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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 前評判は聞いていたので覚悟はしていたのだが、実際に見てみるとやはりダメージの大きな第10話。富士山は……富士山はやらないって言ったじゃないですかぁ!

 ストーリー自体は、「ひたぎクラブ」以来の2話完結なので、非常にシンプルな構成。単に忍野の計らいで除霊にいっただけだし、その方法だってシンプルなもの。「蛇は2体いた!」とブチャラティのお株を奪うような一応の「サプライズ」はあったものの、だからどうしたというレベルの捻りだし、そのことで阿良々木が傷つき、千石の知り合いに呪いが跳ね返ったところで、これまでのシリーズのように萌えたり盛り上がったりという要素も特にない。あくまでこの「なでこスネイク」シリーズは幼女の裸、ブルマ、スク水の肢体を楽しむだけのエピソードだったと断言してしまっても良いだろう。あえてシナリオ上の気になった点を上げるとするなら、神原が阿良々木を助けに入った時の「誰が一番大事なのかを考えてくれ」という台詞。彼女の言う「一番大事な人」というのは、もちろん千石ではない。となると、蛇に狙われて命の危機に瀕した阿良々木というのが最も素直な読みなのだが、ぶっちゃけ、神原はそこまで「阿良々木が大事」であるわけではない。「阿良々木にとって最も大事な人を考えろ」という意味だとしても、その筆頭に阿良々木本人が来るのは不自然だろう。となると、このときに「一番大事な人」だったのは、やはり「阿良々木が傷つくことで悲しむ」ひたぎのことであると考えるしかない。ひたぎのことを思えば、神原が「一番辛い役」を買って出たのも頷ける。最近すっかり出番が無くなってしまった戦場ヶ原さんだが、きちんとキャラクターの行動原理には影響している。

 とまぁ、一応シナリオラインも追ってはみたものの、今回の「富士山リターンズ」には目を覆うしかない。送れて放送される関西版では富士山同様にフォローが入るかとも思ったのだが……やはり無理だった(ひょっとしたら一部改善されている可能性もあるけど)。延々と画面に張り付くロングショットの1枚絵、移動を現すために使い回される先週の背景画、巨大な目のアップ、そしてクライマックスでちらつく黒齣、赤齣、白齣。確実に音声と画がかみ合っていない部分も散見され、久しぶりに「制作側が敗北したアニメ放送」であった。前述のように「シナリオが特に盛り上がらない」ものであるだけに、本来なら「野外でスク水1枚をまとってもだえ苦しむ幼女」や「見えない蛇と戦う阿良々木」などのビジュアル面でのセールスを最大の見どころとして持ってこなければならないはずなのに、実際流されたのは数枚の絵を添付しただけのラジオドラマ。これでは流石のシャフトもフォローのしようがない。まぁ、さんざん苦労してはいるみたいなのだが……撫子派には絶望感しか与えない一本。逆説的にDVDは売れるのかもしれないけどね。オープニングは頑張ってたし。

 今回の放送は画の方については諦めたので、もう音声ドラマだけを聞くことになったわけだが、改めて、花澤香菜もつまらん落ち着き方をしてしまったなぁ、としみじみ思った。カミナギという素晴らしい棒キャストでデビューしてしばらく奇跡的な駄目っぷりを発揮してくれていたのに、最近は特に目立つこともなく、普通の演技になってしまった。棒なら棒でイライラしたのは間違いないのだが、目立たなくなると、嫌悪感ではなくて無関心になってしまうんだよね。何か一皮むける役が欲しいところだ。 

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 立派な大人は中学生の裸体を見ても変な気を起こさないという新たな常識が判明した第9話。いやぁ、知らなかった。阿良々木さんは女子小学生相手にも揉ませろだのしだかせろだの言ってましたけどね。私はどっちかっていうと撫子よりも真宵派です(主に中の人的に)。

 新たなエピソードに入った阿良々木さんに寄り添うのは、何故かひたぎではなく神原。しかも手を組んだり寄り添ったりといい感じ。このあたりが羽川のいうところの「薄くて弱い」阿良々木の性格なんだろうが、この手のハーレム作品の主人公なんておしなべてこんなもんだよな。仕方ない、神原も多少目をつぶればいい娘なんだもの。しかも目をつぶる必要がある要素がひたぎよりも少ないんだもの。ホチキスメンヘルよりも百合っ子の方がいいだろ、普通。ただ、さらにかみ癖のある幽霊少女と、今回新たにブルマ幼女も参戦。なにやら羽川とも怪しい雰囲気。もう、よりどりみどりですわ。

 さておき、今回はAパートが延々山道を登って神社で怪異の種と出会う2人、Bパートは羽川との対話、そして撫子のストリップショーという内容だが、色々とこれまでとは違う部分が目立った。まず1つ目は、屋外で、しかも山奥が舞台ということで、これまでのようなこけおどしの背景が使えないという部分。竹林、鳥居などで何とかアクセントを付けているが、緑色を基調とした背景は普段以上に記号としての側面が浮き立ってしまい、なんだかスーファミソフトの画面を見ているような印象。

 そして、なんだか全体的に構図とカメラワークがおかしい。キャラクターの周りを取り巻くようにしてぐるりと動くパターンが多く、決して安易な効果というわけではないのだが、なんだかこれまでとは力を入れる方向が違うのだ。演出を見ると大沼心さんの仕事らしく、言われてみれば確かにそう見えなくもないのだが……いまいちしっくり来ない。実際のところ、巷で噂になっている「シャフトに余裕がない」という理由の方が大きいのではないだろうか。普段からふざけた画面ばかりを作っているので目立たないが、要所要所できちんと見せるものを作ってきたこの作品にも、少しずつほころびが生じている気がしてならない。外人4コマとかで遊んでる場合じゃないぞ。いや、ストリップのパートだけやたらと気合いが入っていたので、この回に関しては文句も出ないんだろうけど……こんな見方でいいのかなぁ。

 シャフトは仕事の元請けが多すぎる。まず「夏のあらし」を作らないっていうのはどうだろうか。 

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 いくら不死身と言ってもあそこまでブン殴られるのは流石にしんどそうな第8話。エラいことになってると思ったら「するがモンキー」はずっと尾石さんがコンテ切ってて、しかも福田道生との共同作業。ありがたいっちゃありがたいんだけど……7割無駄遣い(イイイミデ)。

 神原の過去のエピソードと、それをひっくり返す忍野の推理。忍野の自説披露のパートは多少なりともどんでん返しの要素を含んでいるつもりなのだろうが、神原駿河という少女の人となりがそこまで定着しているわけではないので、彼女の残酷かつ身勝手な無意識を大見得切って看破されても、格別のメリハリは感じられない。むしろ、ひたぎへの思いが全ての理性や打算を越えて怪異に届いてしまった神原駿河の恋心の方が、よっぽど興味深いファクターである。「あまり好きではない」と言われても、「殺す」と言われても、最終的に自我を取り戻した神原に出来るのは、ひたぎに自分の思いを告げることだけ。怪異が完璧に取り除かれなかったことを考えると、彼女の中には、まだ何か可能性が残されているのかもしれない。

 今回は後半のブン殴りパートに労力を消費させてしまったのか、前半パートの紙芝居にもあまり見どころはなく、期待していたオープニングもそつがない仕上がりという程度。ひたぎによって百合の花を無惨に散らされる神原というメタファーは非常に象徴的で面白かったが……真宵版のオープニングが奇跡的に楽しいのは、むしろシャフトらしさが欠片も無いオーソドックスなものだったおかげで際立ったのかも。まぁ、歌唱力は3人とも似たり寄ったりだね。キャラ声でそこそこ歌うことが出来るというのは評価できると思うが。みゆきちは「ご愁傷さま二ノ宮くん」のテーマソングが好きでした。

 そして話題のブン殴りパートは、シャフト風味100%。無味乾燥な白無地のフィールドを見ると「まりあほりっく」のオープニングを思い出すし、蹴散らされる大量の机は「ネギま!?」のオープニング。枠線を際立たせて色味をどぎつくする尾石節は、残虐なシーンをソフトな仕上がりに……はしてない。まぁ、阿良々木のキャラクターのおかげでギリギリギャグと言えなくもないレベルでとどまってはいるかな。もちろん、イカれてる間のみゆきちの息芝居とかは充分に堪能できました。

 とにもかくにも、これで3人分のエピソードが終了。終わってみると、どの娘もなかなか魅力的にみえるのがこの作品の不思議なところ。阿良々木さん、うらやましいです。

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 百合にBL、最近のアニメはなぜこうも同性愛と密接に結びついているのかと悩まずにいられない第7話。ひたぎ、真宵、そして今回の駿河。この作品に登場する女性キャラクターは、みんなどこかおかしいのに不思議な魅力があるもんだ。

 襲撃者駿河宅を訪ね、事の真相を知ることになる阿良々木。「猿の手」の怪異にとりつかれた神原は、日が暮れていない限りはまっすぐで気のいい百合少女。赤一色の奇妙な書物の山に囲まれて、二人は情報の確認を行う。相変わらず場面転換皆無の会話劇。奇妙なハンドサインの実写や旧作漫画アニメの露骨なパロディ、ひたぎのメタファーとなるホッチキスなどの画に、神原のひたぎへの思いがのせられる。冷静に考えれば、お話としては単なるレズビアンの嫉妬心と悩みであるが、やはり会話のテンポと動きの奇妙なグラフィックのせいで、話の中身すら奇妙なものに思えてしまう。いつも不安に思うのだが、この作品のアフレコでキャスト陣は何を目安にタイムカウントを計っているんだろう。やろうと思えばどんな尺でしゃべっても許されそうなんだけど。

 Bパートは忍野のところへ向かう2人。悩みを打ち明けてしまった駿河は、この道中はほぼセクシャルな会話のみ。もう、なんか、すごい。会話の内容もすごいが、野放図に走り回る映像がやっぱりすごい。赤塚、手塚、水木etcと居並ぶ巨匠のパロディが大量の「危険」「立ち入り禁止」などの表記に紛れて飛び回る。徐々に加速するエロトーク、スパッツトークに合わせてイメージの中の神原も次第にその速度を増し、対抗するかのように阿良々木のマシンガントークも加速する。このあたりの投げつけてくるようなトーク劇は、本当にシャフトならでは、西尾維新ならではのものであるか。沢城キャラはあまりエロトークをする機会がないので、非常にありがたいシーンでした。

 今回も見れば分かるが尾石達也のコンテ。どこぞで「駿河問い」のイラスト流用が話題になっていたが、他にも文字データのはさみ方や、実写と画像の絡め方、そして、野放図なように見えて実はストーリーに首の皮1枚でつながるイメージ映像のバランス感覚など、この人の作劇は本当にエキサイティングである。ホチキスの針でがんじがらめになる神原、興奮や焦りで画面自体の動きもどんどん速くなっていく阿良々木など、あくまで話の流れを意識した画面を作って、その上で完全に「ふざけた」ものに仕上がっているのは流石だ。まぁ、絶対に人を選ぶ描き方だとは思うけどね。

 そしてやはりというか、またというか、今回もキャストの力をまざまざと見せつけられた。シャフトのキャスティングは本当に同じ役者を使い続けるので賛否あるらしいが、やはり、こういうものを見せられたら文句のいいようはない。まぁ、エロトークでテンションが上がる阿良々木さんは中の人そのまんまだけどね。 

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  最近の主人公はちょくちょく「ギャルゲーの主人公じゃあるまいし」みたいな発言をするようになったなー、と思わずにいられない第6話。今回は冒頭に真宵が登場したおかげで、ひたぎ、羽川、そして新キャラ駿河と、阿良々木の周りはすっかりハーレム状態だ。

 新エピソード第1話ということで説明台詞の多い展開だが(まぁ、いつだってそうだが)、少なくとも「まよいマイマイ」の1話目よりは画面に変化がある。個人的には前回退場したと思われた真宵がきちんと浮遊霊として元気に(?)登場してくれたのが何よりうれしいが、そんな真宵の登場シーンは、台詞の掛け合いとは一切関係のないシーンをちょいちょい挟んでいくという、非常に落ち着かない演出になっている。音声としては普通に阿良々木と真宵の会話が聞こえているのに、全然関係ない真宵のポージングや、会話では一切語られなかった分かれのシーンなどが画面上で繰り広げられ、視聴者は会話の中身と、画面のストーリーの2つの筋を同時に追わなければいけない。相変わらず無体な演出である。

 そして今回のヒロインである神原駿河の登場。ここは流石の沢城みゆき。彼女はそこまで声幅に変化を持たせるわけでもないのに、ほんのちょっとした間合いと空気感でがらりとキャラクターが変わる、ものすごい技能の持ち主。今回もシャフト作品ということで神谷、千和との共演だが、同じシャフト関係でも芹沢茜、マ太郎、ゴッドなどとは全く違う、「ちょっと奇妙な女子高生」が形成されている。このあたりの演じ分けがじっくり聞けるのは、会話劇がメインのこの作品ならではのサービスといえる。そういえば、千和との共演でみゆきちの方が年下っていう関係は本当に珍しい。

 次のシーンは、ひたぎ宅でお勉強(?)に勤しむバカップル。このシーンの動きの無さはこれまで以上。ひたぎがデレたり猛ったりするおかげでシナリオとしての不満は無いものの、これでもしミュートにでもしてみたら、本当に紙芝居にしか見えないのではなかろうか。そして、これが紙芝居でしか表現出来ないシーンであるというのもすごい。ほんと、何でこの作品がアニメ化出来たのか、不思議で仕方ない。

 そして最後は羽川との電話越しの対話。5話での電話のシーンは延々携帯のディスプレイが動き回るという演出だったが、今回は通話相手の羽川が自動車の波にのまれながらひたすら歩き続けるという演出。本当に「どうでもいい」画面なのだが、ここで重要なのは、電話の向こうでしゃべっている阿良々木の声がほとんど聞こえないということ。視聴者は羽川の台詞のみで会話の内容を推察する以外になく、嫌でもその台詞に集中せざるを得ない。つまり、画面を気にしている余裕がない。よく見れば、羽川は5話の時同様、家に帰りたくないそぶりで公園のブランコにおり、延々歩き続けた後にたどり着いたのはやはり公園のブランコだ。ブランコがリストラサラリーマンなどの「家にいられない人」の象徴であるとするなら、このシーンは存外羽川の内面も描写しているのかもしれない。

 最後に阿良々木が襲撃されたが……なんか、ふざけすぎた動画のせいで緊張感が欠片も無かったな。まぁ、あんまりバイオレンスなシーンは今のご時世では問題になったりするし、あのくらいでちょうどいいのかもしれない。次の話まで3週間空くのは痛いなー。

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 ようやく「化物」というタイトルの意味がわかり始めた、尻の形で誰だか分かっちゃう第5話。相変わらずの内容だが、幼女相手に揉んでしだいて組み合っちゃう阿良々木君の将来が心配です。

 嚙み癖の直らない真宵と格闘している間にひたぎが帰還。臭いで他の女の存在を察知できるという地味にすごいスタンド能力を披露しつつ、今回のエピソードの胆、「真宵は阿良々木にしか見えない」を告白する。この手のお話では非常に陳腐なネタではあるのだが、先週までの賑やか寸劇、特にオープニングや妙に味のある格闘動画などのおかげで、「元気っ子真宵」の印象がくっきり残っていたために、やはりこの真相は衝撃だ。ひたぎが真相を語っている間は、真宵は嘘のように大人しくなって2人の会話を聞いているし、その間、阿良々木とひたぎの存在をかき消すように、真っ赤なジャングルジムが画面内をところ狭しと駆け回る。メインキャラクターを埋め尽くすように縦横無尽に伸び縮みするジャングルジムは、2人の間に交錯する困惑と、八方ふさがりな絶望感の象徴か。実際、真相を知られた真宵と真相を知らされた阿良々木もショックではあったろうが、自らの「異常」を知られたくなかったというナイーヴな心理状態を阿良々木に「告白」しなければいけなかったひたぎの心情も、実は非常に切実な状況だったはずだ。もともと高慢なひたぎが自分の不実を告白し、阿良々木の窮地を助けるに至ったことで、その後の「I LOVE YOU」が自然に出てくるあたりが心憎い。

 そして、怪異の知識量を上回るという、何とも都合のいい解決策を講じることで、ついに真宵は「家」にたどり着く。既に何も無くなっているという結末は予想できる範囲のものであるが、そんなこととは関係なく、真宵は涙にうちひしがれながら、何年越しかの「ただいま」を果たす。涙で霞む画面と、テーマソングである「帰り道」のインストバージョン、そして加藤英美里の魂のこもった「泣き」のおかげで、このシーンはなかなかグッと来るものになっていた。これも前回のオープニングが気に入って延々ループしていたご褒美だろうか。その後のひたぎとのやりとりのシーンも「staple stable」のインストバージョンが流れてたし、この音楽の使い方は好きだなぁ。

 最終的には「ひたぎ、蕩れ」という音だけでは非常に伝わりにくい一言で締め。デコボコカップルには違いないが、なんだかんだで2人とも憎めないやつなので、せいぜいホチキスの針に気をつけてうまくやって欲しい。

 それにしても

 真宵は可愛い。

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 相変わらずの会話劇が諾々と垂れ流される第4話。4話目ともなると演出の新規性は薄れてくるが、相変わらずの会話の流れと意味不明な画面の合わせ技のせいで、気付けば30分が過ぎているという不思議きわまりない作品。

 序盤は延々ひたぎに従って目的地を探し続ける3人。画面に表示されるのは「Y字路」「Uターン禁止」の標識と路面に描かれた「止マレ」の文字、そしてだらだらと続き地面に影を落とす電信柱に、駐車場にいならぶ同じ方の自動車など。繰り返し繰り返し同じオブジェクトが表示されるのは「徒労」のメタファーであろうし、「Y字路」は「無限に続く分かれ道」、「Uターン禁止」は「引き返せない行為」、そして「止マレ」は「諦めろ」の含意か(カタカナ表記であることと、シャフトの気質と時勢を考えるなら「エンドレスエイト」のエンディングの暗示まであり得るが)。本当に変化の無い画面の中を、先陣切って歩くひたぎと、それを怖がる真宵、そしてだんだん真宵で遊ぶのが面白くなってきた阿良々木がテクテク歩くだけ。画面に無駄な煽りを入れてメリハリを付けているが、これまでの演出に比べるといささか単調ではあるか。相変わらず「手前の格子は動くのに奥にあるオブジェクトは全く見えが変わらない」という奇妙な演出も登場する。まるで「いかに動かさずに動きを出すか」という無理難題にチャレンジしているかのようだ。

 そして後半は前回の公園に戻っての2人の対話。こちらもシーンの変化などありはしないが、忍野との電話が延々続くシーンでは携帯のディスプレイが野放図に遊び歩いて変化を付ける。画面の無駄な動きに目がいってしまい、2人の会話など頭に入ってこないのは大きな問題だ。もちろん、過去にアニメでここまで長時間に渡って延々電話口での対話を描き続けたという挑戦も無かっただろう(まぁ、する意味がないから)。本当に、西尾維新はアニメに向かない作品を作ってくれたものだ。

 かろうじて羽川が登場してくれたおかげで、ラストシーンの統制は取れた。デフォルメを織り交ぜた、子供と子供じみた高校生の掛け合いは、考えてみりゃ「普通のアニメ」なのだが、それまでのトンチキな画面に比べればなんぼか安心して見られるというものだ。さぁ、次回はどれくらい「動かない」んだろうなぁ。楽しみで仕方がない。

 そしてなんと言っても、今回は新OPである。毎回メインヒロインをモデルにした歌を流す決まりになっているようだが、真宵バージョンのオープニングはシャフトとは思えない(?)普通の出来。渡辺明夫画の愛くるしさが全面に押し出されており、真宵の腕についた小物なんかはいかにも渡辺キャラらしい(膝に絆創膏は完璧だ)。後で気付いたが、ディレクションが「バスカッシュ」でほされた板垣さんじゃないか。やっぱりこの人はうまい人なんだなー。

 エンディングも正式版(?)に変更され、ようやく全体像が現れた形になるのだが……スタッフロールが上から下に流れるという壮絶な嫌がらせがおまけとして付いてきた。単に普段と逆になっただけなのに、奇跡的なまでに読みにくい。ほんと、「素直」という言葉とはほとほと縁遠いスタッフである。

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 ひたぎのエピソードが無事に解決して、新展開を見せる第3話。ただ、「展開」と言えば聞こえはいいが、冒頭からエンディングまで一歩たりとも公園を出ないという、これまでの中でも最もシーンの動かない世にも恐ろしい構成になっている。

 今回も基本的なコンセプトは一緒で、ひたぎと阿良々木の会話を延々流し続けて、グラフィックの方はまったく関係ない画でもって間をつなぎ、「画」と「音」のステレオ構造を作り上げること。今回舞台となった公園は、2話で登場したひたぎの部屋に比べれば広いし変化も付けやすい場所ではあるのだが、どちらにしたって2人が全く動かずに会話をしているのは一緒。おかげでかえって公園の広さが寂しさを助長し、様々な遊具で無理矢理遊ぶ二人の姿はあまりに滑稽で、あまりに無意味。もちろんそんな見せ方が長続きするはずもなく、中盤はもう諦めて中央の2人は完全に「止めて」しまっている。カメラの前を妙な格子(一応公園の外垣なんだろうか?)をスクロールさせて動きを出したりしてみせているのだが、2人の顔のアングルなどは変化しなかったりと、実に奇妙な画面に仕上がっている。

 もちろん、この「動かなさ」と「無駄に不安をあおる広さ」は、逆説的に2人の「近さ」を示すことにもなる。口論はさておきながらも遊具で遊んだり寄り添ったりする2人の関係性は明らかに今回一番進展している。ひたぎは自分でツンデレ要素は無いと言っていたが、体重が戻って生まれ変わった「行き遅れメンヘラ処女」はどうなんだろうか。いちいち台詞回しが秀逸なのは、さすがの原作ってコトで。

 そして後半は真宵との出会い。こちらは一転、無駄なカットの動かし方が目を引く構成で、真宵の見事な中断蹴りから阿良々木の一本背負いにつなぐまでのカットは、独特の回しが効いた面白い動画。途中で真宵は動いていたのに阿良々木がぴくりとも動かないシーンなんかも自嘲的なものなのか、苦笑い半分でも見てしまう。憎らしい演出だなぁ。

 何が何やら、筋書きは相変わらずさっぱりだが、やっぱり一筋縄では行かないことに変わりはない。

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 話の流れも何もあったもんじゃない第2話。今回からオープニングが入るようになったが、これがなんと主演の千和の歌唱。千和の1人歌唱は「ネコミモモード」以来じゃないのか? 当人もしょっちゅう「歌の仕事なんて他人に任せたい」と言っている通りに、歌唱力はお世辞にも高いとは言えないはずだったのだが、今回のオープニングはきちんとキャラを維持しながらそれなりのクオリティになっている。いつも通りのオープニングアニメとも相まって、不思議とポップな感じにまとまっているのが愉快だ。

 そして2話目にしてふんだんにサービスの回(?)。ひたぎがほぼ全裸or下着のままAパートが進行し、それを阿良々木が童貞力爆発で恥ずかしがるという羞恥プレイ。これも、阿良々木の中の人がひたぎの中の人に対して「おまえと風呂に入っても何も感じやしない」と宣言していることを考えながら見るとそれだけで面白い。「いい身体してる」と褒めるのもなんだか微妙。もちろん、作中のひたぎは実に見事な裸体を披露しているわけだが。下着を履くカットとか、これはこれでアウトなんじゃないかと。

 ただ、そんな素敵なシーンのはずが、周りを埋め尽くす新聞記事の文字の羅列が相変わらず異様な雰囲気を醸し出している。今回は、1話の中で描かれるのがひたぎの部屋と祈祷所(と最後の阿良々木の家)だけという、非常にシーンの少ない展開。前回にも増して画面に変化が無く、Aパートで延々続く2人の掛け合いに、何とかメリハリを付けるように「虚飾」であれこれ仕込んでいるのが面白い。やたらとカメラワークに凝ってひたぎに接写したりするのも、阿漕ではあるがつい見入ってしまう演出。会話のテンポ自体がいいこともあるが、このシャフト色100%の奇妙な画面構成が、今回の見所の1つだろう。

 そしてBパートはひたぎの生い立ちが明らかになる祈祷所のシーン。こちらも非常に静的な進行だが、「蟹」の出現で空気が一変し、それまでの鬱憤を晴らすかのようにハードな展開に。ぐるぐると「蟹」の文字が渦を巻く怪異の描写はちょっとくどい気もするが、不可視のあやかしに身体を打ち付けられるひたぎと、それを軽く投げ飛ばす忍野のギャップ。そしてそれまでの軽口が嘘のように粛々と謝罪を述べるひたぎ。このあたりの作劇は、やはり「女優」斎藤千和の真骨頂。普段が普段だけに、どうしたらここまで役に入れるのか、不思議でしょうがない。

 2話も総じて「千和が持って行った」形になるか。実写が盛り込まれたりと流石に「この画面はどないやねん」みたいな部分が少なくないのだが、まだまだ興味の尽きない展開です。

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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
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