最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
神性の描き方、第15話。宗谷無双回であるが、むしろ神っていうよりも妖精さんみたいに見えてくる……。ところで、今回石田彰しゃべった? 「そういうもんだ」だけか。 ある意味最後の目標みたいなもの、宗谷VS零の宿願の対決。普通、なんらかの「試合」が作中で描かれるのだから「勝敗やいかに?」っていう部分が気になるはずなのだが、今回の試合は誰一人として零が勝つとは思っていない。それは周りで見ている観客もそうだし、我々視聴者だってそうだ。そしておそらく、零本人も勝てる見込みがあるとは思っていないだろう。ただ、なんとか「勝てる気持ちで」挑まないとなんの意味もないと自らを奮い立たせ、記念対局から1つでも成長の糧を見出そうと前のめりになっていた。結果的には事前に予想したように「あっという間に倒されて」しまったわけだが、盤上での対話は何よりも雄弁に名人の意思を語る。勝ち目こそなかったが零だって宗谷と同じ中学生プロであったのだ。彼の盤上の意思を汲み取り、感想戦では何よりも雄弁に対話することができた。 こうしてみると、対局の様子はほとんど熱を持たずに描かれていたのがかえって印象的。かつての島田さんとの対局では血が流れそうな痛々しさを伴ったものだったのに、今回は本当に初対面の2人が互いにポツリポツリと自己紹介していくような、そんな対局シーン。これであっさりと幕を引き、零の記念すべき一戦は終わるのかと思われたが……ここからが真骨頂である。対局にも表れていた「静けさ」は、宗谷という圧倒的な世界が漏れるほんの一端。前回の試合前インタビューの時点ですでにそのむちゃくちゃぶりは表れていたが、新幹線でたまたま再開した2人の交流が、さらに宗谷の超常性を掘り下げることになる。本当に一言たりとも話さない宗谷。将棋以外のことではただのポンコツなのかと思われたが、無言で指し続けるその手筋はどうやら日常世界でも確かなものらしく、気づけば盤外でも零との「対話」が成立している。ホテルの位置を指し示す時の所作が駒を打つ時と同じなのは笑ってしまったが、その後もただひたすら「自分の世界の正しさ」を貫き続ける宗谷は、異次元世界の住人、まさしく「神の座」にあるものの存在感である。台風による混乱で騒然とする世界から隔絶され、すべての音を消し去るその様子は、なんだか一人だけぼんやりと浮き上がるようにも見え、それにつられて零までもが彼岸へと連れ去らそうだ。おそらく、この人に将棋で勝つことなど、人間には不可能なのではなかろうか。 今更気がついたのだけど、今回も含めて第2シリーズになってからはコンテワークに佐伯昭志氏が多く参加しているのね。シャフト流にうまく溶け込みながら、ストップモーションよりも流れで見せる絵作りが印象的だ。こうして色々なクリエイターがそれぞれのスタイルで羽海野デザインを描いてくれているのはそれだけで楽しいなぁ。 PR 年明け一発目からえぐってくる話だよ……第12話。世界は容赦なく、その表れは嫌になるほど鮮烈だ。 昨年放送分まででとりあえず零の戦い(と部活)は一区切り。いよいよひなちゃんの戦いが正念場を迎える。筋立てだけを書くと非常に簡単だが、その奥に潜む人の心は一筋縄ではいかぬ。ひなちゃんの元々の担任は、あまりに無責任な人だと思われていたが、これまでの長い教員生活の中で、いじめだの何だのという底の見えぬ問題にぶつかりすぎて、疲れ果てていただけだった。確かに、我々の目線から見ると「ちゃんと仕事して生徒たちの健全な学校生活のために尽力しろよ」と思うわけだが、先生の側から見ればそれは終わりのないループの中。1つの学年でいじめ問題にぶつかり、解決するにせよ、せぬにせよ、過ぎ去って終わって、しかし次の生徒はすぐにやってくる。人間の本質など変わるわけもなく、どこの学年だろうが似たような問題は起こるもの。その度に神経をすり減らしていたら、身がもたないのもしょうがない。ひたすら見て見ぬ振りを決め込み、目の前を通り過ぎるのをただ待つだけ。職務怠慢と謗られようと、それしか生きる術がなかったのだ。 闇に葬られるいじめの問題ならば、目をつぶっていればいつかは終わる。しかし、幸か不幸か、今年はそれでは終われなかったというだけなのだ。「いじめられた方が声をあげることも稀」と言われていたわけだが、そんな中でひなちゃんは立ち上がった。立ち上がってしまった。ここまで明らかに示されて、担任が目をつぶってはいられない。見たくない、見なきゃいけない。そんなどうしようもない堂々巡りの中で、担任はついに壊れてしまった。一つ、壁が動いた。 そうして次に現れた先生が「話のわかる」人だったのは、サブタイトルを拝借すれば「光」である。あれよあれよと問題は掘り下げられ、件の三者面談へと至る。そこへ向かうあかりさんの決心は悲壮なまでのものだったが、それで人間にはできることとできないことがあるものだということを、まざまざと見せつけられる。川本家というのは、悲しいまでに「善」の家庭なのだ。世の中の悪い部分、汚い部分に触れずに過ごせるということは、どれだけ幸せなことだっただろう。しかし、そうして「善」を貫いてきた人間というのは、「理不尽」を振りかざす相手にかくも弱い。ひなちゃんを信じなかったことなど一度もない。自分が間違っているなんて思うはずもない。それなのに、あかりさんは何もいえなくなってしまう。これはただ、そういう「理不尽」に慣れていないのだ。触れなくていいものに、触れてこなかっただけなのだ。世の中には、そんな善なる人たちの「善意」をいいことに、好き勝手に振る舞う人種というのはいるものだ。いじめの首謀者高木さんの家庭も、そうした「理不尽」を上手く使いこなせる素養があった。無茶な要求、居丈高な物言い。どのように振る舞えば「弱者」が折れるかなんてよく知っている。声が大きいものが勝つことをよく知っている。そんな中で戦おうとして、動けなかったあかりさんを、誰が責められようか。 それでも、そんな姉の姿にひなちゃんはさらに決意を固めることができた。自分がこれまでの人生を生きてきた「善」は間違っていないと、心から信じることができた。拠り所を得れば、人は強くなれる。今まで培った「善」に怒りを加え、ひなちゃんはもう、迷うことはないだろう。戦うこともできるだろう。それだけで、この度の挑戦には意味があったのだ。 こうして形作られた「戦い」の構図。それを引き立てるのはシャフトが描く鬼気迫る心象風景。そして、キャスト陣のどこまでも埋没するかのような圧倒的な作り込み。もう、本当に新年一発目で強烈に厄除けされたような気分で途方にくれてしまう。「善」を体現するあかりさん、茅野愛衣。そして「善の戦い」を体現するひなちゃん、花澤香菜。この2人は言わずもがなだ。そして、何と言っても「善悪」をあぶり出すことになったのは、その狭間で討ち果てたひなちゃんの担任の姿である。全ての憎しみを、慚愧を叫び壊れた担任を演じきった大原さやか。彼女の中で、一体どんな感情が渦巻いただろうか。そして、そんな渦中の「悪」を築き上げるのは悠木碧、新井里美。ここにこのキャスト陣が集まったことも、何か因縁じみたものを感じさせるのである。 さぁ、次回はいよいよ戦いも終盤か。あらゆる感情を見逃さず、聞き漏らさずにいきたい。 わんわん泣くよ、第9話。駄目だ、アツいです。1話で2回ももらい泣きたぁね。 2局の戦いが進行中。川本家を舞台にしたひなちゃんの戦い。そして彼女を守る騎士となり、盟友二階堂の仇を討たんとする零の戦い。そして今回ようやくその片方に決着がついた。ついに零は、自らの手で勝利をもぎ取った。 相手方にも事情はあるだろうし、それぞれが持てる力を全力でぶつけてきた新人戦。対戦相手の山崎は、あの二階堂を破った歴戦の猛者。零はそんな相手に義憤にも似た感情を抱きながら戦いを挑む。あの日命を燃やして戦った二階堂は、最終的には彼の千日手に巻き込まれ、残酷な時間の流れの中で敗れた。それは純然たる戦いの結果であるから、文句を挟むものではないかもしれないし、何を言ったところで覆るものではない。しかし「もしも」が許されるのであれば、もっと二階堂に負担をかけない、まっすぐな勝負の方法があったのではないかと、零は考えてしまうのである。あの日の千日手は本当に「全力の戦い」だったのか。そんなことを考えて高ぶる零。そして、相変わらず守りを固める相手に対し、魂の一手で勝負をかける。 しかし、そこで脳裏をよぎったのは、いつの日か二階堂に言われた一言だった。じりじりした展開でしびれを切らして突破を狙う零の悪癖を、二階堂は見抜いている。そしてそれを何よりも怒り、たしなめてくれていた。そんな二階堂の言葉が、最も大切なこの場面でフラッシュバックしたのだ。本当に勝負のために打っている手なのか? 怒りを理由に考えることをサボってはいないか? 大事なものを背負ったこの試合で、零はようやく友の本質を知る。自分に何が足りず、何を与えてもらっていたのかに気づく。そして、零は改めて一歩目を踏み出すのである。この雪辱戦は、二階堂にどれだけの感謝をしてもしたりない、そんな意義深い一局となった。 そして、自分の戦いに勝った零は、そこでもう1人の戦いを思い出す。大阪-京都間は新幹線なら本当に一駅。新幹線じゃなくても割とあっという間。ただまぁ、幾ら何でもざっくりした日程表の記憶だけから再会は難しいとは思うのだけども。特に新京極・四条通りなんて普通は人でごった返しているし、年中無休で修学旅行生がうろうろしてる場所だからね。この「京都の修学旅行で誰かを探したい」っていうシチュエーションをごく最近見た気がしたけど、多分「月がきれい」だな。 しかし、何と修学旅行生の笑顔を見つけたことで、零の頭の中でこれまた別な記憶がフラッシュバック。「ぼっちはこんなところにはいない」と、自らの経験から今度は鴨川へ走る。「自分がそうだったから」っていうのも何だか寂しい判断だが、一応「ひなちゃんは泣きたい時に川に行く」っていうのが手がかりとして機能していたか。まぁ、近所の慣れ親しんだ川と、カップルが等間隔で並ぶ鴨川では随分意味合いが違うのだけども……ひなちゃんがいたのはあまりカップルが並ばない鴨川東岸である(こちらは川原道が狭く、ゆっくり座りにくい)。駆けつけた零を見つけるひなちゃんの表情。そこには絶対いるはずのない「騎士」がいたのだから、そりゃぁ驚くに決まっている。そして、彼女はすでに前日の夜に京都で一泊しており、もう充分に修学旅行での辛さを経験していたはずなのだ。満身創痍で目の光を失ったひなちゃんに、駆けつけたナイトはどれほど頼り甲斐があるように見えただろうか。まさに王子様のような、圧倒的な信頼感である。気丈なひなちゃんでも思わず抱きついて号泣してしまうのもしょうがない。それは子供の特権、そして女の子の特権なのだから。 二階堂の無念を晴らし、今度はひなちゃんの心の支えになれた。桐山零は、確実に人との繋がりで成長している。ひなちゃんは、そんな彼の支えをもらって、奮い立つことができるだろうか。 それぞれの戦い、第6話。川本家を代表とするほんわかした絵柄と、いじめ問題を正面から扱うハードな絵柄がめまぐるしく絡むために、毎回ほんとに刺激の多い作品です。 いよいよ本格的にひなちゃんのいじめ問題との戦いが幕を開けた。部外者でしかない零にはできることは限られているが、とりあえずのとっかかりから探して1つずつ打開していく。特効薬が無いということは先生からも言われていたことなので、地道な対策を続けていくしかない。今回零が行ったことは大きく2つ。そのうち1つが一番大きな「ひなちゃんの話を聞く」というフェイズである。これも先生が言っていたことだが、いじめ問題の難しいところは、被害者本人がなかなか対策に乗り出せないというところにある。ひどい時には自分が何か悪いことをしているのではないか、という自己否定に陥ってしまい、そのまま悪循環を続けることもあるだろうし、そうでなくても意に沿わぬ騒動を周りが勝手に起こしてしまうのも良くない。何をするにも、まずはひなちゃん本人が事態をどのように感じて、どうしたいのかをはっきりさせなければならない。もちろん、そこで詰問するような調子になってしまっては元も子もないし、前回あかりさんの抱えていた通りの「被害者を責めるようなことをすべきではない」という悩みとのバランスが難しい。零は、そこを解決するためにまずは将棋の指導という自分のフィールドから文字どおりにひなちゃんの部屋への一歩を踏み出し、そこから対話のきっかけを作った。 零が打ち出した2つ目の対策は、唯一ひなちゃんの学校との接点が得られる高橋くんとの接触であった。以前、零は野球少年高橋くんから敬意を示されており、彼が協力的なのは明らかであったし、好青年だったので問題を素直に話せばきっと力になってくれるという確信もあったのだろう。実際、高橋くんはケロリとした顔でひなちゃんの教室に立ち入り、彼女の停滞した空気を解きほぐす手伝いをしてくれた。まぁ、やってることは脳筋じみたキャッチボールだけなのだが……でも、多分彼は賢い子だね。自分のフィールドにひなちゃんを巻き込むことで、新しい体験を提供して考えることを増やす。これでひなちゃんが余計なことを考えないようにする、つまりリフレッシュの効果を与える。力加減ができないのは野球少年だからしょうがない(?)。そして、彼がひなちゃんと話している会話の内容も、彼の人となりを垣間見せる「良い」部分だと思う。「いじめられているのか?」と問いかけるでもなく、自然に「零に力を貸せと言われた」「自分が味方である」「気にせず日常を過ごせるようにしよう」と、最低限の提案だけでひなちゃんの支えになってあげられているのだ。この気遣いは、単なる脳筋にはできない配慮だろう。 こうして、学外では事情を調査しながら解決策を模索する零、学内ではそばに寄り添って心の支えとなる高橋の二段構えで当面の防備を図ったわけだが、残念ながらいじめ問題はそう簡単に対処できるものではない。高橋の出現により、「なんとなく」だったいじめに「やっかみ」という明らかな敵意がプラスされ、少しずつ動きが大きく、あからさまになっていく。零もそこまでは頭が回らなかったようで、思いの外闇の深いいじめ問題に胸を痛めることになる。 しかし、戦っているのはもちろん零だけではない。何よりも、誰よりも、一番気丈に戦っているのはひなちゃん本人なのだ。いじめ問題の渦中にあって、彼女はただ打ちのめされているのではない。まっすぐな正義を掲げる彼女の根幹には、加害者側への明確な感情、「腹わたが煮えくりかえるほどの怒り」があった。「怒り」という感情は、なかなかプラスに捉えられることがないものであり、「とにかく腹が立っている、ムカついている」というとなんだかいじめっ子側の理不尽に感情でぶつかっているかのようで、零のような理路整然とした打開策に比べるとあまり表立って振りかざせないもののように思えてしまうこともある。しかし、「怒っている」という純然たる感情の発露こそが、ひなちゃんを支えているのは厳然たる事実。そこを隠すことなく、敵意を、害意をもむき出しにするひなちゃんは、真っ直ぐでこそあれ、決してそこに醜さを感じさせるものではない。怒っているからこそ戦える。怒っているからこそ立ち向かえる。 そしてその日は訪れる。以前事なかれでひなちゃんの訴えを蹴ってしまった使えない担任教師。彼女の目の前に明らかな「いじめの証拠」をさらけ出したのは、いわばいじめっ子サイドの綻びである。これを好機とばかりに、まっすぐに、ただ正直に自らの正義を振りかざすひなちゃん。「まともじゃないことをしてくるやつらには、まともに立ち向かわなくてもいい」と零は言った。しかし、それでは終わらないのだ。いじめの問題も、ひなちゃん自身の怒りも。 反撃の狼煙となるや否や。 何故にぶくぶ、第5話。二階堂とモモちゃんっていうキャラチョイスは流石だと思います。 前回に引き続き、やはり心に染みる良いお話が続いている。幸い、全てが打ち明けられて解法へと向かっていくお話になるので前回ほどシリアス一辺倒にならずに済んだが、それでもまだ、問題解決は始まったばかり。関係者それぞれが、しっかりとした強さを持ってことに当たっていることがわかるお話になっている。 まずは何と言っても零の強さ。自称「ぼっちのプロ」である零も、他人がいじめられているのを解決したことは無い。むしろ自分がいじめに近い(?)状態をニュートラルにしていることもあり、繊細な人間関係の機微や問題点は理解しにくい性格かもしれない。そんな自己分析があってか無くてか、真っ先にリサーチに向かったのは教育の専門家である林田先生のところだった。幸い、先生は零の相談には親身になってくれる人であるし、適当なお為ごかしで問題をなげようとせず、きちんと「分からないところは分からない」と言ってくれる人だった。いじめ問題なんて一括りにしたところで、それぞれに別な問題、別な解決を抱えているのが人間関係の難しさ。先生はそれをちゃんと零に説明し、その上で、現時点で出来るベストのアドバイスをしてくれたのだろう。まぁ、若干の私情と面白半分は入っちゃってるけども……そこは零の素っ頓狂な対応があるのだから致し方ないな。それにしても、「そのひなちゃんって可愛い子なのかい?」「具体的にどこが可愛いんだい?」とか聞いている様は、一歩間違えば単なるロリコンである。零が各方向に鈍感で良かったな。 こうしてアドバイスを得て行動を開始する零だったが、「恩人」への恩返しとして自分ができることを熟考した末に、「とにかくどんな事態になってもサポートできるように金を稼いでおかねば」とかいう斜め方向に努力を始めるあたりは流石である。まぁ、決して間違いというわけではないのでやらないよりは用意しておいたほうがいいのは確かなのだろうが、いきなり「いじめ→経済状態」というジャンプをしてしまうあたり、天才棋士の天才らしい悩みである。でもまぁ、零が将棋へのモチベーションをここまであげたことは過去にもなかったし、動機が「自分が生き抜くこと」以外に「他人のため」になったのも初めてのことだろう。人間らしい目の色になった零を、周りの仲間たちも応援してくれているみたいです。その情熱の数パーセントでいいから心友に向けられたらよかったんだけどな……。二階堂は現時点で幸せそうだからいいか。いっそのこと、彼だって川本家とか交流があるのだし、零は二階堂にも相談すれば力を貸してくれそうだけども……まぁ、デリケートな問題なので、あんまりいろんな人に話してしまうのも問題ですかね。 零をここまで駆り立てているのは、全ての「恩」を与えてくれたひなちゃん自身の強さである。最終的に事態は彼女の手に余るものになってしまったが、それでもここまで一人で戦い抜いたひなちゃん。友達を思い、自分が壊れてしまう直前まで戦い抜いたひなちゃん。周りの人たちが全力で彼女のために動けるのは、ひとえに彼女自身の強さが作り出した「絶対正義」の図式があるおかげである。その信念は知らないうちに一人の少年の過去を救い、確実に1人のクラスメイトを救っていた。ここまで頑張ったのなら、そろそろ彼女が救われる側に回ってもいいはずだ。 そして、そんなひなちゃんをこれまで支え続けてきたあかりさんの強さ。零を「ふくふく」にするために色々と暗躍しているブリーダーという側面もありつつ、やっぱりあかりさんはみんなのお母さん。これまで一番近くでひなちゃんの成長を見守り、女手一つで姉妹を支え続けてきたその強さは間違いなく本物であろう。しかし、そんなあかりさんが今回はちょっとだけ揺れていた。ひなちゃんがいじめられるという残酷な現実にぶつかり、その不条理を、危うくひなちゃん本人にぶつけてしまうところだったという告白。じいちゃんのおかげで全ては未遂に終わったが、あかりさんの中で、そのことはいくらか傷を残している。孤軍奮闘し続けたひなちゃんの姿を見て、どうしようもない不条理さと、一抹の寂しさを抱えている。もちろん、あかりさんが許せないのはそんな気持ちを抱えてしまった自分自身なのだろう。じいちゃんにも諭されたその傷が、零を前にしてもうっかり漏れ出してしまった。零からすれば、おそらく初めてあかりさんから漏れた「弱さ」の告白だったはず。その姿を見るにつけ、やはり今回の問題はどうしようもなく理不尽で、許せないものなのだ。 そんなあかりさんの陰りを見て、再び現れる零の強さ。おそらく零そこまで深く考えたわけではないのだろうが、あかりさんの苦しむ姿を見て、自然に出てきた言葉が「家族ならば当然なのだ」という言葉。すでにあかりさんからすれば零だって家族の一員のようなものだろう。その零から、形はどうあれ救いの言葉をかけられたことで、みんなのお母さんは多少なりとも救われたはずだ。色々と不器用なところはありながらも、零はきちんと川本家に「恩返し」出来ているのだろう。 次回あたりからそろそろ具体的に動き始めますかね? さて、零ちゃんは一体どうやってこの問題を打開していくのだろうか。 ただただ涙、第4話。理不尽はどこからでもやってくる。しかし、そんなときにどう立ち向かうか。周りにどんな人がいてくれるか。人生って、そこが大事なんだろうな。 いじめの問題である。これまで本作で「いじめ」という文脈が出てきたなら、それは零の問題だった。幼い頃はその波乱に満ちた人生のせいで周りの人間と折り合いをつけるのが難しかった零。彼はあらゆる場所で、あらゆる意味で孤立し、そんな自分をただ黙って受け入れてきた。その結果出来上がったのが現在の零の人格なわけだが、彼は基本的に救われる手段がなかったために、自分を守る形で途方も無い強さを手に入れ、現在に至っている。 しかし、それが本当に普通の女子中学生であるひなたちゃんだったらどうなってしまうか。それはもう、今回零が見た通りである。いじめという問題は、もちろん無くなる方がいいに決まっているが、個人的には一種の病気みたいなもんだと思っている。対処療法はあるかもしれないし、事前の予防策もきっとあるのだろうが、それでも起こるときにはどうしようもなく、そこには理由も何も無い。ただの現象としてそこにあるようなもの。全てのコミュニティで起こり得るかどうかは知らないが、少なくとも現代日本の「学校」という空間において、その発生を完全に消し去ることはできないのではなかろうか。そんな理不尽に巻き込まれたとき、その渦中にいる人間は一体何を考えるべきなのか。 ひなたちゃんの事件の顛末は、彼女の正義感ゆえの悲劇であるせいでより辛辣な物語になっている。これまた定番の流れではあるのだが、「いじめの伝染」は立ち位置が目に見える形で落ちていくので精神的なダメージが大きい。最初にいじめられていた友達は転校してしまっているため、もはやひなちゃんと慰め合うこともできないし、すがる場所もなくなっている。そして、ひなたははっきりと行動をおこし、その心の強さを示した上で、呼応するようにいじめはその度合いを増し、彼女に直接的な形で降りかかるようになってしまったという。彼女は強い部分もあるがまだまだ幼い。そうまでして自分に降りかかる問題に真正面から立ち向かえるほどの強さは無い。こうして被害者側が沈み込んでいくことで、いじめは泥沼化してしまうわけだ。 幸か不幸か、今回のことはいじめの比較的初期の段階で発覚した。ひなたに矛先が向き始めてからそこまで時間は経っていないので、まだリカバリーは困難ではないだろう。もちろんひなた1人では難しい問題かもしれないが、ここで彼女に「恩」を与えられた男の子が一人。しかも彼自身もいじめについては多大な共感を有するときている。高校生が中学生のいじめ問題にどれほど関われるかは定かでないが、少なくとも「頼れる男の子」として、なんらかの支えにはなれるのではなかろうか。これまで散々世話になりっぱなしだった川本家に恩を返す最大のチャンス。零ちゃん、ここは男を見せて欲しい。 それにしても……本当に今回は素晴らしい映像だった。重たい問題だし、これまでになかった内容を取り扱うために制作スタッフも相当力を入れてきたのだろう。シャフトらしさを活かしながらも実に入念なコンテワーク、そして見事な作画で細やかな心情描写が綴られていく。個人的に打ちのめされたシーンをいくつかあげてみると、例えば序盤に零たちが街中を駆け抜けるシーンの背景の演出なんかは羽海野デザインの柔らかさと淡さをそのまま活かし、色彩だけを動かして走っているシーンの躍動感を出すという面白い技法が取られている。こういう大胆な画が作れるのは、これまで散々抽象的な事物を画面に組み上げ続けてきたシャフトならではの演出ではなかろうか。同様に力の入った作り込みには、ひなちゃんが零の袖を握った時に零が激情を唸らせるシーンもあげられる。キャラクターのデザインまでそれまでとは全く違うテイストになっており、一歩間違えれば違和感が先に立つ結果になりかねないが、シナリオ運び(零の感情の高ぶり)と見事にマッチして迫力のあるカットになっている。 また、クライマックスとなる川本家の食卓シーンは本当に微に入り細を穿つ徹底したイラストレーションと最大限のモーションが組み合わさった今期一番の見どころである。じいちゃんの大演説も見事であったが、その後の「家族」を示すための一連のカットでは、例えば必死に立ち上がるモモのモーション、ちゃぶ台につく時のあかりさんの手足の運びなど、本当に生き生きとした描写のおかげで川本家の食卓が生気に満ちた様子がありありと伝わってくる。くしゃくしゃになったひなたやモモの泣き顔も、素朴な感情を伝える羽海野テイストが最大限に活かされた見事なものだった。本当に力の入った、恵まれた作品である。 こうして描かれた川本家の「家庭」のイデア。途方にくれた迷い犬の零を拾ってくれた時のように、今回ひなたを救ってくれるのは、やっぱり優しい家族のみんななのである。理解のあるじいちゃんはこの家の教育が、これまでの生活が全て「善なるもの」であり、ひなたちゃんが正しい行いをしたのだということを問答無用で伝えてくれるし、落ち込んだひなちゃんを優しく包み込むあかりさんの無条件の愛が本当に胸にしみる。今回はボロボロ泣かされてしまったわけだが、なぜか一番涙が止まらなかったのは玄関を開けて迎え入れてくれたあかりさんのシーンである。あのシーン、玄関のドアを開けたのはひなちゃんじゃないんだよね。もう、あかりさんがずっと家の中で待っていて、ひなちゃんが帰ってきた気配で待ちきれなくて中から迎え入れているのだ。全てを包み込む慈母のような人である。 あとはねぇ……モモのガチ泣きが本当の幼児の泣き声なんだよな……久野ちゃん……。今回は川本三姉妹の中の人3人が各自ベストの仕事を見せてくれていて、大沢事務所ファンとしてはたまらんものがあるのよね。ちなみに、いじめられて転校したのが西明日香だったり、いじめの主犯格が悠木碧だったり、更にそのいじめを見て見ぬ振りをした諸悪の根源とも言える担任の先生が……などなど、あまりにも中の人密度の濃い回でもあった。ご本人も怒りに打ち震えながらのアフレコだったとのことで、役者業ってのも時には因果なものだと思わずにはいられません。「ハチクロ」の梨花さんといい、羽海野作品ではやたらと心労の重なる配役が多いですな。羽海野かあさんに何かお詫びしてもらうといいと思う。 千葉繁に久野ちゃん預けたら本当に孫として持って帰りそう、第3話。実際に孫くらいいてもおかしくない歳なんだけど、実際にはどんなお爺ちゃんなんでしょうかね。 さて、3話目にしていよいよ今作らしい、重たい話にシフトしてきました。そして、あろうことかその重みが、この世界で唯一の救済の場所であるはずの川本家に降りかかるという容赦ない展開。できればあそこだけはオアシスのままであって欲しかったところだが……世界の理不尽は容赦なく、そして隔てなく訪れるものなのですね。羽海野作品はその辺りが厳しいよなぁ。 Aパート「六月」。こちらは「心友」二階堂の暑苦しい熱弁から始まるほっこりしたお話。隈倉さんの靴のサイズは置いとくとして、二階堂の弁当と人間の器はなかなかでっかい。貴重な機会に何としても零と相見えようと努力する彼の暑苦しいもっちり加減は、薄情な零にも届いているやらいないやら。しかし、少なくとも零のことを一番理解しているのが二階堂であることは間違いない事実。本人すら自覚していなかったあまりに「当然の」慢心を、彼は容赦なく指摘して見せたのだ。まぁ、周りの棋士の人たちもみんな察知している程度のものだったけども……零みたいなイレギュラーでいかにもな「出る杭」は満遍なく世界から疎まれているのかと心配したけど、少なくとも将棋会館では諸先輩がたからも可愛がられているみたいで何よりですね。それもこれも、周りで強引に振り回して零といろんな人の間を取り持ってくれる二階堂のおかげなのかもしれません。今回だって二階堂のおかげでお爺ちゃん棋士とお話しできたのだしね。 そして問題となるBパート「てんとう虫の木」。二階堂の指摘でおそらくちょっと反省して内省的になっていた部分もあるのだろう。本当に何気ないきっかけから、零はあまり良い思い出のなかった小学生時代をフラッシュバックすることになる。波乱万丈の零の人生、結局彼は今に至るまで、ほとんど友達というものを持ったことがないという。まぁ、零本人もいささか空気が読めないところはあるのだろうが、どうしても彼のイレギュラーな人生行路を見ると、閉鎖的な日本の社会ではつまはじきになりやすいのだろう。子供達というのはそうした部分に大人以上に敏感だったりもして、「イレギュラー」扱いの零は訳も分からずにいじめられ続けていたのである。いや、でも流石に小石を詰めまくった空き缶爆弾は命に関わる攻撃なので洒落になっていないと思うのだが……その辺の歯止めが効かないのも子供の残酷さ故か。 何故このタイミングでそんな嫌な記憶を思い出したのか。もしかしたら二階堂からの刺激に、自分の「将棋人生」を回顧するトリガーもあったのかもしれない。最近はあまり積極的な対局シーンがなかったので忘れがちになっていたが、桐山零という男は「鳴り物入りでプロになった天才棋士」なのであった。しかし、そんな彼の実力は天賦の才でもなんでもない。不幸な境遇から、ただひたすらに腕を磨くしか生きる術がなかった、悲壮な子供の涙の副産物である。以前「将棋が楽しいのか」と尋ねられて答えが出てこなかった零。その手の中にある自らの才の原点を振り返り、人生における「友達」のあり方や、他者との向き合い方をなんとなく考え直すきっかけになったのかもしれない。 零がそんな記憶を蘇らせたのも偶然なのか必然なのか、時を同じくして、川本家では不穏な空気が漂っていた。全てを受け入れ、浄化してくれるエデンのようなその場所でも、容赦なく訪れる理不尽の波。涙ながらに帰宅したひなたの姿を見て、零は過去の自分を思い出したことだろう。人間関係の破綻など、誰が正しい、誰が間違っているという話ではないのだ。零はイレギュラーだったことからつまじ弾きにされた。では、ひなたはどうなのか。目の前の難局を目の当たりにして、零にはようやく、川本家のために何かできることができたのかもしれない。それが良いことなのかは、わからないけれども。 香子さん、やばいです、第2話。クッソ、やっぱりどうあがいてもかわいい人やな……これで零に対してメンヘラ気味じゃなけりゃなんの問題もないのだが……。 1話目は割とほっこり寄りの話だったため、2話目となる今回はサブタイトルからして「混沌」という不穏なもの。死力を尽くして戦う宗谷名人の戦いぶりを中心にして、周りの人間関係が描かれる。プリプリしてる二階堂は相変わらず可愛らしいが、残念ながらこの世界で癒しを与えてくれるキャラなんて彼くらいのもの。宗谷の隆盛が際立てば際立つほどに、彼に「呑まれた」島田さんの苦闘も浮き彫りになってしまう。どんな世界にでも口さがない連中というのはいるもので、同門の零たちは島田さんの必死の戦いの全てを見てきたからこそ、遣る瀬無い思いもある。 「若造」どもがもう少しでキレてしまう、というタイミングで乱入したのは後藤。彼も島田さんの実力は認めており、彼を馬鹿にした人間を容赦なくねじ伏せるなど、どうやら単なる「嫌な奴」ではない、強者の強者たる所以が窺い知れる。自分と同じ気持ちを持っていたと思われる後藤の言動を見て零も揺れる。この世界では最も憎むべきと思っていた男が、性根に自分と同じものを持っていた。そんなことは当たり前ではあるのだが、いざ見せつけられるとなかなか感情的に処理しきれない部分もあるのだろう。将棋と同様に、この業界の人間関係についても、零はまだまだ手探り状態だ。 そして、そんな後藤の底知れぬ強さと人間性に、香子はしっかりと踏み込んでいるのである(土足で)。1期の時点では「馬鹿な女が完全に後藤のいいように遊ばれている」といった風情だったのだが、やはり男女の機微ってのはそう簡単に割り切れるようなもんじゃないよな。香子さんだって多分ただの「馬鹿な女」じゃないんだ。というか、世間的には理知的な女性に分類されるタイプの人間だろう。後藤という人間に惹かれているのも、彼の奥底にある強さが理由であって、男を見る目だって間違ってるというわけでじゃない(まぁ、妻帯者の時点でアウトなんだけど)。香子は香子なりに、筋の通った恋愛を貫いているのである。 そして、あれだけ「強い」人間だった後藤に付け入る隙を見出しているのが今回の香子の強さ。後藤の奥さんはどうやら長患いでふせっている様子。そんな男の一人世帯、寂しさもあるかも知れぬというその私生活に、ぬるっと紛れ込む泥棒猫のしたたかさ。いいよ香子さん、強いし、怖いし、かわいいよ。アニメ業界の名誉ビッチの称号をあげよう。後藤さんもこんだけ露骨な据え膳を用意されて、ふんじばって寝るのは幾ら何でも心が強すぎやしませんかね。まぁ、対局前のこの日だけはマジで眠かったから相手にしたくなかっただけかもしれないけども。普段はどうなんでしょうかね、病院での様子からすると、後藤は今でも奥さんを大切に思っているようだし、もしかしたら香子とは一線を超えてなかったりするのかな。その辺り、はっきりしてください、NHKさん。 もういくつ寝ると、第11話。きっちり時節に合わせたエピソードになっているのは、たまたまなのか、まさか放送時期まで計算尽くなのか。 前回のお話とのギャップが壮絶な1話。あれだけ心がクサクサしていたというのに、それを一発で吹き飛ばしてしまう川本家のパワーはやはり凄まじい。 零にとっては重たい対局が続いていたことも原因だったのだろうか、仕事を終えて気が緩んだところで体調はそれを察知したかのように悪くなる。一人暮らしの風邪っぴきというのはなんとも心細いもので、出来ることといえばただ寝るのみ。その間に栄養・水分の補給、あわよくば病院へ行っての治療・投薬ということになるのだが、一人でいては病院へたどり着くこともままならぬ。現代はコンビニがあるから食料などの調達は比較的容易だが、一昔前の人は、一人暮らしで患ったときはさぞかし不安だっただろう。現代の世捨て人みたいな生活をしている零もそこは同じ。自宅にはろくに食べ物もなく、朦朧とした意識の中、まるで死期を待つかのように世の全てに対して悲観的になるもの。それがハレの日である大晦日だったりしたら、なおさらである。 そして、そんな零の状況を察知したかのように飛んでくる川本シスターズ。元々犬猫を拾ってきて太らせるのが趣味というあかりさんのこと。弱っている零を放っておくはずもなく、そのまま驚くべき迅速さで彼の病魔撃退へと動く。世話焼きママン体質、ここに極まれり。残りの姉妹2人もこの長姉の指示をよく聞き、訓練された軍隊のごとく、零をおもてなしていくのである。くそう、なんと羨ましい。流石に下着を脱がせて云々までは進まなかったが、下手したらそのレベルまでいってエロ漫画展開になだれ込んでもおかしくないシチュエーションではないか。 もちろん、川本家はそんな下衆な世俗とは無縁の楽園。愛にまみれ猫にまみれ、零はながされるままに至福を味わう。そこに待ち構えていたのは懐かしき良き日本の年末年始の姿である。零の病気もあってか蕎麦をすするシーンこそ無かったが、何となく流れる紅白。この日ばかりは夜更かしを認められ、居間に転がりながらも結局寝こけてしまう子供たち。除夜の鐘が聞こえる中で、そんなかけがえの無い「家族の日常」が零に染みこんでいく。かくいう私にも、こうしたノスタルジックな風景はチクチクと刺さってくる。家族の正月……あの頃は良かった……嗚呼。ただ、こうした家族の肖像の中で、川本家は「両親」だけが欠けている。中でも父親の存在というのは不可思議なものであるらしく、零もそれを感じ取っているために多くを尋ねることはしない。いや、零は何一つ尋ねない。そのことが、家族に混ぜてもらえる恩義への礼節であると考えているのかもしれない。 年が明けてからの挨拶、おせち、年賀状。これらもまた、象徴的な家族の風景。まぁ、年賀状が少ない事なんて気にする意味はないのだよ。わしも来ないから気にするな、零。人間、年賀状を1枚も出さないように決めておくと、自然に届く枚数も減っていくものですよ。あんな面倒な習慣、消えてなくなればいいのに。でもまぁ、子供さんが年賀状の中身や枚数で一喜一憂する気持ちも良く分かる。お正月という特別な風景の中で、あの1枚1枚が自分の1年の蓄積のようにも感じられるしね。年賀状を出したりもらったり出来るあいだは、その関係性を大切にした方がいいのかもしれません。 こうして紡がれる日常の風景に、川本家の色々な面が新たに見えてくる。叔母の紹介で夜のお店に出ているあかりさんも、その扱いが「生活に窮したが故の苦しい仕事」というわけではなく、むしろ叔母の気遣いによる社会活動の一環であることが分かったり、川本家の謎な間取りによるドキドキシチュエーションが分かったり。いいぞ零、そこから今度はお風呂ハプニングイベントだ。このアニメじゃ絶対そういう展開は起こらないのが残念無念。あかりさんのお風呂タイムとか、想像するだにNHK向きじゃないからね! あかりさんに「えらいえらい」っていわれたいだけの人生だった……。 |
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