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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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○「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」 6→5

 実に歪んだ作品であった。初回放送後は「様々な既存の番組と被ってる妙な作品」という感想を持ったわけだが、改めて見ると、この作品は最終的に非常にオリジナリティ溢れるものとなった。何しろ、ここまで評価に困る不安定さは、なかなか他では得られないものだったからだ。何が新しくて何が陳腐だったのか、何が良くて何が悪かったのか、改めて俯瞰的に考えてみる必要があるだろう。

 先に良かった点をあげておくと、まずはなんと言っても「アニメの画」としての完成度だろう。入念なロケハンによって構築されたセーズの町並みや、雄大な景色の中に佇む時告げ砦の雄姿といった美術設定の秀逸さに加え、大きな作画の崩れなどもなく、賑やかな中にどこか物寂しさを感じさせるような、前時代的な「田舎」の風景がにじんで映る。そうした中で生活する人々は、1121小隊の面々を含めて、奇妙な生活感を伴う身近な存在に感じることが出来た。

 動画面でも最終回のタケミカヅチの活躍や、ミラクル・クラウスの精一杯虚勢をはったアクション活劇など、画面構成も丁寧だったし、「その時見せたいもの」はきちんと見せられていただろう。ちょっと倫理的に問題のある方向で話題になった8話だって「あの題材」を描くための1本のストーリーとしては実は完成度が高いし、個人的にはフィリシアの抱えた悩みと罪の意識をすべて飲み込んでしまうような重苦しい演出が光る7話はかなり面白かった。監督の神戸守の演出力、そしてA-1 Picturesの技術力は、きちんとアニメオリジナル作品を作るという気概に溢れ、そこかしこに目を見張る成果を残してくれていたと思う。

 ただ、それぞれ1本ずつのシナリオとして見れば充分に魅力的な素材だったにも関わらず、それが1つのシリーズとして形を成さなかったのが、この作品の最大の難点といえる。最終話の講評で触れたが、最終話の出来の良さというのは、あくまで「11話をまとめるための12話」としての話であり、「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」というアニメシリーズをまとめるための最終話としては、様々なファクターが不足している。個人的に一番不満だったのは、7話で描かれていたフィリシアの決心、罪の意識を生み出す原因となった「旧世界」「滅びに向かう世界」については一切触れられていないという部分。最後のオチで旧世界が絡んだのはせいぜい炎の乙女の伝承くらいで、それだって別に「旧世界の実在性」は求められない。旧世界の記憶とは、結局何だったのか。

 また、それよりも描写の量が多い先の大戦についても、その描写が十全に出来ていたとは言い難い。最終話で描かれたのは軍人としての矜持や、それを踏まえた上での平和と、国家間のあり方の問題。シンプルな戦争史になるはずのところだが、それまで戦争についての描写もほとんど無く、突然の隊員達の自我の目覚めには困惑するしかない。誰も、カナタが銃を構えて人を殺している図を想像は出来ないだろう。もちろん、「人を殺さないで終わらせること」は充分な選択肢として存在しているが、そこには「殺すかどうかを選択するイベント」が必要である。さもなくば、そこに戦争を持ち出してくる意味がないのだから。

 では、「あくまで戦争などはオプションであり、単に軍服に身を包んだ女の子がきゃっきゃうふふする話」と割り切るのはどうか。そういう見方が出来なかったので定かではないが、残念ながらそうした方向性のニーズにも充分に応えたとは言い難い。作品の性質上、どうしたって世界観の描写にはある程度時間を割かれるはずなのだが、それも中途半端で「なんか分からない世界」のままに話が進行してしまったため、そこに住まうキャラクターたちの立ち位置まで不確定なまま終わってしまったためだ。萌えキャラを掘り下げることは、例えばクレハが戦争孤児で戦争に対してどのような思いを抱いているかとか、ノエルが過去の自分の過ちをどれほど悔いて、恐れているかといった要素を、きちんと描写することである。そうした側面については全て「戦争史」と分けられない要素であるはずで、「戦争物」として不出来であれば、遡及してキャラの描写も不足ということになる。砦の乙女達については、結局、その内実が余すことなく魅力的に伝わってきたキャラというのは、いないのではなかろうか。

 こうした様々な「不足」は、コラージュのように種々の要素を不自然な形に紡ぎ上げた構成の理念自体に問題があったと考えられる「戦争物」であり、最近流行の「ガールズバンド」ものでもあり、もちろん「ハーレム萌えもの」「百合もの」「ドタバタギャグアニメ」である。しかし、そうした要素は全て独立して存在しており、脚本の中で融和しているように見えなかった。それぞれの要素を引き立てるためのアニメーション技術がいくら優れていても、素材のままの状態で「作品」として忌憚なく楽しむことが出来なかったわけだ。

 このことは、ひょっとしたら現代アニメの孕む病巣の端的な表れと言えるかもしれない。原作の無いものをやるとここまでシリーズ構成が破綻するということは、原作ものをやったとしても、脚本を余すことなく伝えるためのアニメに仕上がらない可能性も大いにある。「キャラのために話がある」のではなくて、「話のためのキャラがある」ということを、どれだけ意識して初期段階で企画を練り上げられるか、そこにちゃんと注意が行っていればいいのだが……

 でもまぁ、結局そうしてばらまかれた「素材」を見るだけでも、それなりに楽しめてしまうのが最大の病巣なのかもしれないのだが。悠木碧、喜多村英梨の2名を筆頭に、さらに新人の金元寿子などのキャストへの賛辞も含めて、点数はボーダーの5点ということに。脚本の吉野さんは、流石に少しずつ私の中で株を下げているのだが、どこで下げ止まるのかが心配でなりません。 

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