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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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「やがて君になる」 5→8

 さてなんと評したものか。先に結論を書いておくと、「結論は出ていない」。

 誤解しないでいただきたいのは、作品として完結していないとか、そういう類の問題ではない。私がこの作品を通じて、何をどう考えるべきなのか、結論らしいものが出せなかったという話である。ぶっちゃけ作品そのものとは関係ない、非常に個人的な、内的な問題である。ただ、それだけに感想を記述するのが難しいのである。

 しいて言葉を選ぶなら、実に芳醇な作品であった。とにかくあらゆる要素に意味が立ち、あらゆるカットに引きがある。そんなアニメである。今期は多くの高品質な作品が並んだ幸せなシーズンになったが、そんな中で一番好きな作品はどれかと問われたら、悩みに悩んだ末にこれをあげることになりそうな気がする。本当に、見たいものを見せてくれるアニメだ。

 ややアンフェアなのは、この感想を書くにあたり、放送終了後に慌てて原作コミックの方もあたり直したということだろうか。正直、初読のときに感じたものと、アニメで叩きつけられたものがどうしてこんなにも違ったのかを確認せずにはいられなかったのだ。その結果、自分の不勉強を恥じ入ることにもなったが、それ以上に「これ、アニメスタッフがすごいよね」という結論になった。確かに、「漫画を読めばそういう描写は確かにある」という部分がほとんどなのだが、ぶっちゃけ私は初読では今作の意味の半分も引っ張り上げられなかった。もともと漫画を読むのが苦手(?)なのだろうか、間違いなく「そういう意図」のコマがあっても、目が滑ってするりと流してしまう。そうしてなんとなく概形だけを読んで「そういう百合漫画」という受け止め方をしていたのである。しかしアニメスタッフは違う。ちゃんと立ち止まって、考えて、それを画に起こしている。アニメを作る人間なら当たり前だろう、と言われるかもしれないが、この「再構築」の難しさは、過去にどれほど「原作付き」のアニメがひっそりと消えていったかを思い出せば想像に難くないだろう。ことに今作は日本語の使い方が非常に上手い作品だと感じる。原作者の描いた青写真を、不備なくアニメーションにするだけでも、相当な理解が求められたはずだ。

 幸いアニメの脚本会議には原作者も毎回参加して、とにかく今作の伝えたいコアとなる部分を入念に打ち合わせていたようだ。その結果、ある要素は取り払われ、ある要素は書き足され、順番を入れ替えたり、ニュアンスを変えた部分もあったかもしれない。それでも元の作品が持っているものは損なわず、とにかくアニメで伝えたいことを絞り込んだ。本当に地味で、気が遠くなるほどに繊細な作業だ。だが、完成した作品を見る限り、この作品は見事に再構築に成功している。

 そして、今作で見せつけられたコア・テーマを考えると、やはりいつも以上に「百合とはなんなのか」ということを考えずにはいられないのである。私は百合好きだと事あるごとに公言しているが、未だに「百合の何が良いのか」に答えは出ていない。別にノーマルカップリングでもいいのではないか? 百合がいけるならホモはどうなのか? そうした疑問に対して、一応答えらしきものとして「同性愛だからこそ得られるものがあればこその百合だ」という解答を提示している。「ささめきこと」の魅惑こそが、百合の必須要素なのだと。

 今作においても、例えば沙弥香というファクターは間違いなくこれに該当する。隠した思い、表立って言えない気持ち。そんなものを扱った葛藤や面映さを魅力として取り上げる。しかし、今作の中心にある侑と燈子の関係はこれが該当するのかどうか。そこが分からない。何しろ、侑も燈子も、何度も取り上げているように尋常ならざる精神性を抱えた怪物なのだ。そして、そんな怪物じみた2人の心の薄皮を1枚1枚剥いでいくための道具立てが「恋愛」であり、その変化の痛みや喜びがドラマを構築する要素である。そこに「同性であること」がどの程度関わっているのか。極端な仮定だが、もし、これで侑ではなく(外見的に)槙のような「普通の男子高校生」が相手の恋愛ものだったらどうなっていただろうか。燈子が相手を「特別な存在」だと認識して関係性を育む上で、男であろうが女であろうがそこまで問題はなさそうなので、「侑と同じ精神性を持つ男性」相手に燈子が恋心を抱くという可能性はゼロではない。というか、そういう筋立てを想定することは充分可能だろう。

 そしてその時に、今作は全く同じような効果を持ち得たのかどうか。もし、二人の関係性に性別が一切関係ないのだとしたら、この仮定に対する答えはイエスになる。小糸侑が女性だろうが男性だろうが、燈子は同じような感情を抱き、沙弥香は同様の対抗意識を燃やし、侑は同様に悶々とするだろう。しかし、それじゃぁこの作品の百合要素は必要ないのかといえば、決してそうではないような気がするのだ。やはり、2人の関係は性別に依拠した「何か」がある気がするのだ。今のところ、この「何か」の正体が分からない。だからこそ「結論は出ていない」というしかない。

 ただ、そうして考える機会が与えられたということが重要なのだ。今作における侑と燈子の関係性は、「百合とは何か」「恋愛とは何か」「他者とは何か」ということをグルグルと考えなければ視聴できないようになっている。そのための舞台がアニメになったことではっきりと現れたのは、原作の持つパワーに加え、間違いなくアニメスタッフの力があってこそだ。これまた完全に個人的な価値観だが、私は「そういう」アニメが好きなのである。そういえば同じような当惑と高揚感は、「クズの本懐」の時にも芽生えたような気がする。あちらは百合要素もあったが、中心になるのは男女の恋愛だった。そこにはやはり違いはないのだろうか。

 結局、人間なんてのは有史以来恋愛ごとの惚れた腫れたで盛り上がり続ける単純極まりない生き物なのだ。そうした刺激の1つとして、本作はズブズブと人間心理の深奥に沈んでいく、そんな感覚が味わえるということなのかもしれない。

 とりあえず、ノベル読んでからもう1回考えたいです。

 

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