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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 そうですね、今更ですね。観に行ってきました。しょうがないじゃん、ここまでのシーズンはずっとスポイラだの新番組だの、新しい情報を入れる余裕が時間的にも精神的にも無かったんだよ……。ようやく新番ラッシュが一息つけたので、ボチボチ都合の空いたところから見ていこうと。ただ、「都合が良くなってきた」らすでに近所の映画館では「レッドタートル」の放映はほぼ終了していたという……あっちも気になってたんだけどなぁ……。

 

 

(以下、今更だろうけど一応ネタバレ等注意)

 




 

 さて、なんだか随分話題になり、記録的な売り上げを稼ぎ出している作品になってしまったらしいが……正直、私としてはそこまでピンと来なかった。おそらく、持てはやされすぎて無闇にハードルが上がった状態で観ちゃったのが一番悪かったんだろうけども(だから早めに観た方が良いんだよなぁ)。予想は裏切らなかったものの、期待に応えてもらった感は無い。新海誠作品は初めての視聴になるし、合う合わないがある人だってのは分かっていたのだが、残念ながら今回は「合う」方には振れなかったらしい。ひょっとしたら、何となくそれを知っていたから今まで避けてきたのかもしれない。

 先に、「予想通り」と書いたがちゃんと応えてもらった良い点を上げておくと、やはり映像については段違い。劇場クオリティと言う言葉はあるが、そのクオリティを一段突き抜けたあり得ない映像だったのは間違いない。この繊細さ、この幻想的な統一感は、並大抵の労力で実現出来るものではないだろうし、それだけでファンが付くのも充分理解出来るものである。驚きなのはこれを作ったスタジオ、コミックス・ウェーブ・フィルムというらしいが、履歴を遡るとほぼ新海作品オンリーと言っていい会社なのである。そう考えると既存の意味での「アニメスタジオ」とはちょっと違う、「アニメーション映像を作る専門職」の1つの形というべき存在であり、今後、本格的に何らかのアニメ制作に関わるようになれば、この品質で深夜アニメなどに食い込んでくる可能性もゼロではないということ(今のところ、深夜アニメで名前がクレジットされている作品はショートアニメだけである)。今では一つのブランド名にもなっているサンジゲンなどのように、何か風穴を開けてくれるだけのパワーを秘めた作画集団がいるということが確認出来たのは大きな収穫だったのは間違いないだろう。

 そして、この作画力の高さは決して「なんか綺麗」というだけではなく、きちんとドラマ構築にも役目を果たしており、単なる飾りで終わらないのも良いところ。具体的には、キャラの芝居のディティールにいちいち見るべき点があるということ。今作は三葉と瀧という2人の主人公の入れ替わりを描き、もちろん2人とも声の出し方や台詞で「入れ替わっている」ことを示してくれるのだが、そうでなくとも「今どっちの状態なのか」がすぐに分かるように注意が払われているのだ。入れ替わってドタバタするくだりはかなり大きく時間が削られており、一部で「分かりやすさ」を犠牲にしてしまっているのだが、そんなシーンでも画面上のキャラの表情や所作を見れば「これは三葉本人だ」「これは今入れ替わってる状態なんだ」というのが細かい手の動き、髪の置き方、目線の揺れなどから理解することが出来る。時間制限があるせいでどうしてもドラマ部分が犠牲になりがちな劇場作品の中で、こうして「画で語る」部分がきちんと機能し、筋立ての構築にも役立っているのは「流石の作画力」が大きく貢献した分かりやすい長所といえるだろう。

 以上、圧倒的な作画クオリティの高さについては文句無しだし、昨今大量に制作される他のアニメ映画にも見習って欲しいと思う部分だったが……しかし、それで何を描くか、という部分については一考を要する。これまたすっかり話題になった後で観に行ってしまった弊害が大きいのだろうが、大体のシナリオは「知ってる」ヤツで、想定のラインからほぼずれる事無く進行するので、良くも悪くも一切の引っかかり無しに最初から最後まで突っ走られてしまった。盛り上がりどころ、泣きどころ、笑いどころに萌えどころがよく分からなかった。なんかこう、もうちょっと「引っかかり」を作ることが出来たら良かったのだけど。個人的に一番気に入ってるシーンは、三葉が奥寺先輩とのデートを取り付けたけど行けなくって涙を流すシーン。「お、純正の百合かな?」っていう期待が高まるわけですが、まぁ、あのシーンの涙はそういう意味じゃないからな。あのまま三葉が奥寺先輩とデートしていい仲になる同人とか無いもんですかね。あ、ちなみにそれ以外で一番好きな要素は、三葉のお母さんの声と、2人の電話の「電波の届かないところにいるか」の音声と、上越新幹線の車内アナウンスと、最後のシーンの電車のアナウンスです。色んなところから同じ声が聞こえてくる、素晴らしい世界でした。

 メインプロットは王道といえば王道なのだろうが、気に入らなかった点をいくつかに分割してみていくと、まず、上述の通りに時間配分の都合上、2人の関係構築の尺が足りていない。2人が状況を把握し、互いの存在を理解してからというもの、しばらくはツンデレのツンの時期、いわゆる「ニクいあん畜生」のフェイズが続く。そりゃそうだ、お互いに対面して会話したこともない相手が自分の身体を好き放題使っているわけで、迷惑だと思いこそすれ、相手に好意を抱く理由は無い。相手との直接的な交流はスマホなどに残された文章だけであり、「相手のいいところ」を見るチャンスがないのだから、「同病相憐れむ」シンパシーならまだしも、それを超えた好意を産みだすに到るには相応の時間が必要なのは間違いないだろう。しかし、本作の場合はそこが極限まで削られる。挿入歌と共に二人のドタバタがダイジェストでながされるので、視聴者はその部分を想像で埋めるしかなく、「ニクいあん畜生」の状態が、「奥寺先輩をデートに誘っといたで」の次にいきなり「手のひらに『すきだ』と書き込む」仲にランクアップするのは突飛に見える。途中、瀧の方から必死に三葉を探す過程で相手が不幸にも命を落としていることを知ってしまうので、さらにそこに「憐憫」が含まれるのは想像出来るが、果たしてそれを恋心と同等に捉えてしまっていいものか。いくら何でもラブに到るのには性急過ぎる感があり、途中の奮闘がなんだか無理なものに見えてしまった。

 この2人の関係性について、上記のように単純な「重ねた時間」だけで処理しようとすると違和感が出てしまうのは、二人が尋常ならざる出会い方をして、普通じゃない付き合い方をしているせいだ。そのあたりの「特殊性」にスポットを当てればいくらかごまかしも効くはずなのだが、例えば瀧は瀧で3年前に出会ったはずの三葉のことを100%忘れているという、よく分からない健忘っぷりを発揮している。そりゃまぁ、たった1度訳の分からない遭遇をした相手を覚えていないのはしょうがないともいえるが、わざわざ名前を確認し、結い紐を受け取ってそれを御守りにまでしているという。そんな劇的なボーイミーツガールが無かったことにされているのは、シナリオ上の無理であろう。何故忘れていたかと言われたら、「序盤で思い出されると時系列がずれているというメインのネタが活きてこないから」というシナリオ構成上の都合しかないのだ。

 「忘れる」という要素も考え始めると悩ましいポイントの1つで、2人が互いを「忘れて」しまうことには明確なルールがない。まぁ、その辺の設定を他のループアニメのように「設定」に落とし込んでしまうと随分乱暴であるし、今作はそういう細かい部分は雰囲気で乗り越えるべきものであるとは思うのだが、互いの気持ちの上だけでなく突然スマホのデータが消え始める展開はどこか突飛な印象が拭えないし、クライマックスに向かう段階で何度も「忘れる→思い出す→忘れる」を繰り返すので、「どういう仕組みやねん」という部分はどうしたって気になってしまうだろう。

 そして、この「ルールが不明確」という状態は、実はクライマックスの弱さにもつながってしまう。二人の入れ替わりには一切の理由が無く、言わばスタート時点から奇跡であり、運命である。別に奇跡が起こることは悪いことではないのだが、スタート時点であらゆる事象が奇跡だったという前提で物語が進むと、何が起こっても「同等の奇跡」であり、人為の介する余地が無くなる。例えば、今作最大の「男の子頑張った」シーンの1つは瀧が山中のご神体を探し出し、そこで口咬み酒を飲んで最後の入れ替わりを実現させるところなわけだが、この時の瀧の行動が「実った」のも、言ってしまえば単なる偶然である。一番初めに「たまたま」二人が時空を超えて入れ替わったのと同じことが、「たまたま」もう1回起こっただけであり、そこに「瀧の努力の結果」という収束性を求めにくくなる(極論すれば、あの入れ替わりでミッションをこなせずとも、この後滝はいくらでも酒を飲んで三葉との関係性をやり直せるのである)。奇跡は起こらないからこその奇跡であり、「あり得ないこと」の理由が説明されないまま同じことが繰り返されれば、それは視聴者にとっては「奇跡」でなく単なる「ルール」である。古手梨花はどれだけ殺されても何度でも同じ夏の日を繰り返せる「ルール」だったし、暁美ほむらはワルプルギスを倒せずとも再挑戦の権利が得られたのでシナリオ途中にクライマックスはなかったのだ。わずか2時間の今作で最後の入れ替わりを「奇跡である」と訴えたいのならば、どれだけ無粋であっても、「もう二度と入れ替わりは起こらない」ということを何らかの「ルール」として事前に伝える必要があったのではなかろうか。

 この「入れ替わりの終わり」というルール設定について、「瀧が三葉の死を認識してしまったこと」が一つのゴールだったと考えることは出来る。というか、スマホのデータが消えたタイミングなんかを考えると、瀧が「思い出したこと」によって二人の間の超自然的な繋がりが消えたと考えるのが自然だろう。それを鑑みれば上記の不平不満は一応消化できるのだが……個人的に、今作で一番納得出来なかったのは、三葉が瀧の身体で「私、あの夜に死んだんだ」と彗星の夜をフラッシュバックさせるところ。時系列がどういじられても「彗星の夜に死んでしまったことを認識出来る三葉」って絶対に今作に登場しないと思うのだが……あれってどういうことだったんだろう? あそこで首を傾げてしまったせいでその後の展開がなかなか頭に入ってこなくなってしまったので、多分、そこの疑問さえ解決出来れば上記のいちゃもんの大半は解消する気がするんだが……。今作では「死者の蘇り」を扱ってるわけではないよなぁ。

 どうにも、こういう枝葉末節ばかりが気になる質なので、損してる部分はある気がする。彗星落下の報が伝えられてからというもの、あらゆるシーンが「落下阻止ミッションの一部」にしか見えなくなっちゃったので、三葉たちが「あの人の名前が思い出せないッ」って困惑してるのを見ても「いや、とりあえず今はそんなんどうでもいいから人命救助のために動けよ」って思っちゃうしな。やっぱり「男女入れ替わりドキドキラブコメ」と「彗星衝突! 500人の人命を救うアルマゲドンミッション!」っていう2つのテーマは規模が違い過ぎて食い合わせが悪いんじゃないか?

 とりあえず、視聴中にもやもやしてたのはこれくらいです。なんか、こうしてつらつらと書き綴っていくにつれて「そんなこと気にしてるからモテねーんだよ」っていう一言で全部片付く気がしてきた。えぇ、劇場はそりゃもうカップルで溢れてましたからね……。「爆発しろ」念波を滲ませた状態で視聴しちゃったら、それだけで心に悪影響なのかもしれません。ヒトカラならぬヒトリシアターみたいな施設って建造出来ないもんでしょうか。

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