最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「ざつ旅 -That’s Journey-」 5→5 今期やたら重なった「ゆる旅行&ゆる飯アニメ」三部作の1つ。個人的には3本の中では一番「雑」に観ていた作品で、「あんまおもんないなー」とは思っていたのだが、終わってみれば、まぁ、これはこれで悪くないのかな、という気もしている。 最大のネックは作画クオリティ。まぁ、多分ロケハンは繰り返しているだろうし、各観光地の細かい描写はそれなりに責任を持って描いていたのだろうが、旅の情景が一番のセールスポイントになる作品なのでそれ以外の部分で手を抜いてもいい、という話ではない。「女の子の雑な趣味アニメ」なのでたくさん出てくる女の子たちが可愛いと思えるかどうかが一番の勝負所なわけで、キャラ作画の弱さはダイレクトに評価に影響する。多分、そこに一番気が入ってなかった作品なのは間違いない。 とはいえ、作品全体で全くもってなおざりにしていたかというとそうでもなく、「旅のおまけ」として描写されるはずの女性どうしの様々な友情関係などの構成は(これまた安易ではあるが)それなりのウェイトを持って描かれている。裏に透ける「お前ら百合百合してるのが好きなんだろ!?」みたいな製作意図を感じ取っちゃうとこれすらも違和感になってしまうが、ユルさのおかげで「そっちの要素もそこまで真に迫ったものを描きたいわけじゃないんです」という妙な免罪符が機能し、「なんとなく友情・なんとなく愛情」みたいなぬるっとした温度感が続き、これはこれで悪くない雰囲気になっていた。まぁ、端的にまとめすぎると「結局しゅがぴか最強」という中の人補正があまりにデカすぎた可能性はあるんですけど(いつものオチ)。いや、マジでここまで濃密なしゅがぴかは久しぶりだったもんでさ。 PR 「紫雲寺家の子供たち」 4→4 なんというか……、これの作者って「サムネ作るのが上手い人」っぽいよね。ガワだけ見せると「おっ、なんか綺麗だし、エロいし、面白そうだな」って思わせる。ただ、中身を開けてみると耐久動画みたいな内容。もしくはびみょーな差分が山ほど入ってるけど中身が薄いエロCG集みたいな。 動画工房による作画は今期では文句なしに安定側。エロいシーンのエロさも担保されており、「いろんなタイプの女の子と名目上の血のつながりにちょっとした禁忌感を覚えながら無限に寸止めプレイを繰り返すのみのシチュエーション図鑑」という構造を飲み続けられる人にはいい「サンプル」なのかもしれない。ただ、「じゃぁ、ちょっと本腰入れてみてみるか」と思って中身を探ろうと思っても、「いや、まぁ、お話の方はとにかく先々へ続けるためになんとなく設定されてるだけなのであんまり気にしないでくださいよ」とか言われる。「整合性とか気にしないでください。エンドレス天丼でずっと同じようなシーンが続くのは仕様です」って言われる。まぁ、マガジンラブコメってそういうとこあるからね(今作はヤングアニマルらしいけどね)。改めて、「作者はカノカリの人」と言われたら「あぁ、なるほど」と納得できる作品であった。 一応もう1つのセールスポイントは、製作スタジオ同様にぎちぎちに恵まれた環境を整えたキャスト陣の頑張りで、もしかしたらサムネじゃなくてドラマCDのパッケージがうまい可能性もあるな。まぁ、「さりとて」って話ではあるんだが。 最近はエロ絵を漁ろうと思ってもAI絵が増えて色々大変ですよね(明後日の方向の結論)。 「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」 6→6 まずもって、「面白かったです」。ただ、このinterestingにはいろんな要素が絡んでまして……この中に「ガンダムおじさんたちを巻き込んでのあれこれ」も含まれているのでご注意を。 しょっぱなから「よく分かんねぇ」というスタンスを取ることを決めた私。面倒なので書いてなかったが、今更白状すると「シャリアブルって誰?」っていうとこから始めなきゃいけないくらいに知識はついていかず、やはり幼い頃のSDガンダムの知識だけではどうしようもないことは明白。作中で活かされた知識なんて「あ、ブラウブロだ! ……いや違うんかい」くらいなもんである。 そこで開き直って「よし、このガンダムについては完全に外様を決め込んで対岸から眺めていよう」と決めたおかげで一気に状況は楽に。余計なことを考えずに「むちゃくちゃやっとる」とケラケラ笑いながら見られる愉快なパーティー作品になった。こんな暴挙、そりゃカラーじゃなきゃ無理だわ。 壮大な同人誌を公式(?)が発信し始めたとなれば、もうアキバレンジャーみたいなもんじゃないですか。作品周りのメタ現象まで眺めてればさらに愉快な現象は広がっていき、ガンダムおじさんたちの悲喜こもごもがいろんなところで観測できる。積極的に情報を取りにいくことは戒めていたためにそこまでがっつり観測していたわけでもないのだが、Twitterのトレンドを見てるだけでも「あっ(察し)」なことは多く、真面目に取り組まなきゃいけないガンダムおじさんたちはさぞかし大変だったことだろう。 改めて、これはカラーだからこそ任された壮大な同人だ。勝手な想像の中では責任者たちが「既存のガンダム像をぶっ壊す作品を作っちゃってくださいよww(定型句)」「おかのした(完全理解)」みたいなコミュニケーションがあったんじゃねぇかとすら思ってる。今まで誰もが恐れ多くてさわれなかったところに平気で踏み込めるこの姿勢、なるほど「シン・ガンダム」はここにあったわけだ。思いついたならやってみりゃいい。しかもそれが天下の榎戸テイストを多分に含んだカラー謹製の高品質バトルアニメとして産み落とされるなら、私のスタンスからは特に不満はない。強いて言うなら「結局マチュってなんやってん」くらいなもんだが、全体像を見た後ではマチュだのニャアンだのシュウちゃんだのといった外付け要因って、単に「ガンダムぶっ壊し作業」に必要なツールだっただけであんまりその存在に重きを置かれてるわけじゃないもんな。なんなら視聴者と同じ視座になってヤジを飛ばす単なるガヤだった可能性すらある。 こうして私は「変なアニメだったなー」で満足してしまったが、1つ今作を見ながら考えたことがあるとするなら、「なんでガンダムおじさんたちはその熱量をその他の作品に向けてくれないんだろう」ということだろうか。いうて40年以上前に作られたコンテンツに対して、未だ異常な執着を見せる層がおり、これは決してリアタイ世代だけでなく、その後の若い世代にもなぜか伝播している。これだけブランドについてのこだわりが(良くも悪くも)強いコンテンツって、もはやアニメ媒体ではガンダムくらいしか残ってないんじゃなかろうか。個人的にはライダー・戦隊あたりの東映作品がギリ近いこだわりを発揮できるコンテンツである可能性はあると思うが、あれは毎年常に更新が行われるから、あんまり固着化せずに流れがはっきり読み取れる文化になっているのに対し、ガンダムって、局所的に発生してなんかを爆発させて去っていく台風みたいなコンテンツなのよね。同じくらいの熱量を新規タイトルにも向けてくれる層がもう少し増えてくれれば、日本のオリジナルアニメも新しい時代を作りやすくなると思うのだが……なんとももったいない話である。みんな、もっとアニメ観て(他人事)。 追伸:こないだ「100人名鑑」で「あんま似てない」と書いたんですが、久しぶりに新規音源で聴くことができた潘恵子の絶叫、今にして思えば割と娘さんに繋がるテイストがある気がしました。羊宮ララァの座を奪いにいく有馬かなの同人誌を楽しみに待っています。 「中禅寺先生物怪講義録 先生が謎を解いてしまうから。」 5→4 今作の新番チェック時の締めの言葉は「あとは作画スタミナが切れないことを祈るばかり」だった。あんま聞いたことがない新興スタジオが制作だったからだ。そして…… スタミナが切れた。そりゃもう早々に切れた。今期3本目のミステリアニメの感想となるわけだが、とにかく「どうやって画面を作ればいいか」ってぇ話にばかり注意が向く性質の作品に、ヘタレた作画では旨みなど出るはずもなく。せっかくのアニメ化が、ほとんど作品の魅力をプラスできなかったというのは、他のミステリアニメ群と比較して実に残念だったところである。 ……とはいえ、元々地味な作品には違いないので、もしかしたら作画がかっちりしてたとしても大きな差はなかったかもしれないが……「日常の謎」を昭和中期の風土の中でやるという元々のコンセプトは一応の個性として成立しており、そのあたりの描写をいくらかでも真に迫ったものにできれば独自のカラーは出せたと思うんだよなぁ。やっぱちょっと勿体無いよ。わたしとしちゃ、今作の志水アキデザインの京極ワールドは嫌いじゃないんだよ。特に関口。彼の唯一無二の絶妙なダメさというか、「ダメなところが最大の個性として光る」人物像はこのキャラデザで正解な気がしている。それに千鶴子さんを筆頭に女性キャラもふわっとしてて可愛らしいし、1回だけ個別感想で言及したスーパーゆきよタイムみたいな注目に値する回もあった。もうちょい「見るべき」作品にもできたかもしれないのはちょっと残念。 原作はまだまだ続いているが、はてさて2期はあるかどうか。流石に無理かなぁ……。 「前橋ウィッチーズ」 4→6 だーいぶ採点には悩まされたが……まぁ、やっぱ中盤から後半にかけてのなんだかんだで楽しんじゃった経過はインプレッションとして大事にしたいので、それを尊重しての加点。何はともあれ「思い切ったことをやるオリジナルアニメ」は積極的に評価したいとは思っている。 先にダメだった点を挙げてしまうと、基本的には1話目での印象と変わらない。クドいキャラの造形はだいぶおざなりで「女子高生を描こう」という理念が捻じ曲がっている気がするし、何よりも「ご当地アニメ」としての誘致要因はかなりグダグダ。前橋である必要が全くなかったし、今作をみて前橋に聖地巡礼者が押し寄せるとも思えない。もしも自治体から出資されて今作が作られてたりしたら、構造自体が手酷い裏切りである。シナリオラインだってとにかく毒の強い要素を盛り込んだだけで立て付けはだいぶガタガタだし、思いつきレベルの設定が消化されていない。ことにアイドルとしての設定は本当に余計な要素にしか見えず、「アイドルアニメは売れる」みたいな(割と間違った)思い込みから強引にアイドル設定にしちゃったとしか思えない。ウマ娘のライブくらいのちょっとした要素なら作品の邪魔にもなるまいが、今作はライブシーンと楽曲はそこそこのウェイト。そこに大きく意味を持たせられず、「とりあえずなんか歌っとけ」になってしまったのはセールスの方向としても問題があるんじゃなかろうか。 と、ここまでスラスラとネガティブ要素が溢れることからも、決して手放しでほめられる作品でないことは分かるし、1話目で不安に思った要素が改善されないままで終わりを迎えた部分も多い。多いんだけど……なんかね、そうしたディティールをぶち抜いて「うるせえ、俺たちはやりたいことをやるだけだ」とフルスイングした結果、たまに飛距離が出ちゃうのがなんか楽しい、みたいな付き合い方になった。上で挙げたネガティブ要素も、「まぁ、それって裏を返せば……」みたいな解釈になっちゃってるところもあり、特にグダグダなキャラクター造形については、いつの間にやら「薄さ」という信じられない要素を最強の武器として振り翳したユイナ、初っ端に大きなインパクトを残してくれたアズ、そして作品の拠り所、ぐう聖だったチョコちゃんなど、気づけば案外キャラが嫌いになれない自分に気づく。あんな嘘くせぇキャラのくせに。絶対に隣にいたら殴りたいくらいムカつくはずなのに。こうした「開き直り」によるネガティブな雰囲気の「消臭」ならぬ「爆散」は、もしかしたら制作側の思う壺だったのだろうか。 いわゆる「魔法少女モノ」のダークな部分を少しだけ拝借して「オタクはこんなん好きなんでしょ」を匂わせつつ、最終的には「まぁ、それも全部茶番でしかないけど」と別軸からちゃぶ台をひっくり返されてしまい、腹を立てたらいいのか、呆れたらいいのか、笑い飛ばしたらいいのかもよく分からない。ただ、そうして何かしらの感情を逆撫でしてくる感覚はもしかしたら小さな小さな「感動」の一部といえるのかもしれない。こういう経験を繰り返し積み上げることで、傑作は作られていくのかも知れませんよ。まぁ、作中の言葉を借りるなら「無理無理の無理」ですけど。 クソガエルがよりによって2期の可能性まで匂わせて終わりやがったし、設定上、もしかしたらマジで2期が出来ちゃうんじゃないかと思わされるのがなんか悔しいが……。わざわざ最後のお客が花澤ボイスなんだもん……。 「男女の友情は成立する?(いや、しないっ!!)」 5→4 だからしねぇっつってんだろ! それ以外の結論なんてあるかよ! とりあえず、今作においても今期の他の作品と同じく、最初に「作画がさぁ……」という話から始めなきゃいけないのがとても辛い。ラブコメラノベなんてヒロインたちが可愛く描けてナンボだというのに、途中で作画が力尽きて悪夢みたいな映像がちらほら。過去に似たような地獄を味わったラノベアニメがたくさんあった気がするのに、人類は何も学んでいない。J.C.STAFFなら大丈夫だと思ったが、限界ってのはどこで訪れるか分かったもんじゃないですね。 この作画ではどう足掻いても加点は無理。そして筋立てについても取り立ててみるべき点はなく、こんな思わせぶりなタイトルで煽られるほどのこともない。個人的に一番の問題だと思ったのは、一番大事なメインヒロインの日葵が、あまりに「女友達」という存在を考えすぎたせいで恋人や友達の枠を飛び越えて単なる人格破綻者になってしまったこと。たとえば遥か昔から「ツンデレ」と「暴力」の関係性って議論されることがあるじゃないですか。ツンデレって言えば聞こえはいいが、何かにつけて暴力を振るうヒロインの何がいいものかと。あたしゃ戯画的な暴力描写にそんなに目くじら立てなくてもええやんけ、と思うスタンスの人間だが、似たようなトラブルを本作は孕んでいる。今作においてはツンデレが「女友達」というステータスに置き換えられ、「何かにつけて粗野な態度で侮辱してくる」という態度に変換される。余計なまでに関係性を縮めないようにする日葵の態度は、戯画的なレベルを超えて単なる「腹の立つやつ」になっている。そこにヒロインとしての魅力を与えるための二面性の描写は非常にコスパが悪く、どう頑張っても埋め合わせは効かない。おかげで最終的に「美少女だから」という一番ズルい免罪符を振りかざすことになる。 結局、分かりやすい「女性として意識せずに済む女友達」という描写を「粗野」という性格設定でしか表現できないのが問題なのだ。世の男性が追求している「女友達」は、結局のところ「見た目が女性なのに性格がまるきり男」な存在なのだろうか。過度にふざけ合って神経を逆撫でするだけの存在なのだろうか。おそらく違うだろう。最終的に「(いや、しないっ!!)」の方に帰結することは分かっているとしても、もう少し「理想の女友達」という概念についての思索を深めてみたかったが、残念ながら、今作でそれは叶わなかった。 まぁ、「ラノベ相手に何をガタガタいうてんねん」と言われたらそれまでなのだが……でも、過去にはラノベでも最低限の思索に耐えうるちゃんとした「小説」もあったと思うのよね。いつの日か、また新しいラノベ文化に出会えますように。 「ゴリラの神から加護された令嬢は王立騎士団で可愛がられる」 5→5 カリッサさんが最後まで健気でよかったですね。 今期なろう作品の中では一番「不可がない」作品だったかな。まぁ「不可もなく」の前には普通は「可もなく」がつくわけで、あんまり褒める時に使う表現ではないのだけど、でもなろう作品を評する時に「マイナス要素が少ない」って、それだけでプラス要素なんですよ(禅問答かな?)。 チートをもらったヒロインがそれをぶん回して最終的に王子様とくっつくお話。それだけ聞いたらそりゃまぁなろうでしょ、って言われるかもしれないけど、これって別になろうのフォーマットに限った話じゃなくて、「天から授かったギフトで世界を救いましょう」っていうより一般的な英雄譚なんですよ。確かにゴリラの設定を都合よく使いすぎてる部分はあるけど、「力強い! 動き速い!」という単なるバフだけなので、ここまで来ちゃうと余計なこと考えなくて済む。戦略も策謀もなく、敵が来たら殴ればいい、解除できない爆弾があったら空高く放り投げればいい。暴力、暴力こそが全てを解決する……。そして、普通なら「またやっちゃいました?」がイラッとポイントになるところも、確かに妙齢の女性が「単なるパワー」をいきなり与えられて暴れ回るのを躊躇するのは気持ち的に理解できる部分であり、「こんなことしたくないのにっ!」というモチベの描写も無難なもの。総じて、「この設定ならまぁ、納得できるな」の範疇なのだ。納得が及ばなかったのは1話目時点で書いた「じゃぁこの世界のリアルゴリラってどこでなにしてんねん」みたいな話くらいで、それだって「いや、別にどうでもいいやん」と言われたらそれまでなのだ。 「単なるパワー系女子が頑張る話」はそこまで面白くもなさそうだが、いちいち恥ずかしがるヒロインの立ち振る舞いはそこそこ可愛いし、一応は「○○の加護持ちだぜ!」と言って出てくる新たな能力披露なんかもちょっとしたフックにはなっており、すごくユルいジュウオウジャー、いや、人の形をしたけものフレンズだと思えばネタもそこそこに。あとは性根の優しいソフィアの周りに自然に人の輪ができていくところに良さと納得を得られるかだけである。私の場合は「映像もちゃんとしてるし、別になんも悪いことしてないからな」というので冒頭の評価に落ち着いたわけだ。 改めて確認するけど、アニメを見てわかる通りに今作はすでに完結しており、執筆期間も1年程度とだいぶコンパクトにまとまっているのだ。世のなろう作品も、まずこれくらいの規模で身の丈にあった程よいシナリオラインを書くところから練習してみるのがいいんじゃなかろうか。……誰目線でのコメントだ? 「魔神創造伝ワタル」 4→5 真面目にふざけた作品だった。ちゃんと責任を持ったおふざけってのは、子供向けアニメには大切な要素だとは思っています。 初期評点の低さの理由が「明確に子供向けなのでNot for me」ということは最初に書いていた。その上でやや上げめにして評価しているのは、上述の通りに「子供向けなりの責任を果たしてくれていた」と思ったためだ。責任というのは、シナリオラインのまとまり、そして2クール通しての作画クオリティの維持の2点についてだ。 「動画配信者」という、現代の子供たちが最も関心を持っている(と言われている)テーマを徹底的に擦り倒し、そのジャンルにコミットしている子供であればウケそうな展開をしっかりと維持している。いや、おっさんが作ったものをおっさんが評価しているだけなのでリアルキッズにとってどれくらい面白いかは分からないのだが、いつの世も子供の感性ってものに共通するものがあるとするなら、ある程度は「面白さ」につながっている要素はあったと信じている。こういう時って半端にすり寄るような姿勢が一番格好悪いものだし、思い切り「YouTubeネタ」に振り切ってそれだけで2クール貫き通したというのは勇気ある判断だったと思うし、意義のあるものだったとも思う。 プロットにしても、どこか現代劇っぽい斜に構えたところがありつつ、例えばショウとマイガーの存在など、真っ当な御涙頂戴のドラマがあり、意外性を孕んだどんでん返しあり、真っ当に見ていればドキドキに繋がりそうな要素は豊富。多分30年前ならたっぷり1年かけて繰り広げるであろう「異世界サーガ」を2クールで走りきっちゃう「出し惜しみなし」の姿勢も、多分に現代的な「ファストな」造りだ。まぁ、おっさん目線ではちょっとその辺りに「もう少し情緒を……」みたいな気持ちはあるのだが、多分これは時代の速度についていくのが大変なおっさんの泣き言なのだろう。 別路線でおっさん目線での不満というか不安があるとしたら、「あまりメカの魅力にフィーチャーできてなかったな」という部分はある。これもキッズにどう届いているかは分からんのだが、かつて私自身が心躍らせた幻神丸の魅力だとか、堂々たる龍神丸の格好良さみたいな部分について、今作はあんまりメカの魅力を追求した話作りにはなってなかったので、あんまり印象に残らなかったかなぁ、という印象。メカ戦闘は全てCG処理なのでそこにことさらに意味を置くことが難しかったのかもしれない。でもまぁ、これもまた現代的な感覚でそう思うかは分からないからね。 なんとなくの雰囲気なんだけど、制作側としてはこの1作だけでこのタイトルを終わらせる気はないんじゃないかな。ここから改めて「創造伝ワタルⅡ」みたいな展開は普通にありそうだし、その「あそび」を残したデザインでもあった。新時代にもワタルというタイトルが生き残っていけるのか、それはここから先の世代の子どもたちが判断するのだろう。 「俺は星間国家の悪徳領主!」 4→3 こちらの作品を切らずに最後まで観ていた理由は……①一応はSF設定の部分だけでも他と差別化できている可能性があったから。②しゃま。③しゃま。④しゃま。 てな感じで最後まで観てはいたが、まー、一点突破で低減できる不快感にも限度はあるわけで……今作についてはマジで「なんか中学生が書いてるみたいなシナリオだな」とはずっと思ってる。全体的なプロットもそうなんだけど、いちいち細かい台詞回しとか、用語の使い方とか、多分、これ書いてる人って別にSFフォロワーじゃないよね。本気でSFやりたい人が書けるシナリオじゃないよ。 いや、別に「SFらしからぬ」が大きな減点ってわけじゃないですよ。でもどこかで見た展開と理屈抜きのご都合主義、とにかく目先のザマァのためにだけ繰り広げられる即物的な展開の数々を物語とは呼びたくない。今作はいわゆるラッキーマン設定なのだが、その理由が何一つ無いくせして好き勝手やってる時点で何かしら説得力のある世界を描こうとしているとは思えない。裏に「暗躍する子安」をおいて「運命のネガ方向への動力」を設けているのに、それを乗り越えるラッキー要素が何の後ろ盾もないものなので、「作者目線での物語への介入」に何一つクッションを挟むことなく「作者がこうしたいからこうしています」というだけの物語の表層しか見えてこない。これ、原作小説はいったいどんな状態になってるんだろう。 一応アニメ化することによってSF的な虚飾を施して誤魔化せる可能性もあったのだが、当然なろうアニメ的な作画クオリティはお察し。何か拾うべき要素が無いかと必死に探した結果、直前で言及した通りに「エロスーツ竹達のキャラはちょっと面白い」でエンド。 |
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声優のこと全般
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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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