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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
ウサギがおいしいとこ全部持って行きやがった、第4話。ほら、やっぱり今回でこの作品も本気出してきたぞ。
個性的な面々が集う妖館。これまでも野ばらや連勝など充分面白いキャラクターが出てきていたわけだが、今回は更に、ほぼ館の住人を網羅する勢いで新キャラ(正確には、これまで画面の端々にいた連中もいるけど)が大挙して、予想通りに賑やかな展開になった。「長屋もの」であり、ギャグ多め、チビキャラ多め。そりゃもう、大好きですよ、こういう話。 新キャラは、下手したら凛々蝶よりも(見た目に)可愛らしい豆狸・卍里と、そのSSであるウサギ野郎・残夏。チビキャラになると可愛らしいのは当然なのだが、豆狸なんて、日本妖怪の中でも花形のマスコットキャラですよ。いや、金玉広げるとグロいけどさ。とにかく、この作品でもちょろちょろと動く狸の愛らしさは作品にマッチしていて素晴らしい。そして、そんな狸で遊ぶのがウサギである。丁度「カチカチ山」みたいな取り合わせなのね。基本的に変態宮野キャラはかっ飛ばしすぎてウザくなるのだが、このウサギもご多分に漏れずウザい。ただ、そのウザさが最後に流れたエンディングで全部ネタとして振り切れた感があり、「まぁ、こういうのもいいか」という気分にさせられる。 その他、豊崎ボイスのコロポックルは変化球じゃない真っ直ぐな萌えキャラ。最近は豊崎キャラも色々とバリエーションが増えていたので、真っ正直なキャラ作りは案外久し振りです。これで軽音部員が2人揃ったわけだ。まぁ、RO−KYU−BUメンバーは既に3人いるけどな。その他、だいちゅうボイスのオカマとか、いかつい顔の猫耳キャラ、変なリーマンなど、癖の強そうなキャラがてんこ盛り。これだけでもしばらく引っ張れそうなセッティングである。なんか、「とにかく変なキャラ出してれば何となく話になるよ」っていうシナリオ設計は「ジャングルはいつもハレのちグゥ」とか「荒川アンダーザブリッジ」に通じるものがある気がするけど、ガンガン系作品のスタイルなんでしょうかね。 そして、これだけ色んなキャラが出てくるとどうしても焦点がぼやけてしまいがちだが、この作品の場合には「とにかく最優先で描くべきは凛々蝶」というラインが維持されている。チビキャラになって一番可愛いのは当然凛々蝶だし、野ばらにいじられた時の阿漕な萌え演出なんかも小ずるい。「ツンしゅん」キャラもだんだん定着してきており、悪態をつくのに基本的に良い子、というセッティングが絶妙な味になっている。卍里との初対面挨拶の時とか、散々憎まれ口を叩いておいて険悪なムードになったと思ったのに、自己紹介する時はちゃんと「凛々蝶です」って丁寧語なんだよね。おかげで予測している「平易な」会話パターンから逸脱するので、そのズレがこの娘独特の味わいになっているのです。 そして、最後は原因不明の「不整脈」に悩み1人部屋で悶々とするシーン。文字を織り交ぜてちょっと浮いてるみたいな妙な演出になってたのがいいのか悪いのか分からん(今回の単一エピソードとしてはちょっと合わなかった気もする)が、凛々蝶様の吐息を静かに聞く、というフェティシズム溢れるプレイだと考えると、これはこれで行き届いた心配りである。里菜ちゃんの吐息を延々聞くだけのプレイとか、是非バイノーラルで収録していただきたい。我ながら気持ちの悪い感想だが、声優ファンブログとしては正しい結論だ。 PR
ここまでが1話だな、第3話。ひとまず凛々蝶と双熾の主従関係だけはきっちりと「両者が合意のもの」にしておかなければいけないわけで、これくらいの話数で一旦「契約」を成立させるのが無難なタイミング。
とは言ったものの、今回の顛末は流石にどやねん、と思う部分もある。元々双熾の一方的な献身で成り立っていた契約、そこに1話2話のお話のおかげで「凛々蝶も歩みよってきたのか」というタイミングで、双熾があの騒動を起こす。そして、それが凛々蝶を裏切る行為に見えてしまったという。うーむ、凛々蝶がどの程度の精神年齢なのかっていうのにもよるのだが、結局双熾と凛々蝶の間にある情は男女のそれだったのか、というのがしっくり来ないのである。双熾の献身は「男性が女性に対して思いを寄せる」それとはちょっと違うものであり、凛々蝶は「男性として」双熾を見るよりも、親として、肉親として、友達として見ている部分が強いと思っていたのだが……そのへんはこっちの勝手な思い込みなのかしらねぇ。 実際は、凛々蝶は双熾の振るまいを見て一瞬でも「裏切られた」と思ってしまった。「情愛が偽りだ」と思ってしまった。そのこと自体にも何だか違和感があったのだが、その後、凛々蝶がすぐに自分の「悪癖」絡みでそのことを反省してしまったのもちょっと不思議。単なる一時の激情ということだったのだろうか。「裏切られた」と思って一時でも感情的になったのだとしたら、そのことをきちんと解決して「収める」理由も何か欲しかったところなのだが。パーティー会場での一件は、双熾の今まで通りの「献身」は表しているが、「不誠実」と罵られた部分を解消するようなものではないのでねぇ。まぁ、凛々蝶の持つ性質は「ツンしゅん」なので、そんな上がったり下がったりも含みで彼女の持ち味とも言えなくもないけどね。やっぱり30分1話で「一旦切れて、より強い絆で舞い戻る」っていうくだりをやるのは大変なんだろうなぁ。 というわけで、シナリオ面は何だかぬるま湯みたいな展開だったので今ひとつだった感はあるが、この作品の場合にそこは大きな問題じゃない……ことにしよう。今回だって凛々蝶が適切なタイミングで可愛かったからそれで良し。そして本人も言っていた通り、野ばらとは1対1では初の絡み。カルタとのよく分からない友情パワーも美味しいところだ。次回は妖館の中の突っ込んだお話になるみたいだし、多彩な面子による「長屋もの」としての賑やかさに期待したい。
意外と嫌いじゃない第2話。今期はバタバタしてるせいでなかなか気になる他作品も気合いを入れて視聴出来ていない現状なのだが、この作品は、そこまで肩肘張らずともゆるりと観られて何となく楽しいので、ホッとする部分があります。こういう作品ばっかりだと困るけど、メカとバトル、キチガイアニメが交錯する中に、こういういわゆるスタンダードなものがあっても良いのではないでしょうか。
1話目時点で持った印象をほぼそのまま維持しつつ、ハードな展開などなく、ややギャグ方向の色合いを強めてお送りした第2話。凛々蝶と双熾の関係性の「犬」の部分を強く押し出して、この作品で一番の胆である(と思われる)双熾の無私の奉仕を笑いに変えるついでに、自然な方向性でシナリオに馴染ませてくれる。基本的に「なりふり構わずにご奉仕の姿勢を見せるキャラ」っていうのはいかにも最近のアニメっぽくて辟易する部分が多いのだが、ある程度自虐的に笑って見せることで、「そこの善し悪しは突っ込まないで」という暗黙のお願いみたいなものが読み取れるのが面白いような、あざといような。でも、凛々蝶の場合、双熾以外のキャラとの絡み方は至極普通なので、これくらいのネタ要素が混ざっているのは割と受け入れやすい。 そして、今回割と気に入ってしまったのが、ユルさ全開の一反木綿、連勝。細谷佳正の声ってのはあまりプラスに働くキャラがいないんじゃないかと思ってたんだけど、なるほど、この使い方か。どうしようもなく気怠い感じや、空気を読まずに発揮する適当さなんかは実に良い味になった。どこかで聞いたと思ったら、「会長はメイド様」のクロタツっぽい使い方。見た目にも可愛いし、この一反木綿はアリだ。その他にもメニアックおねーさんなんかのキャラも良いし、「長屋もの」としての賑々しさが今のところはとても好印象なのである。 そして、やっぱり凛々蝶のキャラが一番大事。1話目では「日高里菜の声がやや殺し気味の低音で、無理してる感じが勿体無い」と書いており、実際に今回も「この音域出すのはキツそうだな」と思いながら聞いていたのだが、凛々蝶のキャラクターであるツンデレっぷり(原作者の言葉でいうと「ツンしゅん」らしいが)を発揮するためのギャップである、というのが見て取れると、これはこれで仕方ないのかな、とも思う。連勝とのユルいやりとりのテンポは良いし、何よりも今回のCパートで見せた「しゅん」の後の素直な愛らしさは、なるほど是非とも里菜ちゃんの愛らしい声で欲しいところだ。「ツン」と「しゅん」のギャップの見せ方が凛々蝶を見せるための最大のキーポイントであり、ひいてはこの作品最大のポイントになると考えると、やはり1つ1つのシーンできちんと役のメリハリを付けられるだけの腕を持った役者に任せたのは正解といえるだろう。結論つけると、「凛々蝶様ちょっとイイと思えてきた」ということである。
絵に描いたような大団円、最終話。いや、大団円っていうほど特別な何かがあったわけではないんですけどね。クロードのお姫様だっこがあっただけで、もうこの作品は終わりで良いのではないかと。
湯音がギャルリの人々にもすっかり認知され、街のマスコットとしても受け入れられ始めた矢先の出来事。少しずつ膨れあがっていたクロードと湯音の間の軋轢。些細なことをきっかけに、湯音の不安は爆発し、あらぬ方向へと向かいはじめた。急に姿を消した湯音に、クロードは毎度のようにテンパってしまう。そこらじゅうに湯音の所在を尋ねて回り、うっかり一番聞いてはいけないはずのアリスにまで声をかけてしまったり。そりゃぁもう、罵られるのは当然なわけで。未だ心の交流がうまくいかず、湯音とちぐはぐな様子を見たら、アリスさんじゃなくてもお冠ですよね。 そして、探し求めた湯音はやはりギャルリの中にはいなかった。なんと、ギャルリの上にいたのだ。なんとかして、自分に出来る範囲でギャルリの役に立とうと背伸びする湯音と、そんな彼女の意志をくみ取ってやれなかったクロード。二人のすれ違いは明確に現れ、湯音は一度は屋根から落ちてしまった。しかし、彼女はガラスの上で一命を取り留める。彼女が小さな子供だからこそ、無事で済んだ。 「子供であること」、「何も出来ないこと」。そんな湯音の無力感は、積もり積もってどうしようもない状態になっていた。元々このパリを訪れる前にも、姉の汐音の容態について、自分が何も出来なかったことに絶望していたのだ。遠く海を渡ったこの地でも、自分は守られてばかりで何の役にも立てない。湯音は、子供ながらに必死にその現実に抗おうとしていたが、結局うまくいかなかった。ギャルリの自分、日本での自分、何一つ変わらない現実に、湯音は参ってしまったのだ。 そして、そこに文字通り「手を差し伸べた」のは幼い頃に父を亡くし、同じような経験をしていたクロードだったのだ。ようやく湯音の窮状を理解出来たクロードは、これまでやんわりと拒否してきた自分語りを、屋根の上で始めることになる。父親のこと、グラン・マガザンのこと、そして自分のこと。結局、子供が何も出来ないことは当然であり、「そこにいることが仕事だ」という彼の言いつけは、お為ごかしではなく、本当にそう思っての発言だった。何も出来ないことは辛い。しかし、誰もがみな、それを経験して大人になり、だからこそ子供を見守ることが出来る。湯音はまだ出来ることは少ないが、それでもそこにいるだけで救われる者もいるのだ。クロードも、ギャルリの人々も、そして汐音も。 前回抱えていた汐音とのエピソードも、クロードの自分語りで一気に解決してしまうという、思い切った構成の最終回。これまで必死にあれこれ奮戦してきた湯音に対して「何もしなくていいんだ」と説き伏せるというのはある意味申し訳ないエンディングな気もするのだが、ギャルリを中心とした「人の和」というものは、えてしてそんなものなのかもしれない。1つ目の役割は「まずそこにいること」。一人一人の人間の存在を肯定的に見つつ、明日への希望があればそれでいいじゃないか、というお話。いかにもこの作品らしい、ふわっとして、誰も不幸にならない結論ではないか。 汐音のことや、カミーユとクロードのこと、実をいうとまだすっきりと片付いたわけではない問題は残っている気もするのだが、この作品はこれでいいんだろう。湯音もクロードも、まだまだ明日を生きていくのだし、その中で、問題がわき起こったり、解決したり、色々と経験していくことになるのだ。これからも、ギャルリの人々に幸多からんことを。
予想外の方向から話が重い、第11話。うーむ、私がこの作品に求めたクライマックスはコレジャナイ気がするんだけど……どういう心境で見守ったもんだろうか。
前回に引き続き、商談であまり触れて欲しくない部分に触れられ、ちょいと御機嫌斜めのクロードさん。おかげでせっかくアリスが湯音を誘いに来てくれたのに、勢いでおじゃんにしてしまうくらいのツンケンぶりである。湯音とクロードの関係も随分スムースになってきたと思いながらも、どうしてもこういうときのクロードは頂けない。もう少し「幼女を相手にしてるんだから」っていう優しさをもって欲しいもんである。 もちろん、クロードだって何も学ばないわけじゃない。気合いを入れ直した湯音を見て、必要以上に自分が気を遣わせてしまったことを反省し、代替案としてみんなでピクニックに行くことを提案。めでたく、いい陽気の日を選んで「家族」3人でお外へ出発。そこで「幼女に酒」という禁断の手法を繰り出し、オスカーが一番面倒な状態を残して一時退場。心神喪失状態の湯音は、そのままの流れで今までひた隠しにしてきた姉との事情をポロリと漏らしてしまった。あまりに重たい話にクロードは一旦は話題を逸らそうとするが、ここに来て「湯音を見ない」という選択肢が責任放棄であることに気づき、意を決して彼女の過去話を聞くことに。そして、そこで明かされた姉との逸話は、湯音をボロボロと泣かせるのに充分なお話だった。気落ちする湯音と、慰めるオスカー。クロードは、こんな難しい状態で、最後に湯音に何をしてくれるのか? というわけで、最後のエピソードになるのはクロード・カミーユ間ではなく、意外にも湯音とその姉、汐音のお話だった。日本人には珍しい碧眼に生まれてしまった汐音は、それが原因で回りの人々に迫害されていたが、湯音の慰めのおかげで幸せを掴む。だが、その時に湯音がうっかりいってしまった一言が、湯音に大きな後悔をもたらしている。可哀想なのは、湯音が当時その台詞を言ったとき、当然何の悪意もなかったことだ。ただ子供心に姉を思って漏らした言葉が、結果的に姉の不幸を体現する形になってしまったという、クロードの言葉を借りれば「単なる偶然」である。それでも、信心深い湯音は忘れ去ることなど出来ず、ずるずると傷跡を引きずってしまっている。ひょっとしたら、単身でパリに渡ってきた理由も、姉との生活に息苦しさを覚えたせいなのかもしれない。この心の傷は、ちょっとやそっとで癒せるものではないと思うのだが、さて、クロードたちはどうやって湯音を元気づけるのだろうか。 意外だったのは、クロード同様に、我々視聴者も汐音の現状については全く知らなかったということだ。これまでのエピソードでも度々登場していたはずなのに、「碧眼であること」も含めて、湯音が思い悩むような状態になっているというデータは一切表示されていなかった。そのために、どうしても「幸せな姉妹」の印象が固まってしまっており、今回の悲しいお話が、あまりスッと入ってこなかったのである。どうやらオスカーは知っていたみたいだけど、確かにわざわざ進んで話すような内容でもないからなぁ。 ま、今にして思えば、能登ボイス+和装の令嬢というセッティングで、幸せ一杯の生活なんて出来るはずもなかったんだ。必ず「呪い」的なものとセットになりますよね。おっかない。碧眼は隔世遺伝だと思うんだけど、湯音の家系はどこかで欧米人の血も混ざっているのかもしれないですな。羽衣狐よりかはよっぽどマシだけど。 さて、予想外の方向に行ってしまったが、とにかく次回でなんとか湯音を慰めて、また幸せな団欒に戻ってきてもらわないと困ります。クロード、ここ一番でしっかりしてくれよ。
これこそ異国情緒ファンタジー、第10話。前回までのカミーユ嬢のあれやこれやは既に片付いた問題なんでしょうか、今回はいかにもこの作品らしい、ひっそりとして、それでいてどこか懐かしいような、唯一無二の良さが出ていると思います。
敢えてシナリオ上のトピックをあげるなら、それはクロードが亡き父親に向ける思いだろうか。これまで、クロードとオスカーの2人家族という構成には特に疑問も持たなかったために、その間に位置するはずのクロードの父親ジャンにはほとんど注目が行かなかった。しかし、このお話の重要なポイントを担っているのが「ギャルリの繋がり」であるならば、3世代にわたってギャルリの顔である看板を作り続けてきた職人の存在は無視できないものである。長きに渡り信頼を勝ち取ってきたアンセーニュ・ド・ロアの文字通りの「看板」は、親子3代で繋がって初めて、その価値があるのだ。 しかし、今回クロードは初めて父親という存在とぶつかり合うことになる。湯音は「お父様と勝負する?」と何だか楽しそうであったが、常に先代の亡霊に囚われているような感覚になるクロードからしたら笑い事ではない。伝統は守りつつも、自分は自分、親父は親父。町の人たちにも、そうした努力と信念は伝わってほしいとは思うのだが、伝統と革新というのは実に難しいバランスの上でなりたっている。「親父さんのように」と、つい悪気無く言ってしまうのも致し方ないこと。クロードは、先代を越えて始めて先代と同等に見られるわけで、まだまだ試練は多そうである。 で、そんなお兄ちゃんの苦労話とは全然関係無いところで、湯音が見付けてきた倉庫の奥の幻灯機。今回のお話は、この幻灯機を巡っての、この時代の何とも言えない不思議な「現代感」が最大の見せ場。シーツにうつして単なる影絵を投影させたり、連続写真機でそれを動かしてみたり。現代の技術からすれば本当に取るに足らないお遊びではあるのだが、湯音やアリスから見たら紛れもない「魔術」。そしてそれは、町のたくさんの大人達にとっても同じだったようで。有志で集まって見せた見事な幻灯ショーは、この時代の娯楽の雰囲気や、それを取り巻く町衆の活気なんかが分かりやすく伝わってくる名シーンであった。しかし、ちょっと呼びかけただけで昼日中からあんだけの数の人が見に来るってんだから、随分のんきな時代だったんだろうなぁ。 もちろん、湯音・アリスの可愛さもばっちりアピール済み。今回はなんと言っても、2人の描いた愛らしい猫とミミズのイラストだろうか。アリスさんは、天井画のようなダイナミックな題材の方が真価が発揮出来る大物気質のようですな。お世辞にも「動いている」とは言えないへろへろした連続写真が、一切の容赦無くショボかったのが実に楽しい。それでも2人は喜んじゃうんだから、もう、本当に可愛いったらありゃしない。今宵も素敵な時間でございました。
こういう回もあるのか、第8話。なんか、一昔前のテイストだよねぇ。画面構成や動画の付け方も、なんだか普段とはちょっと違ってて、「アイドル」とは別方向に気合いを入れていた印象。いや、割と面白かったからいいんですけど。
「ぷちます」知識として持っている「あずささんは方向音痴」という属性。「ぷちます」内だとちょっと油断するとアマゾンに飛んだりする超能力として描かれており、流石にギャグなんだろうという認識でいたのだが、今回のエピソードを見る限りでは、どうやらあながちギャグでもなかったらしい。いや、完全に笑いどころには違いないんだけど。ギャグとシリアスでやってることがそんなに変わらないっていうのは、あずささんの凄いところかもしれません。唯一違うところは「どたぷーん」っていわないところかな。 適当にフラフラ出歩くだけでもめ事を大きくし、気づいたら大団円になっているという魔力のごときあずさパワーがコミカルなドタバタアニメとして痛快。途中からどんどん「いや、そりゃねーだろ」という突っ込みのレベルが上がり、なにげに婚約相手のことを「石油王」と呼び捨てる謎の女性とかは、もうスルーしてもいいくらいのレベルですよ。そもそもあの連中、撮影現場の教会で一体何をしていたんだろうね。 そして、あずさの陰に隠れてはいるが、サブヒロインとして活躍した菊池真君。こちらも、「ぷちます」知識だと「まるで男の子」という要素がギャグとして扱われるわけだが、今回のエピソードを見る限りでは、どうやらあながちギャグでもなかったらしい。確実にプロデューサーよりも男前の真君。最初からタキシード姿でのモデル撮影の依頼だったとしたら……なんか可哀想だな。本人はどういう仕事がしたくてアイドル稼業を続けているんでしょうね。そういや、バックで流れていた挿入歌が、大して興味がない私でも知っている、あの「エージェント夜を往く」だ。へぇ、亜美真美以外でも歌えるんだ(今更)。 そして、実は影の功労者である美希についても、何度目かの大活躍。彼女が本気を出すと回りにいる者が皆惹かれてしまうという魔の魅惑があるという噂を聞いたが、どうやらあながちギャグでもなかったらしい。……なんだろう、俺やっぱりアイマスについて知らないことばっかりだな。
ずっとロリのターン、第9話。クロードとカミーユまでロリ化しちゃったら、もうこの作品のアダルトはじいちゃんしかいなくなっちゃうじゃない。子供時代のクロードは、フランス人っていうよりイギリス出身の魔法先生みたいだよな。声的に。
これまで少しずつ積み上げてきたクロードとカミーユの微妙な関係性。今回は、回想シーンをメインに構成することで、そうした過去の諸々を一気に具体化させてきた。この作品の主人公は誰なんじゃい、とは思うが、湯音は相変わらずアリスに振り回されて楽しそうにしてるので、それはそれで良いこととする。ジャパニーズ・ティーにミルクも案外良いものですよ。 改めてカミーユの過去が語られたわけだが、これまでのエピソードでも重ねて暗示されてきた物語であるだけに、今回新たに感じられる部分は少ない。とにかく身分と言う物に囚われ、同時に自分を束縛することで何かを保ってきた感のあるカミーユ嬢。作中に現れるありとあらゆるファクターが、彼女の窮屈な人生を具現化させ、あざ笑っているかのように見える。6話で登場した鳥籠状のクリノリンに加え、きつくきつく締め上げる彼女のトレードマーク、コルセット。そして前回からずっと存在感を示してきたふてぶてしい家猫に、何度もクロードとの間に立ちふさがった、重たい鉄製の裏門。全ての小道具が、ぎゅっと家の中に押し込まれるカミーユの人生そのもののメタファーである。そして、カミーユはそれを受入ながらも、完全に許容しきれず、あふれ出た不満や苛立ちを、不安定な状態でクロードにぶつけることになってしまう。 幼い頃、クロードは当然無邪気な少年であり、仲良くしてくれるカミーユとは素直に「友達」でいたいと思っていたであろうし、彼女のために労を惜しまずに楽しさを共有しようとしていた。もちろん、カミーユだって気持ちは同じであったはずだが、幼い彼女の中に、既に「鳥籠」は植え付けられていたのだ。クロードとの仲がばれたらクロードにも迷惑がかかってしまうという強迫観念と、自分は家のために上流階級の相手と結婚するのだという諦観。幼い子供が持つべきではない感情であるし、十全にその意味を理解していたとも思えないのだが、彼女の中で、それは絶対だった。精神的に幼いところにそんな無茶な拘束だけが与えられたら、確かに不安定になってしまうのは避けられないだろう。クロードの誘いの中から「家を出る」ことについてだけは強い拒否反応を示し、本当なら仲良くしたいと思っていたクロードに対し、必要以上に素っ気ない態度に出てしまう。悩めるお姫様は、その歪んだ心理状態を解決出来ないまま、大人になって「ごまかすこと」だけを覚えてしまった。はたして、彼女とクロードの最終的な着地点はどのようになるのだろうか。 こうしてみると、気の重い生活を強いられていたカミーユを救ったのが、妹のアリスであったことが再確認できる。奔放なアリスの存在は、姉のカミーユにとって、「叶わなかったもう1人の自分」でもある。自由に飛び回る妹を見て、まるでそれが自分の喜びであるかのように共有することで、カミーユはこれまでを過ごしてきたのだろう。共依存の関係にあると見れば、これはこれで良い姉妹像なのかもしれない。
まさかの舛成コンテ回、第7話。確かに言われてみれば……って、すみません、分かりません。流石に単発コンテで見抜けるほどの習熟度は持ち合わせておらんかった。要精進じゃな。
今回は慎ましい生活をしている側の代表選手であるやよいと、あり得ない富豪生活を送る伊織を対照させたエピソード……と思いきや、実際は経済状態についてはそこまで深いテーマとしては扱っていない。まぁ、貧乏人が云々とかいって苦労話でみせようとすると、あまり見ている側も気分がいいもんじゃないし、アイドル間で意識しなきゃいけないほどの格差を意識させても何の得も無いですからね。貧富の差については、序盤に伊織がさらっとネタにする程度で、今回はやよいの生活態度から「アイドルを目指すということ」を描きます。 実を言うと、これまで見てきた中では一番中途半端な立ち位置に見えていたのが高槻やよいというキャラクターであった。どうにも「ゼノグラシア」の時の小清水やよいのイメージが強くて、ああいう突き抜けた元気要素が無いと、あとは「ぷちます」で得た小銭属性だけしか残らず、しかもこれまでのアニメの中ではそこを掘り下げる機会もなかったために、「単にふわふわしてるだけのよく分からない娘」という程度の認識だった。声の出し方なんかもちょっと俗世から隔離された感じのキャラ造りになっていて、正直、あんまり興味の湧くキャラクターではなかった。 しかし、そういう「どこかぼんやりして頼りなさそう」なキャラが、ひとたび自宅に戻ると一家を統べる長としてきちんと機能しており、下の兄弟たちからもちゃんと尊敬されているというギャップは、キャラ造りの上ではなかなか上手い。もちろんどれだけ自宅で頑張ろうともアイドル稼業での駄目っぷりは帳消しにはならないだろうが、「この子ならばどんな苦境にあってもその内乗り越えてくれるのではなかろうか」という静かな期待感が得られるので、自然に応援したくなるという仕組みである。実際、庶民派アイドルというスタンスは他のキャラには無いものだし、目線の近さを売りにするなら、こういう「守って上げたい」タイプの方がニーズにはあっているのかもしれない。 そして、今回はそんなやよいの見せ場に加えて、それを真逆にしたはずの伊織にも出番が多かったのが見どころ。金持ちキャラってのはこういうエピソードでは世間知らずをひけらかして周りをドン引きさせるのが常なのだが(実際、同じ声のキャラであるナギとか大河なんかは、周りを意に介さない金持ちっぷりが純粋にいけ好かないキャラになっている)、伊織の場合、きちんと高槻家の環境に馴染みつつ、「兄や姉がいる立場」という共通点を利用してやよいの弟と気持ちを通わせることで、庶民階級との接点を設け、精神性の成長を見せるというそつのない動きを見せている。伊織は「ハプニングを通じての成長」で、やよいは「これまで見せてこなかったしっかりした顔」という、2つの見せ方でキャラクターの新しい魅力が出ているので、なかなか充実したエピソードだったのではなかろうか。ちなみに響は……まぁ、どこにいても使いやすいのでね。ゴーヤって味噌汁にも入れるものなんですね。 そうそう、いつものように挿入歌や新しいエンディングで歌唱の方も披露してくれたわけだが、個人的に、キャラを前面に押し出して賑やかさや朗らかさを見せるやよいの歌唱は結構好きかもしれません。 |
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プロフィール
HN:
Thraxi
性別:
男性
趣味:
声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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