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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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「少女終末旅行」 6→7

 今期は本当に刺激的な作品が多い恵まれたシーズンになったが(その分とんでもない作品も多いが)、今作も、そんな見たこともない刺激の1つであった。毎年毎年たくさんのアニメを見て、全てをパターン化して分かったような顔になってみても、まだまだ我々の知らない世界というのはたくさんあるものだ。人間の想像力、そして創造力は無限大だ。

 今作だって、個々のパーツをなんらかの作品とつなげて類似点を指摘することはできるだろう。おそらく、歴史の長いSF小説のジャンルなんかを探せば、かなり似た設定の作品も存在するのではなかろうか(残念ながら私はSFに明るくないのでさっぱり知らないが)。しかし、今作はこうして「少女に」「終末を」「旅行させる」ことに意味があり、さらにそれを漫画で描き、果てはアニメに描いたことに意味がある。ただケッテンクラートに乗った女の子が2人、なんの背景も、目的もない世界をただただ旅する。そこに何が出てくるのかはさっぱりわからないし、それまで何があったのかもよくわからない。あまり動きを見せない画も、終末というにはユルすぎるキャラクターデザインも、なんだかいろんなものを無駄にしているような、どこか虚無的な不安感さえ抱かせる。しかし、それらが全て合わさり、つらつらと流されるアニメ映像になると、これが不思議と一貫した方向性が見えてくるような気がするのである。ある種ゲシュタルト的な概念構造……とまでいうと多分言い過ぎなのだけれど。

 前提条件として、もちろん個々の要素はそれぞれで楽しめる必要があるだろう。今期は色々忙しかったせいでなかなか1本ずつのエピソードで感想記事があげられなかったのが悔やまれるが、1つ1つのタイトルだけを切り取って小話として見ても説得力のあるエピソードが多く、エンディングが実に印象的だった「雨音」や、暗闇の演出が不思議な魅力を見せる「寺院」、珍しく他者との対話が様々なこの世界ならではの思想を切り出す「離陸」に、果てもしれぬ旅路の不安感を掻き立てる「らせん」。SF的な壮大さを背後にちらつかせる「生命」、そして最終話、「接続」「仲間」。どれもこれも、一筋縄ではいかぬ挿話ばかりだ。

 本作の見事なところは、「終末」という設定からスタートしているという部分である。普通に考えるなら、描かれるべき部分は「終末」ではなくそこに至るまでの「過程」であり、それが起こった「始源」であるべきだ。しかし本作はなんの説明もなしにただ少女たちの前に「終末」のみを転がしている。どう考えても絶望的で、真っ暗なイメージしか与えないはずのこの「終末」が、少女たちからすればあくまでもスタート地点。ただそこに与えられた状況であるので、彼女たちは一切この「終末」に悲観的なイメージを持っていないし、「終わっている」ことにも疑問は挟まない。ただ、何が終わった後なのか、そして、「終わりの終わり」には何が待っているのか。そこだけを目的にして前に歩くという世界。おかげで、「なんの果ての終末なのか」という部分は極力描かれぬまま、我々は少女たちと同じ世界をただ見守ることができる。本当ならば色々と突っ込むべき部分は多いのだが(彼女たちの知識の偏りはやっぱりヘンなはずなのだが)、あまりに特異な世界設定ゆえ、我々はそうした「既存の設定に疑問を挟む」ことよりも、「新たに得られる知識への興味」の方が勝るのである。世界が「終末」にあるおかげで、帰ってそこから始まる「始源」が強調されるというのは、なんとも逆説的で面白い。

 怒涛の最終話では、そうした「終末」に幾ばくかの説明も与えられ、作品としての「まとめ上げ」もつつがなく終了しており、シリーズアニメとしての体裁もしっかり整えられているのが心憎い(個人的には別にその辺りの説明はなくても成立したと思うが、やはりあの怒涛の展開は胸がザワつく)。全てが終わった世界では、当たり前のことでも全てが新鮮な驚きにつながる。チトたちはディスプレイ上に次々に展開されていく写真や動画の流れに、まるで初めて知恵の木の実を与えられたアダムとイブのごとき衝撃を受けただろうが、我々は現在、そうしたあまりに膨大な情報を、日常的に受け取り、背後へと流していく行為を続けている。現代という時代が、人の歴史の中でも極まりきった異常な状態に到達しているということが、ちーちゃんたちの新鮮な驚きから改めて確認できるのである。文明とは何か、そして何を持って始まりとなし、何をもって終わるのか。何も知らずにただ旅を続ける2人の少女が、そんなことを改めて考えるきっかけを、たくさん与えてくれるのだ。

 もちろん、そんな余計なことを考えずに、ただちーちゃんとユーの2人の女の子の友情譚として見ても問題なく楽しめるだろう。百合というのは流石にちょっと違う「バディもの」というのが無難なところだが、無茶苦茶なユーを(ときに本気でぶん殴りながらも)愛しているちーちゃんと、そんなちーちゃんに無条件の信頼を寄せながら、旅の楽しさを提供してくれるユー。この2人のコンビネーションがあって初めて、この旅行は見るに耐えるエンターテイメントになっている。ただひたすら「2人ぼっちの世界」が続いていながらも、一切退屈せずに眺めていられるこの2人の関係性はそれだけで特別だ。頑なにつぶれまんじゅうであり続けるキャラクターデザインは、最初は「異物なのでは」という印象で見ていたものだが、それは当たり前のことだった、2人は見る側、世界は見られる側。2人が世界から切り出されて初めて作品は成立している。そのことを絵的にもはっきり表すのが、愛くるしいつぶれまんじゅうなのである。それにしても酔っ払いちーちゃんはかわいかった……。

 酔っ払いちーちゃんの歌もそうだったし、今期最も印象的なアニメソングといっても過言ではない「雨だれの歌」もそうだし、無音の中でケッテンクラートのエンジン音だけが唸る今作の音響演出も実に秀逸。きっちり「ただ画を見せられる」という世界観の作り込みがなければ実現し得ない構成である。それだけ本作スタッフは原作の持つ力を信頼していたし、それを映像として起こすことができるという自信があったのだろう。本当に恵まれたアニメ化だったと思う。

 最後は中の人の話だが……まぁ、2人だけだしな。水瀬いのりのこういう役、本当にずるいくらいにハマるのは天賦のものだろう。そしてそんないのすけのナチュラルボーン無気力を引っ張り上げるしかこのユー。本当に良いコンビネーションでございました。

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