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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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縛少年花子くん2(第2クール)」 ―→5

 こんだけやってて結局諸々の問題がさっぱり解決してないの、逆にすごいな……。いつ死んでもおかしくない系ヒロインの寧々ちゃんがんばれ。

 というわけで、シナリオ上はなんも完結しなかったので現段階で評価する意味はあんまりなさそうである。まぁ、3期の報は入っていないのでもしかしたらこれで終わってしまう可能性もあるわけだが……流石にここまでの展開を考えるに、遠からず3期は制作されるんじゃなかろうか。その時まで興味を維持できる自信がないってのは相変わらずですわ。

 この「第2期第2クール」については、お話の中身がほぼ六番を中心に周り、そこに葵ちゃんも絡んで随分ジリジリとした展開だった。一番端的に「生死」を司る怪異だったのだからもう少しド派手な展開もあるかと思ったが相変わらずのぬるりとした筋運びで、どうにも盛り上がってるのかどうかが分かりにくい。花子くん本人の意思がどう介入するかも分かりにくかったのでほんとに中心が据えにくい、もやっとしたシーズンであった。最終話でようやくその縛りから抜け出せたかと思ったら(当たり前だけど)再びつかさの手が。結局、全てはそこに収束するしかないからね……。

 2期に入ってからはパッキパキの画面効果がなくなってしまってちょい求心力不足の感があるが、ここからアニメシリーズはちゃんと盛り上がるんでしょうかね。

 
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○「ケンガンアシュラ Season2 Part2」 ―

 最終回処理も全然終わってないのに、ひと足先に新番がやってくる。しかもこれ……先週から始まってたらしいです……1話見逃しちまった。いわゆるネトフリの「地上波落ち」なのでどうにも放送が変則日程。そんな半端な時期に始まるなんて、思ってませんやん。

 まぁ、逆になんとなく知ってる作品を1話落としただけで済んだのはラッキーだと思おう。データを確認しておくと、ケンガンはネトフリでSeason1が2クール分、Season2も2クール分が配信終了(既に1年前には終わってるようだ)。地上波ではSeason2 part1が1年前に放送済みである。残り16話あるってんで、他の新番組に先駆けて放送を開始した様子。おかげで大事な「思い出すための」1話目を見逃してしまったのだが……はてさて試合はどこまで進んでたんだっけ……と思ってみたらコスモVS王馬戦が決着。どうやら準決勝からのスタートっぽいですね。まぁ、こちとら原作も1回通読しただけだからどこでどんな試合が繰り広げられたかさっぱり覚えてないんですけど。公式ページにあるトーナメント表(もう最後の結果まで全部出ちゃってるネタバレ資料)によれば残る試合は若槻VSムテバ、サーパインVS黒木玄斎、初見VSアギトというマッチだそうです。……初見泉って準決勝まで残ってたんだっけ……原作は「ケンガンオメガ」の方まで読み進めちゃってるもんで、ほんとにいろんな記憶がごっちゃである。

 そう、「オメガ」まで読み続けていて改めて感じるのは、今作最大の特徴はとにかくキャラを使い捨てにしないということ。普通、トーナメント戦を描いた漫画なんて初戦敗退の雑魚枠が山ほど出て、この構成の金字塔である刃牙だってシットパイカーみたいな奴がわんさかいるわけだが、今作は初戦敗退の連中も「オメガ」までずっと出続けて、いちいちエピソードを挟んできたりする。よく言えばとにかく物語の構造が厚く、悪く言えば「そんなに全部覚えてられるか! とっ散らかるわ!」である。熱心なファンだったらいいことばっかなんだろうけど、こうしてたまに触れる程度のライト層はちょっと困ることもあるんですよ。久しぶりにみて「雷庵とかもう敗退してたんかよ……」で結構びっくりだしね。

 というわけで適当な視聴者で申し訳ないくらいだが、「アシュラ」のラストシーズンとなる今回もクオリティはいつも通り。フルCGのクセつよ作劇は賛否あるだろうが、画作りでサボってないな、というのは伝わってくるので特に不満はない。今回の「2話目」で言えば、放送時間のうち5分以上はひたすら「マウント状態からポジションの取り合いでバタバタ暴れる野郎2人の図」を延々映し続けるという、冷静に考えればクッソ地味な絵面なのだが、この「バタバタ暴れる」もちゃんと「全力のマウントとその返し」の動きに見えるから説得力があるのよ。監督の岸誠二が格闘技に対して並々ならぬこだわりを持っていることもあり、その辺の細かい描写の力は決して惰性で作られたアニメでは出せないもの。こっから先はキャラの数もドラマの方向性も絞られてだいぶ密度が濃くなってくるとは思うが、せっかくなので最後まで見届けさせてもらおう。

 ちなみに……原作読んでての感想なんですが、いまだにガオランがずっと最強キャラとして説得力持ち続けてるのすごいよね。戦績だけで言えば結構負けてるくせに。やっぱ格闘漫画描く人ってボクシングには特別な思い入れがあるのかしらねぇ(どこぞの烈海王を思い出しながら)。

 

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 なーんやそれ、最終話! 最後まで人を小馬鹿にしたスタイルを崩さない、これこそが宇宙猫イズムだぜ!

 というわけで、最終決戦らしい雰囲気だけ出しといて、実際は最終でも決戦でもなかったっていう。いや、やってることはすごいんだけどね。オクタル(もどき?)が駆使してきた技術力は「お前らとっとと母星に帰れ」レベルで、つぎはぎムームーの武力すら圧倒するようなものではあったのだが、ムームーサイドにはデシマル、シベリアという連携できる仲間がおり、3対1の状態なら正面からぶつかっても割と勝ててしまった。まぁ、ハナから相手が抹殺を目的としていなかったのならそれも当然ではあるのだが……なんとなく「頑張った」感を出したムームーの粘り勝ち。

 しかし単体の武力で勝ったとしても落ち始めた月はどうにもならぬ……というのでこちら側は地球人が頑張るパート。天空橋の発想はとんでもないもので、金と情報発信の力を駆使してなんとかして「人類を動かし」、その反作用で地球の自転を止めてしまおうというもの。……いやいやいやいやいやいや。無理やろ。力学的にも矛盾した理屈だし、仮に原理が合ってたとしてもエネルギー量は絶対たりんやろ。全世界でどんだけ猫クエが流行ってたとしてもよ。「そんなアホな!」と思ってたら、急に「人類以外の生物も動き出したぜ」とかいう謎展開があり、「いや、それでもやっぱ無理だろ……」のツッコミ重ねからの「自転が止まった」アナウンス。……後から考えたら、多分月の衝突よりも一時的な自転の停止の方が問題が大きくないか? ……まぁ、あくまで天空橋の脳内世界での出来事であり、実際には地球になんの影響も与えなかったっていう方がありそうな話ではある。とにかく、オクタル目線では「地球人も生き残りのために知恵を出して頑張った」っていう事実が大事なのでね。

 というわけで、実際はルナアタックもなんもありませんでした、という平和オチ。多分一番酷いのは「母船の首脳陣は単に寝てただけ」って部分だけど、地球サイドの「アキヒロは総理大臣の親戚だから無理が効く」も割と酷い。ムームーの宇宙人設定を皮切りにあらゆる秘密・設定が暴露されて「もうこんなん誰がどうみても最終回じゃん。原作どうやって続いてんねん」と思ったら、こういう時だけ地球に無いテクノロジーで黙らせにくるクソ宇宙人兵器が発動。都合のいい(都合の悪い)記憶だけ関係者から消し飛ばしましたとさ。……どのくらいの記憶が消えたんでしょうね。天空橋と花月さんのあのいい雰囲気とかも消えたんでしょうか。あの後の天空橋の奇行を見るに、だいぶ関係性は後退した気はするんですけどね。あと鮫洲さんも……アキヒロだけ記憶保持して鮫洲さんが蚊帳の外は流石に扱いが悪すぎるだろ。一応彼女も色々と尽くしてくれたんだから、「地球上を少しだけ薄暗くする」くらいのボーナスはあげてもいいのに。

 とにもかくにも、この騒動は一旦おしまい。まだまだ「デストロ〜イ」が止まらない迷惑宇宙猫たちによって、桜子たちの騒々しい日常は続いていくのでした。めでたしめでたし。

 そういうユルい作品なんだから、この終わり方でいいのだ。

 
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 やっぱ最後に相談するのは双葉先生なんだよなぁ……第12話。すっかり戦隊ものの博士ポジションみたいになっとる。何気に隣に姫路が座ってたのワロタ。結局姫路にもなつかれたんか。

 さておき、そんな双葉先生と症候群専門家の梓川先生がタッグを組んでも一筋縄ではいかない、シリーズ史上最大規模で混迷を極める症候群の嵐。この度最も顕在化したのは岩見沢寧々(エンディングから本名で確定)の認識阻害現象だが、なんとこれ、岩見沢単体ではなく「霧島透子に関わった者」全てに伝播した現象かもしれないということが美東の調査によって明らかになった。正確に言及するなら「不特定多数から霧島透子ではないかと推察された人間が認識できなくなる」という状況で、岩見沢と同じようにしてメディアで「霧島っぽさ」を発信した人間が悉く「透明」になってしまっているという。

 この透明化現象、すでに桜島麻衣の時の症例なんて忘れてしまったのだが、こんなにがっつり世界から「消える」現象だったんだっけ。見えない感じないは分かるが、記憶からも完全消去され、さらに今回は「その人物が関わった動画なども全て見聞きできなくなるため、なんぼ音量をでかくしても聞いてもらえない」という状況も確認されている。つまり「カメラを通せば見える」とかいうものではないわけで……じゃぁ、岩見沢が必死で撮影してたPVってなんのためにやってたんだっていう。姿が認識されない後ろ姿とかなら大丈夫、とか言ってたが、その辺りの差が厳密にどこから生じるのか、謎は深まるばかりである。

 そして今回暴かれた岩見沢の真実。相変わらず人間関係はミニマムで回っているようで、なんと偶然にも咲太が大学で知り合った友人・福山はかつての岩見沢の恋人だったという。咲太は彼の記憶の欠落や出身地の共通項からその関係を看破し、岩見沢から情報を引き出すことに成功している。また、麻衣さんの苦労を考えるとちゃっちゃと岩見沢が「自分が霧島透子だ」と言い出してほしかったもんで、彼女を福山と引き合わせて強引にでも現象を解除することを狙う。かつての自らの体験を参考にするなら、やはり症候群の解消のためには「対象を好いている人間の感情」を引き起こすのが手っ取り早い。かつての麻衣に対する自身の立場が、今回は福山に当たると読んだのだろう。

 しかし、結局その願いは届かず福山の認識は戻らない。その厳しい現実を突きつけられ、どうやら岩見沢はさらに症状を「こじらせた」ようだ。いや、そもそも今回の認識阻害も「岩見沢発信のもの」ではない説が濃厚になっており、どちらかというと「霧島透子という(実在するかどうかもわからない)何者かの症候群」に分類できそう。となれば、最悪のケースとして岩見沢は認識が戻らない上にもう1回何かを狂わせることが可能なのである。

 まぁ、今回の彼女の極まった言動が症候群なのかどうかは分からないが……霧島透子への同化を進める岩見沢。クリスマスグッズの買い集めなんて可愛いもんかと思っていたが、咲太が訪れた彼女の部屋はだいぶ病的な様子。何が怖いって、クリスマス雑貨屋の店員が「ブリキのトナカイは最近何個か売れている」と証言しており、岩見沢同様に切羽詰まっておかしくなっている人間が複数存在する可能性を示唆しているのだ。もし、その全員が「現状の霧島透子最有力候補・桜島麻衣を亡き者にすれば」と考え始めたら……そりゃ未来は暗澹たるものになるだろう。シンプルな加害案件になりそうな今回のケース、咲太は捌ききれるのだろうか。

 ちなみに、今回の一件での大きな疑問が残ったポイントは「霧島透子だと思われた時点で認識が消える」のであれば、現時点で一番消えてしまいそうなのは桜島麻衣その人であるということ。にも関わらず、彼女は変わらずテレビで活躍し続けている。これって、過去に何度か消えた経験から免疫でもできてるってことなんだろうか……。

 
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「うたごえはミルフィーユ」 6→7

 強いて今作の欠点をあげるとしたら、10話しかなかったことでしょうね。「尺が足りなくて詰め込みすぎ」とかそういう問題じゃなくて、純粋に「こいつらの行く末をもっと見守りたかった」という意味でね。

 毎週感想を書いていたので今更追記することもないが、今作の根源的な目標だと思われる「アカペラの魅力を世に知らしめる」は達成できたんじゃなかろうか。あえて楽器無し、人間の口から出る音だけで音楽を奏でるという行為はなんともストイックな印象があり、「わざわざ変なことをしている」というのはまさに作中でウタが言っていた通りだが、その「わざわざ」の理由が素人にも分かりやすいように噛み砕いてドラマ化されており、筋立てもすんなり飲み込むことができた。この手の「ライブ必須」のアニメ形態はドラマパートとライブパートのバランスがなかなか難しいものだが、メインとなるライブは3〜4回程度、しかもそこまで長いものではなかったにも関わらず、少しずつメンバーが上達していく様子は伝わってきたし、「機会があったらアカペラバンドのライブを聴いてみてもいいかもな」と思えるくらいには魅力が伝わった。それだけでも文句はないだろう。

 そうして「音楽の魅力」を伝えるためにはなんとしても「意味のあるライブ」の部分までアニメの視聴を継続してもらう必要があるわけだが、そのための求心力となる青春部活ドラマがまた面白い。この面白さは完全にファニーなのだが、1話目時点でインパクト抜群だったウタの「ハイパーネガティブ」というキャラはかなり後半までしっかりと活用されていた。ウタが周りの人間に対して示すいちいち調子のズレた反応をみているだけで面白いというのはキャラメイクの手腕であろう。他の5人についてもだいぶ極まった問題児ばかりが揃っていたわけだが、10話という短い尺の中でそれぞれに緊張と緩和が用意されており、無駄なピースが存在しなかったというのも端正な部分。いやまぁ、レイレイについてはちょっと筆が足りなかった感があるから勿体無いとは思うが……そこは「今後に期待」というしかない。残念ながらあんまり2期があるデザインには見えないけども。

 こうしてドラマにしろライブにしろ全てが高品質になった大きな要因として、やはり(少なくとも私は)中の人の頑張りが無視できない。若手で揃えたテトテの面々。夏吉ゆうこを筆頭に松岡美里・花井美春のプリキュアコンビがしっかりとベースを支え、新人で主役に抜擢されたウタ役の綾瀬未来が独自のキャラをがっちりキープ。アイリの中の人・須藤叶希も難物キャラを見事にコントロールしてみせた(クマちゃん役の相川遥花はただただお疲れ様)。この面々が歌唱パートでも存分に活躍してくれてるってんだから、プロジェクトを立ち上げた企画側もホクホクなのではなかろうか。プロジェクト、展開が広がるといいなぁ。

 
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「雨と君と」 6→6

 良きアニメでした。もちろん筆頭は「たぬ可愛い」だけど、それ以外にも魅力的な要素は多かった。今期いくつかあった「放送終了後に原作買おうかな」作品。

 まずわかりやすいところからいくと、たぬ可愛さは文句なく。「君」という名もなきタヌキは常に丸っこく、愛嬌があり、それでいてどこか変で。この狸の魅力を発信していくのがこのアニメの必要条件だったのだから、そこを満たしてくれた時点でまず文句はない。加えて、動物だけじゃなくて人間の方も実に魅力的。藤さんを中心に広がっていくコミュニティとすら言えないようなどこか疎であり密である人間関係、その1つ1つに違う世界が垣間見えて、1人の人間を起点にいろんな人生を覗き見しているような充足感がある。おおきくまとめれば「日常系」ではあるはずなのだが、「平凡さ」を売りにせず、日常生活の何に楽しみを覚え、感動を得るのかを描いた純文学の味わいはなかなか他のアニメではえられないものだ。あとはまぁ、ガールズコミュニティなので絵的にもセクシーってのはやっぱり大事だけどね。なんだろ、このアニメの女性の描き方は「エロい」じゃなくて「セクシー」っていう言葉が一番しっくりくる気がする。日々の暮らしにお疲れの社会人女性からしか得られない魅力というのはあるものだ。

 とまぁ、ここまでが表層的な評価部分なんだけど、今作の波長があったのは、もう少し本質的な部分だった気がしている。藤さんという主人公が「作家」なので非常に端的な捉え方になってしまうが、最後に藤さんが色々と悩んでいたように、今作のテーマの1つには間違いなく「言葉」がある。もっと踏み込むなら「言語によるコミュニケーション」かな。常に真剣に一言一句を考え続けながら生きている作家の藤さん。そんな彼女の下を訪れたのが「人語を解し、フリップでコミュニケーションが取れる狸」という変な相棒。もし「コミュニケーション」を考えるだけなら単なるアニマルでよかったはずなのだが、ここに「言葉が通じる」という要素が付け足されると、藤さんは大した疑問も持たずに狸と対話を始める。狸の方も藤さんの言っていることの9割は理解しつつ、それをほんのちょっとのフリップのみで返す、文字通り「言葉少な」な対話である。この「使えるけどそこまで使わない」という関係性の中に、日頃感じないような「言葉」の面白み、今まで気づけなかった隠れた役割などを感じ取ることができて、作家の藤さんは色々と刺激を受けている気がする。単なる思いつきみたいな初期設定の「変な狸」が、今作で描かれたしっぽりとしたテーマ性をうまく支えている。そんな気がするのだ。

 情報量が増えすぎた現代人にとって、仕事、人間関係、そしてアニメというエンタメとの付き合い方も人それぞれだと思う。そんな中で「こういう関係性もありじゃない?」と問いかけてくるこのアニメは、それ自体が癒しであり、思索でもある。そういう静かな時間も、必要なんじゃないですか?

 
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「ずたぼろ令嬢は姉の元婚約者に溺愛される」 5→6

 今作の教訓:しっかり語学をやってないと犯罪者扱いされる。

 なんか、当初想定してたのとは全然違う方向に進んだのでちょっと面白かった作品。いや、ベースはなろうなんだよ。タイトルにそう書いてあるんだから。王子からの無償の愛とか、それを受けてなお残るヒロインの圧倒的自己肯定感の低さとか、なろうテンプレ部分に辟易する要素は残しつつも、今作はそうしたテンプレについて、「説明することを目指している」というか、最初から設定ありきで脳死の展開を作るのではなく、「なんでそんななろうみたいな状態になってしまったのか」を物語のベースに敷いて描こうという様子が伺えた。ちゃんと必要な要素として描いてくれるなら、別になろうベースは悪ではないのである。

 とはいえ私もなろうの全てを知っているわけではないので、比較するとしたら手近ななろうアニメになる。そして興味深い対比があったのは直近で放送された「完璧聖女」。あちらもなろうベースはかなり似通った構造だったのだが、例えば「主人公が有能であるが故に虐げられる」という設定に対し、「完璧聖女」は「そんな悪いことやってた奴は単にバカだからぶっ殺していいよね!」という方向性で勧善懲悪の爽快感を目指し(こちらの方がなろうの典型ではある)、今作では「そんだけ虐げられてるってことは何か深刻な裏事情があるんやろなぁ」ってんでいじめの裏側の解明を主軸に置いた。「主人公に愛すべき姉妹がいる」というのも(反転しているが)共通部分であり、「完璧聖女」では「姉を溺愛する妹が本国で頑張り続けたもんだから両面作戦で悪を討伐できた」となり、今作では「姉の死」をどんでん返しのギミックとして盛り込むことでサスペンス要素を刺激することになった。

 終わってみれば八方丸くおさまる暖かいファミリードラマが残っており、あれだけ悪役然としていたマリーの両親についても、単なる胸糞で終わらない結末が与えられたところにもどこかこだわりが感じられて嫌いじゃない部分だ。まぁ、原作はまだ未完らしいので、「こんだけ綺麗に収まったのにこっから先は何をするつもりだよ……」というのは気になるところだが、多分この作者はちゃんとお話を考えて作れる人。この先にも何かしら痛快な物語があるのかもしれない。アニメ単体で評価すれば、1クールで綺麗に起承転結がまとまっていて御伽話としては良いものだ。映像部分についてもそこまで突き抜ける要素はなかったが、終始安定していて悪印象は抱かなかった。最初に目を引いた「赤髪に補色の緑で縁取りをする」という映像表現についても、最終的に「赤髪」という要素が物語の鍵になることを考えれば際立て方にも意味があったし。

 あとはいつも通りに中の人の話。みにゃみがしっかり生き残ってキーパーソンとして活躍してくれたのは良かったっすね。そして主人公・マリーを演じた本村玲奈、「前橋ウィッチーズ」の時とは全然違う印象でこっちの方がずっと良い仕事ぶりだった。こういうトーンの若手はね、今後もちゃんとニーズがあると思いますよ。

 
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「よふかしのうた Season2」 ―→7

 やっぱり良かった。ほんとに「綺麗」な作品なのです。

 「綺麗」ってのは2つの意味があって、1つはシンプルに画面の話。1期の頃からずっと続いている「魅惑的な夜」の映像が本当に綺麗で、キラキラと輝いて過剰なまでに明るい夜空、そしてその中で静かだが決して眠ることなく続いている人の営みの眩しさ。そうしたものをひっくるめて「夜」と称し、その夜を描くことに注力する本作のコンセプトは2期目にも一切ブレていない。今回も「夜勤の病院」「定時制の学校」などのシチュエーションが登場し、中学生のコウくんにはちょっと早いかもしれない、危険で煌びやかな夜の光景が広がっている。

 そしてもう1つの「綺麗」はシナリオコンセプトの統制感である。確かに「夜」を描くとは言っているが、別にそれは「星がピカピカして綺麗な夜空だねー」という視覚的なものだけではない。作品モチーフが元々楽曲「よふかしのうた」であり、この歌は端的な夜の擬人化から子供心にワクワクしたような「夜」の怪しさも蠱惑的に表現している。それを今作では「吸血鬼」という「夜の眷属」で代替しており、歴史に数多連なる「吸血鬼譚」の1節としても魅力的である。基本的にこの世界の吸血鬼はちょっと空気が読めないやつくらいはいるが、人間を害する気はなく、ただ「夜を棲み分けている」種族。ただし「人間だった頃の記憶を失う」という代価を支払ったことでその境界は明確であり、これすなわち「昼から夜へ」の遷移である。主人公・コウくんはそんな「夜=吸血鬼」に憧れながらも、未だ「人間=昼」に残っている身の上。だからこそかえって夜が眩しく見えて、どうしようもない憧れを持ってナズナちゃんを見てしまうのだ。夜が更けた世界で、コウくんがこの先どう周囲の環境を見ていくのか、「夜更かし」という何の変哲もない出来事が、珍妙な冒険譚として形作られていく。

 どうやらお話はまだ終わらなかったようだ。そういや真昼がらみのエピソードは収束していないし、やはり餡子の両親を襲った悲劇の真相は突き止めねばならないだろう。ってことは多分原作もまだ未消化の部分があるんだよね? じゃぁ3期はあるんだよね? 期待してますよ。

 
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 いい、最終回だった……最終話! 正直10話で終わるとは思ってなかったからびっくりはしたけど、おっちゃん号泣したから無問題です。

 そうなんだよ、まさか今回最終回だとは思ってなかったから、レイレイ問題の解決とかどうすんねん、って心配だったんだけど……いい具合に落ち着いたな。正直、「こんなん、お話的にはレイレイがパラボラの誘い蹴らなきゃおさまらんだろ」と思ってたんだけど、それって「レイレイが高みを目指す目標を一時的にでも諦めて、仲良しごっこに付き合うだけ」っていう結末になっちゃうから作品としてはダメなんだよ。正しい答えは「アイリの希望を叶えて友情を育みながらパラボラとしても活動する」。最終的にレイレイの負担が爆増した気もするが……まー、こいつがうだうだしてたせいで事態がややこしくなった面もあるので、そこは頑張ってもらうしかないだろう。

 レイレイをめぐってのデリケートな問題は、途中でウタが端的にまとめた通り、アカペラ部からしたら「嬉しくもあり、残念でもあり」。二面性がある問題だったせいで簡単には結論が出せない。唯一アイリ目線だけは「レイレイがいなくなって部活が変わるなんてヤだ」というモチベが強いが、それでも決してアイリは愚かな人間ではなかった。ミズキとの問答で自覚していた通り、レイレイのことを思えば彼女の意思を尊重する方が良い。そして、わがままを通してレイレイを押さえ込んじゃえるほどに、アイリの意思は強くもなく。結局、ムスブという不穏分子が散々にアカペラ部を掻き回した時点で、レイレイが「上を目指す」ことに変更はなかったのだ。

 であれば、アカペラ部としての最善は「できることを全部やってレイレイを送り出そう」ということになる。この流れをしっかりコントロールしたのが、大正義・ウタと大天使・クマちゃんだったわけだ。ウタはもはやネガティブを標榜することすらやめ、ついには「自分を好きになった」と公言。アイリのこれまでの活動は決して間違いではなかったことを念押して、さらに「次」を目指そうと提案する。よりにもよってウタにそんな建設的なことを言われちゃ、部長が抗うことなんてできるはずがない。これでアイリの決心は固まる。

 しかし、それでは一方的にレイレイの方が正しかったという結末となり、2人の「親友」どうしの結論としては最良の形ではない。そこで「大人」になっちゃったレイレイのケツを叩いたのがクマちゃん。結局、アカペラ部は肝心なところでは全部クマちゃんによって救われている。彼女の涙ながらの訴えで、ついに本音で話すことができた。これにて、アカペラ部の物語は大団円を迎えることができる。

 ウタたちの嘆願によって生み出されたアイリの新曲。どんな曲が出てくるかと思ったらなんとそれはオープニング楽曲。このチョイスもまた心憎くて、今まで何となく聞いてきたあの曲が、実はレイレイへの花向けを意味した「アカペラ部の集大成」だったことがここに明かされる。ウタたちがおばあちゃんになって、「同い年」になるずっとずっと先の未来。青春の1ページは単なる「思い出話」になる。そんな人生のちっちゃな1ピースに何を躊躇うことがあるだろうか。アニメは終わるが、彼女たちの人生はまだまだ始まったばかり。手と手を取って、これからを歩んでいくのだ。

 夢が ついにスタートする。

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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
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