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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 声優ファンにはたまらないサービスが続く第3話。考えてみりゃ実写(もどき)声優が顔出しで演じてくれてる地上波作品なんだから、腐女子とかがもっと食いついてくれてもいい気がするんだけど。今回も三木眞ですよ。なんでイマイチ話題にならないんだろう。

 今回の症状は、比較的シンプルな神経症である「強迫神経症」。主人公の職業がやや特殊なので視聴者が共感を得るのは難しい部分があるが、病状自体は誰でも何となく心当たりがあるものだろう。それが自分の生業に関わっちゃうと大変、ということ。ただ、病状はシンプルだが、今回の患者である星山の場合は、その原因に面倒な事象が絡んでくるので話はやや複雑になる。

 彼の場合、単純に「確認を迫られること」が病気の根幹ではなく、作家活動に関わる様々なコンプレックスや軋轢が集まり、「既存のキャラクターがどうかを確認する」という行為に集約される。それは例えばパターンと言われることに対する抵抗であるし、実体験を伴わない作風に対するコンプレックス、自分が本当に書きたいものに対する背徳感などである。それらを見ないようにするために、たった1つ、自らが現在執筆している作品に対して疑問を投げかけるという行為が生まれるわけだ。伊良部は相変わらず適当なことをいいながらも、問題をまとめ上げ、「先輩作家との口論」という舞台を設けることによって、その病巣の治療に成功している。1話の山下や2話の田口に比べると、治療後の態度にもまだ違和感は残るものの、啖呵を切ることで自分が本当にやりたいことに対する姿勢が決まったという風に解釈していいのだろう。というか、そう解釈しないとラストシーンの意味が分からないからね。

 で、3回目ともなると演出面にも随分慣れてゆっくりみられるようになってきたのだが、相変わらず実写を使ってあれこれ「表出」させようとする姿勢が面白い。今回特に目を引いたのは、星山の本名である「鶏」を絡めた演出で、まず、毎回恒例の注射を打たれた後の面相の変化が、ニワトリ。そして嘔吐するシーンでは必ず大量の羽毛が舞い、「身をちぎられるような」苦しみを演出する。最後のシーンでは、彼の心の充足を示すかのようにして、弱々しかった羽毛に羽根が増えているのも芸が細かい。ニワトリと言えば「3歩進んだら物事を忘れる」と言われるように物忘れの代名詞でもあり、「忘れること」のメタファーであるニワトリが、彼の病的なまでの(実質病気だが)確認癖の痛々しさを強調する。嘔吐することで生み出される「中身のない卵」は彼自身が疑問に思っている「形骸化した小説」を表すし、最後に吐き出した時には、卵以外にも彼の思いを詰めた様々な本が飛び出している。彼を追い詰めることになった先輩作家の名字に「鍋」の文字が入っているのも、非常に端的な物語の遊び心といえるだろう(鶏は鍋に入って苦しむところから料理になるものだ)。

 もう1つ意味が分かってきたのは、ホスト役である伊良部のシェイプチェンジの演出意図。大、中、小と3パターンの姿を持つ伊良部であるが、基本的にメインの人格が大で、外出するときは小が多い。そして、中と小は基本的にカットをまたがない。診察室でのカット割りを見ると分かりやすいが、カットが変わるとたいていはスタイルも変わるようになっており、あたかも「患者が複数の伊良部に囲まれて問診を受けている」かのような錯覚を覚える。時には場所を移して、時にはまったく同じ椅子に座りながらコロコロと姿を変えていく伊良部は、そのちょっと危険なエキセントリックさが非常に面白い味として表現される。もちろん、大と中を見事に演じ分ける三ツ矢雄二の怪演もたまらない。

 そういえば、今回パッと出の携帯小説家の女の子がくぎゅでしたね。どうせなら女性声優も顔をトレスしてくれれば面白いのに……いや、別にいいんですけど。気付けばここでもエルリック兄弟そろい踏み。

 次週はヤクルトのサードを務める男のイップスの話らしい。中の人は我等が英雄、浪川大輔。イラストに落とし込んでもその眉毛には一部の揺るぎもない。男らしいぜ、裸王! 

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  癖の強い演出も、早くも馴染んでしまっているのが恐ろしい第2話。方針が理解できるだけで、煩雑に見えた画面の情報が実は非常にシンプルで分かりやすい情報の集合だと言うことが理解できる。ある意味、至極まっとうな作品といえるのかもしれない。

 2話目の主人公は、チンコが勃ちっぱなしになってしまうという、世にも恐ろしい疾患に見舞われてしまった公務員、田口哲也。顔は櫻井孝宏。病気の原因は一方的に浮気をして離婚していった元妻へのストレスで、溜まりにたまった鬱憤をはらさんと四苦八苦する姿は、コミカルながらも非常に痛々しく、なまじ実写混じりであるためか、ギャグとして処理しきれない嫌な現実味がある。確かに回りにはとても説明出来ない「病」であるし、もしばれたら言い訳のしようがない。区役所の職員が全員女性ってのは流石にないだろうが、町中でも仕事場でも、一切気の休まる暇がない。

 今回はあまりに下卑た題材だけに、描かれるべきものは非常に明確で、田口視点の視界に飛び込んでくるのは、どれもこれも女性の刺激的な映像ばかり。普段ならば「サービスシーン」として処理される部類のものなのだが(まぁ、この作品の場合はあまりエロさは感じられないんだけど)、彼の苦境においては、それは単なる苦行にしかならない。行く先々でやらかしてしまう失敗も、男性ならば心静かに同情してしまいそうなものばかりだ。個人的に妙な説得力があったのは、数ある「サービスカット」の中でも、やけに情感が籠もっていたのが職場の同僚の、ごく普通の、特に露出があるわけでもなく、ボリュームがあるわけでもない胸元のカット。一般的な意味での「セクシー」でなくとも、普段見慣れている刺激とも言えない刺激が、否応なく病の重さを伺わせることになる。

 そして、そんな彼の最大の心因である元妻との関係性が、今回の山場となる。自分と連れ合った時には想像も出来なかった彼女の現状を見て、とにかく全てをぶちまける算段をする田口。しかし、結局ぶちまけることが出来たのは脳内だけで、彼女から懐妊の報告を受け、一言「おめでとう」とだけ言ってその場を去る。「この淫乱女が!」と「おめでとう」。あまりに違いすぎる理想と現実だが、その「現実」の方が、結局彼の目指すべき答えだったというオチ。陳腐な結論ではあるのだが、最後の同僚に向けて言い放った「言わないよ」の一言のおかげで、なかなか味のある読後感(視聴後感?)に仕上がっていた。流石に小説原作だけあって、ベースとなるシナリオラインは良くできている。

 そして、そうした分かりやすいシナリオラインを盛り上げるのが、この作品独特の一見エキセントリックな画面描写である。とはいっても、冒頭で書いたように、冷静に見れば実は非常にシンプルな構成理念で仕上げられていることも見て取れる。分かりやすい例で言えば、田口の怒張したモノを表現する様々なメタファーは、単一の対象の目先を変えることで画面に変化を出す効果がある。最も頻度が高く、最後には田口の顔と入れ替わったりした「サイの顔」や、背景に見える雄大な赤富士、よく分からない機械のシルエットに、鞄を引っかけてぐるぐる回す描写まで、当然「直接描くことが出来ない」対象ながら、画面に様々な形で姿を現して飽きさせない工夫がなされている。

 他にも、元妻との思い出が大量の写真の中で変化を起こし、田口の心的な状態を表してみせるカット、メインとなる登場人物以外を紙人間で処理して重要度の差を付ける演出など、物語の筋を見えやすくするために、情報の取捨選択を行った結果の産物が、独特の色彩を生み出しているのが面白い。個人的にはちょいちょい登場する「福井っち」の存在だけはあまり感心しないのだが(今回最後の説明は流石に興ざめだった)、それらも含めて、「説明のための画面」がきちんと作品のための要素として解題されているのは見るべき点であろう。興味の尽きない作品である。

 最後に、お約束ながらキャストの話。今回観ていて愉快だった理由の一つに、主人公田口役の櫻井が非常に楽しそうだった、というのがあるだろう。良くも悪くも本人に「合う」役どころだったと思うし、ちょいちょい入るアドリブじみた台詞も面白かった。そしてたまらんのが、元妻役の大原さやか様である。不倫が原因で分かれた女やもめの役。なんでこんな役が多いんだろう。浅野真澄大先生から「幸薄そう」と言い放たれた経歴は伊達ではない。まぁ、今回は幸せそうでしたけどねぇ。結婚して幸せになったキャラがアリシアさんしか思い浮かびません。今後とも、ハチクロの理花さんを越える幸薄キャラを切望します。

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