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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」 5→8

 多少落ち着いてきたので、総論と一緒に最終話のことについても触れていきますか。実に高密度なエピソードだったので、解体するのにもエラい労力がかかります。

 まず、この作品は全体を通して「泣かせる」お話だったのは誰が見ても明らか。そして、そこに「人の死」が絡んでいるので一見すると単純な「人の死が悲しい物語」に見えるのが、実はそんなに単純じゃないよ、というのが脚本家の捻ってきたところであると思われる。例えば、同じように「泣けるアニメ」として殿堂入りした作品に「CLANNAD」がある。あちらは渚や潮の喪失が単純に涙を誘うし、「いるけどいない幽霊」という共通点なら風子の物語とも共通する部分がある。しかし、あの世界において、泣けることは「失うこと」と直結している。風子の周りにいる人間はみな、風子がいることに喜びを感じ、失うことに涙する。「喪失」が哀しみであることは人類普遍の命題であり、その「喪失」をどう描くか、というのが「上手い悲劇」の作り方の胆。「AFTER STORY」18話「大地の果て」における電車のシーンが名シーンであるのは、「失うとは何か」を視聴者に考えさせることが出来たためだ。

 しかし、「あの花」において、めんまの存在は「喪失」を仄めかすものの、テーマそのものになってはいない。何しろ、めんまは既に数年前に「失われた」存在だからだ。いくら想い出が大きいとはいえ、人の死を何年も引きずるということは起こりにくい。喪失は忘れるものだし、忘れるべきものである。そのため、作中で「喪失」が哀しみに直結している「シンプルな悲劇」を演出するのは、イレーヌ・聡の本間家だけである。言い換えれば、本作で「喪失」について触れられる時間はそこまで多くないのだ。

 それでは、その他に語られるテーマとは何だったのか。それは、「失われた者に関わった者たちの自己」に細分化されていく。何が辛く、何が悲しいのか、それが明示されるのが、最終話で詳らかにされた、神社の境内での大暴露大会だったのだ。いささか唐突な感は否めなかった嗚咽の連続だが、これまで少しずつ組み上げられてきた超平和バスターズの人間関係の積み木を、一気にぶっ飛ばすカタルシスは、なかなか狙って出る効果ではない。

 あのイベントのとっかかりとなったのが鳴子だった、というのも上手い部分。彼女の「思い」は作中で最も執拗に描かれた部分であり、導入にはもってこいのドラマがある。そして、鳴子自身が、周りの人間の感情に誘爆を引き起こすだけのパワーを持っているのだ。鳴子の抱える「過去の罪」は「嫉妬」。めんまに対するやっかみの感情が「あの日」を引き起こし、それがめんまを殺してしまう原因となったことが彼女を苛んでおり、その感情は、めんまの復活をトリガーとして再び持ち上がることになった。

 「俺も同じだ」と同調したのはゆきあつ。しかし、彼の場合は「あの日」に対する罪の意識は薄く、「あの日」まで自身を突き動かした「自尊心」こそが「過去の罪」。仁太をみとめられないという小さなプライドや、めんまの死をひたすら拒絶し続けて生み出された歪んだ「もう一人のめんま」の存在。彼は「あの日」で止まった自分とめんまの関係を否定するためだけに、この数年を費やしてきていた。そんな歪んだ自尊心が、「仁太にだけ見えるめんま」の存在を契機に、再び持ち上がることになった。

 ゆきあつと鳴子の関係を見て、自分は関係無いと主張し続けた知利子。彼女の「過去の罪」は「保身」。盲目的なゆきあつへの視界のせいで、彼女は鳴子とゆきあつの関係性を見誤り、「あの日」めんまに対して行動を起こし、それが悲劇の歪みを生んだ。その事実を一人抱えながらも、彼女はゆきあつとの奇妙な関係性を受入れ、自分は関係無い、自分はこれでいいと、ひたすら保身に走った。めんまの死など自分の人生に影響は与えておらず、自分が望む関係性が実現できていると、そう思い込んだ。しかし、めんまの復活に端を発するゆきあつの暴走劇を経て、彼女の欺瞞は再び持ち上がることになった。

 そしてこれまでずっと「何も出来ない自分」という状況に過敏に反応してきたぽっぽ。彼がかかえる「過去の罪」は、最もシンプルな「後悔」。「あの日」一番幼かった自分、何も出来なかった自分。何度も自虐的にそれを漏らしていたぽっぽだったが、その裏には、最も大切な場面で動くことが出来なかった自分に対する、どうしようもない慚愧の念があった。人生を決定づけてしまった致命的な消極性を覆い隠すかのように世界を飛び回り、何にも縛られない人生を必死に演出し続けては見たものの、彼を束縛する「めんまの呪い」は、ある意味どのメンバーよりも強くて重い。秘密基地に縛られ続ける彼の行動が、それを如実に表していた。そしてそれは、彼を責め苛むかのように復活しためんまの存在を契機に、再び持ち上がることになった。

 そして、全てを決定づけるめんまを生み出したのが、仁太であった。彼が「あの日」に生み出した「過去の罪」は「虚勢」。めんまに対して本心を伝えられなかったことは彼の人生に長々と尾を引き、周囲への歪んだ自意識は引きこもりへと至る全ての現実に繋がる。肥大した自我への救済措置として送り込まれた「彼だけのめんま」は、どうやら実母である塔子の願いが結実したものであったらしく、虚勢を張ることにばかり意固地になっていた仁太の人生に大きな揺さぶりをかけてきた。自分は特別である、という自意識が「自分だけのめんま」に現れるも、いつしかそのめんまが自分だけのものではないことを伝え始め、凝り固まった「虚勢」がどうしようもなく自身を束縛しているという事実が、再び持ち上がることになった。

 こうして生み出された5つの過去の罪。それらは全てめんまの死によって「あの日」に打ち込まれた「1人1人の現実」であり、「めんまの喪失」という根源的な事実とは異なった、個々の問題として描かれている。この作品はそうした過去の罪を解消することを最終目標としており、言い換えれば、「あの日」に置いてきた1人1人の「幼さ」を克服する物語である。複雑に入り組んだややこしいコンプレックスと人間関係が、「めんま」という1つのファクターからスタートし、最終的に「めんま」に帰結するというシナリオラインは、コンセプトこそ単純であるが、わずか11話のアニメシリーズで全てを消化しきるのは、はっきりいって無理難題であった。

 しかし、それがある程度形になってしまったことが、この作品の恐ろしいところである。最終話の「めんま見付けた」が、5者5様の成長物語に、個々に答えを与えるものとして仕上がっているのである。換言すれば、あそこで全員がめんまを見ることに成功し、めんまを「見付けた」わけだが、実際に行われたのはそれぞれにとっての自己啓発、自分探しの達成である。そう思えば、「あの日見た花」であるところのめんまの「名前をまだしらない」のは当然ことだろう。何しろ、各々が「見た」ものの名前は、全て異なっているのだから。

 

 改めて確認するが、この作品は本当に無茶だ。これだけの内容をちゃんと描写しようとしたら、普通に考えたら最低でも1.5倍の尺は欲しい。2クールでやっても文句は言われないくらいの中身だ。それを、わずか11話に押し込めて、曲がりなりにも達成してしまったのだ。話作り、画作り共に、化け物じみた構成力があったことは疑いようが無い。個々のエピソードに無駄が1つもなく、読み込めば読み込むほどに、11つのシーンに多層的な意味を織り込み、最後のテーマを収束点とした巨視的な構成が徹底されている。

 実に端的な例を1つあげておくなら、安城鳴子のあだ名が「あなる」なんてとんでもねぇものになっていたことも、この作品を「極めて短い時間で描く」ための方策である。「絶対に呼びたくないあだ名を呼ぶ」という行為が、要所要所で各人の心の距離を描写するツールとして強烈に印象づけられることで、必要な話を尺を大胆にそぎ落とすことに成功していたことは、最終話を見ずとも理解出来る部分だろう。その他にも、秘密基地のマグカップ、ゆきあつの髪飾り、仁太のサンダルなど、1つ1つのガジェットが言葉少なに強烈な「意味」を主張し続ける。真剣に見ようとすると本当にヘトヘトになる作品密度は、紙一重で成立した匠の仕事である。

 結局、長井龍雪の仕事に間違いはなく、岡田麿里の脚本にも、歯止めは利かなかった。もう、それ以上の説明は不要だろう。アニメオリジナルでここまでのものが(しかも1クールで)出てくるというのは、まだまだこれからアニメをみる上での力になりそうである。最近は「オカルト学院」「まどマギ」なども登場し、アニメ業界はオリジナルでも元気な部分が多く見られるようになってきた。「原作不足」「マンネリ化」など、産業全体の停滞感が危惧されてきたわけだが、どうやら次のステージはまだ存在していたようだ。今後のアニメ業界も楽しみである。

 最後は当然、中の人の話。もう、今作は誰を褒めていいか分かりませんね。最終話だけ見たらぽっぽ役の近藤孝行が際立っていたが、他のメンバーだって負けちゃいなかった。ここで取り上げるべきは、やっぱり戸松遥・早見沙織の若手コンビだろうか。戸松は今作一番の萌えキャラと名高いあなるの素敵過ぎるツンデレっぷりを存分に発揮させつつ、感情の動きの大きさに物怖じしない堂々とした演技であったし、早見についても、知利子のさりげない萌えポイントを的確に発揮。最終話での大爆発シーンは、それまで話を引っ張ってきた鳴子に正面からぶつかって一切見劣りしなかったのは流石。個人的には一番のヒロインは知利子なんですよ。ラストで堂々とヘアピンを付けていた知利子さんのドヤ顔がたまりません。幸せになって欲しいなぁ。

 そして最後は、本作で一気にメジャーシーンにのし上がった感がある、めんま役の茅野愛衣だろう。その声音はまさにナチュラルボイスセラピー。今後、癒し系としてのポジションが確立すれば、唯一無二の存在になれるだけのポテンシャルを秘めている。色々と楽しみは尽きない。

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