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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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<以下の文章は、放送当時に執筆されたものである>
 
○第25話「ゆずき」
 脚本・金巻兼一  絵コンテ・藤原良二  演出・吉田俊司  作画監督・石川洋一、門智明


 <あらすじ>
 自宅と思われる廃墟で「現実」を突きつけられるゆずき。しかし、彼女はそれを信じようとはせず、無理に笑い飛ばし、あいに詰め寄る。「こんなことをしたって私は騙されない」と。あいに背を向けるゆずきだったが、その視界には、幻視が広がる。そこにいるのは、幼い日のゆずきだった。「ゆずき」は、小さな身体で必死に買い物袋を担いで帰宅した。家の中には、優しく笑う父親と、台所で料理に勤しむ母がいた。その日パチンコで勝ったという父は、ゆずきに大きな熊のぬいぐるみを、母には熊のキーホルダーをプレゼントしてくれた。「お父さんありがとう」と満面の笑みのゆずき。小さな家ではあるが、3人の家族は、皆幸せそうだった。その幻視を、ゆずきは確かに覚えている。
 
 ある日のこと、ゆずきの父はバスの運転手としての勤務中に事故を起こす。突如ブレーキが効かなくなるというトラブルで事故は凄惨なものとなり、運転していたゆずきの父も、バスの乗客の大部分も命を落とした。病院のベッドで息を引き取った夫にすがりつくゆずきの母、小夜子。悲しみに暮れる母子の病室に、事故で被害にあった他の遺族が押し掛ける。「事故を起こしてたくさんの命を奪ったとんでもない運転手」。父は多くの人からの憎しみの対象となり、病室は怒声と罵声に満ちる。幼いゆずきは、そんな様子に耐えられずにただただ泣きわめく。世間の対応は、ゆずき達にとっては厳しいものだった。事故を起こした交通局が、「事故車両に不備はなく、事故は全て人為的で、運転手の過失に依る」という調査結果を発表したのだ。ゆずきの父は、会社のために人柱にされた。自宅の片隅に小さな仏壇を作り、ひっそりと悲しみに暮れるゆずきと小夜子。小夜子は過度の心労に寝込みがちになるが、幼なじみのよしみで、何とか近所の商店のパートの仕事を始める。しかし、近所の人々はもちろんのこと、働き出した商店でも白い目で見られ、ゆずきも、学校では「人殺しの娘」としていじめられる日々が続く。
 
 事態が決定的になったのは、小夜子が勤め先の商店の主人に迫られ、それを拒んだことだった。勤め先も失い、片っ端から連絡を取った親戚にも色よい返事をされない。立て続けの不幸と心労で、ついに小夜子は身体を壊す。近所の病院では門前払いをくらうだけで、いつしか蓄えも尽きる。血を吐いて倒れ込んだ母を見たゆずきは、必死に回りの大人達に助けを求めるが、誰一人としてゆずきの叫びに耳を傾けるものはいなかった。小夜子はろくに動くことも出来ず、ゆずきもそんな母の傍らでただただうずくまるだけ。先の見えない薄暗い寝室で、小夜子は一言「行こうか」とゆずきの手を引く。
 
 病身の小夜子は、町外れの裏ぶれた神社の社務所中で娘と抱き合う。そしてその手が娘の首筋にのびかけた時、神社に女子学生が参拝に訪れる。ゆずきは、そんな女の子を憧れのまなざしで見詰める。それを見た小夜子は、娘の未来を摘み取ることなく、文字通り眠るように息を引き取った。もの言わぬ母を一人で埋葬するゆずき。その目に赤い光が宿る。全てを失った少女は自宅に戻ると、父との思い出のぬいぐるみを抱き、そのまま長い眠りについた。
 
 眠ったままの白骨を見て、「ゆずき」は全てを思い出した。自分はもう、この世のものではない。そして、自分はこの世界を憎んでいる。悲しみにうちひしがれるゆずきを、高杉秋恵が鳥居の奥から招く。見入られたように秋恵の手を取るゆずき。つぐみに「行くな」と言われた鳥居の奥の世界、地獄と接触を持つ。その瞬間、じっとすべてを見守っていた閻魔あいは姿を消し、代わりにゆずきが「地獄少女」をまとう。「地獄少女が必要だってことが、やっと分かった。私は運命を受け入れる。世の中に見捨てられた私が、これからはあいに代わってこの世界を清めていく」と決意するゆずき。そして「私はあなたのような罪のない人々を流しはしない」と秋恵に誓う。しかし、「清める」という言葉に、一目蓮たちは難色を示す。地獄少女というものは、使命感で行うものではなく、あくまでただの「システム」として実行しなければいけないのだ。
 
 ゆずきは、「あなた達の主は消えた。これからは私を手伝ってくれるんでしょう」と四藁に問う。しかし、一目蓮と骨女、きくりはすぐにゆずきに背を向けた。山童も、きくりに引きずられるようにその場から立ち去る。残った輪入道は、困惑した表情で帽子を深くする。秋恵、輪入道、そしてゆずき。3人所帯となった「地獄少女の家」で、パソコンの画面が光る。
 
「仕事よ」。
 
 
 <解説>
 ゆずきの出生の秘密を描いた1話。そのため、細かいギミックなどはほとんど存在せず、ただひたすら「ゆずき」という1人の少女が落ちていく様だけが描かれている。
 
 まず、今回のエピソードで非常に明示的だったのが、ゆずきというのは非常に分かりやすい意味で、現代版の「あい(「閻魔あい」ではない)」だったということだ。自らの生まれや育ちにはまったく罪はないのに、たった1つの出来事から人生を転がり落ち、若くして命を失った少女。そして、その怨みの矛先は不特定多数の「ムラ」性を持った近所の人々を通じて、人間そのものの醜さの本質的な部分にまで及んでいる。あいとの違いは、あいの場合は柴田仙太郎という具体的な怨みの対象があったが、ゆずきの場合はそれが薄いという部分だろうか。一応小夜子を裏切った男としてパート先の及川ストアの旦那がいたけれど、流石にあいと仙太郎のような深い関係性があったわけではないのでレベルが違うだろう。何にせよ、集団的な「いじめ」に近い状態そのものに対しての怨みという根元的な部分が、あいとゆずきの最大の共通点と言える。
 
 こうした「ムラ性」を孕んだ日本人独特の集団意識というものは、実はこの「三鼎」に入ってからもしばしば描かれてきたものである。「うつせみ(5話)」で新山先生が悩んでいたのも、個人に対する怨みというよりはそれを取り巻く世間に対しての苛立ちであったし、「うそつき(7話)」の犬尾君も、母親を取り巻く「世間体」との戦いに必死だった。「真夏のグラフ(12話)」「怨みの街角(14話)」なども、狭い町の中での世間体に押しつぶされそうになった人間が、それを回避するための手段として、地獄通信に手を染めているのだ。こうした「世間」という目に見えないものの形式化が、「賽河原市」という1つの町なのだろう。今期、賽河原を舞台に限定したのは、このゆずきのエピソードの「ムラ性」を演出する目的があったのだと思われる。
 
 とはいえ、流石に今回のエピソードには無理があると言わざるを得ないだろう。いくら事故を起こし、それが過失だと信じられていたとしても、その家族が突然迫害され始め、あげく生きるか死ぬかの瀬戸際の状態になっても救いが現れないなどという状態は、いくら閉塞的なムラであってもちょっと現実味がない。個人レベルならあり得る話かもしれないが、流石に病院でまで断られるのはひど過ぎる。「ゆずき=あい」という状況を設定するためにははずすことが出来ない要素だったのだろうが、それならいっそ父親の事故の規模をもう少し大きくするとか、一工夫欲しかったところだ。いくら迫害された状態での孤独死だとしても、10年近くもゆずきの遺体がアパートに放置されているのはおかしすぎるだろ。住人がいる前提で建物の取り壊しも決まらんだろうし。あのアパート自体があいの生み出した幻視空間なのかとも思ったけど、建物自体は実在してるしなぁ。新しい地獄少女になったゆずきは自宅の部屋で出撃準備を始めていたのだが、取り壊しが始まったらどこに行くんだろう。あいの家かな。
 
 地獄少女ゆずきという存在をサポートする、高杉秋恵との関係性もちょっと違和感のある部分。今回のエピソードで、唯一秋恵だけは生前のゆずきと接触があったことが語られた。河原でうちひしがれているゆずきに幼い秋恵が声をかけ、何か小物をプレゼントしてくれるという一幕なのだが、たったこれだけのことで、ゆずきは秋恵との友情を見いだし、「中学生ゆずき」が秋恵の友人として顕現したのだろうか。それとも、偶然河原で出会った少女と同じクラスに「出現」したのだろうか。わざわざ地獄の奥から魂を引っ張ってきて従者にするくらいなので、ゆずきの中ではかなり信頼厚い友達なのは間違いないのだが、それは「御景ゆずき」が実在の中学生だった場合の話で、今回ゆずきの存在は事実上この世から抹消されている。前話ではそらや球代などのクラスメイトからも記憶が消えていたわけで、秋恵だって生きていたらゆずきを「なかったこと」にしていた可能性が高い。もしもゆずきの消滅の前に秋恵が流されることが決まった上で「御景ゆずき」があのクラスに現れたのだとしたら、あいや人面蜘蛛はかなり意地の悪いセッティングを用意したということになるのだろう。ラスト1話で秋恵がどうなるのか、結構気になります。
 
 そうそう、もう1人妙な行動をとっていたのが山童。今回のゆずきの悲劇はずっと「母親」というファクターがついて回り、山童は同じく「母」に憧憬を持つものとして、ゆずきの悲劇を途中から観察していたらしい。そして何を想ったか、小夜子の末期を看取り、神社の桜の木を一本満開にするというサービス(?)を展開している。作中で何度も登場した「桜のイメージ」は結局この山童の桜だったので、前々回までの必死の推測が全部的外れなものになってしまった。山童がどういう気持ちで桜を咲かせたのかよく分からないし、この桜がアニメの演出上、どういう意味を持つのかも正直分からない。「山童の桜」と「七童寺の桜」という共通項で、2人の地獄少女の誕生シーンを印象づけたかったのだろうか。
 
 他の四藁連中は今回影が薄かったが、ゆずきの呼びかけに、一目蓮と骨女がすぐに背を向けたのは非常に印象深い。彼らの忠義はあくまであいに捧げたもの。未だ地獄少女として未熟なゆずきに仕える気は、今のところ無いらしい。山童は出来れば手伝いたい、という様子だったが、残念ながら「姫」優先。おかげで人のいい輪入道が残り、ちょっと立ち去るタイミングを逸してしまった様子。ラストシーン、ゆずきと秋恵が仲良くしてるのに家の外でボーッとしてる輪入道がちょっと切ない。そして、今回大活躍(?)だったのが、冒頭でゆずきが父に貰った熊のぬいぐるみ。ご存知の通り、これはオープニングでゆずきが抱えているもので、謎のダンスシーンでも横に座っているおかげで序盤からなかなか印象的だった存在。いつぞやのレビューで「我々は幼いゆずきも知っている」と書いたのだが、我々が知っているのは「幼いゆずき」と「今のゆずき」の2種類だけだったわけで、その2つの次元を繋いでいるのが、あの熊の存在だった。確かに同じぬいぐるみを抱えていれば、「幼いゆずき」と「今のゆずき」が異なる存在であるとは思わんわな。なかなかうまい演出である。知識を持った後で改めてオープニングの映像をみると、色々と意味深で面白い。
 
 蛇足ではあるが一応確認を取っておくと、ラストシーンで依頼が来た「真山梓」は「六文灯籠(13話)」で秋恵を流した張本人。つまりゆずきにとっては今この世界で最も憎むべき人間である。「個人的怨みを爆発させるのは御法度だ」と1期で言われていた地獄少女だが、果たしてゆずきは冷静に仕事を遂行出来るのだろうか。
 
 なんだかんだと不満の残る1話ではあったが、それでもゆずきの経験した悲劇を有無を言わさず叩き付けてくる演出はなかなかのもの。特に母子で狭い社の中に潜むゆずき達のシーンは非常に印象的で、一度は娘に手をかけようとした小夜子が、娘の無垢な憧れを目の当たりにし、娘の未来を信じながら息を引き取る姿は涙を禁じ得ない。その後すぐに娘も後を追い、憧れの学生生活がむしろ悲劇の序章となってしまったのは皮肉な運命である。余談中の余談だが、この時にゆずきが見ていた女子学生は神社に向かって「憧れの大森君と仲良くなれますように」と願をかけている。大森君は、たびたびこのレビューでも登場する前作までの監督です。多分、台詞を言わせたかっただけでしょう。今回のキャストは、何といっても小夜子役の島本須美。「らき☆すた」でも病弱で故人な母親役でしたけど……切ないです。

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