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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 突発的エントリー。最近こういう「今まであんまりやらなかった経験」のエントリーが続いてますね。まぁ、刺激が多いのは良いことです。今回は、普段出不精で声優がらみのイベントでもなかなかお出かけしない私にしては稀有な、「観劇」というイベントだ。しかも観た演目は「Code:Realize〜創世の姫君〜」である。アニメは最後まで視聴していたが特に面白いと思ったわけでもないし、今回のミュージカルは声優が出てくるのでもない、アニメとは切り離して考えるべき存在。普段だったら絶対に接点を持たないコンテンツだろう。

 なんでそんなものを観に行ったのかという理由は一言でまとめるなら「タイミング」なんだけど、一応細かく分けると、1つは「最近、なんだか三次元でも受け入れやすい精神状態にある」ということ。多分、「人狼ゲーム」で実写ドラマにちょっとハマってしまった後遺症に始まり、「リズと青い鳥」では執拗に作り込まれた映像表現に様々な舞台演劇などの影響を見ることになった流れ。そして直近ではRoseliaのライブで精神をやられ、今の私は「なんでもいいからとにかく新しい刺激が欲しい」という状態になっていたのである。あとはまぁ、もう1つの理由に誘ってくれたのがそれなりに信頼の置ける人で、「まぁ、この人が誘ってくれるなら私の好みから大外れになることはないんじゃないか」っていう安心感もあった。どういう流れからかは定かじゃないが、チケット多めに取ってしまったからタダでいいって言われたし。うん、やっぱりお金がかからないってのはでかいよな(結局それか)。

 そんなこんなで突発的に観に行ったイベント。案の定、会場にはたくさんの女性ファンがひしめき、私と連れ合いのおっさん二人はなかなかに異質の存在。でもまぁ、一度座ってしまえば等しくファンという存在に……なったのかな。別にファンじゃねぇんだけどな。ただ、今回の感想は基本的に「ファンじゃないからダメ」という言葉は出てきません。もちろん「演劇とか舞台に興味がないからダメ」という人はいるかもしれないが、普段こうした文化に一切触れることがなかった私は、あらゆる側面から「新しい刺激」が飛び出してきたので本当に楽しかったです。厳密に言えばfunの要素よりもinterestingの要素が強かったんだけど、観劇中はあらゆる要素を飲み込んでなんとか機能的に処理しようとしていたので、受容器官が限界を超えてヘトヘトになりました。普段アニメしか観ていないクソ偏狭オタクはこういう時に本当に大変です。でも、考えてみれば私が愛してやまない声優さんという存在も舞台演劇とは切っても切れない存在であるし、アニメ監督や演出家の人たちも、よく舞台の話を引き合いに出し、あらゆる創作物っていうのはやっぱりどこかで繋がっているんだと感じることがある。アニメファンをやめるつもりはないし、今後こうした舞台演劇にそこまでのめり込むつもりもないのだけど、時にはこうしたジャンルを受信して感性を磨くのはやっぱり大事なことだと思いますね。

 

 

<以下、ネタバレもクソもないので閲覧注意ではないですが、一応、中身を観た後の感想を書いていきます>

 




 

 何度も繰り返すが、私はこの手のメディアを観るのが本当に初めてのことなので、何がセオリーなのかも分からず、この作品独自の価値を他作品と比較して語ることはできない。あくまで「普段2次元だけを観ている人間が初めて観たミュージカル」の感想というだけの意味しかない。しかし、それでも今作は非常に野心的で、アニメファンにとっても興味深い点の多い作品になっていたと思う。一緒に観に行った「そこそこ経験者」の人も、これはなかなか攻めの要素が多い作品であると説明してくれた。正直、世の中に展開しているミュージカルの全てがこれほどまでのクオリティなのだとしたら、私はこれまでの人生で損してきた自分の迂闊さを呪うことになっただろう。それくらいの満足感はあり、それくらいの褒め言葉は最初に書いておいて問題ないと思う。

 

 どこから要素を切り取ればいいのか悩んでしまうところだが、まず、私の場合はアニメと舞台演劇は何が違うのか、というところから考える必要があった。違う点だらけでいちいちあげつらっていたらキリがないが、突き詰めると、やはりアニメに独特なのはその「捨象性」だと思う。アニメの感想でも度々触れることがある要素なのだが、アニメってのは「描かないと生まれない」ものであり、極論すれば「描きたいものだけを見せる」ことが可能なジャンルである。それに対し、実写映画もそうだし、実写ドラマ、そして舞台演劇などは、常にその表現は「現実」という俎上にのっているため、製作者がのせるつもりのない情報であっても、受け手に届いてしまう。1枚のセル絵と1枚の写真であってもその違いは歴然なのだから、それが動き出せば、モーション自体に生まれる意味も含め、情報量が桁違いになる。アニメ鑑賞に慣れきった私のような人間は、もう、この時点で情報処理が追っつかずにいっぱいいっぱいになってしまう危険性があるくらいだ。

 

 でもまぁ、実は舞台というのもかなり捨象性に富む表現世界であり、高らかな「唄い」のような台詞回しなんてアニメ作品以上にアイコン化され、非現実的になっている場合も多い。正直、観劇前の私は、「どうせミュージカルって突然歌う以外はわかりやすい演劇なんだろ?」くらいの気持ちだったのだ。しかし、それは甘い考えだった。本作で最も野心的なところは、「我々が慣れ親しんだアニメ的な捨象と画面構造を舞台の上にも作り出してしまおう」というとんでもないコンセプトだと思う。こればかりは実物を見てもらわないと言葉で説明するのは難しいのだが……これまた私がよく使う言葉で表現するなら「画面の複層性」を無理やり作り出す方向性と言えばいいのか。舞台の上で展開される「筋」が1つではなく、観客から見える舞台を1つの画面として認識した時、まるでそこにコマ割りが存在するかのように空間を意図的に寸断し、別々のドラマを重ねて流すという技巧である。

 これを「現実」の一部である舞台でやろうとしたら本当に神業のような演出を施す必要がある。これがアニメのシーン構成の問題なら、例えば単純に線を引けば画面が割れる。片方のピントをぼやかして回想シーンを作るなんてこともあるだろうし、色彩の変化、サイズの拡大縮小などを駆使して「複層性」を生み出すこともあるだろう。しかし、舞台の上では人間にできることに限りがある。舞台の左右や前後で人間が動いていれば、普通、観客は「2つの場所で人間が動いている」ことを知覚するのが当たり前であり、そこに優先度の有無を見いだすのは困難なのである。だからこそ、舞台には話し方、動き方、スポットの当て方などに暗黙の了解があり、現実にはない「見え」を観客になんとか喚起するためにあの手この手で焦点を絞ろうとする。

 

 しかし、本作はそうした「絞り込み」とは真逆の演出意図が見える。画面を散らす、舞台全体で漫画やアニメのような複層性を想起させる。そして、そんな無茶苦茶な試みが、一定以上の成果で持って達成されているように見えるのである。分かりやすい例を挙げれば、メインヒロイン・カルディアの語りの奥に、彼女の父親・アイザックの幻影が見え隠れするシーン。アニメならばヒロインの背後に黒塗りや別レイヤーの父の面影を重ねることで追憶を表現することができるが、舞台ではそれが困難である。普通に考えたら、一度照明を落とすとか、音楽を区切るとか、そうした方法で場面のスイッチを伝えて、改めて「父親の記憶」のシーンを掘り下げる必要がある。しかし本作では、そうした「シーンの切れ目」を極力出さずに展開を流すために、「ヒロインと父親」の像を重ねる。なんなら、父親の記憶(実際にはそこにいない)の方を舞台の前面に出し、飄々と上手から下手へ歩かせたりする。そして、不思議なことに、1つでしかないはずの舞台が、これによってしっかりと「現実と追憶」に区切られているように見えるのだ。

 こうした技巧を用いる理由の1つは、シリーズアニメでは1クールを必要とした作品なので、2時間強の舞台にまとめ上げる時にとにかく詰め込む必要がある、という現実的な要因があるだろう。とにかくシームレスに、複数の要素を舞台の上で展開することで情報密度を高める。それが実利的な目的だ。ただ、これは個人的な感想なのだが、こうした演出の狙いはもう1つあったのではないだろうか。おそらくメインとなるオーディエンスの客層を考えた時に、「アニメ的な演出方向」に寄せることで見やすくなるだろう、というところまでは考えている。いわゆるアニメファンならば見慣れているような「コマ割り」の世界。そうした複層構造を受け入れられるジャンルだからこそ、この舞台は攻め気の強い「複雑な」構図を多めに採用している。舞台の1点のみの「見え」を優先するのではなく、各種要素を様々な視点から見られるよう、観客独自の取捨選択が可能なように視点の数を意図的に増やしている。その上で、舞台全体の整合性も維持しているわけで、本当に恐ろしいくらいに精緻な構造計算がなされているはずなのだ。そう考えるようになってからは、舞台上の煩雑とすら言える展開もかなり見やすくなった気がした。今作は「2.5次元」を謳っているジャンル。つまり、その舞台はどこかでアニメ的な2次元とはやはり地続きなのではなかろうか。

 もちろん、そうした演出の妙が実現したのは、キャスト陣の並々ならぬ技術と鍛錬によるものである。ほとんど知識がないのでどの役者さんがどのようによかった、ということはあまりあげられないのだが、やはり舞台を中心に活動している役者陣のパフォーマンスは、何か人間が根源的に求める快楽を提供してくれるような凄みがある。キレのあるダンス、手指の先まで行き届いた立ち姿の表れ。その全てを維持しながら、秒刻みで展開していく「詰め込みすぎドラマ」の筋を破綻なく紡ぎあげていく。それだけでも、「この作品は生で展開している舞台なのだ」という事実に打ちのめされそうになる。テレビドラマでもなく、ましてやテレビアニメでもない、舞台演劇の価値がそこにはある。今回改めて書いておきたいのは、「舞台にハマるファンの人って結構いるけど、めっちゃ気持ちわかるわ」ということでした。これだけの熱量を叩きつけられる経験は、確かに現実での人対人のぶつかり合いでしかなし得ないだろう。

 

 改めて書いておくが、別に私は舞台がアニメより優れているということが言いたいわけではない。多分トータルで見たらアニメの方が好きだし、アニメ独自の良さがたくさんあることも知っている(それは今ここで書く必要がないだけだ)。ただ、そうしたアニメの世界の良さを認めつつ、舞台演劇という古来より連綿と続く文化の中で、新たに「アニメファンをターゲットにし、アニメ的に見るべき部分を大胆に取り入れた2。5次元世界」というジャンルが、このような形で醸成されているという事実だけはしっかりと意識した方がいいと思ったのだ。それはおそらく、アニメがどうとかリアルがどうとかいう垣根を飛び越えて、1つの新しいエンターテイメントの形を生み出しているのだろうから。

 舞台には舞台の素晴らしさがある。多分、普通の人生を歩んできた人間だったらもう少し早くに気づいてもいいはずの当たり前の感想を、視野狭窄な僕はこの日改めて認識した次第です。出来ることなら、もうちょっとお気軽に見に行ける舞台作品が提供されればいいのになぁ!

 

 あ、一応ミーハーなことを書いておくと、一番気に入ったメインキャストはフィーニス役をやっていた星本裕月さんという人。声の乗せ方・作り方がうまくて声優ファンにも馴染みやすい好演でした。パフォーマンスで言うとアイザック役の仲田祥司さんという人。こちらはメインキャストではなかったのですが、途中から「なんか一人ダンスがヤバすぎる人がおる」ということに気づいて、途中からは釘付けになってました。

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