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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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「少女歌劇レヴュースタァライト」 6→7

 さぁて、終わったぞ。さて、一体なにから書いていけばいいものやら……。とにかく難しい作品である。どういう切り口で寸評したらいいか、っていうのもあるんだけど、なんか周りで盛り上がってる連中が尋常じゃないので、自分のテンションを見失わないようにするのが大変だ。

 しかし、そんな連中に気遣うつもりはさらさら無いが、私も楽しんでしまったのは間違いない事実だ。なんでちょっと悔しそうなのかというと、どうも最近いいようにバンドリ関係のコンテンツに転がされているので、「こ、これ以上ブシロードの思い通りにはならないんだからねッ!」という反感が先にあったからだ。こんなコンテンツに釣られクマーなのである。「舞台とアニメの融合なんて、これまでみたいな生っちょろい覚悟で作品作りしても絶対に成立するわけないやん。どうせおかしなものが出てくるで」と、ちょっと期待(?)していた部分もある。しかし、今作を任された古川知宏監督は「大したもの」を持ち出してきた。まさか、こんな形で「舞台アニメ」が迫ってくることになろうとは。

 色々ややこしいことになりそうなので、なるべく視点を絞って2つのポイントについて書こう。1つ目は、とにかくアニメ以外の要素をシャットアウトして「12話の単品として見た場合」の今作のあり方。毎回の評価でも書いている通り、やはり9人の舞台少女を描く上で1クールというのは話数が足りない。このことはすでに「ラブライブ」などの先駆的な作品が証明していることであり、実際私が「ラブライブ」の評価を大きく上げたのは2期目になってから。1期で下地を作り、キャラの物語を乗せていくのは2期目からが本番。それくらいの長い目で見てこそコンテンツは育つものだ。しかし、今作はそうした先駆者達の培った経験をしたたかに活用し、1クール目で「乗せて」きた。具体的にどのようなテクニックがあるかを考えるとこれまたキリがないのだろうが、例えば「ラブライブ」のような作品を参考にすれば「ペアリング」というのが手っ取り早い方策だろう。1人ずつ掘り下げると大変なので、いわゆる「カップル」として処理することで話数を削減し、「個性の物語」ではなく「関係性の物語」を打ち出す。個人的には現時点でも一番のお気に入りは香子・双葉コンビなのだが、あの2人の物語は本当に単体で完結しているし、阿漕なほどのわかりやすく、そして興味を引く物語なのである。2×3+3(まひるをどこにカウントすべきか悩む)という構成は、1クールの構成から自然に導き出される最適解だ。

 そして、そんな構成を可能にしたのが、「レヴューシステム」という今作最大の見せ場である。そう、ラブライブと違って、今作は「9人が集う」だけではない。「9人の中で1対1のバトルが繰り返される」のである。毎回毎回つがいがイチャイチャする話ばかり出されてはマンネリに陥ってしまうが、これが「バトルアニメの戦闘」なら話は別。さすがにスポーツアニメやバトルアニメを見て「また戦ってるのかよ! 先週も見たよ!」と文句を言う人間はいない。それは、すでに「戦うこと」が前提として組み込まれているからだ。本作は、本来ならありえない「舞台女優達のトップ争い」をレヴューという(訳のわからない)形式でバトルとして固定化してしまった。これにより、恋愛も、嫉妬も、信頼も何もかも、丁々発止の肉弾戦の映像に落とし込むことが可能になった。

 いや、大仰に書き出しているが、実はこのシステムは別に革新的なものでもなんでもない。例えば料理アニメでなぜか料理がバトル空間になる演出なんかはよくあることだし、最近だとカードバトルでも超次元サッカーでも、とにかく「なんかすげぇバトル」の形を借りて本来的な関係性を代用するという作劇はアニメではおなじみのものだ。ただ、それが「舞台女優」というシステムと噛み合うとおかしなことになるという、ほんのちょっとの「一歩」がこの作品を大きく異次元へ飛び出させたのである。舞台で輝くスタァの姿もみたいが、僕らは「でかい武器を持って戦う少女たち」も見たいのである。それを同時にいただきます。なんだその欲張りセット。

 こうした「作品内部でのやらかし」に加え、本作は「作品を飛び出しての興行」という、まさにブシロードが狙っている「外側」の世界も存在している。これが2点目のポイントになる。私はそちら側は(かなり意図的に)目を背けるようにしているが(沼怖い沼怖い)、本作は上述のような「レヴューというわけのわからないシステム」がこの作品の「うち」と「外」を接続しているのが白眉である。作中でわけのわからない空間として現れたオーディション会場は、アニメを切り出して2.5次元に飛び出した「現実の舞台」との接続を容易にする。アニメの中の世界を現実で描き切るのは不可能かもしれないが、「アニメの中のわけのわからない空間」だったらどうなるか。「無理なんだったらアニメの方から寄ってこい」というとんでもないロジックで、今作は現実の舞台とアニメの少女たちを接続させた。この「舞台風のギミック」が本当に出色の出来で、最終話の感想で「こけおどし」と称したオブジェクトが大体そういうカテゴリに入るものだ。振り返ると、私は1話目の視聴時点でも「こけおどし」という言葉を使っていたのだが、とにかく「なんかすごいように見える」という見た目のインパクトは、まさに舞台という大仰な場所に映えるものである。横倒しの東京タワーでもいい、巨大な鎖で振り下ろされる星でもいい。それがアニメの作中に出てくることに強烈な違和感があれば、現実の舞台の上での違和感も「アニメと同じ必然」に生まれ変わる。アニメの中で書き割りが活躍するなら、現実の舞台の書き割りだって立派な世界演出になる。なんなんだ、そのロジックは。誰だよ、こんな突き抜けたこと考えたのは。とにかく異質なオブジェクトで、時にはシュルレアリスムにすらなりそうなオブジェクトをたたみこむのは確かに幾原邦彦的な演出でよく見かけるものだが、本作における古川監督の「舞台の現出」は、イクニ作品とは全く目的が異なる新しい使い方。まさに師匠とは「守破離」の関係性である。

 アニメ作品の「うち」と「外」の接続。まるで夢物語のようなお話だが、本作はこれだけ短い作中でそれを可能にする萌芽を見せつけた。おそらく、ここから舞台へ自然に接続して観劇すれば、それはまた特別な経験となることだろう。ちくしょう、ブシロードめ……。勢いのある企業ってこういうところで見せつけてくれるんだろうな……。

 一応、私としては「キャストの中にちらほら声優の発声じゃない連中がいるからなー」っていうのを理由にして一応目を背けておく(まぁ、そうすると友希那さんの中の人も入っちゃうんだが)。でもまぁ、本当に些細な問題だな。多分、舞台の上では彼女たちもきらめきを持っていることでしょう。当然、この記事もこの言葉で締めくくることになるだろう。

 えぇ、分かります。

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