよう(しなくてもいいけど)。 で、桐乃の性格はどちらであるかと言うと、始めから京介に対しては兄妹の情以上のものを持っている描写がなされているので、明らかに後者である。共時的なツンデレは、最初から2つの側面を発揮することでギャップを生み出す魅力の引き出し方をするものであり、京介には「桐乃は普段はムカつく奴だが、〜〜〜の時には可愛らしかった」というような体験が必要不可欠であるはずだ。しかし、この作品における桐乃の「デレ」は、京介本人にはほとんど提示されない。兄がいないところで一人浮かれてみたり、外出した兄を思って嫉妬からドアを蹴ってみたり、そうした描写で視聴者側は「桐乃はあんなんだけど、実際は京介が大好きなんだ」と理解出来るわけだが、京介自身は、最終話で半分キレていたことからも分かる通り、「桐乃は俺のことを嫌っている」と思いながらも、ずっとわがままな妹の話を聞いてきた。つまり、このときの京介は「ツンデレ妹に振り回される兄」ではなく、あくまで「単にわがままで人格に問題が多すぎる妹に諾々と従っている情けない兄」でしかないのだ。 この違いは、京介への感情移入を必要とする「萌え」の前提条件としてはかなり厳しい。物語中盤での桐乃の行動はわがままの度が過ぎており、京介が甲斐甲斐しい姿を見せれば見せるほど、そこには無償の兄弟愛、京介の自己犠牲の精神ばかりが感じられ、一切「桐乃の魅力」として現れてこない。「通時的ツンデレ」ならば「一切魅力がない状態から徐々に魅力が理解出来るようになる」という描写で問題無いわけだが、桐乃はそちらのパターンではないので、明確に必要なファクターがハナから欠けているのである。残念ながら、これでは物語に埋没することは出来ない。 ハードルは他にもあって、突如作家デビューからアニメ化に至るといった突飛なシナリオライン自体が、生活空間としての「兄妹関係」を描く上で違和感を与えてくる。「なんでアニメ化までこぎ着けた人気作家のくせに今さら陸上でアメリカ留学?」とか、「あれだけ厳格な親だったはずなのに、妹の留学の話は兄貴に一切報告無し?」とか、そこかしこで様々なファクターが不協和音を奏でてしまい、「そこにある人間関係」としての容認度が下がる。こうなってしまうと、いわゆる「萌えもの」としては決定打に欠ける結果になってしまうわけだ。 繰り返すが、アニメとしての骨子は悪くない作品なのである。ただ、その中で最大のポイントである「桐乃の魅力を押し出す」という行為だけが精彩を欠いたがために、私のような「そこまで桐乃に心酔できない」人間には決定的なインパクトを与えられなかったのである。どこまで行っても、「何故お前は麻奈実の大切さに気付かないんだぁ!」と叫ぶだけの作品になってしまうのである。 いや、まぁ、最終回を見たら麻奈実エンドととれなくもないですけどね。邪魔な妹がいなくなったら、家族同然の別な家族と仲良くするしかないですからね。というわけで、この作品の6割は麻奈実、3割が京介で1割はあやせで出来ていたと思います。もちろん、中の人についてもこの3人が文句無しです。佐藤聡美・中村悠一・早見沙織。ほら、青二・シグマ・アイムの声優業界黄金三角が見えそうじゃないですか。竹達桐乃も決して悪いわけではなかったんですけどね。竹達は代表役としては「えむえむっ!」の美緒を上げるくらいならこっちでいいな。 PR
「ヨスガノソラ」 5→6
おそらく、地上波アニメ史上でもっともストレートなエロを実現させた作品。もちろん地上波放送では光渡しや構図変更などの修正が入るものの、それでも「やっていること」は完全にセックスであるし、「それこそが描きたいものである」というエロゲー原作の理念は揺らぐことのない、「史上最エロアニメ」といえる。 この作品の明示的な新規さは大きく2つ。1つは、エロゲーの各ヒロインの攻略ルートを、極力原作に近い形の、「ルート分岐」という形で表現したシナリオ構成そのものだ。4人のヒロインのルートを順に辿ったわけだが、一葉ルート終了時に瑛ルートとの分岐である2話目まで遡り、そこから瑛ルートを刻む。同様に奈緒ルートを辿った後に、2話遡って穹ルートへ。「セーブポイントまでリセットで戻って未来へ」というのはアドベンチャーゲームをやっていれば当然の行動になるのが、なかなかこれをアニメでやろうという発想は無かったはず。過去のギャルゲー作品は、「誰ルートを辿るのか?」というのがおよそシナリオの焦点となり、その結果「CANVAS2」や「キミキス」などの波紋を呼ぶエンディングを迎えたものである。 この作品がとった方策は「全員原作通りに攻略する」という潔いもので、最終的には12話という短いスパンで4人ものヒロイン全員と懇ろになり、見事に「自然な」(?)本番行為まで行っている。ここまでの高密度なエロが実現できたのは、適切な「セーブポイント」のキープがシナリオ上で行われたためであり、逆に言えばこうでもしない限りは誰かが犠牲になるしかなかったわけだ。 ただ、「良い思いつきだ」と軽々しく言ってはみるものの、実際にこれを1本のアニメシリーズの脚本として成立させるのはかなりの難行。出来上がったものだけを見ればすっと入ってくる内容だったが、分岐の位置や必要な伏線の配備、そしてコロコロと入れ替わる悠やヒロイン勢の心理描写の調整など、本当ならばかなり神経を使う構成作業だったはず。特盛りエロという餌で隠されてはいるものの、これだけのものをさりげなく提供できてしまうスタッフ陣の地力はかなりのものだったのではなかろうか。 そして、この難題をさらに面倒にしている2つ目のチャレンジが、毎回Cパートとして用意された初佳ルートの存在。一部では「ここが本編」と言われるほどのクオリティを誇るギャグ&エロのCパートは、はっきり言って本編とは全く相容れないものである。どれだけ真剣な恋愛や心の傷の物語を本編で繰りだしたところで、徹底的におちゃらけたCパートのせいですべてが吹き飛んでしまうはずなのだ。それでも、ただひたすら重たいテイストだけでは原作の味が発揮できないと判断したのか、毎回必ず初佳パートを入れることでギャグも織り交ぜ、全て合わせて1本の作品として提出してくる。そして、これが別に雰囲気を壊すことが無かったのだ。 確かに腰砕けの内容ではあるのだが、完全に別物として見られるCパートは、むしろ重い話・胡散臭い話が展開する本編に対して、手頃な緩衝材として発揮していた。この温度差があってこそ、ラブ・エロ・ギャグのトライアングルが完成したのだ。このさじ加減は素晴らしい。 この作品を見て、高橋丈夫という人物のオリジンが少し見えた気がする。初めて出会った「怪物王女」のエンディングコンテでは、「なんでエンディングなのにこんな無茶なコンテが切れるのだろう」と引き込まれたものだが、今作の監督をすることが分かったあとで少し調べたおかげで、この人がエロアニメの方向に大きく活動拠点を持っていることを知った。その結果「クェイサー」などにも登用されていたわけだが、どうやらこの人の計算原理には、エロアニメの見せ方が関わっているような気がする。中身のあるシナリオラインよりも、色っぽさ、艶めかしさを要求される「エロの画面」は、自然に「台詞以外でも魅せる画面作り」として昇華されていく。代表作の「狼と香辛料」で見せられたホロとロレンスのどうにももどかしく甘酸っぱい関係性など、そのあたりの技術の反映だったのではなかろうか。 そして、この作品は監督のオリジン(の1つ)である「エロアニメ」である。よりストレートに発揮された「丈夫節」は、短い時間であっという間に人間関係を構築し、濃密に接近するキャラクター達を描くのにフィットしていた。あれだけの時間をエロ描写に割きながら、物語として破綻することなく成立していたこと自体が、まずは驚くべきことなのである。 ふむ、やはりこの人は侮れなかった。次の作品はますますエロくなるのか、それともまた一般アニメの方に戻っていくのか。どちらにしろ、期待は高まるばかりです。ひとまず都条例を何とかする必要がありそうだけどね! でも、これは規制されても仕方ないレベル! あ、全然具体的な中身に触れてませんが、個人的には穹ルートの清々しいまでの近親姦フィーバーには感心こそすれ共感はあまり無かったため、とにかく「奈緒が可哀想だなぁ」という印象でした。でも、一番好きなキャラは多分瑛。特にCパートバージョンとか。結局、高橋丈夫監督の持ち味が一番発揮されてたのは、本編視聴後に改めて見るとその意味がよく分かる「真の」エンディング画像な気がする。ちゃぱちゃぱ。
「咎狗の血」 3→1
この作品を表す最適な日本語を知っている。「一事が万事」だ。もう、わやくちゃですわ。 いや、正直言うと最終的な点数を付けられるほど真剣に見てないんですけどね。「作業しながら脇目で見る」というアニメファンあるまじき視聴体勢で流し見てただけだから、ストーリーも全然頭に入ってないし、画面も逐一見ていたわけじゃない。ひょっとしたらここで非難しても、「ちゃんと見れば面白い作品だったんだよ!」という反論があるかもしれない。その場合は、素直にすみませんというしかないのである。……のであるが……どうよ? 折角なので最終話は割とちゃんと見ていたのだが、怪しげな殺陣シーンに始まり、動きが見えずにBGMとモノローグだけで進行する黒い画面がずっと続くだけで、折角のイケメン達も欲求不満気味。爆発シーンがたった1枚の止め画で表現されたパートとか、90年代のヤシガニアニメもかくやという手抜きっぷりには笑うしかないじゃないか。 あげくエンディングは確実にジャンプで10週打ち切りにあった状態になっており、真面目に見たとしても全くカタルシスが得られなかったであろうことが予期される。1話の時点で色々と面白かった本作であるが、最終話で改めて確認しても、「一事が万事」であった。作品が作品なのでよほど熱心な視聴者以外は注意して見ていないだろうが、頑張って応援しなきゃいけない歴戦の腐女子さんたちにはご愁傷様としか言いようがない。 じゃ、何故わざわざ横目で見ていたかというと……理由は2つある。1つ、「次の番組がアマガミだった」。つまり、「ま、どうせアマガミはリアルタイムで見るんだし、その前の30分はテレビつけて垂れ流しておくか」ということ。そして2つ、「放送後にまどかマギカの紹介CMが入る」。今から来期が楽しみですからねー。うん、作品自体に特にモチベーションは無いんだ。すまない。 これまで100本近くのアニメに「最終評価」と評して点数を付けてきたけど、多分このブログを立ち上げてから「1点」を付けたことはない(はず)。まだまだ下の作品も出てくるかもしれないから、流石に1点は可哀想かとも思ったんだけど、2点だと「えむえむっ!」と同じになってしまい、それだと今度は「えむえむっ!」が可哀想な気がしたので、とりあえずこの作品を1つの道標とすることにしました。過去の放送作品だと「IZOMO-猛き剣の閃記-」とかが1点に属する作品だったと思います。来期の木曜日は頑張って欲しいね!
「百花繚乱 サムライガールズ」 6→4
1話を見た時点ではその癖のある画作りが新しくて、「うわ、墨汁マジ寿!」とか思ってたのだけれど、それに慣れてくるとシナリオラインの凡庸さと適当さが徐々に浮き彫りになっていって、最終的には墨汁要素以外にあんまり褒める部分がなくなってしまった作品。私のテンションが徐々にダウンしていくさまは、多分毎週の記事を見ると分かる気がする。 印象だけで振り返ると、多分兼続が乱入するあたりまでは普通に面白かったと思うんですよ。千姫と幸村のいがみ合いも安定していたし、半蔵の立ち位置も美味しい。ギャグ自体がそこまでキレてたわけじゃないけど、「嘘江戸時代」な雰囲気をちょいちょいネタにしつつ、ヒロイン勢がドタバタしてくれている展開は嫌いじゃなかった。アームスの製作にしてはエロの売り方が弱い気もしたけど、そこまで扇情的なキャラデザでもないし、ちょっとほわっとしているくらいで充分だと思っていたし。 難が出始めたのは、義仙の登場やら慶彦の暗躍やらで「忠義とは、サムライとは何か」みたいなメインテーマが現れだしたあたりで、語ることは語っているのだが、いかんせん上っ面だけで物語に絡まない。最終話の投げっぱなしバトルなんかはそれが分かりやすくて、十兵衛が強いのは構わないが、その裏で宗朗が何かしてたかというと、特に何もしていないのである。そんな状態で「真の将となった」とか言われても説得力は無い。そのため、実力としてはインフレを起こしたはずのバトル要素も後半になるほどスケールダウンしていったし、墨汁を絡めたアイディアもそこまで前面に押し出されることはなかった(多分一番盛り上がったのは千姫の墨汁足場だ)。 キャラの魅力で押せないとなると、あとはいただけないラノベ要素が目立ってしまい、おためごかしのシリアス展開が鼻につき、キャラクターがどれだけ真剣でも、視聴者は共感しにくい状態に。ついでに敵勢力が最後まで慶彦だったのか天草だったのかが分かりにくく、シンプルな筋立てを追う、という浅薄な見方も許容しにくい。どうやらアニメオリジナルで1クールのけりを付けたようなのだが、流石に投げっぱなし感が強すぎたのではないか。デザイン自体は非常に面白かった作品だけに、この失速は実に勿体なかった。 その上で最後まで視聴し、それなりに点数をキープしたのは、ひとえに「悠木碧劇場」が見られたという1点に尽きる。一粒で2度美味しい十兵衛のキャラクターを見ているだけで、あおちゃんの高性能さが伺えるというものだ。時点はぐつぐつさん役の豊崎、そして十兵衛以外の数少ないキャラ立ち出来たヒロインであるダルタニアンの中の人、小清水もそこそこの打点をキープってところか。千姫役の寿はそれなりに安定感は出てきたが、まだ「寿美菜子ならでは」っていうセールスポイントに欠ける印象。期待はしているので、他のメンバーを見習って要精進である。 「もっと To LOVEる」 5→5 特に話題にのぼるようなこともなかったが、抜群の安定感でやるべきことをやりきった感があるのがこの作品。同じ製作会社で似たようなコンセプトの「えむえむっ!」と比べると、その差は歴然であろう。 すっかり1期などなかったかのような振る舞いが定着している「大槻版」の「To LOVEる」。独特のキャラクターデザインは人気の矢吹テイストとは一線を画すが、原作ファンからも不満が出ないほどほどのラインでの崩しを行い、線の細さは犠牲にしつつも、アニメでしか出せない艶っぽさをプラスすることで補う。また、1回3話という細かい構成が中身スカスカの原作にフィットしており、サクサク見られるお手軽感は今期で比較するなら「イカ娘」と同様のテンポの良さに繋がった。「イカ娘」と比べてもさらに同じような話の繰り返しなのだからあっという間に飽きる気もするのだが、この構成に飽きるような人間は、そもそも原作ファンにもならないので問題なしだ。ファンが求めているのは「話の中身とかいう面倒なことを抜きにしたライトエロとドタバタ」であり、そこに焦点を絞った原作を忠実に再現した結果、アニメとしても充分ニーズに応えられるだけのものになったわけだ。 正直言うと私自身はファンでも何でもないのだが、「掃いて捨てるほどいるヒロインをとっかえひっかえしてラッキースケベを繰り返すだけ」という中身は流石に難癖を付ける隙間が無く、気付けば最後までダラダラと見続けることが出来た。もちろん私の場合は中の人パワーが絶大だったこともあるのだろうが、それを除いても、安定した作画とヒロイン展示会のような賑々しさは視聴のモチベーションとして充分だったと思う。 何が面白いって、これだけたくさんのヒロインがいて、その中でも当然春菜やララ、古手川あたりは登場回数も多くて活躍の機会が多かったはずなのに、一番印象に残っているのは10話の籾岡回だったってこと。普段脇に徹しているキャラクターを掘り下げたおかげで目先が変わって新鮮だったってのもあるが、それだけ普段から「何となくエロ」でもちゃんとキャラの描写が生きている証拠のように思える。この作品、エロ縛りがあるからどうしたってリト中心に話が回るけど、そこを度外視してサブキャラどうしの絡みとかでエピソードを作っていけば拡大再生産がいくらでもききそうなコンテンツだ。実際「キョーコ×ルン」とかも割と面白かったしね。こうした「多重ヒロイン」の活かし方はおそらく製作スタッフも意識していた部分で、驚いたのはエピソードごとにエンドロールのクレジット順が変わっていたところ。(一応)メインヒロインのララが何故かキャスト表示で2枚目に回されたりしているのを見ると、「この作品のヒロインはあなたの好きな子を選んで下さい」みたいな気遣いが伺えるのである。実に軟派な姿勢ではあるが、ユーザーのニーズを読み切った正しい判断だったといえるのではないか。 とりあえず一通り褒めておきましたが、まぁ、「毎度同じ」っていえばそれでおしまいなんですけどね。最終回でちゃんと締めっぽいエピソードを持ってきたので逆に驚いたくらいだしな。「これはハーレムアニメだ! 一夫多妻エンドで何が悪い!」って、男らしいなぁ(原作通りだけどね)。 あ、最後に中の人の話……はもういいですかね。最終回では何故か天条院先輩がいなかったのがちょっと残念だったけど、川澄・能登・明乃・花澤の大沢4段活用が堪能出来るのは本作だけ。他にも戸松・矢作・名塚・福圓・豊崎・伊藤・千葉などなどなど、お腹いっぱい夢いっぱい。なんで大槻作品は毎回こんなに贅沢になるんだろうね。これで新井里美先生がちゃんといてくれたら完璧だったのに……今となってはなんで休業したのかさっぱり分からんな。収録日が近所のジャスコの特売日と被ったりしてたんだろうか。そして、今回MVPとして選びたいのが、何故か柚木涼香。今期は柚姉ぇの声を色んなところで聞くことが出来たのだが、セリーヌボイスはここだけのサービス。まうまう。そして前述の通り、10話の籾岡がやたら可愛かったのが思い出深い。やっぱり柚姉ぇはエロキャラでナンボだ。 「そらのおとしものf」 6→6 安定の2期目。2期目となると色々とメリット・デメリットが出てくるものだが、この作品の場合も、大体予定通りの進行になったのではなかろうか。 まず、先にデメリットの方を挙げてしまうと、なんと言っても長く続けることによるマンネリ感。特にこの作品の場合、1期2話で最大級の「なんじゃそら」をやってしまっているため、それを乗り越えるほどのインパクトというのはほぼ不可能な状態。今期もエロ本祭りやなんかで頑張ってはいたものの、それが「1期を越えたな」という感想にまでは至らない。どうしようもないことではあるのだが、笑いがメインの作品にとって、この「視聴者の慣れ」というのはいかんともしがたい部分である。そして、実際今期はギャグ部分での押しがちょっと弱かったようにも思える。序盤のプロレスイベントなんかは馬鹿も加速していて面白かったし、毎話視聴している分にはそこまで不満が出るわけではないのだが、雪合戦の回やアップダウンクイズ、釣りイベントなんかは、馬鹿をやるにしてもちょっと捻りが足りず、「いつもの奴ね」というくらいの印象。智樹の馬鹿さ加減もそはらの恥辱っぷりも会長の腹黒さも、どこか全力で振り切れていない部分があったのは勿体ない部分か。 もちろん、そうした難点は、総数にして26話もやっている作品なら仕方ない部分もあるだろう。今回はシリアス面での縦糸のウェイトを重くしており、英四郎のシナプス探索に始まり、カオスの襲撃とアストレアの覚醒、そしてイカロスの自己言及など、ギャグを差し置いてやらなければいけない課題が多かった。そうしたテーマを真正面から扱った話数、具体的には8話と11話については、この作品の持ち味である丁寧な画作りが存分に活かされていたし、「シリアスよりギャグを見せろ!」なんて気分にもならなかったので、狙い通りのシリーズ構成にはなっていたのではなかろうか。 総じて見ると、今回は人間サイドの活躍部分が薄く、智樹もそこまでキャラが前面に押し出されていなかったし、そはらはすっかり4番手ヒロインくらいに降格、会長もメインとなって引っかき回すシーンは減った。代わりにメインとなってスポットが当たったのは4体ものエンジェロイドで、特にニンフについては、シリーズを通してその懊悩が丁寧に描かれていたし、クライマックスの覚醒シーンは胸を打つものになっていた。新キャラクターのアストレアも、初登場から造反までの変化が面白く、鎖を引きちぎるシーンの盛り上がりは充分。カオスは登場シーンが少なかった割には、敵キャラとしての存在感が充分に発揮されていた。この3人については、文句無しのシリーズだったといえる。唯一、この作品の象徴たるイカロスについては、多少ストーリー進行のゴタゴタでわだかまりの残る結果となってしまっているが、それでも彼女特有の愛らしさはそこかしこで発揮していたし、「次につなげる」期待も持てるだけの描写はされていた。こうしてエンジェロイドたちの活躍を見ていく上では、この作品はやはりよくできていた。 そして、最後は当然中の人の話。何度も記事で触れているので確認するまでもないが、エンジェロイド4人の中の人、早見沙織・野水伊織・福原香織・豊崎愛生については評価が上がった。野水は1期のニンフでまだ不安な部分が見えていただけに、きっちり役を掴んできたことが分かるのが好印象。普段見せない顔を存分に見せてくれた豊崎についても、まだまだ引き出しがあることを示す好演だったのではなかろうか。あとはまぁ、やっぱり「ぱっぴーお疲れ様」と。この歳になってもまだまだ余裕で中学生男子が演じられるっていうのは、やっぱり才能だよなぁ。 さぁ、次は劇場版だ。……チケット買うのが恥ずかしい作品だな……フィルム商法とかされたらどうしよう!! 「えむえむっ!」 4→2 めでたく「今期心底どうでもいいラノベ」枠に認定された作品。いやぁ、特に見る点は無かったですね。最後まで見続けられたモチベーションは当然中の人たちなわけだが、それでも息切れは半端じゃなく、フォローしづらいことこの上ない。 最終評価としては、1話で予定していた通りのマイナス点ばかりが丁寧に積み重なっていった、という感じだが、途中で早々に作画レベルが崩壊し、「萌え作品なら画だけでもちゃんと見せろよ」という要望すらかなわない状態。脚本はピックアップする部分もなく、ぞくぞく増える新しいキャラクターたちも紋切り型のどこにでもある「駄目アニメ」の典型みたいな造形。原作そのままでこの状態というならばアニメスタッフは可哀想としか言いようがないのだが、だったらアニメ化しなければ良かったね、というだけの話である。これの原作が売れているのだとしたら……一体どんな層にニーズがあるのか、逆に気になります。まだ「迷い猫オーバーラン」の方が妙な設定があった分だけ面白かった。 一応、最後まで見続けていた言い訳をつけたしておくと、主人公を演じる福山潤はとても楽しそうだった。「ドMの主人公」というのは言葉で言うのは簡単だが、実際に「キャラになって演じて下さい」と言われたら本当にそこに入り込むのは難しい。本気の本気なら単なる病人だし、かといって砂戸太郎というキャラクターがこの作品の全てと言ってしまってもいいくらいのウェイトなので、適当にやったら全てが台無しになってしまう。そのあたりのさじ加減は、流石の一言。また、嵐子役の早見沙織も、男性恐怖症と恋心の間を抜く絶妙なラインの感情表出が面白い。最初の方はずっと「伊波さんでしかないなぁ」と思ってたけど、決め台詞となった「男の子怖いよぉ!」は結構気に入ってしまいました。そして、珍しくタカビーお嬢様役で羽目を外していた辰吉役の佐藤利奈、太郎の家族役の大原さやか・阿澄佳奈あたりのキャスティングは、話がどうだろうと聞いているだけで充分楽しめました。 中の人の話題しか出てこない作品というのは……まぁ、それでもいいですけど。
鬼のような作品であった。脚本家泣かせで監督泣かせで、アニメーター泣かせで、そして視聴者泣かせ。ここまで身を切る覚悟が無ければ完成を見ないアニメ原作というのも、希有な存在である。
個々のエピソードについてはくどいほどに各回の感想で書いているので総論のみになるが、終わってみればかなり楽しめた作品であったのは間違いない。キワモノ作品にありがちな「特異な演出だけは見応えがあった」とか、私の感想にありがちな「中の人の声だけ聞いてれば幸せだった」とか、そうした一面的な価値ではなく、きちんと総合技術としての「アニメーション」としての完成度が高い、見どころの多い作品であったと思う。 この作品をアニメ化するにあたって、最も苦労したのはシリーズ構成・脚本を組み立てる人々であろう。月一の1時間枠というのは、普通のアニメシナリオになれてしまった熟達者であればあるほどに異質に見えたであろうし、30分という枠に慣れてしまった視聴者にとっても、1時間の「長丁場」をダレることなく見続けられる脚本の線など分かるはずもない。そんな中で、「原作本まるまる1冊分」からアニメ脚本を再構築する作業は、並大抵の苦労ではなかったはずだ。当初は「月一で発売されてた本を月一のアニメにすればいいんだから楽じゃない?」とか考えたりしたのだが、この作品は残念ながら、西尾維新の作品なのだ。通り一遍の技術でアニメになるはずがないのである。シリーズ構成の上江洲誠氏を始め、脚本を担当した待田堂子氏、長津晴子氏にはとにかくお疲れ様と言わねばなるまい。 その上で、脚本をどのようにアニメに落とし込んでいくか、という部分は、実にチャレンジングな物作りが試みられている。最も顕著だったのは田中基樹の手による第7話だったと思うが、それ以外にも小松田大全や小林智樹など、多芸な演出家たちの手によって「台詞アニメ」であったこの作品に艶と味が付け加えられ、毎回異なった楽しみ方が出来た。もちろん、統率者としての元永慶太郎監督は言わずもがな。画面の質についてはあまり触れられる機会のない作品ではあったが、癖の強いイラストレーションを毎回安定した質で提供してくれたWHITE FOXの1年のがんばりにも賛美を送りたい。とにかく、スタッフの実力と、愛に恵まれた作品であった。 1ヶ月ごとに1時間枠で1本、というスタイルは色々な事情と思惑があって実現したスタイルではあると思うが、その試みは充分成功していたと見ていいだろう。ステロタイプな王道パターンを心得ながらも常に捻くれる西尾維新の作品そのものが、「区切らずに1話を1本で」やる前提のスタイルになっており、その意志を十全に再現するには、この方法しかあり得なかった。時間的な余裕もあって質が落ちなかった部分もあるだろうし、今後のアニメ放送のスタイルサンプルとしては興味深いものだ。昨今は、WEB配信などの様々な形態が模索されるアニメ業界の過渡期とも言える時代。その1つの先例として、悪くない結果を出したのではなかろうか。放送本数や放送時期など、財政的な問題で不必要な労苦が多いアニメ業界において、「無理を減らして作品の本質を掘り下げられるスタイル」というのはそれだけで価値があった。なかなかこれに追従することは難しいと思うが、今後もこうした「既存のスタイルに縛られない」作品作りに期待したい。 少し作品内部のことにも触れておくと、「一月に1本の刀を手に入れるために、一月に一人の敵キャラを倒す」というシンプルな構成のおかげで、各々のエピソードに魅力的なキャラクターを丁寧に配することが出来たのが根源的な強み。刀の所有者であげると、2話で登場した宇練銀閣と10話で登場した彼我木輪廻が印象深い。全てのキャラクターが、ちゃんと「七花の成長物語」という大きな縦のラインにちゃんと絡んでいるという構成も心得たものである。全てのキャラが愛らしかった真庭忍軍の中でも、初登場でインパクト絶大だった蝙蝠は最高の敵キャラだったし、人鳥と鳳凰は最後まで作品を盛り上げてくれた名バイプレイヤー。そして、メインキャラクターである七花・とがめ・否定姫・右衛門左衛門。七花は最初「あんまり魅力的じゃないなぁ」と思っていたのだが、とがめとの相乗効果からか、終わってみればなかなか味のある「主人公キャラ」に成長していた。個人的にお気に入りだった否定姫も、ぶれない生き様が実に魅力的。こういう阿漕なキャラを作らせると、悔しいけど西尾維新のセンスってのは妙に刺さる。そして、そんなキャラクターたちの中でも一番のお気に入りは鑢七実である。男の子はね、やっぱり最強キャラには無条件で惚れるもんなんですよ。 当然、キャラが盛り上がったということは、私の視点は「中の人大フィーバー」ということ。本当に毎回名前を挙げているのでよく飽きないものだと我ながら感心するが、戸松遥、田村ゆかり、小山力也に置鮎龍太郎。こんな異様な世界の中で、よくもまぁ、活き活きと動いてくれたものです。でもMVPはやっぱり中原麻衣のもの。次点は……インパクト重視で鈴木千尋かな。ちーくんは本当にお気に入りなんですよ。 のんびりと1年間付き合ってきた全国行脚の12話分。終わってしまうのはとても寂しいが、長丁場で引っ張っただけの意味は充分にあったし、期待以上に楽しませてもらいました。是非とも、このスタッフでまたこうしたチャレンジングな作品が見たいものです。
「薄桜鬼 碧血録」 4→5
今期1番最初にゴールテープを切ったのはこの作品。2期目としてはわずか10話分という短期決戦の作品であったが、なんだかんだで気付けば最後まで観ていた、珍しい「乙女ゲー」作品である。 元々の視聴のモチベーションは徹底的に中の人。雪村千鶴嬢の声、つまり桑島ボイスにはみるみる人を不幸にする魔力が込められており、彼女を守る為に奮戦していた新撰組の面々は、ものの見事に全滅エンドを迎えることになった。今回はキャラクター自体が死ななかったことを喜ぶべきかもしれないが、この救われないエンディングは予想通りとはいってもやはり切ない。新たな桑島伝説の1ページと言ってしまっていい出色の出来である。 とまぁ、茶化してみてはいるものの、1期では「鬼(羅刹)」だのなんだのとファンタジー要素強めで展開していたこの作品も、2期目になると時代の荒波に押し流されていき、存外しっかりと戊辰戦争の顛末を史実に基づいて描いているのには驚かされた。もっと考え無しな「腐女子向け」展開になるのかと思っていたのだが、特に軍略面、実際の新旧幕府軍の攻防などについては、お茶を濁さずにきちんと設定として活用している。その結果として新撰組の隊士たちは帰らぬ人となってしまっているわけだが、下手な逃げを打たずに、真正面から歴史の悲劇を描いているのは感心させられた。「一人の女性と危険な薬物のせいで人生を狂わせた男達の物語」といえばそうなのだが、ちゃんと各キャラクターたちが信念を守って生き抜き、絶えているために、そこにはお仕着せの悲劇だけではない、ひとかどの物語が存在しているのである。最終回ではエンディングバックで各隊士たちの想い出が流され、不覚にも目頭が熱くなってしまった。 もちろん、難点も多い。最大の問題点は、「軍記物」として戦争の行方を克明に描こうとしてしまったために、どうしても進行が駆け足になり、中盤以降は、戦局の趨勢を全て千鶴のナレーション1本で片付けてしまっている。もちろん、細かい局地戦の様子を事細かに描かれても視聴者側としては訳が分からなくなるだろうが、全てが同じようなテンションでただ流されていくだけというのはいかにも味気ない。その中で、例えば近藤さんの死のような大きなドラマが挟まれているはずなのだが、どうしても「死ぬために死んだ」ような部分も目立ち、あまりに無感情に戦争が進行するため、ジワジワと負けを重ねる旧幕府軍の連中が全員馬鹿に見えてしまう。策も何も無しに突っ込んで部下を見殺しにした近藤さん、そして最終回では激情に身を任せて突っ込んでさっさと狙撃される土方。そのへんの「格好悪さ」を軽減してくれれば、もう少し物語への没入度も上がったような気がするのだが。話数の尺も半端だし、もう少しシリーズ構成の仕方があったのではなかろうか。 でもまぁ、最終的にやりたいことは軍記物ではなくてラブロマンスだからね。あれだけツン状態だった土方が最後にはさらりと千鶴に愛の言葉をささやけるようになっており、無骨ながらも精一杯愛情を表現する様には、腐女子でなくてもココロときめくものがあるのだ。三木眞一郞ボイスのイケメンと、桑島法子ボイスの一途な子女。どっちに告白されてもくらくらしますがな。千鶴嬢は最後の最後まで甲斐甲斐しく、実に可愛らしかった。私の桑島ライブラリーに1キャラ追加です。 その他個人的には風間役の津田健さんがお気に入り。最終バトルはミキシンVSツダケンですよ。無闇に格好良かったし、最後の最後でお互いを認め合い、「薄桜鬼」というタイトルの言われが判明するシーンなんか、ちょっとサムいくらいのやりとりのはずが、この2人だと不思議と絵になるのである。やっぱり乙女ゲーキャストは男性陣が充実してるなー。 最初から最後まで、グラフィックの質が落ちなかったのも評価出来る部分で、「乙女ゲーならディーンにお任せ!」みたいなよく分からないセールスポイントが確立された感がある。嘆美な演出が実に絵になっていて、最終回を例に取れば後れ毛を描き上げてうなじを吸い上げる二人のインモラルな雰囲気とか、舞い散る桜の下で眠りにつく「薄桜鬼」の末期なんかは、本当に「絵のような」シーン。他のキャラクターについても、男性キャラがどれだけイケメンに描かれてもしったこっちゃないが、見れば見るほど千鶴嬢が可愛らしくなっていくのがたまりませんでした。彼女には、人里離れた山奥とかでひっそりと土方さんの喪に服しながら人生を全うして欲しいです。原作ではどういうエンディングなのかね。 結論として、この作品を一言でまとめると「やっぱり桑島法子は不幸が似合う」。以上。 |
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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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