最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「マーダーミステリー・オブ・ザ・デッド」 4→4 ん〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜、まぁまぁまぁまぁ。やらんとしたことは分かる。分かるが……とりあえず有益な情報を1つ落としておくと、いくらか改題されているとはいえ、今作を視聴した後ではマダミスパッケージの「マーダーミステリー・オブ・ザ・デッド」はプレイできなくなるから要注意だ。基本構造に大きな変化はないからな。 というわけで、プレイ済みの人間は犯人がおよそ分かった上で視聴していたわけだが、そこをアニメ的に色々いじっている部分にややプラスもあり、結構なマイナスもあり。やはり常々言っている通りに「ミステリのアニメ化って難しい」のですよね。それに加えて、さらなるハードルとして「マダミスのアニメ化も難しい」を追加しておいて欲しい。これは「ミステリのアニメ化」と要素がイコールではなくて、マダミスはマダミスで単なる推理小説とは異なった楽しみがあるはずなのだが、アニメ化してただ眺めているだけの状態だと、かなりオミットされる部分が多い印象だった。まだどっかの配信者とかがプレイしてるのを見てる方がマダミスの楽しみ方には近い気がする。 これは何故かというと、マダミスというのは基本的に「誰かの視点になって」プレイすることを前提に作られているため。そのためにマダミス作者は1人1人のキャラにそれぞれ盛り上がりが作れたり、葛藤が作れるように工夫してくれているし、「どの視点で見てもそれぞれの物語がある」というマダミスの独自性を大切にしている。本作においても原作はもちろんそうした要素がちゃんと活きた作品だったので、どの視点でもエンディングでクライマックスを迎える時にはドキドキがあるのだ。 今作にも「ミコト視点」という前提はあるものの、そこにはすでに規定の「ミステリとして解くため」のレールが敷かれており、道中で展開される他のキャラとの話し合いもまーお利口さん。みんなして話してほしいことを話すし、情報収集は情報収集でしかないので捜査に「個人の視点であるが故の」紛れが起こらない。こうなってしまうと、言い方はとても悪いがマダミスってのは「単純な導線のミステリ」になってしまう。いや、本作の場合はほんとに限定できてたのかどうかもよく分からないのだが……投票シーンで2:3になった意味もよく分からんのだよな。 もちろん脚本家の人もそんなことは百も承知でこのアニメシナリオに挑んでおり、あの手この手で原作の要素を改変して刺激を増やそうとしてくれているし、ラストの展開にちょいとどんでん返しを混ぜ込もうとは頑張っているのだが、いかんせんちっちゃい山しか作れないので全体的な平坦な印象を覆すほどではない。最後の逆転にしても、「いや、そこじゃないわ」みたいな感想だけだったしなぁ。 ほんで再三言ってる通りにあまりにやっつけなアニメ映像は視聴のモチベが大きく削がれ、「この世界のゾンビ、絶対怖くないだろ」みたいなヘナヘナ動画で緊迫感も加わらず。これなら多分、自分からマダミスの卓に飛び込んで少なからず「当事者」になってる緊張感を味わった方が何倍も刺激があるとは思います。 結論:みんな、マダミスは体感してこそなんぼやで!(マダミス推進の会の者です) PR 「ぷにるはかわいいスライム」 6→7 また最終回が温泉だよ! 今期は「最終話で温泉」のアニメがこれで3本目。どーなってんだ、この国は、どーなっつ。 スケジュールの都合上、最終話感想とまとめてで失礼しますが、とりあえず2期が決まっているので今慌てて結論を出す必要もないだろう。とはいえ、名義上は間違いなく最終回であるはずの小休止ポイントにこの話を持ってくるあたりは流石のスタッフ。「投げっぱなし」の礼節をわきまえている。これで2期が始まってしれっとぷにるが隣にいてもちょっと面白いし、いなかったらいなかったで「いや、マジやったんかい」とネタになる。これもこれでおいしい。ぷにる自身は真剣に悩んで出した結論だとは思うのだが、ここでぶつ切りにすることで大ネタになるあたりは見事なもんだ。 結局、ここまで数話の間提示されてきた「ぷにるとコタローの間の意識差」は解消されず、むしろ周りの連中を巻き込んでより大きな悩み事に顕在化した。これによって2人の関係性は進むかも知れないし、結局どうでもいいのかもしれないし……ギャグのフォーマットでありながら、ちょっとした青春劇を挟んでくれる采配も心憎い。まぁ、スライム相手にラブコメが成立するのかどうかもよくわんないけども……このニッチでカオスなポイントを狙い撃ちにするのが目的の作品なのだろうから、絞られた焦点をきっちり撃ち抜けてるはずですよ。ほんとの意味での最終回には、いったいどんな展開が待ち構えているのだろうか。 ギャグ作品なので真面目に取り扱ってもしょうがない部分もあるが、本作の良さはカオスはカオスなんだけどある程度は古のコロコロギャグのフォーマットも守っているため、完全に突き放した自己満足ぐちゃぐちゃ作品にはならなかったってところだろうか。たとえば「ヘボット」などのマジのマジで煮詰まっちゃったギャグアニメを思い出すとそこには決して受け入れられない層、理解の及ばぬ層が出てくるものだが、今作くらいだったら「まぁ、意味は分かるが」くらいで許してもらえそうである(大根おろしはかなりボーダーライン寄りだったが)。そういう意味では「コロコロ的ギャグ要素をある程度高めの年齢層に届ける」という狙いは十全に成功していたと思うのだ。 あとはまぁ、どれだけアニメにする意味があるかって部分だけど、もう1話目でエンディング見た時点で一切の心配はなくなったもんね。スライムという独自のヒロインの動きを見せるコミカルな作劇、そして理不尽な画や間で攻めるネタづくり。スタッフはきちんと「面白さ」を理解した上で画面を作ってくれている。今から2期が楽しみですね。 中の人についての話はもういいかな。篠原侑の礼賛は繰り返してる通り。あと、地味に雲母先輩役の清水理沙の株も上がった気はします。やっぱ役者たるもの変な役やってる時が一番楽しいんだから。 「戦国妖狐 千魔混沌編」 ―→5 まず何より、長期の放送お疲れ様でした。まぁ、3クールで「長期」ってのも変な話だが……最近は分割が主流なので、一応2部構成とはいえ1年で3クール分放送しきったというだけでも最近じゃ貴重な存在だ。 評価としてはそこまで高いものではない。アニメとしてのクオリティは決して低くはなかったが高くもなく、とにかく走り抜けることを最優先に何とか繋ぎきったくらいの印象。お話にしても、非常に散逸的な内容でどんどん話が大きくなり、最終的によく見る「世界系」な展開に落とし込んだことでどこか陳腐さも漂う結末にはなった。取り立てて今作を引っ張り上げるほどのものではない。 ただ、そうしてトータルでは「まぁ、そこまで」という印象のお話ではあったが、嫌いってわけじゃない。むしろとっ散らかった内容で色んなところに個々のドラマが広がっており、ここからスピンオフさせてみるとか、個性豊かなキャラクターたちのその後の人生を想像してみる楽しさもありそう。そういう意味では、1つの端正なドラマをまとめ上げるというより、何かしらの魅力を持った作品世界そのものを作り、そこに息づくたくさんのキャラクターを「生かす」のが目的の作品だったんじゃないかという気がしている。 一応主人公は迅火ということになってはいるが、2期目は「世直し姉弟」はむしろ脇に回ったり敵に回ったり、世界の構造そのものを示す存在となった。その分中心に置かれた千夜は真っ当な主人公ポジションではあるが、生まれ育ちのややこしさから正統派の主人公とも言い難い。となるとやはり「主人公」っぽいのは真介ってことになりそうだが、1期2期を跨いだ彼の存在感も、やっぱり主人公というよりは「サブ」の立ち位置。結局、みんな主人公の権利を有しながらも舞台装置の立ち位置に残り、「世界」そのものを組み上げていった印象なのだ。それはもちろん月湖にしろムドにしろ同じである。そうして1人1人のウェイトをそこまで重くしきらないことで、たとえば灼の待望の復活シーンとか、もっと大々的に扱っていいファクターがさらりと流されたりするところが好みの分かれる部分ではなかろうか。もっと御涙頂戴を強調してどこかにスコープを絞り込んだドラマ作りもできたとは思うのだが、やはりそれが主目的ではなく、「皆が生きるこの世界」を描きたかったということだ。こういう世界の大きさって、意外とシリーズアニメだと描くのが難しいんだよね。どうしても時間的な幅があるので印象に残しづらいから。本作はその辺りの手つきも無難なものだったんじゃないかとは思ってる。 多分、この作者さんはそうした「世界」をしっかり持てる人なんだろう。そう考えると、かえすがえすも「惑星のさみだれ」はちゃんとしたアニメで見たかったよなぁ……。今作が弔いとなれば良いのだが。 「アイドルマスター シャイニーカラーズ 2nd season」 ―→4 例によってあんまり真面目に追っかけてなかったシリーズではあるんだけど……正直いうと、1期よりかは興味を持って観られた気はする。1期の記憶が曖昧なので何とも言えんけど。 確か1期時点での感想は「なんかぼんやりしたシナリオラインだなぁ」みたいな感じで、登場するキャラがみんなしてお利口さんな「アイドル」なもんで、みんなして「レッスン頑張ってライブしたいね!」くらいしか話してなかった印象。登場するアイドル数が多いのでどうしたって1人1人の印象は薄くなりがちで、よっぽどインパクトのある言動がないとキャラが覚えられないという状況下、「アイドル」という特性が残念なことに画一化の方に働いてしまい「なんか華やかなことしたいんだろうな」くらいしか感想が出てこないという残念な結果に。 転じて2期であるが、いくらかの追加要素が入り、キャパで考えれば「これ以上キャラ増えんのかよ!?」てなもんだが、その「新しい動き」は純粋に興味を惹くものだった。個人的に大きくプラス印象だったのは鳴物入りで新規加入したストレイライトの3人。センターの子が問答無用の強者アイドルだったことでやたら存在感があったことに加え、そこに並々ならぬ対抗心と情熱を燃やす黒髪っ子の動きは単なるお花畑アイドルじゃなくて血の通った人間の執念みたいなものが感じられたし、脇のギャルっ子もあとのエピソードで色々と懊悩が追加描写されて「この3人、めんどくせぇな……」という障壁の多さがしっかりと個性になっていた。2シーズン通して一番応援したいユニットはどこかと聞かれたら、文句なしでここになった。 また、その後に描かれたノクチルのエピソードでも「メディアとアイドル」というあんまり描かれてこなかったフィールドにまで切り込んで痛みを伴う成長を描いてくれたし、1期の頃に比べると各方面で血肉の通ったキャラになってくれた気はするのだ。いや、もしかしたら1期もちゃんとこれをやってて、私がろくすっぽ観てなかっただけなのかもしれないけども。 ただ、この「ろくすっぽ観てない」にも理由がございまして。なんかさ、全体的に今作の演出って淡白なのよ。それがよく分かるのが劇伴の使い方で、なんかさ、ず〜〜とやたらテンションの低いじっとりした音が流れてて、盤面にメリハリが感じられないのよ。確か今作は事前に何本かにまとめて劇場公開されていたはずだが、テレビ版よりも長い尺での一気視聴、この劇伴の薄靄がかかったような状態で集中力を持続できるもんだろうか。わたしゃ無理だったのよ。多分、そういう部分から自然と興味が離れてしまったのだと思う。要所でライブシーンを混ぜ込まれても、あんまりカンフル剤にはならんよな。 まぁ、とりあえずこれで一旦終幕だろうし、あとはしばらくアイマス関係のアニメは無い……のかな? ……なにやら新しいゲームの方は割と人気が出てるらしいが……。 「齢5000年の草食ドラゴン、いわれなき邪竜認定 season2」 ―→5 2作続けて悠木碧作品。いや、こっちは大塚芳忠作品だけど。 邪竜様、今シーズンはほとんどちっこいまんまだったからさっぱり威厳なかったよな。いや、元からないんだけどさ。健気で不憫なヒロインポジション、立ち回りとしては「勝手に周りからもてはやされて威名が大きくなり続ける」だけなのでどこぞのクライさんと大して変わらないはずなんだけど、邪竜様は持って生まれた愛嬌のおかげで不憫度合いが圧倒的。周りで人間どもが勝手にバタバタしてるだけなんだけど、もしかしたらそれもこれも全部邪竜様が可愛いから周りがハッスルしてるだけなのかもしれません。まぁ、レーコは間違いなくハッスルしてるけどさ。 ほんと、安定して違和感ない画作りが達成されてて中国っぽさがないのよね。なろうは地球を繋ぐ。繋ぐな。3期はいつになるでしょうね。 「妻、小学生になる。」 5→6 今期徒党を組んでいた「実写ドラマ化してからアニメにするよ」三銃士の最後の刺客。「合コン」「結婚」ときて最後に「妻」ですからね。やっぱ実写ドラマってラブロマンスがメインなのよな(合コンをロマンスと言っていいのか?)。 ぶっちゃけ、本作はストーリー部分に特別な新奇性があるわけではない。それこそ実写ドラマという媒体を想像すれば、この手の「少し不思議」系のネタ回しはオーソドックスな部類なんじゃなかろうか。加えて、アニメとしても取り立てて大きな加点は無い。終始穏やかな画風で安定していたという意味で決して減点もされないが、アニメーションとしての特性はむしろ活かしづらく、そこまでアニメ化に意義があるタイプの作品でもないだろう。本当に、与えられた起承転結をそつなく、無難にまとめ上げた作品ということができる。 その上でトータルの評価を上げたのは、あまりにそのパッケージが綺麗にまとまっていたため。普段漫画原作のアニメは山ほど視聴しているが、通常の「連載漫画」というフォーマットは基本的に「スタート時点でゴールが見えない」ことが多い。もちろんおおまかなプロットは完成させた上で連載を始める作者もいるだろうが、連載中ってのは基本的に目の前の話の完成に腐心するばかりになりがちだし、連載を続けるにあたってどんどん最初の想定からズレるなんてことも日常茶飯事だ。アドリブ混じりで走りきり、なんとなく終わらせるからこそ「漫画の最終回は難しい」とよく言われるのだ。 その点、今作はもう、最初から完全に最終回の絵を作り上げた上で話がスタートしている。いや、全部観た後の結果論でそう見えるだけなのかもしれないけど……少なくとも1話目で置かれた配置は全てがこの最終回に向けて必要な要素ばかりだったし、後から考えれば「この流れ、この終わり方しかないな」ととても納得できるものである。悪く言えばオーソドックス過ぎて意外性が薄いと言っているように見えるかもしれないが、決してマンネリズムのみの惰性で作られた筋立てだとも思わない。「妻が小学生になる」という(身も蓋も無い)思いつきからスタートし、そこから紡がれるヒューマンドラマとしては、教科書に載せてもいいような非常に理路整然としたストーリーテリング。ここまでパッケージとして1つにまとまったシナリオラインってのは、アニメ媒体でも久しぶりに観た気がする。オリジナルアニメだったら同じような作り方になるはずなのに、漫画原作の本作でそういう印象を強く受けたのは不思議なもんである。そりゃ実写ドラマにしたくなるのも頷ける。 あとはまぁ、やっぱ男はどれだけ歳を重ねてもマザコンなので、「母親」をテーマにした作品に弱過ぎるってのはあると思いますがね。「母親が悠木碧」の時点で放送コードに引っかかる国もありますからね(認知のバグが起こっています)。 「ケンガンアシュラ Season2 part.1」 ―→― これ、地上波放送は一旦終わりかな? 最終回マークなかったんだけど……。 よく分からん。もしかしたらこのまま来年part.2も放送してくれるのかもしれないが、今んところ公式見ても情報なしなので1度終了扱いかもしれん。でもまぁ、この時点で何かしらの評価をつける意味もなさそうなので、単に本数管理のためのアンカーとして項目立てておく。 なんかこぅ……「オメガ」を読んでる状態で改めて久しぶりに「アシュラ」の方のストーリーを追いかけると、「この時点でこんなこと言ってたんだー」って新しい発見があるわね。 「最凶の支援職【話術士】である俺は最強クランを従える」 4→4 これは切ってなかったなろう。切るか切らないかのライン、自分でもよく分からない。 正直、筋立てだけを取ればそこまでの落ち度があるわけでもなく、もう1点上げてもいいんじゃないかという気もしたのだが、最終的には持ち前のなろうアレルギーが上回ってしまったので据え置き。まぁ、面白いかと言われたら別に面白くはないかな。 個人的に一番足を引っ張った要素は、「盾の勇者」などにも共通する要素だった必要以上に露悪的な部分である。「ざまぁ」は立派ななろう文化で、そもそも古来より人に存在する抗いがたい感情の1つではある。ただ、これが復讐につながるとか、一応の大義名分を持った状態であれば「復讐劇」という1つのフォーマットに収まるのだが、何故かなろう主人公ってのは不必要に他人の足を引っ張ってざまぁしたがる傾向にある。かの重曹ちゃんも言っていたシャーデンフロイデというやつなのだろうか。ほっときゃいいのにうまいこといってる他人にちょっかいを出し、そいつらが不幸になる様を必要以上にあげつらって笑いものにする。そういう文化が、やはり受け入れがたい。「いやいや、今作でノエルがやってたのは全部必要なことだから。自分の不幸を跳ね返して成り上がるための必要悪だったから!」という主張ももしかしたらあるかもしれないが、それを受け入れられてしまうならだいぶなろうに脳をやられた状態なので気をつけた方がいい。少なくとも私なりの倫理観でいえば、こいつらは「必要以上の意地悪」である。 まぁ、その「意地悪」を肯定するために世界が構築されているので多少飲み込みたくなる気持ちも分かるが、そうして「主人公に都合のいい都合の悪さ」(なんじゃそりゃ)を配置してる構造自体がどうしてもなろう的。追い込み方に悪意しかないけど、それってひっくり返すと結局は「悪いことしていいんやで。しょうがないもんな」という免罪符でもあるので単なるざまぁの助走、ロイター板でしかないわけで。それをさも「ノエルたちは逆境の中でよく考えた! これだけの才覚とスキルがあるなら活躍できるのは当然だよな!」みたいな空気は、どんよりとした妙な自意識に裏打ちされているせいで気持ちよく見ることはできない。まぁ、これは純粋に好みの範疇なのだろうけども。 また、やっぱり「話術士」という設定の使い方もいまいちではある。最後のボスキャラ討伐とか単に「獣相手に毒を使った」というだけのシーンで、殊更に「話術士だからだぜぇ」とドヤるようなもんでもないし、ご丁寧に相手モンスターが遺言として「なんて狡猾なんだ! 流石話術士!」と太鼓判押しながら死んでいくのとかいくらなんでもやりすぎである。この設定を最初に用意したなら、本当に「口八丁で勝ち抜いていく」っていうライアーゲームみたいな展開にしてもらわないと納得できなくない? 1つ前のサルとの対戦も「なんやかんやで自分のスキルがハマってチートできる相手だったんで」だから別に「話術」そのものを使ってるわけじゃないし。まぁ、「嘘喰い」と同じくらいのペテンと暴力のバランスってぇなら納得しなくもないが。その場合には「ペテン」の方のクオリティをもうちょい上げてほしい。 まぁ、あれこれと文句はつけてみたが、注文を出すってことは「そこが改善されたら見るべき要素はあるかも」とちょっとでも思っているという気持ちの表れだと良い方にとっていただきたい。有象無象のなろうにそんなこといちいち考えないし。今作は2期の発表とかないですけどね。最強芹澤アサシンのアルマちゃんは可愛かったです(結論)。 「ラブライブ!スーパースター!!(第3期)」 ―→7 もっかい「終わりよければ」って書いときましょうか。結果的にはいいとこに落ち着けたシリーズだったと思いますよ。今年は似たような評価基準を設定した作品も多いが、「今期単体の評価ではなく、これまでのシリーズの総括としての評価」ということで。 余計な火種になることを承知であえて個人的な好みのランク付けをするなら、上からμ’s>Liella!>Aqoursという並びになる(虹ヶ咲についてはまだ未完なので一旦置いときます)。これはアイドルユニットとしての好き嫌いではなく、アニメシリーズを通しての評価であることには注意。泣く子も黙るμ’sについては、なんといってもその道のパイオニア。これまでこの世界に存在しなかった「スクールアイドル」という存在を定義し、なんの前例もお手本もない中で描き切った新たなアイドル像の草分け。その完成形はまさに金字塔。続くAqoursについては、「同じような設定を踏襲して1期のいいところを模倣しながら、単なる焼き直しじゃない新たな世代を作らなければならない」というのが一番の枷となった。「スクールアイドルのいいところを踏襲する」という部分についてはそれなりに達成できていたと思うのだが、そこから新たな方向に切り出そうとした試みはあまり響かず、変化をつけようとしたところがシナリオラインに無理を生じさせてどこか歪な物語になってしまった。 そしてLiellaである。正統作品としては3作目となる結ヶ丘の物語は、既存のスクールアイドル物語に大鉈を振い、まさかの「新設校1年生だけのグループ」からスタート。シーズンを経るごとに進級するスタイル、そして先輩になることによって追加されていく後輩メンバーという新機軸は新しい動きだけに賛否を呼んだが、個人的にはこのチャレンジは成功だったんじゃないかと思っている。根本的な構造部分に改革が起こったことによって過去2作品を重ねたマンネリをある程度回避できるようになり、奇を衒った構成を必要としなくなった。シンプルな「成長物語」の王道を歩むだけで先輩ユニットと差別化が図れることになり、まっすぐな筋立てで勝負する、いわば「第二のμ’s」としての原点回帰を果たしたわけだ。この構造自体が、挑戦とその結果を生み出したのである。 もちろん、シリーズを通して全てが上手くハマったとも思わない。やはり11人という大所帯は管理が大変だったし、ラブライブという作品世界内のイベントの存在意義を揺るがせてしまうシナリオラインは、既存作品のファンであればあるほどに抵抗を覚える部分。その点についてはやはり「3作目」のくびきから完全に逃れたとは言い難い。しかし、それらの部分をある程度犠牲にしたとしても、やはり「成長するアイドルたちの3年間の物語」が与えてくれた視点は新鮮なものだったと思うのだ。そして、そんな物語を一身に背負って「成長」の体現者となった澁谷かのんは、紛れもなくラブライブの主人公であった。晴れやかな門出に、なんの文句をつけられようか。 その他にも新規軸で打ち出した「リエラのうた」など、決して既存のコンテンツに寄りかからずに新しい見せ方を探し続ける姿勢も良かったし、何はともあれ11人全員の生き様に納得できたのである。唯一の気掛かりは「卒業を明言しちゃってるけど、この先リアル世界でのLiellaってどういう活動を続けていくんだろうな……」ってことくらいだが、まぁ、わたしゃリアルの方は追いかけてないので別に構わないか。多分中の人たちもまだまだ若手揃いだし、末長くラブライブの看板を背負って活動を続けてほしいものである。 |
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声優のこと全般
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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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