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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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○「昭和元禄落語心中」 7

 これまた見上げたアニメが出てきたもんだ。めくるめく芸の世界へようこそ。

 このアニメの感想を書く上で、どうでもいい話かもしれないが、私自身の落語遍歴について書いておく必要があるだろう。というのも、このアニメは「落語を知っているかどうか」「落語が好きかどうか」でかなりその意味合いが変わってくるアニメだと思われるからだ。実をいうと、私は昔、一時期落語にはまっていた時期がある。と言ってもかなりかなり昔のことで、それこそこうしてアニメ世界にずっぽり沈んでしまうよりも前のこと。歳がばれるような話だが、当時はNHKラジオなどで放送していた落語を必死にカセットテープに録音して繰り返し聞いていたし、幼い頃に「将来は落語家になりたい」なんて夢を文集で書いていたこともあるくらいだ。子供の時分の話なので親の影響も多分にあるわけだが、それくらいに、生活の一部として落語に親しんでいた時期があった。残念ながら田舎住まいだったために寄席に行くという経験はほとんどしたことがなかったが、中学生くらいで東京の親戚の家に単身泊まりに行き、寄席に初めて入った時の感動は今でもはっきり覚えている。おっさんになった今でも、ごくたまに東京に行く機会がある時には、フラフラと寄席に入ってしまうことも少なくない(幼少期に江戸落語で育ったもので、関西在住の現在、あまり上方落語への興味が湧いてこないのは残念な話だが)。今にして思えば、語りで聞かせる落語にはまっていた人間が、気付けば声優地獄に迷い込んでいたのは必然だったのかもしれない(そうか?)。

 さて、そんな「元・落語好き」からすると、このアニメは凄まじい。とにかく「落語をやる」という気合いの入り方が半端じゃない。原作未読なのでどういう作品なのかはまだ分からないが、非常に真面目に落語を取り扱った作品であることは間違いなかろうし、キャスティング、舞台設定、そして演出方向など、全ての要素で「落語を落語として見せよう」という気概に満ちている。もちろん、「落語が見たいならアニメじゃなくて本物の落語を観た方が良い」といわれてしまえばそれはそうなのだが、例えばカメラアングルの取り方、演者をどの方向から切り取り、身体のどの部分で演じている様子を見せるか。また、一部では演目の中のシーンもイメージとして取り込み、それをシームレスに高座の映像に繋いでいき、よりダイレクトな形で「噺の世界」を作っていくか。単に「落語家を映すアニメ」ではなく、「落語を見せるアニメ」としての工夫はそこかしこにちりばめられている。この作り方は、ファンにとってはかなり刺激的な仕上がりになっている。

 落語の見せ方として本作が注意している大きな要素に「粋」というものがあり、こうした無形の美意識ってものを作りあげるときにはクリエイターは並大抵ではない想像力と、技術力が必要になってくる。「粋」だとか「詫び」だとか、そして「萌え」だとか。そういうものは教科書通りのアニメ作りでは生み出されない、非常に観念的なものだ(まぁ、「萌え」作りについては現代アニメは世界最高峰の技術を持っているのは間違いないだろうが)。そして、そんな難題を任されたアニメ監督は、これ以上の適任があるだろうか、畠山守なのである。わざわざカテゴリータグに監督名義のエントリーを作っていることからも分かる通り、私はこの人の大ファンである。過去に監督として作った作品は「さんかれあ」と「ローゼンメイデン」の2作品だけだが、どちらも非常に含蓄に富み、ただの原作再現だけでは終わらない見事な映像表現の映える秀作だった。どちらもピンと張り詰めた緊張感があり、一筋縄ではいかない画面解釈の妙味で楽しませてくれる、本当の意味で作り込まれたものになっていたものだ。本作にも、同じようにしてただならぬ緊張感が求められており、その上で、現実と仮想にたゆたう不可思議な曖昧さも伴う。こうした作品作りで、畠山氏以上の仕事が出来るクリエイターはそうそういないのではなかろうか。その手際がどれほどのものかは、この1話目を見れば自明であろう。

 映像面での作り込みの見事さに加え、やはり「話芸」ということで重要視されるべきはキャストのお話。こちらも、普段私が騒いでいる声優談義とは別のステージで行われる「声優が本気で挑む落語の世界」だ。石田彰・小林ゆうといった本気で落語に勝負をかけている人間が配役されている時点で、その意気込みは明らかだ。石田彰演じる八雲のモデルは、演目、語り口を聞けば明らかなように、昭和の大名人の1人、三遊亭圓生だろう。「死神」、そして「鰍沢」、どちらも圓生の十八番である。今回長めに演じられたのは「鰍沢」の方だが、久しぶりに聞く圓生の鰍沢、石田彰が迫真の演技でもってそれを再現している。もちろん、単なるコピーに終わるのではなく、そこに「三遊亭圓生」ではなく「遊楽亭八雲」を作ることを忘れてはいない。声優・石田彰の真価が、改めてここで垣間見える。他方、与太郎を演じる関智一の方は、作品全体の空気を考えるなら、多少オーバーな演技になっているために浮いている感がある。これはもちろん悪い意味ではなく、この世界における与太郎というイレギュラーな存在をはっきりと際だたせるため。与太郎は素人であり、落語の世界をまだ何も分かっていないキャラクター。彼は彼なりの努力でもって、これから八雲らがいる噺家の世界へと必死に進んでいく。そんな「入り口」となる人物であり、言わば落語の世界の外にいる我々視聴者の代表としても、彼は機能している。そうした特権的な立ち位置を持つ与太郎という存在に関智一の味は見事にマッチしている。八雲と与太郎、2人の対比は実に興味深いものだ。彼が目指している助六のモデルは誰なんだろう。型破りな昭和の大名人といえばもちろん古今亭志ん生ということになるが、演目のラインナップはちょっとイメージが違うんだよな。与太郎が演じていた「初天神」は小三治のトレスのように聞こえたけど、まだちょっと分かりませんね。

 これだけの覚悟で作り込まれた「落語アニメ」。落語好きならば是非楽しみたいところだ。まぁ、正直言うと落語に興味のないアニメ視聴者層にどれくらい響くのかは分からないのだけども……こんだけ豪華なキャストなんだから、その仕事っぷりを楽しむだけでも充分価値はあると思いますよ。エンディングにめぐさんがいたり、やたらとネルフ成分高すぎるのが何故かは不明。林原めぐみと椎名林檎の組み合わせ。この妙味もまた独特の世界だなぁ。

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