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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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<以下の文章は、放送当時に執筆されたものである>
 
 
○第20話「地獄博士 対 地獄少女」
 脚本・小中千昭  絵コンテ・名村英敏  演出・吉田俊司  作画監督・萩原弘光


 <あらすじ>
 ゆずきは嫌な夢を見た。ビルの屋上で藁人形の糸を解こうとする男。彼女は必死にその男を止めようと階段を駆け上がるが、いつものようにまた間に合わない。と、そんな彼女の横を一人の少女が追い越す。少女も、ゆずき同様に地獄流しを止めようとするも、やはり、糸は解かれてしまうのだ。その少女の面影は、どこかで見たことがある。
 
 保健室で目を覚ますゆずき。気付いた彼女と対面するのは、保険医の柴田つぐみだ。夢の中の少女と、目の前の保険医には何か繋がりがあるように見える。ゆずきはずっと気になっていた六文灯籠の夜のことをつぐみに尋ねる。「鳥居の先の光景が見えていたのか」と。しかし、答えは「覚えていない」の一言。そんなつぐみに気が付いたのは、ゆずきだけではなかった。輪入道は「俺の勘も鈍っちまった」と歯咬みしながら、あの柴田つぐみがすぐ近くにいたことに驚嘆する。しばらく干渉がなかったために、もう普通の生活に戻ったと思っていたのだが……
 
 彼らがつぐみの存在に気が付いたのは、地獄通信に彼女の名前が書き込まれたためだった。しかし、奇妙なことにその依頼主のことがなかなか掴めない。なんとか送信元が特定され、山童ときくりが依頼人の屋敷に向かうが、目的地であるいわくありげな洋館に突入しようとしたきくりは、鉄門にしたたかに頭を打ってひっくり返る。「おかしいな……現世の壁なんて僕たちには……」と、山童が困惑する。そしてその夜、あいとゆずき、そしてつぐみは、同時に地獄通信へのアクセスを感知する。書かれた名前は、やはり柴田つぐみ。つぐみは自宅で「私の名前が書かれるとは奇妙な運命だ」と諦観するが、そこに奇妙な訪問者が訪れる。「溝呂木の使い」を名乗る男、桔梗は、ドア越しに柴田一の著作である「真実の地獄少女」を差し出し、主人である溝呂木が、著者の娘であるつぐみに会いたがっている旨を告げる。地獄少女絡みの用件での来訪者を、つぐみは無視出来なかった。
 
 時を同じくして、必死に駆けつけたゆずきと、輪入道で乗り付けたあいが溝呂木邸の前で顔を合わせる。しかし、奇妙な力のせいで輪入道たちは門の前で立ち往生してしまい、いつものように地獄流しの無意味さを訴えるゆずきに噛み付かれる。そこにつぐみを乗せた桔梗の車も到着する。わざわざ自らを地獄流しを依頼した人物の下を訪れたつぐみを見て驚くゆずき。しかし、つぐみはまったく動じた様子もなく、桔梗につれられて門をくぐる。あいとゆずきも、ただ黙ってその後に続いた。邸内には巨大な電気仕掛けの装置が蠢いていた。桔梗がいうには、それは妖怪たちの力に抗うためのリザーバー。溝呂木が地獄少女と対等の条件で話をするために用意した舞台設定だという。しかし、あいは手を触れただけでその装置を破壊してみせる。
 
 奇妙な館の最奥で待ち受けていたのは、館の主である溝呂木省吾。溝呂木はつぐみを捕縛すると、その場の全員に向かって今回の目的を語り出す。つぐみに対する怨みなどまったくなく、むしろその父親である柴田一を敬愛しているという彼の話に、輪入道とゆずきは顔をしかめた。溝呂木は、過去に「溝呂木定数」と呼ばれる空間予測定数を導いた数学者だった。彼の数式によって、戦略兵器は圧倒的な機能の向上を見た。その効果に目をつけた企業に買い込まれ、溝呂木は兵器開発に時間を捧げる。そしてあるとき、自分の導き出した数式が、地獄の存在を暴き出したのだという。この世と二重写しになったもう1つの世界である、地獄。自分の数式に間違いがないならば、それは厳然として実在している。「絶対」の存在しないこの世において、地獄の持つ絶対性は、実に魅惑的なものだった。地獄という存在に見入られた溝呂木は、自分の人生が、地獄に捕らえられていることを再確認した。彼の父は、実の母親によって地獄流しにあっていた。そして、当然のように母親も流されたという。
 
 柴田一の著作によって「地獄流し」の全貌を知ったという溝呂木は、地獄流しは一カ所で集中的に起こるという分析を披露する。ひどい時には町1つがまるまる消滅してしまうほどに泥沼化する場合もあるらしい。今回この賽河原の地でも、同じような現象が起こっていることを知り、同時にあいが実体を得たこと、つぐみがこの町にいることも知った。そこでわざわざ賽河原に館をかまえ、催眠療法士に依頼し、柴田つぐみへの憎悪の情動を自らの心に植え付けた。溝呂木の望みは、地獄流しの絶対性を自らの手で体験すること。誤解や逆恨みなど、怨みの妥当性がどうであっても、地獄流しは遂行されるものである。そんな不条理の体現である地獄少女に会い、怨みの存在しない地獄流しを行うことによって、人間の感情、妄念が生み出した呪いではなく、完全なる「絶対」である地獄を定義する。溝呂木の望みを受け、あいは藁人形を手渡す。ゆずきや三藁が制止する中、溝呂木は糸に手をかける。
 
 「イッペン、シンデミル?」
 
 その一言が、溝呂木に施された催眠を解除する。溝呂木は地獄流しを終えたところで催眠が解除されるよう、そのタームを解除のトリガーに設定していた。しかし、その文言が聞けたにも関わらず、溝呂木の手には未だ藁人形が残っている。
 
 糸を解いたのは、溝呂木ではなく、その従者である桔梗だった。彼は、溝呂木の開発した兵器の犠牲となった数多の戦災孤児の意志を受け、彼を流すために糸を解いたのだ。最後に謝罪の言葉を残し、溝呂木は地獄へ流された。地獄へ向かう船上で、溝呂木は亡き母への憧憬に目を潤ませる。
 
 館からの帰路で、改めてゆずきがつぐみに問う。「先生も、地獄少女になる運命だったのではないのか」と。しかしつぐみは、「運命とは、本来抗えぬものなのではないか」と言いおいて姿を消す。
 
 地獄少女の運命とは何なのか。一人くずおれるゆずきに、応えるものはない。
 
 
 <解説>
 前話で展開された「地獄少女の運命」というキーワードをより掘り下げることが目的となっているエピソード。これまでは(明白ながらも)エンドロールでも「柴田先生」とだけ記載されていたつぐみが、正式に名前を明かし、閻魔あいとの関係性を表出させた重要な回といえる。
 
 ただ、それ以前に、やはりこのタイトルを見ると、どうしても「地獄少女対地獄少年(1期20話)」を思い出すのは致し方ない。1期でも20話、そして今期も20話に「対決」を前面に押し出したエピソードを被せるあたり、構成のこだわりが伺える。まぁ、本当にお馬鹿な対決を演じた「地獄少年」のジルと違って、今回の溝呂木博士にはあいを亡き者にしようという意志はなかったんだけどね。「地獄帰りの少年」ジル・ドゥ・ロンフェールと、数式で地獄を見つけ出した博士である溝呂木省吾、そのトンデモ度では大差無いかも。完全に余談であるが、「地獄少女対地獄少年」でジルを流した「エスパーワタナベ」のモデルは、現在監督を務めているわたなべひろしである(エスパーワタナベの本名も渡辺ひろし)。顔も似せてある。いや、本当にどうでもいいけど。
 
 さておき今回のエピソードであるが、正直トンデモが過ぎるので、なかなか真面目にコメントを書きにくい。あい達が珍しく人間に手こずらされており、四藁たちが依頼人に接触を持つことすら難しかったり、催眠術で生み出した偽の怨みに踊らされたりと、おそらく実質的に最もあい達を手玉に取った人間が今回の溝呂木だろう。おかげであい達が普段どのように地獄流しをやっているのかが何となく見えてくるのだが、おかげで不可解な点もちらほら見える。「藁の中(17話)」では「誰が藁人形をやるかが合議制である」ことが分かっているのだが、こうした話し合いの時間を確保するためには、依頼人が怨みを持って、アクセスして、名前を送信するまでにある程度の時間を要する。その間に「依頼人の身辺調査をする」のが三藁達の役目で、この素行調査がどのように行われたかは、「黒の轍(2期12話)」「藁の中」なんかで確認出来る。今回もアクセスを感知したからこそ、溝呂木のことを調査しようと思ったのだろう。
 
 しかし、この素行調査の時間が無いエピソードだってたくさんあった。怨みを持ってからアクセスまでほとんどタイムラグがない場合で、今期だけでも「はぐれ稲荷(9話)」や「怨みの街角(14話)」なんかでは、流したいと思い立ってすぐに藁人形を手にしている。こうした場合には身辺調査が出来ないわけで、各々のエピソードでは、三藁達が怨みの発生する以前の段階から張り付いてターゲットの観察をしている。一応「誘惑の罠(16話)」であいの予知能力は確認出来るので不整合ではないのだが、あいが全部分かってるんならわざわざ四藁たちを現地調査に送り出す必要がないことになってしまう。何のための下働きなんだろう。一応、今回明示された「怨みがないと地獄通信にはアクセス出来ない」っていう縛りのおかげである程度の取捨選択は出来てるみたいだけどね。一番重要な要素である「怨みの念」がサイトの自動プログラム処理っていうのはすごいよな。
 
 そして、今回頭を悩ませるのは、溝呂木省吾という男の地獄流しの動機である。まずもって溝呂木定数という彼の生み出した奇跡が理解出来ないので、なかなかモチベーションを追いにくいのだ。「空間予測定数」という言葉がまず嘘用語のようだし、さらに「無人戦術兵器の効率を格段に上げる数式」というのも謎。世の中に殺戮兵器の効率だけをアップさせる数式なんてあるわきゃない。あげくそれが世界の有り様、地獄の存在まで規定してしまう段になって、完全に数学を越える。まぁ、数学なんてまったく知識がないから、見てる側からしたら実際の数学もオカルトみたいなもんだけど。ひょっとしたら、製作者側の「もう数学なんてオカルトだよな」という自虐ネタなのだろうか。そういう心理があるなら、今回のように数学者をある種のオカルト信者に設定するのは奇妙な共感を覚える。桔梗が説明した「妖怪の力を抑えるリザーバー」も、具体的には「EMR発生装置」という名前らしいのだが、当然「EMR」も造語である。まぁ、このあたりの設定にいちゃもんをつけるのは本当に野暮ってもんだろうけど。
 
 で、そんな設定を無視して、溝呂木省吾の属性を「地獄の存在を認め、心酔する者」と設定したところで、やはり動機の理解にはもう1つハードルがある。「地獄があることを知り、是非地獄少女に会いたいと願う」までなら分かる。科学者にとって必要なのは理論と実践であるから、自分の仮説を証明するために実際に地獄少女に会いたい、ここまでは分かる。そのために館を構え、催眠術で怨みを植え付けてあいを呼び出すところまでは理解出来るのだが、さて、何故つぐみを流そうとしたのか。本人曰く、「地獄は人の執念や信仰から生まれたものではなく、絶対的に存在しているものである」こと、「地獄と言う不条理」を証明するための地獄流しだというのだが、果たして「つぐみを流すこと」がその証明になるのか。仮になるとしたら、それはわざわざ実践せずとも藁人形を受け取った時点で成立しているのではないか。何故溝呂木が「流すこと」に拘ったのか、そこのところがイマイチ分からないのである。もちろん、シナリオ構成の必要上、という意味でならば、今回の溝呂木の存在は必然だ。おそらくテーマとしては、1期2期と通して描かれて来た「地獄流しの理不尽さ」の現出であるからだ。
 
 地獄流しを見るスタンスには、現在2つの立場がある。1つはゆずきの視点で、「何があっても復讐のための地獄流しは間違っている」という立場。これは再三ゆずきがあいに訴えているものであり、他にもシリーズ中では柴田一や紅林拓真が立ち位置を同じにする。対して、同様に「地獄流しをしてはいけない」ということを理解しながらも、その上で「地獄流しは行われるしかない」という理念がある。それが、閻魔あいやつぐみのスタンスだ。あいがこの考えに至るまでには実に複雑なプロセスがあるわけだが、「二籠」では紅林拓真に対して「私が決めるんじゃない、あとはあなたが決めること」と判断を放棄し、常に自分の「責務」として地獄流しを行っていた。これが覆ったのは、二籠の最終回、あいが自分の判断で「船を戻した」時だけである。
 
 柴田つぐみも、どうやらこのスタンスであるらしい。1期ではあいと視界を共有している間「悪人は地獄流しされて当然である」というある意味「急進派」ともいえる立場だった彼女だが、最終話で父親と地獄流しの関係性に触れ、ギリギリのところで復讐の空しさを悟る。おかげで現在はあいの所業に口を出すことはせず、ただ傍観者として地獄流しを見るだけの存在となっている。今期「三鼎」では、ゆずきが持つ「ただひたすら地獄流しを否定する立場」と、あいやつぐみの持つ、「悪であることは百も承知だが、色々あるから結局流す立場」の対決が再び焦点となると思われる。そして、脚本としてはこの2つの思想がぶつかる必要があるわけだが、面倒なことにあいはあの通り口数が少ない。つぐみも既に第一線を退き、ゆずきに積極的に接する機会もない。そうすると、どうしてもゆずき派の意見ばかりが目立つことになってしまい、あいという存在の持つ複雑な側面が表に出にくいのだ。
 
 そんな表現しにくい事象を一気に表に引き上げてくれたのが、今回の溝呂木である。彼の地獄流しは「一切怨みが無い」という非常に特殊なもので、「理不尽な地獄流し」を体現したもの。そして彼自身も「地獄少女は不条理の象徴である」というように、閻魔あいという存在を非常に端的な言葉でまとめあげる「地獄流しの解説者」である。彼とのディスカッションを経て、あいや四藁たちが地獄流しについてどのように考えているかが非常に分かりやすく描かれたのだ。具体的には、輪入道は「理不尽だって感じながらも地獄流しを続けて来た」、一目蓮は「仕事なんだから仕方がない」とのコメントを残しており、骨女もラブリーヒルズでの一件を思い出して辛そうに目を伏せる。最も印象的なのは、ゆずきが「これまで何も考えずに地獄に流して来たのか」と問うた時に、あいが一言「考えなかったと思う?」と聞き返すシーンだ。あまりに重い一言に、ゆずきは言葉を失っている。あいがどこまで悩み抜いて地獄流しを行って来たのか、それは「二籠」を見てきた人間ならば知っていることである。
 
 ちょっと気になったのはこうした懊悩についての、つぐみの現在の心境である。溝呂木に流されそうになったつぐみが呟いたのは、「私にも流される理由がないわけではない。私も、はじめちゃんを……」という台詞。そしてその後「もう1人は嫌なのよ」とも言っている。普通に考えるならば、この「はじめちゃんを……」との台詞は1期の最終話で父親を流そうとしたことを指している。思いとどまったとはいえ、自分も一度は怨みに身を委ねて実の親を流そうとした人間。怨みの連鎖が必定ならば、自分も流される立場にあると。ただ、その後の「一人は嫌だ」という発言が分からない。一体、柴田一はどこで何をしているのだろうか。そして、つぐみは一体何を望むのか。輪入道の話によると、つぐみが賽河原を訪れたのはつい1年前のことらしい。つぐみ、ゆずき、あいという3者の結集は、果たしてどんな意味を持つのだろうか。
 
 さて、今回はメインのストーリーが色々とややこしいのだが、その他にも色々と面白い場面がある。まず一番インパクトが強いのは、何と言ってもあいのハンドパワーだろう。三藁たちを苦しませた「EMR発生装置」だが、あいはそこに触れるだけで正中線四連突きをかまし、巨大な機械を粉砕している。あいがスペシャルな存在であることは知っているが、コントフィールド外でここまでダイナミックに事物に介入したのは初めてのことである。ちなみに装置を見た輪入道の第一声は、「それだ! そのエレキテルみてぇな奴だ!」……おじいちゃん、あんたショベルカーに乗ってたじゃんよ。
 
 輪入道繋がりでいうと、今回は初めて「輪入道で現場に乗り付ける面々」も描かれている。「藁の中」では出発シーンも描かれ、めでたくあい達がどうやって出勤しているかの全貌が明らかになった。これを見る限りでは、やっぱり骨女や一目蓮も輪入道に同乗してるみたいだ。ただ、残念ながら今回も必ず前や左からのカットしかないので、輪入道の右の車輪がどうなっているのかは分からず。また、本来なら割と重要な要素かもしれないのだが、このシーンで既にきくりと山童は同行していない。一目蓮も「あれ? 山童達はどこだ?」と不思議がっているが、普通に考えるならば、既に桔梗が藁人形を手にしていたと考えるべきだろう。となると、何故桔梗はわざわざあのタイミングまで糸を解くのを待っていたのだろう。溝呂木の願いを叶えてあげたかったのかしら。
 
 今回一番感心したのは、ゆずきとあいの関係を示す繊細なカット割りである。シーンとしてはクライマックスからはるか前、事件の日の昼のシーンで、ゆずきは両親に電話をかけながら自宅で紅茶を飲む。この時、ゆずきはお茶の中に苺ジャムを落とし込んでロシアンティーにするのだが、ここでの「苺ジャム」の「赤さ」は、例によって地獄少女を表すものであると考えられる。透明な紅茶がゆずき自身。そこに真っ赤なジャムが入れられ、ゆずき自身の手によってかき混ぜられると、その赤はすっと溶けて無くなる。地獄少女とゆずきの同化のメタファー。さらに、このカットからあいの自宅の禊ぎのカットに繋ぎ、あいが両の手で水をすくい上げる。当然、この時あいの手の中にある水は無色であるが、彼女の回りには、象徴である真っ赤な彼岸花が咲き乱れている。液体という媒体を通じてあいとゆずきという2人の少女の因果を結ぶ、さりげないながらも非常に印象的なカットであった。また、この時にあいは「祖母」から「久しぶりだねぇ」と声をかけられ、「そうね、おばあちゃん」と答えた。そこまではいいが、その後、「祖母」は続けて「これはお前が望んだことなのかい?」と尋ねており、当然、あいは無言だ。さて、何を想うか。
 
 今回のキャストは、地獄博士こと溝呂木省吾役には何と岸野一彦。「何と」っていう割りにはそこまで詳しくは知らないんだけど、私の中では、もう、完全にネプチューンマンの中の人である。全部2代目(王位争奪編から引き継いだ堀之紀)に代わったから引退したのかと思ってたんだけど、まだちゃんと仕事をしている模様。是非マンモスマンと一緒に帰って来て欲しいもんである。ちなみにマンモスマンの中の人は佐藤正治(初代バッファローマンと同じ)。いいタッグなんだがなぁ。

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