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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 止まらぬものか、阿呆の血よ、第8話。1つの節目、下鴨総一郎の最期の、その一部始終。涙無しでは語られぬ、一匹の狸の物語。

 前回明かされた矢二郎の真実。父の末期を引き起こしたのは次兄の矢二郎であったことが夷川によってもたらされ、矢一郎と矢三郎は衝撃を受ける。自他共に認める「京都一怠け者の狸」である矢二郎だが、当時はどうにも片付かぬ色恋の悩みを父にだけは漏らしていた。問題のその夜、総一郎は全てを任せよと言い放ち、姿をくらます。しばらくして鍋に落ちたことが報された時点で、矢二郎は全てが自分の責任であると思ってしまうのは仕方ない。この世の全てに嫌気が差し、怠け者の次兄は狸であることすら捨ててしまった。もちろん、そんな事実を家族に告げるなど、出来るはずもなかったのである。

 しかし、その夜の記憶は、矢一郎が思い描いたような「過失の物語」でもなく、矢二郎が悔いたような「失意の物語」とも少し違っている。末期の姿を観たのは実は矢二郎ではなかった。山一つに化けてみせるだけの大狸は、死してなお、恩義を受けた薬師坊への挨拶を忘れなかった。狸の姿を残して訪れ、全てが終わった旨を伝え、最後に三男のことのみを託して一足先に冥土へと発ったのである。そこには後悔もなければ寂寥も無い。ただ望むがままに生き、最後に息子たちのために自分の人生を費やした父親の背中があるばかりである。本来ならば繋ぐことの出来なかった散り散りの兄弟。実にいびつな形ながら、父親を喪失し、肩に別々の荷を背負わされることで、総一郎が望んだ形での「家族」を産みだすことになったのである。

 矢一郎は責任感を受け継いだ。矢二郎の告白に最も「常識的な」反応を示した矢一郎は、今回唯一涙を流した人物である。偉大な父の全てを背負わねばならぬという責任感。そのために矢二郎を責めもするし、矢三郎を叱咤もする。それでも、父の遺志をどこかに感じ取らずにはいられなかったのだろう。母の顔を見ることも出来ずにただただ子供のように泣きじゃくることで、父の面影への別離を果たす。

 矢二郎は呑気を受け継いだ。彼と海星の関係性こそが、総一郎に最後の一仕事をさせた直接の原因である。全てを失うことになった矢二郎は、息をすることすら面倒臭くなり、ただただ生きるのみの蛙に成り果てた。この次兄の末路を総一郎がどこまで予期していたのかは知るよしも無いが、彼の悩みは、此度の告白を持って全て霧散した。蛙の身故、涙を流すこともままならぬが、彼は間違いなく泣いていたはずである。はき出すことで、彼の「面倒」は軽くなったのだろう。

 矢四郎は純真さを受け継いだ。父が去ったあの日も、今現在も、おそらく矢四郎は物事を全て分かっているわけではない。変身すら上手く出来ない幼い末弟は、偉大な父の姿を兄の口から聞くことが精一杯であり、父の影に思い悩まずにこれからの日々を育っていく、真っ白な存在である。

 そして、矢三郎は阿呆を受け継いだ。彼こそが、彼だけが、総一郎の演じて見せた、一世一代の阿呆の行く先を知っている。何の因果か、父を食った人間から話を聞かされ、父に最後を任された薬師坊にも父の遺志を伝えられた。阿呆を解し、阿呆に励む矢三郎だからこそ、父の死の真実を知ったとしても涙を流さず、そのあっけない最後に意味を見る。それが本当に正しい行いだったかどうかは分からないが、少なくとも、どれだけあがいても届かぬような、阿呆の大きな大きな手本になったのは間違いない。これこそが、阿呆の血のしからしむるところである。

 結論が出たような気もするし、やっぱりどこまで考えても総一郎の行動は想像が及ばないような気もする。どれだけ自分の生に満足がいったとしても、こんな奇妙な形で矢二郎の悩みに答えるために、「食われてしまう」ことが正解だとは思うまい。しかし、何故そうしたのかと考えて、「それは阿呆だったからだ」と言われればなるほどという気もしてくる。「天狗が人家の屋根に落ちることがあるならば、狸が鍋に落ちることもあながち間違いとはいえなんだ」ということ。総一郎は、せっかくの愉快な人生の最後に、人に食われてみたくなってしまったのかもしれない。それを邪魔することなど、子どもたちには出来るはずもなかったのである。自分の引き際までもを息子達のための舞台設定に用意して見せた下鴨総一郎の決して長くない一生。実に見事なものである。

 「家族」というテーマについては本当に弱い。これで単に矢二郎が「うっかり父親を殺してしまった」という悲劇であるならば納得もしようが、この話の場合、総一郎の死は悲劇なんて安易な言葉を受け付けない。父の狙いは家族の行く末にあり、そのために1人1人の息子を思いながら、愉快と笑って死ぬのである。こんな頓狂な父親像を、涙無しで見られるものだろうか。小さな毛玉となって別れを言いに来た総一郎の1つ1つの仕草が本当に何気ないところであまりにも普段通りのもので、彼にとっての死の意味を思うと、訳も分からずに泣けてくる。最後まで泰然自若として悠々と去るのかと思いきや、最後のシーンではいかにも狸らしく、ちょろちょろと駆けていくのだ。彼は最後の最後までただの狸だったし、ただの父親だった。なんだかもう、それが愛おしくてしょうがない。

 下鴨総一郎の名前は、理想の父親像として、刻み込んでおきたいと思う。

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