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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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「ストライクウィッチーズ2」 6→6

 突き抜けた1クール。終わってみるとメインシナリオ部分はすごく普通のお話をやっただけのような気がするのだが、その合間合間に根深い病巣が確認出来る要素があまりに多すぎる。他では味わえないものを見ることが出来るという、シンプルながら強力な武器が、この作品では一貫して存在していた。

 話題性も充分だったこの作品、第1話時点では安定した作画状態と、2期ものの強みである「既に広がった世界観」のそつのない使い方で、無難なスタートを切った。2話目で見事な空戦シーンを見せ、まず1つ目の「唯一無二」を提供する。至高の高村アングルによる文字通り嘗めるようなカメラワークはこの作品でしか見られないものであろうし、この作品においてしか意味のないものだろう。キャラクターが口で語り、目で語る作品というのは多々あれど、尻で語る作品はこれくらいのものである。真下耕一作品の「目のアップが映る時間」と、高村和宏作品の「股間のアップが映る時間」のどちらが長いか、あまりに暇な人は調べてほしいくらいだ。そこに尻があること、それがこの作品のオリジナリティ。

 そして、それが突き抜けて戻ってこられなくなったのが、伝説となった7話「モゾモゾするの」である。お前ら軍人なんだから真面目に戦争してくれ、と思わないではないが、やはりこのシナリオが成立して、なおかつ面白くなってしまうのはこの作品の2つ目の「唯一無二」。もう、ズボンだろうがパンツだろうが、本当にどうでもいい。そこにあるものは、ただ1つ、飽くなき戦いを挑んだ男たちの戦果だけだ。求められるものをただただストイックに作り続けること。これこそがクリエイターの真骨頂ですな。

 細かい部分を要素別に見ていくと、画面構成で特徴的なのは、空を飛ぶウィッチの映像は遠景の場合はCGでモデリングしている部分だろうか。昨今はCG混じりのアニメーションなんてものは全く珍しくなく、むしろCGを使わないアニメの方が珍しいくらいだが、この作品のようにキャラクター作画にCGを持ってくる例は少ない。その理由の1つは、一部をCGにするくらいなら、もう海外アニメみたいにフルCGにしてしまった方が撮影が楽になるからだ。この作品の場合、そうした方向性は目指しておらず、あくまで遠景で空を飛ぶキャラクターに限りCGを使い、まるで1機の戦闘機であるかのように描かれる。そして、細かい描写の時は普通の手描きに戻るわけだ。こういう方法を採ると面倒なのが、CGと手描きのつなぎ目である。どうしたってCGはそれと分かるものになってしまい、突然手描きになるとそのギャップはかなり目につく。過去にがっかりした例としては劇場版「いばらの王」があり、あれは突然人間がカクカクしたCGになってしまってものすごく萎えるという残念な仕上がりだった。この作品も、CG描写のところは割とはっきり分かってしまうのだが、カット繋ぎの工夫で、そのあたりの継ぎ目を極力意識させないように作られていたのがうまい。空戦シーンは手間を省くためのCGが有効に働いていたので、この方向性でCGと手描きの融和点を探すことが出来るのなら、今後のアニメーションの進展にも貢献できる、意義深いものとなったのではなかろうか。

 そしてこの作品のもう1つの特徴としては、今回描かれた501部隊はあくまで世界規模で見たらたくさんある中の小さな「ウィッチーズ」の1つでしかないという点。実際、マルセイユなんて他の部隊のキャラクターも登場していたし、最終回にも知らない顔がちらちら見えていた。それだけ、この作品の世界は広い。たとえ宮藤芳佳の軍役が終わっても、まだまだ横への広がりがあるということだ。

 そうした「世界の広さ」は、501部隊の中でも、個々のキャラクターの広がりの可能性を示唆するものだ。芳佳ともっさんを除いた9人は今後もまだまだウィッチとして働けるわけだし、そうしたバックグラウンドがある、と視聴者が思うだけでも、キャラクター描写の選択肢が増える。今回も11人の隊員を13話で描くという無茶なチャレンジに挑まなければならなかったわけだが、各キャラクターに不満が無い程度の出番を与えながら、きっちりメインシナリオにも時間を割くことが出来ていたのは評価出来る部分だろう。そして、そうした効率的な世界拡張に、この「ストライクウィッチーズ」という世界は適合していたわけである。2期ものアドバンテージは、「既にあるもの」を使えるという部分だが、この作品の場合、その「あるもの」の規模がやたらでかかったということだ。私は個人的にそこまで入れ込んでいないのでアニメで語られていないバックボーンまでは知らないのだが、そうした方面で楽しめた人達がいた、ということは漏れ聞いているので、一応興味はある部分なのである。

 なんかとっ散らかった話になってしまったが、最後に当然キャストの話。11人のウィッチがそれぞれに魅力を振りまく理想的な萌え作品。その中に沢城みゆき、田中理恵、斎藤千和という、我が声優十傑のうち3人がいるというのはそれだけで一大事。他の面々だってそのほとんどがキャリア充分の実力派揃いで、もう、2期になったからというので随分のびのびやっている印象が強かった。新規参入の世戸さおりさんも、一番大事な役どころをきっちり勤め上げてくれたと思う。今後、これをきっかけに他所でも聞けることを期待しています。

 そしてなんと言っても、最後にもっていくのはやっぱりメインヒロインか。宮藤芳佳というキャラクターは、主人公としての強烈な個性を持っているわけでもないのに、何故か視聴者を引きつける不思議な魅力を持ったキャラだった。そして、そんな芳佳の魅力の一端は、中の人である福圓先生が担っていたのは間違いない。代表作としてこのパンツ作品が筆頭に来るのは色々と面はゆいところはあろうが、堂々と誇って、これからも「ストライクウィッチーズ」の看板を背負い続けてほしいものである。

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 「学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD」 6→6

 毎回の感想で大体のことは書いてしまっているので、このまとめで改めて書くようなこともあまりないのだが、まぁ、面白かったですよね。ここまで徹底した「ホラーもの」っていうのは最近のアニメでは珍しいし、その中で売りにすべきポイントはちゃんと押さえてアニメの画面を作れていたと思う。荒木監督は、こういう大見得の切り方がうまい。

 再三書いているのは、シナリオラインに対する不平不満。極限状態の人間を描く、というのは陳腐ながらも実は難度の高い部分で、この作品は、そのあたりの基本線となるキャラクターの行動原理、状況判断がいちいちおかしい。ちょっと触ったら即死、というゾンビの設定は慣れてしまえば単なる1敵キャラかもしれないが、実際に直面したらあんなに怖いものはないだろう。事実、1話2話あたりではそのあたりの恐怖が最大限に描かれており、背筋にダイレクトに来る描写が素晴らしかった。しかし、だんだん慣れてくるとメインテーマであるはずのゾンビの扱いがおろそかになり、だんだん麻痺してきたキャラクターの切迫した感情にリアリティが無くなる。一体何を目的に動いているのか分からないシーンが増えていったのは閉口した。人間ドラマを書くために恐怖描写に筆をさきにくくなった、というなら仕方ないが、そのドラマが弱いのでは話にならない。

 とはいえ、それは原作に依拠した問題点だろう。アニメ作品として見た場合、そうした欠落のあるシナリオラインをなるべく誤魔化し、画の魅力で見せてやろうという気概がそこかしこから感じ取ることが出来た。一番分かりやすいのはアクションの描き方で、多少嘘くさい「アニメ的な」動きを更に誇張させ、そこに乳アクション、尻アクションを交え、この作品にしかない、オリジナルの見せ方を確立させた。乳抜き、股抜き狙撃なんて大馬鹿なシーンはその最たるものであるし、感極まった毒島先輩の晴れやかな「濡れるッ!」は後世まで語り継がれる名シーン(迷シーン?)となるだろう。

 作画も1クール通じて安定しており、大人の事情で修正がガシガシ入っても、なんとか我慢して見ることが出来るくらいのクオリティにはなっていた。製作陣は毒島・平野あたりに愛情があるのか、この2人が絡むシーンでのエッジを聞かせたキャラ描写はたまらないものがあり、バトルにギャグにと大活躍していたのが印象深い。その分主人公が弱いっていうのが相変わらず悩みの種だが……ま、ハーレム設定の野郎主人公なんてこんなもんですよ。案外終わってみたら平野が主人公になってるかもしれないしね(昨今の萌えアニメなら、絶対に平野の方が主人公に向いてる)。

 トータルで見ると、画のクオリティや構成の妙、オリジナリティなどはかなり高めの配点で、中途半端に終わってしまった難ありのシナリオでやや減点、といったところ。なんとか続編を希望したいところだが、原作ってあとどれくらい残っているんだろうね。間に入るCMを見ると、この原作者、他の漫画やってるじゃない。……無理かねぇ。

 で、キャストの話。今作は主人公チームの鉄板キャストも魅力の一つ。諏訪部・檜山は言うに及ばず、沢城・麻里奈のゴールデンエイジコンビ、さらに下にはキタエリと竹達もいる。犬役でダチャーンとかもいる。いいとこ持ってきたもんだ。こういう緊迫感のあるシナリオだと、やっぱり素の実力が物を言いますな。さらに脇を固めるでは、クライマックスを盛り上げた中田譲治・榊原良子の高城夫妻。ほんと、締めるところを締めてくれる存在感はかけがえのないものです。MVPは誰だろう。順当に行けば沢城か檜山だろうが……個人的には、紫藤役のきーやんも捨てがたい。変態役って、楽しそうだよね。

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 HEROMAN」 6→5

 ひとまず、2クールの間お疲れ様でした。製作側も、見てるこっちもね。

 夕方6時枠でアニメオリジナル。しかもアメリカ人原作者による、いわゆる流行からは少し外れたジャンルと、言うなれば「不利な戦いを前提とした」作品だった。今のお子さんたちが何を楽しみに見るのかはさっぱり分からないが、少なくともこの作品が大ブームになって関連商品が飛ぶように売れて……みたいなことが絶対にない確証はあっただろうしね。

 そんな決して楽ではない土壌で、この作品はそれなりの善戦をしていたと思う。特に1クール目のゴゴール初戦までの流れは、その展開の速さが尋常ではなく、次々に襲いかかる絶望的な敵に対し、ヒーローマンとジョーイは苦しみながらも努力を重ね、最終的には勝利を手にする。爽快なアクションとも相まって、きちんとやりたいことが出来ていた佳作だったと思う。無骨なデザインのヒーローマンも、開き直ったようにパンチキックだけで敵を倒していくので、その不器用さが逆に新鮮で、真っ白ボディに赤と青のペイントという、あまり日本人では思いつかない妙ちきりんな外見も、いつしかちゃんとヒーローに見えてきたものだった。

 問題にするとしたら後半部分。表面上はスクラッグを倒し、何が敵なのかが明示的でなくなったあたりからだろう。ヒューズとの追いかけっこはあまり目的意識が感じられないものだったし、島での騒動やウィルとの戦闘など、「何か裏がある」と思えばこそ見られるストーリーだったのに、そこをあまり回収せず、最後の最後でノリと勢いが押し切ったのは勿体ない。前半部分も、突き放したような絶望的な設定とそれを乗り越えるためのストイックなまでの根性論が魅力だった部分はあるので、なまじサスペンスな要素を臭わせてしまうと、その食い合わせの悪さばかりが気になって、最後までその齟齬を埋めることが出来なかった。もちろん1つのストーリーとしては風呂敷をたたんだ状態にはなっているのだが、ちょっと結び目が雑多になりすぎたのが悔やまれる。ラストバトルあたりは徹底的にヒーローマンのアクションのみで見せる手段もあったと思うんだけど、ドラマ性を優先してしまったのがなぁ。

 とはいえ、全体的には安定した品質を維持していたし、ジョーイを含むキャラクターの描写などもなかなか。個人的にはホリーがお気に入りで、わざわざアメリカを舞台にして描いた分かりやすいアメリカンテイストが独特の味わいになっていた。終わってみればハリウッドなどにありがちな単なるパニックもの、エイリアンものだったわけだが、それでもボンズの熱の籠もったバトルアニメの土台になってくれれば、それなりに見応えはあるものだ。一応「そっち方面」も意識したリナの健全エロとか、こすっからい演出もちょいちょい楽しめたしね。

 トータルで見れば「可もなく不可も無し」といったレベルに落ち着いた今作。ラストのDr.ミナミの引きはものすごい気になるし、作中で一番好きなキャラは勿論彼なので、是非とも続編を作って欲しいとは思うのだが、多分この分だと2期を作る流れにはならないだろう。ま、この2クール、そこそこ突っ込みと声援を送らせてもらっただけでも良しとするか。

 最後は当然キャストの話。この作品はそこまで中の人のアピールが強いものではなく、もっとも楽しめる部分といったらゴゴール役の石塚運昇だったりするのだが(あと当然ミナミ役の松本保典)、女性キャストでお勧めなのはホリーの中の人、小笠原亜里沙だ。初めて彼女を聞いたのは「WOLF’S RAIN」だったと思うのだが、その頃のやるせない演技は影も形も無く、最近では独特のハスキーボイスが印象的ないい声優になった。来期は「パンティ&ストッキング」でメインヒロインをやるみたいなので、要注目。あとはやっぱりジョーイ役の小松未可子かな。最初の頃は本当になよっちぃジョーイだったので微妙だと思っていたが、最終的には、あまり声質に変化はなかったが、それなりに芯の通った主人公になっていた。中の人はまだまだキャリアも浅く、今後声優活動を続けていくかどうかも定かじゃないが、またどこかで見かけたら、応援してみたいと思わせるだけの仕事はしてくれた。

 何はともあれ、お疲れ様でした。

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 「あにゃまる探偵キルミンずぅ」 5→7

 最終回だって? HAHAHA,何を言っているんだ。終わるわけないじゃないか。キルミンが終わったら、……俺はどうやって月曜日を終えたらいいんだ…… 終わって、終わってねぇよ……

 今期終了する中で、最も別れが惜しい作品。1年間ものお付き合い、本当にありがとうございました。思い残すことはいっぱいあります。最終回の超展開と投げっぱなし感、どうしたら良いんでしょうか。結局キルミンとは何だったんでしょうか。アニマリアンの革命は、どのように続いていくんでしょうか。カノンたちのおじいちゃん、結局何だったんでしょうか。カノンの親父さん、画面上に一度も姿を現してないけど、いいんでしょうか。リコたちのママさん、結局変身しなかったけど、何の動物だったんでしょうか。タマオ成長しすぎて時代飛び越えちゃったけどいいんでしょうか。……もう、なんとかしてくれよ……

 いや、逆に考えるんだ。これだけ煮え切らない要素があるなら続編だってある、と。誰かこの10月から「あにゃまる探偵キルミンずぅ♯」とか「キルミンずぅダイナマイト7」とかが始まる情報を入手した者はいないか? この際だから「よりぬきキルミンさん」みたいな総集編でもいいぞ。もう、話の内容とかはサザエさんクラスのダラダラでも一向に構わない。ケンロックホームズの名推理をダラダラ流すだけでもいい。どうにかして毎週月曜日にリコやリムたちに会わせてくれ。あの愛らしいグルミンの百面相を見せてくれ。ポチ姉の無駄にエロい愛嬌の振りまき方を堪能させてくれ……

 あ、少し真面目にまとめますね。結局、この作品はどこに向けての作品だったのかがイマイチ分からないというのが最大のポイント。キルミンのおもちゃを発売したわけでもなし、放送時間が半端だからそこまで大きなお友達に迎合したというわけでも無し。後半の怒濤のシリアス展開(?)はとても子供さんじゃついていけない気がするけど、あのグダグダっぷりは真正面から物語を作ろうとしたようにもみえない。二ツ木の最期とか、実に寓話的で面白い終わり方ではあったんだけど、彼の目的意識の不鮮明さのおかげでどう驚いていいのか分からないしなぁ。最終回で乱打されたサプライズの数々も、ぽかーんの度が過ぎて全く印象に残らなかったぞ。結局どうなったんだよ、ドクトル!

 ひょっとしてあれか。やっぱりこの番組の視聴方法は私の姿勢が正しかったのか。毎週「うは! キルミンフォーゼした後はリコの顔とグルミンの顔のどっちを見ればいいんだ!」と叫びつつ彼女たちのコントを楽しむと。幼女は可愛いし、小動物はもっと可愛い。だったら小動物の着ぐるみを着た幼女は至高の愛らしさを誇るはず、という安直な思想は、見事に的を射たものだったわけだ。この勢いを維持するには……フィギュアか? 三次元造形物に手を出せば少しは悲しみも紛れるのか?! 誰か「眼鏡透けてるバージョンのリム」か「髪おろしてるバージョンのリコ」を立体化して下さい。

 最後に当然キャストの話。もう、この作品は散々叫んでいるので語るべきものもないのだが、とにかく悠木碧+佐藤聡美という珠玉のコンビネーションが絶対領土の不可侵域。ミジンコ扱いでも構わないので御子神家の父親になりたいです。あおちゃん成分としゅが美分を摂取する新たな手段を考えなきゃいけないのか……どうしよう……

 他にも色々とキャリアの浅い面々が声をあてていたわけだが、探偵団メンバーはもちろん、牙組の男性キャストなんかも割と面白かったです。ママさん役の根谷さん、二ツ木役のおっきー。みんなみんな素晴らしい世界をありがとう。ほんと、神浜市は原色の色づかいが毒々しい街だったので、結局どこの国なのかよく分からなかったよ! 韓国との共同制作だとこういう色づかいになるんだろうな。「アニマル横町」もそうだったし。なんだ、日韓共同制作でも名作は生まれているんだね……

 リコリムカムバーーーック!

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「オオカミさんと七人の仲間たち」 5→4

 気付けば空気のように終了したこの作品が、今期の最終評価1発目。実際は「黒執事」が先に終わってるんだけど、時間帯の関係で感想が書けるほど真剣に見られていなかったのでパスです。嫌いじゃなかったですよ。1期よりは楽しめました。

 さておきこの作品。端的に表すならば、「岩崎&J.C.ならこうなるだろうな」と。可もなく不可もない状態で過ぎ去っていたこの作品は、ざっと見た感じではそこまで好意的な評価が見られないのはちょっと残念。ただ、個人的に岩崎良明という人は決して嫌いな監督ではなく、むしろここまで没個性に原作を浮き立たせる作品作りにこだわる人というのは珍しい気がするので、この作品も評価出来る部分は評価したい。

 全く原作を読んでいない状態なので完全に憶測なのだが(よって間違ったことを言っていても原作ファンには許してほしいのだが)、この作品の最大の問題点は、「原作が面白くないこと」なんじゃなかろうか。監督へのひいきのためにそういう結論になった気もするのだが、正直言って、この作品が何作も続く人気ラノベシリーズとはとてもじゃないけど思えない。筋を追っていても、何一つ新鮮なものが得られないのである。

 キャラクターの造形については、1話目視聴時点では期待できる部分もあった、テンプレ臭の強いキャラがほとんどとは言っても、「個性的な面々が集まって恩返し組織を営む御伽銀行」という設定自体は悪くないのだし、ここからオオカミさんと亮士を中心としたラブコメ+学園コメディにするなら、それなりに話らしいものは作れるはずなのだ。それなのに、この作品はその設定から一歩も先に進もうとしない。「ツンデレキャラとして設定したのでこの人はツンデレっぽく振る舞います」「腹黒キャラという記述があったので、この人は腹黒として読んで下さい」というサボりだけが見え隠れして、その上っ面だけで話が進行してしまう。最後まで見終わってまだ興味が維持出来ているキャラクターといえば、魔女子さんとアリスさんくらいなもので、この2人の共通点は、「まだエピソード中でメインを張っていない」ことである。他の連中はそれなりにスポットが当たってしまい、「底の浅さ」が確認出来てしまっているのだ。例えばオオカミさんの設定の1つである「ジムに通ってずっと強さを求め続けている」という状態は、「あれだけ好き勝手にさらわれて、しかもバトルで特に活躍したシーンもないのに何を言うか」と思うし、林檎の腹黒設定も、白雪姫エピソードを見たら一切説得力がない。おつうさんの恩返し属性なんて意味すら分からないし、乙姫・浦島コンビはあれだけ登場シーンが多かったのにそのバックボーンに全く興味も魅力も感じない。本当に、話を作るのが下手なのである。

 こうした「全く面白味を感じさせない原作」を、なんとかアニメ的に盛り上げようと努力するのがアニメスタッフの仕事。作画面は非常に良好で、その部分は評価すべき部分だろう。加えて、最も分かりやすいアニメの注力ポイントといえば、なんと言っても新井里美によるナレーション。賛否が分かれた被せ気味のナレーションだったが、今にして思えば、あれがこの作品に唯一与えられた「オリジナル要素」であった。一貫して流れ続けたみっこ節によって、なんとかこの作品は作品として維持されたのだ。未だに「あり得ない語尾!」とか聞くとちょっと面白い。

 ただ、残念なことにこのナレーションについても、どうしても「作品を描写する能力が欠けるために、それを補うツールとして用いられた」という印象がある。みっこナレによって「可愛らしい」とか「強そう」とか「腹黒そう」と言われると、何となくそんな気がするという効果があるのだが、あまりにそれに依拠しすぎて、他の部分での欠落が目立ってしまう.実際、作中でみっこの語るナレーションに対し、「いや、そうでもねぇけど」と思うことも何度かあり、画面の中での物語の不備が浮き立つシーンも見受けられた。「そこは地の文(ナレーション)で説明するのではなく、なんとかしてシナリオや画面で見せるべき部分だろう」と、そうした不満ばかりが起こってしまうのだ。

 こうした「不備の目立つ」構成にしてしまったことは、アニメスタッフの責任であろう。ただ、「じゃあどうやったら面白くなったのか」と言われると非常に難しい。みっこナレは、これはこれで充分魅力的なものであったし、ナレを入れること自体が悪かったわけではない。むしろそこまでやっても脚本の山の無さをフォローしきれなかったと見るべきで、普段の岩崎監督の「原作維持」の方向性は、あまり良い結果を生まなかったということだ。原作もののアニメ化も、難しいのである。

 そして、この作品で最も悔しいのは、いかにも岩崎J.C.らしい豪華過ぎるキャスト陣。御伽銀行だけでも、御前、かな恵ちゃん、ホの字、川澄、きみきみに豊崎。その他にも釘、中原、甲斐田、美佳子におはぎにしゅが美などなど、若手から中堅まで、完璧すぎる布陣を敷いているのに、何故こうも印象に残らないのか。ここまで残念な気持ちになったのは「ポリフォニカ」以来である。おそらく、どれもこれも「ま、このキャラ設定ならこの人でしょう」という安直なセッティングでやっているおかげで、全員が「どこかで見たキャラ」にしかなっていないせいだ。川澄や釘の使い方なんか、既に一周回ってネタレベルかもしれない。同じようにテンプレっぽく集めた「れでぃばと」はそれなりに堪能できたんだけどなぁ……

 最終話で突如しゅが美キャラが登場し、なんかそれだけで許せる気になったけど心を鬼にして点数は下げる。最終話はどうせ新キャラなんぞ感情移入も出来ないだろうから、脳内で律ちゃんに変換していたのは内緒。

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 「さらい屋五葉」 6→6

 毎週の感想文を読んでもらった方が話は早いのだが、基本的には存分に楽しませてもらった作品。粗製濫造、ものすごい消費スピードでアニメが浮かんでは消えていく中で、こうして強烈な自己主張を持ちながらも、どぎついものとしてはそれが現れず、ひたすら自分のペースで構築されている作品というのは、非常に特殊で、好感が持てました。

 本作で評価すべき部分は様々な切り口があるわけだが、最初にあげるべきは、その徹底した演出プランだろう。始めに原作ありきなのでシナリオラインはアニメスタッフがいじれる部分も少なかっただろうが、とりたててアニメ的な見せ場もない「地味な」作品を、ごまかすことなく正面から「地味に」描くことにより、かえってその魅力を引き立たせることになった。具体的には、時代劇につきものの切った張ったのシーンを極力廃し、「暗」と「静」を基盤とした世界のみでシチュエーションを固めていった。作中では何人もの人間が刀で斬られて命を落としているはずなのだが、それが具体的に画面上に現れることは少なく、あくまで「斬った側」の心情にフォーカスを当てることで、心の奥のザワザワした感情や、冷え切った狂気のような感情を画面上に表出させることが出来た。この方向性は、おそらく成功だったのではなかろうか。

 「描ききらない」という指針はその他の人間ドラマにも現れており、主人公の政之助が口べたで人付き合いが苦手なこともあり、キャラクターどうしのコミュニケーションには、必要以上の会話が乗らない。元々気むずかしそうな梅がそうだし、口数の少ない松吉、最初から最後まで得体の知れない弥一など、この作品の男共は、本当に「背中で語る」を地でいくキャラクターばかりである。そして、そんな硬派な演出が、作品の物寂しい空気や、一口では語れないもどかしさなどにも直結している。台詞の数が減るからこそ、一言一言の重みも増し、「最初からこうすりゃ良かった」「恩人が3人になっちまう」などの台詞が活きてくる。最終回など、弥一は墓の前でなにかをしゃべるでもなく、ただ嗚咽を漏らすだけだし、そこに助けに来たマサも、特に慰めの言葉をかけるわけでもない。この「会話のない関係性」が、この作品をがっつり見せてくれた一つの要因だ。

 そして、そんなシナリオラインを決定づけるのは、やはりアニメの画の力。マングローブの制作ということで独特の風合いはそれだけでも見どころであるが、暗く湿った江戸の町の空気と、同様にじっとりと湿って先の見えにくい五葉という組織の空気が見事にマッチしている。基調が鈍い色であるおかげで、楓の葉の赤色や匕首の銀色など、ピンポイントで彩りを加える要素も画面映えするし、必要以上に押しつけないさりげない風景の1つ1つが、政之助達の生活の実感を与えてくれる。動くばかりがアニメでなく、しゃべるばかりが作劇ではない。こういう骨太な演出方針と、それを実現させられるだけのスタッフを見ると、まだまだ知らないものが楽しめそうだと思える。とにかく、楽しかったです。

 もちろん最後はキャストの話。今作は渋く渋くという、やや専門外のキャスティングになっており、さらにいくらか腐女子向けのサービスも動いていたので全部が全部分かるわけではないのだが、それでも政之助と弥一の2人の魅力だけは分かる。浪川大輔、櫻井孝宏。現在もっとも脂ののった2人の共演は、本当に耳に楽しかったです。他にも梅役の高塚正也、松吉役の内田夕夜など、周りを支えるキャストもやたらかっこよかったのが印象的でした。女性キャラはほとんどいなかったけど……一番可愛かったのは、ネコ?

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「四畳半神話大系」 5→6

 視聴後の感想が、「面白い!」とか「凄い!」じゃなくて「なるほど!」というものだった。こうして最終回まで見終わった段階で「満足する」じゃなくて「腑に落ちる」作品というのもなかなか珍しいかもしれない。

 正直なところ、中盤の展開はかなりダレていて、あまり真面目に見る気も起こらなくなった時期があった。個々のエピソードにギミックはあるものの、結局それは繰り返し繰り返しの天丼構造を垂れ流しているようにしか見えず、悪評ばかりが集まった「エンドレスエイト」と本質的にどこが違うのかと、訝しんだこともあった。どれだけ画面に変化を加えたとして、この作品の中心に居座っているのは浅沼晋太郎による「私」の語り。その本質が替わらない限りは、この作品の「繰り返し」に意味はないのではないかと。

 しかし、6話からの3択問題のあたりから、ようやくこの世界の意味が分かり、それによって「この作品の見方」も分かった。なるほどという「納得」は、この作品が「繰り返し」などではなく、あくまで「積み重ね」であることが分かったことに対する反応だった。

 「繰り返すだけでなく、積み重ねている」。このシンプルな作品構造は、言葉にすれば簡単であるが、実際のシナリオと画面の構成に落とし込むのは非常に難しい。単に「昔出てきた要素をサブイベントとして臭わせる」程度では、それは要素として散り散りになってしまい、「1本の世界」としての収束をみない。この作品の前半は、そうした「収束」のための準備段階として蒔かれた種であった。

 城ヶ崎や羽貫といったキャラクターが地固めを始め、「私」の様々な経験が四畳半を取り囲み、10話でついに「砦」として完成するに至って、この作品は真の姿を現す。夢うつつの中で過ぎ去った数多のifは全て現実であり、そのすべてが並行した四畳半世界に存在している。そして、それを10話の「私」が断片から回収をしていく。次第に「語り」も視聴者目線にシンクロし始め、最終的に、「私」の目線は視聴者に重なる。モザイクのようにちりばめられた概念の断片は、この「私が作品世界から逸脱し、視聴者に並び立つためのツール」であり、後から「振り返る」のを容易にするための、圧縮ツールの役割を果たしている。最初は「結局『あること』をそのまま描写しただけの画面ではないか」と思っていた個々の演出が、全て結晶として四畳半の各部屋に沈殿していたその様子は、メタフィクションの中の結末としても実に新鮮で、わずか2話の中に10話分以上の中身が詰まっているという事実は素直に心躍るものであった。最終回の小津との関係性、10話以上もただぶら下がり続けた白のモチグマンなど、物語の風呂敷をたたむためのツールも機能的に配置されており、「改めて1話から見直してみたいな」と思わせるだけの説得力を有していた。これは確かに、凄い。

 「語りによる世界構築」という部分は、最初の感想でも書いた通りに、新房シャフトの演出と被る部分がある。その印象は別に間違っていないし、今でも替わらない。ただ、一つ見込み違いだったのは、西尾維新作品は「語りの負荷を増やすことで構築される要素を前面に押し出した」作品構成であり、この「四畳半」は、「語りが全てを負担しないことには成立しない物語」だったということだ。「この構成でなければ出来ないこと」をやったという意味では、むしろ全く別なジャンルのパイオニアであると捉えてしまってもいいのかもしれない。そして、そうしたチャレンジをするに際して、湯浅政明という才能は実に見事にフィットしていた。観念レベルの昇華という難題を、いきなり1話から「湯浅テイスト」で固めることで自然に解決し、自分の演出技法の1つの結果として飲み込んでしまった豪腕は、特筆すべきものである。

 そして当然、この作品を作ったもう1人の男は、浅沼晋太郎である。「私」の世界である四畳半を視聴者と同じ目線で見るということは、「作品世界に埋没する」ことを良しとする声優の仕事の中でも異色のミッションであったろうし、純粋に体力的、技術的に高いハードルであったことは間違いない。今後しばらくは、この作品が彼の代表作である。他にも小津役の吉野弘行、明石さん役の坂本真綾など、癖の強いキャラクター達をコミカルに演じてくれたキャストの皆さんにお疲れ様を。

 全部が全部これじゃパンクしてしまうが、1クールに1本くらい、こういう「挑戦」があるのはいいことだ。それにしても、最終回のオープニングエンディング入れ替え演出は笑わせて貰った。「これから本編が始まるからね! 終わりじゃないからね! 見てね!」って、そんなに不安ならやるなよ。素晴らしい馬鹿の結晶でした。

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 「荒川アンダーザブリッジ」 5→4

 難しい作品だったとは思う。ロケーションがずっと橋の下なので画面の変化が非常に乏しい上に、会話の中身をネタにする場合が大半なので、キャラクターの動きを見せるでもない。そうした作品をアニメにして画面映えさせるというのは、生半なことではない。だからこそ、この作品はシャフトがアニメ化したともいえるだろう。

 しかし、結局根本的な問題は解決していなかった。最初のうちこそエキセントリックなキャラクターの掛け合いを楽しくみられていたのだが、次第にそうした刺激にも慣れてしまう。なまじストーリーものとしての側面を打ち出そうとしてニノとの恋愛模様やリクと親父の対決ストーリーを中軸に据えてみても、それまでの消耗品的な、散逸した笑いの流れとの相性が悪く、どうにもとってつけた感が否めない。最終的には、そうしたちぐはぐな側面ばかりが目についてしまい、いまいち楽しむことが出来なかった。どこかでこの作品について「イカれたキャラクターさえどんどん出してればいいと思ってる」と評価しているのを見たことがあるが、辛辣ではあるが真理だろう。

 もちろん「シャフトだから」とか「シャフトなのに」という風に先入観をもって見るのはあまり良くないことだとは思うのだが、企画としての骨子はやはり「シャフトでなければ出来ないスタイル」というものを求められてのものだったと思えてしかたない。そこにこうした「無難な」演出スタイルを見せられると、肩すかしを食らった感じになってしまう。「ひだまり」でも同じような感想を書いたが、あちらは原作がそもそも「空気系4コマ」なので「無難な」スタイルでも食い合わせは悪くなかったが、こちらは勢いで押さなければいけない純正のギャグマンガだろう。となると、毎回笑いを生み出すためには、どうしたって変化は必要だ。にも関わらず、演出段階でそうした変化を否定してしまっているために、少しずつ面白さは消えていくことになってしまった。責めるのは酷な話ではあるが、やはり、期待に応えたとは言い難い。もう少し脚本部分でそのあたりの「慣れによる失速」を計算できていれば、コントロール出来た部分もあると思うのだが。

 評価出来る部分というと、まずは山本沙代によるオープニング映像。エンディングもなかなかだが、やはりオープニングのあの独特の雰囲気は特筆すべき部分。大沼心や尾石達也、龍輪直征と、やはりシャフトはこのあたりの仕事には一家言あるらしく、チャレンジングな仕事ぶりが好印象。そして、流石にしつこいからもう触れなくていい気もするキャストの話。「千和とみゆきちさえいれば、世はことも無し」。あ、ニノ役の坂本真綾もいい仕事でした。

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 WORKING!!」 5→6

 今期最も無難に面白かった「安定枠」。オリジナル回はあったが、基本線は原作からの劇的な改変があるわけでもなく、やるべきことをやって1クールにまとめるという、お手本のような「原作もののアニメ化」である。4コマ漫画だから尺のはかり方などはいうほど楽ではなかったはずなのだが、流石に「スケッチブック」などで培った平池監督の手腕は手慣れたものであった。

 個人的には、あのちょっと書き殴った感じの原作のテイストが好きなので、そこの再現度がちょっと気になった部分。決してうまいとは言えないはずなのに勢いはあるあのノリ。アニメにして整った絵になるとあの勢いは損なわれてしまうんじゃないかなぁ、という懸念は有って、実際、画面が綺麗になるとちょっと違うイメージにはなった。ただ、その代わりに動画部分でノリの良さをカバーしており、特に伊波さんが全力で振り切る拳骨のダメージと言ったら実に痛快。他にもプリプリ起こる種島とか、小鳥遊四姉妹の奔放さとか、きちんとアニメの枠を利用した演出が光ったのは純粋にプラスの要素と言えただろう。

 原作ではそこまで最優先で押していない(気がする)恋愛要素をメインパートに据えてシメの1話に用意してきたあたりもなかなか気が利いていて、どんどん恋する乙女になっていく伊波さんが可愛らしい。最終話冒頭の、彼女の部屋の定点カメラから捉えたカットなど、なんだかもきゅもきゅしてしまう愛らしさがある。もちろん、先輩も可愛いですよ。

 そう、なんだかんだで結局この作品もキャラクターの吹っ切れた個性の勝負。そういう意味では、個人的にMVPをあげたいのは山田だ。登場が遅れたので出番が多いというわけではないのだが、あの独特のテンポと「イラッ」とする感じ、本当に山田はスタッフに愛されていました。

 あとはキャストの話になるよね。山田押しということは、やっぱり広橋にお腹いっぱいということ。あー、ウザ可愛い。種島先輩もアスミスにとっては何度目かの「代表役」といえるキャラクターになったろうし、せっかく面白い声の幅があるのになかなか活躍出来ていなかった藤田咲にも、伊波というアピール出来る役が回ってきた。個人的には藤田というと「まなび」の桃葉とか「つよきす」のカニみたいなロリっ子役なんだけど、伊波さんはほんと、普通の可愛い子でしたからね。あとはやっぱり小鳥遊四姉妹かしらね。特に梢姉さんの中の人が御前ってのが……もう、なんかそのまんまじゃねーか。酒キャスって、新しい概念だな。

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