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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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  相変わらずじっとり、しっぽり進んでいます第2話。この緊張感を維持しながらもゆっくりと流れる空気は、なかなか他の作品には無いものですな。

 五葉のメンバーと顔合わせを終え、次第に政之助が引きずり込まれていく様子を描く今回。何とも奇妙なのは、弥一以外のメンバーは政之助の「役に立つ部分」を見ておらず、本来なら情けをかけてやる必要が無いという点。梅の態度なんかはそれが分かりやすくて、最初はひどくぶっきらぼうな接し方をしており、おたけとの関係を見て味噌汁をこぼしたり、色々ときつくあたっているシーンも見受けられる。しかし、おたけは最初から政之助に対して親しげに接していた。これは彼女の人柄もあるだろうが、単にウブな政之助をいじるのが楽しかった、というのもあるだろう。

 そんな微妙な立ち位置の政之助が少しずつ打ち解けていく最低限の条件となったのは、やはり弥一の信頼だろう。弥一に言われたからこそ梅も邪険に扱うことが出来なかったわけだし、おたけも彼の太鼓判があればこそ、政之助で遊んでみようという気になったはず。五葉という組織の中心にはやはり弥一という厳然たる存在があるということを、少しずつ人間関係を解題しながら伝えてくれている。

 きっかけさえあれば、人畜無害の政之助との関係性は次第に良いものへと変わっていく。梅もいつの間にかあれやこれやと気にかけてくれるようになっているし、落ち葉拾いをするおたけとの関係性も、最初の頃よりもずっと自然なものになった。当人はまだメンバーになるという踏ん切りはついていないようだが、弥一の手練手管で丸め込まれる流れを見ると、あの店に腰を据えるのもそう遠い未来ではなさそうだ。

 で、この政之助のスタンスだが……現代でいうなら完全にニートのそれ。派遣切りにあって職を探すも余計なプライドが邪魔して職種を選んでしまって八方ふさがり。今回は五葉へ加わることへの抵抗感から渋々人足の仕事にも就いてみたが、やっぱり駄目。普通に考えると、自宅を警備して最期を迎えるタイプの人間。それが気付けば悪党共の集団に丸め込まれ、片棒を担ぐようになっているという……結構まずい流れだ。幸い五葉は「いい奴ら」だったから良かったものの、一歩間違えたら転落人生まっしぐらじゃないか。この情けなさは……実に共感が持てます。江戸を舞台にしたニートの社会復帰物語。それがこの作品なのかもしれません。

 相変わらず四季を感じさせる美術がきれいなこの作品。今回のコンテは宮地昌幸氏。少しずつ固められていく江戸の雰囲気が、いい感じに身に染みます。

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 最後の最後まで、そのしたたかな演出プランを貫き通してくれた最終話。9話ではこれまでの流れを断ち切って「他のキャラクターと繋がらない主人公」を描き、10話では「繋がっていたのに描けなかった主人公」を描き、最終話はどんな主人公かと思えば、なんと「精神病に至る手前の主人公」であった。精神疾患という難しい題材をコミカルに扱い続けてきたこの作品だが、きちんと最後の最後で意味のあるメッセージを送ってくるあたり、実に如才ない。

 今回の主人公・津田英雄(古谷徹)は、6話の主人公、津田雄太の父親。6話でも一言だけ台詞があって「なんで古谷徹なんだろう。無駄に豪華だな」と思っていたら、ここでその真価を発揮してくれたことになる。

 英雄は、救急病院の責任者として日々命の現場に挑み、責任を持って仕事を全うしながら、部下への気遣いも忘れない仁の人。回りからの信頼も厚いし、医者としては申し分のない人物。しかし、そんな彼もご多分に漏れず家庭に問題を抱えており、コミュニケーション不足の息子は「ケータイ依存症」になってしまっていた。そして英雄自身はというと、今のところ具体的に病名のつくような疾患は患っていない。その証拠に、伊良部に注射を打たれたあともシンボル変化はなく、画面上に病名も表示されない。しかし、伊良部はそんな英雄を見ながら、「普通の患者なんかよりもこーいう普通の人が一番めんどくさい」と言ってのける。そしてその言葉通りに、英雄は何とか自我を保ちながらも、どんどん「めんどくさい」状態へと突入していく。

 実際のところ、トイレの個室に籠もって家族への不平不満を爆発させる英雄は、終盤には充分「病気」と断じてしまっていい状態になっていただろう。叫んでストレスがはらせる内はまだいいのだが、22日の時点では呼び出しを続ける携帯を見て患者の問診中に露骨に顔をしかめているし(そういや病院で携帯って大丈夫なのかな)、24日になると、ついに堪えきれずに問診中にもかかわらず電話に文句を言い始め、あげくトイレに籠もるという、職場放棄に至っている。ここまでくると、単なるイライラではなくて充分に「病気」だ。

 そして、そんな彼の病気のシンボルは、実は現れていた。それがトイレの個室でグニャグニャと落ち着きなく変化する彼の面相、つまりは「子供」である。これまでの患者達も、注射を打たれることによって自らの症状を象徴するような動物に変化してきたが、今回の英雄の場合は、嫌なことを他人に押しつけて逃げ道に駆け込む、「幼稚な子供」こそがそのシンボルである。注射を打たれて数日、彼の「症状」が進行したことで、「子供」は表面上にあふれ出した。

 今回、伊良部はこれまでのように画期的な治療でもって英雄を治療することはない。臨界点を突破した英雄に自分の現実を突きつけ、家族への姿勢を考え直すように諭しただけだ。画面の中では黒くよどんだ彼の体内に手を突っ込んで「膿」のようなものを取り出す描写はあるが、これまでも超常的な治療は行わなかった伊良部のこと、あくまでショック療法で彼の中の病巣を取り除いたことのメタファーと捉えるべきだろう。これにより、彼の中に溜まっていた「病気の根源」であるどす黒い染み(彼のイライラを集積させるトイレに堆積していた)は取り除かれ、英雄は子供から大人に戻る。ある意味、発症から治療までの期間が最短の例と言えるかもしれない。

 今回も色々と感心させられた部分が多いのだが、メインプロットで特筆すべきは、やはり津田親子の関係性だろう。6話の時点では完全に「息子の責任」だと思われていたケータイ依存症だが、今回のエピソードにおける津田家の食卓を見ると、実はその根本的な問題が英雄の方にあったことが分かる。息子の雄太にとって、携帯は父親を仕事に束縛し続ける目の敵。英雄は「食事中に携帯を使うな」と注意した直後に、自分は仕事場からの電話に出て食事をないがしろにするし、雄太に注意するときも、一声かけただけですぐに携帯に注意を向けている。父親の逃げ道である携帯を見て、息子も同じ「症状」へと逃げ込んだ。

 そして、こうした津田家の「崩壊の兆候」を、端的に表現したのが今回の「カナリア」という題材であった。伊良部の言う通り、雄太という存在は英雄があらゆる物事に縛られて、精神的に危うくなることの危険信号として働いていた。仕事に追われ、家庭を顧みなかった男のために、まずその家庭で最も過敏である息子が歪む。雄太が歩く道すがら、カナリアが息絶えたのは象徴的なメタファーである。これまで扱ってきた様々な「症状」。それらはあくまで結果であり、そこに至るまでの経緯は当然全てについて回る。事後治療は伊良部の専門だが、それ以前の「環境」にまず目を向けよ、というのが、この作品を通じての最大のメッセージだったわけだ。なかなか小利口なまとめ方ではないか。

 今回のエピソードは、序盤はおおよそ見たことのある津田家のエピソードだし、これまでのような時系列ネタで面白い部分も少なくて「なんか地味だなー」と思っていたのだが、Bパートの怒濤の展開は圧巻。トイレで叫び回る英雄の狂気を孕んだ様子は、これまでのどの患者よりも危険で、真に迫っている。いつも通りの展開だが、これはもう中の人を褒めるしかない。そしてこの英雄の暴れ回るパートは「主人公の顔が実写」という仕込みが最大限に活かされたシーンでもあり、大人から子供へとコロコロ体型の入れ替わる英雄の外見に、非常にえげつない形で古谷徹の実写の顔が絡み合う。体型は幼児なのに顔だけ実写のおっさん。しかもその顔には引きつった笑顔。このビジュアルは強烈だ。古谷徹には申し訳ないが、最大限に実写を活かした「気味の悪さ」が出ていた。この効果は頻繁に顔出しでテレビに出演している古谷徹だから得られた効果とも言えるかもしれない(また、古谷は離婚経験者でもあるため、作中の「家族なんか持つもんじゃない!」という英雄の叫びも何となく深読み出来てしまう)。他にも、今回はラストということもあってマユミちゃんが色々と活躍し、最後には雄太の頭をポカリと叩くのだが、実写と作画の絡みがなかなか面白い形で出ていた。

 どんな風に幕を下ろすのかと気になっていた今作だが、尻すぼみすることなく、最後まで非常に楽しく見させてもらった。ただ、今回のエピソードのおかげでこれまで画面の端々に映っていた「カナリア」の含意が分かってしまい、「ひょっとしてもう1回最初から見直さないと全部の伏線が回収出来ないのではないか」と戦々恐々ではある。まぁ、最終話の感想は「父親が古谷徹で母親が井上喜久子って、どんだけ贅沢な家族やねん」だったけど。 

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 マスコミ間のどろどろした関係性に、色んな邪推が止まらない第10話。フジテレビが協賛してるこの作品でこの内容って……色々ひどいなぁ。

 前回の「天才子役」が他のエピソードとは完全に孤立していたのと同様、今回の主役である田辺満雄(置鮎龍太郎)はこれまでのエピソードでは1度も登場していなかった孤立キャラクター。前回と同様に独立してエピソードが描かれるのかと思ったのだが、今回は逆に他の回のキャラクターが積極的に絡んでくる、賑やかなエピソードとなった。具体的には、直接田辺と絡んだキャラクターだけでも猪野、岩村の2人、その他坂東もきっちり顔出しで登場しているし、池山も名前が出ているのに加えて義父の野村教授が田辺に絡んでいる。彼が最後に携えていたのは星山の書籍だ。10話までのキャラクターのうち6人がここで登場しているわけだ。他の回と違って田辺は他に顔を出さない一方通行のセッティングになっていたために、何とも不思議な印象を受ける。

 そして、最後まで見るとこの「一方通行」の理由が判明するように出来上がっているのが面白い部分。今回は「伊良部の注射」というこの作品のキーアイテムの能力を逆手に取った、一種の叙述トリックが展開されている。それが、田辺の年齢トリックだ。

 改めて見返すと、アバンで真っ先に注射を打たれるという構成からして今までと違って不自然な部分があり、それに続くように描写される17日のエピソード(岩村に最初にインタビューされ、倒れるシーン)では、田辺の顔はほとんど描画されない。描画されるのは唇を噛むときのアップや目のアップなどで、実はこの時点でよく見ると深い皺が刻まれた「老人」であることは読み取ることが出来るのだ。もちろん、前もって「注射後の田辺」を見てしまっている(前回の予告も同じ効果がある)ために、その映像で「実は田辺が老人である」ことにはなかなか気づけない。そして、18日に目が覚めた田辺はもう青年の姿になっている。これはおそらく、パニック障害で倒れたことによって、既に自らの中に現実との不和が生まれていることの表れだろう(実際、伊良部に「老人」という言葉を出された時に不思議そうな顔をしており、青年の姿は自覚的なイメージになっていることが確認出来る)。もちろん、「動物に変身しないな」という伊良部達の疑問は、「既に田辺は何らかの別なシンボルをまとっている」ということを視聴者に伝えるための伏線となっているわけだ。

 とはいっても、田辺が老人であることは、そこまで劇的などんでん返しとして用意されているわけではない。オチがすんなり入ってくるようにじわじわと視聴者に予期させる準備もそこかしこに用意されており、一番のヒントはやはりたびたび現れる回想シーン(田辺からすると『幻』)だろう。高度成長期を思わせる数々の実写が並び、次第にその中で取材に明け暮れた田辺の姿も現れるようになる。この実写映像の取捨選択も興味深く、例えば「栄光の3番」長島茂雄のイメージは田辺と野球の繋がりも同時に想起させるし、建設途中の東京タワーは、田辺のメディア人としての一面を連想させる。もちろん、これらの映像は昭和の激動の時代を思い起こさせるモチーフとしても機能しており、田辺の年齢を含めたアイデンティティの記述として多重の意味を持っている。社長室で夕日を見てフラッシュバックが起こるというシーンも、沈みかけた夕日が人生の下り坂を進み始めた老齢の田辺のイメージを喚起させる。

 もちろん、そんな細かな描写よりも、田辺を取り巻く数々のイメージが、日本の大妖怪、渡邊恒雄のイメージと被っていることが、「老人」への接続に直接的な役割を果たしているのは間違いない。田辺の経営している大日本新聞社は日本放送=読売新聞であるし、グレートパワーズはジャイアンツだ。ご丁寧に「ナベマン」というあだ名まで明記されており、新聞、メディア、野球と日本の文化の中枢を掌握してきたナベツネを知る人間ならば、ナベマン=ナベツネという対比は絶対に頭から離れない。その「前もって存在する知識」が、最後のオチに自然に結びつくように出来ているわけだ。これはなかなかうまい。もちろん、(フジテレビから見れば)他社のお偉いさんを貶すような内容には出来ないために、「報道人として真摯な姿勢で挑み、現在のメディアの腐敗と脆弱さを嘆くひとかどの文化人」という田辺のキャラクターがきちんと描かれているのも面白い部分ではある。この作品を見た後では、なんかナベツネもいい奴のように見えてくるしな。

 そして、ここまで理解出来たところで、ようやく今回の「一方通行」の理由が分かる。これまでのエピソードで田辺と他のキャラクターの絡みを描いてしまったら、他者視点から「ナベマンが老人であること」が他のエピソードで分かってしまうのだ。そうならないようにするために、田辺はこれまでのエピソードでは登場するわけにいかなかったということだ。

 とまぁ、色々な伏線と余談を挟みつつ、最後には野球場で坂東の打ったホームランボールをアメイジング・グレイスに合わせてキャッチ(未遂)することで、ナベマンは時代の変化を悟り、ゆっくりと老人に戻っていく。今回の症状である「パニック障害」はいまいち理解しにくい症状だったのだが、おそらく伊良部のいうような「権力への固執」が一因としてあり、さらにその固執が「自分が時代を変えなければいけないという義務感」に根ざしたものであることが理解出来る。途中、田辺の時代観は完全に昭和のそれに戻っており、「アメリカの属国として立脚している未熟な日本を変えなければならない」と述べるのだが、この台詞が今の日本でもほとんど変わりなく使えるあたりが、小憎らしい風刺といえるかもしれない。

 今回もなかなか技巧に富んだ面白い回だったが、全てが片付いて老人となった田辺の声もきちんと演じ分けられる置鮎の技量には舌を巻く。じじいになっても格好いい声って、こういうのなんだろうなぁ。

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 これまでとは随分イメージの違う演出になっていた第9話。確かにここまでのエピソードに今回の主人公である安川ヒロミが全く登場していなかったのは気になっていたのだが(ひょっとしたら気付かなかっただけでどこかにいたのかもしれないが)、今までのような同時並行演出はここでいったん終わりということなのだろうか。

 今回の患者、安川ヒロミ(羽田野渉)の症状は、残念ながらあまり共感を覚えるようなものではない。勿論「キャラを守らなければ」という防衛意識というのは誰しも多かれ少なかれ持っているものだろうが、流石に一般人はタレントのように自分のイメージに固執する必要は無いので、心の病に発展するようなレベルでの悩みというのは少ない。以前友人と話していて暴露話が盛り上がった時に「お前はそういうこと言っちゃ駄目だ」とたしなめられた記憶があるのだが、他人の押しつけるキャラというのは、時として「知らんがな」という場合だってあるのだ。

 しかし、子役として売れてしまった安川の場合、他者の見る目についてはそれこそ病的なまで染みついており、既に必要無くなった成年後も、それが心から離れなくなってしまった。症状として表れるのは「笑顔」という表情のみなのだが、今回は安川の「表情」が非情に印象的に描かれることで、その深刻さを表現している。序盤は笑顔を崩さない安川の口元よりも上の部分に影がかかってなかなか見えないようになっているし、ビタミン注射を喰らった後には(そして幼少期から既に)、シンボルとして登場したアザラシの顔が頻繁によぎるようになる。これは当然、過去に一世を風靡した「タマちゃん」などから連想される、かわいらしさだけが先行した「客寄せ」商売のメタファーであろう。これらの描き方を複数重ねることによって、序盤の安川は笑顔以外の表情が一切表に出てこないわけだ。

 そして行われる荒療治。とはいえ、放っておいても安川が事務所を首になるのは避けられなかったわけだし、伊良部が助言をせずとも安川が自分のイメージと現実のすりあわせを行うのは必要事項となっていたはず。たまたま都合のいいオーディションで都合のいい流れになったおかげで、「イメージチェンジするんだ!」という一大決心が、逆ベクトルに吹っ切れてあのような結末を迎えることになった。「伊良部の思いきった治療」とはいうものの、あの流れで吹っ切れるようならば、結局今までの路線でもいけてた訳だから……マネージャーの管理が下手だったってことになる? いや、バラエティ番組の出演を受け入れられるようになったのは今回の顛末のおかげなのか。オチの部分の安川がどのようなポジションに落ち着いたのかが分からないために、何がどう治療されたのかがよく分からない展開だった。多分懐かしさとスベリ芸で返り咲いたってことなんだろうけど、絶対あれは芸人生命が短いタイプだぞ。

 とまぁ、本筋はほどほどにしておいて、気になったのは今回からの「別路線」の演出である。例えば、安川は18日に集合の象徴であるファミレスに顔を出していないし、当然他のエピソードのキャラクターも誰1人として顔を見せていない。唯一今回のエピソードに関係があったのは安川が受けたオーディションの原作者である星山純一だが、彼もわざわざ名前を出しておきながら当日のオーディション審査員を欠席している。これまでのエピソードでは「顔を出していること」が明示的に描かれていたのだが、今回は敢えて「顔を出さないこと」を強調しているようにも見える。

 また、毎回バンクのように同じ映像が使われ続けていた注射のシーンが、今回は別アングルの別シチュエーションに書き換えられている。マネージャーが見ていたからついたての陰で注射したとも考えられるが、普通に考えたら注射は隠れてするもんじゃない。打っている時のマユミの恍惚とした表情の追加や、毎度のように汗だくで盛り上がる伊良部のカットの変更など、ことさらに「今までと違う」ことをアピールするような構成になっており、もちろんBGMも定番の物から新しい物へと変更されている。

 他にも、安川は診察中に歯車仕掛けのイスでくるくると回り続けていたり、伊良部がマネージャーの背後に瞬間移動したような描写があったり、伊良部が「ひろ君」の存在に気付いた時には3体の伊良部(大・中・小)が全てオーバーラップして驚く描写があったりと、これまで暗黙のうちに慣例とされていた部分がぶっ壊れたかのような変化が気になる。今後は本当にオムニバスとして作っていくのだとしたら、時系列いじりはあくまで作品の1要素でしかないので無くなっても構いやしないのだが、これまでのような賑やかな雰囲気が無くなってしまうのはちょっと残念。来週登場するキャラクター(置鮎)も過去のエピソードに登場していないので、また単独エピソードになってしまうのかなぁ(一応グレートパワーズはスワローズの対戦相手だったけど)。ただ、ラストシーンで伊良部の病院を訪れたのが誰なのか気になる(流れからすると次回主人公の田辺の来訪なのだろうが、ラストシーンは伊良部の見ているテレビから24日のことであると分かるし、田辺が来訪したのは17日であるはずなので、計算が合わないことになる)。

 最後にキャスト話。マネージャー役は折笠富美子。振り回される苦労人役にもしっくり来ます。不幸が似合う女性は格好いいね。そして今回メインだった羽田野君だが、役が役だけにイケメンの彼が奮起すればするほど中の人が滑ってるみたいに見えて可哀想だった。……いや、おいしいと思うべきなのか…… 

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 久しぶりに中の人のインパクトがかなり強かった第8話。浪川の時もそうだったけど、中の人のイメージがしっかりあるかどうかで、随分視聴時のイメージも変わるもんだ。

 今回の依頼人、岩村義雄(岩田光央)の症状は「確認脅迫」。「火を消したっけ?」とか「電気消したっけ?」とか「鍵かけたっけ?」とか、この手の不安というのも日常生活では非常になじみ深いものだが、それが度を超えた時に「病気」となってしまう。実際、今回の岩村の症状は発端だけならば誰しも経験したことのあるものだが、タイトルの示す通りに「いてもたっても」いられなくなる段になるとその深刻さがよく見える。「煙草の火を消したか」「ガスを止めたか」などの共感が持てる不安要素から始まり、次第に「煙草の火の粉は飛ばなかったか」「電気のコンセントはショートしないか」などのちょっとついていけない妄想にまで発展することで、それが分かりやすいように演出されているわけだ。

 そんな岩村に対して、普段ならば適当なことばかり言っている伊良部も、実はこれまでよりも具体的な対策方法を何個か提示している。「灰皿をやめてバケツにする」「火災保険に入る」「他人と同居する」なんてのは分かりやすい提案であるし、途中で岩村が実践していた「写メをとって直接視認できるようにして安心感を与える」もおそらく伊良部のアイディアだろう。実際、写メ作戦はわずかながらも効果を現しており、とりあえず「これまで持っていた不安」だけは解消されている。ただまぁ、ラストは「落としたライターが発火しないか」というこれまたとんでもない不安に負けており、しばらくは症状と対策のいたちごっこが続きそうな気配。前回に続いて、病気の完治を予期させないエンディングである。

 実を言うと、今回のシナリオは前回の「ハリネズミ」と構図を同じにしている。それまでは心的に分かりにくい病巣を遠回しに見つけることによって打開する展開ばかりだったのに、最近2話は「別に病んでてもいいじゃない、みんな同じなんだし、役に立つこともあるんだから」という消極的な対策になっている。前回の猪野の場合は他者との意識共有で逼迫感を薄めて、今回は「症状があったからこそのポジティブ要素」を明示することで「何となくおしまい」という雰囲気を出したわけだ。

 ただ、この幕引きはちょっと納得いかない。猪野の先端恐怖症は、他者との差を埋めて心的圧力を和らげることにより、ラストシーンでは回復の兆しを見せているのだが、今回の岩村のラストシーンは、まったく病状が改善されていないことを示すもの。一応住み込み下宿で共同生活を送ることで不安を回避するという解決はほのめかされているものの、それはあくまで作中で試みた「失敗した対策」の延長であり、今後も岩村は予期せぬ不安との戦いを強いられることになるだろう。そこがどうしてもすっきりしないところ。最後にアケミに「脅迫で良かったじゃない」などという直接的な台詞を言わせているのも押しつけがましい感じがして、ちょっとシナリオラインに不備があったのでは、と思わざるを得ない。まぁ、そんなにパターンが増やせるスタイルでもないし、このくらいの引っかかりは致し方ないところかもしれないが。

 とか何とか言いながら、今回は中の人の活躍によって割と楽しく見られたのも事実。世間的に岩田光央と言えば「下ネタ大好き、変態親父」の印象が強いのだが、フリートークを聞くと、意外と気遣いの多いインテリゲンチャであることが分かる(これまた一面的な見方ではあるが)。そんな岩田の一面が面白い形で現れたのが今回の岩村という役で、非常に真面目で、知識を調べ、蓄えることを生業とするルポライターの人生がきちんと伺える。もちろん彼の持ち味であるコミカルな面もしっかり活きており、何度も自宅に駆け戻っては溜息をつくシーンや、ビタミン注射で変身したアライグマの顔でもにゃもにゃと不安と戦う様子など、岩田ならではのキャラ作りが見える。実写の顔写真にちょっと長めのぼさぼさ頭っていうギャップも面白かった。

 今回も一応時系列表を作ってみたが、実はあまり大きな変化はない。最初のうちは面白い要素だと思っていた注射器の量も5本目以上になるとあんまり見えなくなっちゃったし、他者との絡みもほとんど無かったし。気になるのは伊良部の診療室の内装かな。24日にクリスマスパーティーをやることはしってるんだけど、それ以前にも鳥が増えたり、おもちゃが散乱したり、微妙な変化が観察できる。何か意味があるんだろうか。 
<8話時点での時系列表>

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 最近「空中ブランコ」で検索来訪してくれる人が増えてて微妙に嬉しい第7話。面白いアニメだと思うのになかなか話題にならんのよね。

 今回の主人公は、1話からもちょいちょい出てきていたゴーグルヤクザ、猪野誠司(高橋広樹)。特徴的なゴーグルのおかげで背景にいてもやたらと目立つキャラクターだったが、今回ようやくメインで登場。アバンからいきなりロシアンルーレットによる脅しをかましたりと、なかなか堂に入ったその筋のモノ……と思ったのもつかの間。彼の症状は先端恐怖症。非常に聞き馴染みのあるこの病名だが、実際に重度の症状に悩まされている人間というのはなかなか見たことがなかった。そして、実際に見ると……結構間抜け。そりゃま、誰だった刃物は怖いんだけど、猪野の場合は冒頭に拳銃突きつけて啖呵切ってるだけに、筆記用具や野菜スティックにまで怯える様は非常に滑稽である。注射後の変身がチワワというのも皮肉が効いており、最後には敵対組織のヤッパのヤスと2人してチワワになってきゅんきゅん怯えているのが可愛らしい。

 今回の治療は、実は非常に珍しいケースである。というのも、これまでのエピソードにおいて、様々な神経症の「原因」は、およそではあるが根本を提示されいてることが多かった。1話から順に並べると「人見知り」「妻の浮気への鬱憤」「執筆ストレス」「台頭する若手への不安」「秘密をしゃべりたい衝動」「孤独感」。しかし、今回の猪野の先端恐怖症の場合、何故そういった病気になってしまったのかという原因が明示されていない。そのため、今回はラストシーンでも病状が完治したという描写はなく、「そのうち慣れる」というぼんやりした幕引きになってる(最後にケーキにフォークを刺したカットを「治った」と見ることは出来るが)。伊良部の治療も、「逆療法で注射を刺そう」とか「サングラスをすればいい」とか、具体的な割には効果が出ないものが多く、いつものように「気がつくとベストの治療をしてたんだね」みたいな達成感が薄い。

 代わりに、「怖がってもいいじゃないの」というある種消極的なメッセージ性みたいなものが伺えるのが今回の新機軸。主人公が刃傷沙汰に関係するヤクザもので、そのヤクザが女から「足を洗えばいい」と再三言われていることから、「刃物が平気でも自慢になんかなりゃしないんだから、苦手なりに生き方を見つけた方がいい」みたいなメッセージが読み込めるのだ。虚勢を張った神経の細いヤクザものよりも、それを尻に敷いてやりくりしている女の方がよっぽど強そうに見えるのは端的な部分である。

 今回は猪野のコミカルなキャラクターも相まってテンポのいい演出が見どころとなっており、敵や子分の前で威勢のいい姿を見せながらも、女の前では一人の悩み多き若者になり、刃物を突きつけられれば滑稽なまでに怯え上がる猪野の表情が面白い。女にやり込められると背中の般若がショボンとしたり、「サンマはやめろよぉ!」と飛び上がって逃げたり、ゴーグルを入手してしたり顔でシャーペンを目に近づけてみたりと、中の人の高橋広樹も、実にのびのびとやっていて楽しそうだった。次回はあの岩田光央が登場。どんな素っ頓狂なキャラクターが飛び出すのか、楽しみです。

 そうそう、サブイベントの話だが、今回1224日に猪野が読んでいる新聞に、坂東が逆転サヨナラを演じたという記事が載っている。確か4話では坂東がベンチから声を出しているシーンで終わっていたはずだが、こういうところで別エピソードのエピローグが見られるというのは面白い趣向。そこで、以前からやりたいと思っていた時系列表を簡単にではあるが自作してみた。まだ見てないエピソードもあるので抜けはあるだろうけど、改めて見ると伊良部の激務っぷりが確認出来る。参考までに今週までを載せておこう。横の行が名前の人物に関わるイベントで、セルの色は何話で描かれたかを表している。 
<第7話時点での時系列表>

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 重層的な時間軸がじわじわとその存在感を増してきている第6話。なるほど、色んな所に前のエピソードの登場人物が見え隠れするし、町中で騒いでいた岩田光央も今後の主人公キャラだ。うーむ、本気で時系列表作ってみようかなぁ。

 今回の主人公は入野自由演じる高校生、津田雄太。入野はリアルで若者なので、今回のキャスト陣では文句なしの最年少。「下手したらリアル高校生ぐらいだっけ」と思ったが、確認したら一応二十歳は過ぎてた。いつの間にか大人になってた。まぁ、デビュー(千と千尋)からもう8年も経ってるしね……

 そんな彼の病名は、ケータイ依存症というこれまでで一番具体的な病名。予告を見た時点では「おいおい、それって精神病なのか?」とか「ありそうもない病気だよな」とか思っていたのだが、これが見ているうちにものすごく身につまされる話になっていくのが実に痛い。このエピソードはぼっちには見せちゃいけない気がする。ほんと、精神的にきついって。

 雄太の場合はネット検索などにも携帯を駆使しているのでかろうじて「携帯がものすごく好きな青年」というぐらいのごまかしは効くが、そうした用途がなく純粋に連絡手段のためだけのツールとして携帯を認識すると、この脅迫観念は何らかの対人障害ということになる。雄太も決して人と会話できないとか、対人不全があるわけではないのだが、その距離感にどこかおかしなところがある。そしてそのおかしさは、携帯には関係ない、普通の対人関係のレベルで起こっていることだ。繋がろう、繋がりたいという意志は携帯という形に具現化し、その細い繋がりは、携帯を通さないリアルの方が真に迫って突き刺さる。クラスメイト達とのどこか希薄なやりとりと、不安なコミュニケーションは、まさに携帯メールを通じてやりとりされるようなどこかおぼつかなげな信頼感であろうし、そんな細い繋がりにすがりつくからこそ、雄太は更に孤立していく。あぁ、駄目だ、書いているだけで怖い。ほんと、携帯なんて持ってても百害あって一理もない気がする。

 それでも、一度持った携帯を手放すことはもう出来ない。持ち始めた時には「なんかどこにいても呼び出される気がして気にくわない」と思っていた小さな機械も、今ではすっかり「忘れてくると家で鳴ってるように思えて気が気でない」という悪魔の道具に。これは、確かに病名を取り上げて現代の新たな病巣として扱うだけの意味があるツールだろう。今回は伊良部の活躍を描くシーンが少なく、その生々しい携帯の「繋がり具合」が細かく描写されていたのが憎らしかった。

 雄太のシンボルは、そのひたむきなキータッチを象徴するキツツキ。注射による変化の後は、しばしば彼がくちばしで携帯をつつく描写が確認出来る。そして、ラストシーンでマユミによって「治療」が施された時には、窓に映ったキツツキが雄太の顔へと戻ってくる。一心にキーに向かって話しかけるしか無かった青年の、苦い成長の一歩である。でもまぁ、あのクリスマスのエピソードの後に学校にいくのはかなり勇気がいる気がするけど……あぁ、本当に気が滅入るようなエピソードでした。多分、健全な対人関係がある人はこんなの観ても平気なんだろうけどね……どうにも引きこもりで人付き合いが苦手だとね……

 さ、気分をリフレッシュさせて次のエピソードだ。今度の主人公は高橋広樹。なかなか絵になる役者ばかりで攻めてきますな。 

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 今更ながら「うわ、平田さん顔濃いぃけどイケメンじゃね?」と知った第5話。モノがモノだけに真っ先に中の人ネタが出てきてしまいます。すみません。

 今回は伊良部の元同級生が依頼人という、一風変わったシナリオ。この手のオムニバス作品で主人公の同僚や先輩なんかが絡んでくると妙な生活感やリアリティが出てちょっとドキドキする。古畑任三郎の菅原文太の回とか、好きだったなぁ。

 毎回奇妙な神経症を患ってやってくる依頼人達だが、今回は3話の星山に引き続いて、名目上は「強迫神経症」。そして、分かりやすく言い換えるならば「破壊衝動」とでもいうべきもので、今までの症状の中では最も共感できる内容になっている。今回作中で池山が挑んだ「治療」の数々(エレベーターの中で粗相したり、電車の中で懸垂したり、駅の非常ベルを押してみたり)は、誰しも一度は「やりたい」と思ったことがあるのじゃなかろうか。そうした「今あるモノを壊してしまいたい」というどうしようもない欲求が、今回のメインテーマ。

 シナリオ構成は非常にシンプルで、その原因はマスオさん状態になった相手先の家に息が詰まること。そして、必死で自己を押し殺すことの反動が、全て「義父のアレ」に集約される。おかげで伊良部の治療も単純明快だ。実は私の回りにも1人「アレ」疑惑が色濃い人がいたりするのだが、その人がしゃべっているとどうしてもみんなして視線が1点に寄ってしまうし、何かあると「押さえ方が変」だの「ちょっとずれてる」だのと盛り上がってしまう。つけまつげやつけ爪だったら誰も文句を言わないのに、何で「アレ」だけ妙な背徳感があるのだろう。不思議なものだ。

 今回は症状にも何となく共感が持てるし、構成上「原因」→「治療」という流れが非常に分かりやすかったので、余計なことを考えずに存分に演出を楽しむことが出来た。非常ベルシーンの訳の分からないイメージ映像も味があるし、本筋の持っていきかたもシンプルなだけに爽快で、クライマックスの「はずす」シーンの異様な緊張感、背徳感と、それに伴う何とも言えない高揚感はすごい。あれだけ画面がぐちゃぐちゃなのに、なぜかそこのところだけは嫌というほど伝わってくる。カタルシスが大きいだけに、池山が最後に自宅でくつろいでいるシーンは、これまでのどの患者のエピローグよりも幸せそうで良かった。平田さんも、きっと顔に似合わずお茶目な人なんだろうなぁ(よく知らないけどさ)。

 今回も相変わらずの演出であるが、序盤は野村家の華々しい日常の演出と、次第にひび割れていく池山の限界っぷりが印象的。特に冒頭の同窓会のシーンは、巨大な薔薇が大写しになったり、奇妙に歪んだフレームが画面に張り巡らされたりと、どこかシュルレアリスムを思い起こさせる「高貴さ」の演出が味わい深い(巨大な薔薇はマグリットの「闘牛士たちの墓」のオマージュじゃないかとも思ったのだが、考えすぎか)。

 そしてビタミン注射での変身は、今回はカメレオン。学生時代には悪戯好きで、野球が大好きだった池山が自己を殺して回りに同調しようと色を変えていることのメタファー。ストーリーの進行に応じて少しずつ色を取り戻していくのが非常に分かりやすい描き出し。最初の「変身」に時間がかかったのは、同業者の注射に一縷の抵抗があったからだろうか。

 そうそう、今回も見えにくいけどちゃんとゴミ箱の注射器が増えている。一応話数順に処方してるってことになるのかな? 話数と言えば、今回は随分4話とのリンクが強調されており、坂東がイップスで苦しむ姿が端々から伝わってくるし、なぜか画面の切り替えで見事な空振りまで披露してくれている。こりゃぁ、1話から見直して他のリンクも探さなきゃならんかな。誰か、本当に時系列の表を作ってくれ。

 次回の主人公は入野自由。ようやく若手の登場ですね。ケータイ中毒って……それも精神病なのか? 

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 主人公坂東が何を頑張っても、すべて浪川にしか見えない第5話。多分個人的に顔を一番良く見ているせいだと思うのだが……おもしれぇんだもん。実年齢でいえば、野球選手としてはまだまだ現役の歳なんですけどね! なんか「Number」に掲載されててもそんなに違和感もないな。

 今回の症状は、野球のイップス。作中で伊良部が説明している通り、イップスといっても様々な症状があるようだが、坂東の場合には「ファーストへの送球のための投球がうまくいかない」という非常に局所的なもの。今回ストーリーは非常にシンプルで「後輩に脅かされる恐怖、嫉妬心」などが原因になっていたわけだが、これがどう発露すると「1塁に送球しようとしたときだけ失敗する」という症状になったのかはよく分からない。まぁ、必死でいいとこ見せようとするとかえって変な力が入って失敗するってのはありがちな心理状態だけどねぇ。ゴールデングラブ賞3回の身にこの症状はきつい(ところで打撃成績はどれくらいなんだろうな)。

 症状、原因、治療法と、今回はどれも特に面白い捻りがなかったのは残念だが、この作品としてはあり得ないほどの大群衆がひしめく神宮球場の様子はなかなかの圧巻。スタンドを埋め尽くすぺらぺら人間や、どこか真に迫った実況と解説。実写取り込みによる(おそらく)現実の神宮とアニメによるフィクションがない交ぜになり、いつものように非常に不安定な画面を形成してくれる。イップスが発生したことを示すスコアボードの全景(とボール)、坂東の焦りと拘りを示すかのように大写しになるサードベース、乱闘シーンを表すためにコマ送りで突然プレイヤーが消え去るベンチなど、どれもこれも現実の映像ながら、そこに表される「事実」は全てフィクション。相変わらず、このもやもやした感じがたまらない(なんでヤクルトが実名で所属球団になってるんだろうと思ったら、ヤクルトってフジテレビの協賛なのね)。

 また、今回も伊良部の野放図な活躍は健在で、野球なんてやったことがないようなボロボロのフォームにも関わらず、逆シングルや難しいショートバウンドに限ってはプロ顔負けのモーションで動いてみせる。あげく「野球は飽きた」と言い出して今度は舞台脚本に手を出し始める。タイトルを見ると、握っているのは前回登場した星山の作であることが分かる。

 今回ようやく気付いたのだが、シリーズ中で診察を受けにくる患者たちって、全員同じような日にちに来院してるんだね。カレンダーをめくる演出を見て何となく時間軸が進んでいるんだとばっかり思ってたんだけど、全部12月中の話で、同時並行だったのか。誰かにまとめた一覧表とか作って欲しいもんだけど、話の流れから、あの台本を握っていたのは星山の治療が終了した後なんだろうな。なかなか面白い試みだ。

 また、これも今更気付いたのだが、冒頭でマユミが施す特大注射、あれの使用済み注射器って、シリーズが進むごとにゴミ箱の中に溜まっていってるのね。そういう所はこだわって描写してんだなぁ。

 次回の主役は平田広明。ここ最近ではすっかり「お化けギャルソン」のイメージなんだけど、相変わらず腐女子人気が高そうなところが来るよなぁ。 

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