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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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「アンデッドガール・マーダーファルス」 6→6

 正直、最後の最後まで評価に悩んだ作品。何を軸に評すればいいのか、どんな手つきで触れればいいものか。色々と懊悩があったのだが、とりあえず現時点においては未来への希望に価値を認めて結果を出すことにした。

 評価に悩んだのは、プラスの要素とマイナスの要素の次元がズレており、同じ板の上で良し悪しを定めるのが難しかったためである。先にマイナス要素から触れていくと、これはまぁ、非常に分かりやすい「ミステリアニメの絶対難題」である。過去にもミステリを題材としたアニメは多数作られており、「金田一」や「コナン」はもちろんのこと、最近でも「虚構推理」あたりが代表選手だろう。エンタメに振り切れたコナン映画みたいなものは別枠になるだろうが、直近の「虚構推理」などで分かりやすいのは、「アニメという媒体はミステリと絶望的に相性が悪い」という事実。ミステリが最も重視するロジックを解きほぐそうとすると、アニメはほぼ機能を停止する。どれだけ画面を小手先で弄ろうとも、ただ事実を事実として伝えることが最善である「解決」に関しては、アニメがどれだけ頑張っても文字媒体での「解り」やすさには敵わない。きちんとミステリの魅力を伝えようと原作に真摯であればあるほどに、アニメとしての魅力を発揮するのが難しくなっていくのである。

 ぶっちゃけ、今作もその悩みからは抜け出せていない。1つ目の吸血鬼の事件での「ひたすら証拠集め」「淡々とロジックで限定」のくだりなどどうしたって退屈に見えてしまうし、最後の人狼の事件、構造はえげつないくらいにアクロバティックなことをやっており、執拗な舞台設定と綱渡りのような解法とその披露は、おそらく原作ではさぞ気持ちの良いパートなのだろうと想像できる。しかし、アニメで鴉夜が淡々と解説しているパートはあまりにもスピードが早すぎて、驚愕の事実があれよあれよと降り注ぐテンポは(少なくとも私には)受け止めきれず、その味わいの大半が耳の外を流れ落ちてしまうような印象があった。何度でも自由意志で文字を読み返せる小説媒体だからこそ可能な密度(難度)は、アニメ化というメディアの転換に耐えられるものではない。

 こればかりは作品がどうこうとか、スタッフがどうこういう問題ではないので現時点で解決策は完成していない。ただ、そうした難点を認めつつ、おそらく今作のスタッフはそんな当たり前のことは重々理解しており、できる範囲でなんとか脱却しようと最善を尽くしてくれていることが伝わってくるのである。前人未到の高いハードルも、稀代のエンタメ作家・畠山守の手に渡ればいくらか光明が差した感がある。幸いにして、本作はミステリとしての強度はガチガチに固いのだが、それに加えてちゃんと「キャラもの」「ゲテモノ」としての側面にも魅力があり、アニメでは「珍獣大集合の化け物ミステリ」という側面を強めに打ち出し、とにかく画面での楽しさを提供しようとしている。こればかりは本当に感覚的なものでしかないのだが、この「つまらない画面になりがちなパート」をどこまで装飾で誤魔化すかというのは脚本との連携、そして画面構成のセンスのバランスがものをいう部分で、ちょっとでも画面に「気持ちいいな」と思える要素が混ざり込めば「退屈さ」は大きく低減できる。やはり畠山さんはその辺りが上手い。

 個人的に注目したいのは画面の色彩の使い方で、どの事件も基本的に解決に関わるシーンに夜が多いせいで無闇に暗くなってしまうはずなのだが、そこは虚仮脅しも含め、何かしらの賑やかさを感じさせる画面を意識的に作り上げている。最終章ならカーミラ戦あたりが分かりやすいだろうか。「ゾン100」における極彩色の血の描写につながるものでもあるが、とにかく「使える色」を積極的に見せることで、じっとりと地味なシーンとの対比も狙ってメリハリを作っている。普段の描写から「闇と光」の演出に常に気を配っているからこそ、「ケ」のシーンと「ハレ」のシーンの差別化ができているとでも言おうか。本来原作にはなかったであろうアニメ独自の盛り上がりを生み出すことに成功しているように思えたのだ。

 この方向性がミステリアニメにおけるベストアンサーなのかどうかはよく分からない。そもそも畠山さんらの演出力だよりな部分が多いし、難しい画面を全力で成立させにいったラパントラックの組織力による部分もあるだろう(こちらの作品も回を増すごとに作監の数がとんでもないことになっていく)。しかし、こうして常に「アニメでどうしたらいいか」を考えてくれるクリエイターがいれば、この先にまだまだ明るい可能性が見える気がするのである。

 ちなみに毎度の蛇足で中の人に触れておくが、中の人もやたら豪華な作品だったね。MVPは当然ともよ……といつもの私なら書いてるところだが、今作については津軽役・八代拓がベストだったと思っている。津軽ってめちゃくちゃ難しい役だったと思うのよね。「鬼」の側面、「噺家」の側面、そして「主人公」の側面。相反するイメージの連携を成立させて魅力を発揮させた彼の仕事がなかったら、この無茶苦茶世界がぶっ壊れてた可能性もある。いいキャラになったなぁ。

 

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「スパイ教室 2nd Season」 ―→5

 一応、「良い影響を与えた方の2期目」とカウントしていいのかしらね。こんだけの話数があってようやく、今作がやりたかったことはなんとなく伝わってきた。

 1回だけ千和効果で感想を書いたりもしたけど、結局は「キャラもの」として押していくしかない作品。だとしたらキャラが立ち始める2期目以降に印象がよくなるのは当たり前のことで、その傾向が顕著だったのがあのエピソードで絡んだアネットだったということ。1期は主人公(?)のリリィ、2番手のグレーテの2名が中心になっていたが、おそらく2番手で行けると想定していたグレーテのエピソードが今ひとつハネなかったのが1期を停滞させた最大の理由だろう。そしてハネなかったのは、やっぱり「スパイもの」として大して面白くなかったせいである。インパクトの大きかったアネット編、そして続けて変な味わいが強烈だったティア編は、「スパイとしてのイカす活動が云々」みたいな部分は割とどうでも良かったのよね。どっちかってぇと具体的な謀略とかじゃなくて雰囲気だけで「強い! 綺麗! 可愛い!」ってやってるキャラの方が立ってるわけだし(ティアが別に「エロい!」になってないのがポイント)。

 別にそうしてキャラで売っていく方向性が悪いというわけじゃない。というかむしろ好物ですらある。2期については最終話がこんなエピソードで終わったことから見ても作者はそっち方向で振り抜いた方が飛距離が出ることがわかってるんじゃないだろうか。じっくり準備をして、キャラごとに愛着が湧く頃合いになれば、あとはきららアニメと同じテンションでちょっとニヤニヤしながら見守るだけである。この調子で行けば3期4期と続いても特に負担なく追い続けることができるんじゃないだろうか。

 まぁ、結局は第一印象だった「エグいくらいにキャストを固めてやる萌えもの」という路線が正しかったって話なんだよな。というか、このキャスティングなんだから制作側だってそんなこたぁ百も承知だったんだろうけど。一気に8人も9人もヒロインが大挙する作品は、そりゃ1クールじゃ描ききれんよ。私はラブライブで学んだからそれを知っているんです。

 

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「白聖女と黒牧師」 5→5

 ほんとに平和なアニメでしたね。毒にも薬にもならないアニメってのは……薬みたいな効能があったりします。

 「甘々」という概念をそのまま抜き出したような、本当にいちゃついてるカップルを見てるだけの作品なので、時として虚無な感情が押し寄せる場合もある。「いちゃいちゃ」というのは正確ではなく、ラブコメにありがちな「付かず離れず」の関係性のいちゃいちゃ未満なので、そこにやきもきしたり、ホッとしたりする。特に加点要素もないかと思っていたのだが、これが案外嫌いじゃない。

 作品を支える大きな要因の1つは制作体制そのもの。「萌えアニメの雄」である動画工房がプライドを持って作り上げたゆるふわな世界観。番組後半には怒涛のように押し寄せる大量の作画監督が話題になっていたが、とにかく人材をぶちこみ、人手をフル回転させてなんとかクオリティを維持したのだろう。最後の最後まで「可愛い」が崩れなかったのはそれだけでも頑張ったと労う価値がある。ゆるふわって「なんもないこと」の言い換えだったりするので画面が退屈になりやすいのだが、本作はパリッとした色彩の世界が新鮮さを維持しつつ、要所で挟み込むコミカルな描写でテンポを作ってくれた。アイキャッチみたいなゆるキャラ状態が可愛くていいよね。

 そしてもう1つ特徴を挙げるとすれば、アベルたちはもちろんのこと、街の人たちが総出で「聖女様が幸せになるには牧師様とくっつけばいいじゃん」ということを理解しており、いろんなところに世話焼きババアが潜んでいるところ。結局、人類はゴシップが好きなのだ。似たようなデザインの作品に「宇崎ちゃん」があったが、微笑ましい関係の若いカップルをニヤニヤしながら見守り、時にちょっかいを出して背中を押してみたりするのは楽しいものである。今作はそうした「おせっかい」の視点が常に付きまとうのが、単なるいちゃいちゃでは終わらないエッセンスになっていたのだろう。

 あと、世話焼きババアって言ったけどそのCVが戸松だったり中原麻衣だったりするので。……「世話焼きババア」っていうのは役職名であって性別や年齢に言及するものではありません。

 

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「贄姫と獣の王」 5→6

 安定感に溢れる2クール作品。やっぱりこうしてたっぷりの尺でおっきなドラマをやってもらえるとそれだけでも充足感がありますな。

 今期「わた婚」と双璧を成すイチャラブシンデレラストーリー。どちらにもそれぞれの良さがあり、「わた婚」は映像クオリティとヒロインの声(そこ?)でとにかく映像をだらだら眺めているだけで得られる栄養素があった作品。対するこちらは、映像部分は平均値かもしれないが、その分真っ正直にシンデレラストーリーを曲げず、折れずに走り切るドラマ重視の作品。ほんとのほんとにシンデレラストーリー&ビューティー&ビーストといってしまえばそれでおしまいのシナリオラインではあるのだが、そこで別に恥いる必要もない。こうした説話の類型が遥か昔から語り継がれているってことはそれだけ人類がこの手のドラマを求めているということである。そこかしこで人外がいちゃいちゃしている図は実に微笑ましく、「これだけでもいろんな性癖の人が満足してくれるだろうし、掲載誌が『花とゆめ』だというなら、ここから新たな世界に目覚めていく幼気な少女もいたりするのかしら」なんて考えてしまう。僕ら男連中の視聴者はイケメンがどれだけイケメンムーブをしたところで「ケッ、イケメンが!」と思う部分がどこかにあるものだが、そのイケメン枠がもふもふの獣になってしまえばどうなるか。それすなわちハッピーアワーである。

 ドラマ部分をもうちょい深掘りすると、どちらかというと「わた婚」よりも「外道ラスボス女王」の方がニュアンスが近いかもしれない。主人公のレオは確かに臣民に対して隠し事こそしていたが、基本的には本当に善政しか敷いていない完全たる正義の王。にもかかわらず彼とサリティに降りかかる国難は全てあまりに致命的で、国をひっくり返してしまうとんでもないものばかり。そしてその原因は基本的に「この国の過去の闇」にある。「外道ラスボス女王」は「ゲーム世界の仮想の自分」の悪性と向き合い、それを正すために戦っていたが、レオたちは「種族の差を含め、オズマルゴが過去に歪めてしまった血筋の闇」の悪性を白日の下にさらし、改めるために戦い続けた。2人が打倒したフェンリルにしろセトにしろ、彼らなりの大義を抱えて必死に戦っていた人物である。そうした外敵に対し、決してお為ごかしではなく、正面からぶつかり、打倒して国を守る。それを成し得たレオはずっとずっと強かったし、何度か折れそうになるレオを支え続けたサリフィの内助の功はやはり大きい。きちんとヒロインが納得できる形で「戦っていた」という意味では、シンデレラストーリーとは言いつつも立派な英雄譚でもあったのだ。いや、別にどこぞの斎森美世さんをバカにしてるわけではないですが。

 こういう作品を見るとやっぱり2クール尺を通しでやってくれる作品ってありがたいな、と思っちゃいますね。最近は同じくらいの規模感の作品でもどうしても分割が多くなっちゃうからねぇ。J.C.みたいに地力があるスタジオが受け持てれば問題ないのだが……。

 

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「ライアー・ライアー」 5→3

 ダメでしたね。こうしてみると、出自がなろうだろうがそれ以外のラノベだろうが、別にクオリティの保証にはならないってことだよな。当たり前だけどさ。

 ダメなポイントは基本的に「レベル1だけどユニークスキルで〜」と同じ。なんか分からん設定を勝手に作って、それを視聴者が理解してない状態で「それをひっくり返すぜ!」でドヤるという意味の分からない方法で凄みをアピールしようとして「知らんがな」と言われてしまうというヤツである。点数に差があるのは、こちらの方がまだ映像部分がマシだったこと(決して良いとは言ってない)、アニメスタッフが一応「なんかしてる感」を精一杯出そうとしていること。アニメとして垂れ流した際に、あまり深く考えなければ不快感が薄いのはこちらの作品だと思われる。

 ただ、矛盾しているかもしれないが、こちらの作品の方が制作理念に関わる病巣が深い可能性はある。何しろこちらの作品は「ゲーム」をテーマに設定し、いかに面白いゲーム、騙し合いの勝負を描くかが一番大事な要素になる(はず)。そうした基盤部分で大した考えもなく後付けでどんどんルールを追加するばかりの「おもんないバトル」を繰り広げている時点で、危機意識の薄さというか、認識の甘さみたいなものはこちらの作品の方がエグい気がするのだ。「ユニークスキル」の方は一応なろうなのでダンジョン探索以外にも描きたいものがあった可能性はあるのでね(まぁ、あったところでお察しだったが)。

 「オリジナルのゲームで勝負する」というデザイン自体、面白くするのはめちゃめちゃ難しいというのは先人たちが散々証明している事実。「カイジ」の序盤部分なんてのは才能溢れる時代の福本伸行が奇跡的に生み出したものであるし、私の周りで大人気の「嘘喰い」もゲームメイクは綱渡り状態でぎりぎり成立させつつ、「暴のパート」と呼ばれる反社アクションの描写で思い切り魅力を引き上げているのでゲーム単体勝負ということもない。「賭ケグルイ」もあの絵があってこそのコケおどし要素はあるし、同じラノベ媒体の「ノゲノラ」もゲーム自体はなんじゃそらの要素があったためにちゃぶ台を思い切りひっくり返す世界創造の概念からダイナミックに切り込んだ故に成立した作品だったはず。個人的に「ゲームによる頭脳戦」漫画で文句なしに推したいのは「アクマゲーム」くらいである(めだかボックスはちょっと違うし、そもそも他人に勧めないし)。

 まぁ、そうして考えると「やっぱり無理だったよね」くらいでこのガッカリ感は終わりです。世に溢れるクリエイターの皆さん、一度「ゲーム的設定」から離れて作品を書いてみたらいかがでしょうか。

 

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「好きな子がめがねを忘れた」 4→4

 今期何かと気になったGoHands作品の1本目。先に2本分まとめて書いておくと、新番チェック時点で「GoHands特有のガチャガチャした画面の理念は、ユル系作品と噛み合わないんじゃないの?」という懸念を持っていたわけだが、そこについてはぶっちゃけ、慣れの問題だった。割とあっさり慣れてしまい、その後は「このアニメの画面はこういうもんだ」というので特に深い意味は感じないようになった。人間とは順応する生物なのである。「ハンドシェイカー」の時とはエラい違いだ。

 ただ、残念ながらそうして画面の違和感は無くなったものの、作品の性質自体があんまり受け付けるもんじゃなかったので加点はせずにフィニッシュ。ほんとは公正にジャッジするならこれだけの作画リソースを割いている時点で上方修正すべきなのかもしれないが……「違和感が無くなった」とは言ったが、「この作品がこの作画である意義」は相変わらず感じられないままなので、そこは心を鬼にして長所とは捉えないこととした。他のスタジオが作成したとしても、根本的なデザインが変わらないならあんまり点は変わらないんじゃないかな。

 何が受け付けなかったかといえば、そりゃ三重さんというキャラの存在そのもの。「そこまでのド近眼なのにメガネ忘れすぎやろがい」という当たり前のツッコミは視聴者全員が1話2話くらいの時点でやってると思うのだが、本作はそこを前提としておくためにどのような対処をしたかというと、「そんなことをしちゃうくらいに致命的に生きていく力に欠けているのが三重さんなんだよ」という形で、ヒロインの知能を削ることで整合性を与えた。確かにメガネを忘れたヒロインは可愛いのかもしれないが、残念ながら関係性が「うっかり者のクラスメイト」ではなく、「常に目を向けておかないと何するか分からない赤ん坊」になってしまった。いくらなんでも、中学生にもなってここまで生活力が無い人間はあまりいてほしくない。ヒロインを可愛く見せるため、主人公の地位を相対的にあげるための知能デバフってのは他の萌え漫画でも割と普通に使われている手管ではあるのかもしれないが、今作はデザインのせいでどこかに「リアル」を匂わせる結果となり、なんかとても座りが悪い状態が続くことになってしまったのである。

 よって、「三重さんがメガネを忘れることなく、普通に世話好きで気のつく主人公・小村くんといちゃいちゃする」というだけの作品だったらもっと飲み込みやすかったと思うのだが、「メガネを忘れ続けるからこそ、2人の関係性が続いたのだ」という設計が作品の根幹であり続けたため、そうした作品作りは叶わなくなってしまった。最後の最後に「メガネとか関係なく、2人の関係は続いていくよ」というエンディングになったのだから、「ここから先の話」があればもしかしたら面白くなるかもしれないのだが……その場合は「好きな子はもうめがねかけっぱなし」にタイトル変えなきゃいけないんだよな。

 まぁ、とりあえずGoHandsの新たな路線を模索する作品としては面白かったので、今後の展開に期待しよう。

 

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「フェ〜レンザイ 神さまの日常」 6→6

 まさに今wikiで確認して知ったんだけど、今作の「フェーレンザイ」っていう言葉、原語だと「非人哉(ひとにあらざるかな)」と書くらしい。タイトルに漢字表記を使わずにカタカナを使ったあたり……お察しですね。たまにある「中国語の漢字を日本語でそのまま使うとえらいことになるパターン」である。まぁ、日本語でも「人非人」みたいな単語ならOKのはずなんだけどね。

 などと関係ない話題から入ってみたが、こちらは第一印象がそのまま最後まで持続した作品。とにかく「中国アニメ」というまだまだ不慣れな文化をたっぷりと浴びるように見て、新しい刺激を得たり、何とも言えない違和感にもにょもにょしたりする、未知との遭遇が何とも楽しい。「万聖街」に続く、中華アニメへの入門作品として悪くない1本。何がいいって、非常に軽くて「どーでもいい」短編の集合体なので、ほんとに気楽に単なるギャグアニメとして眺めてもそれなりに楽しいし、がっつり見ればそこかしこに見える文化差などが確認できて「中国だとこうなるんだぁ」をじっくりと味わうことができるということ。いきなりゴリゴリに重い作品だと違和感ばかりが先立ってそもそも飲み込むのが難しくなってしまいかねないが、こういう作品から少しずつ中国アニメ文化に体を慣らしていくのは健康にも良さそうだ。

 もちろん、そうして色々な楽しみ方ができるってのは作品のクオリティが担保されていればこそである。日本アニメと違って「途中で万策付きて作画がワヤになる」なんてことは絶対になく、どの話数のどのシーンを切り取っても作画・動画ともに安定している。そして「魔導祖師」のようなハイクオリティでびっちり埋めるのではなく、ギャグアニメらしくシンプルな線のちょっと砕けた絵柄でこれが確認できるのが楽しい。間違いなくアニメの動かし方は日本のアニメから学んだ「輸入品」のはずなのだが、もはや間違いなく「中国オリジナル」のアニメ作りが育っており、「日本人が作ったらこんなふうにはしないなぁ」というのが(良くも悪くも)新鮮に映るのである。

 もちろん作画技法的な部分だけでなく、ネタ回し、話作りそのものにも同じような感想を抱く。「ギャグアニメ」ってんで日本のアニメ的常識から生まれた「二次創作」的要素もありつつ、やはり中国5000年の歴史(そんなご大層なもんじゃないかもしれないけど)を下敷きに生まれたチャイナ・オリジナルな価値観や倫理観に根差したストーリー展開も垣間見えるのが楽しく、興味深く、薄気味悪い。ことに哪吒をめぐるの花ギャグなんかはほんとにグロいというか、キモさが際立つ描写が多かったりするのだが、そんな味わいも含めての異文化交流。きっと古くは日本のアニメを見た海外の人も同じような違和感と快感を得ていたのではなかろうか。

 まー、そういう外国人をたくさん見てきたからこそ、「このアニメだけで中国文化を勉強した気になったらまじで危ないんだけどな……」ということも肝に銘じなきゃいけないのだけど(そもそも人間社会の話じゃないしな)、将来的に「フェーレンザイを見てたんですよ」で中国人と仲良くなれるような時代がきたら面白いよね。向こうの感覚からすると、逆にした時にどんな雰囲気なんだろう。「ごちうさ見てたんですよ」くらいだとしたら……オタクとしか通じ合えないな……。「ギャグマンガ日和見てたんですよ」くらいかな……(ダメじゃん)。

 

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「あやかしトライアングル」 5→5

 とりあえずかけるべき言葉は「お疲れ様」な気がする。何しろ放送開始は今年1月。しかしそこからスケジュールが破綻し、再放送やら特番やらを挟みながらもついには力尽き、夏番組として再放送をスタートさせ、この度無事にゴールイン。ほんでついでにこのタイミングで原作も終わりを迎えたというニュースも入ってきた。そういう意味ではキリのいい結果とはなったのだが……制作側が望んだわけじゃねぇからなぁ。

 放送遅延しまくった甲斐もあって、最後まで映像クオリティは大きく崩れずにゴールインすることができたのは良かったというべきだろう。エロ最優先の矢吹作品において映像が崩れてしまっては元も子もない。そのことは作り手側も分かっているからこそのゴタゴタだったと思えば、むしろ非常に責任感のある人々によって作られていたと考えることもできる(ほんとに責任感がある人は破綻するスケジュールは組まない気もするが)。まぁ、そこまで頑張ったとて「でも、いつも通りの矢吹作品なんでしょ?」と言われたら「何か問題でも?」と答えるしかない。折悪しく(?)同時期には「もののがたり」や「AYAKA」といった「あやかし」テーマの作品も多くてあんまり差別化が図れなかったのも残念な部分ではあるが、妖怪バトルものはジャンプ漫画の王道ではあるのでそこは気にしない方がいいか。

 「あやかしバトルもの」よりも「TSラブコメ」という部分がしっかり掘り下げられていれば問題ないわけで、「女の子同士がイチャイチャしてる姿が見たい」というニーズにはガッツリ応えてくれている。そういや1月スタートって「おにまい」と同じタイミングだったんだよな……相手が豪速球すぎるし、放送時期がずれて単体で評価しやすくなったのはむしろありがたかったかも。今後、日本のアニメ業界は「1クールに1本くらいTSものを作成すべし」みたいなルールができるかもしれないですね。え? 「七つの魔剣」もTSしてたって? あっちはメインコンセプトじゃないから……。

 ぶっちゃけ「よし、この調子で2期もやってくれ」とかは思わないので今後の展開がどうなっても別にかまわないのだが、原作が完結したというなら2期に続いてもいいような気もする。「To LOVEる」みたいにじっくりゆっくり作品を続けてもいいけど……1つ条件があるとするなら、玄田さんが元気なうちに完結させなきゃいけないってところ。玄田さんももう75だぜ。あんまり無理させられないよなぁ。

 

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SYNDUALITY Noir」 5→6

 例によって現時点で評価する意味はあまり無いのだけれど……まぁ、いい具合に予想は裏切ってくれたかな、という作品。とりあえず先が読めない、映像を見ていて不快感がない、それだけでもどんどん加点要素に感じてしまう私の脳は大丈夫?

 いやいや、別に今作をくさすつもりは全く無くてですね。最初に「な〜んか変なの」と思っていた不恰好ロボアクションなんかがきちんと作品世界内で折り合いをつけて最終的に「なんだ、こういう工業的なロボデザインも意外に格好いいジャン」と思えるくらいまでにはなってきている。最初に阿漕すぎると思ったメイガスとのバディシステムも、単なるお人形さんみたいな飾り要素ではなく、SF設定のど真ん中にゼロ型メイガスを放り込んだおかげで謎の根幹に関わっていることが分かり、視聴者目線では「ノワールと交流を深める=この世界の深淵に迫る」ということを知っているので(カナタ目線だと理解しているとは言い難い)、単なるイチャイチャハーレム作品で終わらず、責任を持ってSF要素もある程度のけじめをつけてくれるんじゃないかという期待もある。こればっかりはあんまり言語化できないのだが……節々から感じる「ちゃんとシナリオに責任持ってる感」が嫌いじゃない。

 その上で、ちゃんとハジけるところはやりきろうというサービス精神もあり、最終話で爆笑してしまったボブからフラムへのくだりとか、作中人物の関係性も通り一遍のものではなくて泥臭くも人間臭くもあったりする。まぁ、黒仮面まわりなんかは分からんことも多いので2クール目で思い切りちゃぶ台クラッシュされる可能性もあるが……そこは今心配してもしょうがない。我々にできるのは、せいぜい休止期間中も良かったところを反芻し、帰ってきた時にすんなりと受け止めることである。……ワシ、それすらできないくらいの記憶力を自負しているもので……。

 

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