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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 「乃木坂春香の秘密 ぴゅあれっつぁ♪」 4→2

 この番組の良かった点。1,エロ能登。2。サブヒロインにさとりな。3.なばが歌うOPが格好いい。

 この番組の悪かった点。上記以外全部。

 本当に誰得な作品。これってラノベ原作だったはずだけど、本当に売れているんだろうか。どこにニーズがあるのかさっぱり分からない。山もオチも無いストーリーに、特に新規性も無ければ共感も持てないキャラクター。かといってそれらを自覚的にパロディにするといったこすっからい手を使うわけでもなく、ただ垂れ流すだけの形態。2000年代前半のアニメバブルの時にはこうした本当に海のものとも山のものともつかぬ作品が多々あったわけだが、業界が斜陽となり、取捨選択が厳しい昨今においてもこういうものが作られるというのは、ある意味奇跡でもあるし、ある意味病巣でもある気がする。

 一応のフォローをするなら、エロ作品としてはそれなりの矜持があったらしく、画的なものは時折納得できるクオリティはあった。ディオメディアの画作りは色づかいなどがキツくてなかなか好みには合致しないのだが、「クイーンズブレイド」や「かのこん」みたいなモロだと嫌だ、という人間の限りなくニッチなニーズに応える「寸止めエロ」としての役割はあったのかもしれない。もちろん、無いかもしれない。

 相変わらず最終回を終えても特にオチらしいものもなく、下手したらまだ続編が作れそうな構成だったのだが(実際に原作は未完だろうし)、ひょっとしてこれの3期とかがあったりするんだろうか。……姫宮みらんのPVとかならOKです。あ、でもキャラはむかつくから出さない方向で。椎名だけならギリギリ有りか。

 何で最後まで見たのかって? 中の人目当てだよ。文句あるかこん畜生。

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「涼宮ハルヒの憂鬱」 ー→5

 様々な話題を振りまき、現代アニメに問題提起をするだけしまくって幕を下ろした「新作」ハルヒ。良くも悪くも話題性のつきない作品である。

 今回の全26話をどのように評価するかで、アニメ視聴の姿勢というのがよく分かる。とりあえず、問題を1つ1つ解体して評価する必要があるだろう。

 まず、旧作と新作を混交しての放送という形態について。「時系列順に並べ直して放送する」ことの意味は分かる。1期は話数シャッフルという突拍子も無い企画が話題を呼び、成功したわけだが、制作した人間からすれば、「きちんと時系列順に並べても面白いんだぜ」という部分をアピールし、改めて物語を見てもらいたいという気持ちもあるだろう。新規作成部分だけを抜き出して放送すると物語としての連絡に乏しくなってしまい、観る側に余計な負担を強いるのも事実。新規ユーザーを開拓することを考えるなら、改めて再放送する意味は小さくない。普通、深夜アニメは再放送による新規ユーザーの獲得なんて期待するべくもないのだが、この作品には、それだけの期待が持てるだけの話題性があったのだ。しかし、新規ユーザーを狙った目的が顕著であるだけに、やはり既存の視聴者に対して不親切だったのも事実。放送開始時には新作が挟まれるかどうかも分からなかったし、分かった後も、新作を観るために旧作を見直すか、パスするかを選ぶ必要があった。視聴者に無駄な負担を強いる危険性という意味では、メリットとデメリットが割りにあったかどうかは微妙だ。そして何より、後ろ暗い話題のせいで、どうしても「山本寛の幻影を消すための時系列順放送」という裏側が見えるようで仕方なかった。

 次に、実際の新作エピソードである「笹の葉ラプソディ」と「溜息」。これは、やはり素直に「流石の京アニ」と褒めるべき部分。「溜息」の方は55ページ区切りというアニメ作品として全く意味のないこだわりなんかが非難を読んだりもしているわけだが、そんなことに気付くのは原作読者だけで、知らない人間からしたら「そんなもんか」という程度のもの。それよりは、きちんと京アニクオリティを維持して「間をつなぐ」ことに成功していたという部分の方が重要だろう。間に「笹の葉」と「溜息」が挟まることで1期のエピソードでばらまいた伏線がきれいに回収されているし、構成も過不足無い分量を消化している。何の含みも無しに新作としてこれが与えられたのならば、充分に好評だったものと推察できる。

 で、最大の問題点である「エンドレスエイト」だ。アニメ「ハルヒ」の趨勢を決定的なものにしてしまったこの8話のエピソード。個人的には、特に退屈することなく8回とも見られたし、「長門達の味わった絶望的なループの再現」というコンセプトで、この無謀としか思えないチャレンジに踏み切った冒険心は評価したい。様々な意見はあるだろうが、視聴者が「絶望的な」気分に陥ったのは間違いない事実。これ以上無い形で「無限ループって怖くね?」を表現出来たことになる。無限ループを最もよく伝わる形で伝達する方法は、当然無限ループが一番手っ取り早いのだ。そしてこの企画は本当に思いつきだけで出来るものではなく、毎回毎回、バンクなど1度も用いずにきちんと「新作エピソード」として製作、放送している。確かに同じエピソードを何度も見せられる視聴者は苦痛を感じるが、同じエピソードを作り続ける人間の方が、その何倍もの苦痛を味わっているはずだ。「楽したいから」とか「おもしろ半分で」とか、そんな生中な気持ちで出来る企画ではなかった。

 しかし、「前人未踏であること」は、やはり「偉業」とイコールではない。寒風吹きすさぶ「ハルヒ」の跡地を見るまでもなく、世間的にはこの挑戦は評価されなかった。アニメの視聴者なんてものは単なる「消費者」に過ぎないのだから「評価されるか否か」を前提として創作する必要は必ずしも無いとは思うが、現代において、アニメは確実に「商品」である。その視点を意識すれば、この「挑戦」は決して「商品」たり得ないことは、まともな人間ならば想像出来たはずなのだ。「視聴者を楽しませよう」とするならば、自分たちの目指した「表現」はそれに合致していないことに、気付くべきだったのだ。アニメーション自体の完成度の如何を問わず、この企画は、商品として失敗であった。

 でもまぁ、私は個人的にアニメ作品を「商品としての出来」という尺度で評価する必要は無いので、8回続いたあの夏の2週間も、その他の新作も、そして最後を締めくくる旧作の「ライブアライブ」や「サムデイインザレイン」といったヤマカンの魂の咆哮も、全てひっくるめて、やっぱり面白かったとは思う。劇場版も決まっているようなので、次回こそは「汚名返上」といって欲しい。

 今回の出来事は、対岸の火事としてみる分には非常に面白かった。あれだけ熱狂的な「ファン」が着いていたと思っていたのに、これしきのことですっかり評判を落とすあたり、現代のアニメ消費層がどんな視聴をしているのかがよく分かる。作り手側も色々と大変である。 

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「亡念のザムド」 6→7

 1度web配信が終了しているので正確には今期のアニメではないのだが、世間的にはどう考えても今期の新アニメだったので、ここで感想を書いてしまって大丈夫だろう。ただ、「プレイステーションストア配信アニメ」という形式はこれ以降まったく聞かなくなってしまったので、どうやらセールス形態としてはあまり結果を残せなかった模様。そりゃまぁ、わざわざ面白いかどうか分からんものに金を出すような酔狂な人間はそうそういるものではない。

 そんなわけで初回配信時に話題にならなかったのでつまらない作品なのかと思っていたら、これが今期最大の「空気アニメ」だったと思う。語彙として使い方は明らかに間違っているのだが、「空気のように存在感が薄れてしまったアニメ」という意味も勿論有りつつ、その上で、「空気感を非常に巧みに出すことに成功したアニメ」でもあると思う。配信形態が特殊であったおかげか、ボンズというスタジオの持つ優れた技術力が全編において維持されており、画面には一分の隙もない。そして、手間のかかる制作を経てこそ得られる「世界観の構築」が、この作品の唯一にして最大の持ち味であったと思われる。

 考えてみると、この作品の監督、宮地昌幸という人物の来歴が、実に分かりやすい形で反映されている。wikiから恣意的に過去の実績を抜き出すと、ジブリ作品からクリエイターとしての道を歩み始め、「キングゲイナー」「BLOOD+」を経由してボンズに携わるようになり、「エウレカセブン」「妖奇士」「絢爛舞踏祭」「獣王星」と積み重ねての、今回の「ザムド」である。こうして並べると「エウレカ」の流れが一番強く確認出来るが、その後ろには「キングゲイナー」に近い非常に含みを持った難解な脚本(いわゆる冨野節)や、ジブリの持ち味であるファンタジー世界の構築技法を感じさせる。描かれる世界は最新技術を持って現代とほぼ等しい生活様式を持ちながらも、奇妙な飛行船ザンバニ号や一連のヒトガタ兵器、ザムドのデザインなどは確実に「非現実」である。そして、この2つの側面が何の抵抗もなく融和し、1つの物語の背景を作り上げている。こうした「空気感」の構築が、本作最大の見どころといえる。

 脚本に関しては、非常に登場キャラクターが多く視点が散逸的になるので、分かりにくいところ、説明不足なところも見られたわけだが、それでも極力説明的になることをさけ、キャラクターの思考、足跡から全てを語ろうとしているところが白眉である。アニメーションなのだから語らせずに描けばいい、というのは非常に分かりやすい理念であるはずだが、これを実践することは容易ではない。今作は「考えること」というテーマを登場人物に課し、主人公のアキユキは最後の最後までこの「考えること」に追い立てられることになるのだが、同じことは、視聴者にも求められていたことなのかもしれない。ザムドとは、ヒルコとは何だったのか。ヒルケン皇帝とはどういう存在だったのか。様々な勢力の求めるそれぞれの正義は、一体何が正しく、何が間違っていたのか。シナリオの都合上、一渡りの説明は付されているものの、それはあくまで表面上の話。正直、1度見ただけでこの世界の全てを見通すのは難しい。是非とも、改めて1から見直し、この世界のあり方がどうあるべきなのか、そして制作者側がどういった意図で描いてきたのかを模索したいものである。

 そうした大局的な見方以外でも、この作品のシナリオは常に考えることを強いる。例えば人間関係などは分かりやすい例で、ざっと上げるだけでも、アキユキとハル、ナキアミ、フルイチ、ヒルケン。ナキアミとハル、クジレイカ、ヤンゴ。ハルとフルイチ、ミドリ。リュウゾウとフサ、垣巣。様々な人間関係が複雑に絡み合い、その全てが、単純な台詞などで説明を付けることを拒否している。この世界の人々はみんな「考えて」生きている。そして、現実の人間関係と同じように、視聴者はそうした「考えて」いる人々の心を、「考えて」観なければいけない。どんな作品だってそうした側面はあるものの、この作品の場合、この傾向は顕著であったように思う。リュウゾウはどんな気持ちであの弁当をほおばったのか。ミドリはどんな決意で自らを垣巣に委ねたのか、そしてアキユキはどんな想いでヒルケンと対峙したのか。ひょっとしたら観る人の数だけ見え方がある、そんな奇妙な作品だった。

 正直、視聴後も見事なクオリティの画面が見られた満足感はあるものの、まだどこか、「観足りない」部分があるような気がしてならない。それだけ、密度の濃い、取り替えの効かない作品であった。色々語りたい面もあるのだが、とりあえずは、面白かった。

 最後に当然、大量に出演したキャラとキャストの話。あまりに登場人物が多すぎてなかなか1人に絞って観ることは出来なかったが、個人的に印象に残ったのはフルイチ。彼の歪んだ愛情表現は、痛々しくもどこか血が通っていて、あまりにあっけない最期には胸が痛んだ。そしてその相手をするハルの心中も察するにあまりある。今作のヒロインは、やっぱりハルでいいんだよね。個人的には折笠富美子VS根谷美智子で接戦。いや、根谷さんは明らかに脇役だけどさ。他にも雷魚やアクシバ、リュウゾウなど、野郎キャラも実に格好いい。そして唯一不満点があるのは、ヤンゴの中の人だろう。だから子供のキャスティングに子供を入れる必要は無いと、何度言ったら分かってくれるのか。最初はちょい役かと思っていたので我慢していたのだが、結局ナキアミサイドのエピソードを左右するまでの重要人物になってしまった。あんなに難度の高い役なら、もっと安定感のある役者を置いてもらわないと、こちらも入り込めなくてものすごく勿体ない。子供は大人しくおうちで元素でも探してろと。 

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「咲 –Saki-」 4→4

 (一部の)世間的には随分盛り上がった作品のようなのだが、残念なことにその波にうまいこと乗れなかった感のある作品。原作ファンがついてたのかなぁ。でも、原作も別に面白くないしなぁ。

 本作が「萌え作品」にくくられるのは明らかで、まさか「真剣な麻雀バトルがみたいんだ!」とか、「あり得ないモーションを神がかった動画で再現したアニメが見たかったんだ!」なんて人間はそうそういないと思うのだが、その「萌え」は非常に適当な印象である。主人公の咲のキャラクターがなんだか伝わりにくい、ってのもあるだろうが、今回あまりに大量の「ヒロイン候補」が登場しているために、1人1人を観察するには時間が少なすぎる。きっちり時間を割いてその内面(キャラ付け)まで描かれたのは、各校せいぜい1人ってところじゃないだろうか。特にメインとなるはずの清澄はそれが分かりやすく、すっかり「魔王」の貫禄が出てきた咲の人道にもとる地獄の闘牌は遠慮無く笑わせてもらったが、残りの面子の何が良かったかと言われると、すぐには出てこない。単に真剣に見なかったのが悪いのか……

 もちろん、面白い部分も少なからずあった。本格的に盛り上がったのは団体戦の中堅戦あたりからで、ステルスモモ、池田、部長、そして咲あたりはいかにも「麻雀漫画」らしい無茶苦茶っぷりが画面に映えた。特に池田はそのあまりに不幸な身の上が嫌と言うほど強調されていたので、確かに人気が出たのは分かる。再序盤からこういう訳の分からない超能力麻雀バトルが繰り広げられていたというなら、多分かなり入れ込んで見られたと思う。

 ただ、残念ながら序盤のダラダラっぷりはきついものだった。当方百合好きなのでそれをエネルギーにして視聴できるかと思ったのだが、これが特に琴線に触れない。こればっかりは「微妙な好みの差」なのかもしれないが、どうも描こうとしてる方向性が間違っている気がしてならないのだ。画面のクオリティが特に高いわけでも無し、アニメとして見るべきポイントが見受けられない。清澄のみを描いた序盤であれだったのだから、キャラクターの退去する地区予選になったら言わずもがなだ(まぁ、実際は後半の方が面白かったのだが)。

 「てめぇ『大正野球娘』にはあんだけ食いついてたじゃねーか」と言われると返す言葉もないのだが、強いて違いを挙げるとするなら、「キャラで物語を描こうとする」のか、「物語でキャラを描こうとする」のかの違いではないかと思う。「たいやき」の方は、野球から1人1人のキャラクターにフィードバックさせているのが見えやすい、というのは前回書いた通りであるが、この作品の場合、とにかく「和は可愛いから、その可愛いキャラが百合だったりしたらお前らたまらねぇんだろ」という作り手側の意図があるように見える。まず伝えることを優先してもらわないと、こちらの妄想力にも限界があるのだ。

 なんだか愚痴なのか文句なのか悩みなのか分からないことを書いている気がするが、おおざっぱにまとめると、「そこまで面白いもんでもなかった」っていうだけ。視聴動機の大半は中の人補正。モモコの中の人の桃子は、すっかり芸風が確立した気がする。 

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「大正野球娘。」 6→8

 毎週書き連ねてきた感想を見ていただければ分かる通り、あり得ないくらいに楽しませてもらった作品である。いわゆる「萌え」ものが好きだし、女の子だけで集まってきゃっきゃうふふするのが好きだ。野球も好きだし、監督をはじめとしたスタッフも好き。中の人達もおしなべて好き。結果的には、好きなものだけかき集めてきたお子様ランチみたいな作品になった。

 「萌えもの」としてのサポートは、おそらく色んな人がやっているから特に必要も無いだろうが、あえて触れておくなら、序盤からあまり強く印象づけてこなかった「大正」という要素が意外に効いていたのかもしれない。1話感想では「東京節」なんかのサブカテゴリ以外では大正時代というせっかくの珍しい時代背景があまりクローズアップされていない、と不平も書いたのだが、振り返ってみると、晶子の頑固な性格のよりどころや、小梅の純粋ながらもぶれない一本気なところ、そしてそれに絡んでくる朝香中との関係性などは、やはり現代を舞台にしたときには無理矢理な印象を強く与えてしまう部分だ。特別に意識せずとも、どうしても「大正の女性」=「貞淑、大和撫子」というイメージはあるもので、それを強調したり、崩してみたりすることで、独特なキャラクターの色づけがなされていた部分はあったのだと思う。特にメインヒロインである小梅が実に魅力的な女の子として描かれていたのは、家庭環境なども全て包括した世界観の集約としての意味合いが強かったのかもしれない。

 また、大正時代というファクターがより密接に関わったのが、「野球アニメ」としての部分。この国に野球漫画は掃いて捨てるほどあるが、完全にゼロの状態からのはじめて物語というのはなかなか無い。「野球なんてやったこと無いよ!」という素人の話ならまだしも、変化球はおろか、ポジショニングやセットプレーのノウハウも与えられていない状態でのスタートというのは前代未聞である。そして、本当に1からナインが形成されていく様子が、実におもしろおかしく描かれている。基本に忠実な部分もあるし、突然ナックルに開花するなんてトンデモな部分もあり、見ているこちらとしては何が出てくるのかと毎回ハラハラさせられる。多少能力にチートな部分はある(やっぱり野球素人だった女子中学生が男子高校生に肉薄するのは無理がありすぎる)が、そのあたりはお話として割り切ってしまえばむしろ美点とも言える「漫画的要素」だったろう。いくらかの遊び要素も入れつつ、最終話であれだけきちんと「試合」をしてくれたのだから、シナリオラインについては文句なしである。

 そして、「萌え」と「野球アニメ」という2つの一見相反する要素を、きちんと1つのアニメの画面の中で描けていたのが素晴らしい。考えてみれば、「萌えキャラとして女の子を売り込むこと」も、「ナインの一員としてゲームで活躍させること」も、「そのキャラクターの持つ個性を場面に応じて発揮させてやる」という演出的側面から見れば一緒のこと。例えば鏡子を例に挙げるなら、「年下百合気味ドジっ子」というテンプレ属性があり、ここから「野球のスキルは全く無く、軟派な理由で参加しているズブの素人メンバー」という、こちらも野球漫画ではテンプレの属性に繋がり、10話のエピソードが形作られる。こうした「2局面の属性の連結」は特にバッテリーの2人に顕著で、「高飛車お嬢様」属性の晶子はそのままピッチャーにありがちな「お山の大将」属性に繋がり、デレ期が「バッテリー間の信頼関係」に置換されたし、小梅の場合は「まっすぐな元気っ子」属性が、キャッチャーとしてナインをまとめる主人公属性につながっている。「2つの面を描かねばならない」という制限ではなく、「1人のキャラを演出する方策が2通り与えられた」と考えれば、萌えものとしての際立ちはすんなり理解できる。

 こうした魅力を引き出すのに、さりげなく描き込まれる野球の描写も忘れてはならない。最初はどこかぎこちなかったフォームが次第に形を成していく様子や、学んだことを1つ1つ再現していく丁寧な様子など、キャラクターが「やってしかるべきこと」がきちんと画面上に再現されることで、野球アニメとしての真実味が増している。まだ書いてない例であげるなら、例えば胡蝶のセーフティーは回を重ねるごとにスタートの精度が上がっているし、最終回でセンターへのヒットをホームで差したシーンでは、きちんと晶子がホーム裏でカバーに回っている描写がある。こうした細かいこだわりが、1つ1つのプレイに説得力を与え、ひいてはキャラクターの個性を補強することとなる。「お話が面白いなら原作小説や漫画でいいじゃない」という誹りを一切受け付けない、アニメならではの存在感がここにある。

 べた褒めだけで満足してしまうこの作品。とにもかくにも楽しませてもらいました。池端監督、今後とも良い仕事を期待してます。

 キャストの話は鉄板面子なので「いつも通り」の一言で終わるけど、あえてあげるならやっぱり小梅役の伊藤かな恵だろうか。すっかりいっぱしの「人気声優」の仲間入り。今後が楽しみな人材です。 

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「バスカッシュ」 6→5

 「バカがスカしてんじゃねーよ!」という作中のダンの言葉通りに、スカしたことをやるくらいならばバカ一辺倒でいいじゃないかと、そういうメッセージが込められた作品。そもそも「ロボットでバスケをやる」の時点でバカなのに、「ロボットがバスケットシューズを履く」「神はバスケで世界を作った」「バスケしないと世界が滅ぶ」というシナリオラインで、バカと言われない方がおかしい。それでも、バカにする阿呆と楽しむ阿呆。同じアホなら楽しまにゃ損である。バカってのは楽しいんだって言うのを教えてくれる、そういうアニメになるはずだった。

 序盤は、本当に楽しかった。ストーリーの些細な問題点など全く無視して、とにかく現在のサテライトの技術力で描ける限界にチャレンジする。マクロスならば拍手喝采のフルCGバトルも、ロボットバスケならギャグの一端。同じ「フィクション」には違いないのに、このおかしさったらどうだろう。あり得ないスピードで街をバウンドして流星のごとき奇跡を描くボール、街のランドマークに作られ、自由に動いたりぶっ壊れたりするゴール、歌を歌うことで決められる試合時間に、殺人ボールだと思われていたのが実はパスだったりする。いや、もうどこから突っ込めばいいのか分からないが、とにかく、「何か動かしたいんだ」というのが分かる。そして、その勢いは考えることを放棄していいと視聴者に伝えてくれる。そういうアニメがあってもいいはずなのだ。

 しかし、1クールを終えるところで事態は急転直下。どういった理由かは分からないが、それまで作品を作り上げてきた監督が交代した。そして、これを皮切りに、アクションシーンの削減、馬鹿な演出の減少、そしてあからさまな作画のクオリティ低下。まるで同じ作品とは思えないほどに、全ての面が変容してしまった。ダンたちが落ちた「ダークサイド」は、作中の話だけでなく、実際のアニメ製作の現場にも言えることだったのだ。

 いろいろな噂はある。板垣前監督が調子に乗って資金と時間を使い放題だったのでクビになったとか、どうしてもクオリティを下げることに反対したとか、今現在でも誰が悪いのかは藪の中。佐藤英一新監督だって、ひょっとしたらとんでもない状態でお鉢を回されたのかもしれないし、ガラッと変化したことに付いての責任があるとは思わない(本人がコンテを切った新オープニングを見る限り、決して実力がない人だとは思えない。そもそも作画の低下は監督の責任じゃない)。だが、結果的に作品が変容してしまったことは間違いなく、なにがしかの「原因」があったことは事実だろう。おそらく、その「原因」は、アニメの根本的な魅力を削り落とす何かだったのだと思われる。

 シナリオラインも、後半になるにつれてトーンダウンしていった。もちろん前半からシナリオなんてあって無いようなものだったわけだが、それでもルージュの逆襲、ダンの退場、フローラの決意など、見せ場となるシーンは多々あったはず。そうしたシーンが大したインパクトも無しに、ただ単に「シナリオを消化するだけ」のものに見えてしまうようになった。多分に偏見は含まれているとは思うが、これも騒動の「余波」ではないのか。

 DVDの修正などの噂から総合するに、これらの改変は全て「大人しくなるように」動いていたように思う。つまり、このアニメの場合は「つまらなくなるように」だ。サラはきわどい台詞を吐かなくなり、ルージュはすぐに心を取り戻して何の盛り上がりもなく復帰した。アイスマンはあっさりと宿怨を片付け、後半は延々うなっていただけ。ラストシーンでダンと2人でシュートを決められたのだけがせめてもの救い。最終的なメンバーも、ルージュになるのか、ナヴィが受け持ったのか、アイスマンをカウントするのか、フローラが復帰するのか、何がなんだかよく分からない状態になったし、恋愛模様も、ダンは結局ルージュエンドだったのか、ミユキエンドだったのか、フローラだったのか。サラはナヴィで決まりなんだろうが、あのサイズ比で「遺伝子をもらう」ことは出来そうにない(出来ることなら見てみたいもんだが)。

 最終的な危機感もいまいち分かりにくくて、ヤンはどこまで悪意を持って、何を最終目標としたかったのか。サウザンドはどこまで計算にいれていたのか。伝説で危機を回避出来ると言われても、それが一体どこまで本当だったのか。

 そして何より、ダン・JDとは、一体どんな男だったのか。ワンピースのルフィのような直情馬鹿だったのは間違いないはずなのだが、しばしば表れる負けたときのいじけっぷりや、大したインパクトもなく、シューズの力だけで勝っているような微妙な力量。何が最終目標なのかも見えてこず、そこに視点の共有はなかなか出来ない。正直、あまり人気の出る主人公には見えない。

 これらのプロットの問題は、実をいうと前半から抱えていた部分も多いのだが、再三繰り返すように、前半のノリだったら「別にどうでもいい」部分だったのだ。それが「どうでも良くない」レベルまで作品自体がトーンダウンしてしまったことで、色々な部分がちぐはぐになってしまった。あえて書くなら、非常に「勿体ない」作品である。出来ることなら、最後まで「板垣版」だったらどこで破綻を来すのか、それを見たかったものだ。

 中盤以降は見るモチベーションも下がっていたのだが、一応前半盛り上げてくれたことを評価して、点数は7をキープ。サテライトは、今後どこへ向かおうとしているんだろうか。

 最後にやっぱりキャストの話はしておこうか。今作ではそこまで印象に残ったキャスティングはないのだが、個人的にはアイスマンの「デストロイ」が好き。出番は少なかったが藤原啓治の悪役も不思議なインパクトがあった。あとは前半のサラのエロ全開っぷりとか。御前のエロさは業界一。でも、一番好きなキャラは、多分スパンキー。銀河の歌姫も、こうなったら形無しだ。 

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「懺・さよなら絶望先生」 5→5

 ほんとに、何でこのアニメが3期まで続けられているのかがよく分からない。いや、嫌いとかつまらないとかけしからんとかいう意味ではなくて、3期まであるってことはニーズがあるってことで、言い換えればそれなりにDVDとかが売れてるってことで……なぁ、これってDVD買ってみるアニメかなぁ? ひょっとして4期とか5期とか、原作続く限りアニメも作り続ける気か? 神谷兄と新谷がラジオを終われなくて死んでしまうぞ!

 今期も特に大きな変化も無く、いつものように原作をやってました。千里の台詞の句読点が明確になったり、「にょんたか」「うったり」なんかの擬音のおかしさが強調されていたり、原作の持つ味を出来る限り画面に載せようとしてるのは面白かったかな。北朝鮮ネタなんかはどんどんやばくなってたり、政治関係は政権交代の煽りで完全に過去のものになったりもしてるけど、だからって気にするような作品でもない。あぁ、でも最終回のC,Dパートだけは原作の記憶がないな。オリジナル? なんか望もそれっぽいこといってたな。

 あえて褒めるべき点をあげるとするなら、1つは最後の絶望絵描き歌。おおよそのキャストの画力は知ってるからおどろきゃしないんだが(やっぱりてらしーはうまいんだよな)、立木さんや麦さんにまで歌を歌わせて無理難題を押しつけるのはこの番組くらいだろう。最終話は誰が残っていただろうかと考えていたら、まさかのオーケンってのもびびった。すっかり「絶望の歌を歌う人」みたいな扱いだな。

 そしてもう1つの新機軸にして最大の見どころは、千和による1人芸。毎回毎回「メル役」じゃなくて「前巻までのあらすじ」役でクレジットされていた千和。13回のあらすじを、全てあり得ないクオリティでやってのける彼女は、もう、天才と言ってもいい領域に達している。「前巻までのあらすじ総集編」とかでDVDが出たら買うぞ。出来ればアフレコ時の様子も入れてくれてたらありがたい。俺の中では、画伯の才能より、朋先生の容姿より、千和の方が奇跡の生物だと思う。 

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「東京マグニチュード8.0」 4→5

 ネットで情報を手に入れてしまうことの弊害を痛感したアニメ。基本的に、好きなアニメに関しては出来る限り情報をシャットアウトして見るようにはしているのだが、この作品の場合、そこまで入れ込んでいたわけではないので、ついうっかり、「あのこと」を臭わせるような文面をちらほら目にしてしまったのだ。おかげで、後半数話は「ガセでありますように。ガセでありますようにガセでありますように」と頭のどっかで祈りつつの視聴になってしまい、素直な感想を持てなくなってしまっていた。だって……そう思って見始めたら、それっぽい描写がそこかしこに見え隠れしてるんですもん。多分事前情報無しだったら「そんな話だ」とは思わずに見ていただろうから、10話あたりで結構な衝撃があったと思うんだけどね−。

 とまぁ、後悔しても終わってしまったものは仕方がない。そんな個人的な事情は置いておくとして、なかなか判断に困る作品だったのは間違いない。序盤は、いかにも洋画邦画を問わずにあふれかえる「パニックもの」みたいなノリだったのでいまいち興味も湧かなかったのだが、その精密な描写と、危機に瀕して慌てふためく集団の心理みたいなものが生々しく描かれているのが印象に残り、次第に面白く見られるようになっていった。多分東京タワーが倒れたあたりがピークだったと思う。その後は、「被災者のリアル」みたいなものを描くための労力は次第に削られていき、最後には小野沢家の人間ドラマになったわけだ。

 もちろん、「家族を失うこと」というのも、震災を描く際の1つの「リアル」であり、これに真正面から取り組むことで「大地震」というものの一側面を切り取ることは出来る。場合によっては、東京タワーを盛大にぶったおすよりも、避難所で連れ合いを失って1人泣き暮れる老婦人を描いた方が、震災の痛々しさは浮き彫りになることもあるだろう。そういう意味で、視聴者が冒頭からずっと見てきた小野沢家の「別離」を描くことは、本質的で理に適っている。最終話は思わずもらい泣きしてしまったし、微細な背景までをきちんと手抜きをせずに描写したのだから、それだけのものを描く権利を、この作品のスタッフは持っていただろう。

 しかし、それならば何故、「あの形式」を採用したのか。確かに衝撃は大きいし、悠貴の素直で姉思いな側面というのもよく表れたと思うのだが、冒頭で「実際の震災をシミュレートして再現した……」と謳っている作品ならば、もう少しリアルに即した描き方があったように思うのだ。そのあたりの趣旨のちぐはぐさが、せっかくのドラマに何とも割り切れないもやもやを残してしまった。

 確認しておくが、決して悪い作品ではない。昨今の多くのアニメのように付加的なキャラクターやサービスで売ることをせずに、真っ向から物語に挑んだ作品であるし、その技術力も大したものだった。もう一息、何か人を引き込む要素があれば、それなりの話題作になったとも思う。まぁ、この辺からは完全に視聴者側の好みかもしれないけど……個人的には、同じ東京の焼け野原でも「シャングリ・ラ」の方が面白く見られたと、そういうことでした。

 ただ、「地震の備えはしないとな……」とちょっと思っただけでも、このアニメの目的としては成功だったのかもしれない。とりあえずパソコンだけ持って逃げるよ。 

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CANAAN」 5→7

 PAworksによる素晴らしい動画のクオリティと、大好きな中の人による補正の嵐。そうした要因のみで見続けることになるんじゃないかと思っていたこの作品。奈須きのこがどんな作品を書いているかは知らないが、少なくとも「fate」は全く面白い部分がなかったし、世間的にも一部のオタクに受けるだけの厨二御用達の作家というイメージが強かった。今回のシナリオ原作に彼がどの程度関わっていたのかは定かでないが、少なくとも、「シナリオで魅せる作品」でもあった。それが最大の誤算で、最大の収穫である。

 先に突っ込まれそうな難点を上げておくと、まず、やはり雰囲気重視でシナリオが言葉足らずな部分は少なくない。大きな筋で言えば国際会議場でのテロの目的意識がよく分からないし、さらに大局で見ればアルファルドの行動原理が伝わりにくい。アルファルドとカナンという2人の主人公がともに寡黙な性格であるため、その主義主張は、非常に少ない手がかりから視聴者側が勝手に「読み込む」必要がある。そうした「読み込み」は答えではないし、観る人の立場によっては、それは制作者側の手抜き、怠慢に見える場合もあるだろう。また、「何となく雰囲気で語ればいいと思ってる時点で厨二」という誹りもあるかもしれない。このあたりの指摘については、程度の差こそあれ、まぁそうかもしれない。顕著な点を拾い上げていくと、例えば会議場テロのミサイル誘導時のカナンの行動や、夏目という存在なども「何か雰囲気で乗り切った」要素として取り上げられるだろう。

 しかし、その上で今作の脚本と演出はかみ合っていたと評価したい。毎回の感想文では割と露骨に「読み込み」を行ってきたが、そうした心情描写を「読む」ことが楽しい作品というのは、制作者側がきちんと「読むべきもの」を作ってくれているということだ。例えば再三語られるテーマである「愛の形」や、「友達」のあり方、そして「生きる」ことそのものを問いかける各キャラクターの生き様など、共感できたり、恐れおののいたり、憤りを感じたり、考えさせられたり、台詞だけでなく、作品全体の空気でもって「物語」を構築しようという意識が伺える。

 ベストエピソードはやはり11話だと思うが、人の死というものにきちんと意味を設定して、それを最大限に伝わるように描いてくれた演出家、そしてそれを充分な技術でもって形に出来た制作スタッフの力量にはただただ感服する。脚本を担当した岡田麿里は着実に評価を上げていっているし、今回初めて名前を覚えた監督の安藤真裕氏も、今後の活躍に期待したい。もちろんPAworksというスタジオ全体の行く末も楽しみだ。

 そしてなんと言っても素晴らしきキャスト陣。沢城みゆき、田中理恵、能登麻美子といった「いつもの」面子はもちろんのこと、最初は不安だった坂本真綾もボチボチのものだったし、役がベストマッチした戸松遙も、この作品で評価をさらに上げた。南條愛乃も、これから仕事が増えてくれるとうれしい。そして男性キャスト陣では、浜田賢二、平田広明などもさることながら、なんと言ってもカミングズの大川透。いやぁ、いいなぁ。

 今後も、この作品に携わった全てのスタッフを応援します。 

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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子
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↑越えられない壁
沢城みゆき 斎藤千和 
中原麻衣  田中理恵  
渡辺明乃 能登麻美子
佐藤利奈  佐藤聡美
高垣彩陽   悠木碧
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